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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

Experian海外企業信用調査 海外企業信用調査(Experian)
(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

中小企業診断士の安い通信講座なら「資格スクエア」資格スクエア
(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2017年05月08日

『その時どう動く(『致知』2017年5月号)』―企業の「弱み」を活かした経営というものを考えられないか?

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致知2017年5月号その時どう動く 致知2017年5月号

致知出版社 2017-05


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 今回の記事は単なる問題提起で終わっている点をあらかじめご了承いただきたい。『致知』の定期購読を始めて3年以上になるが、『致知』に登場する企業は、欧米流の経営を行う企業と、日本流の経営を行う企業とが混在していると最近は思うようになった。

 欧米流の経営においては、まずは強力なリーダーシップを持つ人間が「自分はこれがやりたい」という壮大で明確な目標を設定する。ターゲット市場は最初から全世界である。リーダーは自分が考案したイノベーションについて、「私がやりたがっていることは、世界中の人々が受け入れてくれるはずだ」という強い信念を持っている。そして、そのイノベーションを世界中に普及させるために、VCや株式市場から調達した豊富な資金を使って、大々的なキャンペーンを実施する(その手法は時に強引であるため、「ゴリ押しマーケティング」などと揶揄される)。

 リーダーは、自分が設定した壮大な目標からバックキャスティング的に計算して、いつまでにどんな目標を達成すべきか、綿密な計画を立てる。そして、それぞれの目標をクリアするためのCSF(重要成功要因:Critical Success Factor)を特定する。目標は定量的に測定可能なものであり、CSFは数が絞り込まれているほどよい。リーダーはCSFに経営資源を投入し、目標に向けて邁進する。自ずとその経営は短期志向となる。また、リーダーは目標達成に向けて人一倍努力しているわけだから、他人よりも多くの利益の分け前を要求する。リーダーが数々の目標をクリアし、当初設定した壮大な最終目標を完遂すれば、リーダーの自己実現が完結する。そして、リーダーは莫大な富を手にし、成功者の栄誉をほしいままにする。

 一方の日本流の経営では、強力なリーダーシップを持つ人がいない。顧客をはじめとする様々なステークホルダーから「あれがほしい」、「これをしてほしい」などと色々と注文を受け、それに対して受動的に反応する。したがって、欧米企業のような明確で壮大な目標を持ちづらい。ターゲット顧客も、全世界の人々を想定するといった大げさなことはしない。あくまでも、自社から顔が見える人々のために尽くすのが日本企業である(以前の記事「『繁栄の法則(『致知』2017年4月号)』―日本企業は「顧客の顔が見える経営」に回帰すべきではないか?」を参照)。

 日本企業は、企業を社会の公器として位置づけ、長く存続することをよしとする。よって、欧米企業とは対照的に、中長期的な視点での経営が行われる。と言っても、遠い未来に何か目標を設定して、そこから逆算してスケジュールを組むようなことはしない。企業として、いや人間として当たり前のことを日々1つ1つ積み重ねていけば、自ずとよい結果が得られると信じている。だから、日本企業では職場での挨拶や工場での5Sといった、企業の業績に直結しているとは考えにくい社会的・倫理的行動の数々が重視される。企業は経済的存在である前に、社会的存在でなければならない。欧米企業のように、利益を目的としない。企業やそこに勤める人々が日々善であるならば、利益は後からついてくる。しかも、その利益は非常に慎ましいものである。

製品・サービスの4分類(大まかな分類)

製品・サービスの4分類(各象限の具体例)①

製品・サービスの4分類(各象限の具体例)②

 以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」や「『イノベーション研究 これからの20年(『一橋ビジネスレビュー』2017年SPR.64巻4号)』―「製品・サービスの4分類」に関する修正案」で上図を用いたが(何度も言い訳間がしいが、まだこの図は自分の中で腹落ちしておらず、修正の余地がある)、欧米流の経営は左上の<象限③>と親和性が高い。<象限③>では顧客のニーズを先取りし、新市場を創造しなければならない。伝統的な市場調査は役に立たない。そこで、イノベーターが自らを最初の顧客に見立て、「自分ならこんな製品・サービスがほしい」と思うものを形にする。そして、「自分がこれほどほしがっているものだから、世界中の人々もきっと同じようにほしがるに違いない」と考える。そして、イノベーションによる世界征服を企む。

 一方、日本流の経営は右下の<象限②>と親和性が高い。この象限では顧客のニーズが比較的明確であるため、企業側が敢えてイノベーションで冒険をしなくてもよい(もちろん、イノベーションが全く不要であるとは言わない)。1人1人の顧客のニーズにきめ細かく応えていけば、それなりの業績は後からついてくる。ただし、<象限②>は、製品・サービスの欠陥が許されない象限である。例えば、自動車業界は不良ゼロを目指している。野球やサッカーではミスをしたチームが負けると言われるが、<象限②>ではいかなるミスも許されない。そのため、社員1人1人が一挙手一投足において、「自分は正しい行動をしたか?」と問わなければならない。

