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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
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(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

資格スクエア資格スクエア
(2016年7月から「ITパスポート」、8月から「情報セキュリティマネジメント」の講師を務めています。谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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最新記事

2016年09月25日

岡本隆司『中国の論理―歴史から解き明かす』―大国中国は昔から変わらず二項対立を抱えている

中国の論理 - 歴史から解き明かす (中公新書)中国の論理 - 歴史から解き明かす (中公新書)
岡本 隆司

中央公論新社 2016-08-18

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 私が考える大国(ここで言う大国とは、アメリカ、ロシア、ドイツ、中国の4か国を指す)の「二項対立論」は、まだ著しく不十分なのだけれども、現時点で到達している地点を簡単に整理すると次のようになる。まず、大国同士はイデオロギーをめぐって対立する。例えば、アメリカの資本主義とソ連の社会主義の対立といった具合だ。もう少し一般化して、アメリカがAという思想・立場を、ロシアがBという思想・立場を掲げて対立していたとしよう。表面的にはA対Bなのだが、実はアメリカもロシアも国内は一枚岩ではない。アメリカ国内には少数だがB派が、ロシア国内には少数だがA派がいる。アメリカのA派は、ロシアのB派を攻撃すると同時に、ロシアのA派を支援する。ロシアのB派も、アメリカのA派を攻撃すると同時に、アメリカのB派を擁護する。

 アメリカもロシアも、実は本気で相手を倒そうとは思っていない。対立が深まるほど、軍事産業が発達し、軍事産業から生まれた技術やイノベーションが経済を活性化させることを知っているからである。しかし、何かの弾みで、アメリカのA派がロシアのB派を倒したとする。すると、アメリカはロシアがA化するべく支援に乗り出す。アメリカはここでもひと儲けできる。結局、アメリカにしてみれば、ロシアと対立していようがロシアを倒そうが自国の利益にかなうのである。

 ここで、日本のような小国には理解しがたいことなのだが、アメリカはロシアを完全にA化しない。二項対立は大国の本質であることをアメリカは理解している。アメリカは、ロシアのA派を強く支援しながら、実は、A派の対立軸として新たにB´派が生まれるのを待っている(アメリカが中東で自国の味方に過度に肩入れした結果、自国の敵が生まれていることは、以前の記事「『震災から5年「集中復興期間」の後で/日本にはなぜ死刑がありつづけるのか(『世界』2016年3月号)』―「主権者教育」は子どもをバカにしている、他」で述べた)。そして、今度はロシアのB´派がアメリカのA派と対立する。アメリカの真の狙いはそこにある。大国同士を二項対立の関係に置き、自国内部にも二項対立の状況を作り出す。これが大国の「二項対立論」である。

 アメリカはかつては共産主義と戦い、現在はテロと戦っているように、対外的には対立構造を好む。また、国内に目を向ければ、二大政党が激しく対立している。ドイツは多党制、ロシアは事実上統一ロシアの一党独裁に近いが、エリン・メイヤー『異文化理解力』によれば、ドイツ人もロシア人も文化的に見れば対立を扇動する傾向がある。ドイツ人やロシア人との会議で発言すると、必ず反対意見が返ってくる。しかも、日本人には耐えられないほどの痛烈な批判を浴びせてくる。しかし、彼らは決して、発言者を貶めようとしているわけではない。ある意見に対しては必ず反対意見をぶつけることで、より優れた意見に到達できることを期待している。

異文化理解力 ― 相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養異文化理解力 ― 相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養
エリン・メイヤー 田岡恵 樋口武志

英治出版 2015-08-22

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 ここで私の頭を悩ませたのが、中国の扱いである。以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」では、「中庸」という考え方を持つ中国は、「二項対立」と「二項混合」の両方ができ、思想的には最強なのではないかと書いた。また、以前の記事「ジョセフ・S・ナイ『アメリカの世紀は終わらない』―二項対立から二項混合へすり寄る米中?」では、米中の経済的つながりの深化に注目して、中国だけではなくアメリカまでもが二項混合になりつつあるかもしれないと書いた。

