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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2013年02月03日

【ベンチャー失敗の教訓(第3回)】製品開発・生産をしない社長


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 前回の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第2回)】営業活動をしない社長」では、中小企業やベンチャー企業の社長は、営業または製品開発・生産のいずれかを主導しなければならないと書いた。その上で、X社のA社長とZ社のC社長は、営業と製品開発・生産のどちらに軸足を置こうとしているのかが不明確であったことを指摘した。営業活動が中途半端であるから、必然的に製品開発・生産も中途半端になる。

 X社・Z社ともに製造業ではないから、ここで言う製品開発・生産とは、一般的な意味での製品開発・生産とはやや異なる点をお断りしておきたい。ここでの製品開発・生産とは、X社の研修サービスの場合、研修コンテンツ(テキストや演習題材)を作り込むことや、集合研修の講師を務めることを指す。また、X社やZ社のコンサルティングサービスの場合、プロジェクトメンバーの1人としてクライアントとのコミュニケーションや成果物(レポート)作成に関与することを意味する。

 A社長は、研修テキストを開発する時、必ずと言っていいほど研修の導入部分しか作成しなかった。やや業界固有の話になって恐縮だが、研修の導入部分はたいていは一般的な知識であり、その辺で売られている書籍の内容とほとんど差がない。研修が書籍とは異なる価値を持つのは演習の部分であり、ここでいかに受講者に有益な気づきを与えられるかが、研修の成否を握る。そして、この演習の構成の巧拙は、そのままサービスの競争力に直結する。

 ところが、サービスの核となる演習部分については、A社長はほとんどタッチしなかった。書籍の情報をかき集めれば作れるような導入部分だけを作って、競合との差別化要因となるはずの演習は部下に丸投げ状態であった。本来であれば、導入部分こそ部下、しかも若手の部下に任せるべき領域であり、社長がコアとなる演習の開発を主導すべきであろう。そうでなければ、社長が製品づくりをしているとは到底言えない。

 A社長は、会社のHP上では研修講師として名を連ねているものの、実際に講師を務めることも少なかった。私はX社の各講師の稼働日数を把握していたが、A社長が講師として稼働した日数は、私の5年半の在籍期間で10数日に満たなかったと記憶している。ひどい時は、A社長がたった1日(!)しか講師をしていない年もあった。ある時、X社と同規模で同じような研修サービスを提供している競合他社の社長の話を伺える機会があったのだが、その社長は年間100日、講師として受講者の前に立っているとのことだった。A社長との差は歴然であった。

 コンサルティングプロジェクトでのA社長はどうだったかと言うと、前職のコンサルティングファームで出世できたことを疑いたくなるようなことが多々あった。ある下請案件で、A社長が元請会社のプロジェクトチームの一員としてアサインされた時、A社長はクライアントとのディスカッションに何度出席しても全く発言せず、元請会社から「高いフィーを払っているんだから、もっと仕事をしてくれないと困る」と怒られたことがあった。

 また、A社長、私、シニアマネジャーの3人で別のコンサルティングプロジェクトを受注した時は、契約書に3人の名前を記載して3人分のフィーをいただいていたにもかかわらず、クライアントの定例会議に数回出席すると、「この程度の会議なら、私は参加しなくてもいいよね?」と言って、それ以降会議に参加しなくなった。もっとも、A社長をクライアント先に連れて行くと、私とシニアマネジャーの日々の苦労をよそに、「あー、眠い」とあくびをしながら会議の始まりを待っているようなありさまだったので、私もA社長を積極的に引っ張り出そうという気が失せてしまった。

20130125_MICGパワーポイントテンプレート Z社のC社長も、自分では成果物が全く作れない人だった。いくつか書きたいことはあるが、C社長が本当にコンサルタントとしてキャリアを踏んできたのか疑いたくなったエピソードを1つだけ紹介したい。ある時、C社長はX社、Y社、Z社のコーポレートイメージを統一するために、外部のデザイン会社に会社のロゴやパワーポイントのテンプレートのデザインを独断で依頼したことがあった。その時にでき上がったテンプレートが、このように左端に赤いリボンが配置されたものであった。