 欧米流の経営のもう1つの特徴は、「自社の強みを活かす」ことである。ドラッカーをはじめ、様々な経営学者やコンサルタントが口を酸っぱくして言っていることだ。強みの要件を整理したゲイリー・ハメル&C・K・プラハラードの「コア・コンピタンス」や、強みを評価するフレームワークであるJ・B・バーニーの「VRIO」が有名である。強みがなければ、はったりをかますこともある。
 佐藤:例えばある(※ヨーロッパの)オペラのクラスで、「この役を歌える人」と先生から聞かれた時に、私を除いて皆が一斉に手を挙げました。あとで友達に、「何で手を挙げないの」と聞かれ、歌ったことがないからと言ったら、その友達に、「歌ったことがある人なんか一人もいないわよ。経験があるかないかじゃなくて、自分に任せろって言えなきゃダメでしょ」と言われました。でも、「私、そんな嘘つけない」って(笑)。
(村上和雄、佐藤しのぶ「最高の幸せは出逢いの中にある」)
 ここで発想を逆転させて、日本流の経営では、「自社の弱みを活かす」経営ができないか?というのが私の問題提起である。というのも、人間関係においては、自分の強さばかりをアピールする人が受け入れられるとは限らないからだ。敢えて自分の弱みを告白すると、かえってその人に対する信頼感が増すことがある。
 横田:魅力ということで言えば、私は相田みつを先生が自分の弱さを平気でお書きになって、それを認めておられるところが大きな魅力だと、こう思っているんです。
(横田南嶺、相田一人「相田みつをの残した言葉」)
 ただし、「敢えて弱みを見せる」という経営は、今のところ<象限②>よりも<象限③>の方が効果がありそうである。例えば、日本の例になってしまうが、ソニーが1999年に発売したAIBOがそうである。AIBOは、その当時の最新の人工知能、64ビットのRISCプロセッサ、赤外線センサーつき1万8000ピクセルのカラーCCDカメラなどを備えたハイテク製品であった。ところが、エンジニアたちの予想通り、最先端で高度に複雑なデバイスの初期世代につきものの欠点をことごとく備えていた。内蔵ソフトに不具合が起きやすく、持ち主の命令に全く答えないこともあった。しかし、ロボットではなくペットとして売り出されたため、つまり<象限②>ではなく<象限③>の製品として売り出されたため、ユーザーから予期せぬ反応を引き出すこととなった。

 通常のロボットであれば欠陥と見なされる事象が、ペットにありがちな気まぐれな行動に見え、まるでAIBOが「自分の心を持っている」かのように感じられたのである。AIBOのユーザーはAIBOの欠陥を許し、AIBOに愛着を覚えた。雑誌に記事を書くためにAIBOをレンタルしていた人は、AIBOをソニーに返さなければならない時に非常に残念に思ったと雑誌に書いた(以上、ヤンミ・ムン『ビジネスでいちばん、大切なこと』〔ダイヤモンド社、2010年〕より)。最近の例で言えば、AppleのSiriに対して我々が抱く感情がこれに近いだろうか?

ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業
ヤンミ・ムン 北川 知子

ダイヤモンド社 2010-08-27

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 私が大好きな「水曜どうでしょう」も「敢えて自らの弱さをさらけ出す」バラエティー番組であろう。いつも「自分が考えた企画は楽しい」と言いながら、旅の途中でなぜか辛い方向に行ってしまう藤村ディレクター、その藤村ディレクターを叱咤して旅を強引に進めるものの、最後は自壊するミスター、フリートークではあれだけ人の心の先読みができるのに、料理の段取りは全くできず、またディレクター陣には何度も騙される大泉さん、カメラマンなのにブレブレの映像を平気で撮影し、挙句の果てには出演者ではなく車窓や風景にカメラを向ける嬉野ディレクターという4人に、視聴者は癒しを感じる(大泉さんは「サラリーマンの入浴剤のような存在」と言っていた)。

 「自分の弱みを見せる」ことが効果的なのは、上図にある通り、<象限③>は情緒面を重視することと関係しているのかもしれない。企業側が見せる弱みや欠陥がむしろ人間味を醸し出し、それに共感する顧客が増えていくということは十分に考えられる。では、情緒面ではなく、機能面を重視する<象限②>で「自分の弱みを見せる」経営は果たして可能なのだろうか?繰り返しになるが、<象限②>は欠陥が許されない、言わば非常に緊張感のある領域である。そこで企業の弱みを前面に打ち出す余地はあるのか?この点は引き続き考えてみたいと思う。
2017年05月05日

『「共謀罪」のある日常とは/<LGBT>ブームの光と影(『世界』2017年5月号)』―リベラルは共謀罪に過剰反応しすぎ、他

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世界 2017年 05 月号 [雑誌]世界 2017年 05 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-04-08

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 ※2005年5月5日にブログを始めて、ちょうど12年になりました。いつも読んでくださる皆様、本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 (1)現在、国会では「共謀罪(テロ等準備罪)」の創設が議論されている。
 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部等を改正する法律案【2017年3月21日提出の政府案】
 (テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)
 第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

 一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役又は禁錮
 二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮

 2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。
 左派は共謀罪の導入により、国民の日常生活まで国家の恣意的な取り締まりの対象になると批判している。治安維持法の復活だとの声すらある。本号でも共謀罪が適用される恐れのあるケースとして、3つの事例が紹介されていた。しかし、実際にはいずれも共謀罪の要件を満たさない。左派の反応は過剰反応である。以下、その3事例を見ていく。
 【事例①】
 大学生のAさんは、所属するサークルで新入会員勧誘用のチラシを作成するために、雑誌に載っていた写真やイラストを使用しようとした。Aさんは雑誌を購入したが、サークルの部員の1人が「これは著作権違反にあたるのではないか?」と指摘した。そこで、Aさんは購入した雑誌の写真やイラストを使用するのをやめた。ところが、Aさんの所属するサークルは、著作権法違反という犯罪を計画し、準備行為を行ったとして、共謀罪に問われる可能性がある。
 共謀罪が対象としているのは、「テロリズム集団その他組織的犯罪集団」である。「組織的犯罪集団」とは、「その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるもの」である。端的に言えば、重大な犯罪を起こすことを目的とした組織が取り締まりの対象となる。Aさんの組織は一般的な大学のサークルであり、著作権法に違反することを目的とした組織ではないことは明らかであるから、共謀罪の対象とはならない。
 【事例②】
 平和問題に関心を持ったBさんは、市民団体が呼びかけた基地建設に反対する集会に初めて参加した。その集会では、X県にある基地建設予定地の手前の道路で皆で座り込みをし、建設に抗議する意思を示そうという呼びかけがあった。Bさんは基地問題を直接自分の目で見て考えてみたいとの思いがあったので、X県を訪ねるツアーの参加を決めて航空券を予約した。ところが、出発の前日、Bさんの自宅に警察官が来て、威力業務妨害罪の共謀の容疑で逮捕すると告げられた。Bさんだけでなく、会議に参加したメンバーも、運動を計画したことを理由に逮捕された。
 左派がよく持ち出すのがこの事例であるが、この事例においても共謀罪は成立しない。というのも、基地やマンションなどの建設に反対して、実際に座り込み運動をする人々に対して、威力業務妨害罪が適用されること自体が稀であるのに、その前段階である準備行為をもって威力業務妨害の共謀罪に問うことは矛盾しているからである。また、Bさん以外に、会議に参加したメンバーも、運動を「計画」したことを理由に共謀罪に問われているが、冒頭の条文を読むと解るように、計画だけでは共謀罪を構成せず、準備行為があって初めて共謀罪が成立する。
 【事例③】
 Cさんはいつもの通勤電車で痴漢を目撃した。だが、被害者女性は誤って犯人の隣にいた大学教授のXさんの手をつかんで警察に差し出してしまい、X教授は現行犯逮捕された。Cさんは「犯人はその人ではない」と警察に話したものの、警察は全く取り合ってくれなかった。X教授の刑事弁護人は、冤罪に取り組む市民団体とも協力して、Cさんと連絡を取り、Cさんに目撃したことを法廷で証言してほしいと頼んだ。Cさんも、この依頼を承諾した。しかし、X教授が犯人であるとの考えを崩さない警察は、Cさんを偽証の共謀罪で逮捕した。X教授や彼の無実を信じて支援する会のメンバーたち、そして弁護団が、Cさんと共謀してX教授の罪を免れさせようとしたというわけである。
 これも【事例①】と同様、X教授を支援する会は偽証罪を目的とした組織ではないから、共謀罪の対象とはならない。仮に、偽証の共謀罪で逮捕しようとすれば、X教授を支援する会が法廷で証言しようとしていた内容を警察が事前に入手し、その内容が明らかに偽証であることを警察が証明する必要がある。だが、事実は公判の過程を経て徐々に明らかになっていくものであり、公判の結果事実と異なる証言があった場合に偽証罪に問うことができるのであって、公判も十分に進んでいない段階から、偽証罪、しかも偽証の共謀罪で逮捕することは極めて困難である。

 ただ、共謀罪の導入によって、通信傍受の範囲が拡大する恐れがある点は左派の指摘通りであろう。共謀罪はテロなどの凶悪犯罪を未然に防ぐためのものであるが、ヨーロッパでISが起こしているテロを見ると、ISがごくごく普通の一般人を感化し、テロの実行犯へと仕立て上げていることが解る。つまり、誰でもテロの実行犯になる可能性がある。よって、日本においても、我々一般人がテロ組織に引き込まれていないかどうか、常に監視されることになるに違いない。

