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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

Experian海外企業信用調査 海外企業信用調査(Experian)
(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

資格スクエア資格スクエア
(2016年7月から「ITパスポート」、8月から「情報セキュリティマネジメント」、11月から「経営学検定(初級)」の講師を務めています。谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2017年01月23日

【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴

アメリカ

 前回の記事「【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション」の続き。アメリカ企業は下図の<象限③>=必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さいものに強いと書いた。必需品ではないがゆえに、アメリカ企業は常に需要を創造しなければならない。これはイノベーションの働きそのものである。今回はアメリカ企業がどのようにイノベーションを起こすのかについて見ていきたいと思う。

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(修正)

 <象限③>においては、まだ顧客のニーズが顕在化していないため、伝統的な市場調査が役に立たない。そこで、リーダーたるイノベーターは、自分自身を第一の顧客とする。「自分はこういう製品・サービスがほしい。自分がこの製品・サービスをこれだけ心の底からほしがっているのだから、世界中の人々も同じようにこの製品・サービスを欲するはずだ」と強く信じる。そして、そのイノベーションを世界中に普及させることを、唯一絶対の神と「契約」する。その契約を誠実に履行することを、アメリカ人は「自己実現」と呼ぶ。ただし、前回の記事でも書いた通り、その契約が本当に正しいかどうかを知っているのは、神だけである。よって、正しい契約を結んだごく一部のイノベーターだけが大成功を収め、その背後には無数の屍が累積する。

 リーダーは、契約=未来の目標を達成するために、今何をすべきかという順番でアクションを検討する。つまりここでは、時間が未来⇒現在へとバックキャスティング的に流れ、現在と未来が強い因果関係で結ばれる。これはアメリカ人の大きな特徴の1つである。逆に、日本人はバックキャスティング的な発想が苦手である。日本人の中では、時間は現在⇒未来へと流れる。現在において、望ましい行動を1つ1つコツコツと積み重ねていけば、自ずと望ましい未来に到達すると信じる。現在と未来の因果関係は、アメリカ人の場合に比べるとはるかに弱い。

 <象限③>は市場規模も顧客ニーズも予測が困難である。一人で同じ製品・サービスをいくつも購入する顧客がいたりする。日本の例になるが、AKB48との握手会に参加したいがために、同じCDを1人で何十枚も購入するコアなファンがいる。こういう人がいると、市場規模の予測は難しくなる。予測困難な状況で成功の確率を上げるには、とにかく次から次へと新しいイノベーション(製品・サービス)を市場に投入して、市場の反応を見るしかない。しかも、<象限③>の製品・サービスは全方位的な競争となる。例えば、金曜日の夜にお金が余っていたら、映画を見に行くか、アーティストのコンサートに参加するか、家でバラエティのDVDを見るか、漫画を大人買いして家で読むかという選択をするだろう。これらの製品・サービスは全て競合関係にあたる。

 <象限③>では、どういうイノベーションが成功するのか、その定石を見定めるのに苦労する。ただ、いくつか基本となるポイントがあるように思える。1つ目は、繰り返しになるが、イノベーターの「好き」という思いを新製品・サービスに余すところなく反映させることである。イノベーションを勧める人がそのイノベーションを気に入っていなかったら、他の人はそのイノベーションを購入しようとは思わない。2つ目は、顧客に敢えて不自由、非効率を味わわせることである。ディズニーランドではアトラクションに乗るのに何時間も待たされる。それでも、長く待つがゆえに楽しみが倍増するという側面がある。音楽も記憶に残るのはたいていの場合サビだけだが、サビだけでは音楽として成立しない。Aメロ、Bメロがあってこそのサビである。

 3つ目は、1つ目とも関連するが、顧客価値にほとんど貢献しない箇所で、イノベーターが異常なこだわりをイノベーションに組み込むことである。Appleのスティーブ・ジョブズがコンピュータの裏側の配線の美しさにこだわったのは有名な話である。また、日本の例になるが、私が好きな「水曜どうでしょう」という北海道のローカルバラエティ番組では、藤村忠寿ディレクターが字幕のつけ方に異常なこだわりを持っている。通常の番組であれば、2~3行の字幕スーパーを一度に表示させるのだが、水曜どうでしょうの場合は1行ずつ縦書きで丁寧に字幕を表示させる。