 このテンプレートは、はっきり言ってコンサルティングの現場では使い物にならない。左端のリボンが邪魔で、左端まで広くスライドを使うことができないのだ。私はマッキンゼーやボストンコンサルティンググループ、アクセンチュア、アビームコンサルティングのパワーポイント資料を見たことがあるが、こんな風にデッドスペースがあるテンプレートを使っている企業など1社もなかった。

 当然、X社やZ社の現場でも非難轟々であり、このテンプレートは一度もクライアントに提出されることなくお蔵入りとなった。外部のデザイン会社に支払った数百万円は、丸々ムダになってしまった。この一件は、C社長がいかにコンサルティングの現場に関して無知であるかが露呈した出来事であった。百歩譲ってC社長が現場のことを知らなかったとしても、C社長が現場の人間に「このテンプレート案でどうか?」と一言聞いてくれれば防げるボーンヘッドであった。

 A社長、C社長ともに、営業もしなければ製品開発・生産もしないとなれば、果たして普段どんな仕事をしていたのだろうか?この点は、5年半在籍しても結局最後までよく解らなかった。私が知る限り、C社長は個人的に顧問を務める大学の仕事を手伝ったり、特定の政治家を支援する活動をしたりしているようだった(その政治家を囲む勉強会が、Z社のオフィスで開催されたこともあった)。もちろん、Z社のコンサルティングは、産学連携を必要とするものでもなく、何かしらロビー活動をしなければならないものでもなかった。A社長に至っては、ある時経理担当者が資金繰りのことでA社長に相談に行ったところ、A社長が前職のコンサルティングファームで儲けたお金を使ってデイトレードをし、X社の資金を捻出しようとしていたというのだから、笑うに笑えない。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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2013年01月31日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業


ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは、『経営者の条件』で示したような「経営管理者(エグゼクティブ)」、つまり、自らが上げるべき成果を規定し、自らの強みに集中し、適切な優先順位づけと意思決定を行い、諸活動に十分な時間を割り当てて仕事を行う知識労働者が増えれば、彼らの上に立つ管理職の数はおのずと減らせると考えている。以下、やや長くなるが、ドラッカーが伝統的な経営学における「管理の限界(スパン・オブ・コントロール)」について喝破している部分を引用する。
 経営管理者の仕事の大きさについては、経営書は、1人の人間が管理できる部下の数はごくわずかであるという「管理の限界(スパン・オブ・コントロール)」からスタートする。その結果、階層の上に階層を重ねた不恰好なマネジメントを生み出している。協力関係やコミュニケーションを阻害し、明日の経営管理者の育成を困難にし、そもそもマネジメントの仕事の意味さえ腐食させている。

 しかし、経営管理者の仕事が客観的なニーズによって規定され、業績によって評価されるのであれば、部下に指示し報告させるという管理業務の必要はなくなる。「管理の限界」の問題もなくなる。理論的には、何人でも直属の部下をもつことができることになる。

 もし限界があるとすれば、「マネジメントの責任範囲(スパン・オブ・マネジリアル・リスポンシビリティ)」(確かGEのH・H・レイス博士の命名)だけとなる。仕事の目標を達成できるように助け、教えることのできる部下の数に限界があるだけのことになる。

 確かにそのような意味での限界はある。しかし、それは固定したものではない。マネジメントの「管理の限界」はせいぜい6人から8人とされている。これに対し「マネジメントの責任範囲」は、助けたり教えたりする必要のある部下の数によって決まる。(中略)したがって、「マネジメントの責任範囲」は、「管理の範囲」よりも大きい(レイス博士は100人と見ていた)。
 かつて、ミドルマネジャーの人員増・階層増が組織の動きを鈍くしているという理由で、組織のフラット化を目指す動きが広まったことがあった。まずアメリカで、1990年代前半にマイケル・ハマーの「リエンジニアリング」が人気を集めると、企業はこぞって組織の階層を減らし、多数のミドルマネジャーを追放した。株主から利益を増やせと厳しいプレッシャーを受けており、リストラで手っ取り早くコストを削り利益をかさ増ししようと画策していた当時のアメリカ企業の経営陣にとって、リエンジニアリングはリストラを正当化する強力なツールであった。そのリエンジニアリングが21世紀になって日本に入ってくると、日本でも同様に組織のフラット化がキーワードになった。