 (2)LGBTに対する社会の理解が、決して十分ではないとはいえ、徐々に進んでいる。そこで問題になるのが同性婚の問題である(以前の記事「『ジャーナリズムが生き延びるには/「核なき未来」は可能か(『世界』2016年8月号)』―アメリカは「核の次」の兵器で「対立」構図を保とうとする、他」を参照)。憲法第24条が「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めているのは、憲法第13条が定める法の下の平等に反するのではないかというわけである。

 私は恋愛の自由は否定しないが、婚姻に関しては憲法第24条の規定を護持するべきであると考える。憲法は、「両性の合意」に基づく婚姻に特別の意味を与えている。それは両性の合意に基づく婚姻のみが、子を産みうる組であるからである。国家の構成要素は主権、領土、国民である。国民(人口)があってこそ、国家は国家たりうる。よって、子を産みうる婚姻に憲法で特別な保護を与えているのには合理的な理由がある(そして、やむを得ない事情により子を産むことができない夫婦のために、民法が養子縁組を認めている)。
 憲法は一組の男女とその間に生まれる子どもから成る法律上の家族の保護を、重要な立法目的としていると考えられ、それ以外の家族的結合についても、すべての側面において法律上の婚姻とまったく同等に扱うことが憲法の要請であるとまでは言えないだろう。(中略)

 たとえば同性のペアが同居する家族や、ポリガミー(polygamy)的家族、あるいは未婚の母と子どもからなる家族を、すべての面で法律上の婚姻に基づく家族とまったく同等に扱うべきことまでを、憲法が要請しているとも言えないであろう。
(初宿正典『憲法2 基本権〔第2版〕』〔成文堂、1996年〕、太字下線は筆者)
憲法〈2〉基本権 (法学叢書)憲法〈2〉基本権 (法学叢書)
初宿 正典

成文堂 2010-10

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 さらに言えば、私は日本という国家を維持・存続させるためという観点から、「子を産みうる」という点を重視する。逆に言うと、両親が法律に基づいた婚姻関係にあるかどうかは、優先順位が低い。よって、社会保障の分野において、法律婚だけでなく事実婚をも容認し、事実婚で生まれた子どもにも遺族年金の受給権を与えることは理に適っている。また、日本では非嫡出子の相続分が嫡出子の2分の1であることが長らく問題となっていたが、最高裁で違憲(最大決平成25年9月4日)とされ、民法が改正された(平成25年12月11日公布・施行)ことも評価する。

 本号では、LGBTのカップルが日常生活で直面する差別が取り上げられていた。例えば、LGBTのカップルは住宅を賃貸することが難しい。また、生命保険の受取人として、カップルの相手を指定できないことがある。カップルの一方の親が危篤状態になった時、カップルのもう一方が病室に入ろうとしたところ、家族以外の人の面会は認められないとして病院から面会を謝絶されたというケースもあった。だが、これらの事例は、民間でLGBTに対する理解が広まっていけば解決の道が開けるのではないかと考える。

 賃貸住宅については、大家が気にするのは、カップル間のトラブルなどによって家賃収入が途絶えるかもしれないという点である。家賃収入の面で問題がなければ、LGBTのカップルの入居は認められるだろう。また、生命保険の受取人は基本的に「配偶者または二親等以内の血族」としている保険会社が多いが、最近はそれ以外の第三者を受取人にすることができる保険も登場している。病院の事例に関して言えば、病院側にLGBTのカップルも広い意味での重要な家族の一員であるという意識があれば、その人を病室に招き入れるようになるだろう。

 先ほど、子を産みうる組を憲法で特別に保護すると書いた。だがここに、現代的な新たな問題がある。それは、子を産まないことを選択する夫婦が増えていることだ。現行憲法のままだと、こうした夫婦は過保護を受けていることになる。また、近年は晩婚化が進んでいるから、女性が子どもを生むことが難しい年齢になってから結婚するケースも増えている。こうした夫婦も憲法による過保護状態になってしまう。子連れで再婚した夫婦が新たに子どもをもうけなかった場合も、憲法による過保護状態にあると言えるかもしれない。

 逆に、親の事情で憲法の保護から外れてしまう子どももいる。例えば、レズビアンの女性が最初は通常の婚姻をして子どもを出産し、その後離婚して、今度は女性とカップルになる場合である(上川あや、岡田実穂、宇佐美翔子、砂川秀樹「生きやすい空気をつくるために <同性婚議論>のその先へ」より)。子どもは親を選ぶことができない。

 さらに、通常子どもと言えば、(養子縁組や再婚組を除いて、)父と母の両方の遺伝子を継ぐ者を指し、憲法もそういう子どもを保護していると考えられる。ところが、FtMトランスジェンダー当事者(身体的には女性、特例法により男性に変更)が女性と婚姻し、第三者精子提供の人工授精で子どもをもうけたところ、行政が当該男性を父として認めなかった問題で、最高裁は2013年12月に父として認める逆転容認決定を言い渡したという事例がある(山下敏雅「誰にも身近な問題へ 日本における性的少数者の法的トラブルの現在」より)。この一件は、憲法の保護に値する子どもとは何なのかという問題を提起している。

 (3)浜矩子、竹信三恵子、升味佐江子「アベノミクスを浴びせ倒し」で、「働き方改革」が酷評されていた。私も政府が示す「働き方改革」には疑問を感じる点がある。厚生労働省が示している、健康を守る目安となる残業時間は週15時間、月45時間、年360時間までとされているのに、政府案では特に忙しい月は月100時間が上限とされており、さらに労使協定を結べば年間最大720時間まで残業が許容される。これでは厚生労働省が示す基準との整合性が取れない。対談記事にもあったように、安倍政権の「一億総活躍」、「働き方改革」とは結局のところ、女性も高齢者も含めて国民全員を働き詰めにする改革である。だが、少し考えれば誰でもすぐに解るように、国民全員がずっと働き続けいていたら、消費者が存在せず、経済が成り立たない。

 本ブログではしばしば「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という、(かなりラフだが)日本の重層的な社会構造を示してきた。そして、ある階層は上の階層からの指示に従い、下の階層に指示をするだけでなく、上の階層に対して「下剋上」(上の階層からの指示よりも優れたアイデアを提案し、実行する)し、下の階層に対して「下問」(下の階層がその目的を達成するために、上の階層が何か支援できることはないかと問う)する点に日本社会の特徴があると書いてきた。企業は下の階層にある家庭に対して「下問」しなければならない。家庭の目的とは、企業に対して健康的な労働者を送り込むこと、市場に対して良識ある消費者を送り込むことである。企業が家庭に下問してその目的達成を支援するとはつまり、社員に家族との憩いの時間を与え、社員が満足な生活を送れるよう十分な給与を払うことである。

 「働き方改革」では、フリーランスの活用についても触れられているようだ。だが、『中小企業白書』、『小規模事業者白書』を読めば解るように、小規模事業者やフリーランスの収入は悲惨である。大企業勤めの人の収入を上回ることができるのはほんの一握りの人しかいない。私は中小企業診断士であるが、日頃から中小企業にはもっと規模を追求してほしいと思っている。規模が大きくなれば、大きな仕事を受注することができる。事業を多角化してリスク分散ができる。景気の波を吸収することができる。イノベーションに投資することができる。結果的に、より多くの雇用を生み出し、より多くの給与を支払うことができる。私は、大企業こそ現代の最も優れた利益分配機関だと考える。フリーランスのような貧乏人を増やす政策には反対である。
2017年05月03日

【ドラッカー書評(再)】『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』―ドラッカーのチェンジ・リーダー論に日本人は勇気づけられる、他

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明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-03

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 前回の記事「【ドラッカー書評(再)】『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』―非営利組織のマネジメントは本当に難しい」の続き。

 (1)
 第一に、製品、サービス、プロセス、市場の寿命が、まだあと数年はあるといわれるようになった状況では、廃棄が正しい行動である。そのような製品、サービス、プロセス、市場は膨大な人手を奪う。生産的な人材を縛りつける。しかも、製品、サービス、プロセス、市場の寿命は過大評価しがちである。それらのものは、死につつあるのではなく、すでに死んでいる。昔から、死体の保存ほど難しく、金がかかり、無駄なものはない。
 ドラッカーは様々な著書で、組織は定期的に「体系的廃棄」を行い、マネジメントを見直すべきだと主張していた。組織が現在行っているあらゆる活動について、「もしそれを今行っておらず、これから始めなければならないと仮定した場合に、それを始めるか」と問い、その答えがノーであればその活動を廃棄せよというのがドラッカーのアドバイスである。

 上記の引用文も体系的廃棄に関するものである。凡庸な例だが、マイクロソフトなどはこうした体系的廃棄が上手く、それによって事業を拡大してきた。だが、企業が環境への負荷を考慮して事業を行わなければならないなど、企業の社会的責任が重視される現代においては、上記の引用文は修正する必要があるかもしれない。市場の寿命がまだあと数年ある段階でその事業を廃棄するのではなく、最初から製品・サービスの寿命が長くなるように設計しなければならない。そして、製品・サービスの寿命が近づいてきたら、事業を段階的に縮小しつつも、残りの市場から上手に収益を上げる方法を習得しなければならない。

 製品・サービスの寿命を延ばすことに最も積極的な企業がアウトドア・アパレル会社のパタゴニアである。パタゴニアは2011年にCTI(Common Threads Initiative)というプログラムを立ち上げた。その時点で同社は既に、中古衣料品をリサイクルする企業であった。ところが、大量の中古衣料を回収するうちに、製品をより長く使ってもらうことの方が、汚染と廃棄を減らす上でははるかに効果的であると気づいた。こうした状況を受けて、本当に必要となるまでパタゴニア製品を買い替えないでほしいと顧客に訴えるCTIが実施された。

