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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

Experian海外企業信用調査 海外企業信用調査(Experian)
(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2012年12月03日

安倍晋三『美しい国へ』―この本を中学・高校の公民の授業で使ってほしい

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美しい国へ (文春新書)美しい国へ (文春新書)
安倍 晋三

文藝春秋 2006-07

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 自民党の安倍総裁が、2006年9月の首相就任直前に発表した本。あとがきで安倍氏が記しているように、
本書は、いわゆる政策提言のための本ではない。わたしが10代、20代の頃、どんなことを考えていたか、わたしの生まれたこの国に対してどんな感情を抱いていたか、そしていま、政治家としてどう行動すべきなのか、を正直につづったものだ。だから若い人たちに読んでほしいと思って書いた
ものであるためか、国家観、日米同盟、アジア諸国との関係、年金制度、教育改革について、割とオーソドックスな内容が並んでいるとの印象であった。

 そういう意味では、中学・高校の公民の授業でこの本を取り上げて、基礎的な政治知識を子どもたちに習得させるのに役立つのではないだろうか?安倍氏が再び総裁の座に就き、次の衆院総選挙を経て総理再登板となる可能性が高まった今、マスコミは相も変わらず「お腹イタイイタイで総理を辞めた人」というレッテルを貼って必死にネガキャンを展開しようとしている。そういうマスコミに毒されない、健全な政治的視野を持った子どもたちを教育現場で育ててほしい。

 少し話がそれるが、日本の教育現場では、(1)古典(特に『四書五経』)、(2)政治、(3)経済の3つが十分に教えられない。これは現代の日本人にとって悲劇であると思う。『論語』などの古典は、太古の昔から戦前まで長きにわたって日本人が読み続けた書物であり、日本人の伝統的精神の根幹を成している。また、政治と経済は、現在の社会がどのような仕組みで動いているのかを理解する上で必要不可欠な知識だ。(1)~(3)をセットで身につけた人材こそが、国内外の様々な情勢変化や圧力に対応しながら、日本人として望ましい社会のあり方を主体的・立体的にデザインし、その実現にコミットできるようになるはずである。しかし、残念なことに、現在の教育制度はそのような人材を輩出するように設計されていない。

 戦後のGHQは、アメリカにとって有利に動く日本人を育成するような教育制度へと改革した。アメリカは、日本を二度と軍国主義に向かわせず、一方でアジアにおける西側陣営の代表として、軍事力なしで中ソの共産主義に対抗しうる国力を蓄えさせようとした。解りやすく言えば、「軍事力とマクロ経済の仕組みはアメリカが政治主導で何とかする。だから、日本は頑張ってミクロ経済の面で成長してくれ」ということであった。こうした思惑の下で生まれたのが、とにかく他人の言うことをよく聞いて馬車馬のように働き、会社の成長に貢献する勤勉で均質な人間であった。

 伝統に対する認識を奪い取られ、社会に関するマクロ的洞察を磨く機会を失った人間は刹那的であり、第三者が好きなようにコントロールできる。その意味で、アメリカは(途中で日米貿易摩擦などの誤算はあったにせよ、)当初の目的を達成したと言える。しかし、アメリカにとってコントロールしやすいということは、他の国にとってもコントロールしやすいということである。事実、中国は国民に気づかれないように、親中派の政治家とマスコミを通じた対日工作を行っているし、韓国もK-POPで友好的な顔を見せながら、日本の歴史認識と領土を歪めようとしている(もちろん、良識ある日本人は、これら諸外国の陰謀に騙されない態度を身につけている)。こうした世界情勢の中を主体的に生き抜くために、古典、政治、経済の基礎知識を子どもの頃からしっかりと学習させて、本当の意味での考える力、実行する力を養成してほしいものだ。

 話を元に戻そう。タイトルにある「美しい国」とは、安倍氏にとってどんな国なのか?その答えは本書では必ずしも明確にされていない。むしろ、その答えは、安倍氏が首相に就任した直後の所信表明の中にある。所信表明の草案は、安倍氏のスタッフがこの本を徹底的に読み込んで準備したという。
 このような状況にあって、今後のあるべき日本の方向を、勇気をもって、国民に指し示すことこそ、一国のトップリーダーの果たすべき使命であると考えます。私が目指すこの国のかたちは、活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた、「美しい国、日本」であります。この「美しい国」の姿を、私は次のように考えます。
 一つ目は、文化、伝統、自然、歴史を大切にする国であります。
 二つ目は、自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国であります。
 三つ目は、未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国であります。
 四つ目は、世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国であります。
(引用は小川栄太郎著『約束の日 安倍晋三試論』による)
約束の日 安倍晋三試論約束の日 安倍晋三試論
小川 榮太郎

