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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
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(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2017年09月19日

DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)

ダイヤモンド社 2017-08-10

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 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年9月号の特集は「燃え尽き症候群」。私は医学的なことは詳しく解らないのだが、燃え尽き症候群には大きく分けて2つのタイプがあると思う。1つは、「野心的な目標を掲げてそれを達成した後、次の目標が見えなくてモチベーションを失ってしまう」というタイプであり、スポーツ選手や企業経営者に多い。もう1つは、「自分では精一杯努力しているつもりなのに、一向に小さな成果さえも出せず、ついには何をやっても無駄だという無力感に襲われる」というタイプである。社会が成熟し、かつてのような高い成長が見込めなくなった現代では、後者のタイプの方が多いのではないかと思う。

 後者の燃え尽き症候群は、「心のエネルギーが枯れ果てて、ガス欠車のようにアクセルを踏んでも動かない状態」であり、うつ病との共通点が多い。燃え尽き症候群もうつ病も、「献身的な人、使命感の強い人、頑固で意思が強く思考や感情の切り替えが柔軟でない人、対人関係に不調和がある人、上昇志向が強く能力が高い人」、あるいは「感受性が強く周囲に気を遣いすぎる人、物事の受け止め方の柔軟性に乏しく、几帳面で神経質な人、責任感は強く何事も完璧にこなそうとするが、不器用で一つの物事に過剰にこだわりやすい人」がかかりやすいと言われる。ただし、うつ病の人は、昔のことをくよくよと思い出しては悔んだり、自分1人が犠牲になっていると感じたりする自責的な傾向が強いのに対し、燃え尽き症候群の場合は、他責感が強く表れ、怒りや嫌悪などの攻撃的な感情が他者に対して表れる。

 以前の記事「双極性障害で入院したところ40日の予定が1週間で退院してしまった事の顛末」でも書いたように、私自身もうつ病⇒非定型うつ病(後で知ったことだが、非定型うつ病という病名は医学的に確立されていない)⇒双極性障害Ⅱ型とコロコロと病名が変わってもう9年も治療を続けている。私の場合、双極性障害と言っても、自責的なうつ病の症状が現れるというよりも、前職のベンチャー企業で経験したひどい事柄を思い出しては「あの会社のせいでこうなった」と思うことが多々あり、他責的になりやすいという燃え尽き症候群の方に合致する。

 ただ、病気が発症した時は確かに長時間労働だったものの、燃え尽きるほどの長時間労働ではなかったから、燃え尽き症候群と言うには無理があると自分でも思っている。最近では、先ほどの記事でも書いたように、自分がどういう病気なのかはどうでもよくなっていて、これは私の性格の一部なのだと受け止めて、上手くつき合っていくしかないのだろうと腹を括っている。

 私は医療の専門家ではないので、燃え尽き症候群に関して何かを書くことはできない。しかし、まがりなりにも9年間、うつ病に関連する治療を受けてきたから、ここからはうつ病に関して私の思うところを書いてみたい(本号の特集からは外れるが・・・)。うつ病は一般的に、「脳のエネルギーが欠乏した状態であり、憂うつな気分や様々な意欲(食欲、睡眠欲、性欲など)の低下といった心理的症状が続くだけでなく、身体的な自覚症状(全身倦怠感、頭痛など)を伴う病気」とされるが、一義的な定義は学術的にも確立されていない。つまり、うつ病の症状は患者によってバラバラである。そのため、製薬会社はありとあらゆる抗うつ薬、抗不安薬、抗精神病薬を販売している。うつ病の患者の中には、複数種類の薬を服用している方も少なくないだろう。

 しかし、これらの薬には問題もある。通常、新薬販売の認可を得るためには、被験者を2つのグループに分け、一方のグループには新薬を、もう一方のグループにはプラセボ(偽薬)を投与し、新薬を投与したグループのみに効果があったことを証明しなければならない。だが、一部の薬については、この試験に問題があったことが告発されている。
 2002年には複数の厳密な調査によって、製薬会社が薬の認可を得るためにFDAに提出したのと同じデータが再検討され、パキシル、プロザック、ゾロフト(※いずれも、現在主流の抗うつ薬)を初めとするSSRIにはプラセボ〔偽薬〕と比べてほんのわずかな効果しかないということがわかった。
(クリストファー・レーン『乱造される心の病』〔河出書房新社、2009年〕)
乱造される心の病乱造される心の病
クリストファー・レーン 寺西 のぶ子

河出書房新社 2009-08-22

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 私は今年に入ってから「光トポグラフィー検査」というものを受けた。これは、脳活動に伴う大脳皮質の血中ヘモグロビン濃度変化を計測することで、うつ病かどうかを判定する検査である。その結果、私は「典型的な双極性障害である」と言われたのだが、それ以上に衝撃を受けたのは、「抗うつ薬の効果があるのは、うつ病患者のうち全体の3割ほどにしかすぎない」という医師の言葉であった。前述の通り、抗うつ薬の中には効果が怪しいものがある。「薬が効かないのだが・・・」という患者の訴えを聞いた精神科医は、患者を放っておくわけにもいかず、何か手を打たねばとの思いから、新たな薬を次々と追加する。こうして、患者は薬漬けになっていく。