 ここでようやく本書の内容に入ることができるのだが、本書を読んで、やっぱり中国は二項対立を重視する大国であるという思いを強くした。
 「中国の論理」を貫く時間概念と事実の整序は、史書が表現する。そこに厳存したコンセプトは、「正統」と「偕偽」という二重構造になっていた。政治を組織した社会構成の論理でいえば、その基本にあったのは、「士」「庶」あるいは「官」「民」という階層の乖離で、やはり二元構造である。

 世界観の場合もやはり当然に、そうした二元的な構造論理が貫いている。(中略)「天下」という単一の人間世界は、「華」と「夷」から成る、というのが古来中国の空間認識・世界観であった。
 東洋史学では、唐と宋の間、つまり10世紀前後に、中国を中心とする東アジアで一大転換があったと見る。これを「唐宋変革」と呼ぶ(高校世界史では習わなかったキーワードだ)。

 本書によれば、宋の時代には、科挙に合格した官僚が庶民を支配するという、厳然たる二元構造が確立されたという。科挙自体は隋の時代から行われていたが、官僚が庶民の支配権を完全に掌握したのは宋に入ってからのようだ。隋・唐の時代には、科挙の合格者よりも、地元の豪族から成り上がった従来型の貴族の方が強い力を持っていたと見るべきである。

 中国の歴代王朝は常に、周辺民族からの侵攻に悩まされてきた。その中にあって、宋の時代だけは例外的に「華」と「夷」(もしくは「漢」と「胡」)が併存する体制が敷かれた。代表的なのが、1004年に契丹と結んだ「セン淵の盟」(※「セン」はさんずいに「亶」)である。両国の関係を兄弟の間柄とし、その関係は100年以上もの間続いた。宋はこれ以外にも、後に興った西夏や金ともこうした盟約を結んで類似の関係を構築した。そのため、研究者の中にはこれを「セン淵体制」と呼ぶ者もいるという。つまり、宋の時代は、上記の引用文にあるような国内外における二項対立的な世界観が最も整然と確立された時代だと言えそうだ。

 以前の記事「『死の商人国家になりたいか(『世界』2016年6月号)』―変わらない大国と変わり続ける小国、他」でも書いたが、大国は簡単には自らを変えることができない。西洋から押し寄せる近代化の波に対して中国(清)と日本がどのように対応したかを見れば、大国と小国の違いがよく解る。小国である日本は、「和魂洋才」というキーワードで表されるように、日本人の伝統的な精神は残しつつも、西洋の技術の中で実用的なものは、国を問わずどんどんと吸収していった。さらに、日本の文化や日本人の気質に合うように、西洋の技術をカスタマイズした。

 これに対して、清がとったのは「附会」という技法である。これは、西洋の優れた部分は清と異なっているわけではなく、中国の古典の中に既に存在したものだとこじつけることである。
 そのさい主としてこじつけられた中国の古典は、「諸子」であった。諸子百家である。利益や武力、科学技術を尊重しない儒教は、必ずしも西洋とは合致しない。しかしながら、たとえば富強を重んじる思想は、法家の『管子』にある。また科学・技術でも、化学の理論は『墨子』に載っているし、キリスト教も墨子・墨家の説く兼愛と同じ。西洋の事物はこのように、はるか古代の中国に存在したものであって、それを知らないのは、古典に通暁すべき中華の知識人エリートとして恥ずかしい、という主張がとなえられたのである。
 イデオロギー・体制は君主独裁制から立憲共和政、三民主義からマルクス主義、計画経済から市場経済へ移り変わっていった。しかしその前提に必ず存在していたのは、「士」「庶」が隔絶し、上下が乖離した社会構成である。
 中国は現代になっても、社会構造は古代と全く変わっていない。また、国内に二項対立を抱えるだけでなく、対外的には、香港・台湾に対し一国二制度を認め、内モンゴル、ウイグル、チベットなど周辺民族との対立関係を温存している(厳密に言えば、これらの領域は中国国内に取り込まれているため、対外的という言葉はふさわしくないのかもしれないが)。

