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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
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◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2017年06月14日

鈴木康司『中国・アジア進出企業のための人材マネジメント』―職能資格制度に関する一考

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中国・アジア進出企業のための人材マネジメント中国・アジア進出企業のための人材マネジメント
鈴木 康司

日本経済新聞社 2005-08

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 本書の冒頭で次のようなケーススタディがあった。ある日系企業が中国に生産拠点を持っている。社長の直下には工場長と管理本部長がいる。工場長の直下には生産部長、開発部長、総務部長がいる。管理本部長の直下には営業部長と人事部長がいる。社長、工場長、管理本部長、生産部長、営業部長の4人は日本からの駐在員だが、総務部長と人事部長はローカルの社員である。拠点立ち上げ期からの社員で勤続年数が長く、会社の事情にも精通している。また、各部長の直下には各課があり、課のメンバーは皆ローカル社員である。この日系企業は経営の現地化を進めたいと考えている。それから、総務部長と人事部長は定年が近づいており、後継者の育成が急務である。それ以外にも、この生産拠点は人事面で様々な課題を抱えている(詳細は割愛)。さて、この日系企業に対してどのような助言をするか?というのが問題である。

 私は、この生産拠点を単純に現地化しただけでは、部長以上はローカル社員に置き換わるかもしれないが、その他大勢のローカル社員が出世するポストが圧倒的に不足すると感じた。そこで、この生産拠点を販売機能も持つ事業会社にし、戦略を抜本的に見直すことを考えた。販売機能を加えると、当然のことながら業務プロセスや組織体制ががらりと変わる。新しく生じたポストにローカル社員を積極的に登用する。ドラッカーは、「人に仕事を割り当てるのではなく、仕事に人を割り当てるべきだ」と主張していたが、20世紀の前半に経営難に陥ったIBMが人員削減をせず、経営陣が必死に仕事を作り出して雇用を維持したことを称賛していた。そのことが頭にあったので、敢えて「人に仕事を割り当てる」という方法を私は思いついたわけである。

 だが、著者の見解は異なっていた。まず、現在それぞれの職務・役職についている人がどのような仕事をしているのか棚卸しする。次に、その職務・役職に追加すべき仕事、逆にその職務・役職から取り除くべき仕事、また複数の職務・役職の間で役割分担を見直した方がよい仕事を検討する。すると、それぞれの職務・役職についてあるべき「職務定義書」ができ上がる。この職務定義書に基づいて、業務を遂行するために必要な能力・知識を整理する。共通する能力・知識が必要とされる職務・役職については、同じレベルの職能資格としてまとめる。こうして、日本企業のよさである職能資格制度を強化する形で改革を進めるというのが著者の提案であった。著者はタワーズワトソンの人事コンサルタントであるから、こういう案になったのだろう。

 著者の提案は、私の案に比べると漸次的である。以前の記事「『思いを伝承する(『致知』2016年8月号)』―最近の私の5つの価値観について(1)(2)」で、「大きすぎる目標を立てない」と書き、さらに「檜垣立哉『ドゥルーズ―解けない問いを生きる』―「To-Beを描いてAs-Isとのギャップを埋める」というコンサル手法を改められないものか?」で、常に変化する現状という川の中で顧客企業と一緒に泳ぎながら少しずつ理想の姿に近づけていくコンサル手法を編み出せないものかと書いておきながら、相変わらず抜本的な改革をしようとしていたことを反省した。長年染みついた慣習というのはかくも恐ろしいものである。

 職務・役職に求められる仕事・役割から職能資格制度を導く手順は大まかに以下のようになる(下図を参照)。まず、各部門の階層を全て書き出す。そして、それぞれの階層で要求される仕事や役割の内容を具体的に整理する。下図の例では、3つの事業部があり、A事業部は典型的な階層組織になっている。B事業部は事業規模が大きいため、部長補佐や課長代理がおり、スタッフも3階層に分かれるなど、階層の数が多くなっている。これに対してC事業部はまだ小規模であることから、階層の数が少ない。全ての仕事を書き出したら、それらの仕事で要求される能力・知識を洗い出す。下図の例ではマネジメント能力、オペレーション能力を6つずつ抽出している。