 パタゴニアは、自社の製品が長く使われるようにデザインされていること、必要ないものあるいは使わないものは顧客に買わないでほしいことを強調していた。パタゴニアで最も売れているジャケット写真の上に、"Don't Buy This Jacket."という宣伝文を載せた。さらに、パタゴニアは顧客に対して、「私は、私が必要なもの(かつ、長持ちするもの)しか購入しないことに同意します」という宣誓文に署名することまで求めた。

 製品・サービスの寿命を延ばすためのもう1つの取り組みは、自社のビジネスモデルをリサイクルモデルからサービスモデルへと変えることである。別の言い方をすれば、製品の「所有」から「使用」に転換することである。例えば、高価格の食器洗浄機は、製品寿命を延ばすことで環境への影響を低減するとともに、改修とリサイクルを容易にし、製造業者と顧客の双方に大きなメリットをもたらす。ある研究によれば、こうした機械が販売ではなくリースされれば、ほとんどの家庭で使用可能となり、顧客にとっては1回の食器洗いにつき3分の1ほどの支出が節約でき、製造業者も収入を33%増加させることができるという(ジョエル・ベーカー・マレン「循環型経済のためのイノベーション」〔『一橋ビジネスレビュー』2017年SPR.64巻4号〕より)。

一橋ビジネスレビュー 2017年SPR.64巻4号一橋ビジネスレビュー 2017年SPR.64巻4号
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-03-10

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 (2)
 チェンジ・リーダーたるための第2の条件が、組織的改善、日本語でいうところのカイゼンである。あらゆる組織が、自らの製品、サービス、プロセス、マーケティング、アフターサービス、技術、教育訓練、情報のすべてについて、体系的かつ継続的な改善をはかっていかなければならない。しかも、あらかじめ改善の目標を定めておく必要がある。日本企業にみるように、年率3パーセント程度の目標が現実的である。
 チェンジ・リーダーたるための第4の条件がイノベーションである。これこそ今日最も注目されている分野である。しかしこれは、チェンジ・リーダーたるための条件としては、最も重要なものではない。体系的廃棄、組織的改善、成功の追求の仕組みのほうが、意味のある場合が多い。
 人口減少による国内市場の縮小に伴い、各社とも憑りつかれたようにイノベーションに注力し、リーダーは新しい需要を創造しようと躍起になっている。ところがドラッカーは、イノベーションはチェンジ・リーダーたるための条件としては最も重要度が低いと述べている。それよりも、日本企業が強みとするカイゼンの方が効果的であると言う。リーダーにとっては少し肩の力が抜ける言葉ではないだろうか?ただし、年率3%の成長はややハードルが低いかもしれない。政府が2020年までにGDPを600兆円にすると宣言しているが、そのためには年率3.45%の成長が必要である。それよりも低い目標ではまずいだろう。せめて5%ぐらいの成長はどの企業も目指すべきだし、野心的な企業は年10%の成長を掲げるぐらいでちょうどよいだろう。

 ここで重要なのは、利益をしっかりと確保するということである。日本企業は売上高を重視する傾向があり、逆に言うと利益率をあまり見ていない。そのため、欧米企業に比べると収益率が見劣りすると言われる。ドラッカーは事あるごとに、「利益は将来のためのコストである」と口酸っぱく言っていた。利益があるから将来の事業や設備に投資することができる。だから、企業が十分な利益を確保することは必須である。稲盛和夫氏は「どんな業種でも経常利益率10%以上を上げなければいけない。そうでなければ経営をやっているとは言えない」と述べている。

 利益は、その企業が借り入れ可能な金額を示唆する。一般的に、支払利息が営業利益の20%以下、借入金返済額が経常利益の10%以下の企業は財務的に優良であると言われる。ただ、昨今は金利が異常なほどに低いため、営業利益の20%を支払い可能な利息として計算し、そこから借り入れ可能な金額を求めると、非常に大きな金額になってしまう。そこで、経常利益の額を基準にするのが適切であると考える。毎年の借入金返済額が経常利益の10%以下、標準的な債務償還年数が10年であることを踏まえると、経常利益の額がそのまま借り入れ可能な金額を表すことになる。借入金を上手に活用して事業を拡大することが肝要である。

 中小企業の場合、意図的に決算書を粉飾していることが少なくない。赤字企業が、売上の前倒し計上、過剰在庫による粗利率の底上げ、費用の未払金計上、役員報酬の操作、引当金の未計上などによって、何とか経常利益を出していることがある。売上高対経常利益率が何期にもわたって0.0X%のような微々たる数字にしかならない企業は、ほぼ例外なく決算書の数字をいじっていると言ってよい。こういう中小企業に限って、設備投資に対する国からの補助金が出ると、いの一番に飛びつく。将来の設備投資に必要な利益を慢性的に稼げない中小企業に対してすべきことは、救済ではない。市場からの退出を願い出ることである。