 さらに困ったことに、抗うつ薬などの効果は限定的なのに、服用を止める時には「離脱症状」と呼ばれる副作用を伴う。詳しい説明はこちらに譲るが、具体的には頭痛、倦怠感、眠気、めまい、吐き気、ふらつき、ふるえ、冷や汗、血圧低下などの症状が出る。私も今年8月の入院中に、それまで服用していた抗うつ薬を医師から一度に止めさせられた結果、ひどい離脱症状に苦しんだ。以上のことから言える1つ目の教訓は、「薬に頼りすぎてはならない」ということである。

 抗うつ薬などの薬の効果が限定的である場合、次に選択されるのは認知療法である。人は成長するにつれて固定的なスキーマが形成され、それに基づいて歪んだ思考方法や考えが自然に浮かぶ自動思考が起こる。これがうつ病などの精神病の引き金となる。そこで、そうした認知の歪みに焦点を当て、認知を修正することで症状の改善を目指すのが認知療法である。しかし、この認知療法は、薬による治療よりも難しい。というのも、回復プロセスが患者によって実に多様であるからだ。間違った薬を投与しても効果が出なかったで済まされるが、間違った認知療法を施すと、患者の認知の歪みをさらに強化してしまうことになりかねない。患者の多様性に対応できる医師が日本にどれだけいるのか、私には解らない。このことから言えるもう1つの教訓は、残念なことだが「医師に頼りすぎてもいけない」ということである。
 うつ病の治療に当たってきた臨床医は長い間、認知療法(心理学の一般的な治療法)を受けている患者は、回復に至るまで標準的な経路をたどると想定していた。その経路は、多くの患者が回復した経験を平均して確認されたものだ。ところが2013年、平均ではなく個人が回復する結果に注目した研究者チームは、回復までの標準的な経路が患者の30%にしか当てはまらない事実を発見したのだ。
(トッド・ローズ『平均思考は捨てなさい―出る杭を伸ばす個の科学』〔早川書房、2017年〕)
平均思考は捨てなさい──出る杭を伸ばす個の科学 (早川書房)平均思考は捨てなさい──出る杭を伸ばす個の科学 (早川書房)
トッド ローズ 小坂 恵理

早川書房 2017-05-25

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 それでも私は一応、7年ほど同じかかりつけの医師にお世話になっている。ただし、これはあくまでも気休めであって、結局のところ、「自分の精神病に責任を持つのは自分しかいない」というのが私の正直な実感である。うつ病と向き合うということは、自分の感情と向き合うということである。そのための有効なツールとして、私は「日記」をお勧めしたい。もちろん、繰り返しになるがうつ病の症状は多様であるから、日記が万能な解決策になるとは私も思っていない。私の場合は日記が役に立ったというだけにすぎない。

 日記には、「自分が何で苦しんだか、悲しんだか、腹が立ったか」ということをつらつらと書いていく。とりとめのない文章でも構わない。うつ病の人は几帳面なのできちんとした文章を書かなければならないと思いがちだが、そういうことは全く気にする必要はない。日記を書くと、自分の中に溜め込んでいた負の感情を外部化することができる。それだけでも、心理的な負担は随分と軽くなる。ちなみに、私が「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」という記事をわざわざ1年かけて書いたのも同じ理由である。一部の人からは、「前職の企業から訴えられるかもしれない」と批判も受けたものの、私はあくまでも自分の治療の一環として行ったまでである。前職の企業の名誉を守るのと自分の健康を守るのとを比べれば、後者の方がはるかに重要である。

 また、日記をつけるという習慣を持つことにも意義がある。定年退職した人が認知症にならないようにするためには「きょういく」と「きょうよう」を持つことが効果的であると言われる。これは、「今日行くところ」と「今日の用事」を持つことが大切であるという意味である。同じようなことはうつ病の人にもあてはまる。さすがに、うつ病の人は外出するのもおっくうになりがちであるから「きょういく」までは要求できない。しかし、「きょうよう」の一環として日記をつけることは、とかく乱れがちな日常生活にリズムをもたらす効果があると考える。

