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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2013年02月19日

相澤理『東大のディープな日本史』―権力の多重構造がシステムを安定化させる不思議(1)


歴史が面白くなる 東大のディープな日本史歴史が面白くなる 東大のディープな日本史
相澤 理

中経出版 2012-05-15

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 東京大学の日本史の問題は大問が4つ、全て論述である。しかも、単なる知識を問うことはなく、複数の時代にまたがる社会制度の変遷について問うものが多い。そして、なぜそのような変化が生じたのか?その変化の結果どうなったか?を尋ねてくる。かといって、教科書以外の知識を要求しているわけではない(それをやると学習指導要領を超えてしまい、悪問扱いされてしまう)。教科書にはちゃんと書いてあることばかりだ。しかし、ゴシック体になっておらず、さらりと文章で書いてあるところを出題者は突いてくる。それが東大日本史の特徴である。

 本書はそんなディープな東大日本史の魅力に迫るものだが、本書を読んで日本の歴史のある特徴に気がついた。それは、権力の多重構造が、かえってシステムの安定化に寄与しているという点である。通常、権力が多層化すると内部分裂してシステムが崩壊しそうなものだ。ところが、日本ではそれとは逆の現象がしばしば起きている。

(1)古代:律令国家
 律令制の下では、全国は畿内と七道の行政区に分けられ、さらにその下に国・郡・里が設けられた。国は朝廷が恣意的に設定した行政区画であり、天武天皇の時代に成立したと考えられている。その国の民政・裁判を司るのが国史であり、都から中下級貴族が派遣された(任期は6年、後に4年に短縮された)。

 一方、郡は地方豪族の勢力範囲に応じて設定された行政区画である。6世紀のヤマト政権の時代から、在地の首長層であった地方豪族は国造に任命され、地方官としての役割を果たしてきた。7世紀半ばの改新政府がこれを受け継ぐ形で評(こおり)を設置し、8世紀初めの大宝律令で郡に改められた。こうした経緯から、郡の民政・裁判を司る郡司に任命されたのは、在来の地方豪族であった。国司と異なり、終身制で世襲も認められた。郡司は戸籍・計帳の作成や笞罪の執行など、末端実務を行う権限を与えられた。

 ちなみに、日本が律令制を真似た中国では、秦代の郡県制が地方自治のベースとなっている。郡には守(知事)、丞(副知事)・尉(軍事・警察長官)・監(郡県官吏の監察)が、下位の県には県令・県正が中央から派遣され、各地方行政単位を皇帝の代官として統治した。郡守以下の各官吏はランクに応じて一律に国家から俸給を支給され、一定任期で配置替えとなり、ポストの世襲は許されなかった。現在の中国は、郡の上に省、県の下に郷が加わり4段階になっているが、地方政府がすべて国家機関であり国家公務員が配されるなど、郡県制の基本は貫かれている。つまり、完全な中央集権国家を貫いているわけだ(「東アジアの地方自治・試論」を参照)。

 これに対して、古代日本は、中央の権力と地方の権力をミックスさせた形を採った。朝廷は自らの権力を地方の隅々にまで一方的に押しつけるのではなく、むしろ各地で求心力を持つ地方豪族の力を利用しながら、律令国家の完成を目指したのである。

(2)平安時代:摂政
 摂政は、幼少の天皇などに代わって政務を執り行う者のことである。もとは聖徳太子など皇族が就くものであったが、866年に藤原良房が人臣として初めて摂政となった。以降、藤原北家は娘を皇后として立て、天皇の外戚(母方の親戚)になることでその地位を保持した。それは、私的な関係により天皇の政治権力を奪ったようにも見えるが、外祖父が政務を執りしきることで、幼少の天皇の即位を可能にし、皇位継承の安定に貢献したという面もあった。

