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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2017年06月07日

山本七平『日本人とユダヤ人』―人間本位の「日本教」という宗教

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日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))
山本 七平

角川書店 2004-05

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 本書が最初に出版された時、著者名はイザヤ・ベンダサンとなっていたが、実はこれは山本七平のペンネームである。本書の中に何度か登場する「山本書店の店主」とは、出版社を経営していた山本自身のことである。私が読んだ本では、著者名が山本七平に改められていた。山本七平は、神戸市の山本通りで、木綿針を中国に輸出していたユダヤ人小貿易業者の家に生まれたユダヤ系日本人だと称している。その山本が、ユダヤ人と日本人を比較した1冊である。

 ユダヤ人と日本人に共通するのは、「満場一致であっても正しいとは考えない」という点である。しかし、その理由は両者で大きく異なる。ユダヤ人の場合は、満場一致は無効と見なす。ユダヤ人は、その決定が正しいならば反対者が必ずいるはずで、全員一致は偏見か興奮の結果、または外部からの圧力以外にはありえないため、その決定は無効であると考える。こうした考え方の根底には、正に対しては必ず反があるという二項対立的な発想がある。二項対立的な発想は、彼らの言語体系にも影響を及ぼしている。すなわち、彼らが扱う言葉には、両極端の意味を持つものが少なくない。彼らの二項対立的な発想は、西欧で一般的となり、現代の大国(アメリカ、ドイツ、中国、ロシア)でも常識と化している(以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」を参照)。

 一方、日本の場合は事情が異なる。日本では、満場一致の決議であっても、その議決者を完全に拘束せず、国権の最高機関と定められた国会の法律でさえ、100%国民に施行されるとは限らない。だからと言って、日本が無法地帯に陥っているわけではない。ここに日本独特の「法外の法」があり、「満場一致の議決も法外の法を無視することを得ず」という不文律がある。よって、裁判では「法」と「法外の法」の両方が勘案されて、情状酌量がなされた人間味あふれる判決が下される。この法外の法を知らない外国人が日本人と契約を結ぶ際には苦労する。

 元来、法律というものは、言葉によって厳格に記述されたものである。だとすると、「法外の法」がある日本語はいい加減だということになりそうだが、山本に言わせれば決してそうではない。むしろ山本は、日本語は完璧であると指摘する。日本語は他の言語に比べて言葉の数が豊富であり、かつ、1つの言葉の範囲が狭い。1つの言葉が両極端の意味を持つということがまずない。日本人は、意味を狭められた抽象的な言葉を自由自在に使いこなして、具体的な結論を出すことができる。いや、結論が「出る」と言った方が正しい。算術的に結論が出るさまを、山本は日本人が得意とする算盤に例えている。暗算をする時には頭の中に算盤を思い浮かべる。最初の頃は頭の中の算盤の珠を意識的に動かさないと計算できない。だが、暗算が上達すると、算盤の珠を無意識のうちに操ることが可能となる。その結果、答えが自然と「出る」のである。

 「法外の法」があるということは、「言外の言」、「理外の理」が存在することを意味する。山本はこの3つを「日本教」という宗教の特徴だと主張する。しばしば日本人は無宗教だと言われるが、山本の目から見ると、日本には厳然たる「日本教」という宗教が存在する。そして、日本人とは日本教徒のことであり、ここでは国籍は関係ないと言う。仮にフランス人が日本国籍を取得しても、それだけでは周囲から日本人と認められない。その元フランス人日本人は、日本教に”改宗”して初めて日本人と見なされる。この日本教における最高の価値とは「人間」である。
 「人間性の豊かな」「人間ができている」「本当に人間らしい」とかいう言葉、またこの逆の「人間とは思えない」「全く非人間的だ」「人間って、そんなもんじゃない」「人間性を無視している」という言葉、さらに「人間不在の政治」「人間f材の教育」「人間不在の組織」という言葉、この、どこにでも出てくるジョーカーのような「人間」という言葉の意味する内容すなわち定義が、実は、日本における最高の法であり、これに違反する決定はすべて、まるで違憲の法律のように棄却されてしまうのである。
 日本教においては、最後は「人間らしいかどうか」が判断基準となる。山本は、日本教の考えがよく表れている書物として『日暮硯』を挙げる。江戸中期、信州松代藩の家老・恩田木工が、窮乏に陥った藩財政の改革に成功した事蹟を筆録した書である。恩田木工は、税金を前納した者、税金をまだ納めていない者、脱税した者、役人に賄賂を贈った者などを全て平等に扱い、改革を進めた。『日暮硯』を読んだ外国人は、「日本の律法は一体どうなっているのか?」と一様に首をかしげたそうだ。だが、恩田木工が優先したのは、財政難で荒廃している藩における人間関係の回復であった。これこそが、日本教的生き方である。

