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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
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 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2012年12月18日

佐々木玲仁『結局、どうして面白いのか─「水曜どうでしょう」のしくみ』―「嬉野Dのカメラ=視聴者の目線」という構図

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結局、どうして面白いのか ──「水曜どうでしょう」のしくみ結局、どうして面白いのか ──「水曜どうでしょう」のしくみ
佐々木玲仁

フィルムアート社 2012-09-13

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 昨日の記事「佐々木玲仁『結局、どうして面白いのか─「水曜どうでしょう」のしくみ』―物語の二重構造」の続き。昨日は、「メタ物語」として展開される水曜どうでしょう固有の「型」が、「人生は偶然に左右されやいものであり、偶然はしばしばより好ましい状態を生む」という人生の法則に合致しており、それゆえに視聴者が共感しやすいと書いた。だが、視聴者が”何度も見たくなるほど”強く共感してしまうのはなぜだろうか?

 それはひとえに嬉野Dのカメラワークにあると私は思う。本書でも嬉野Dのカメラワークに関して考察が試みられているが、ここでは私論を述べてみたい。結論から言えば、嬉野Dのカメラワークには、あたかも視聴者がどうでしょう班と一緒に旅をしているかのような気持ちにさせる作用がある。

 水曜どうでしょうの撮影は、車の中で移動しながら行われることが非常に多い。この時、嬉野Dはどこに座っているかというと、助手席か運転席の斜め後ろのどちらかである。助手席は、車で言えば下座にあたる。また、複雑な道でミスターが地図を見ながらナビをする場合は、ミスターが助手席、嬉野Dが運転席の斜め後ろに座るのだが、運転席の斜め後ろも、どちらかというと地位が低い人が座る席である。

 ここで嬉野Dは、出演者の2人を撮ったり、外の景色を撮ったりと、かなり自由に撮影を行っている。藤村Dが嬉野Dのカメラワークに口出ししたことはないと本書にも書かれているから、嬉野Dが何を撮るかは完全に嬉野Dの裁量に委ねられている。そして、嬉野Dがあの座席で撮っているのは、「何となく旅について来てしまった人が見る風景」なのだ。

 「何となく旅について来てしまった人」だから、上座には座れない。下座にちょこんと座って、成り行きを見守る。他の3人の会話で重要そうなポイントが来れば3人の方を見るものの、それ以外の時は外の車窓の外に目をやり会話に耳を傾けている。そして、時々退屈になって寝てしまう(実際、嬉野Dが撮影中に居眠りをして、道がガバッと横になった映像になってしまったり[ヨーロッパ・リベンジ]、重たいデジカムを大泉さんにぶつけたり[四国八十八か所Ⅱ]したことがある)。

 車以外のシーンでの撮影はどうかというと、やはり嬉野Dは遠慮がちなポジションに立ってカメラを回している。マレーシアのジャングルや洞窟を探検する時も(「マレーシア ジャングル探検」、「ジャングル・リベンジ」)、東京で大泉さんが行きたいスポットを歩いて回る時も(「東京ウォーカー」)、嬉野Dはタレントの後ろについて行ってバックショットを撮っている。タレントを正面で受けることはあまりない。せいぜい横に並んで大泉さんの横顔のアップを押さえるぐらいである。

 こうした嬉野Dの一連の行動は、仮にどうでしょう班の旅に視聴者が同伴していたら、視聴者が取るであろう行動そのものなのである。2011年の「原付日本列島制覇」では、大泉さんに「彼(嬉野D)はもはや作り手でも何でもない。どうでしょうの旅に選ばれて参加した素人みたいなもの」と揶揄されているけれども、この発言こそ嬉野Dの立ち位置を最もよく表現している。