幻冬舎 2012-09-03

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 ただ、『美しい国へ』の最終ページに、「1回の失敗で人生の決まる単線的社会から、働き方、学び方、暮らし方が複線化された社会に変えていきたいと思う」とあり、これも「美しい国」の重要な要素の1つであろう。所信表明中の「活力と『チャンス』と優しさに満ちあふれ・・・」の部分とも対応する。日本は失敗に対して厳しく、再チャレンジを認めない社会と言われてきた。そんな中で、「潰瘍性大腸炎」という厚生労働省指定の難病を克服した安倍氏自身が再チャレンジに成功した時、つまり首相に返り咲いて民主党政権の失策をカバーして余りあるほどの成果を残した時、日本国民は安倍氏を賞賛し、再チャレンジが可能な社会へと傾き始めるのかもしれない。

 これは、特に40代~50代の中高年層にとって朗報であろう。かつて栄華を誇った大企業が次々と業績を悪化させ、聖域なきリストラに走っている。真っ先にそのターゲットとなるのがこの中高年層である。彼らは子どもを抱え、ローンを抱え、介護が必要な親も抱えている。リストラされた人たちは、一刻も早く次の職場を見つける必要があるのだが、残念ながら今の転職市場は彼らに対して最も冷たい。

 これは、企業組織のピラミッド構造に人口構造と重ね合わせるとどうしても中高年層があふれてしまう、他方で雇用を受け入れる新しい産業基盤がまだ整っていない、という構造的な問題であるから、一朝一夕に解決できる話ではない。だが、安倍氏の再チャレンジが中高年にとっての希望となるだけでも、少しは社会の前途が明るくなるのではないか?そしてもちろん、安倍”総理”には、この構造的問題を解決する経済政策や雇用対策を期待している。
2012年12月02日

小川榮太郎『約束の日 安倍晋三試論』―朝日新聞のネガキャンで潰された首相

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約束の日 安倍晋三試論約束の日 安倍晋三試論
小川 榮太郎

幻冬舎 2012-09-03
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 衆院総選挙を約2週間後に控えて、小川榮太郎著『約束の日 安倍晋三試論』を読んだ。安倍氏に対しては、5年前の総理辞職の際に不当な批判をしてしまったことについて、本当に申し訳なかったと言わなければならない。安倍氏は戦後生まれ初の首相として、「戦後レジームからの脱却」というテーマを掲げ、在任期間わずか約1年の間に、「教育基本法改正、防衛庁の省昇格、憲法改正の布石となる国民投票法の制定、天下りの規制を皮切りとする公務員制度改革など、過去半世紀の全ての首相が敬遠してきた国家の土台部分の難しい宿題を一挙に前進させたのである」(同書より)。

 教育基本法改正は日教組との、公務員制度改革は官僚との全面対決を要する。安倍氏はこれらの既得権益に対して真っ向から勝負を挑んだ。また、防衛庁の省昇格は、従来の日米同盟における「アメリカ=主、日本=従」という関係を見直し、日本がアジアにおける安全保障の責任を主体的に果たすことの意思表明である。さらに、憲法改正をめぐっては、改憲派と護憲派が、とりわけ第9条をめぐって神学的な論争を長年続けてきたが、肝心の改正手続きが整っていなかったところに、安倍氏が国民投票法によって憲法改正の現実的な道を開いたのである。

 これだけの実績を、たった1年で上げたことを私は見落としていた。そして、既存メディアをそう簡単に信じまいと心の中では思いながら、結局は安倍バッシングの報道に流されていた自分を恥じた。著者は、特に朝日新聞による常軌を逸した報道を断罪している。「安倍の葬式はうちで出す」。これが朝日のある幹部の言葉だという。つまり、どんな手段を使ってでも、安倍氏を総理の座から引き摺り下ろすことだけが目的だったわけだ。

 私は昔から、朝日と毎日だけはどうも好きになれない。論調が左寄りである点もさることながら、左寄りであるにもかかわらずあまり一貫性のある強い主張が展開されないように思えるためだ(言葉を濁さずに言えば、読者に対して知らず知らずのうちに親中派の意識を植えつけようとする思想工作的な報道にも嫌気が差している)。その点、産経は右寄りで主張もはっきりしているから、その論調に賛否両論はあるが、私は割と好きだ。メディアは中立であるべきだという議論があるけれども、中立という立場それ自体が1つの立場である。メディアである以上は何らかの立場に立って、しかるべき主張を発信するのが宿命だと考えている。