 私は2012年夏に入院した際、治療期間がまだ長引きそうだと感じたため、途中から「5年日記」に切り替えた。これは、中小企業診断士の大先輩から教えてもらったものである。5年日記では、1ページに5年分の日記をつけることができる。この日記の利点は、例えば2017年9月19日の日記を書く時には、2016年、2015年、2014年、2013年の9月19日の日記を読み返すことができ、そこから新たな気づきが得られるということである。そこには、過去の自分が何で苦しんだか、悲しんだか、腹が立ったかが書かれている。それを読み返すと、意外とちっぽけなことで悩んでいたのだと思うことが多い。つまり、自分の感情を客観的に直視できる。すると、少しずつだが自分の心理的な成長が感じられ、うつ病の改善に効果がある。参考までに、私の5年日記の写真を掲載しておく。赤線が、私が過去の日記を読み返した時に気づきを得た箇所である。

5年日記
 (※)画像はモザイク処理してある点をご了承いただきたい。

デザインフィル 日記帳 ミドリ 日記 5年連用 洋風デザインフィル 日記帳 ミドリ 日記 5年連用 洋風

デザインフィル

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 なお、今回の記事を書き始めた時、本当は「バーンアウトでうつになった人には、他者からのフィードバックが効果的である」という内容を書くつもりであった。冒頭で述べた通り、燃え尽き症候群の人々の大半は、自分では精一杯努力しているのに、一向に成果が出ず、ついには何をやっても無駄だという無力感に襲われている。彼らは、何をしても周囲から認めてもらえないと感じている。そこで、周囲の人が積極的なフィードバックを与えることが重要ではないかと考えた。

 しかし、以前の記事「【議論】人材マネジメントをめぐる10の論点」で、企業内の人、特に上司は基本的に部下を動機づける理由がないと書いた。というのも、上司は部下に対して給料を支払う立場である。お金を払う立場の人がお金をもらう人を動機づけることが不自然であることは、企業に対して代金を払う顧客がわざわざ企業のことを動機づけようとはしないことを考えれば自明である。読者の皆さんも、企業で何か製品・サービスを購入した時、形式的に「ありがとうございました」と言うだけでなく、「いやぁ、この製品・サービスは本当に役に立ったよ。特にこの点がとてもよかったね」と踏み込んだフィードバックをする機会が何度あるだろうか?もちろん、こういう評価が企業内でも盛んに行われることに越したことはない。しかし、そういう機運が期待できない以上、うつ病には結局のところ本人が責任を持つしかないという見解に至ったわけである。
2017年09月12日

『正論』2017年9月号『戦後72年/誰も金正恩を止めない・・・』―日本が同じように統治したのに戦後の反応が異なる韓国と台湾、他


正論2017年9月号正論2017年9月号

日本工業新聞社 2017-08-01

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 (1)安倍政権が窮地に立たされている。NHKが公表している内閣支持率の推移を見ると、特定秘密保護法の公布(2013年12月)、集団的自衛権の憲法解釈の変更(2014年1月)、安保法制の公布(2015年9月)、共謀罪(テロ等準備罪)を新設した改正組織犯罪処罰法の公布(2017年6月)の際には、様々な批判があったにもかかわらず、内閣支持率はそれほど大きく変化していない。これに対して、森友学園問題、自衛隊のPKO日報問題、加計問題が発覚すると内閣支持率は急落し、7~8月は不支持が支持を上回った。私にはこの現象が不思議に見える。

 報道を詳しく追っているわけではないので私の認識が不正確な部分もあるかもしれないが、森友学園問題は財務省のチョンボにすぎない。安倍首相が籠池氏に100万円を渡したとされる点も、籠池氏が安倍首相に100万円を渡していたのならば問題になるだろうけれども、本件はお金の流れが逆である。自衛隊のPKO問題は、日報があった、なかったという問題であり、行政組織の透明性、政府の説明責任が問われた一件である。しかし、この手の不透明性や政府の説明の曖昧さは、安保法制や共謀罪をめぐる審議でも見られたことであり、何も防衛省が特別というわけではない(もちろん、だからと言って防衛省や政府が責任を免れられるわけでもない)。

 報道を見ていると、内閣支持率急落にとって致命的だったのは、どうやら加計学園問題のようである。国家戦略特区制度を利用して愛媛県に獣医学部を新設する際に、安倍首相への忖度が働いたのではないかということ、そしてそれを裏づけるかのように、自民党の下村幹事長代行が文部科学相であった2013~14年に、加計学園の当時の秘書室長から、後援会の政治資金パーティー券の購入代金として現金計200万円を受け取っていたことが問題視されている。

 こういうことを言うと関係者から怒られるかもしれないが、特定秘密保護法、集団的自衛権の憲法解釈の変更、安保法制、共謀罪に比べれば、獣医学部の新設というのは小さな問題にすぎない。そもそも、国家戦略特区制度とは、岩盤のような既存の規制にドリルで穴を開けて、国際競争力を持つ産業を育成するための制度である。それが、獣医学部の新設という、国際競争力の強化との関係が不明な取り組みのために矮小化されていることの方が問題である。確かに、日本のペット(犬と猫)の数は増加の一途にあり、現在では15歳以下の子どもの数より多い。それに伴って、獣医の需要が増えていることは想像に難くない。しかし、獣医を増やすのにわざわざ特区を利用する必要があったのかというこそが問われるべきである。