 嬉野Dのカメラワークは、視聴者にどうでしょう班の旅を仮想体験させる効果がある。さらに、ほどよい”手振れ加減”が、旅の臨場感を増幅させる(「原付日本列島制覇」では、嬉野Dがカメラを回さず、撮影がプロのスタッフに任せられた結果、嬉野D特有の手振れが減ってしまいちょっと残念だった)。よって、どうでしょうのメタ物語は、旅の記憶として視聴者の頭にインプットされる。そして、私たちが旅の思い出を写真で時々振り返りたくなるのと同じような感覚で、番組を何度も観てしまうのではないだろうか?
2012年12月17日

佐々木玲仁『結局、どうして面白いのか─「水曜どうでしょう」のしくみ』―物語の二重構造

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結局、どうして面白いのか ──「水曜どうでしょう」のしくみ結局、どうして面白いのか ──「水曜どうでしょう」のしくみ
佐々木玲仁

フィルムアート社 2012-09-13

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 北海道の人気ローカル番組「水曜どうでしょう」を、九州大学の臨床心理学者である佐々木玲仁准教授が分析するという、一風変わった試み。帯には藤村・嬉野両ディレクターに加え、何と評論家の内田樹氏がコメントを寄せている。内田氏も熱烈などうでしょうファンらしい。

 文章は平易で非常に読みやすいけれども、内容は何となく解ったかなぁ?という感じ。もっとも、著者自身も、この本でどうでしょうの仕組みが完全に明らかになったとは言っていないし、明らかにしようともしていない。あくまでも一つの見方であると断っている。

 音楽、映画、ドラマ、バラエティー、舞台、絵画などどんな作品でも、繰り返し観たり聴いたりできるものには、必ず何らかの「型」があると思う。例えば、世界には長年にわたり多くの人に受け継がれている英雄の物語が数多く存在するが、物語の展開パターンはだいたい決まっているとされる。ジョセフ・キャンベルの研究によると、英雄物語は、(1)旅に出て、(2)何事かを成し遂げ、(3)生還する、という3つのステップで構成されるという。

千の顔をもつ英雄〈上〉千の顔をもつ英雄〈上〉
ジョゼフ キャンベル Joseph Campbell

人文書院 2004-03

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千の顔をもつ英雄〈下〉千の顔をもつ英雄〈下〉
ジョゼフ キャンベル Joseph Campbell

人文書院 2004-03

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 そして、その型が人生や社会の構図をうまく切り取ったものであれば、鑑賞者の共感を呼び、「また観てみたい、聴いてみたい」と思わせる力を持つのだろう。先ほどの英雄物語で言えば、大抵の人は人生で一度ぐらい、何か大きなことをやり遂げたい、周囲が無謀だと言っても挑戦してみたい、という願望を持っている。その願望にうまくフィットする英雄物語は、多くのファンを集め、繰り返し読まれ、さらには後世にも語り継がれていくに違いない。

 英雄物語に比べれば、水曜どうでしょうは本当にバカバカしい(?)番組ではあるものの、ちゃんと一定の型を備えている。私なりにどうでしょうの型を整理すると、(1)ミスターか藤村Dが「ここに行きたい」と言い出す、(2)乗り気でない大泉さんを強引に旅に連れ出す、(3)企画段階では楽しいはずだと思っていた旅が、意外と過酷であることに気づく、(4)道中の偶然の出来事に振り回されて、4人の間で罵り合いが始まる、(5)最終的には、旅の本来の目的からかけ離れた、バカな方向へと向かって行く、という感じだ。どうでしょうの型は、「人生は偶然に左右されるものだし、偶然がより好ましい状態を生むこともある」という人生の法則に対応している。そして、予定調和があまりにも見事に崩れていくところが、視聴者を惹きつける大きな要因の1つと考えられる。

 ただ、英雄物語の場合は、物語の中に3段階からなる型が全面的に現れているのに対し、どうでしょうでは、典型的なバラエティーの「企画」の"裏に"(あるいは企画と混合して)、前述の型が存在するという特殊性を著者は指摘している。著者は裏で進行している物語を「メタ物語」と呼び、本来の企画=物語と、このメタ物語の二重構造こそがどうでしょうの仕組みであり、その複雑さゆえに面白さを説明しにくいのだと分析している。