職務定義と職能資格

 それぞれの能力には1~5のレベルがある。例えば、オペレーション能力の「外向性」は、
 ・新しいネットワークを広げられる場に進んで出かけ、初対面の人にも自分から近づき、積極的に声をかけられる。
 ・社内外の関係者で、普段あまり交流のない人、自分と異なる視点や考えを持つ人とも積極的に話をすることができる。
 ・相手が話をしている時には、好奇心をもって耳を傾け、様々な質問を投げかけることができる。
 ・建前や体裁を気にすることなく、自分の思いや考えを率直に口に出して言うことができる。
 ・好奇心を持って新しい情報に触れ、様々なことにチャレンジすることができる。
などと定義し、
 Level5:高い成果を出す方法について、周囲の人に教えることができる。
 Level4:自分でやり方を工夫して、より高い成果を出すことができる。
 Level3:上司や同僚の助けがなくても仕事の大半を自主的に実行できる。
 Level2:上司や同僚の助けを少し借りれば仕事の大半を実行することができる。
 Level1:上司や同僚に大部分を助けてもらえば仕事の大半を実行することができる。
といったレベル分けをする。マネジメント能力の「実行・遂行力」は、
 ・周囲の動きを待つのではなく、自分がまず動いてみることで、自ら状況を変えることができる。
 ・「やる」と周囲に宣言することで、自分を行動に駆り立てることができる。
 ・実行プランはタイミングを逃さず、前倒しで実行することができる。
 ・必要以上に慎重にならず、やると決めたらためらわずにすぐに実行に移すことができる。
 ・場合によっては、関係者の意見調整に時間をかけるより、実績・結果を先に出してしまうことで周囲に認めさせることができる。
などと定義し、
 Level5:統括部長またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
 Level4:事業部長またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
 Level3:部長またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
 Level2:課長またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
 Level1:管理職の最下層またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
といったレベル分けをする。上図では、A~C事業部の各階層において、それぞれの能力に関しどのレベルが要求されるのかを簡単に示している。A事業部はオーソドックスなレベル分けになっている。B事業部にいる部長補佐や課長代理については、マネジメント能力のうち、一部の能力は部長や課長レベルまで要求しない設計になっている。逆に、C事業部は階層が少なく、部長でも事業部長レベルの能力が、課長でも部長レベルの能力が要求されることを示している。

 能力のレベル分けが終わったら、職能資格制度における等級を定義する。上図では、
 M5:マネジメント能力が全てLevel5以上。
 M4:マネジメント能力が全てLevel4以上。
 M3:マネジメント能力が全てLevel3以上。
 M2:マネジメント能力が全てLevel2以上。
 M1:マネジメント能力が全てLevel1以上。
 O5:オペレーション能力が全てLevel5以上。
 O4:オペレーション能力が全てLevel4以上。
 O3:オペレーション能力が全てLevel3以上。
 O2:オペレーション能力が全てLevel2以上。
 O1:オペレーション能力が全てLevel1以上。
という形で、合計10の職能資格を用意している。もちろん、これは非常に単純化した例であり、実際には能力や等級の定義方法はもっと多彩である。

 さて、企業は自社を持続的に発展させるべく戦略を立てる。そして、その戦略を実現するための業務プロセスを定義する。すると、現場ではどういう形で役割分担をした方がよいのか、現場の業務は何階層でマネジメントした方がよいのかが見えるようになり、あるべき組織像が明らかになる。その組織図のそれぞれのポジションに、どの社員をあてがっていくのかを計画するのが後継者育成計画である。3年後の戦略と目標を立てた場合には、3年目の初めにあるべき組織図が実現されている必要がある(3年”目”の組織体制で、3年”後”の戦略目標を達成するため)。以下に、A事業部の後継者育成計画のイメージを示す(事業部長とスタッフは省略)。