 それが、これほど大きな問題になって内閣支持率に打撃を与えているのは、結局のところ日本国民は「政治とカネ」の問題に対して異常に敏感である、ということなのだろう。思い返してみれば、第1次安倍政権が倒れたのは、当時の農水相であった松岡利勝に、事務所費の不透明な支出の問題、光熱水費の問題、100万円献金の使途不明という問題が覆いかぶさり、最終的に松岡が自殺したことが大きかった。国民は、政策の重要性の高低で内閣の支持・不支持を決めていない。本来、規制を強化または緩和してほしい、あるいは個人や特定の組織を庇護してほしい時には、その必要性とメリットを滔々と政治家に説いて政治家を説得するという努力を払うべきだと国民は考えている。それを不透明なカネの力で一気に片づけてしまおうとする姿勢に国民は反感を覚えるのであり、またその不透明なカネに乗る政治家にも強い不信感を抱くのである。

 この問題を解決するには、e政府が進んでいるエストニアのようにカネの流れを完全にオープンにするか、献金を完全に禁止するかのどちらかしかないだろう。ただ、前者の場合、結局はカネのある人が有利になるという問題は解決しないため、残るのは後者しかない。とりわけ、政治家の意思決定を歪めやすい企業団体献金は禁止するべきである。しかし、見方を変えると、企業団体献金というのは、選挙権を持たない企業や団体が政治的なニーズを政治家に伝達する手段であるとも言える。そこで、これは全くの私案であるが、献金を禁止する代わりに、法人にも選挙権を与えるというのはどうだろうか?もちろん、制度設計には様々な障害が想定される。

 ・法人の1票と個人の1票を同等に扱ってよいのか?
 ・外国人が代表者を務める法人にも選挙権を認めてよいのか?
 ・宗教法人にも選挙権を与えると、政教分離の原則に反するのではないか?
 ・権利能力なき社団には選挙権を与えなくてもよいのか?
 ・企業法人に選挙権を与えるなら、個人事業主にも選挙権を与えるべきではないか?ただしこの場合、事実上個人が2票持つことになり、他の国民との平等性が崩れるのではないか?

 (2)日本は日清戦争後の下関条約によって台湾を併合し、韓国併合に関する条約によって韓国を併合した。欧米列強がアジアやアフリカの諸国を植民地としたのに対し、日本は台湾や韓国を日本の一部にした。そして、欧米列強が植民地から食料や資源を略奪し、植民地に対して自国の製品を大量に輸出し、植民地の人々を過酷な労働環境の下に置いた、つまり一言で言えば植民地を搾取したのに対し、日本の場合は鉄道、道路、水道、ガス、電気などのインフラを整備し、工場を建設し、学校を設立し、教師を育成し、警察制度を確立するなど、当時の日本社会のコピーを台湾と韓国に実現しようとした。もちろん、日本のやり方には是非の議論が当然あるわけだが、注目すべきは戦後の台湾と韓国の反応がまるで違っていることである。

 台湾は、日本統治時代について概ね肯定的な見方をしているようである。事実、台湾に親日派が多いことは有名である。本号では、蔡焜燦の『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』(小学館、2001年)が紹介されている。以下、孫引きになることをご容赦いただきたい。
 台北の鉄筋コンクリート製下水道施設などは、東京市(当時)よりも早く整備され、劣悪な衛生状態を改善することによって伝染病が一掃された。そして、あらゆる身分の人が教育を受けられるよう、貧しい家庭には金を与えてまで就学が奨励された事実を忘れてはならない。

 戦後、台湾経済がこれほどまでに成長した秘密は、日本統治時代に整備された産業基盤と教育にあるといっても過言ではない。同様に、台北の近代化はこうした日本統治時代を抜きに語ることはできないのである。
台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)
蔡 焜燦

小学館 2001-08-01

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 ところが、これが韓国となると評価が180度変わる。韓国は日帝による支配を何としてでも否定しようとしている。右派で知られる作家・百田尚樹氏は、最近『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社、2017年)という著書を発表した。百田氏は、韓国に元々存在していた文化、風俗、社会制度などを無視して、日本式のやり方を強引に持ち込んだことを詫びている。ただ、本当に謝罪しなければならないのは、教育で韓国の精神を変えられなかったことだと言う。この点で、単に日帝=悪とし、韓国(や中国)に言われるがままに謝罪を続ける左派とは一線を画している。
 日本人は併合時代に朝鮮人に様々なものを教えました。もっともそれらは何度も言ってきたように、朝鮮人が望んだものではないので、彼らにしてみれば「有難迷惑なこと」以外の何ものでもありません。そのことは謝罪しなければならないのは当然ですが、それはひとまず置いておいて、日本人が朝鮮人にいろんなことを教えようと思った動機は、彼らが多くのことを知らなかったからです。文字を知らず、灌漑技術を知らず、近代的農業を知らず、護岸工事を知らず、植林の意義を知らず、ビジネスを知らず等々、だからこそ一所懸命に、それらを教えたのです。