 具体例を挙げると、番組史上、最高視聴率を叩き出した「ヨーロッパ・リベンジ」は、表向きは北欧4カ国をレンタカーで回り、パリをスタート地点としてフィンランドのヘルシンキにゴールする、という企画である。しかしその企画の裏では、どうでしょうの型に沿った別の物語が進行しているのである。すなわち、ミスターと藤村Dがあらかじめ用意していたメルヘン小ネタを凌駕する「ムンクさん」が登場して、即興でドラマ撮影が始まる、フィヨルドの美しい風景に退屈を覚えて、せっかくの海外旅行なのに全員が精神崩壊する、といった具合だ。

 より複雑な企画としては、「桜前線捕獲大作戦」が挙げられるであろう。これは、桜前線の最前線を見に行く、つまり北海道から順番に南下して、桜が咲き始める場所を特定するという、今のバラエティで言えば「鉄腕DASH」あたりがやりそうな企画である。しかし、道中でミスターが嫌いな甘いものを見つけては、ミスターに”生き地獄”を味わわせる方がメインになってしまう。一方、”加害者側”の大泉さんも、最初は前沢牛のサーロインステーキを食べて一人だけいい思いをしたのに、最後は平泉のわんこそば攻撃を受けて酷い目に遭う。こうなると、桜の話は完全にどこか脇へ追いやられてしまう。

 さらに、この「桜前線捕獲大作戦」からは、水曜どうでしょうのファンの人たちを対象に、当時のロケ地を回る2泊3日の東北バスツアーが企画されている(「東北2泊3日生き地獄ツアー」)。これは表の物語であって、裏ではどうでしょう班の4人がツアー客にドッキリをしかけるという物語が同時進行している。しかし、4人が企んだドッキリの内容とは全く無関係に、藤村Dが夜な夜な大泉さんの部屋に乱入し、「腹を割って話そう」と息巻くシーンばかりがOAされ、ミスターが体を張ってツアー客を驚かせようとしたシーンは全部カットされてしまう。

 本来の「桜前線の最前線を見に行く」という企画から第1の裏の物語(ミスター生き地獄&大泉さんわんこそば事件)が生まれ、そこから第2の裏の物語(ツアー客へのどっきり)が派生し、さらに止めを刺すように第3の裏の物語(「腹を割って話そう」事件)が展開されるという、非常に複雑な構造になっている。結果的に、「腹を割って話そう」事件で大泉さんが最後に言った「僕は一生どうでしょうします」という言葉のおかげで、本当に水曜どうでしょうは一生続く番組になってしまったのである(こういう形で番組の命運が決まったことも、第4の裏の物語と言えるかもしれない)。

《追記》
 ところで、DVD第18弾『ゴールデンスペシャル サイコロ6/onちゃんカレンダー/30時間テレビの裏側全部見せます!』の副音声を聴いていたら、ミスターがいいことを言っていた。自分は今までバイクに乗って猛スピードで走ってきた。だが、スピードを出せば出すほど、視界が狭くなって(※これは車やバイクを運転する人なら解るはず)、大事なものを見落としてしまう。だから、バイクから降りることにした。そうしたら、今まで見えていなかったものが見えるようになってきた、と。

 企業の経営でも同じなのだろう。あまりに猛スピードで成長しすぎると、足元の重要なものを見失う可能性がある。万が一、脇道から何かが飛び出してきて事故でも起こせば、一気に組織がダメになってしまう。しかも、速度が上がれば上がるほど、組織へのダメージは大きくなる。一点突破で突っ走っている時でも、経営者には常に冷静さを忘れない努力が求められそうだ。
2012年12月14日

カレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀』―事実の裏づけなき検証

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誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀
カレル・ヴァン・ウォルフレン 井上 実

角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-03-02

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 Amazonのレビューは高評価が多いみたいだけど、個人的にはうーんという感じ。