 現在の共産党は、膨張政策や歴史外交を四方八方に展開することで、中国国民の心を引き留めることに必死である。また、圧倒的な経済力をバックに、香港や台湾を中国側に抱き込もうとする動きも見られる。さらに、これもまた圧倒的な軍事力を行使して、ウイグルやチベットなどを強引に制圧している。これらの動きを一言で言えば、中国は二項対立をなくして社会の一元化を図っているということになる。しかし、二項対立が一元化した時、そこに出現するのは全体主義である。そして、全体主義は国家を崩壊の危機にさらす(日本やドイツを見るとよい)。

 1930年代~40年代の中国は、対日総動員の一環として、「士」と「庶」の一元化を進めた。ところが、その結果、中国内には軍閥が乱立し、かえって内乱が拡大してしまった。中国は日中戦争に勝ったことになっているが、日本のポツダム宣言受諾がもっと遅く、内乱が長期化していれば、中国には国家を建国するほどの体力が残らなかったかもしれない。また、戦後の毛沢東は文化大革命によって「士」と「庶」の一元化を試みた。だが、その後に吹き荒れたのは粛清の嵐である。文化大革命の正確な犠牲者は解らない。公式発表では死者40万人となっているが、一説には4,000万人とも8,000万人とも言われる。いくら人口が10億人以上いるとしても、人口の1割弱を殺害するのは、自ら国家を死滅へと追いやるようなものである。

 現在の中国は文字通り、「1つの中国」を目指しているのかもしれない。しかしながら、その行為は大国の論理にそぐわない。むしろ、大国を破滅へと向かわせる危険性があることを歴史は示している。国内外で二項対立を抱えるというのは、政治としては何とも矛盾に満ちた非合理的なやり方であるが、大国が自らを保つにはそれが最も現実的なのである。
2016年09月23日

【賛否両論】中小企業診断士(コンサルタント)に必要なのは「ドキュメンテーション力」か「プレゼンテーション力」か?

ドキュメンテーション

 今回は賛否両論があるであろう問題を取り上げる。私が所属する城北支部では、数年前から「城北プロコン塾」という、独立プロコンを養成するコースを運営している。城北プロコン塾では、毎回の講義・演習に加えて、それぞれの受講者が”自分の飯のタネ”になりそうなテーマを1つ設定し、1年間かけてレポートを作成する(このレポートは、受講者が将来的に自分の主催するセミナーなどで活用することを想定している)。城北支部の部長以上の役員は、受講者のレポートを評価し、トップ5を決定する(「レポート大賞」)。そして、その上位5人は、城北支部の先生が一堂に会する支部大会でプレゼンテーションのコンテストを行う(「プレゼン大会」)。

 先日、城北支部内で、この「レポート大賞」と「プレゼン大会」の位置づけ、運用方法をめぐってちょっとした議論になった。論点があちこち飛んでしまい(実は、診断士によくありがちである)、途中から私は議論について行けなくなってしまったのだが、本質的な問題は、「城北プロコン塾で養成するのはドキュメンテーション力なのか、プレゼンテーション力なのか?」ということであったと理解している。この問題は、言い換えれば、「診断士に必要なのはドキュメンテーション力なのか、プレゼンテーション力なのか?」という問題でもある。

 私は昔から一貫して、診断士に必要なのはドキュメンテーション力であるとの立場である。プレゼンテーションは、話し手の勢いや迫力、その場の雰囲気によって、何となく相手を解った気にさせられる。言葉は悪いが、口先でごまかすことができてしまう。診断士がプレゼンした改善提言に納得した中小企業の社長が、現場に戻っていざ改善に着手したとしよう。診断士の話の内容をもう一度思い出すために、プレゼンの際に渡されたドキュメントを読み返す。ところが、そのドキュメントに矛盾が含まれていたらどうであろうか?社長は困惑し、改善を断念するだろう。

