2013年09月01日
【ベンチャー失敗の教訓(第33回)】営業担当者任せにしすぎたプライシング
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印刷会社に勤めるP君は入社3年目の若手営業マンです。Q商事株式会社への長期にわたる営業活動の成果が実り、大型案件の受注が目前に迫っています。Q商事からは、会社案内10,000部を1部300円で製作してほしいと依頼を受けており、今日はその契約を締結するだけです。P君は以下のような見積書を作成しました。これは、X社が営業担当者向けに提供していた「交渉力強化研修」の中の演習問題を、私の記憶を頼りに再現したものである。この問題は、「安易な値引きに走ってはならない」ことを受講者に気づかせるのが狙いであった。
【御見積書(1)】単価:300円、部数:10,000部 <合計額>3,000,000円
その見積書を持ってQ商事へと出かける直前、先方から電話がかかってきて、こうお願いされました。「本社10,000部のつもりだったが、子会社の分も検討しているので、本社と子会社で10,000部ずつ、合計20,000部の見積も一緒に持ってきてほしい」 P君はすぐに新しい見積書を作成しました。
【御見積書(2)】単価:300円、部数:10,000部×2パターン <合計額>6,000,000円
2種類の見積書を抱えてP君がQ商事に向かったところ、決裁者であるR総務部長は次のように言いました。「先ほどの電話でお願いした通り、本社と子会社の分を合わせて20,000部発注したい。その代わり、1部240円にしてほしい。2倍の発注量なんだから、20%の値引きくらいはしていただきたい」 出かける直前まで300万円と思っていた案件が、この数時間で480万円の案件になったのです。舞い上がったP君は、「いいですよ。ありがとうございます!」と即答しました。
久しぶりの大型受注で喜んだP君は、会社に戻って上司であるR課長に報告しました。ところが、R課長は喜ぶどころか、頭を抱え込んでしまいました。R課長が頭を抱え込んだ理由を考えてみてください。
しかし、当のX社はというと、価格に関してかなりの裁量が営業担当者に与えられており、めいめいが好き勝手に値引きを行っていた。私がマーケティングを兼務するようになってから案件情報を調べたところ、研修1日あたりの標準価格が40万~50万円に設定されていたにもかかわらず、20万円~30万円の案件が次々と見つかった。値引き率は20%~60%にも上る計算だ。
以前の記事「【第21回】何年経ってもまともな管理会計の仕組みが整わない」でも述べたが、X社は1日50万円で研修を提供しても赤字になってしまう状況であった(この価格で足が出てしまうX社の高コスト体質にも問題があるわけだが)。それが20万円、30万円となると、赤字の額は計り知れない。営業利益率がわずか数パーセントしかない食品小売業では、10%の値引きでも勇気が必要である。その値引きによって、わずかな利益が吹き飛んでしまう危険性があるからだ。もちろん、食品小売業と研修サービス業を単純に比較するのは乱暴かもしれないが、営業担当者の一存で20%~60%の値引きが行われていたX社の現場はやはり異常である。
安易な値引きがダメな理由を、私なりに4つまとめてみた。第一に、現場が勝手に値引きを行うと、営業部門やマーケティング部門の行動目標が狂ってしまう。値引きをすれば、値引きをした分の売上をカバーして目標を達成するために、営業部門が新たな案件を見つけてこなければならない。そして、新たな案件を発掘するためには、マーケティング部門が人事担当者向けのセミナーを開催して、まとまった数のリード顧客を確保しなければならない。勝手な値引きが頻繁に発生すれば、営業計画やマーケティング計画も頻繁に修正を迫られ、社内が大混乱してしまう。
第二に、最初に安い価格で受注してしまうと、2回目以降もその価格になってしまい、後から値上げをすることが非常に困難になる。リピート案件が多い研修サービス事業では、長期にわたって安い価格のままで研修を提供し続けなければならないことを意味する。最初の安い価格がそのまま維持されるならまだマシな方で、初めに値下げをしてしまうと、顧客企業は「この研修会社は安く叩いても大丈夫な会社だ」と思い、リピート案件でさらなる値下げを要求するようになる。そうすると、不毛な価格交渉に営業工数が取られ、ますます損失が広がってしまう。
第三に、安い価格で研修を提供すれば、顧客企業内のシェア、すなわち人事部門の教育関連予算に占めるX社の研修価格の割合が下がる。シェアが低い研修会社は、顧客企業にとって「それほど重要ではない取引先」と認識される。すると、顧客企業内で別の研修ニーズが出てきても、X社には声がかからなくなるのである。顧客企業は、シェアが高い取引先、つまり自社にとって重要な取引先から順番に声をかけるものだ。事実、X社は顧客企業内に様々な研修を導入して顧客企業内のシェアを高めようとしていたが、最初に20万円や30万円で研修を導入してしまった企業からは、別の研修案件を受注することがほとんどできなかった。
そして最後に、安い価格で研修を提供することは、X社にとっても顧客企業にとっても、研修の品質に関して妥協してもよいという言い訳になる。X社の講師は、「安いお金しかいただいていないのだから、他の研修よりも多少手を抜こう」と考える。顧客企業も、「安い価格で研修をやってもらっているのだから、内容に多少不満があっても目をつぶろう」とする。その結果、X社はサービス品質を向上させるための学習機会を失う。
Z社のようなコンサルティング事業では、顧客企業に対して非常に高いフィーを要求するのが慣習となっている。ファームによって異なるが、一番ランクが下のコンサルタントでも1人月200万円ぐらい、マネジャークラスともなれば、1人月400万円~500万円となることもある。だが、このプライシングにはそれなりの意味がある。コンサルタントはフィーに見合った成果を出さなければならないと夜を徹して努力するし、顧客企業側も厳しい要求をつきつけやすくなる。コンサルタントと顧客企業の双方が、よい成果を出すという方向で足並みをそろえることができるのである。安い価格では、このような関係を結ぶことができない。
営業担当者によるいい加減なプライシングを問題視したA社長は、見積書を顧客企業に提示する前に、A社長の承認を取りつけなければならない、という社内ルールを策定した。ところが、このルールに従っていた営業担当者はたった1人だけであった。しかも、この営業担当者は、もともとほとんど値引きをしておらず、問題のない営業担当者であった。本当に統制すべき対象であった、安易な値引きに走っていた営業担当者たちは、このルールを完全に骨抜きにしていた。
(※注)>>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ
X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング