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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。ほとんど書評ブログ。たまにモノローグ。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
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2018年09月24日

『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(1)


月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-09-01

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 9月20日、自民党総裁選は実施され、安倍晋三首相が石破茂・元幹事長を破って連続3選を決めた。任期は2021年9月までの3年間である。今回の総裁選が過去の総裁選と異なるのは、安倍首相の4選は絶対にないということである。つまり、安倍政権はどうあがいても2021年9月までしか続かず、期限つきの内閣となる。しかも、アメリカ大統領が2期目の最後の方になるとレームダック状態になるように、安倍政権も最後はレームダック化が避けられないと思う。とりわけ、2020年夏の東京オリンピック・パラリンピック後は反動で景気が落ち込むことが目に見ているだけに、2021年9月までの残り1年ほどで有効な手を打とうというインセンティブは働かないだろう。だとすると、安倍政権にとって勝負となるのは2019年、2020年の2年となる。安倍政権がこの2年間で解決するべき優先課題を7つ示したいと思う。

 (1)憲法改正
 憲法改正は自民党の党是であり、安倍首相の悲願である。私は以前の記事「『世界』2018年1月号『民主政治の混迷と「安倍改憲」/性暴力と日本社会』―「安保法制は海外での武力行使を可能にする」はミスリード、他」や「『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。」で9条の試案を示してきた。

 だが、国民投票にかける新憲法案は解りやすいものでなければならない。100ページの冊子を国民に配らなければ説明ができないような案では、到底国民には受け入れられない。だから、安倍首相は9条3項加憲案を思いついたのだろう。安倍首相は、内心ではもっと優れた案を持っていたはずである。それに、はっきり言って、加憲案は日本の憲法学界の悪しき伝統である神学的論争を加速させる恐れがある。それでも加憲案に着地したのは、改正憲法案をシンプルにし、かつ国家を命がけで守っているのに憲法学者の8割から違憲だと言われて人権侵害を受けている自衛隊の尊厳を一刻も早く守るための現実策であろう。理想を追いかけすぎずに、時にリアリストになることができるのが、第2次安倍政権の大きな特徴である。

 問題は、改憲のスケジュールである。来年は5月に新天皇の即位を控えており、これだけで日程がかなり詰まっている。さらに、4月には統一選挙、6~7月にかけては参議院議員選挙が行われる。加えて、ネックとなるのが、10月に消費税10%への増税が控えていることである。過去に消費増税を実施した政権は、皆悲惨な末路をたどっている。盤石な政権基盤を持っていた竹下登は長期政権になると期待されていたのに、消費税を導入すると内閣支持率が下落し、そこにリクルート事件が重なって、わずか1年半で退陣した。橋本龍太郎は1997年4月に消費税を3%から5%に引き上げたが、翌1998年7月の参議院選挙で大敗を喫し、退陣を余儀なくされた。菅直人は2010年6月、参議院議員選挙の直前になって消費税を10%に引き上げると宣言し、案の定選挙で敗北した(菅直人の場合は、消費税だけが敗北の要因ではないと思うが)。

 いくら現在の野党が弱体化していると言っても、来年の参議院選挙で自民党が苦杯をなめるのは間違いない。改憲勢力3分の2を失うのは確実だろう。だとすると、それまでに改憲の国民投票を実施したいところである。問題は、国民はある政治家のことを個別の政策ごとに評価しないということである。本号で橋下徹氏が述べていたが、国民は政治家の性格を総合的に評価する(橋下徹「安倍さん、さあ憲法改正でしょ」)。国民は、「この人のこの政策は評価できるが、あの政策は評価できない」とは考えない。「あの人が言うことなら全て信用しよう。あの人が言うことなら全て信用しない」と考えるのである。よって、近い将来に消費増税という負債を国民に突きつけようとしている安倍晋三という政治家を、国民は信頼しない可能性がある。その時点で、安倍首相の改憲構想は頓挫する。だから、本当ならば、改憲は今年中にやっておくべきであった。それなのに、低レベルのモリカケ問題で1年間を空費してしまった。このツケは大きい。

 (2)皇位継承問題
 来年の新天皇即位と合わせて検討したいのが、皇位継承問題である。秋篠宮家に若宮がお生まれになったことで、皇位継承問題は棚上げ状態になっているが、1世代分時間稼ぎをしただけで問題の本質的な解決にはなっていない。民主党政権は一時期、女性天皇や女系天皇の議論をするべきだと言っていた。しかし、女性天皇と女系天皇は全くの別物である。

 今、天皇Aと皇后の間に、男の子と女の子がいらっしゃったとする。次の天皇の第一候補は男の子であるが、女の子が天皇になったとしよう。この天皇は天皇Aの血統に属する女性天皇であり、過去8方10代の例がある。次に、この女性天皇が一般の男性と結婚して男の子を授かり、この男の子が天皇になったとしよう。この場合、この男の子は天皇Aの血統には属さず、女性天皇の血統に属する天皇となる。よって、女系天皇と呼ばれる。皇室にあまり関心のない人だと、天皇家が途絶えないならば女系天皇でもいいではないかと言うかもしれない。だが、日本とは何かという議論を突き詰めていくと、究極的には「万世一系の男系の天皇が継承してきた国家」であり、これ以外にないのである。アメリカが建国の理念である自由と平等、中国が共産党を失えば国家を失うのと同様に、日本がこれを失えば国家を失うに等しい。