 私は以前、東京協会が主催する「東京プロコン塾」に所属していたことがある。東京プロコン塾が始まって間もない頃、東京協会のある重鎮の先生が、「診断士は社長を騙くらかすぐらいの口達者になれ」と言ったのに私はひどく驚いた。私にはそんな不誠実なことはできないし、そういうプロコンを育成するのが東京プロコン塾の目的であるのならば、私の価値観とは全く相容れない。そのため、私は早い段階で東京プロコン塾を辞めることにした。

 (もう1つつけ加えると、その先生は、「飲食店の経験がない人が飲食店のコンサルティングをしたければ、数か月間でも飲食店でアルバイトをすればよい。そうすれば、飲食店の店長と対等に話ができる」とも言っていた。そんな中途半端な職務経験で店長と張り合えると考えるのは、かえって失礼である。そういう考え方を私は採ることができない。これも私が東京プロコン塾を辞めた一因である。私の経験上、ある業界でコンサルティングをする際に、その業界での業務経験は必須ではない。もちろん、業界経験があるに越したことはないが、業界経験がなくても、適切なコンサルティング技法があれば、コンサルティングは可能である)

 プレゼンテーションはごまかしがきくのに対し、ドキュメントはごまかしがきかない。内容に矛盾があれば、それを隠すことはできない。ドキュメントには非常に高い完成度が求められる。ところで、私はパワーポイントで納品することが多いが、コンサルティングの成果物としてのパワーポイントは、例えばスティーブ・ジョブズがアップルの新製品を発表する際に用いるものとは全く別物である。後者はインパクトが勝負であるのに対し、コンサルティングの成果物としてのパワーポイントは、それぞれのスライドで言いたいこと(キーメッセージ)が簡潔な文章で明確に打ち出されており、その内容をサポートする情報が図表などを用いて整然とまとめられているものである。そして、スライド間で内容に齟齬がなく、全体を通じて一本の筋が通っているものである。

 コンサルティングの成果物としてのパワーポイントは、見た目は重視されないのかと言うと、それは違う。全くの逆である。見た目も重要である。テキストボックスの大きさが揃っている、図の位置がずれていないといったことも、ドキュメントの価値を決める大きな要素である。私は様々な診断士のパワーポイントを見てきたが、見た目に無頓着な人が何と多いことか。スライドタイトルのテキストボックスの位置がページごとに違っていたり、フォントやサイズがバラバラだったりと、お粗末なスライドが多い。中小製造業は、毎日10ミクロン単位の公差で勝負をしている。その社長に、テキストボックスや図が何ミリもずれたドキュメントを出して笑い者にされたいか?

 1回ぽっきりの機会を何とか乗り切ればよいプレゼンテーションとは異なり、ドキュメントは社長が必要に応じて何度も読み返し、社長が社員に対して改善策を説明して回り、社員もまたその資料を何度も読み返すのに耐えうるレベルのものでなければならない。そのためには、ロジックを細部まで詰める必要があるし、そのロジックがすっと頭に入ってくるよう、ビジュアルにも細心の注意を払うべきである。ドキュメントは診断士の”作品”である。

 プレゼンテーション力重視派は、役所の無料窓口相談の担当者をしていたり、都や区の予算で商店街などの個店に派遣されて経営相談をやっていたりする人に多いように思える。確かに、こういう仕事ではドキュメントを作成する機会は少ないだろう。だが、はっきり言って、この手の仕事は診断士にとってほとんど儲けにならない。年金収入があるいわゆる”年金診断士”であればよいのだろうが、私のような年代の診断士にとっては全く魅力がない。それに、私の思い込みかもしれないが、企業が身銭を切らないコンサルティングは、企業側が本気にならない。本気でない企業を相手にコンサルティングをしても、コンサルティング能力は磨かれない。

