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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(以下の資格の講師をしています。
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 ―情報セキュリティマネジメント
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 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2017年06月27日

片倉もとこ『イスラームの日常世界』―「ラーハ(ゆとろぎ)」のために労働する、他

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イスラームの日常世界 (岩波新書)イスラームの日常世界 (岩波新書)
片倉 もとこ

岩波書店 1991-01-21

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 本書を読んで勉強になったことのまとめ。

 ・イスラームは「人間性弱説」という立場をとる。弱い人間の意思を作為的に強くし、人間同士の約束を履行することに重点を置く時には、契約に持ち込む。結婚も一種の社会契約である。しかも、人間の弱さを初めから認め、相手を永遠に愛せるほど人間は強くないと考える。身体が移ろうように、心も移ろうことを最初から勘定に入れておく。結婚の契約書には、離婚した時には相手にいくら払うかという項目が入っている。後払いの「結納金(マハル)」の方が、結婚時の前払いのマハルよりも高い。また、後述のようにイスラーム世界では女性の力が強いため、実質的な結婚の取り決めは、女性同士の社会的つながりのなかでなされる。マハルの金額を決めるのは、花嫁花婿の母など、女性の親族同士である。

 ・我々はムスリムの人々はイスラーム法によってがんじがらめの生活を送っているようなイメージを持っているが、実際には違う。「義務(ファルド・ワージブ)」と「禁止(ハラーム)」の間に、「しない方がよい(マクルーフ)」、「した方がよい(マンドゥーフ〔ムスタハッブ〕)」、「どちらでもよい(ハラール〔ムバーフ〕)」といった緩やかな範疇が存在し、この部分が圧倒的に大きい。例えば、イスラーム世界では豚を食べることが禁止されていることがよく知られているが、実は旅に出て食べる物が豚肉しかない時には、ムバーフとして許される。

 ・祈りには「サラート」と「ドゥアー」の2種類がある。サラートは五行(イバーダート)の1つである。サラートは形式も時間も決まっていて、それに従ってムスリムは一心に神と対峙する。そこには神への感謝が存在するだけである。望みがかないますようにとか、神に何とかしてくれるよう頼み込むといった願いごとは入れてはいけない。これに対して、ドゥアーは個人が自分の望みを神に呼びかけるものである。サウジアラビアを中心とするアラビア半島のムスリム社会は、サラートを重視し、ドゥアーはビドア(異端、逸脱)として推奨しない。他方、エジプト、シリア、イラン、イラクなどのムスリム社会では、もちろんサラートはするものの、ドゥアーもよくする。

 ・イスラーム世界では、1日に5回の礼拝を行う。①ファジル=日が出る前までに行う、②ズフル=太陽が頭の真上に来てから、自分の影が背の高さの2倍になるまでの間に行う、③アスル=ズフルの後、日没までの間に行う、④マグリブ=日没から夕焼けが消えるまでの間に行う、⑤イシャー=夕方から夜にかけて、寝床につくまでの間に行う。ファジルとズフルの間は10時間ほど離れており、この間に8時間労働を行うことも可能である。「ムスリムは礼拝ばかりしていて仕事をしない」という批判は必ずしもあてはまらない。

 ・ムハンマドが生まれた頃の社会は、母系的傾向の強い社会であったとされる。財産も住まいも女性が握っていた。ムハンマドがメッカでイスラームを興した7世紀の初め頃、メッカの経済は最盛期を迎え、その結果利己主義的傾向が出現し、利潤追求が至上目的となった。女性の生理的条件、妊娠、出産、授乳はハンディキャップと見なされ、女性は後退を余儀なくされた。逆に、有利な立場に立った男性は、母系集団の持つ財産を要求し始めた。財産をめぐるいざこざがムハンマドのところに頻繁に持ち込まれたことが、クルアーンにもよく表れている。クルアーンでは、女性の相続分は男性の2分の1と定められている。これをもってイスラーム世界は男尊女卑だと言う人がいるが、実際には、そのように定めなければ女性が全て相続してしまう、あるいは相続分が男性の2分の1でも女性は十分な財産を持っていた、というのが理由のようである。