 では、なぜ男系にこだわるのか?これについては、竹田恒泰氏が別の号でこんな解説をしていた。男系天皇を維持するには外部から女性を、女系天皇を維持するためには外部から男性を招き入れる必要がある。ところが、男性の場合は、どんな危険な思想を持った人物が入ってくるか解らない。もちろん、皇室側でも慎重に身体検査はするものの、本人がそれを隠し通すことに成功してしまったら皇室としてはアウトである。その点、女性はそのような危険な思想に染まる危険性が低いので、男系天皇を選択しているというわけである。ここで一部のフェミニストは、男系天皇の考え方は、女性が自分で物事を判断する力がないという前提に立っているとヒステリックになるだろう。しかし、実際には逆である。女性の方が事理弁識においては男性よりもはるかに理性的であるととらえられているのである。

 本号で竹田氏は、一定数の男性後続を確保するために、旧宮家を活用する方法を提案している(竹田恒泰「旧宮家復活なくして日本の存続なし」)。旧宮家とは、終戦後に占領軍の圧力によって廃止された11の宮家を指す。旧宮家の男子は、終戦までは皇位継承資格を保持する皇族であった。現在でも、旧宮家には歴代天皇の男系の血筋を受け継ぐ者が多数いる。彼らを活用しない手はない。旧宮家を活用する方法とは、具体的に2つある。1つは、旧皇族一族から若干名を皇族に復帰させる方法である。もう1つは、現存の宮家が旧皇族一族から養子を取って宮家を存続させる方法である。現行の皇室典範では、皇族は養子を取ることができないため、皇室典範を改正する。同時に、旧皇族一族を復帰させる案については特別立法で進める。新天皇が即位するというタイミングだからこそ、前向きに検討したい課題である。

 (3)経済
 安倍首相は8月12日、山口県下関市で行われた長州「正論」懇話会5周年記念会で講演を行った(安倍晋三「憲法改正案 提出宣言 新聞が報じきれなかったその”全て”」)。その中で、「人口が減少するなかで、名目GDPは11.8%成長し、58兆円増加し、過去最高を記録しました」と述べている。具体的な期間が述べられていないが、2012年の名目GDPが495兆円、2018年の名目GDPが556兆円(予測、プラス61兆円)であるから、この期間、つまり自身の在任期間中のことを指していると思われる。だが、果たして安倍首相の在任期間中に、日本国内で何か新たな産業が生まれ、新たな消費が刺激されたであろうか?

 周知の通り、日本のGDPの6割を占める個人消費は、アベノミクスによって賃金が上昇しているにもかかわらず、一向に日本銀行のインフレ目標を達成することができていない。ついに、日銀は目標を引っ込めてしまった。これは消費増税の影響が大きい。

 だとすると、GDPを押し上げているのは個人消費以外ということになる。まず考えられるのが、企業による設備投資の増加である。2012年第4四半期には約72兆円であったが、2018年第2四半期には約91兆円と、約19兆円増加している。これは、国内の需要が拡大したからというよりも、異次元金融緩和によって円安になったため、海外生産が国内に回帰したと見るのが自然である。次に考えられるのは、その異次元金融緩和によって作り出された円安・株高、さらに近年の外国人観光客増による経常収支の増加である。2012年の経常収支は約6兆円であったのに対し、2018年の経常収支は約19兆円(予測)と、約13兆円増である。そして、GDPの増分を分析する上で見過ごせないのが、2016年から研究開発費がGDPに算入されるようになった点だ。これにより、約15兆円の研究開発費がGDPに加わった。単純にこの3つを足すだけで約47兆円の増加となり、名目GDPの増加分の大部分を説明することができてしまう。

 内需を拡大するには、イノベーションを起こさなければならない。だが、行政がイノベーションを主導すると、たいていロクなことにならない。行政は決められた事柄を決められた手順で実行し、絶対に成功させるのが仕事である。しかし、イノベーションは無秩序、実験、試行錯誤、失敗こそが本質であり、行政とは対極に位置する。よって、行政にイノベーションを任せることはできない。さらに日本の場合、行政が既存の大企業を集めてコンソーシアムを結成することが多いが、行政特有の「公正さ」を確保するという名目のために企業間の利害調整に時間が取られ、肝心の顧客や市場の方を見ていないという事態が往々にして起こる。

 私は、行政は口は出さずに金だけ出している方が無害だと考える。ただし、お金を出す先をもっとよく考えなければならない。安倍政権になってから空前の補助金バブルが到来し、中小企業向けの補助金が大幅に拡充された。その中でも最大規模なのが、安倍首相が演説の中でも言及しているものづくり補助金であり、平成24年度補正予算から平成29年度補正予算まで、6年間で約6,000億円、延べ8万6千社の中小企業に対して補助金が交付された。だが、ものづくり補助金の交付要領や公募要領を読めば解るのだが、この補助金は中小企業の新製品・サービス開発を支援するものであり、したがって波及効果が小さく、短期的なカンフル剤にすぎない。

 凡庸な結論になってしまうけれども、行政がお金を出すのであれば、大きな波及効果が見込まれる分野にお金を出すべきである。特定の製品・サービスに特化した企業よりも、様々な製品・サービスに転用可能な技術を研究する応用研究、さらには産業横断的に拡張可能な技術を研究する基礎研究に投資をしてほしい。経済産業省「日本の研究開発費総額の推移」によると、研究者1人あたりの研究費は、日本はアメリカやドイツに大きく差をつけられている上に、OECD平均を下回っている。また、主要国の研究開発費の政府負担割合を見ると、多くの国が2~3割台であるのに対し、日本は1割台にとどまる。