 イノベーションは誰も見たことがなく、聞いたことがないものであるため、必ず賛否両論が巻き起こる。ここに、イノベーションをめぐる二項対立が発生する。イノベーションに多くの人が賛同する一方で、そのイノベーションに強い嫌悪感を示す人も多数現れる。だが、イノベーションにとっては、二項対立が生じた方が都合がよい。というのも、敵から攻撃されると、イノベーションの味方はより結束力を強め、イノベーションへの忠誠心を高めることになるからだ。ここで重要なのは、二項対立においては、相手を完全に打ち負かそうとはしないという点だ。相手を倒すと他者を否定することになり、自己のアイデンティティを規定するものが失われてしまう。

 興味深いことに、市場における二項対立に加えて、イノベーションを起こす組織内でも賛否両論の二項対立が生じる。マイケル・P・ファレルは、アートや社会の分野に―特に、「優れたアート」の定義に疑問が投げかけられた場合に―2人組によるブレークスルーが存在することを示した。ファレルは、2人組の仕事では「効果のある親密さ」が生まれて、共感を示しつつ建設的に批判し合うことができると説いた(”Collaborative Circles: Friendship Dynamics and Creative Work”)。企業の例で言うと、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、ビル・ゲイツとポール・アレンといった組合せが二項対立に該当する。

Collaborative Circles: Friendship Dynamics and Creative WorkCollaborative Circles: Friendship Dynamics and Creative Work
Michael P. Farrell

University of Chicago Press 2003-11

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 イノベーションを全世界に普及させるために、多くのアメリカ企業はトップダウンのリーダーシップと分権化を組み合わせる。分権化のメリットは、トップのリーダーシップだけでは到底影響力が及ばない世界各地に対して、現地の組織がトップから移譲された権限を活用してイノベーションを広めることができる点にある。分権化された現地のスタッフは、イノベーションのエバンジェリストとして、イノベーションの普及(布教と言ってもよい)に努める。この方が、トップのリーダーシップだけに頼るよりもずっと早く目標を達成できる。それに、分権化によって、現地スタッフのモチベーションを向上させることができるというもう1つの効果もある。

 日本の組織も、伝統的に現場が強く、また、ミドルマネジャーが「ミドル・アップ・ダウン」という言葉の通り、組織内を自由に動き回る。つまり、トップよりもミドルや現場に権限が委譲されている。そういう意味では分権化が進んでいるとも言える。だが、アメリカの分権化はできるだけフラット型組織との両立を志向するのに対し、日本企業は多重階層構造を志向するという違いがある。アメリカ企業の目的はイノベーションの迅速な普及であるが、日本企業の目的は組織の安定である。多重階層構造によりポジションを多数連鎖させることで、多少愚かな人間が混じっていても、他の人間がそれをカバーし、組織を安定させる。アメリカ企業は採用段階でエバンジェリストたり得る人材を厳しく見定めるが、日本企業は大勢採用してその全員を使いこなそうとする。

 <象限③>のイノベーションの中には必需品化して<象限①>や<象限②>に移行する製品・サービスもあるが、大半のイノベーションは非常に短命である。端的に言えば、顧客がイノベーションに飽きるのである。リーダーがイノベーションを全世界に普及させるという神との契約を達成した後、企業は静かに衰退していくのみである。株主は企業に対し、新しい投資先がないのであれば自社株買いによって株価を引き上げよと注文をつける。企業の経営者も、イノベーションが全世界に普及したという最高のタイミングで、最も高値で企業を売却する。こうして、イノベーターは巨額の富を手に入れ、早々に引退してセカンドライフを送ることになる。