 独立診断士が食えるようになるためには、1回あたりの仕事で数十万~数百万円になる案件をいくつも獲得する必要がある。この規模になると、口頭のアドバイスだけで済ますわけにはいかない。必ず、何かしらのドキュメントを成果物として残すことになる。よって、食えるプロコンになるには、ドキュメンテーション力が必須なのである。なお、売上高が数億円、数十億円あっても、当期純利益は数百万円程度しかない中小企業は非常に多い。そういう企業から、コンサルティングフィーとして数十万~数百万円をいただくわけだから、相手も必死である。必死な相手から何度もダメ出しされながらドキュメントを作成していくと、診断士としての力が磨かれる。

 しばしば、「人間は論理だけでは動くとは限らない。最後に人間を動かすのは情理だ」と言われる。この言葉を根拠に、診断士に必要なのはプレゼンテーション力だと述べる人もいる。しかし、この言葉をよく読めば、人間は論理だけで動くこともあることが解る。逆に言えば、情理だけで動くことはない。情理は論理を補完することはあっても、それ単独で相手を動かすことはできないのである。論理はドキュメンテーションによってこそ最も効果的に完結する。したがって、診断士に必要不可欠なのはプレゼンテーション力ではなく、ドキュメンテーション力の方である。

 私は、まだプロコンとしてはひよっこなので、他の診断士に仕事をお願いできるほどたくさんの案件を抱えているわけではない。だが、私が仕事を依頼する場合には、絶対に相手のドキュメンテーション力を重視すると決めている。プレゼンテーションが上手いかどうかは関係ない。むしろ、私の場合は、プレゼンテーションが上手ければ上手いほど、その人のコンサルティング能力を疑う。これは、前職のコンサルティング会社で、口だけのコンサルタントがクライアントや上司からボロカスにこき下ろされていたのを何度となく見てきたことも影響している。

 私は日頃から、どの診断士がどんなメールの文章を書くか、ワードやパワーポイントでどんな資料を作るかを注意深く見るようにしている。そして、どの診断士なら仕事を頼めそうか、それとなく当たりをつけている。ドキュメントが作れない診断士には、絶対に仕事を依頼しない

 《余談》
 ドキュメンテーション力重視派の中には、ここ数年中小企業向けの補助金が増えており、補助金の申請書類作成を支援するためにドキュメンテーション力が必要だと言う人もいる。私も本ブログで「【シリーズ】「ものづくり補助金」申請書の書き方(例)」のような記事を書いてきた手前、あまり大きな声では言えないのだが、実は補助金に群がる中小企業や診断士が嫌いだ。

 補助金は、市場の失敗をカバーするための例外処理にすぎない。言ってしまえば、生活保護のようなものである。生活保護を堂々ともらおうとする人はいない(はずである)。どうしても生活に困っているので、今回だけ生活保護に頼るという人が大半だ。補助金も同じで、どうしても経営に困っているので、今回だけ補助金に頼りたいという謙虚な姿勢を持たなければならない。それなのに、補助金が出ると嬉々としてそれに飛びつく中小企業を見ると、その経営姿勢を疑う。また、補助金を受けたことを自社のHPで堂々とアピールすることも、私には全く理解できない。

 補助金を積極的に中小企業に勧める診断士にも私は一言言いたい。補助金は返さなくてもいいお金だと言って補助金をどんどん受けさせるのは、経済原理に反した行為である。企業は、株主や金融機関から調達した資金を活用して、彼らが期待する以上のリターンを上げ、彼らにリターンを支払ってなお残る利益を将来のために投資し、持続的な成長を実現するものである。「株式会社」が、近代経済を大きく発展させた最大の発明品と言われるのはこのためだ。ところが、補助金を使いすぎると、株式会社としての機能が麻痺する。当の診断士はよかれと思って補助金を勧めているのかもしれないが、実際には経済の破壊につながると知るべきである。
2016年09月21日