 もちろん、どの研究が将来的に大きな波及効果を実現できるかを事前に見極めることなど、ほとんど誰にもできない。日本の行政は無謬性へのこだわりが人一倍強いので、よく解らない分野への投資を控えるに違いない。しかし、どれがものになるか解らないからこそ、幅広く投資する姿勢が重要であると考える。ある研究によると、1,000億円の予算があった場合、10のプロジェクトに100億円ずつ投資するよりも、1,000のプロジェクトに1億円ずつ投資した方が、ノーベル賞を輩出する確率が上がるという。安倍首相の任期中に基礎・応用研究への投資が実を結ぶことは考えにくいが、投資の仕方を変えることは可能なはずである。

 せっかくイノベーションによって新しい産業が生まれても、それを購入する顧客がいなければ意味がない。つまり、国民の所得が上がらなければ意味がない。安倍首相は経済界に対して毎年賃上げを要求している。演説の中では、中小企業にも賃上げが波及していると述べている部分もあった。しかし、国民の消費は、消費増税の影響もあって伸び悩んでいる。国民は、賃上げは安倍首相が政権に就いている間の暫定策であり、政権が変わればまた賃金が減少するのではないかとおびえている。だから、思い切った消費に踏み切ることができない。

 私は、アメリカ経営を無条件に礼賛して、成果主義や雇用の柔軟化などを政権に提言してきた経団連の意見など蹴り飛ばして、日本経営のよさであった年功制を復活させるように企業に強く迫るべきだと考える。以前の記事「【戦略的思考】企業の目的、戦略立案プロセス、遵守すべきルールについての一考察」でも書いたように、企業の第一目的は顧客の創造であるが、その目的を達成するためにいくつかのルールを守らなければならない。社員が加齢とともに増加する生活費を賄えるだけの給与を支払うこともルールの1つである。ルールを無視して、顧客の創造という目的だけ達成するのは、スポーツでルール違反を犯して1位を狙うようなものである。それらのルールを守りながら、顧客を創造し、かつ将来の投資に回すための利益を残すようなビジネスの仕組みを構想することが経営陣の仕事である。利益が減るからという理由で、生活費の高い中高年社員の給与をカットするなどというのは、経営IQの低さを露呈している。

 (続く)
2018年09月22日

フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(2)


ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 (前回の続き)

 ③ティール組織の場合、伝統的な正社員という概念が崩れる。1日何時間、1週間に何日働き、どこで仕事をするかについて、メンバー間のコミュニケーションを通じて決定する。私はそれはそれでよいと思う。実際、オランダではそのような働き方が認められており、法律にも労働者の権利として明記されている。問題は、ティール組織ではフリーランスを活用する局面が増えるだろうとされている部分である。チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー『隠れた人材価値』で紹介されている企業が正社員比率を高めているのとは正反対の現象である。

 確かに、経営課題の解決に必要な人材を、ジャスト・イン・タイム方式のように調達できれば、非常に効率的な経営が実現されるかもしれない。だが、企業にとって効率的であるということは、フリーランスにとっては企業に搾取されることを意味する。私も長くフリーランスをやっているので、これは身に染みて解る。もちろん、中には顧客企業との交渉に長けていて、会社員時代よりも高い年収を獲得している人もいる(私も、もう少し営業が上手だったらよかったのにと思ったことが何度もある)。しかし、大半のフリーランスは非常に年収が低いことが中小企業庁の『小規模企業白書』でも明らかにされている。実際、ランサーズなどを覗いてみるとよい。「こんな報酬で生活できるか」と怒りたくなるような案件がごろごろ転がっている。

 日本に限った話になるが、フリーランス(個人事業主)は国民健康保険と国民年金に加入する。国民年金の毎月の保険料はそれほど高くないものの、その反面、老後の年金額は非常に少ない。国民健康保険に関しては、今まで健康保険料が会社と個人で折半されていたものが全額個人負担になるため、保険料が非常に高くなる。しかも、国民健康保険は年金暮らしの高齢者や無職の人の割合が高く、さらに医療費もかさむことから、余計に高い保険料が課される。一方で、雇用保険が存在しない。そのため、万が一病気で仕事ができなくなっても、傷病手当金が給付されない。育児休業給付金も介護休業給付もない。個人事業主が廃業しても、失業手当はもらえない。このように、フリーランスを取り巻くセーフティーネットは非常に脆弱である。

 仮に、このようなセーフティーネットの問題が解消されたとしても、フリーランス頼みの経済や経営は非常に危険であると考える。まず、フリーランスは所詮個人であるから、大きな仕事ができない。現在、政府は働き方改革の一環としてフリーランスを増やそうとしているが、フリーランス中心の経済は、ちまちまとした仕事が集合したつまらないものになるだろう。

 たとえ企業がフリーランスをかき集めて大規模な仕事をするとしても、よほど契約をしっかり結んでおかない限り、プロジェクトの終了とともにフリーランスのノウハウは雲散霧消し、企業に蓄積されない。正社員中心の企業であれば、社員のノウハウは企業に属することになっているから、ノウハウがちゃんと残る。そのノウハウを活かして別の社員が仕事をし、ノウハウを膨らませる。さらに別の社員がそのノウハウを活用して仕事をし、ノウハウを発展させる。この繰り返しによって、強力なコア・コンピタンスが形成される。これが正社員中心企業の決定的な強みであり、社会的に意義のある大規模な仕事をやり遂げる競争力の源泉となる。

 私は、人間が1人では決して携わることができなかったような大型の仕事に加わるチャンスを与えられるという点でも、社員に対して十分な社会保障を与えられるという点でも、現代の会社という形態が最強だと思っている。つまり、会社は資本主義的にも社会主義的にも優れているのである。個人的には、フリーランス社会を歓迎することはできない。