 先ほど、イノベーターは成功確率を上げるためにイノベーションを次から次へと市場に投入しなければならないと書いた。イノベーターの中からは、自分がお金を払ってでもいいから、自分のイノベーションを世界に広めたいと願う人が出てくる。ここで、そのようなイノベーターを束ねるプラットフォーム企業が登場する。Google PlayやApp Storeはその典型である。アプリ開発者は、GoogleやAppleにお金を払ってでも、自分の開発した革新的なアプリを世界中の人に使ってもらいたいと思っている。通常、GoogleやAppleから見てアプリ開発者は仕入先に該当するから、両社がアプリ開発者にお金を支払うはずだ。だが、プラットフォーム企業はお金の流れを逆転させている。通常の小売業なら違法なリベートとされるものが、ここでは合法化されている。

 <象限③>は、市場規模や顧客ニーズが予想しづらい領域だと書いた。ということは、普通に考えればデータ分析が難しい領域である。ところが、アメリカ企業は<象限③>にデータ分析を持ち込む。例えば、どういう映画がヒットするかを真面目にモデル化する。そして、映画がヒットするかどうかは、台本の内容や配役によってではなく、単に映画のタイトルで決まるという結論を得たりする(イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』〔文藝春秋、2007年〕より)。

その数学が戦略を決めるその数学が戦略を決める
イアン・エアーズ 山形 浩生

文藝春秋 2007-11-29

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 アメリカ企業は、イノベーションを全世界に普及させる段階でもデータを活用する。イノベーターのマーケティングは、これだけOne to OneマーケティングやCRM(Customer Relationship Management:顧客関係管理)の重要性が説かれているにもかかわらず、世界を単一市場と見なして、単一の製品・サービスを提供するマス・マーケティングである。その過程で、まだ自社のイノベーションを受け入れていない顧客層は誰か、彼らがイノベーションを受け入れるためにはどのようなプロモーションを実施すればよいかなどをめぐり、詳細なデータ分析を行う。これは、イギリスが植民地支配に際して、イギリスが正義と考える自由、平等、人権、民主主義などを根づかせるために植民地の情報を緻密に収集・分析したインテリジェンスの名残であろう。

 プラットフォーム企業は、自らのプラットフォームの価値を高めるためにデータ分析を行う。消費者は、他人と同じものを使いたいという欲求と、自分だけのオリジナルのものを使いたいという相反する欲求を持っている。プラットフォーム企業はこの両方のニーズにデータ分析で応える。他人と同じものを使いたいという欲求に対しては、ランキングを作成して人気の高い製品・サービスの購入を促す。一方、自分だけのオリジナルのものを使いたいという欲求に対しては、プラットフォームに登録された膨大な製品・サービスの中からレコメンデーション機能を活用して、その人の好みに合わせたものを勧める。こうして、消費者を完全にプラットフォームの虜にする。

 ちなみに、日本は<象限②>に強い。この象限の製品・サービスは生活必需品であるから、反復購入される可能性が高く、顧客ニーズも予想しやすい。この場合、データ分析と経験を組み合わせることで予測の精度を上げることができる。ところが、日本企業はあまりデータを活用しないように感じる。売上高や利益と因果関係の深い要因を追究して、その要因に資源を集中投入するということをやらない。むしろ、「会社として善いこと」、さらには「人として善いこと」を重ねれば、自ずとよい結果が得られると信じている。1つ1つの行為は小さくても、それが何百、何千と積もれば、成功の確率は上がると考える。日本企業の5S重視はその最たる例であろう。

 不思議なことに、<象限③>で戦うアメリカ企業がデータを重視し、<象限②>で戦う日本企業がデータを軽視するという、パラドキシカルな現象が起きているのである。
2017年01月21日

【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション

アメリカ

 前回の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」の続き。18世紀に花開いた啓蒙主義は、ドラッカーが指摘したように後の全体主義、社会主義を生み出した。唯一絶対の神=人間の理性ととらえるこの立場の特徴を簡単におさらいすると、以下の3点に集約される。すなわち、①過去や未来という時間の流れを否定し、現在という1点に集中して革命を目指す、②1人がすなわち全体とイコールであり、共有財産制や独裁が導かれる、③神と人間が直接的に結ばれることをよしとし、間に何らかの組織(国家、政府、企業、教会、家族など)が介在することを嫌う、ということである。