 日本ではその結果どうなったか?厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を使って、1979年以降のミドルマネジャー(部長+課長)の数とその割合の推移を求めてみた(※1)。

(1)企業規模100人以上
管理職比率の推移(企業規模100人以上)

(2)企業規模1,000人以上
管理職比率の推移(企業規模1000人以上)

 興味深いことに、日本企業はフラット化するどころか、むしろミドルマネジャーの割合が増えている、という結果になった。企業規模100人以上、1,000人以上いずれを見ても、1979年からの30年で、ミドルマネジャーの割合はほぼ倍増している。仮に企業の成長に伴って組織の規模が大きくなり、ミドルマネジャーの数が増えたとしても、組織の階層構造が変わらず、かつミドルマネジャー1人あたりの部下の数が同じであれば、ミドルマネジャーの割合は変わらないはずだ。よって、日本企業では、ミドルマネジャー1人あたりの部下の数が減少しているか、またはミドルマネジャーの多層化が進んでいる(例えば、部長クラスが部長、統括部長、事業部長のよう多層化する)か、あるいはその両方であると推測できる(※2)。

 ドラッカーは、ミドルマネジャーの仕事をどのように定義するべきだと考えているのだろうか?
 経営管理者の仕事は、可能なかぎり範囲の大きなものとし、可能なかぎり権限の大きなものにする必要がある。すなわち、意思決定は、可能なかぎり下の階層、可能なかぎりその意思決定が実行される現場に近いところで行う必要がある。(中略)

 経営管理者の仕事は下から組み立てられる。第一線の活動、すなわち製品やサービスという産出物にかかわる仕事、顧客への販売、設計図の製作についての具体的な仕事から始まる。

 最も基本的なマネジメントの仕事を行うのは、第一線の現場管理者である。つまるところ、彼らの仕事ぶりがすべてを決定する。このように見るならば、上位の経営管理者の仕事は、すべて派生的であり、第一線の現場管理者の仕事を助けるものであることにすぎないことになる。
 引用文の「経営管理者」を現場社員、「第一線の現場管理者」を課長、「上位の経営管理者」を部長に置き換えると、ドラッカーの組織設計が理解しやすくなると思う。つまり、まずは企業が顧客に対して価値を提供する一連の業務プロセスを定義する。次に、その業務プロセスのうち、現場社員=経営管理者(エグゼクティブ)=知識労働者が担うべき範囲を(広めに)設定する。その上で、彼らにできないことを課長が行い、さらに課長にはできないことを部長が行う、という手順で階層とその職域・権限を設計するのが理想である、というわけだ。

 翻って、先ほどグラフで示したように、日本企業のミドルマネジャー層が増大化している現実を見ると、組織設計が本当に適切なものとなっているかどうかを問う必要がある。現場でできることにミドルマネジャーが首を突っ込んでいる、あるいは不要な管理業務のためにミドルマネジャーを増やしている、または年功序列的な昇進制度のせいで必要以上の人員をミドルマネジャーに昇進させているとしたら、それは問題である。

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(※1)「賃金構造基本統計調査」における「部長」、「課長」の定義は以下の通りである(詳細は各年度の「調査の説明」にある「役職及び職種解説」を参照を参照)。