 ドラッカーはチェンジ・リーダーに対してイノベーションをあまり期待していないが、イノベーションが不要だとは言っていない。ドラッカーは「事業に必要なのはマーケティングとイノベーションの2つである」という有名な言葉を残している。イノベーションと言うと、アメリカ企業がそうであるように、一部のカリスマ的リーダーが市場のニーズを先取りして、画期的な製品・サービスを作り出す、つまり、リーダー自身が変化を創造するという印象がある。だが、ドラッカーのイノベーション論は、変化を作り出すことに主眼を置いていない。既に起こった変化を利用すればよいと説く。これも、日本人にとっては朗報である。というのも、日本人は主体的に変化を生み出すことが苦手であり、外部環境の変化に反応して動く民族だからだ(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―変化を活かすのか?変化を創るのか?」を参照)。

 先進国の中で未曾有の少子高齢社会に突入する日本は、これからは課題先進国になるべきだという主張を耳にする。少子高齢社会が直面する様々な経済的・社会的課題に対して、日本が率先して解決策を提示し、それを今後日本と同じように少子高齢化に直面する周辺の国々に展開すべきだというわけだ。だが、個人的にはあまりこの動きに期待していない。日本はいつの時代も、どこかの国を手本にしなければ生きていけない辺境の小国にすぎない(以前の記事「山本七平『危機の日本人』―「日本は課題先進国になる」は幻想だと思う、他」を参照)。

 21世紀に日本が手本とするべき国は、やはり中国であろう。中国も一人っ子政策の影響で少子化しており、かつ今後は急速に高齢化が進む。現在の中国は、先進国をコピーするだけのならず者のように見られているが、アメリカがイノベーション大国であった以前は、中国がイノベーション大国であったことを忘れてはいけない。中国の底力は侮れない。中国は今後、欧米諸国とは異なる発想、アプローチで少子高齢化に関するイノベーションを生み出すと予想される。日本はそれを見て、中国以上に安く、早く、小さく、安全に製造・提供できるように真似をすればよい。格好悪いかもしれないが、これが辺境の小国の生き方なのである。ドラッカーも、日本のこうしたやり方を「起業家的柔道」と呼んで称賛している(『イノベーションと企業家精神』)(ブログ別館の記事「『負けない知財戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年SPR.63巻4号)』」を参照)。

 (3)
 今度は、仕事の質を顧客満足ではかることにした。これは、電話工自身に仕事の質を管理させるということだった。こうしてAT&Tは、電話工自身が工事の1週間後、10日後に客のところへ行き、満足しているか、さらに何かしてほしいことはないかを聞くことにした。
 ブログ別館の記事「諸富祥彦『あなたのその苦しみには意味がある』―他者貢献から得られる「承認」は日本人にとって重要な比較不可能な報酬」でも書いたが、他者から承認・評価されることは、本人にとって非常に大きなモチベーションとなる。ところが、以前の記事「中小企業診断士として独立してよかった2つのことと、よくなかった5つのこと」で書いたように、独立すると他者から承認される機会がガクンと減る。企業勤めをしていれば、よくも悪くも上司が何かしらのフィードバックをしてくれる。また、同僚が自分の働きぶりを見ている。しかし、独立すると、そういう社会的つながりを一気に失う。よって、自分のモチベーションを管理するのに苦労する。

 だが、それは単なる私の言い訳であり、引用文を読んで、承認がほしければ自分から相手に聞きに行けばいいと思い知らされた。ドラッカーは大学での教え子に対して、卒業後も定期的に電話をかけて近況を尋ねるということを何十年もやっているという話を何かの著書で読んだことがある。教育の成果は中長期的にしか現れないから、ドラッカー自身が卒業生を長期にわたってトレースし、自分の教育の質に対する評価を得ていたのだろう。また、ある日本のコンサルティング会社では、顧客企業がプロジェクトの成果をどのように評価しているかを知るために、プロジェクトメンバーとは無関係のコンサルタントが顧客企業を訪問して関係者にヒアリングを行い、その結果をプロジェクトメンバーにフィードバックしているという話も思い出した。

 与えられたければ、こちらから積極的に働きかけることである。何も難しいことはしなくてよい。人間として当然のことをすればよい。本書には、ドラッカーにしては珍しい文章があった。
 物体が接して動けば摩擦を生じることは、自然の法則である。2人の人間が接して動いても、摩擦が生じる。そのとき、人への対し方が摩擦を減らす潤滑油の役割を果たす。「お願いします」や「ありがとう」の言葉を口にすること、名前や誕生日を覚えていること、家族について尋ねることなど簡単なことである。もし素晴らしい仕事が、人の協力を必要とした段階でつねに失敗するようであれば、1つの原因として、人への対し方、すなわち礼儀に欠けるところがあるのかもしれない。
 (4)
 そもそも、先進国とくに民主主義の先進国というものは、指導層を不可欠とする。何らかの指導層が存在しないことには、社会と政治が混乱に陥る。その結果、民主主義が危うくされる。