後継者育成計画

 組織図上のそれぞれのポジションに、3年目に誰をあてがうのか、具体的に名前を書いていく。P課はオーソドックスな昇進を考えており、課長(職能はM2)はM1から、係長(職能はO5)はO4から、リーダー(職能はO4)はO3からあてがうことを計画している(同じ候補者が複数のポジションに登場しても構わない)。一方のQ課は、新しい分野に挑戦することという戦略の下、若手の積極的な登用を考えている。そのため、課長(職能はM2)には、M1の候補者に加え、O5の優秀な社員の中から飛び級であてがうことも視野に入れている。ただし、思った通り適任者が見つからなかった場合の保険として、外部から中途採用することも同時に検討する。Q課の2つの係のうち、右側の係でも同様に中途採用が検討されている。リーダー層(職能はO4)については、O3から調達するだけでは人数が足りない可能性があり、新卒採用で補う計画である。

 もちろん、これはまだ会社都合で作られた未来の組織図にすぎない。マネジャー層は部下と面談を行い、部下が望むキャリアの方向性を把握する。その内容を反映させて、未来の組織図を修正していく。こうしてでき上がった組織図には、それぞれの社員が3年目までにどのようなポジションを目指す必要があるのかが書き込まれている。個々の社員について、あるべき姿と現状のギャップを分析し、ギャップを埋めるための人材育成・能力開発計画を作成することになる。

 以上が職能資格制度の大まかな運用方法であるが、職能資格制度にはメリットとデメリットがあると感じる。メリットは、全社員の能力レベルが全社統一基準で把握できるため、後継者育成計画を立てやすい、ということである。例えば、上図の例で言うと、A事業部にはM1という職能に相当する役職がない。そのため、課長(職能はM2)の後継者としてM1の社員をあてがうには、他の事業部から引っ張ってくる必要がある。仮に全社員の職能が人事部でデータベース化されていれば、データベースからM1の社員を簡単に探すことができる。

 デメリットは、それぞれの階層で要求される仕事のレベルを能力に落とし込む時に、情報がどうしても抽象化されてしまい、具体的で重要な情報が漏れてしまう恐れがある、ということである。職能資格制度は目標管理制度とセットで運用されていることが多いと思うが、この場合、社員は期初に、自分の職能資格で求められている能力の一覧を頼りに、目標を5個程度設定する。ところが、能力自体の定義は一旦抽象化された情報であるから、それに基づいて目標を設定すると、本来その役職・職務で要求される仕事のレベルと、目標のレベル感がずれることがある。つまり、能力という抽象的なクッションを1つ挟むことで、本来求められる仕事・役割と、設定した目標の中身が全く別物になってしまう可能性が高いのである。

 個人的には、職務定義で整理した職務要件からストレートに目標を設定するのが望ましいのではないかと考えている。それも、できるだけ小さな目標をたくさん立てるのが日本人には合っていると思う。アメリカ人はまず野心的な目標を立て、その目標を達成するカギとなるCSF(Critical Success Factor:重要成功要因)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)を特定して、そこに全エネルギーを集中させる。これに対して、日本人というのは、あまり明確で挑戦的な目標を立てない。日々の仕事の中で当たり前のことを当たり前に努力してやっていれば、自ずと結果がついてくるものだと信じている。

 その「当たり前のこと」が時に20~30個と非常に多岐に渡るのが日本の特徴である。目標の中には、役割・成果との結びつきが連想しやすいものから、5Sや自己啓発といった、一見すると業務との関連が解りにくいがよく考えると重要なものまで含まれる。こうした小さな目標を1つずつ地道にクリアしていくことに、日本人は働き甲斐を感じる。卑近な例えだが、気泡緩衝材(いわゆる「プチプチ」)の1つ1つの泡を潰すことに快感を覚えるようなものだ。もちろん、この方法をとった場合、目標の数が多すぎて管理できないのではないか?達成できなかった目標はどう評価すべきか?といった問題が生じる。また、職能資格制度と異なり、評価業務や後継者育成計画作成が非常に煩雑になる。これらの点をどうクリアしていくかが今後の私の課題である。
2017年06月12日

『ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略(DHBR2017年6月号)』―「継続的で抜本的な変革」をするビジネスエコシステム

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ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 06 月号 [雑誌] (ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 06 月号 [雑誌] (ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略)

ダイヤモンド社 2017-05-10

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 プローマンらの論文では、それまでの組織変革の研究は、抜本的(radical)か収束的(convergent)かという変化の性質と、継続的(continuous)か一時的か(episodic)という変化のペースで分類すると、抜本的で一時的な変化か、収束的で継続的な変化の研究が大半であったと指摘する。組織において大きな変革は短期間で起き、徐々に起こる場合はそれほど抜本的な変革にはならないということである。しかし、ミッション教会のケースは、5年間継続的に起こり教会の理念や組織体系まで転換する、つまり抜本的かつ継続的な変化を提示した。
(山崎繭加「〔ケーススタディ〕宮城県女川町 復興を超えた社会エコシステムの創生」)
 一般的な戦略論、チェンジリーダーシップ論においては、経営トップや一部の変革リーダーが、経営企画部など限られた専門スタッフと一緒になって戦略や変革ビジョンを策定し、それをトップダウンで組織の末端にまで浸透させるものとされてきた。引用文における「抜本的で一時的な変化」はこうして起こる。ところが、論文の著者は、それとは異なるパターンの変化の可能性を指摘している。つまり、「継続的でありながら抜本的な変革」がある。言い換えればこういうことだろう。毎日の変化は些細なものであったが、それを何年も積み重ねていった結果、数年後に振り返ってみると、昔とは全く違う姿に生まれ変わっていたということだ。論文の著者が宮城県女川町で支援に携わった復興もこれに該当するという。

 企業は顧客との関係を生きているだけではない。当然のことながら、事業を行うにあたって顧客は最も重要であるが、企業は顧客以外にも様々なステークホルダーと関係を結んでいる。行政、非営利組織、仕入先、販売チャネル、技術・業務提携先、物流業者、決済業者、株主、金融機関、教育機関、家庭などが有機的に連携し合ってビジネスを形成する。これを「ビジネスエコシステム」と呼ぶ。企業が急進的で抜本的な変革を行おうとする時、一部のステークホルダーが切り捨てられる危機に直面することがある。身の危険を感じたステークホルダーは変革に強く反発し、結果的に変革が頓挫する。特に、和を重んじる日本では、急進的な変革は嫌われる。

 ビジネスエコシステムにおいては、システムを形成する各要素が少し変化すると、その変化が他のシステム構成要素にも影響を及ぼし、システム全体が少し変容する。もし、企業が抜本的な改革を狙うのであれば、今までのようにTo-Be(あるべき姿)を1枚だけ書いて、それをシステムの構成要因に強制するというやり方では上手くいかない。第1段階としてあるシステム構成要素に働きかけをして少しだけシステム全体を変質させ、第2段階として別のシステム構成要素に働きかけをしてまたさらに少しだけシステム全体を変質させる・・・といったことを繰り返していく。つまり、As-Is(現状)とTo-Beの間に、暫定的なビジョンを何枚も用意しておくのである。

 もちろん、ビジネスエコシステムは一種の生き物であるから、最初に企業側が想定した通りにシステム全体が変容するとは限らない。企業が予期していない方向にシステムが変化することもある。その変化を受けて、企業はTo-Beを柔軟に書き換える寛容さを持つことも必要である。継続的にシステムの構成要素に働きかけを続けた結果、何年か後に振り返ってみると、ビジネスエコシステムが以前とは全く異なる姿に生まれ変わっていた、というのが理想である。急進的な改革では切り捨てることができなかったシステム構成要素も、継続的な改革の果てに、上手に締め出しに成功することもあるだろう。締め出される側も、いきなり関係を断ち切られるより、徐々に関係が薄くなることを感じれば、新しい事業機会を探すなど、対処のしようがある。

 私がよく利用するスーパーでは、半年ほど前から「自動レジ」が導入された。自動レジと聞くと、Amazon Goのように、顧客が専用のアプリをスマホにインストールして、入店時にスマホアプリでQRコード認識し、店内で専用のカバンに商品を入れて退店すると自動で決済されるような姿をイメージするが、実際には全く違っていた。商品のバーコードを読み取る作業は従来通り店員が行う。今までと違うのは、レジの向こう側に決済用の機械が3台ほど並んでいて、決済だけは顧客本人が行うという点である。従来のレジでは一度に1人の決済しかできなかったが、自動レジにより同時に3人が決済を行うことができるので、決済が効率化されるというわけだ。

 スーパーは、レジの機械を納入しているITベンダーとの関係も、今まで働いてくれたパートとの関係も、一度に抜本的に変えることができない。そこで編み出されたのがこの方法だったのだろう。何とも日本的な発想だと私は感じた。もちろん、これは改革の第一弾であって、さらに小さな改革を何度も積み重ねることで、最終的に完全な無人レジが実現される可能性がないわけではない。ただし、日本人は絶対にそこに一足飛びには行かない。

 2010年頃に電子書籍がブームになった時も、似たようなことが起きた。電子書籍の登場によって、日本に固有の取次という業態は消える、新聞販売所は皆潰れると言われた。確かに、経営破綻した取次業者はいるし、廃業に追い込まれた新聞販売所もある。ところが、取次業者は、「電子書籍データを取り次ぐ」という新たな役割を自らに見出し、今でも生き残っている。また、新聞社も新聞販売店との関係を軽視することはできないため、「紙の新聞を定期購読している人には、無料アプリでも新聞を読むことができる」というサービスを始めることで、新聞販売店を守った。もっとも、この先も取次業者や新聞販売店が安泰である保証はどこにもない。出版社や新聞社が今後も改革を続ければ、彼らがビジネスエコシステムからはじき出される可能性はある。ただし、出版社や新聞社の配慮によって、彼らには時間的猶予が与えられている。

 これまでの日本企業の強みは、トップダウンとボトムアップが両方上手くかみ合っている点にあると言われてきた。経営陣は重要顧客との対話や市場全体のマクロのトレンドから戦略を立案し、トップダウンで現場に浸透させる。一方、現場社員は毎日個々の顧客に接する中で顧客の細かいニーズの変化を察知し、現場発の戦略をボトムアップで上に上げる。このトップダウンの戦略とボトムアップの戦略がミドルマネジャー層において擦り合わされることにより(ミドルアップダウン)、全社が納得する戦略が創発されてきた。

 今後の日本企業には、私が本ブログで何度も書いている垂直方向の「下剋上」と「下問」、水平方向の「コラボレーション」によって、ビジネスエコシステム全体を動かす戦略の構想・実行を期待したい。私の理解では、企業を含むビジネスエコシステムは一種の階層社会である。まず、企業の上には市場/顧客がおり、自分のほしい製品・サービスを企業に要求する。その上には行政という層があり、市場が円滑に機能するための様々なルールを作る。その中には、市場に対して特定の製品・サービスの購入を促進するものもあれば、特定の製品・サービスの購入を規制するものもある。自由市場経済と言いつつ、実はこうした行政の機能は軽視できない。

 一方、企業の下には、企業に対して経営資源を提供する様々なステークホルダーがいる。ヒトを供給する家族、モノを供給する仕入先、カネを供給する株主や金融機関、知識を供給する教育研究機関などである。さらに、企業と同じレイヤーには、競合他社や異業種の企業、市場ニーズのうち社会的な側面に応える非営利組織などが存在する。

 下剋上という言葉は山本七平から借りたのだが、下の階層が上の階層からの要求に対して素直に応じるだけでなく、「上の階層の人々はもっとこうした方がよい」と下から提案することを意味している。ただし、一般的な下剋上とは違い、下の階層が上の階層を打倒することは狙っていない。下剋上のよいところは、上の階層で要求される責任を負わずに、下の階層にいながら上の階層と同じ目線で自由に物事を考えられる点にある。下問も山本七平の著書からヒントを得たものである。上の階層は単に下の階層に命令を出すだけでなく、「下の階層の人々が成果を出すために、上の階層から何か支援できることはないか?」と尋ねる。これにより、上の階層は下の階層とパートナー関係になる。それに、下の階層の成果とはつまり上の階層が要求するものであるから、下の階層を支援することは、結果的に上の階層にプラスに跳ね返ってくる。

 経営陣には、行政に対する下剋上を期待したい。市場のルールを形成する行政に、顧客の声を代弁する企業側の見解を反映させることで、顧客の利益にかなったルールを策定させる。そうすれば、企業にとっても事業機会が広がることになるだろう。以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」でも書いたが、ヤフーには政策企画部という部門があり、行政に対して様々な提言を行っている。具体的には、どうすれば国民がインターネット上で健全かつ効果的な取引を行うことができるようになるかという提案である。こうした提案が行政に受け入れられれば、ヤフーにとっても有利になる。