 ④ティール組織は達成型組織と違って、定量的な目標を追っていないと書いた。だが、本書で紹介されているティール組織は皆、通常の組織よりも高い業績と成長率を達成しているという。私は、何だかんだ言っても、ティール組織は成長の幻想を未だに追いかけているのだと思う。以前、「上原春男『成長するものだけが生き残る』―日本企業は適度に多角化した方がよい」などと呑気な記事を書いてしまったが、現代の成熟社会においては、成長に代わる新しい発想が必要とされている。アメリカは日本と違って人口が増加しているからまだ成長が見込めると思われるかもしれない。だが、そのアメリカでも、GDP成長率は2018年で2.93%(予測)にとどまる(ちなみに、日本は1.21%)。成熟社会に適した新しい経営のあり方が必要である。

 経済が順調に成長を続けている時代においては、毎年新入社員を採用し、その数も年々増加させることができた。しかし、以前の記事「平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵」で書いたように、採用した社員から、転職した人や業績不振の人を除いた大半の社員を順調に上のポストに昇進させるには、業績を猛スピードで伸ばす必要があり、どうしても限界がある。企業の規模が大きくなればなるほど、その難易度は上がる。これまでは子会社を作ったり、関連会社に出向させたりして何とか雇用を維持できたものの、最近はその手も使えなくなっている。

 近年、成長という言葉に代わって持続可能な経営という言葉が使われるようになっている。この言葉には2つの意味があって、1つは自然環境に配慮し、自然と共存できる経営を目指すという意味である。もう1つは、これまでの高い成長を諦め、低成長で満足するという意味である。しかし、後者の場合、低成長を続けた結果、ある日突然人員過剰に耐えきれなくなり、大規模なリストラを行うという爆弾が隠されている。私は、そんな爆弾の爆発を将来に先延ばしにするくらいなら、いっそ最初から企業規模の縮小も視野に入れ、経済の成熟度合いに合わせた経営を行うことを社員に対して宣言しておいた方が親切であると思う。

 現在の雇用を守るために、新卒採用を抑制する企業も少なくない。だが、若年層の失業率が高いと社会が深刻な不安に見舞われることはヨーロッパ諸国が証明済みである。新卒採用は続ける。しかし、雇うことができる社員数には限りがある。となれば、後は中高年社員に退出してもらうしかない。以前から主張しているように、私は年功序列は支持するものの、終身雇用は支持していない。だから、今後は解雇権の条件緩和を議論する必要があると考える。

 今までは、成長が見込める事業機会を発見し、その機会を獲得するために最適な組織や人員配置を検討するという手順を踏んでいた。しかしこれは、その事業機会に手を出せば、大部分の既存社員を昇進させ、さらに新卒採用もできるほどに高い成長が期待できることが前提であった。ところが、その前提が崩れて以降、企業は事業機会の期待成長率だけしか見なくなった。そして、数年後に人員過剰が判明すると、慌ててリストラに走るのであった。ひどいコンサルティング会社になると、将来的に人員過剰になることに薄々気づいていながら、さもその事業機会に手を出せば業績が上向くかのように見せかけてまずは事業機会のみを提案しておき、いざ社員が過剰になったら今度はリストラを提案して、同じ顧客企業で2度儲けるというビジネスをしていた。事業会社もコンサルティング会社も、従来のやり方を改める時期に来ている。

 戦略立案に先立って、仮に既存社員の大半を昇進させ、さらにマネジャーやリーダーの数に見合うだけの新卒採用を行った場合の人員構成と人件費総額を明らかにしておかなければならない。その次に、外部環境アプローチでも内部環境アプローチでもよいのだが、成熟社会においてもなお成長が見込める事業機会を必死に探す。その事業機会の候補の中から、できるだけリストラを最小限に抑えることができる事業機会を選択する。

 従前の戦略プロセスでは、事業機会を選択し、結果的に余剰となった社員に対しては、ある日突然「ハイ、サヨナラ」と告げていた。だが、これからの戦略プロセスはもっと温かみのあるものにしなければならない。誰が余剰人員になるのかを慎重に見極めなければならない。特に中高年社員について、本人のキャリア志向、本人と組織の価値観の重なり具合、これまでの経験や知識・能力、過去の人事考課の結果、周囲の社員に与えている影響、周囲の社員から支持されている度合い、モチベーションの高さ、今後のポテンシャル、キャリアの予定などに関して、1人ずつ丁寧に評価する。その評価を踏まえて、どうしても自社から溢れてしまうと判断した社員に対しては、早い段階、できれば退職(解雇)の2~3年前にその可能性を伝える。

 社員には、その2~3年の間に次のキャリアをどうするのか考えてもらう。企業側は、社員の次のステージに向けた準備をバックアップする。異業種へ転職するというのであれば新しい能力の開発や知識の習得を支援し、起業するというのであれば資金の融通や経営ノウハウの提供を行い、Uターン・Iターン転職するというのであれば転居資金の手当てや転居に関わる諸々の手続きのサポートをする。ここまでが、新しい戦略のカバーする範囲である。

