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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2013年03月10日

【ベンチャー失敗の教訓(第8回)】常識知らずで社員を唖然とさせる社長


 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ

 今回は、経営とは一見すると直接関係のない人間性に関わることだが、実は経営にとって大事だと思うことを書きたいと思う。X社のA社長とZ社のC社長は、時々非常識な行動を取ることがあり、社員を呆れさせた。その一部を紹介したい。

 まずA社長だが、クライアント先に向かう電車の中で堂々とネクタイを締めるクセがあった。電車の中で女性が化粧をするのはマナー違反だが、それと同じ理屈で言えば、男性が電車の中でネクタイを締めるのはマナー違反である。また、X社の社員は毎年仕事始めの日に、オフィスの近くにある神社に初詣に行くことになっていたのだが、A社長は神社での二礼二拍手一礼の作法を知らないのか、一礼してちょっと手を合わせるとすぐにお参りを終えてしまうのが常だった。

 C社長は、Z社の取締役が不注意によるケガで長期入院した際(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第6回)】リスク管理が甘い経営者」)、「お見舞いに何を持っていきましょうか?」と尋ねた秘書に対して、「鉢植えの花でも持っていけばいいんじゃない?」と真顔で答えていた。これは決して、「リスク管理が甘いお前はずっと病床で寝ていろ!」というC社長の皮肉ではなく、お見舞いに鉢植えはNGであることをC社長が知らなかったのである。

 ちなみに、A社長は40代半ば、C社長は50代であり、2人とも「いい大人」という言葉が似合いすぎるぐらい「いい大人」である。常識がないまま年を重ねると恐ろしいことになると教えてくれたよいサンプルであった。

 社長が常識知らずだと、経営に赤信号がともる。まず第一に、常識知らずを注意してくれる人が周りにいないということは、日常業務でも社長のミスや意思決定の誤りを指摘してくれる人がいないということであり、社長が裸の王様になっている可能性が高いからだ。社長の失策は、社長が知らないところで社員の失笑の対象となり、社長と社員の間に距離を作っていく。

 第二に、常識知らずは観察眼のなさの表れである。仮に常識知らずだとしても、常識は周囲の人を観察しながら学習することができる。A社長の神社での行動を取り上げると、A社長は自分よりも前に参拝する人たちを観察していれば、二礼二拍手一礼の手順が解るはずだ。また、最近ではたいていどの神社にも、二礼二拍手一礼の仕方を書いた紙が賽銭箱の近くに貼られているものであり、周囲をよく見ていればその紙に気づいてしかるべきである。

 観察眼のなさは様々な場面で障害となる。例えば、優れた営業担当者は、クライアントと話をしている時、その表情や仕草、語り口などを手掛かりに、その人が何を考えているのか?その人が本当にほしがっているものは何か?を探っていくものだ。しかし、観察眼のない人にはそれができない。また、優れたマネジャーは、部下たちの仕事のやり方を見ながらオペレーション上の問題を発見したり、部下たちの顔色や雰囲気を見てモチベーションの度合いを察したりすることができる。だが、観察眼のない人には、やはりそういうことができない。

 余談だが、昔「マネーの虎」というTV番組で、輸入車販売会社社長の南原竜樹氏と、ラーメンチェーン店「なんでんかんでん」社長の川原ひろし氏が、熊本県の位置を知っていることは常識かどうかをめぐって対立したことがあった。「知っている必要はない」と主張する南原氏に対し、「知っていて当然だ」と噛みつく川原氏。どちらも小売業を営んでおり、全国展開を視野に入れているならば、熊本県の位置はもちろんのこと、熊本県の主要都市やその人口も知っているべきだろう。

 何が常識なのかを明確にすることは難しい。一般的な常識もあれば、業界に固有の常識もある。ただ共通するのは、常識は誰かが体系的に教えてくれるわけではなく、自ら進んで学ぶしかない、ということだ。そのような主体的な学習能力は、人生をよりよく生きる上でも、企業を適切にマネジメントする上でも非常に重要だと思う。逆に、主体的な学習能力を欠く経営者は、知らないうちに赤っ恥をかきながら、事業を傾けてしまう。しかも困ったことに、学習能力のなさを自分で自覚していないため、失敗の原因が自分自身にあることを認識できないのである。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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2013年03月07日

【数学C】行列~京都大学らしい1次変換の入試問題


チャート式 解法と演習数学3+C 改訂版チャート式 解法と演習数学3+C 改訂版
チャート研究所

数研出版 2009-02-01

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 -π/2<α<π/2とする。座標平面上で原点の周りにπ/3回転する1次変換を f とし、直線 y=(tanα)x について対称移動する1次変換を g とする。合成変換 f◌g がx軸について対称移動する1次変換と一致するとき、αの値を求めよ。
 京都大学の入試問題。突然思い立って、去年から数学ⅢCの勉強を始めたのだが、京大の問題が解けるようになるとやっぱりテンションが上がる。といっても、黄チャートに載っている京大の問題は、行列のこの問題ぐらいしかないのだが・・・。