岡部伸『イギリス解体、EU崩落、ロシア台頭』―移民に苦しむイギリス、移民で喜ぶドイツ、他

イギリス解体、EU崩落、ロシア台頭 (PHP新書)イギリス解体、EU崩落、ロシア台頭 (PHP新書)
岡部 伸

PHP研究所 2016-08-23

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 イギリスでEU残留かEU離脱かをかけて6月23日に行われた国民投票は、離脱が51.9%、残留が48.1%という僅差の結果となり、イギリスのEU離脱が決まった。だが、離脱派の旗振り役であるボリス・ジョンソン氏とマイケル・ゴーブ氏が次期保守党党首選への出馬を早々と見送った。さらに、EU離脱派が離脱のメリットとして掲げていた内容に嘘があることが次々と判明した。
 選挙運動で英国がEU加盟国として支払っている拠出金週3億5000万ポンド(約480億円)を国民保健サービス(NHS)の財源にしようとの公約について、英国独立党のファラージュ党首は、開票後テレビで残留派の反論通り、EUから英国に分配される補助金などを差し引くと、週1憶数万ポンドであることを認めた。また離脱派は、「離脱で移民制限が可能だ」と主張していたが、離脱派のダニエル・ハナン欧州議会議員は、「移民がゼロになるのではなく、少しだけ管理できるようになる」と述べ、公約に嘘があったことを認めた。
 国民投票の結果を受けて世界市場が大混乱したのを目の当たりにし、さらに離脱派の公約が嘘だと解った離脱派の人々は、国民投票のやり直しを求めている。彼らは離脱に投票したことを後悔しており、BrexitとRegretを組み合わせた”Bregret”なる造語まで生まれているという。しかし、国民が選挙で選んだ国会議員を中心に組閣された内閣が国民投票の実施を決定したのに、それをもう一度やり直せというのは、議院内閣制の祖としては非常に恥ずかしい話である。

 今回のイギリスの国民投票から得られる教訓は、「世論を二分するようなシビアなアジェンダは国民投票にかけない方がよい」ということであろう。賛成・反対どちらが勝っても僅差となり、勝者と敗者の間に禍根を残すことになる。だから、国民投票は世論が十分に成熟して、方向性がほぼ固まったのを見届けてから、その方向性を追認するために実施するのが現実的である。

 現在日本では、改憲勢力が衆参両院で3分の2以上を占めているため、次の衆議院選挙が行われる2018年7月(それまでに解散総選挙がないことが前提)までの間に、憲法改正の発議がなされ、国民投票が行われる可能性がある。自民党は憲法草案をHPでアップしているが、現行憲法とは内容にかなりの差がある。もちろん、自民党はフルスペックの改憲を実現しようとは考えていない。国民投票で改憲できるのは、せいぜい1か所にとどまると見るべきである。

 では、その1か所をどこにするのか?改憲派に多いのは、諸外国の憲法に「緊急事態条項」が盛り込まれていることを踏まえて、この条項を追加するという案である。しかし、私が思うに、日本にとってこの条項はリスクが高い。東日本大震災が起きた時、菅政権は自分で何でもやろうとして、かえって現場を混乱させた。緊急事態が発生した時の首相がたまたま無能だと、国を滅ぼす恐れがある。ブログ別館の記事「由良弥生『「神」と「仏」の物語』」でも書いたが、日本は凡人が集まる多重階層社会であり、トップダウンとボトムアップでぐるぐると意見が回りながら最適化されていく点に強みがある。これは平時でも緊急時でも変えてはいけないと考える。

 同じく改憲派が目指すのは、9条の改正である。自民党は「国防軍の創設」を盛り込もうとしているものの、「軍」という言葉を使うだけで、今の日本では賛否両論となるに違いない。確実に国民投票を成功させるには、既に憲法解釈で認められていることを明文化するぐらいのことしかできないと思う。具体的には、9条2項を「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。ただし、我が国を自衛する目的で、必要最小限度の実力として自衛隊を保有することを妨げない。」とする。