 一般に、啓蒙主義はフランス革命で現実化し、フランス革命に刺激されてアメリカ独立運動が起きたと説明される。ところが、ドラッカーは、アメリカが影響を受けたのはフランス革命ではなく、イギリスの伝統的な保守主義であると『産業人の未来』の中で語っている。実際、アメリカは大陸の啓蒙主義をそのままの形では受け取らなかった。アメリカ人は、人間の理性には限界があることを認めた。つまり、唯一絶対の神=人間の理性という等式を否定したわけだ。その上で、前述した啓蒙主義の3つの特徴に修正を加えることにした。

 まず、①現在から未来への時間の流れを肯定した。アメリカ人は、未来のある時点におけるビジョンを構想し、そのビジョンを実現するための行動を起こした。ビジョンは人間の自由意志によって描かれる。この自由は、啓蒙主義の絶対的な自由が、結局は他者の自由の侵害を避けるために孤立せざるを得なかったのとは異なる。理性が不完全であるがゆえに、人間にはいかようにもビジョンを描く自由がある。アメリカ人は、自らのビジョンを生涯のうちに実現することを神と「契約」する。ただし、その契約が本当に正しいかを知っているのは神のみである。よって、神と正しく契約できなかった者、あるいはそもそも神と契約をする気がなかった者は、正しい契約を締結し、それを履行した者に劣後する。そのため、アメリカでは格差が正当化される。

 次に、②二項対立という考え方を導入した。アメリカ人はあらゆる事象を対立概念でとらえる。その源泉はイギリスの議会政治にあるとドラッカーは言う。「19世紀のイギリスの政治制度の中核は、議会主権の制限、および多数派政府の制限にあった。さらには、多数派の同意による少数派支配の制限にあった。これを可能としたものが、野党を政治に組み込む二大政党制であり、内閣であり、官僚機構だった」。よって、「官僚機構の上層部にいる者は、当然のこととして、野党のための政策案を準備することが期待された。その結果、イギリスでは、1つの問題について、同一の基本理念に立つ2つの政策案が、つねに自動的に準備されることになった」。二項対立は他者の存在を肯定する。啓蒙主義が連帯を唱えながら他者から孤立したのとは異なる。

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 そして、③神と人間の間に一定の階層構造を認めた。アメリカと言うと大統領のリーダーシップに注目が集まりがちだが、実は各州が強力な権限を持つ連邦制であり、分権化が進んでいる。この分権化は、アメリカという広大な国土を統治するための知恵である。アメリカが理想とする自由、平等、基本的人権、民主主義、資本主義などの基本的価値観を広大な領土の隅々に行き渡らせるのに、大統領1人のリーダーシップだけに頼るのでは負担があまりに重すぎるし、どうしても時間がかかる。そこで、各州に権限を与え、それぞれの州にもアメリカの理想の実現を手伝ってもらう。こうすることで、効率的な国家運営が可能となる。さらに、権限移譲された各州の利害関係者のモチベーションを向上させることができるという副次的な効果も期待できる。

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(修正)

 ここから現代アメリカ企業の戦略論の本題に入る。まず、「必需品か否か?」、「製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きいか?」という2軸でマトリクスを作る。すると、上図のように<象限①>~<象限④>が得られる。

 <象限①>は、必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さいものを指す。具体的には、食品、衣料品、日用品、白物家電、飲食店、小売店、教育、ニュースメディアなどが該当する。もちろん、これらの製品・サービスにおいても高度な品質管理は重要である。しかし、仮に食品や衣料品に欠陥があったとしても、食中毒やアレルギーを起こすことはあれ、顧客を死に至らしめることは少ない。<象限①>は参入障壁が低く、比較的低コストでマネジメントできることから、コスト優位性の高い新興国が強い。一方で、各国の雇用を下支えする産業が多いため、多くの国が外資規制を導入している領域でもある。