 ところで、摂政というと、「摂関政治」という言葉でセットにされている関白が想起されるが、関白は天皇が成人した後に後見役として万機に「関(あずか)り白(もう)す」者のことである。884年に光孝天皇の即位に際して藤原基経(良房の養子)が事実上の関白になり、887年の宇多天皇の詔で初めて関白の語が使われた。

 しかし、重要なのは関白という地位ではなく、天皇と外戚関係にあるかどうかであった。事実、関白であった藤原実頼・頼忠は、天皇との外戚関係がなかったことから、朝廷の人々から軽視された。また、摂政も、実のところ地位的な重要性はさほどなかったようだ。摂関政治の代名詞とも言える藤原道長は、4人の娘を皇后としていながら、摂政を務めたのは晩年の1年間のみである。関白に至っては、「御堂関白」と呼ばれたにもかかわらず、その座に就いたことがない。

 (続く)
2013年02月17日

【ベンチャー失敗の教訓(第5回)】とにかく形から入ろうとする社長


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 コンサルタントというのは見栄を張りたい人種なのか、ややもすると形から入ろうとする傾向があるように思える。私がX社に入社してまず驚いたのは、A社長、B社長、C社長それぞれに秘書がついていることだった。私が入社した頃は、3社合わせても20人ちょっとしか社員がいなかった。そのうち3人が秘書というのだから、人数構成のいびつさがお解りいただけるであろう。

 しかも、秘書が必要になるほど各社長が多種多様な業務を抱えていていたわけでもなさそうだった。全社員のスケジュールはグループウェアで共有されており、一般社員でも社長のスケジュールを見ることができたのだが、どの社長もスケジュールがぎっしり詰まっている状態ではなかった。忙しくあちこちを訪問しているわけでもなく、社内に1人でいる時間も長かった。私も一応中小企業診断士の端くれなので、中小企業の話を聞く機会はそれなりにあるけれども、この程度の社員数で秘書がいる中小企業など1社も聞いたことがない。自分のスケジュール管理や細かい雑務も、社長自身がやっているケースが大半である。

 秘書も多ければ顧問も多かった。3社の社員数は一番多い時で50人を超えたが、顧問の数もその時が最大だった。何と6人もいたのである。ソニーの人事責任者やデザイン責任者、ミスミで事業再生を手がけていた人、DDIの創業に携わった人、ゴールドマン・サックスの投資部門にいた人など、そうそうたるメンバーであった。たまに3社合同の全社会議を行うと、大会議室の最前列が全員顧問で埋まるという、不思議な光景が見られた。卑近な比較かもしれないが、グループ全体で5万人の社員がいる東京電力の顧問数が2011年6月末時点で13人である。東電の100分の1の規模の企業グループが、東電の半分の顧問を抱えていたのである。

 6人の顧問は、主にC社長のコネによるものであった。しかし、豪華な顧問を揃えたところで、「【ベンチャー失敗の教訓(第4回)】何にでも手を出して、結局何もモノにできない社長」で述べたように、会社として何をやりたいのかが常にブレていたから、顧問にどんな助言や支援を求めればよいのかが一向に定まらない。顧問の人たちも非常にやりにくかったと思う。ある顧問は、オフィスに顔を出したもののやることがないためか、デイトレードにいそしんでいた。結局、顧問を有効活用することができず、コストばかりがかさむという理由で、次第に顧問の数は減らされていった。そのお金を、若手社員の採用や育成に使った方がよっぽど有益だったと思う。

 形から入る性癖が一番強かったのはC社長であり、それが如実に表れていたのがオフィスであった。コンサルティング会社は立派なオフィスを構えていなければならないとでも思い込んでいたのか、3社が悠々と入る100坪超のオフィスを都内の一等地に借りていた。私は転職活動をしている時にそのオフィスを見て、「立派なオフィスに入っているのだから、さぞ儲かっていることだろう」と思っていたのだが、甘かった。実際には、高すぎる家賃が利益を大きく圧迫していた。オフィスの坪単価は、何と六本木ヒルズの最上階に入っているゴールドマン・サックスのオフィスの坪単価(=約4万円とも言われる)よりも高かった。社員1人あたりの家賃は、1月あたり10万円を超えていた。ちなみに、中小企業の社員1人あたりの月額家賃平均は約2.3万円である(※)。