 しかし日本人は一番大事なことに気付きませんでした。それはモラルです。もしかしたら日本人はそうしたものはわざわざ教えなくとも、自然に身に付くと考えていたのかもしれません。前に私は「衣食足りて礼節を知る」と書きましたが、衣食を与えれば礼節を知ることになるだろうと、安易に考えていたような気がしてなりません。
今こそ、韓国に謝ろう今こそ、韓国に謝ろう
百田尚樹

飛鳥新社 2017-06-15

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 明治維新後の日本が西洋の技術を取り入れて急速な近代化に成功したのは、佐久間象山の「東洋道徳、西洋芸術(東洋の精神の上に西洋の科学技術を移入させる)」という言葉の通り、日本人にはベースとなる精神があったからである。日帝時代の日本人は、韓国には儒教という精神的支柱があるから、日本と同じように近代化できると考えたのかもしれない。ところが、実際にはそんな精神的支柱はなかったのである。精神のないところに技術だけを持ち込んだことが、韓国統治の失敗の原因であり、同時に韓国の反発を買った原因なのかもしれない。もっとも、私の関心は、儒教国であるはずの韓国になぜ精神的な支柱が存在しなかったのかという点にある(この点は現在の中国も同じである)。これについては引き続き考察を続けたい。

 もう1つ、韓国がこれほどまでに日本に対して反発しているのは、実は裏に中国がいて、日韓を分断してアメリカの影響力の低下を狙っていることも考えられるが、それ以上に「『韓国オリジナル』というものがないことへの強烈なコンプレックス」の表れなのではないかと思う。朝鮮半島は長らく中国の属国であり、何もかもを中国に依存してきた。つまり、オリジナルのものを持つことを許されなかった。そこに、日帝がさらに様々なものを持ち込んだため、韓国の怒りは頂点に達してしまったというわけである。最近、韓国が自国に起源があると主張しているものは「ウリジナル」と呼ばれ、テコンドー、剣道、相撲、サッカー、茶道、端午の節句などが該当する。果てはメソポタミア文明やインカ文明、西洋文明も韓国が起源であり、孔子もイエスも韓国人だと言い出している。ウリジナルは、韓国オリジナルがないというコンプレックスの裏返しである。

 私は台湾の歴史のことはよく解らないのだが、日本に関して言えば、日本も外国に多くを依存しながら自国の文化を構築してきた国であり、その意味では韓国と同じく、オリジナルに乏しい。しかし、日本が韓国のようにヒステリックでないのは、日本が特定の国に属してその国に抑圧された歴史を持たないからであろう。だから、反動としてオリジナルなものに対する希求を抱くこともなかった。むしろ、日本はいつの時代にも外国に開かれていた。鎖国政策をとっていた江戸時代でさえも、近年の研究によれば外国に対して比較的オープンであったことが解っている。こうした背景が、日本人が日本オリジナルのものにそれほど執着しなかった要因と考えられる。先ほど、明治時代の日本には基盤となる精神があると書いたが、その精神も、諸外国の文化や価値観などの混合から醸成されたものである。それでよしとする寛容さが日本人にはあった。

 (3)高齢者の割合が増えてくると、いわゆる「シルバー・デモクラシー」に陥りがちである。そこで、若者、特に子ども向けの政策を充実させようという動きが見られる。その1つが「子ども保険」である。子ども保険とは、小泉進次郎・農林部会長ら自民党の若手議員による「2020年以降の経済財政構想小委員会」が提唱しているもので、保育や幼児教育を無償にすることを目的としている。財源としては1兆円ほどが必要と試算されている。その財源を確保するために、教育国債を発行する、現在の社会保険料に上乗せする、などの案が浮上している。

 子どもを持つことが「保険事故」に相当するのかという議論にはここでは立ち入らない。1兆円の財源確保の手段として、私は信用保証協会の代位弁済を大幅に減らすことを提唱したい。信用保証協会は、中小企業が金融機関から融資を受ける際、「信用保証」を与えることで、資金調達を支援する。仮に中小企業が債務を返済できなくなったら、信用保証協会が代わりに債務を返済する。これを代位弁済と呼ぶ。日本では代位弁済の額が年間約1兆円に上り、その財源は国民の税金である。これは、中小企業の数が日本の5倍近いアメリカの約10倍である。代位弁済とは、簡単に言えば、潰れかけの中小企業に税金を突っ込んで延命を図ることである。そんな形で市場競争を歪めるよりも、未来ある子どもに投資した方がよっぽど賢明であると思う。