 そのような観念にとらわれていない国は、アメリカと若干の英語圏の国だけである。アメリカは、19世紀の初め以降、指導層なるものをもったことがない。まさにアメリカ社会の特質は、トクヴィルをはじめとするアメリカ研究者が指摘したように、あらゆる層が、正当に評価されず、十分な敬意を払われていないと感じているところに、その強みがあることにある。
 以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」でも書いたが、アメリカは元々ヨーロッパの啓蒙主義の影響を受けて設立された国家である。一般的に、啓蒙主義においては、宗教が前近代的、因習的、非理性的なものとして批判され、理性の前に神が後退し、理性至上主義が生まれたと説明される。だが、実際には人間の理性と神の絶対性が統合されたのが啓蒙主義であり、この点で汎神論である。汎神論では、神と人間が直接的に結ばれることが理想とされる。アメリカは特にこの点を重視しているため、神と人間との間に何らかの組織や階層が介入することを極端に嫌う。アメリカの調査会社ギャラップは、政府や大企業に対する国民の信頼度を毎年調査しているが、こういう調査が行われているという事実こそが、引用文にある通り、アメリカにおいてあらゆる層が正当に評価されず、十分な敬意を払われていないことを表している。

 ただし、以前の記事でも書いたように、啓蒙主義によって唯一絶対の神と人間の理性が固く結びつくと、全体主義に転じる恐れがある。アメリカは自由の国どころか全体主義の国になる可能性があったのだが、啓蒙主義に3つの修正を加えることで、全体主義に陥らずに済んだ。

 ①全体主義においては、一見、神のように万能に考える自由があるように見える。しかし、実際にはどの人の考えも唯一絶対の神に等しいから、思考に自由がない。また、神が考えることは常に正しく、不変であるため、時間の流れが存在しない。あるのは現在だけである。だが、アメリカ人はこの時間軸に未来という概念を導入した。そして、未来に向かって自由に考える意思を認めた。未来に対して自由に設定した目標に向かって変革を起こすことがアメリカ人の特質である。この点で、アメリカ人の理性は、神の唯一絶対性から決別している。

 ②全体主義では「1」が全てである。よって、自己と他者という区別はない。これに対して、アメリカ人は「二項対立」の概念を導入した。つまり、ある考えに対しては、必ず反対の考え方があると認めることにした。二項対立的な発想によって、アメリカ人は他者の存在を肯定することができるようになった。二項対立は、一方が他方を打ち負かすことを目的としていない。弁証法で有名なヘーゲルの言う止揚は期待されていない。常に対立することで、お互いの存在を承認する。もちろん、全体として1つの結論を導き出さなければならないケースは多々ある。ただし、その場合でも、採用された意見とは別に、それに対する反対意見を併記するのが普通である。

 ③全体主義においては、神と人間は直線的に結ばれている。いや、正確に言えば、神と人間は対等、もしくは神と人間は同一である。しかし、アメリカ人は、引用文にある通り、階層に対する反発はありながらも、分権化というコンセプトによって、神と人間の間にいくつかの階層を挿入することにした。①で、アメリカ人は自由意思によって未来の目標を設定すると書いた。これは別の言い方をすれば、神と全体感を持った契約を結ぶことである。だが、決して完全ではない理性が導き出した契約であるから、その契約が正しいかどうかはアメリカ人には解らない。契約の正しさは神のみぞ知る。そして、神と正しい契約を結んだ者だけが自己実現に成功する。

 しかし、これではごく一部の人しか自己実現ができない。そこで、分権化の登場である。分権化は、神と正しい契約を結んだ者と、彼らから権限移譲された者の双方にとってメリットがある。まず、神と正しい契約を結んだ者にとっては、彼らの壮大な目標の実現を手伝ってくれる自分の分身が増えることを意味する。分権化により、彼らの自己実現は大きく後押しされる。次に、彼らから権限移譲された者にとっては、彼らと同様の全体感を持って仕事ができる。その結果、権限移譲された者もまた、神と正しい契約を結んだ者ほどではないが、自己実現に成功する。

 一方で、神と正しい契約を結べず、自己実現がかなわない人々にとっては、過酷な現実が待っている。こうした人々は、神と正しい契約を結んだ者、および彼らから権限移譲された者の道具にならざるを得ない。道具は特定の目的に特化しており、全体感を知ることがない。だから、アメリカ企業の職務定義書は、下位層になればなるほど、記述が具体的かつ狭くなる。また、道具は奴隷的に使われる。よって、アメリカは神の下の平等を理想としながら、奴隷制を採用してきたという過去がある。神の下で平等なのは、神のように全体感を持って仕事をする者だけである。

 話は戻るが、引用文にある指導層とは、日本の場合、官僚機構を指している。本書の最後には、「日本の官僚制を理解するならば」という興味深い付章があり、日本の官僚制は巨大な権力を持っていながら、意思決定をしない、あるいは先延ばしにするといった特徴があり、その特徴ゆえに日本の強みが保たれている、といった内容が書かれている。本ブログでも何度か書いているように、日本は「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という多重階層構造をほとんど無批判的に受け入れてきた社会である。そして、なぜだかよく解らないが、その方が社会全体が安定する。その理由を探ることは引き続き私の課題である。

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