 さらに、経営陣には、ヒトを供給する家族、モノを供給する仕入先、カネを供給する株主や金融機関、知識を供給する教育研究機関などへの下問も行ってほしいところである。企業が成功するには、こうしたステークホルダーの協力が欠かせない。彼らをないがしろにするような戦略は、一時的に成功することはあっても、絶対に長続きしない。下問を通じて彼らのニーズを把握し、彼らの成功にも資するような戦略を構想することが経営陣にとって重要になるに違いない(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。

 現場社員には、水平方向のコラボレーションを期待したい。従来、水平方向の協業を推進するのは経営陣の仕事だとされてきた。だが、これからはそれを現場社員の仕事とする。現場社員には、従来以上に権限委譲を進める。顧客だけでなく、外部の企業や非営利組織との連携の道を模索させる。そして、外部の組織を自社のビジネスエコシステムの中に組み込んでいく。ここに、経営陣が行政に下剋上することで構想した新しい戦略、経営陣が下の階層に下問することで構想した新しい戦略、現場社員が水平方向にコラボレーションすることで構想した新しい戦略の3つができ上がる。これらを上手に擦り合わせることが、ミドルマネジャーの新しい仕事となる。

 以上のようにしてビジネスエコシステムを構成するメンバーが増えていけば、企業が独りよがりの戦略を敢行することはもはやできなくなる。人によっては、足手まといが増えたと感じるかもしれない。だが、企業が独断で行った改革の結果、一部の人たちに深い禍根を残すよりも、ビジネスエコシステム全体の調和を保ちながらゆっくりとであっても改革を進める方が、社会的責任の観点からは望ましいのではないかと考える。たとえ、継続的な改革の結果、ビジネスエコシステムから退出するプレイヤーが出るとしても、企業は彼らに十分な責任を果たしたと言える。
2017年06月09日

『北朝鮮”炎上”/日本国憲法施行70年/憲法、このままなら、どうなる?(『正論』2017年6月号)』―日本はアメリカへの過度の依存を改める時期に来ている

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正論2017年6月号正論2017年6月号

日本工業新聞社 2017-05-01

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 クリントン大統領と北の核疑惑が顕在化した1993年からオバマ大統領が退任する2017年までの24年間、米国が実質的に何もしなかった間に、北朝鮮は核実験を重ね、ミサイルも日本までを射程に入れるノドン、テポドン、そしてグァムに到達するムスダンまで開発を進めてきた。核ミサイルにより一部とはいえ米国市民を脅すところまで来たのである。
(香田洋二「トランプVS金正恩の裏側 徹底分析!両軍の実力は・・・」)
 以前の記事「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」でもやや突飛なことを書いたが、この24年間、アメリカは北朝鮮に対して何もできなかったのではなく、敢えて何もしなかったのではないかというのが私の考えである。北朝鮮が核兵器を開発し始めた初期の段階では、当然のことながらその能力はとても十分なものとは言えない。だが、能力が十分でないがゆえに、アメリカは北朝鮮の核に関する情報を十分に入手することができない。北朝鮮がどこに核開発施設を持っているのか、核兵器の破壊能力はどの程度なのかをアメリカは見積もることができない。

 この段階でアメリカが最も恐れるのは、アメリカがなまじ北朝鮮に制裁を行った結果、北朝鮮が暴走し、韓国を攻撃することである。同盟国である韓国が攻撃されれば、アメリカは否が応でも朝鮮半島に出向かなければならない。北朝鮮の軍事能力に関する分析も不十分で、戦略・戦術が明確に定まらないまま、アメリカは朝鮮半島の戦争にズルズルと巻き込まれる。いくらアメリカの軍隊が世界最強だからと言っても、こんな戦争をアメリカはやりたがらない。

 だから、アメリカは北朝鮮の核兵器の能力が上がり、アメリカが分析可能なレベルに達するまで待っていたのだと思う。ミサイルの能力が上がれば、北朝鮮はミサイル発射実験を繰り返すようになる(まさに今そうなっている)。アメリカは実験の映像を分析することで、北の実力を正確に推定できる。また、北朝鮮の核兵器の能力が上がれば、核開発施設が大型化し、衛星からその存在を把握することも可能になる。そうすれば、アメリカは対北朝鮮の戦略を練りやすくなる。