 子どものためのもう1つの政策が「高等教育の無償化」である。本号には、日本維新の会・丸山穂高議員と、評論家・池田信夫氏の対談が掲載されている(「大学の無償化は是か非か」)。高等教育の無償化に必要な財源は、文部科学省の試算によると、大学の無償化だけで3.1兆円、他も合わせると5兆円になるそうだ。この規模の財源を確保するのは至難の業である。

 私はここで、大学で学び直す社会人を増やし、彼らに費用を負担してもらうことを提案したい。経営学者のピーター・ドラッカーは、これからますます増加する知識労働者は、自らの資本である知識を常に最新のものに保つために、継続学習に取り組まなければならないと様々な著書の中で繰り返し主張している。そして、継続学習の場として、大学が今後非常に重要な役割を果たすと述べている。『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書、2015年)の中では、ドラッカーは日本の大学の問題点を次のように指摘している。
 他のいろいろな面で、日本は新しく生じてきたニーズに応える体制になっていない。例えば教育の分野では、高学歴者のための継続学習機関として大学を発展させる必要が十分認識されていない。日本の高等教育は、いまだに成人前かつ就職前の若者の教育に限定されている。そのような体制は、21世紀のものではない。19世紀のものである。
ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)
広井 良典

岩波書店 2015-06-20

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 2013年の調査によると、25歳以上の大学への入学者の割合は、OECD加盟国の平均が20.6%であるのに対し、日本はたった2.7%と非常に低い。原因としては色々考えられるだろうが、日本企業の悪しき伝統である長時間労働が、社会人の学び直しの機会を阻害していることは容易に想像できる。現在、安倍政権が取り組んでいる働き方改革が功を奏し、残業の抑制や週休3日制などが定着すれば、働きながら大学で学ぶことを望む社会人は増えると思う。

 OECD並みの水準とまではいかなくとも、仮に25歳以上の大学への入学率が2.3%増えて5%になったと仮定しよう。日本の労働力人口は2016年時点で6,648万人であるから、大学に入学する社会人は約153万人増える。社会人が大学を卒業するまでに要する年数を、若者と同じく4年とすると、社会人学生は毎年約612万人存在することになる。彼らが負担する授業料を年間50万円に設定すれば、授業料収入は約3兆円となり、大学の無償化に必要な財源をカバーすることができる。丸山穂高議員は、社会人学生も無償にするべきだと記事の中で主張していたが、私はお金のある社会人からお金のない若者への再分配を推進するべきだと考える。社会人学生が増えれば、当然のことながら教える側の人間も増やさなければならない。これは、現在就職先がなくて困っているポスドクに相当数のポストを用意できることを意味する。
2017年09月05日

『致知』2017年9月号『閃き』―大きな声を出す経営で社員を健康に


致知2017年9月号閃き 致知2017年9月号

致知出版社 2017-09


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 やや古い調査レポートになるが、独立行政法人 労働政策研究・研修機構の「職場におけるメンタルヘルスケア対策に関する調査」によると、16%弱の事業所でメンタルヘルスに問題を抱えている社員がおり、その人数は増加傾向にあるという。また、厚生労働省の「平成27年「労働安全衛生調査」(実態調査)」によれば、「メンタルヘルス不調により連続1か月以上休業または退職した労働者の状況」は、休業者が0.4%、退職者が0.2%であった。さらに、「現在の仕事や職業生活に関することで強い不安、悩み、ストレスになっていると感じる事柄がある労働者」の割合は55.7%と、平成25年調査より3.4%増加している。

 メンタルヘルス不調者が増加している要因は様々あるだろうが、個人的にはデスクワークが増えて、1人で黙々と仕事をする時間が長くなっていることが影響しているのではないかと思う。職場で言葉を発する機会が少なくなると、どうしても気分が憂鬱になるものである。よって、メンタルヘルス対策の第一歩としては、非常に凡庸な解決策だが、「職場で大きな声を出す機会を増やす」ことが有効であると考える。実際、「大声健康法」なるものも存在するそうだ。

 大声を出すと、身体に「オフ」の状態を作ることができる。大声によって心がすっきりするだけでなく、血行が良くなり、腹筋が収縮してお腹の働きもよくなる。すると、お腹と反対側の腰にもよい影響を与え、腰痛を和らげる効果もあるという。また、大声を出すと呼吸が深くなり、筋肉への血流も増加する。そして、ストレスホルモンのアンバランスさも低下し、ストレスが溜まりにくい身体になる。さらに、大声を出すと横隔膜の上下運動が激しく促進され、それに伴って胃や腸、肝臓などの内臓にマッサージ効果が起こって動きも血行もよくなり、身体も温まると言われている。