 実のところ、コンサルティング事業は、コンサルタントが自社のオフィスではなくクライアントのオフィスで仕事をすることが多いため、わざわざ広くて立派なオフィスを持つ必要はない。大手コンサルティングファームは確かにきれいなオフィスを構えているものの、社員全員が入れるほどのスペースはない。例えばアクセンチュアやアビームコンサルティングは、全社員数の10分の1が入ったらいっぱいになってしまうぐらいのスペースしかないと聞いている。

 X社のような教育研修事業も、大きなオフィスは不要である。A社長は、自社セミナーをみすぼらしいオフィスで開催すると参加者の顰蹙を買うという理由で、C社長が借りた広いオフィスを支持していたが、それならば外部のセミナールームを借りた方が安上がりだ。自社でセミナールームを持っても、セミナーがない時はただの空き部屋であり、その分家賃のムダが生じる。

 Y社のような人材紹介事業に限って言えば、有象無象の転職斡旋業者がはびこるこの業界で、オフィスを訪れる求職者に信頼感を持ってもらうために、見栄えのよいオフィスを用意しなければならないかもしれない。だが、その点を考慮しても都内の一等地に広々とオフィスを構える必要はない。Y社の社員数は10人にも満たなかったから、最低限の面談スペースがあれば十分にやりくりできたはずだ。

 最後にもう1つだけC社長のエピソードを。私が入社した年度は、3社とも赤字という散々な決算内容だった。年度末の全社会議の冒頭で、C社長は「今期はこのような結果になって申し訳ない。株主の皆様に深くお詫びします」と陳謝した。確かに、マネジャークラスの社員には会社の株式を持っている人もいたため、赤字によって株主価値が毀損されたことは事実である。だが、全社会議の場で、株式を持っていない社員が大半を占める中で言うべき発言だったのだろうか?赤字の原因を真摯に分析し、来期以降社員に何をしてほしいのかを訴えるべきではなかったか?私はこの発言を聞いた時、「C社長は、単に大企業の社長のように振る舞いたいだけなのだ」と感じた。言うまでもないが、形よりも中身を大事にした経営をしなければならない。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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(※)「会社ごと1人当たり月額、売上高及び営業費用の状況(数値データ編)」を参照。
2013年02月14日

『ビッグデータ競争元年(DHBR2013年2月号)』―逆説的に重視されるようになる「直観」


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2013年 02月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2013年 02月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2013-01-10

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 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2013年2月号の特集は、今注目のビッグデータ。私の勝手な思い込みかもしれないが、ビッグデータというと、とりあえずデータを何でもいいからコンピュータに突っ込んで、BI(Business Intelligence)ツールなどを使い、コンピュータの高い処理能力に任せてゴリゴリと分析を行うイメージがあった。しかし、今月号を読むと、ビッグデータを使いこなすには、逆説的だが人間の「直観」の力が重要になるような気がした。

 ビッグデータの活用に関しては、2つの段階で直観が重要になる。1つ目は「仮説を設定する段階」である。企業がビッグデータを活用するのは、「AならばBである(可能性が高い)」という因果関係を導くためである。「○○という天候の日には、売上が高くなる」、「社員は○○という職場状況に置かれると、高いパフォーマンスを発揮する」といった具合だ。これは単純な例だが、Aは通常、複数の変数を含む複雑な条件になる。例えば、「○○月のある日の最低気温が平年より○○度下がった場合、携帯クーポンのメイン商品を○○に変更し、クーポンの配信時間を○○分遅らせ、さらに○○というWebサイトにおけるバナー広告を組み合わせた方が、店舗におけるクーポン利用率が上がる」という、複雑な条件である。