<部長>
○(含まれる職階)
 本社(店)、支社(店)、工場、営業所などの事業所における総務、人事、営業、製造、技術、検査等の各部(局)長
×(含まれない職階)
 部(局)長を兼ねない取締役、部(局)長代理、同補佐、部(局)次長
仕事の概要
 いわゆる部(局)長で、経営管理活動を行う営業、人事、会計、生産、研究、分析等の事務的、技術的な組織を統制、調整、監督し、所轄部門を運営する業務に従事する者及びこれらと同程度の責任と重要度をもつ職務に従事する者をいう。
説明事項
 1)「部長」とは、事業所で通常「部長」又は「局長」と呼ばれている者であって、その組織が2課以上からなり、又は、その構成員が20人以上(部(局)長を含む。)のものの長をいう。
 2) 同一事業所において、部長のほかに、呼称、構成員に関係なく、その職務の内容及び責任の
程度が「部長」に相当する者がいる場合には、これらの者は、「部長」に含む。ただし、通常「部長代理」、「課長」、「係長」等と呼ばれている者は、「部長」としない。
3) 取締役、理事等であっても、一定の仕事に従事し、一般の職員と同じような給与を受けている者であって、かつ、部(局)長を兼ねている場合には、「部長」に含め、部(局)長を兼ねていない場合には「部長」としない。

<課長>
○(含まれる職階)
 本社(店)、支社(店)、工場、営業所などの事業所における総務、人事、営業、製造、技術、検査等の各課長
×(含まれない職階)
 課長代理、同補佐、課次長
仕事の概要
いわゆる課長で、経営管理活動を行う営業、人事、会計、生産、研究、分析等の事務的、技術的な組織を統制、調整、監督し、所轄部門を運営する業務に従事する者及びこれらと同程度の責任と重要度をもつ職務に従事する者をいう。
説明事項
 1)「課長」には、事業所で通常「課長」と呼ばれている者であって、その組織が2係以上からなり、又は、その構成員が10人以上(課長を含む。)のものの長をいう。
 2) 同一事業所において、課長のほかに、呼称、構成員に関係なく、その職務の内容及び責任の程度が「課長」に相当する者がいる場合には、これらの者は、「課長」に含む。ただし、通常「課長代理」、「係長」等と呼ばれている者は「課長」としない。

(※2)この点を裏づけるような発言を、リクルートワークス研究所『Works No.101 モチベーションマネジメントの限界に挑む』(2010年8月~9月号)から拾ってみた。

 「ここ数年間の業績低迷に加えて、業務拡大に伴い組織が肥大化し、縦割り組織に細分化されたことで、社員が仕事の全体像をつかめなくなり、やりがい感を得られない状況にあると思います」(メーカー元人事)
 「ISOや内部統制が強化され、課題に直面した際に、自分の裁量で判断、実行するよりも、上司や組織に判断を仰ぐことが多くなった。そのためにモチベーションが低下しているようです」(機械 取締役)


 《2016年9月3日追記》
 ジェフリー・フェファー『悪いヤツほど出世する』(日本経済新聞出版社、2016年)によれば、海外でも管理職の数が増加しているという。その理由はこうである。まず、好景気の時には、組織の成長に伴って管理職が増える。ところが、不景気になると、リストラの意思決定を行う経営幹部に近い管理職は自分の雇用を守ろうとし、解雇の対象は現場の人間に集中する。その後、再び好景気になれば、また管理職が増える。管理職が飽和状態になると、彼らのモチベーションを上げるために、特別なポストを用意してでも彼らを出世させる。こうして、好景気と不景気を繰り返すうちに、管理職の数が増えていくのだという。

 日本で管理職が増えたのはこういう理由ではなく、文化的な要因によるものだと信じたい。


悪いヤツほど出世する悪いヤツほど出世する
ジェフリー・フェファー 村井 章子

日本経済新聞出版社 2016-06-23

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2013年01月30日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―戦略立案の客観的アプローチと主観的アプローチ(2)


ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 (前回の続き)

 客観的アプローチの利点は、説得力ある分析を行えば、手堅く事業機会をモノにできるという点である。すでに顕在化しつつある将来の市場がある場合に、客観的アプローチは威力を発揮する。しかし、客観的アプローチの弱点は、どの企業も似たような結論=戦略に帰着しやすく、魅力的な市場があれば企業がこぞって参入し、またたく間にレッドオーシャンになってしまう、ということだ。日本の人口構造の変化を見据えて、どの企業も高齢者市場に目をつけているのはその最たる例と言えるだろう。