 大声健康法からはやや外れてしまうのだけれども、『致知』2017年9月号には、教育の現場に「速音読」を取り入れている教師の記事があった。
 速音読は、指定された範囲をできるだけ速く読む音読法ですが、速く読もうとする中で、素早く言葉のまとまりを掴むことができるようになり、また読む範囲の少し先を見る力もつきます。速く読めるようになると、普通の速さで読む時に余裕を持って音読できるようになりますし、脳科学的にも速音読は前頭前野を活性化させる度合いが高いそうで、短い時間で集中力や学習意欲を引き出せるのを感じています。
(山田将由「音読で子供たちの未来を開く」)
 大声健康法にも、ひょっとしたら脳を活性化させる効果があるのではないかと思う(そういう研究データをご存知の方がいらっしゃったら是非教えていただきたい)。かつて、日本の多くの企業では、朝礼で社員が皆揃って自社の企業理念を唱和する習慣があった。朝礼は企業理念を社員に浸透させ、社員の結束力を高めるのが主目的であるが、実は朝から全員で大きな声を出すことで、社員の脳や消化器の健康のために役立っていたのではないかと感じる。

 最近は、裁量労働制やフレックスタイム制の導入によって社員の出勤時間がバラバラになったこともあり、朝礼を行う企業が減少している。その影響かどうか解らないが、自社の経営理念を覚えていない人も増えている。先日も、ある研修で「自社の経営理念を覚えていますか?」と質問したら、誰も手が挙がらなかった。これは非常に残念なことである。難しいことかもしれないが、朝礼をもう一度復活させることは検討に値すると思う。朝礼では、経営理念を何度か繰り返し唱和するとよい。最初はゆっくりと読み上げ、経営理念に書かれた言葉の1つ1つの意味をかみしめる。そして、段々と唱和のスピードを上げ、脳の前頭前野を活性化させる。すると、社員は朝から経営理念を意識しながら全開モードで仕事に取り組むことができるだろう。

 朝礼はどちらかと言うと一方通行のコミュニケーションである。社員の健康をより高めるには双方向のコミュニケーションが効果的である。「コミュニケーション活発な人は健康度も高い かんぽ生命調査」によると、日常的な話ができる「知人・友人が11人以上いる」という人の53.5%が「現在、体調はよい状態である」、64.6%が「精神的な癒しやリラックスする時間を持つようにしている」と答えたのに対し、「知人・友人が0人」という人はそれぞれ36.5%、40.4%にとどまっている。知人・友人の数が多いほど、身体の健康だけでなく、心の健康への意識も高い。これは職場の人間関係においてもあてはまることだと思う。
 齋藤:最近、私が感じているのは、笑っている瞬間にアイデアが生まれることが非常に多い、ということです。昔、研究を1人でやっていた時はひたすら本を読んだり、思索に耽ったりしていたわけですが、いま学生と一緒にいる時は、とにかく爆笑できるくらいのものでなくては閃きは生まれないということを強く言うんです。それでニーチェの「祝祭的空間」という言葉にあやかって、それを授業でも実践しています。

 くだらない発言でも拍手をしハイタッチをしようと決めていて、どよめく練習までやるんですね。「おおーっ」って(笑)。誰が何を言っても盛り上がるように安全ネットを張った上で、私自身自分が思いついたことを喋り続け、彼らにもそれをやってもらう。
(川口淳一郎、齋藤孝、石黒浩「閃き脳をどう創るか」)
 こういうコミュニケーションは社員の心身を健康にするとともに、新しいアイデアを生み出すのに有益である。最近は、職場内にオープンスペースを設けて、社員のコミュニケーションの活性化を試みる企業が増えている。私はここで、2つのことに注意するべきだと思う。1つ目は、オープンスペースは誰でも自由に出入りできるものの、プライバシーは保護しなければならないということである。オープンスペースで話している内容が、外部で仕事をしている同僚に筒抜けであっては、突飛な意見を自由に言うのもはばかられる。もう1つは、いくら親しい同僚との間の会話であっても、また上司と部下という上下関係があるとしても、お互いに丁寧な日本語を使うべきだということである。粗雑な言葉遣いは知性を低下させ、ひいては心身の健康をかえって損なう。

 本号では、占部賢志氏が将棋の藤井聡太四段や卓球の張本智和選手などのインタビューに注目して、次のように述べている。
 中学生というと、中途半端な時期で影が薄かった。それが、ここにきて俄然注目されるようになったことは、いいことだと思いますよ。これだけ人気があるのは、彼らが以前のヒーローやヒロインに比べて言葉遣いが正しく、しかも内容も聞かせるものがあるでしょ。その点が際立っているからだと私は見ています。
(占部賢志「天晴れ中学生に拍手 「敬意」と「感恩」の教育」)
 確かに彼らは非凡な才能の持ち主である。だが、大人が中学生に負けているようでは恥ずかしい。何も高尚な言葉を使う必要はない。相手に敬意を払い、相手に対して解りやすい言葉を使って、大きな声ではっきりと語りかけることが重要である。相手のことを慮る気持ちもまた、心身を健康にするのにプラスではないかと考える。