 アメリカが北朝鮮に対して取っている態度は、中国に対して取っている態度とも同じである。アメリカは、敵国のレベルが上がるのを待って、「戦争か、交渉か」と迫る。これがアメリカのいつものやり方である。ただし、仮に戦争が選択された場合は、敵国も相当程度の軍事能力を保有しているため、大規模な戦争に発展する。そして、日本が巻き込まれる可能性は極めて高い。
 柳澤:それはアメリカが助けに来てくれたとしたら、その時は尖閣の取り合いでは済まない大戦争になっているということですよね。沖縄や西日本にミサイルが飛んでくる事態も覚悟しなければならない。今までと同じようにアメリカに守ってもらうことを政策目標にしていたら、無理が生じるのではないかという懸念も出てきているのです。だからこそ、日本にとって守るべきものはいったいなんなのか、守るためにはどれほどのコストを負担すべきなのかを含めて、抜本的に考え直さなければいけない。
(柳澤協二、潮匡人「護憲か、改憲か」)
 日本は、「アメリカが日本を見捨てる日」に備える必要があるのではないかと思う。現在のアメリカ大統領は、「アメリカ・ファースト」を公言してはばからない人物である。いくら安倍首相がトランプ大統領と密接な関係を構築して、日米同盟の磐石性を強調しても、アメリカがあっさりそれを放棄する可能性はゼロではない。日本はそのXデーに備えて、自力で自国を防衛できる能力を保有する必要がある。それが、日本が戦後レジームを脱却して「普通の国」になる道である。
 山田:では仮に、安倍内閣が河野談話を撤回するなんて表明したとしたら、「修正主義だ」などと騒がれて、喜ぶのは韓国や中国ということになってしまいます。ですのでやはり、モーガンさんのような方に、アメリカの一般の人たち向けに、この問題(※慰安婦問題)についての正確な情報をきちんと出していってほしいと思いますね。
(ジェイソン・M・モーガン、山田宏「トランプ大統領の靖国参拝で歴史問題は解決する
!」)
 ただ悲しいかな、戦後70年の歴史の中で、日本人は対米依存体質にどっぷりと浸かっているようである。上記の引用文は、韓国や中国が慰安婦問題に関して根拠のない情報を世界中にばらまいていることに対し、山田宏氏がアメリカ人のジェイソン・M・モーガン氏に正しい情報を発信してくれるよう依頼している場面である。ところで、この記事には次のような文章もある。
 モーガン:日本の学問は真実を追求していくのが原則なんですけれども、アメリカの学問はあくまでもイデオロギーありきで、いくら真実を語っても聞く耳を持たない、ということに気付かされたのです。イデオロギーに染まっている人は、何を言っても聞く耳を持たないので、証拠をいくら出してもムダというわけで、それはそれで一貫性があります。(同上)
 イデオロギーに染まって真実を聞く耳を持たない人に対して、真実を伝えるようにお願いするのは全く矛盾している。慰安婦問題や南京事件問題などに関しては、韓国や中国は莫大な予算をつけて世界中で広報キャンペーンをやっている。そこで、日本も広報予算を大幅に増額して、韓国や中国に対抗すべきだという主張をしばしば耳にする。しかし、はっきり言ってイデオロギーに染まっている韓国人や中国人に何を言っても徒労に終わるであろうし、良識ある第三国から「真実はこうなのですよ」と韓国や中国を諭してもらうことも期待できない。

 私は、韓国や中国がどんなに外野で騒いでも、日本人だけは事実を適切に認識していればそれで十分だと思う。韓国や中国のキャンペーンによって、過去の日本人に対して悪いイメージを持つ人々が世界中で増えるかもしれない。しかし、過去は過去と割り切って、それでも日本を必要とする諸外国との協力関係を誠実に維持することが重要である。そうすれば、「日本人は昔は悪かったかもしれないが、今は本当に信頼できる国民だ」と思ってもらえる。外交関係は過去に束縛されるのではなく、常に未来志向でなければならない。