 こうした複雑な条件を導くためにBIツールの力を借りて全テータに分析をかけるのもよいが、実は人間が直観を働かせて、「今まではあまり注目していなかったけれども、もしかしたら○○という要素と△△という要素の間に因果関係があるのではないか?」と推論して仮説を組み立てていくことが重要になる。編集工学を専門とする松岡正剛氏は次のように述べている。
 データ情報の解析が大きな価値を持つということは、そこから大いなる「意味の束」が引き出せて、その「意味の束」からいくつかの社会的あるいは市場的な「物語の可能性」が読み取れていくことでなければならない。それにはビッグデータを扱う以前に、いったい大量の情報の群から何を獲得し、どんな構想や行動の方針を確立したいのかという仮説があらかじめ先行しているべきである。言い換えればビッグデータには、そこからもたらされる意味を得るための仮説が先行して必要であるということだ。

 編集工学では、このように仮説を先行させることを「アブダクティブ・アプローチ」と呼んでいる。アブダクションは記号学者チャールズ・パースが提案したもので、演繹法でも帰納法でもない推論的思考のことをいう。別名、レトロダクションともいわれるように、アブダクティブ・アプローチによって情報編集するに当たっては、まずは仮説のための柔らかい構造を立てて、そこへいったん各種のデータや材料をイコン、インデックス、シンボルなどに分けて投入しておき、後に推論が最終段階に差しかかった時にこれらを再帰入させて推論編集を仕上げていくという方法を取る。
(松岡正剛「ビッグデータ時代の編集工学 情報は物語をほしがっている」)
 人間が仮説を立案し、それを実証するためにビッグデータを活用するという流れは、結局のところ科学の王道である。技術が進化したからと言って、王道がひっくり返るわけではないのだ。

  もう1つは「データを集約する段階」である。ビッグデータに関して注意が必要なのは、情報が多くなれば「情報価値」は大きくなるものの、「情報密度」は小さくなるという点である。統計数理研究所所長の樋口知之氏は次のように警告している。
 従来のように、たとえばサンプル数が100で、体重と身長のように検査項目が2つであれば、x軸とy軸という2次元で100個の点の散布図が描けます。その程度であれば、何らかの意味づけが簡単にできます。ところが、検査項目が10、すなわちデータの次元が10次元となるとどうでしょう。そもそも人間は3次元以上だとほとんど直感的なイメージが持てませんが、10次元のなかに100個の点があるということは、その空間は、一言で言うとスカスカなのです。

 もっと言えば、10次元の空間の自由度というのは、2次元の5倍(10÷2=5倍)の大きさかというと、そうではありません。実際は累乗的で、なんと1億倍(1010÷102=108倍)になるのです。(中略)現在のようなビッグデータの時代は、データの次元も自然に増えるので、データ量が多いほうが何かを正確に予測することが難しい、といった馬鹿げたことが起こります。
(樋口知之「統計学の第一人者が語る データ解析の神髄とは」)
 このような問題を避けるには、データの細分化ではなく、むしろ類似のデータを括ることで、空間のスカスカを減らすことが必要となる。そして、その括り方には、人間の直観が活かされるという。
 ある患者さん、ある消費者が、ある時点において、どのような行動を取るかを予想するためには、ある程度、これとこれは同じ条件のものとして扱いましょうなどと、自然な仮定や直観を投入することが突破口になります。

 たとえば、女性を1歳ずつ層別化にして全部データを取っていても細分化しすぎるから、5歳ずつに分けてざっくりとまとめてみましょう、ある変数とある変数は、これは似たような性質を示すから値をほぼ同一にしましょうと、足りない情報を補っていかなければなりません。私がいま言ったようなものは、主観に基づく一定の知識で、データのみの情報を補完しています。ベイズ統計ではこれを主観情報あるいは事前情報といいます。(同上)
 以前の記事「橋上秀樹戦略コーチの本まとめ読み―「巨人、日本一おめでとうございます」(棒)」では、野球にもビッグデータの波が訪れていることを書いた。野球では、状況別に的確な判断を次々に下していく必要があるが、その状況とは、ボールカウント、アウトカウント、ランナー、イニング、点差、攻守の組合せを踏まえると、