 ・イスラーム暦で9月は断食月(ラマダーン)に該当する。断食月の断食はムスリムにとって義務であるが、それ以外にオプショナルな断食も勧められている。
 ○イスラーム暦第1月(ムハッラム)の10日
 ムハンマドがユダヤ教の贖罪の日の断食を模倣したものと言われる。シーア派第3代イマームであるフサインが、イラクのカルバラーの地でウマイヤ朝の政府軍と戦って殉教した日である。したがって、シーア派の人たちには、この日に断食する人が特に多い。
 ○断食月の翌月、第10月(シャッワール)の2日~7日の6日間
 断食月明けの祭の第1日(この日は断食が禁止されている)を除いて、祭りの第2日目からさらに断食する人は意外に大勢いる。断食に慣れているから、他の時よりやりやすい。ラマダーン月の陶酔感を、今少し持ち続けたいと思うのだと言う。
 ○巡礼月(第12月、ズー・ル・ヒッジャ)9日
 ヤウム・ル・ワクファと呼ばれ、巡礼のクライマックスと言われるアラファートの野に立って礼拝をささげる日である。巡礼をしていない者が、この日の巡礼者と神への心を分かち合うために断食をする。なお、アラファートの野にいる巡礼者は断食しない。
 このような年に1回の断食日の他に、月曜日と木曜日が毎週の断食オプション日とされている。この日は天国の門が開く日であり、ムハンマドも断食していたと伝えられる。

 ・イスラーム世界では、西暦の1月1日を祝わない。日本の正月に該当する2大祭が、①断食月明けの祭(イード・ル・フィトル、小祭)と②犠牲祭(イード・ル・アドハー、大祭)である。犠牲祭は、巡礼月10日に行われる羊、山羊などの家畜をほふる行事である。ほふった家畜を神にささげること自体に意味があるのではなく、神への全き忠誠心を思い起こし、自分の欲望を犠牲にして神に帰依するという意味がある。ムスリムはこの2大祭の際に「新年おめでとう」のような挨拶を交わす。しかも、祭の前後1か月間ぐらいはこの挨拶が有効である。仮にどちらかの機会を逃してしまっても、祭は年に2回あるから、後で挽回のチャンスがある。

 ・ブログ別館の記事「エリン・メイヤー『異文化理解力―相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養』」で「カルチャーマップ」について触れたが、「スケジューリング」に関しては、中東の人たちは「柔軟な時間」という考え方をする。今、ある人と商談をしていたとしよう。30分後には別の商談があり、今から移動しなければ間に合わないとする。時間に厳しい日本人は、商談を何とか上手に切り上げて、時間通りに次の商談に向かうだろう。ところが、柔軟な時間の意識の人々は、たとえ次のアポに遅れることになっても、この商談が終わるまでは絶対に席を立たない。今、自分の目の前にいる人との関係を重視する。そして、次の商談に遅刻しても、悪びれる様子はない。しかも、相手もそれを咎めたりはしない。

 ムスリムの間では、「アル・ウルム・ヤハラス・ワ・アル・アムル・ラー・ヤハラス(寿命には終わりがあるけれども、仕事には終わりがない)」という言葉がよく使われる。「仕事があるのでこの辺でおいとまして」、「あなたもお忙しいでしょうから、そろそろ失礼させていただきます」などと言うと、それに対してこの一句が出てくる。これは決して日本のようなモーレツ社員を想定しているわけではない。仕事には終わりがなく、いつまでも続くだろうが、あなたと私がお会いするのは今しかないかもしれない、明日もお互いに生きているかどうかは解らない。「だから、まあ、そう急いでお帰りにならないで」という意味で使われるのである。

 ・イスラームの五行の中に、「喜捨(ザカート)」がある。イスラーム社会では、吝嗇(ケチ)が最悪徳である。お金を持っていないのは恥ずかしいことではない。持っているのに使わない、流さない、ため込んでばかりいるのがいけない。ザカートの本来の意味は「浄め」である。喜捨によって、自分の財産が浄められると考える。よって、ザカートをもらう人が「ありがとうございました」などとは言わない。持てる人の財産を清らかなものにし、その人が宗教的義務を果たす手伝いをしてあげたと考える。ありがとうと言うとすれば、神に対してありがとうである。くれた人に対しては、もらってやったのだからお前の方がありがとうと言え、というような顔をしていたりもする。