 自衛隊は政府解釈でも合憲と認められているし、反対する憲法学者も少ない。「防衛費は人を殺す予算」と放言したり、「自衛隊は戦争には行かせないが、災害時には救命活動をしてもらう」などと都合のよいことを言ったりする一部のとち狂った左派は、この案でも反対と主張するかもしれない。しかし、大半の国民は賛成票を投じるであろう。憲法解釈で既に認められていることをわざわざ憲法改正で取り上げる必要があるのかという疑問も聞こえてきそうだが、何せ70年間一度も改正されなかった憲法を、世論の分断を招かないように慎重に改正しなければならないのである。となると、初めての国民投票では、上記の是非を問うのが精いっぱいだと思う。


 《2016年9月24日追記》
 安直な私は、自衛隊を国防軍とせずに、上記のように9条2項を修正すればよいと考えていたのだが、『正論』2016年10月号を読んだら、次のような深刻な事態が発生することに気づかされた。国のために戦っているのに、軍人と認められず、国際法によって要求される捕虜の扱いを受けられないのは、自衛隊に対する国家的差別だという話を誰かから聞いたのを思い出した。
 用田:例えば「自衛隊は軍隊ではない」という建前になっているので、仮に中国と紛争になって自衛官が捕虜になったとします。「お前は軍人か否か」と問われて「私は軍人ではなく自衛官です」と答えた場合、軍人ではなく単なる犯罪者扱いをされて即刻、処刑されかねません。ですから本来、自衛官は国防軍にしなければいけないのです。
(用田和仁、矢野一樹、本村久郎「中国に尖閣を奪われない方法・・・南西諸島はこう守れ」)
月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2016-09-01

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 ちなみに、日本に自衛隊ができたのは、共産勢力のせいである。戦後、日本共産党はロシアのコミンフォルムからの指示を受けて、暴力革命による社会主義の実現を目指していた。共産主義を脅威に感じたGHQは、1950年に警察予備隊を設置した。その後、警察予備隊は1952年に保安隊、1954年に自衛隊となった(正確に言うと、警察予備隊は、陸を担当する保安隊と海を担当する警備隊に改編され、1954年にそれぞれ陸上自衛隊、海上自衛隊となった)。自衛隊の原因を作ったのは自分なのに、それをなくせと言う共産党の主張は笑止千万である。

 日本の自衛隊の人員構成を見ると、陸上自衛隊が約14万人、海上・航空自衛隊がそれぞれ約4万人ずつと、陸上自衛隊に大きく偏っていることが解る。これは、もともと陸上自衛隊が国内の共産主義革命に対抗するために設けられたものと理解すれば合点がいく。しかし一方で、海上自衛隊が少ないのが日本の弱みである。日本の領土は約38万平方キロメートルで世界第61位だが、EEZと領海を合わせると約447万平方キロメートルとなり、アメリカ、オーストラリア、インドネシア、ニュージーランド、カナダに次いで世界第6位となる。中国のあからさまな脅威が迫っている中、この人員構成で本当に日本を防衛できるのか、個人的には不安に感じている。

 話をイギリスに戻そう。本書では、イギリスがEU離脱を決めたのは、移民に対する拒絶反応が原因であると解説されている。イギリスには毎年約30万人の移民が押し寄せ、特に白人低所得層の雇用を奪っている。また、移民はそれほど税金を納めていないにもかかわらず、イギリス国民と同様に国民健康サービス(NHS)を受けることができる。そのため、国民の社会保障費の負担が増すだけでなく、高齢者が十分なNHSを受けられなくなっている。要するに、移民で不利益を被った低所得層の白人と高齢者が離脱に票を投じたというわけである。

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(各象限の具体例)

 社会保障の話は私にはよく解らないので、ここからは雇用に絞って話を進める。イギリス以上に移民を受け入れているドイツでは、イギリスほど移民排斥感情が強くない(もちろん、極右政党が存在するのは確かである)。この差は、両国の産業構造の違いである程度の説明が可能であると思われる。上図は、以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などで散々使ってきたものを、最近になってブログ別館の記事「『プラットフォームの覇者は誰か(DHBR2016年10月号)』」で修正したものである(まだブラッシュアップする予定である)。以下、この図を使って、イギリスとドイツの産業構造の違いを大雑把に説明する。