 だから、ポータルサイトのMSNのニュースが毎日から産経に切り替わった時は、喜んで飛びついたものだ。ところが、産経と同じくフジサンケイグループに属するフジテレビの某キャスターが、安倍氏のことを未だに「お腹イタイイタイ病で政権を放り投げた人」と揶揄したのは残念でならない。もっとも、安倍氏が自民党総裁に返り咲いた時に食べた高級カツカレーを批判して自爆した朝日に至っては、コメントのしようがないわけだが・・・(朝日新聞「安倍総裁、高級カツカレー食べ話題」→朝日社内のカツ無しカレーは3675円)。

 安倍氏は熱心なFacebookユーザーである(http://www.facebook.com/abeshinzo)。多忙な中濃密な情報を毎日発信しており、フィード購読者は今や10万人を超えている。日本の政治を諦めず、少しでもよくなってほしいと願う人には、是非フィードを購読してもらいたい。安倍氏の再登板の日は近づいている。

 それにしても、なぜ朝日新聞は安倍氏を敵視していたのか?安倍氏が「戦後レジームからの脱却」を掲げて、日教組や官僚・公務員といった既得権益と全面対決したことは前述の通りだが、新聞社は必ずしも直接的なターゲットではない。むしろ、民主党政権下で原口総務相が打ち出した「クロスオーナーシップの禁止」の方が、新聞社ならびにテレビ局にとっては死活問題である。そんな個人的な疑問に対して、池田信夫氏の次の分析を読んでなるほどと思った。
 私は、朝日が代表しているのは団塊の世代のサンクコストではないかという気がする。

 戦後すぐ教育を受けた朝日の幹部の世代にとって、平和憲法は絶対の善であり、社会主義は理想だった。日本は非武装中立から社会主義に向かって『進歩』することになっていた。しかしその後、彼らの嫌悪する資本主義がめざましい発展を実現する一方、社会主義は挫折し、冷戦の終了でその勝敗は明らかになった。

 民主党の首脳のような団塊の世代には、学生運動で人生を棒に振った人も少なくない。彼らにとっては、『戦後民主主義』を否定することは自分の人生に意味がなかったと認めることになる。
(池田信夫 blog part2「安倍晋三vs朝日新聞」)
2012年12月01日

I declare that I'm free to write WHATEVER I like.

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賢人は人生を教えてくれる賢人は人生を教えてくれる
渡部昇一

致知出版社 2012-07-10

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 どんな時間でも自分自身の必要のためにだけ用いる人、毎日毎日を最後の一日と決める人、このような人は明日を望むこともないし恐れることもない。
 例えば或る人が港を出るや否や激しい嵐に襲われて、あちらこちらへ押し流され、・・・風向きの変化によって、同じ海域をぐるぐる引き回されていたのであれば、それをもって長い航海をしたとは考えられないであろう。この人は長く航海したのではなく、長く翻弄されたのである。
 ブログ第2章の最初の記事を書くにあたって、渡部昇一著『賢人は人生を教えてくれる』より、ストア派の哲学者セネカの言葉を取り上げてみた。振り返れば、20代の頃の私はいろんなものに引っ掻き回されてきたと思う。いや、敢えて主体性を犠牲にするような生き方を自ら選択していたとも言える。そのために、思いがけずひどい目にあったことは数知れない。

 だが、そんな20代の生き方を多少は反省することはあっても、それほど後悔はしていない。20代というのはそんなものだと割り切っている。20代のうちに、あまり自分のアイデンティティをこれだと決めつけてしまう、すなわち「自分はこういうことが得意な人間だ」、「自分はこういう分野に身を捧げたい」ということを明確にしすぎると、視野が狭くなる。世界は私が思っているよりもずっと広く複雑で、しかも私に対して開かれている。20代の了見で主体的な自我を確立しようというのが、どだい無理な話なのである。20代とは、時流に身をゆだね、周囲から様々な仕事や役割を与えられて、上手く行って褒められたり、失敗して怒られたりしながら、私とは一体誰なのか?私はこの世界でどう生きるべきか?をおぼろげながらも徐々に明らかにしていく過程である。