 誰も予想しなかったような市場=ブルーオーシャンを切り開くには、主観的アプローチの方が優れている。客観的アプローチは、データが存在しない世界のことを予想できない。しかし、主観的アプローチは、戦略立案者の思い込みによって”少し歪んだ世界観”、”少し飛躍した論理”がデータの不足を補い、新しい世界を自由に描き出すことができる(スティーブ・ジョブズの「現実歪曲空間[Reality Distortion Field]」はその好例)。もちろん、全ての新しい世界が市場に受け入れられるわけではない。むしろ、死産に終わる戦略の方が多いだろう。だが、世界をあっと驚かせ、競合他社を一気に出し抜き、業界構造をがらりと変えてしまう戦略は、主観的アプローチから生まれることの方が多いように思えるのである。

 主観的アプローチには、客観的アプローチのように有名なフレームワークがあるわけでも、精緻な理論があるわけでもない。むしろ、主観的アプローチを理論化するという試み自体が、主観の客観化という矛盾をはらんでいるから、理論化は不可能かもしれない。私のアイデアにすぎないが、主観的アプローチで戦略を立案するための問いをドラッカー風に1つ考えてみた。それは、「もし今の事業が法律で禁止されたら、われわれは明日から何をするか?」という問いである。

 人間は、事故や病気によって、それまで普通にできていたことができなくなると、内なる声に耳を傾けて、本当の自分とは何なのかを深く考察するようになる。そして、今までの自分を尊重しつつも、それとは異なる自分を発見し、新しい人生を歩み出すものである(旧ブログの記事「何かを諦めざるを得ない時こそ、大切な価値観に気づく」を参照)。この発想を、事業戦略の構想にも取り入れるのである。

 例えば、JTはタバコが法律で完全に禁止されたらどうするだろうか?現在は、食品事業でタバコの売上減を補う形になっているが(売上に占める食品事業の割合は約2割)、仮にタバコが禁止された場合、「食品は生活必需品であり、絶対に消えない市場だから」という単純な理由で食品事業を拡大するのであれば、JTは環境変化に受動的に反応するだけの組織体となってしまい、JTらしさは完全に失われてしまうに違いない。

 JTが社会に対して提供できること、あるいはJTが社会に対して提供したいこととは一体何だろうか?タバコが人々のストレス解消に貢献してきた歴史を尊重して、「健康に害を与えずにストレスを解消する新しいソリューション(それがどういう製品やサービスになるかは今すぐに想像できないが・・・)」、あるいはもっと本質的に「そもそも人々がストレスを感じない社会づくり(それがどんな社会なのかは今すぐに想像できないが・・・)」に思いをはせることが、主観的な戦略構築の第一歩になるのかもしれない。

 他にも例えば、コーヒー豆の原産地における児童労働が問題視されて、コーヒーが全面的に禁止されたら、スターバックスはどうするだろうか?個人情報の取扱いが厳しくなって、企業による購買履歴情報の取得が禁止されたら、Tポイント・ジャパンはどうするだろうか?受験戦争を煽り立てているという理由で、文科省が塾や家庭教師を禁止したら、河合塾やトライはどうするだろうか?こういった問いは、客観的アプローチでは本当に法規制が迫っている時にしか発せられないものであり、通常はなかなか出てこないものである。

 この問いは極端だと思われるかもしれない。だが、アップルがiPhoneを生み出したアプローチは、これに近いものがあったと思う。ジョブズは、iPodが大ヒットしても、喜びをじっくり噛みしめるどころか、「iPodを脅かすのは何だろうか?」と気を揉み始めた。すると、iPodの機能は携帯電話に吸収されて、人々は電話と音楽プレイヤーを同時に持ち歩く可能性が考えられた。そこで、iPodの売上を共食いするのを覚悟で、iPhoneの開発に乗り出したのである(※)。

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(※)ウォルター・アイザックソン「伝記作者が語る スティーブ・ジョブズ流リーダーシップの真髄」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年11月号)

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 11月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 11月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-10-10

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