 私は、安倍内閣になってから、アメリカへの依存度が高まっていることに少なからぬ不安を抱いている。安倍首相は何かにつけて日米同盟の強固さを強調する。現代は米中の2大国の対立の時代であり、中国の脅威から日本を守るためにアメリカとの関係をより深化させなければならないというのが政府の理屈であろう。しかし、以前の記事「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」でも書いたように、二項対立の一方に過度に肩入れすると、日本は危機に直面するという特性がある。

 特に、理想と現実という二項対立の扱いが不得手である。歴史を振り返ると、少なくとも3度、日本人は理想の扱いでミスをしていると私は考える。1つ目は中世における仏教の扱いである。仏教はインドから中国を経由して日本に伝来した。よって、日本の仏教という現実に対し、インドや中国の仏教が理想という関係がある。インドが天竺であるのに対し、日本は粟散辺土である。中国が大国であるのに対し、日本は小国である。ところが、中世になると、日本が粟散辺土で小国であるがゆえに、仏教の理想国であるという考え方が現れるようになった。日本が仏教の発祥の地であるとする伝説も創作された。さらに、日本書紀の神々が仏によって書き換えられた。日本書紀は日本の成立を記した重要な書物であるから、それに手を加えるというのは一大事件である(ただし、私は神仏習合自体は日本独自の二項混合として評価している)。

 2つ目は、江戸時代における中国礼賛の動きである。古代から、日本国家は中国の制度を真似して作られてきた。中国では皇帝が大きな権力を有し、広大な土地を治めている。それに倣って、日本では天皇に影響力を集中させ、国家を統治するという機構が構築された。ここでは、中国が理想で、日本が現実という関係になっている。ところが、江戸時代に入ると、儒学者である山鹿素行が『中朝事実』を著し、日本こそが中国の理想を最もよく体現している、端的に言えば、日本こそが中国であるという主張を展開するようになった。山鹿素行は江戸時代初期の人物であるが、その影響は後代にまで長く及んだ。明治維新によって幕府が消滅し、天皇に権力が集中する体制が整備されたが、山本七平は明治維新のことを「中国化革命」と呼んでいる。

 ここにおいて、日本と中国の関係は、日本が理想で中国が現実という具合に逆転する。理想的な日本は中国という現実に直面するのだが、理想の扱いに慣れていない日本はここで失態を犯す。通常、理想と現実の間にギャップがあれば、その間を埋める施策を講ずるものである。だが、自国が理想だと主張してはばからない日本は、現実の中国を攻撃する。これが日中戦争である。もう1つの態度は、理想を捨てて現実の前に土下座するというものである。戦後、田中角栄が電撃的に中国との国交を回復したのはその表れである(以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」を参照)。つまり、理想に強くしがみつくあまり、現実との間で上手く折り合いをつけられないのである。

 3つ目は、太平洋戦争である。明治維新以降、日本は西洋の価値観を手本としてきた。西洋が理想であり、日本が現実という関係である。ところが、いつしか日本こそが西洋であり、アジアにおいて西洋的な価値観を実現する使命を帯びていると考えるようになった。それが実行されたのが、太平洋戦争における満州国の建国であり、東南アジアにおける植民地の解放運動である。しかし、現代の我々は、いずれも失敗に終わったことを知っている。よく、日本人は東南アジアで欧米による植民地支配を打ち破ってくれたから、東南アジアには親日国が多いと言われる。しかし、実際にフィリピンで戦場に立った山本七平などは、日本軍に東南アジア経営のビジョンがなく、現地の激しい抵抗運動にあったと述懐しているのは見逃せない。

 現在、日本はアメリカを絶対的な理想としている。私が恐れているのは、アメリカが重視する基本的価値観を最もよく体現しているのは日本であり、日本こそアメリカであるという主張が現れることである。仮にそうなった場合、あまりに突飛な予測かもしれないが、日本がアメリカを総攻撃するか、ワシントンに土下座するといった日が来る恐れがある。これを防ぐためには、二項対立の一方に過度に肩入れしないことである。つまり、中国との関係も重視しなければならない。中国をいらずらに敵視するばかりではなく、中国に「日本を攻撃すると自国にとって大きな不利益となる」と思わせることが必要である。この点で、条件が整えば中国が主導するAIIBに参加してもよいと発言した安倍首相の態度は評価できると思う。

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