 (ちなみに、私はこれから40代のミドル世代の起業が急増すると予測している。ミドルが興した企業は、最初の数十年は順調に成長し、社員数を伸ばすだろう。だが、やがて既存企業と同じように成長が頭打ちを迎える。その際、昇進のポスト数が限られてくる60代ぐらいのシニア社員が退職〔解雇〕の対象となる。一昔前であれば、もうここでリタイアとなるところだが、最近のシニアは元気であるし、また医療費の抑制という社会的な要請もあって、まだまだ働き続けることになる。だから、長い目で見ると、シニア世代の起業も増える。働ける人は80代ぐらいまで働く。この辺りについては、前掲の記事「平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵」で書いた)

 本当は、雇用保険がこうした支援をしてくれればよいのだが、ハローワークの職業能力開発は硬直的であるし、ハローワークが起業支援をするにしても、ハローワークに事業の可能性を評価できる能力があると思えない上、お役所仕事的に大量の書類を要求するだけだろう。だから、こうした取り組みは企業自身が行った方がよい。当然のことながら、これらの取り組みには相応のコストがかかるから、新しい戦略を事業計画に落とし込む際には、そのコストも考慮した予測損益計算書、予測貸借対照表を作成しておかなければならない。企業が単独で対応することが難しければ、産業全体で雇用保険とは別の基金を作ってもよいと思う。

 人口減少によって国内の需要が減るのであれば、国内の供給も減る。過去の日本経済の栄光にすがって、いつまでも成長を追いかける必要はない。これからは、需要と供給の減少に合わせて、企業をダウンサイズすることも選択肢の1つに入ってくるだろう。ここで、国内の需要が減るならば、新たな成長源を求めて海外に進出するべきだという意見も聞かれる。だが、日本企業が海外で売上を獲得するということは、その分現地企業の売上を奪うことに等しい。その国のGDPは増えても、GNPは減ってしまう可能性がある。これは、新しい経済植民主義になりはしないかと私は心配している。現在、安倍政権は中小企業の海外進出を強力にプッシュしているけれども、日本企業がこぞって海外に進出するまでもないと思う。

 幸い、需要が減ると言っても、代わりとなる新しい産業や市場は生まれているし、供給が急激に減りすぎて困窮している産業もある。企業は、余剰社員と簡単に縁を切るのではなく、彼らがそのような産業へとスムーズに移行できるように支援することまでがその責任範囲となるだろう。ただし、退職(解雇)の2~3年前にその可能性を告げられた社員のモチベーションをどうやって保つか、退職(解雇)の妥当性をめぐる法的問題にどのように対処するか、彼らのモチベーション低下が周囲の社員に悪影響を与えないようにするにはどんな策を講ずればよいか、退職する社員が起業という道を選択した場合、今までとは全く能力やマインドセットが要求されることになるが、その習得を具体的にどう後押しするのか、といった問題が想定される。

 ⑤存在目的に向かて経営を行うティール組織は、価値観重視の経営を行っていると言える。価値観重視の経営については、以前の記事「チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー『隠れた人材価値』―「価値観重視」の経営は重要だが、ちょっと油断すると簡単に崩壊する」でも書いた。だが、肝心の価値観の具体的な中身については深掘りをしてこなかった。旧ブログで「なぜリーダーにはリーダー固有の「価値観」が必要なのか?」などといった記事を書いてきたが、私の怠慢でそれ以来ほとんど進歩が見られていない課題である。

 経営陣は何に関する価値観を重視し、それを「組織に練り込」めばよいのか?まず考えられるのは、顧客や製品・サービスのレベルに関する価値観である。「顧客はこういうニーズを持っているはずだ」、「顧客はこういう暮らし(BtoC)、事業(BtoB)を実現したいと思っているはずだ」、「我が社の製品・サービスはこういう価値を実現しなければならない」などといった価値観である。こうした価値観は、経営陣が実際に顧客に会って個別のニーズを拾い上げ、それをアブダクティブ・アプローチ(仮説的推論)によって一般化することで導かれる。

 しかし、顧客や製品・サービスに関する価値観は、時代や社会の変化に伴って変質する可能性が極めて高い。先ほど紹介した旧ブログの記事では、書籍に対する日本人とアメリカ人の認識の違いを述べた東京電機大出版局長の意見を引用したが、これとて決して固定的なものではない。いつ日本人とアメリカ人の認識がひっくり返るか解らない。また、今まで多くの企業は「安さ」、「早さ」を重視してきたものの、近年は環境意識の高まりや自然災害・企業不祥事の増加を受けて、「自然との調和」、「安全性」を重視する方向へと舵を切る企業も多い。よって、顧客や製品・サービスに関する価値観は、経営のベースとするには柔らかすぎる。

 次に考えられるのは、企業の成長や変化に関する価値観である。「我が社はスピーディーな成長を追求している」、「我が社は常に変革に挑戦しなければならない」といったものである。GEはジャック・ウェルチ時代に「スピード、スピード、スピード」というスローガンを掲げていたことがある。ところが、市場の成長が鈍化すると、この価値観は途端に無効になる。そもそも、こうした価値観は、④で述べたような成長への幻想にとらわれたものであるから、危険をはらんでいる。GEはとうの昔にウェルチのスローガンを捨て去った。現在のGEは、ジョン・フラナリー体制の下で、社員の創造力を重視する人間中心の価値観に転換している。

 事業環境の不確実性が高まると、変革への挑戦という価値観も多く見られるようになる(実は、事業環境の不確実性が高まっているという認識は、既に1970年代の新聞に掲載されていたことを私は確認している。よって、変革への挑戦という価値観も、その当時から存在したと推測する)。だが、価値観重視の経営の目的は、社員が人間としての叡智を結集した結果、自ずと変化に適応できるような強い組織を作ることであり、最初から変革を目的とした組織を作ることではない。目的と結果を混同してはならない。変革への挑戦という価値観は、明らかに変革それ自体が目的と化するリスクを帯びている。もはや笑い話だが、富士通が1990年代後半に、変革する組織への脱皮を目指して成果主義を導入した際、目標管理シートに「今季の目標は、○○部門の組織名を△△へと変えることです」と書いた社員がいたそうだ。