 ・イスラーム世界では「ラーハ」が重視される。日本語に訳しにくい言葉で、強いて言えば「休息」、「安息」にあたる。しかし、労働したから休む、疲れたから休息するといった受動的な意味ではない。むしろ、ラーハの時間を持つために労働をするといった、能動的な意味を持っている。本書の著者はラーハに「ゆとろぎ」という訳語をあてている。「ゆとり」と「くつろぎ」を一緒にした言葉である。ゆとろぎの時間をたくさん持つことが人間らしい、いい生き方である。ラーハに該当するのは、家族とともに過ごすこと、人を訪問すること、友人とおしゃべりをすること、神に祈りをささげること、眠ること、旅をすること、勉強すること、知識を得ること、詩を謳い上げること、瞑想すること、ぼんやりすること、寝転がること、などである。ごろんとすることも、勉強することも、同じラーハの範疇に入り、同じ価値を持っているのがイスラーム世界である。
2017年06月25日

石川幸一、清水一史、助川成也『ASEAN経済共同体の創設と日本』―モノ・ヒト・カネの自由化の現状について

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ASEAN経済共同体の創設と日本ASEAN経済共同体の創設と日本
石川 幸一 清水 一史 助川 成也

文眞堂 2016-11-20

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 本書の内容をPPTでまとめておいた(いつものスタイルと違う点をご容赦いただきたい)。

①ASEANにおける関税削減スケジュール

②ASEANにおける関税削減状況

③後発4か国の関税削減スケジュール

④ASEANにおける交通

⑤ASEANにおける陸の交通

⑥陸の交通をめぐるprotocolの状況

⑦実現を目指すシングルストップ/ウィンドウ

⑧ASEANの越境貿易に要する時間・コスト

⑨ASEANにおける人の移動

⑩サービスの国際取引に関する4つのモード

⑪ASEANのサービス投資の自由化

⑫ASEANのサービス投資の自由化(国別)

⑬国・分野別に見た自由化の状況

⑭銀行、保険、その他金融の自由化
2017年06月23日

【要約】加藤隆『一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ』

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一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
加藤 隆

講談社 2002-05-20

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 今回の記事は本書の要約であり、私の意見は入っていない点をご了承いただきたい。

 ユダヤ教の歴史は古く、紀元前13世紀の出エジプトに遡ることができる。旧約聖書によれば、パレスチナで牧畜に従事していたユダヤ人が飢饉に遭遇し、豊かなエジプトに移動して、農耕生活を営むようになった。しかし、新たなエジプトの王(ファラオ)がユダヤ人の豊かな生活をねたみ、奴隷として都の造営などをさせた。ファラオはユダヤ人の反発を恐れ、男の子を皆殺しにすることを命じたが、1人の男の子だけは葦船に乗せられて助けられた。その子が成長してモーセとなる。モーセに率いられたユダヤ人はエジプトから脱出したものの、紅海を前に追いつめられる。モーセがヤーヴェに祈ると、紅海が真っ二つに割れて道ができ、ユダヤ人は逃れることに成功した。エジプト兵が後を追ってその道に踏み込むと、海は元通りになって溺れ死んでしまった。エジプトから逃れたユダヤ人は、カナン(パレスチナ)に定住するようになる。

 (※)なお、「ユダヤ人」というのは後の名称である。自らは「イスラエル人」と称し、エジプトでは「ヘブライ人」と言われた。

 この頃に成立したヤーヴェ信仰を、後のユダヤ教と区別するために「古代イスラエルの宗教」と呼ぶ。古代イスラエルの宗教におけるヤーヴェは創造神ではなく、救済神であった。つまり、人間がヤーヴェに対して豊作を願い、神が人間の要望に応えて豊富な作物をもたらすという関係である。この関係においては、神よりも人間の方が上位に立っている。また、現世での利益を願うという意味で、御利益宗教と言うこともできる。カナンに定住したばかりの頃のユダヤ人は生活も苦しかったが、ダビデ王、ソロモン王の時代になると生活も豊かになり、ユダヤ人は様々なものを神にねだるようになった。そのため、当時のユダヤ人社会には、ヤーヴェ以外にも多数の神々が存在した。ヤーヴェが創造神と見なされるようになるのは、ずっと後のことである。