 <象限②>は、必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きいものを指す。具体的には、自動車、輸送機器、産業機械、住宅、建設、医療、介護、製薬、化粧品、IT(BtoBの基幹業務システム)、物流・輸送、金融(預金・貸出)などが該当する。自動車や産業機械に欠陥があれば、顧客や作業者を死に至らしめることがある。BtoBの基幹業務システムや物流に障害が起きれば、企業の業務がストップしてしまう。金融機関の預金・貸出機能にトラブルが発生すれば、経済システム全体が心肺停止状態になる。<象限②>では非常に高度な品質管理が必要となる。時には、不良ゼロというレベルまで要求される。この<象限②>に強いのは、日本企業とヨーロッパ(特にドイツ)の企業である。

 <象限③>は、必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さいものを指す。具体的には、高機能家電(スマホ、タブレットなど)、ブランド品、エンタメ、テレビメディア、IT(BtoCのWebサービス)、映画、音楽、書籍、雑誌、観光、金融(証券・保険)などが該当する。スマホやタブレットはしばしばフリーズするが、それによって顧客の生命が危険にさらされることはない。映画俳優の演技が多少下手くそでも、ロックバンドの演奏が多少音痴でも、顧客が不快感を味わうことはあれ、生命の危機に瀕することはない。この<象限③>に強いのがアメリカ企業である。<象限③>は必需品ではないため、企業は常に需要を創造しなければならない。これはまさしくイノベーションに他ならない。

 どんなイノベーションも最初は非必需品として出発するが、時の経過とともに必需品化することがある。すると、<象限③>から<象限①>や<象限②>(必需品化するだけでなく、品質要求も高くなる場合)に移行する。日本企業は<象限③>から<象限②>に移行してきた製品・サービスをアメリカ以上に磨くことで競争力を保ってきた。しばしば、日本企業はなぜアメリカのように<象限③>のイノベーションを起こすことができないのかと議論になる。しかし、<象限③>のイノベーションを起こせないのはヨーロッパなどの国も同じである。<象限③>に長けているのはアメリカしかいない。日本は無理に<象限③>を目指さず、従来通りアメリカの後追いをしていれば十分だと感じる(こういう日本企業の戦略を、ドラッカーは「起業家的柔道」と呼んだ)。

イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)
P.F.ドラッカー 上田 淳生

ダイヤモンド社 2007-03-09

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 ちなみに、<象限④>は、必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きいものを指すが、この象限は必需品でないがゆえに市場規模や顧客ニーズを予測することが難しく、さらに非常に高度な品質管理が要求されるという、難易度の高い象限である。端的に言えば経営リスクが非常に高い。よって、該当する製品・サービスはほとんどない。強いて例を挙げるとすれば、航空業界と軍需産業が該当すると思われる。航空業界は、世界一経営が難しい業界だとされる。現に、アメリカでは航空会社が次々と経営破綻している。
2017年01月19日

【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義

アメリカ

 現代のアメリカ企業の戦略を論じる前に、時代を3世紀ほど遡りたいと思う。18世紀、西洋では啓蒙主義が花開いた。啓蒙主義とは、一言で言えば人間の理性を絶対視する立場である。一般に、啓蒙主義の下では、宗教は因習的であり、理性を束縛するものとして批判されたと考えられているが、実際にはその逆であり、宗教と理性が固く結びついた。厳密に言えば、唯一絶対の神と人間の理性が結合した。それまでは、宗教は人間の手の届かない「あちら側」にあったが、啓蒙主義によって神を「こちら側」に手繰り寄せることに成功した。「あちら側のメシアニズム」が「こちら側のメシアニズム」になったわけだ。ピーター・ドラッカーは、『産業人の未来』の中で、この近代啓蒙思想が後の全体主義や社会主義(いわゆる左派)を生んだと指摘している。