(1)ボールカウント・・・0-0から3-2までの12パターン
(2)アウトカウント・・・無死、1死、2死の3パターン
(3)ランナー・・・ランナーなし、1塁、2塁、3塁、1・2塁、1・3塁、2・3塁、満塁の8パターン
(4)イニング・・・1回から9回までの9パターン(ひとまず延長戦は除く)
(5)点差・・・同点、1点リード、2点リード、3点リード、1点ビハインド、2点ビハインド、3点ビハインドの7パターン(ひとまずそれ以上のリード、ビハインドは除く)
(6)攻守・・・攻撃と守備の2パターン

より、理論的には少なくとも「12×3×8×9×7×2=36,288パターン」以上が想定されることになる。ところが、この全てのパターンに当てはまるデータを収集しようとしても、両軍合わせて1試合あたり約300球、1年間で144試合だから43,200球という計算になり、データ空間はスカスカになってしまう。「全ての状況における傾向を見出すには、数十年分のデータが必要です」などと言おうものなら、ノムさんに一喝されるのは目に見えている。

 傾向を導くためには、データの括りをもっと大きくしなければならない。例えば、ある投手がピンチの場面でバッターを追い込むと、どの球種を選択する可能性が高いか?を分析するとしよう。この場合、その投手にとってのピンチの場面とは何か?を考える必要がある。同じ1点リードで2塁にランナーを背負ったケースであっても、ホームの試合で味方有利な場合には、味方の攻撃が少なくなる7回や8回になって初めてピンチと感じるかもしれない。対照的に、ロースコアの展開になりやすいナゴヤドームでビジターの試合をしている場合には、序盤から「同点にされたくない」との心理が働き、3回や4回でもピンチの時の投球をするかもしれない。それなら、両者を同じピンチの状況として扱うことで、サンプルデータの数を増やすことができる。

 また、バッターを追い込んだ場合の定義についても、例えばカウント1-2と2-2を同列に扱えば、データ空間を狭められる。どういう基準でデータを括るかは、その投手を現場で観察している選手やコーチの経験に頼ることになる。このようにデータ空間のスカスカを減らしていけば、データの傾向が見やすくなり、現場で使える因果関係を導くことが可能となる。

 ビッグデータは去年あたりからポンと出てきたキーワードであり、いわゆる「バズワード」で終わる可能性も否定できない。しかし、先日ローソンでCIOを務めた横溝陽一氏の講演を聞きに行った時、興味深い格言を教えてもらった。それは、「バズワードは忘れられた頃に有効になる」というものだ。横溝氏がローソンで力を入れていたのは、SCM(Supply Chain Management)の強化であったそうだ。SCMと言えば、アメリカでは90年代から存在するコンセプトであり、日本でも2000年代には有名になっていたと記憶している(何せ、当時就職活動をしていた私も、IT業界の旬のキーワードの1つとして覚えさせられたぐらいだ)。だが、横溝氏によれば、ローソンがSCMシステムを使いこなせるようになったのは、ようやく最近になってからだという。

 ビッグデータも、本領を発揮するのは10年後ぐらいなのかもしれない。それならば、今はビッグデータに着手しなくてもいいのではないか?競合他社に先行事例のコストを負担させて、自社は成功事例が蓄積された頃に取り組めばいいのではないか?という疑問を持つ方もいらっしゃるだろう。だが、ビッグデータは単なる技術ではなく、人間の直観のような、見えざる能力とセットになって初めて力を発揮する。そのような無形資産が組織に蓄積されるには、長い時間がかかる。その意味では、今からビッグデータに着手する意義は十分にあると言えるのではないだろうか?

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