 私は、価値観重視の経営が重視すべき価値観とは、結局のところ働く社員に関する価値観なのではないかと考える。言い換えれば、人間の存在とは何かに関わる価値観である。これは、時代が変化しても簡単には変わらない。「人間は何を得ると安心するのか?逆に、人間を苦しみに追い込む状況とは何か?」、「人間は何を動機として生きているのか?」、「人間は仕事を通じて何を実現したがっているのか?」、「人間はどのような家庭生活を望んでいるのか?」、「人間は総合的にどのような人生を歩みたいと思っているのか?」、「人間は他の人間とどのような関係を構築したいのか?」 ここまでは人間の本源的な欲求に関する問いである。

 同時に、人間の社会性に関する問いも発しなければならない。「人間は社会に受け入れられるためには、どのように振る舞うべきか?」、「人間はどうすれば社会との絆を強められるのか?」、「人間は社会や共同体に対してどのような貢献をすべきか?」、「人間が『人間』、つまり和辻哲郎の言うように人と人との間に生きる社会的動物となるためには、いかなる道徳、規範、倫理に従う必要があるのか?」、「それらの道徳、規範、倫理はどのような社会的背景、人々の合意の下に成立したものなのか?」などといった問いである。これら両面の問いに答えることで、人間の存在に対する理解を深め、人間の欲求とその人間の集合体である組織の規律を調和させながら、組織が目指す成果を上げるためのマネジメントの原理原則を導く。

 これらの問いに答えることは、言わば人間学を極めるということである。現在の日本の経営者で最も人間学を極めているのは稲盛和夫氏だと思うのだが、人間学の極みに達すると、その価値観は非常にシンプルになる。これは、ブログ別館の記事「稲盛和夫『生き方―人間として一番大切なこと』―当たり前の道徳を実践することの重要性」を見るとよく解る。だがここで注意が必要なのは、皆が同じような価値観に到達してしまうと、結局それは普遍的価値となり、せっかくのティール組織も、私が前回の記事で恐れていたような全体主義的な経営論になってしまうということである。それを避けるには、価値観の解釈を多義化することである。そして、多義化された価値観を複数組み合わせることで、多様性を確保することである。

 先ほど挙げたどの問いも、その答えは1つに収斂するとは限らない。前掲の記事「チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー『隠れた人材価値』―「価値観重視」の経営は重要だが、ちょっと油断すると簡単に崩壊する」でも書いたように、基本的によほどのことがない限り、価値観に善悪はなく、ある価値観とは正反対の価値観が成立することがある。例として、X理論とY理論がある。X理論は、人間は本質的に怠け者なので、飴と鞭を駆使して強制的に働かせなければならないという価値観に立脚している。一方、Y理論は、人間は本来的に成長を志向する存在であり、適切に動機づけをすれば自律的に創意工夫を凝らして仕事を遂行することができるという価値観に立つ。X理論の信奉者は随分減ってしまったものの、途上国で人材の能力がまだ十分に開発されていないような環境では、未だに有効であると言われる。

 ある価値観を思いついた時、それとは正反対の価値観が成立しないか検討することには大きな意義がある。仮に正反対の価値観が発見された時、当初思いついた価値観とどちらが優れているかを慎重に検討する。あらゆる経営者がこのような知的作業を行えば、価値観の選択肢が増え、その組み合わせのパターンも広がり、価値観重視の経営が多様化する。

 人間学を学ぶには、経営者が実際の人間に会い、彼らから学習することが第一の方法である。しかし、経営者個人が会うことのできる人間の範囲には限界がある。そこで、人間学を学ぶ格好の材料となるのが歴史である。歴史には、その時代を生きた人々がどのような価値観に基づいて人生を送ったのかが膨大に記録されている。その記録を読み解き、どういう価値観は上手く機能し、どういう価値観は失敗へと至るのかを自分で考え抜く。歴史は、リアルネットワークの限界を突破する。経営者に歴史好きが多いのは決して偶然ではない。ただ、最近は過去を振り返りもせず、歴史の価値を軽視し、自分がどれだけ儲かったを自慢する世俗的で刹那的な人生に埋没している経営者が増えているような気がしてならない。
2018年09月21日

フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)


ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 著者によれば、組織は長い歴史を通じて、受動的、神秘的、衝動型、順応型、達成型、多元型、ティール(進化)型へと進化するという。現在、多くの組織は達成型の段階にいる。達成型では、まずは明確な戦略を策定し、売上高、利益、市場シェアなどの定量的目標を設定する。利益を確保するためのビジネスモデルと、戦略を実現するためのビジネスプロセスや組織、経営慣行を論理的に設計する。社員を飴と鞭の使い分けによって動機づけし、目標を達成することができたら、それに見合う業績給を与える。これが達成型の経営である。多元型については本書ではほとんど述べられていないが、要するに多様なステークホルダーの利害のバランスを取る経営のことである。そして、その後に待っているのがティール型である。