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 唯一絶対の神と人間の理性が結びついた世界では、神と人間が直線的につながることが理想とされる。もっと言えば、人間は神に似せて創造されたのだから、神と人間が完全かつ無限なる全体として一体になることが理想である。そのため、神と人間の間に何かしらの組織や機関が介在することを嫌う。組織や機関が介入するたびに、その正統性が厳しく問われる。政府や企業は人々から厳しい目を向けられる。信仰の場である教会ですら、糾弾のターゲットとなりうる。

 共産主義では国家が必要悪とされる。社会主義では、世界中の労働者階級が連帯して資本家階級の打倒を目指す。つまり、そこに国家は存在しない。社会主義に至る過程にあるのが共産主義であり、各国で社会主義者を育成し、プロレタリアートを動員するために、仕方なく国家の仕組みを活用するにすぎない。社会主義者が目下の目的を達成すれば、国家は不要となる。

 社会主義においては、共同体の最小単位とされる家族でさえ不要とされる。レーニンは、子どもが生まれたら国家が面倒を見ればよいと言った。日本の左派の中にも、家族が個人の自由を束縛するとして、家族の解体を主張する人がいる。例えば社民党の福島瑞穂氏は、子どもが成人に達したら「家族解散式」を行うと宣言していた。人間理性を絶対視する立場の人にとって、人間は生まれながらにして完全である。赤ん坊には、その子が将来どのような人間に成長するかが完璧にプログラミングされている。だから、親がしつけをする必要も、学校が知識を教育する必要もない。左派にとって、教育は脅威である。だから、左派は知識層を徹底的に攻撃する。

 繰り返しになるが、唯一絶対の神=人間の理性とする立場においては、人間は生まれながらにして完全である。ということは、人間が時間の流れに伴って成長するという発想がない。つまり、過去から未来に向かって時間が流れるとは考えない。生まれた時点という現在のその1点が全てであり、時間を無限に支配している。左派は進歩派とも呼ばれるが、実際には進歩などしない。だから、右派が新しい技術を開発するたびに、神の道を踏み外していると批判し、技術の危険性を誇張して、進歩を逆戻りさせようとする。極左ともなれば、人間の最も根源的な営みである農業への回帰を強く説く。このような原始共産主義の考え方は、古代ギリシアにも見られる。

 農業は共有財産に基づく営みである。人が神と同じく絶対で無限である時、個人は1人であると同時に全体でもある。1人が所有するものは、すなわち全体が所有するものである。ここに私有財産制は否定され、共有財産制が採用される。1が1であると同時に全体でもあることは、政治の世界にも表れる。全員が等しく同じ考えを表明できるという点では民主主義的である。しかし、別の見方をすれば、ある1人の意見が全体の意見に等しくなるのだから、専制的であるとも言える。カール・シュミットが指摘したように、民主主義と独裁は両立するのである。

 シュミットは、議会主義、民主主義、そして独裁の関係を、次のように整理した。「近代議会主義と呼ばれるものなしにでも民主主義は存在し得るし、議会主義は民主主義なしにでも存在しうる。そして独裁は、民主主義に対する決定的な対立物ではないし、また民主主義は独裁に対する対立物でもないのである」(『現代議会主義の精神史的地位』)。

 ここでは、議会主義と、民主主義および独裁の間に境界線が引かれている。シュミットは、両者を分かつものについて次のように述べている。議会主義を構成するのは「討論」であり、「自由主義」であり、つまりは多元性と異質性の原理である。これに対して、「民主主義の本質をなすものは、第一に、同質性ということであり、第二に―必要な場合には―異質なものの排除ないし絶滅ということである」。この同質性の原理によって、民主主義と独裁は繋ぎとめられるのであり、民主主義の源である「人民の喝采」、すなわち「反論の余地を許さない自明のもの」が、その強度を増していけば、それは独裁へと連続的に移行する(同上)。