 ソロモン王の後、イスラエル王国は北王国(イスラエル王国)と南王国(ユダ王国)に分裂した。そして、紀元前8世紀後半、北王国はアッシリアによって滅亡した。この時、ユダヤ人は、ヤーヴェをはじめとする様々な神々がいるにもかかわらず、自分たちは神々に見捨てられたと感じた。ユダヤ人は神々に見切りをつけるようになった。ただし、ヤーヴェに関しては、残った南王朝で深く信仰されていたために、ユダヤ人から見放されることがなかった。

 しかし、ユダヤ人は被害者意識にとらわれるだけではなく、次のように考えるようになった。つまり、なぜ自分たちは神に見捨てられたのかと問うたのである。ここでユダヤ人は「契約」の概念を導入することにした。神に対するユダヤ人の義務が果たされてこそ、初めて神からの恵みを受けることができる。逆に、ユダヤ人が義務を果たしていないこと、言い換えれば、人間として正しくないことは「罪」とされた。北王国が滅亡したのは、ヤーヴェ以外の神を信仰し、ヤーヴェに対してユダヤ人が罪の状態にあったからであると説明された。ここにおいて、神と人間の関係は逆転し、神が人間より上位に立つこととなった。また、人間が義を果たさない限り、神の方から人間に恵みを与えることがないという点で、人間と神との間には断絶が生じた。

 その後、南王国も新バビロニアのネブカドネザル2世によって滅ぼされた。エルサレム全体とエルサレム神殿(第一神殿)が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行された。これをバビロン捕囚という。バビロンに幽閉されたユダヤ人は、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって解放された。多くのユダヤ人はパレスチナに戻ったが、バビロンに残った者もいた。彼らのことをディアスポラのユダヤ人と呼ぶ。現在でも、イスラエルに住んでいないユダヤ人のことをディアスポラのユダヤ人と言うが、その起源はここにある。このバビロン捕囚前後を境に、古代イスラエルの宗教の時代からユダヤ教の時代に入ったとされる。

 先ほど、人間として正しいことが義、正しくないことが罪とされ、人間は義を追求しなければならないと述べた。だが、ここで1つ問題が生じる。それは、誰が正しさを決めるのかという問題である。もちろん、神がそれを決めるわけであるが、神がある事柄を正しいと決めたことを人間が知る術がない。すると、中には「自分の行っていることは絶対に正しい」と「神の前の自己正当化」を企てる者が現れるようになる。これを防ぐために、ユダヤ教は2つの仕組みを用意した。

 1つは第二神殿の建設である。第一神殿は、前述した南王朝滅亡時に破壊された。神殿は、神とユダヤ人のつながりを保証する重要な制度だったが、バビロン捕囚の時代には神殿は存在せず、それでもヤーヴェ信仰は存続していた。ということは、神殿はユダヤ教にとって不可欠ではなかった。それでも第二神殿が建設されたことには、次のような意味を見出せるだろう。つまり、神殿の儀式は1回行えば十分というものではない。今日も明日も、神に犠牲を捧げる必要がある。そして、どんなに儀式の回数を重ねても、神とユダヤ人のつながりは不十分である。完璧な正しさには到達しえない。この点で、人間の知恵による勝手な自己正当化を回避している。

 もう1つが律法である。ユダヤ教の聖書の編集は紀元前5~4世紀に始まり、最初に着手されたのが第一部の「律法(トーラー)」であった。元々は、ササン朝ペルシアの当局が、ユダヤ人に自治を認める代わりに、自主統治のルールをまとめて提出させたのが始まりとされている。しかし、ササン朝ペルシアが滅亡した後も、律法はユダヤ人の生活の基盤となった。しかも、律法の言葉は一語一句正しいとされた。ところが、律法の文言をよく読むと、様々な意味にとれる箇所や、明らかに矛盾している内容が含まれている。それでも、律法の言葉は全体として完全に正しいのだから、後は人間の解釈で論理的一貫性を追求するしかない。律法が成立してから2000年以上経つが、この解釈の営みは現在でも続いている。律法のこのような性質もまた、人間の知恵による勝手な自己正当化を回避する役目を果たしている。