 私は以前、中小企業向けの補助金事業の事務局員をしていたことがある。採択された中小企業について、補助金で何を購入したのか伝票類をチェックし、補助金を適正に支払うのが主な仕事である。事務局員は総勢60名ほどいたが、約6割が私と同じ中小企業診断士であった(残りの4割は大手企業のOBなど)。だが、大半が50~60代であり、私のような30代の人間はほとんどいなかった。50~60代の中小企業診断士には、大手企業出身者の人も多かった。大企業で経験を積んでいるのだからさぞ仕事もできるだろうと思いきや、中には中小企業の経営者に対して大声で乱暴な口を叩く人もいた。「こんな書類で補助金がもらえると思うなよ」、「この書類をこういうふうに直せと何回言ったら解るんだ」といった具合である。彼らはこんな態度で何十年も仕事をしてきたのかと驚くと同時に、彼らはきっと早死にするに違いないと思ったものである。

 社員の心身の健康を高めるために、大きな声で双方向のコミュニケーションをとる機会を設けようと言っても、いきなり実践するのは難しいかもしれない。そこで、取っ掛かりとして、「失敗分析」をお勧めする。どんな企業でも、製品開発や製造、マーケティングや営業で何らかの失敗をするものである。何か失敗が起きれば、関係者の間で原因を分析し、解決策を議論する。青森大学の男子新体操部で監督を務める中田吉光氏は次のように述べている。
 自分から発信する子は強いですね。人工知能が目覚ましい発達をしているような時代ですから、自分というものを持たない人間、それを発信しない人間は必要とされなくなると思うんです。ですから指示待ちも絶対に許さない。練習中に何か失敗をしたら、なぜ失敗したのか、じゃあどうすればいいのか、必ず本人に喋らせるなどして、少しでも発信する機会をつくるようにしているんです。
(中田吉光「男子新体操で人の心を揺さぶりたい」)
 ここでも、決して感情的になって乱暴な言葉を使ってはならない。また、失敗した人の人格を攻撃してもならない(日本人はよくこれをやりがちである)。失敗の原因を人に求めるのではなく、組織の制度や仕組みといったシステムに求めなければならない。こうした前向きなコミュニケーションをとることができれば、失敗からの立ち直りも早いであろう。

 私の前職の人事・組織コンサルティング&教育研修サービスのベンチャー企業は、業績が非常に悪かったのに、営業で失注してもその原因を全く分析していなかった。コンサルティングと自社のマーケティングを兼務していた私は、本来は営業会議に出席する権限を与えられていなかったのだが、社長にお願いして何度か営業会議に出席させてもらったことがある。すると、驚くべきことに、会議では営業担当者が手持ちの案件の進捗を淡々と報告するだけであった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第28回)】営業で失注しても「敗因分析」をしない」を参照)。

 当時、前職の会社では、Salesforce.comを使って商談管理を行っていた。ITの管理も部分的に任されていた私は、営業担当者に失敗分析の意識を植えつけるために、システムで案件のステータスを失注に変更する際には、失注の理由を入力しなければ更新できないように仕様を変えたことがあった。しかし、今振り返ってみると浅はかな策だったと思う。システムに向かって1人で失敗の分析をすれば、余計に気分が落ち込むばかりである。やはり、会議の場で、まずは失注した営業担当者自身の口から失注の原因を発言させ、それに対して他の営業担当者がどのように考えるか意見を引き出し、参加者の見解を集約して受注確率を上げるための方策を建設的に議論できる方向へ持っていくべきだったと反省している。

 企業によっては、人間関係が非常にギスギスしていて、失敗分析を行おうものならば、失敗した人が周囲からつるし上げられてしまうことがあるかもしれない。社員の心身の健康が極度に損なわれた企業において、それでもなお大きな声でコミュニケーションをとり、社員の健康を取り戻そうとするならば、最後に残された手段は「挨拶」だと思う。出社したら「おはようございます」と言い、それを聞いた他の社員も「おはようございます」と言う。退社する時は「お先に失礼します」と言い、それを聞いた他の社員は「お疲れさまでした」と言う。挨拶は定型化されており、絶対に失敗がない。決められた言葉を元気よく発すれば、それだけでコミュニケーションが成立する。

 もちろん、コミュニケーションが機能不全に陥っている企業では、最初は挨拶すらまともに返ってこないだろう。それでも、企業のトップが率先して挨拶をする。これを最低でも2~3か月は続ける。心理学には「返報性の原理」というものがある。人は、相手から何かをしてもらうと、相手に対して見返りを与えたくなるという心理を説明したものである。社長から毎朝のように大きな声で挨拶をされる社員は、最初はうるさいと感じるかもしれないが、やがては返報性の原理に従って社長に挨拶を返さねばと思うようになる。こうして、社員が皆大きな声で挨拶をするようになれば、心身の健康の回復の糸口が見えてくるに違いない。

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