現代議会主義の精神史的地位 (新装版)現代議会主義の精神史的地位 (新装版)
カール・シュミット 稲葉 素之

みすず書房 2013-05-17

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 唯一絶対の神=人間の理性という世界では、神の下での自由と平等が説かれる。それぞれの人間の完全なる自由はむき出しで、他者に無制限に向かっていく。我々の通常の感覚であれば、他人の自由を侵害する自由は認められない。しかし、今ここで問題になっているのは、完全なる人間が持つ完全なる自由である。だから、その自由を制限することなどあり得ない。自由に制限がないということは、自由を束縛する法律の存在を許さないということである。共産主義者は国家に対してアナーキズムを持ち出すと同時に、法律に対しても法ニヒリズムを主張する。

 左派はしばしば連帯の重要性を説く。しかし、その実態は実は空虚である。お互いがむき出しの自由をぶつけ合う世界で全員の自由を全て矛盾なく成立させるためには、逆説的だが個々人が孤立するしかない。そもそも、それぞれの個人は単体であると同時に全体でもあるのだから、敢えて連帯する必要がない。オルテガの言うところの「トゥゲザー・アンド・アローン」、つまり「一緒に一人で」いるしかないのだ。社交にのめりつつも内心ではつねにぽつねんとしている。

 このように書くと驚かれるだろうが、極左と極右は同根異種である。唯一絶対の神=人間の理性という世界における平等とは、全ての人間を等質に扱うことである。しかし、現実の人間には様々な差異がある。これに対する対処法は2つある。1つは、差異をなかったものとして扱うことである。非嫡出子に嫡出子と同等の法的地位を与えよとか、同性婚を法的に認めよとか、女性にも男性と同じように社会進出の機会を与えよといった主張はこれに該当する。また、最近の教育現場では、学校の運動会で順位をつけない、演劇発表会で生徒全員に桃太郎をやらせる、体育の時間に男女同じ部屋で着替えさせる、などといったことが行われている。個人の差に意味があることを無視して、全てを同じように扱えと言っているわけであり、これが極左の立場である。

 もう1つは、特定の属性を持つ集団のみを絶対視し、それ以外を徹底的に排除することである。ナチスやISはこれに該当する。世間では極右と呼ばれる存在である。ISはクルアーンを絶対視しており、クルアーンが成立した時点で時間の流れが止まっている。つまり、彼らには歴史という概念がない。だから、中東の各地において、歴史的遺産を平気で破壊することができる。寛容的な極左と暴力的な極右は全く異質なように見える。ところが、個人個人の差異をなかったものとして無理やり同質化することも、立派な暴力である。

 極左と極右は「死」をめぐっても同じ見解に達する。啓蒙主義以前の時代には、神の存在をどのように証明するかが議論となった。人間はある人間を原因として誕生する。その人間はまた別の人間を原因として誕生する。その因果関係をずっと遡っていくと、自分自身を自ら生み出すことができる自己原因的な存在を想定しなければならない。これが神だというわけである。ところが、啓蒙思想によって、唯一絶対の神=人間となった。ということは、人間が人間を生むことができるようになる。ハインツ・ゴルヴィツァーは、「来たるべき人間の生成が自己創造からのみ出現することができる」(『マルクス主義の宗教批判』)と述べている。

マルクス主義の宗教批判 (1967年) (新教新書)マルクス主義の宗教批判 (1967年) (新教新書)
ゴルヴィツァー 松尾 喜代司

新教出版社 1967

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 一方で、人間には死があり、有から無へと帰す。この点についてフォイエルバッハは、死によって「種属の意識」を強め、「われわれの墓のかなた天井の彼岸を、われわれの墓のかなた地上の彼岸と、つまり歴史的未来・人類の未来と置き換える」ことができると言う。死=無によって、現在生きている者の生を絶対化する。今生きている者=有は、死=無によって現在という1点に固定され、革命を目指す。他方で、死んだ者=無は雲散霧消はせず、今度は再び有を生み出す源泉となる。有と無は連環する。ここに革命の”永久機関”が実現する。これは極左的な考え方であるが、太平洋戦争時の日本で見られた極右の一億層玉砕的思想とも共通する。山本七平は、「『死の臨在』による生者への絶対的支配」と呼んだ(『一下級将校の見た帝国陸軍』)。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08

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