 本書を出版しているのが、C・オットー・シャーマー『U理論―過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』(2010年)やジョセフ・ジャウォースキー『源泉―知を創造するリーダーシップ』(2013年)などを取り扱っている英治出版であるため、『U理論』や『源泉』のように、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」(我々の目に見える世界の背後にある統一的な無意識の世界。我々が目にしている世界のことをボームは「顕前秩序」と呼ぶ)というコンセプトを下敷きとして、人々がダイアローグ(対話)によってつながり合えば、私とあなたという境界線は消滅し、無意識のレベルで1つになって自ずと変化が生まれるといった内容だったらどうしようかと思った(『源泉』に至っては、ダイアローグの相手はもはや人間でなくてもよく、動物であっても意識を昇華させることが可能だとされている)。

U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C・オットー・シャーマー 中土井僚

英治出版 2017-12-20

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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 人間には古代から「普遍」に対する憧れがあるらしく、統一的な価値を中心に、人間が皆平等で、個人が個人であると同時に全体に等しいような集合を志向するようである。啓蒙主義はその憧れの実現を一気に推し進める運動であった。だが、これは言い換えれば全体主義であり、その暴力性は歴史が証明してきたところである。だから、ピーター・ドラッカーは、特にジャン・ジャック・ルソーに代表されるフランス啓蒙主義に対して、キャリアの初期から批判的であった。私も、人間の理性が完全であるというのは決して叶わぬ夢であり、理性が限定されているからこそ自由で多様な思想が生まれると信じている。世界がその自由に寛容であることが真の保守的なリベラリズムであって(日本のガラパゴス化したリベラルは、「保守的なリベラリズム」などという言葉を理解できないであろう)、私はそれを支持したい。

 ティール組織は全体主義につながるような危険なマネジメント思想ではなかったので、私としてはひと安心した。ティール組織とは、簡単に言えば、大きな存在目的に向かってそれぞれのチームが自主経営を行う組織である。ティール組織は流動的なチームによって経営され、各チームに大幅な権限が与えられている。なお、ティール組織では、権限は経営陣から移譲されるものではなく、最初からチームが保有しているものだとされるため、権限委譲という言葉は使われない。ティール組織には、全社的な戦略も定量的な目標もない。

 まず、目の前にいる様々な顧客に対して何ができるかを全社員が考える。その顧客に提供可能な価値が全社的な存在目的と合致するならば、その顧客のために働く。それぞれの顧客が抱える課題が明らかになったら、その課題を解決するのにふさわしいチームが自発的に結成される。チームは成果と目標を掲げるが、定量面よりも定性面が重視される。「我々は顧客に対して、社会に対してどのような貢献をすべきか?」といった具合だ。チームは、顧客の課題解決に必要な経営資源を自力で調達する。社員はチームで採用し、育成・評価もする。原材料・機械などの購入権もチームにある。ITシステムの構築もチームが主導権を握る。原材料購入やシステム構築の予算は、チームが本社から獲得しなければならない(ティール組織では、現場の権限が大きい反面、本社の規模は非常に小さい)。それぞれのチームメンバーは、こうしたタスクを含め、マネジャーや他のメンバーの役割を積極的かつ大幅に引き受ける。

 チームだけで課題を解決することが困難な場合は、他のチームと調整することができる権利がある。タスクや経営資源の融通をめぐっては、チーム間のコミュニケーションを通じて自由に決定される。あるチームが他のチームに相談する権利を有する代わりに、他のチームから相談を持ちかけられた場合にはそれを断ってはならない。現場の問題は基本的に現場で解決するというのがティール組織の基本スタンスである。どうしても現場では問題が解決できない場合に限って、経営陣に対してその問題がエスカレーションされる。もちろん、チームは課題解決のパートナーを社外に求めてもよい。ただし、社外のパートナーとの契約上のやり取りやパートナー関係のマネジメントに関しては、そのチームが全責任を負うことになる。

 ここまで見ていくと、ティール組織とは、全社員が経営者となることを目指している組織であると言える。ドラッカーはかつて『経営者の条件』の中で、「時間をマネジメントする者はエグゼクティブ(経営者)である」と述べた。ティール組織の社員は、時間だけでなく、あらゆるタスクや資源をマネジメントしている、正真正銘の経営者である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは戦後のGMを研究する中で、「分権化」という概念を提唱したことでも知られる。ここからは私の勝手な解釈だが、アメリカはマズローの欲求5段階説で最上位の欲求に位置づけられる「自己実現」を目指す社会である。しかし、いくら自由と平等を標榜するアメリカでも、全員が自己実現をすることはできない。自己実現ができるのは、企業の経営陣ぐらいであろう。残りの人々は、自己実現を目指す経営陣に利用され、運がよければ4番目の承認欲求が得られるという状態であった。しかし、分権化を通じて経営の責任が各事業部のマネジャーに下りてきたことで、彼らもまた経営を手に収め、自己実現が可能になった。そして今、ティール組織によって全員が経営者となることで、全員が自己実現の機会を獲得したと考えられる。

 このように書くと、ティール組織はいいことづくめのように思える。しかし、本書は解を提示した書ではなく、問題提起をした書であると思うから、この本を手がかりにいくつかの問題を検討しなければならない。さしあたって私が考えついた問題を5つ列挙する。

 ①本書を読むと、ティール組織がある課題に直面した場合、その課題を解決するための諸々のチームが即座にでき上がって、連携しながら迅速に仕事を完遂するような印象を受ける。本書には明確に書かれていないが、これはおそらく複雑系の理論の影響を受けていると思われる。ブログ別館の記事「マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』―秩序と変化を両立させる複雑系」でも書いたように、複雑系においては、組織が環境からある変化を受けると、場を通じてその情報が組織内の連関要素に伝わる。ここで言う場とは、組織の価値観と言い換えてもよい。組織が価値観によって十分に充填されているほど、情報の伝達スピードは上がる。組織の諸要素は情報を好きなように解釈するため、カオスが生じる。だが、組織全体で見てみると、一定の秩序を保って変化している。これを自己組織化と呼ぶ。