 Q.誰が何のために小沢氏を殺すのか?
 A.官僚組織が既得権益を守るために小沢氏を殺す。官僚組織にとっての既得権益とは、「日米同盟の下で安全保障をアメリカに丸投げし、自らは自国の経済発展(とそのおこぼれとしてもらえる利権)のみに集中すればよい」という、戦後から現在まで続く体制そのものである。政治主導を掲げて既得権益に踏み込もうとする小沢氏は反乱分子であるため、検察とタッグを組み、マスコミを利用して”人物破壊”を行っている。

 本書の内容をまとめればこのぐらいで収まる。ウォルフレンの著書は、昔読んだ『人間を幸福にしない日本というシステム』や『怒れ!日本の中流階級』などの方が切れ味が鋭かった気がする。思い出補正がかかっているのかなぁ?

人間を幸福にしない日本というシステム人間を幸福にしない日本というシステム
カレル・ヴァン ウォルフレン Karel Van Wolferen

毎日新聞社 1994-11-01

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怒れ!日本の中流階級怒れ!日本の中流階級
カレル ヴァン・ウォルフレン Karel Van Wolfren

毎日新聞社 1999-12-01

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 本書は、先日紹介した『約束の日 安倍晋三試論』ほどの細かい分析がなされておらず、前述の結論だけを最後まで強引に押し通した印象を受ける。日本に政治主導の政治が根づかず、官僚機構が非公式な権力を持つに至った歴史的背景も、またマスメディアがどのように小沢氏を攻撃したかについても、具体的な事実や新聞記事がほとんど取り上げられず、著者の主張だけがどんどん進んでいってしまう。

 意地悪な見方をすれば、確かに政治家主導によって官僚の仕事は多少減るかもしれないが、現代国家の構成要件の1つとも言える官僚機構そのものがなくなることは絶対にない。しかも小沢氏は、「官僚が経済だけに集中していてはダメだ。これからは軍事力の増強も考えなければならない」と主張しているわけであり、むしろ官僚の役割は増える可能性が高い。しかも、軍事産業という、これもまた利権が生まれやすいビジネスを、官僚にもたらしてくれるかもしれないのだ。その小沢氏を、官僚がみすみす殺そうとする意図が不明である。

 現在の内外の情勢を踏まえると、日本の政治のあるべき姿はこうである。そして、小沢氏の発想はまさにその方向性に合致しており、小沢氏の理想が実現されれば、官僚をはじめとする既得権益はこういう点で大きなダメージを受ける。したがって、官僚がマスコミ・検察を利用して小沢潰しにかかっている、という話の展開であれば、非常に納得感がある。ところが、一貫して官僚が悪い、マスコミが悪い、のオンパレードであり、最後の方は食傷気味になる。

 小沢氏はなぜ、普天間基地問題をめぐって日米関係が最も深刻な危機を迎えていた2009年末に訪中を行ったのか?小沢氏が賛同する「日米中正三角形論」を実現させる具体的な算段は、この時構想されていたのだろうか?

 あるいは、そもそもなぜ小沢氏が「右派と左派の玉石混合状態の政党」である民主党に身を置いたのか?民主党は先の衆院総選挙のマニフェストで、国民にたくさんのアメをちらつかせておきながら、政権交代が実現するや外国人参政権法案、人権救済法案など左寄りの法案を通そうとしていた。また、EUに倣った「東アジア共同体」構想では、政治的価値観や国家規模が近いヨーロッパ諸国と、体制や規模が全く異なるアジア諸国との違いを無視して、安易に「国家主権を共同体に委譲する」などと憲法草案に盛り込もうとした集団である。

 小沢氏は、こうした政党で活動をしながら、1993年の『日本改造計画』で掲げた「新しい保守主義」をどうやって実現させるつもりだったのだろうか?そこに実現可能性の高い戦略や戦術はあったのだろうか?そして、小沢氏の打ち手はどのようにして既得権益によって握りつぶされたのか?こういった論点に踏み込んだ内容ならば、もっと面白い本だっただろう。

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