 1次変換 f を表す行列は簡単。1次変換 g を表す行列の求め方がこの問題のポイントになるわけだが、直線についての対称移動を表す1次変換の求め方の王道((1)移動前・移動後の2点を結ぶ線分の中点が直線上にある、(2)移動前・移動後の2点を結ぶ線分と直線が直交する)で計算してみると、やや面倒ではあるものの以下のようになる。

【数学C】行列・1次変換(京都大学入試問題)(1)

 ただし、この問題は、1次変換 g の図形的な意味をよく考えればもっと簡単に計算できることが、解答例を見て解った。直線 y=(tanα)xは、傾きαの直線である。ある点を直線 y=(tanα)x について対称移動させるのは、その点を(1)まず-α回転させる⇒(2)次に、x軸について対称移動させる⇒(3)最後にα回転させる、ということと同じである。よって、1次変換 g は以下のように求めることができる。

【数学C】行列・1次変換(京都大学入試問題)(2)

 個人的な感触だが、京大の入試問題には、頑張って計算すれば多少無理矢理でも解にたどり着けるが、別の方法を思いつくといとも簡単に解ける問題が多いように感じる(一方、東大の問題は、いい方法を思いつかないと手も足も出ない、という感じ)。この問題は、そんな京大らしさが表れている問題のように思えた。
カテゴリ: 数学 コメント( 0 )
2013年03月05日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―フレデリック・テイラー「科学的管理法」に対するドラッカー評


ドラッカー名著集3 現代の経営[下]ドラッカー名著集3 現代の経営[下]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは「人と仕事のマネジメント」を論じるにあたって、既存の人事管理論や人間関係論をコテンパンに批判しているが(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―既存の人材マネジメントに対するドラッカーの不満が爆発している」を参照)、一方ではフレデリック・テイラーの「科学的管理法」を絶賛している。
 事実上、科学的管理法は、人と仕事についての唯一の体系的な理念である。まったくのところ、それは、「フェデラリスト・ペーパーズ」以来西洋思想に対する最も強大にして不朽の貢献である。産業社会が存在し続けるかぎり、人の仕事は、体系的に研究し分析し、その最小単位を基礎として改善していくことができるという科学的管理法の洞察が見失われることはない。
 ただし、完全に「科学的管理法バンザイ」というわけでは決してない。ドラッカーは、科学的管理法には2つの盲点があったと指摘している。
 科学的管理法の第一の盲点は、仕事は、最も単純な要素動作に分解しなければならないがゆえに、それら個々の要素動作の連鎖として仕事を組織し、しかも可能なかぎり一人の人間が一つの要素動作を行うように組織する必要があるという考えだった。
 科学的管理法の第二の盲点は、「実行からの計画の分離」をその基本的な信条の一つとしていることにある。(中略)計画と実行が違うことを発見したことは、テイラーの最も価値ある洞察である。事前の計画が優れているほど仕事が容易になり、成果をあげるようになり、生産的になることを指摘したことは、ストップウォッチによる動作研究などよりも、アメリカの産業の興隆にはるかに大きな貢献となった。(中略)しかし、計画と実行の分離は、計画する者と実行する者とは別の人でなければならないということを意味はしない。
 この批判の意味するところを詳しく知りたいと思い、復刊された『科学的管理法』を読んでみた。

|新訳|科学的管理法|新訳|科学的管理法
フレデリック W.テイラー 有賀 裕子

ダイヤモンド社 2009-11-28

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 まえがきに、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』の編集長である岩崎卓也氏に対して、神戸大学大学院の加護野忠男教授が「最近、テイラーの『科学的管理法』を読み直したんだけれど、あれはよくできた人間観察の記録だね」と述べたエピソードが紹介されているのだが、確かにテイラーは、働く人のことをこれでもかというぐらいよく観察している。「銑鉄運び」や「シャベルすくい」という単純作業から「金属切削」といった複雑な作業まで、

 ・一連の作業を構成している要素作業は何か?
 ・要素作業をどのように標準化すればムダが省けるか?
 ・要素作業と道具をどのように組み合わせれば生産性が最も高まるか?