 逆に、そういうものに気づき始めた30代こそ、自分の心の声に従い、アイデンティティをさらに強化するための仕事に対して、積極的に時間を投資するべきであろう。ならば、私はこれからもっと自由に生きてみたい。もっと自分のために時間を使ってみたい。そんな願いも込めて、ブログのタイトルを"free to write WHATEVER I like"(私が好きなことを自由に書く)とした。その先に何があるのかは解らない。20代と似たような挫折を味わうかもしれない。あるいは、私のアイデンティティが社会の要請と強く結びついて、人生の使命みたいなものが見つかるのかもしれない。もちろん、後者にたどり着くことを私自身も願っている。

 高校生の時、化学の先生が「穴を掘るには2通りのやり方がある」と言った。「1つは、掘るべき場所を端から順番に掘っていく方法、もう1つは適当にあちこちを掘っていく方法だ。最終的に穴が掘れればどちらでも構わない」 以前のブログは、前者の方法を採っていた。つまり、割と教科書的なやり方で、企業経営に関して網羅的に書き綴ったつもりである。曲がりなりにもこの方法で、それなりの穴は掘ることができたと思う。だが、このブログでは後者の方法を採ってみたい。だから、以前のブログでは書かなかった分野の内容もどんどんと書いていくつもりだ。どんな穴ができ上がるのかは予想もつかない。ひょっとしたら、前のブログと同じような穴しか掘れないかもしれない。しかし、江戸時代に福岡県志賀島の農民が、かの有名な「漢倭奴国王」の金印を掘り当てたように、偶然にも大発見をするかもしれない。その可能性に懸けてみたいと思う。

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《参考》旧ブログ『マネジメント・フロンティア~終わりなき旅』のお気に入り記事12本。

 (1)何かを諦めざるを得ない時こそ、大切な価値観に気づく(2009年8月31日)
 アクセス解析をしてみるとあまり読まれていないのだが、個人的には結構気に入っている記事。別の媒体に同じ記事を掲載する機会があって、その時は読者からそれなりに反応があった。私自身も、今年に入って「何かを諦めざるを得ない」状況を体験し、自分の本当の価値観とは何かを内省する時間をもらった。

 (2)自分の「強み」を活かすのか?「弱み」を克服するのか?(2010年3月8日)
 ドラッカーが常々口にしていた「強みを活かせ」の意味を考察した記事。かつて転職活動の時に、人材育成の重要性について、ドラッカーのこの言葉を引用しながら熱弁をふるっていたところ、面接官から「なぜ、強みを活かすことが大切なのか?」と聞かれて答えに窮してしまった苦い経験が基になっている。

 (3)「やりたいこと」と「得意なこと」のどちらを優先すればいいんだろう―『リーダーへの旅路』(2010年12月23日)
 日本語には、「好きこそものの上手なれ」と「下手の横好き(物好き)」という、矛盾する慣用句が存在する。我々は、「自分が好きなことを仕事にできたらどんなに幸せだろうか」と考えるものの、好きなことと得意なことが一致する人はほんの一握りである。個人的な経験からすると、好きなことと得意なことが異なる場合は、後者を仕事にした方がよい、というのが私の見解である。「下手の横好き」で周囲に迷惑をかけている人(そして、迷惑をかけていることに気づいていない人)を私はたくさん見てきた。

 (4)会社を退職しました(2011年6月30日)
 タイトルの通り、1年前に会社を辞めた時に書いた記事。ジェームズ・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』に触れつつ、中小企業やベンチャー企業において採用活動がいかに重要であるかを説いた。大企業であれば、1人や2人ぐらい不適切な人材を採用してしまっても、全体に対する割合で見れば数%にも満たないから、影響は軽微であろう。これに対して、中小企業では、間違った採用をしてしまうと取り返しがつかない。

 (5)プロフェッショナルの条件とは「辞めさせる仕組み」があること(2010年1月6日)
 プロフェッショナルとアマチュアの違いとして、金銭的報酬の有無が指摘されることがあるが、私はそれだけでは不十分だと思う。プロフェッショナルとは、一定の能力基準・行動規範を満たしていることを証明する職業であり、逆に言えば、能力が落ちている者や行動規範に反する者は、その仕組みによって淘汰されなければならない(プロ野球選手などは最も解りやすい例の1つだろう)。この意味において、現在の会社員はプロフェッショナルとは言えない。最近の人事部は、「自社の社員をプロフェッショナル化したい」と目論んでいるようだが、それを実現するのは教育研修ではなく、解雇要件が組み込まれた人事考課制度だと考えている(もちろん、労働法に抵触しないことが前提だが)。