 複雑系の理論は実験でも確認されていることであるし、ティール組織を日本も取り入れることができたら望ましいであろう。ただし、個人的には、本書に書かれているティール組織を日本企業がそのまま実装すると、かえって大変な問題を生むことが危惧される。ティール組織は、端的に言えば、全ての物事をインフォーマルなやり方で進めようとする組織である。ところが、日本人はこのインフォーマルというものに滅法弱い。フォーマルなやり方を軸として、それをインフォーマルなやり方で補うのが日本人の性に合っている。

 仮に、日本企業が今すぐティール組織を導入した場合、すぐに予想されるのは、仕事のやり方をその都度チーム内やチーム間のコミュニケーションを通じて決定することによって、業務の属人化がさらに進んでしまうことである。ただでさえ「重い」と言われる日本企業は、ティール組織でスピードが上がるどころか、むしろスピードが下がるに違いない。私は、良品計画のように立派なマニュアルを作るべきだとまでは思わないが、ティール組織においてもマニュアルというフォーマルな標準を上手に活用することが重要ではないかと考える。

無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい
松井 忠三

角川書店 2013-07-10

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 マニュアルは全てのケースを網羅する必要はない。近年多くの企業が採用しているペルソナマーケティングに関して言えば、代表的なペルソナを持つ顧客に対して製品・サービスを製造・販売するプロセスを標準プロセスとして規定すればよい。大切なのは、ペルソナから外れる個別の顧客に対する個別の対応プロセスを、誰がいつどのようにしてマニュアルに反映させるかを前もってはっきりさせておくことである。これを公式化しておかないと、マニュアルの改訂が属人化するという意味不明な事態になる(最近私が見た企業では、同じ業務に対してほぼ同時期に4種類のマニュアルが作成されており、マニュアルが意味をなしていなかった)。

 社会人類学者の中根千枝氏が分析した通り、日本はタテ社会である。ティール組織は、U理論のような完全にフラットな組織は志向していない。最小限の階層は認める。しかし私は、日本企業は階層構造を残すべきだと考える。多少コミュニケーションパスが長くなっても、タテのフォーマルなラインを保った方がよい。日本は儒教の影響を強く受けている。下の階層の者は上の階層の者を尊敬しなければならない。尊敬は社会の秩序を維持する上で大切な感情である。それを確認するには、尊敬がない社会を想定すればよい。尊敬がない社会では、誰もが自分の実力がNo.1だとアピールし、争いが絶えないだろう。とはいえ、下の者は上の者に唯々諾々と従うだけではない。『貞観政要』などが教えるように、上の者が誤っていれば、下の者は礼に従ってそれを正すことができる。いや、正さなければならない。上の者も下からの諫言を受け入れなければならない。こうした緊張感のある上下関係が、組織を適切に機能せしめる。

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
中根 千枝

講談社 1967-02-16

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 山本七平は、日本陸軍に所属していた頃のことを思い出して、ある時組織改編で階層が少なくなったところ、上の者による下の者へのリンチが多発するようになったと述べている(『一下級将校の見た帝国陸軍』〔文藝春秋、1987年〕)。また、近年様々な組織でパワハラが問題となっているが、これは組織のフラット化によってマネジャーが大きな権限を持った結果、権限と権力をはき違えたマネジャーが部下に対してハラスメントを働いている現象だと言える。日本の場合、タテのコミュニケーションパスを縮めると、あまりろくなことが起きないようである。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08-01

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 そもそも、ティール組織と日本企業とでは、コミュニケーションの目的が違う。ティール組織では、ほぼ完成された1つの経営体であるチームが自らの経営を「確定」するためにコミュニケーションが行われる。日本企業の場合は、伝統的に職務定義が曖昧で、社員が他の社員やマネジャーの仕事の一部を分担していることが多い。しかし、この点をもって、彼が完全なる経営者であるとまでは言えない。松下幸之助がよく諭していたように、経営者のように発想することは重要だが、一社員が単独で経営者として完成することは決してない。その日本人が経営者に少しでも近づくには、他の社員とのコミュニケーション、特により経営に近い立場にある上司との重層的なタテのコミュニケーションによって、経営的な意味合いへの理解を深める必要がある。つまり、日本組織では、一社員の経営を「補完」するためにコミュニケーションが行われる。

 日本企業の場合、このフォーマルなマニュアルとタテのコミュニケーションが価値観と相まって場を強化し、複雑系の理論に従った組織変化を加速させると考える。

 ②前述の通り、ティール組織の経営陣はほとんど権限を有していない。経営陣の役割は、存在目的を掲げること、ティール組織のインフラを整えること、そして、チームが現場でどうしても解決できない問題が生じたら、その解決に乗り出すことである。どんな製品・サービスを開発するのかも、それぞれのチームに委ねられている。

 ブログ別館の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」でも書いたように、市場が競争的変化のただ中にあり、現場発の創発的戦略が求められている場合はそれでもよいだろう。しかし、市場が構造的変化を迎えていて、包括的戦略が必要な場合には、やはり経営陣が動かなければならないのではないかと感じる。別の言い方をすれば、イノベーションに関しては経営陣が主導的役割を果たすべきだと思うのである。この点については、ブログ本館の記事「DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要」、ブログ別館の記事「ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない」でも書いたので、ここでは繰り返さない。

 (続く)

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