 ところで、ユダヤ人が毎日神殿で儀式を行い、律法に忠実な生活を送っても、永遠に完全な正しさに到達することができないとすれば、ユダヤ人は罪を晴らし、義を実現することが不可能である。ということは、ユダヤ人と契約をしている神も動かない。このことに対して苛立ちを感じるユダヤ人が出てきた。彼らは、神が動かないという前提をひっくり返して、神は自由に動く存在であるとした。具体的には、神は罪に満ちたこの世を破壊して、新しい世界を創造することができると考えた。この点がよく表れているのが「黙示文学」である。ただ、黙示文学をめぐっては、神が自由に動く方法は、破壊と創造を行うこと以外にはないのかということが問題になる。

 ここからいよいよイエスの時代に入る。イエスの時代のユダヤ教は、神殿を重視するサドカイ派、律法を重視するファリサイ派、荒野で修業を行うエッセネ派という3つの学派に分かれていた。サドカイ派、ファリサイ派は保守勢力であり、神とユダヤ人は契約で結ばれているが、罪の概念によって分断されているとする。また、重視する比重の違いはあるが、両派とも神殿/律法主義である点で共通する。これに対し、エッセネ派は、神との直接的な関係を目指すという大きな違いがある。エッセネ派に言わせると、契約や罪の概念があるから、神は一歩も動かない。だから、契約にとらわれずに、神が一方的に介入すればよい、というわけである。

 エッセネ派に影響されていたイエスは、「神の支配(バレイシア)」を問題にした。神が世界に対して肯定的に動く。神が支配するということは、神が世界を放っておいて、世界との間にある断絶をそのままにしておくということではない。簡単に言えば、神が世界の面倒を見るということである。そして、神がこのように動いたということは、罪も消えてしまったということである。これは同時に、契約の概念も消滅したことを意味する。

 神の支配の現実についてイエスが告知したことで、新しい現実が出現している。ただし、これはまだ、神の支配の現実が十分に実現した状態ではない。神の支配の現実が十分に実現する可能性があることを見据えることができるようになったという現実である。よって、これは「神の支配」というよりも「神の支配についての情報が作り出す現実」と言った方が適切かもしれない。キリスト教は、イエスが告知した神の支配が現実であるという事実に賭けている流れである。これに対して、ユダヤ教は、契約という唯一の関係によってヤーヴェとのつながりを確保しながら、キリスト教の賭けが成功に至るかを見守っている流れであると言える。

 生前のイエスは弟子やその仲間たちと共同生活を送り、キリスト教の布教に努めた。イエスの没後は、「エルサレム初期共同体」とでも呼ぶべき集団が形成され、イエスを神格化して、指導者の権威を神学的に正当化した。キリスト教が各地に広まるにつれ、エルサレム初期共同体とは異なる形態の共同体も生じるようになったが、指導者は神格化されたイエスを利用して、新しい共同体のスタイルも容認した。しばしば、イエスは「メシア」、「キリスト」、「神の子」、「ダビデの子」、「預言者」、「人の子」、「主」、「王」などと呼ばれるが、これらの「イエスは○○だ」という理解は、イエスのイメージを誇張しすぎている。イエスの神格化は、キリスト教的生活スタイルを権威あるものにするための機能を担っているにすぎない。

 イエスが神殿や律法に否定的なエッセネ派の影響を受けていることから、初期キリスト教も神殿や律法に否定的であった。だが、当時のユダヤ人社会に新しいキリスト教を普及させる上で、既存の神殿や律法を便宜的に利用することはしばしば行われたようである。その後、旧約聖書と新約聖書からなるキリスト教の聖書が正典とされ、またユダヤ教のシナゴーグ(集会所)をモデルとした教会も設立された。キリスト教において、教会や聖書は必須のものではなかったが、ユダヤ教において神殿や律法が人間の知恵による自己正当化を防ぐ役割を果たしていたのと同様の役割を、キリスト教の教会や聖書が担うことになった。

 ところで、神が支配によって人間を分け隔てしないのであれば、最初から布教活動は不要なのではないかという疑問が生じる。布教活動があるがゆえに、この世は福音を受け入れる者と福音を受け入れない者という2つのグループに分断されることになる。これは、神の支配に反するのではないかという問題がある。また、布教の中心となる教会では、神格化されたイエスによって神学的根拠を得た指導者が、人々に対してキリスト教的生活スタイルについて指導を行っており、「人による人の支配の体制」ができ上がっている点も見過ごすことはできないだろう(指導者は神ではなく、あくまでも神学的根拠を得た人間である)。

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