などといった問いに答えるため、工場の現場に張りついて何千回と実験を繰り返した様子が記録されている(テイラーは、こうした実験を通じて最適解を導く作業を、「科学を掘り下げる」と表現している)。金属切削の研究に至っては、26年もの時間を費やしているというから驚きだ。さらに、生産性と賃金の関係にも踏み込み、ノルマを達成した時にどのくらいの割増賃金を支払うと労働者にとって最も効果的なのか?といったことまで考察している。

 だが、ドラッカーが第一の盲点として指摘したように、テイラーは要素作業=一人の作業範囲ととらえていた節がある。テイラーが科学的管理法を導入した工場では、銑鉄運びの担当者にはひたすら銑鉄運びを、シャベルすくいの担当者にはひたすらシャベルすくいをさせている。容易に想像がつくように、これではさすがに社員も飽きるだろう。「人間は成長を求める生物である」という本質が軽視されているような気がする。それどころか、
 機械を用いた作業においては、ほぼ例外なくどの作業も「科学」の数々に支えられているが、その実作業に最も適した人間は教養あるいは知性が十分ではないため、同僚や上司の力添えがなければその科学を深く理解することはできないのだ。
などと随所で述べており、現場の社員を卑下するエリート主義が見え隠れしている。

 これに対してドラッカーは、人間の本質をとらえた上で、単に要素作業に分解して標準化するだけではなく、分解した要素作業を統合して、働く人にとって多様で挑戦的な仕事に組み立てる必要があるとした。もっとも、「テイラー自身は、仕事を統合する必要を理解していた可能性がある」とドラッカーがフォローしている場面があり、これはおそらく、テイラーが、
 働き手は、進歩し続ける科学の下、指導者からの指示を受けながら仕事をすると、知的レベルは変わらなくても、より高度で興味深い仕事をし、利益にもより大きく貢献できるようになる。

 それまでは土をシャベルですくってどこかへ運ぶ、部材や道具を工場内の別の場所へ移すといった単純な仕事しかできなかった者の多くが、機械作業の手ほどきを受け、快適な環境、機械工にふさわしい多彩な作業、高い賃金を与えられる。ボール盤ぐらいしか扱えなかった低賃金の機械工や助手は、より複雑で賃金も高い旋盤や平削り盤などの作業を与えられ、熟練工や目端の利く人材は部門別職長や指導者になる。
と述べた箇所を指していると思われる。しかし、テイラーのこの記述は、『科学的管理法』の最後の最後になってようやく出てくるものであり、知的水準の低い人が具体的にどうやって仕事の幅を広げていけばよいのか、その事例は残念ながら全く登場しない。

 ドラッカーが指摘する第二の盲点に関してだが、テイラーの科学的管理法の下では、作業手順に沿って命令を出す人と、その命令に従って作業をする人とが完全に分離される。命令を出す人は、時計と作業プランが書かれた紙を見ながら、「シャベルで土をすくえ」、「土を運べ」、「休め」(休憩のタイミングと時間も、生産性の最大化いう観点から科学的に最適化されており、作業プランに落とし込まれている)といった細かい命令を都度出していく。必然的にマネジメントの組織は分厚くなり、テイラーが科学的管理法を導入したベスレヘム・スチールという企業は、
 時間研究を通じて作業の科学を導き出す担当、熟練者で構成される指南・助言役チーム、必要な道具を揃えて手入れをする道具担当、事前に作業プランを立てて時間の無駄が最小限になるように人材を適宜配置して、各人の賃金実績をつぶさに記録する事務担当などで構成されていた。
という。しかしながら、命令に従って黙々と作業をするのでは、まるで機械のようである。人間には自ら考え、実行する力がある。そして、それこそが人間と機械を区別する能力の差である。だからドラッカーは、計画と実行を分離することに反対した。ベスレヘム・スチールの事例では、膨れ上がったマネジメント層の仕事を現場の社員が自分でできるようになれば、もっと生産性は上がるに違いない。ドラッカーが「経営管理者(エグゼクティブ)」という言葉で示したのは、計画から実行までを自らマネジメントする人材であった。

 ただ、『科学的管理法』を一通り読んで思ったのは、いろいろ問題はあるにせよ、『科学的管理法』は間違いなく現代経営学の出発点であり、マネジメントの仕事とは何かを明らかにした最初の本であるということだ。マネジメントの仕事とは、大きくまとめれば次の5つに集約される。

 (1)顧客価値を実現するための標準的な業務プロセス(=仕事の束)を定義すること。
 (2)業務プロセスに投入する経営資源(ヒト、モノ、カネ、情報、知識)を調達すること。
 (3)経営資源の質を上げ、生産性を高めること(特に人材育成が重要である)。
 (4)経営資源の中で、唯一動機づけが必要な人材に対して、効果的な動機づけを行うこと。
 (5)成果を常にモニタリングし、必要に応じて改善策を施すこと。

 『科学的管理法』には、この全ての仕事が書かれている。そして、テイラー自身も再三念を押しているように、ストップウォッチを使った時間研究などの手法は些末な話であり、科学的管理法で本当に重要なのは、その根底にある「マネジメントのエッセンス」なのである。

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