 (6)【水曜どうでしょう論(3/6)】外部のパートナーを巻き込んで「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成する(2011年8月25日)
 (7)【水曜どうでしょう論(4/6)】素人さえも「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」に組み込んでしまう凄さ(2011年9月4日)
 7年間ブログを続けてきた中で、一番の収穫はこの「価値観連鎖(Values Chain)」という概念を得られたことかもしれない。しかも、経営学の書籍やビジネスの体験からではなく、私が好きな「水曜どうでしょう」というバラエティ番組が発端となっている。どうでしょうは偶然、運任せで成り立っているような番組だけれども、「価値観連鎖(Values Chain)」というコンセプトもまた偶然にして生まれたというのは、何とも因果な話である。

 (8)【ドラッカー書評(再)】『創造する経営者』―ドラッカーの「戦略」を紐解く(5)~イノベーションの7つの機会の原点(2012年5月1日)
 今年に入ってから始めた【ドラッカー書評(再)】シリーズの中で、今のところ一番のお気に入りがこの記事。20代の前半にドラッカーを読んだ時は、ドラッカーの主張を無批判的に受け入れていた。しかし、改めてドラッカーを読んでみると、ドラッカーの限界が見えてきた気がする。それは、ドラッカーのマネジメントは人間本位である(それゆえに、日本人受けしやすい)とされながら、実は人間の意志の力をあまり重視していないのではないか?ということだ。

 もちろん、ドラッカーは「変化は自ら作り出すものである」と述べて、人間の主体性を認めてはいる。だが、『すでに起こった未来』というタイトルの書籍があることからもうかがえるように、外部環境の変化の意味をいかに早く理解し実行に移すかに力点が置かれており、人間の意志に宿る主観的なビジョンを具現化することには消極的であるように感じる。【ドラッカー書評(再)】シリーズは新ブログでも継続するので、是非この点をもっと深く掘り下げてみたい。

 (9)個性を伸ばす前にやるべきことがある―『ゆとり教育が日本を滅ぼす』(2010年4月1日)
 (10)「ミスター文部省」寺脇氏の理想と現実のギャップが垣間見えた―『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(2010年5月11日) 
 教育関係の書評の中で、割とよく書けた(と私が勝手に思っている)もの。寺脇氏の教育改革の穴を突いた記事と、保守派によるゆとり教育批判を取り上げた記事。興味深いことに、「子どもたちが、解のない社会規範や道徳、規律などについて考える力を伸ばす」という教育目的の面では、双方の立場は一致している。ところが、寺脇氏は、考える力の習得時間を確保するために学習内容を削ったのに対し、保守派の人々は、何かを考えるためには大量の情報を暗記する訓練を積まなければならないと、詰め込み型教育を擁護する立場をとっている。

 (11)「対話」という言葉が持つソフトなイメージへのアンチテーゼ(2011年9月8日)
 これは賛否両論がありそうな記事。近年、企業内のコミュニケーション不全が問題視されることが多くなり、「対話(ダイアローグ)」という手法が注目を集めている。「ワールド・カフェ」のように、オープンな話し合いの場を作る取り組みもあちこちに広がっているようだ。しかし、激しい意見の応酬が行われる「議論(ディスカッション)」に対して、ややもすると「対話」は、ざっくばらんに話すというソフトなイメージが定着しているように思える。「議論」の対極として「対話」を定義するならば、実は「対話」こそが本質的には暴力的なのではないか?という問題提起をした記事である。

 (12)「危ない中国製『割り箸』」より危ないのは日本人の思考か?(2007年8月24日)
 これも賛否両論がありそうな記事。しかも、これまでの11本に比べて昔の記事であり、文章にかなり拙さが表れている(恥)。サプライチェーンが長くなると、1次取引先、2次取引先ぐらいまでは本社・工場の目が行き届いても、それより先はブラックボックスになりやすい。東日本大震災で自動車メーカーのサプライチェーンが遮断された時、系列関係によって末端まで取引先を把握していると思われた自動車メーカーでさえ、実は2次下請ぐらいまでしかコントロールできておらず、末端部品の1つであるLSIがほとんどルネサスに集約されていることを初めて知ったぐらいである。

 国内におけるサプライチェーンですらこういう状況であるから、グローバル規模のサプライチェーンともなれば、事態が複雑になるのは自明である。そのサプライチェーンに、毒入り割り箸を作る中国メーカーのような問題児がいないかどうかをどのようにチェックすればよいか?また、そういうプレイヤーがいた場合にどういう対処法を取るべきか?今後、こうした問題が提起されることだろう。
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