 アメリカは左上の象限に強い。この象限では、唯一絶対の神と契約を結んだカリスマ性あふれるイノベーターが、全世界に通用する画期的な単一の製品・サービスを開発し、世界中に一気に展開する。早い段階で株式上場して、世界制覇に必要な莫大なマーケティングコストや製造コストを調達する。このイノベーションは生活必需品ではないため、顧客の好き・嫌いに大きく左右される。そして、顧客に飽きられるのも早い。イノベーターが世界中に製品・サービスを売りまくって莫大な利益を得た後は、静かに衰退していくだけである。イノベーターにできることと言えば、自社株買いや配当によって株主に報いるか、会社ごと売却して創業者利潤を得ることぐらいである。その後のイノベーターは、悠々自適のセカンドライフを送る。

 左上の象限はスピード勝負であるから、組織はフラット型となり、イノベーターの強烈なトップダウン型リーダーシップで動く。ただし、そのイノベーションが本当に世界で成功するかは極めて不透明である。そういうわけで、リーダーはメンバーを正社員として抱え、固定費が発生することを嫌う。リーダーとしては、できればメンバー全員を個人事業主として使いたいと考える。左上の象限はHire and Fireの世界であり、リーダーが自由自在にメンバーを組み替える。

 一方、ドイツや日本が強いのは右下の象限である。必需品であり、製品・サービスに高い品質が必要とされ、その構造も複雑である。バリューチェーンは非常に長く、川上から川下まで様々なプレイヤーが関与する。それぞれの企業は、要求水準がそれほど高くない顧客から、非常に要求水準が高い顧客まで幅広くターゲットとしている。そして、ターゲットごとに異なる製品・サービスを提供する(この点で、全世界に単一のイノベーションを展開する左上の象限とは異なる)。

 したがって、企業としては、新人を正社員として採用して、まずは簡単な顧客を担当させ、中長期的に人材育成を行って、行く行くは難しい顧客を担当させようというインセンティブが働く。ゆえに、自ずと終身雇用に近い形になる。また、その組織構造はアメリカの場合と異なり、階層型となる。日本企業が多様なプレイヤーと協業し、多様な顧客をターゲットとするのは、日本が多神教の文化であるからであると私は説明している。なお、ドイツはアメリカと同じくキリスト教の国であるが、大昔まで遡ればケルト神話のように多神教の文化が流れている。

 左下の象限は、安い労働コストを武器とする新興国が強い領域である。それと同時に、その参入障壁の低さから、どの国においても自国民の雇用の受け皿として機能している。典型例は飲食店や、食品・日用品を扱う卸売・小売業である。よって、この領域には保護主義的な規制がかかっていることが多い。その規制を緩和しようとすると、関係者からは猛反発を食らう。

 イギリスは、アメリカほど左上の象限に強くない。左上の象限に該当するのは、デリバティブを駆使する一部の金融エリートぐらいである。また、製造業の割合も低く、右下の象限もそれほど強くない。よって、多くの労働者は、左下の象限に属する。だが、この象限こそ、移民によって雇用を最も奪われやすい領域である。飲食店では移民がオーダーを取り、スーパーでは移民が陳列を行う。雇用の最後の砦を移民に奪われたイギリスは、移民に対して神経質になる。

 一方、右下の象限に強いドイツは、安い労働力を求めて、バリューチェーンの一部、階層組織の一部を新興国に移していた。いわゆる産業の空洞化であり、日本でも見られた現象である。ところが、ドイツに移民が流入すると、ドイツ企業は工場を外国に移転させる必要がなくなる。移民が増えるほど、ドイツ企業はコスト競争力のある製品を大量に国内で製造できる。これにより、企業規模が大きくなるとともに、GDPも増加する。また、企業のピラミッドの下層が広くなれば、それにつられる形でピラミッドの上層も拡大し、高機能・高付加価値の製品・サービス開発に従事するドイツ人を多く雇用する余地が生まれる。だから、ドイツは移民大歓迎なのである。

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