 最後は人間関係がカギを握る―これは日本人が作成する契約書にも表れている。日本の契約書の最後には、必ず次の条文がある。「その他本契約に定めのない事項について疑義が生じた時は、双方誠意をもってその解決にあたるものとする」。契約に関しては、新興国でよく見られる人治主義(「俺が言ったことが正しいルールだ」)と、欧米の法治主義(明文化されたルールが全てである)という2つの立場がある。日本人の契約書は、決まりごとを文言で明記しておきながら、最後は人間同士の話し合いで折り合いをつけるというものである。これは、人治主義と法治主義の「二項混合」と言える。前述の通り、欧米人はこの二項混合に困惑するのである。

 「法外の法」、「言外の言」、「理外の理」ということは、法律、言葉、道理をはみ出していく法律、言葉、道理が存在することを意味する。しかし、このはみ出した法律、言葉、道理は決して、元の法律、言葉、道理を否定するのではない。聖書のヨハネの福音書の冒頭には「はじめにロゴス(言葉)あり」という有名な言葉があるが、山本に言わせると、日本の場合は、「はじめに言外あり、言外は言葉とともにあり、言葉は言外なりき」という言葉が冒頭に来るという。ここでは言葉と言外という対立・矛盾が何の問題もなく同居し、全体を構成している。この世界観は、以前の記事以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」で修正した鈴木大拙の世界観に通じるところがある。

 ただ、山本が言う日本教には、1つ弱点があると思う。山本は、日本教の根底には、「人間とは、こうすれば、必ず相手もこうするものだ」という確固たる信念があると言う。これは、自分がよいと思うことは、相手も必ず実践してくれるという発想であり、実は自己本位になっている。日本人が自分の価値観を相手に押しつけて失敗した例は、満州経営の失敗や、太平洋戦争で日本兵がアジアの植民地から反発を食らったことを挙げれば十分だろう。「自分のことはさておき、相手の利益になることは何か?」を考えることが、真に人間本位の日本教であると言える。

 ここからは私の個人的な体験談。私は以前、ある中小企業向け補助金事業の事務局員を務めていた。補助事業に採択された中小企業が、補助金を適正な目的のために使用しているかを様々な伝票類から確認するという事務作業がメインであった。補助金は国民の税金が財源であるから、適正に投入しなければならない。よって、補助金の要件は厳格に定められている。私も分厚い冊子を何冊も渡された。だが、これは建前であって、実は補助金のルールをよく読み込むと、グレーな部分が結構たくさんある。典型的なのは「○○等」、「その他○○」という表現を使い、どういうふうにでも解釈できる道を作ってしまうことである。

 真面目な事務局員は、曖昧な言葉を厳格に解釈して、ルールを複雑化する傾向があった。おそらく彼らの心の中には、「補助金による不正を防がねば」という気持ちがあったのだろう。一方、事務局長レベルと話をすると、「ここは幅広く解釈してOKにしよう」という結論になることが多かった。事務局長レベルの人たちは、「明らかな不正でない限り、補助金をできるだけ満額中小企業に受け取ってもらう」という考え方で動いていたと思う。我々事務局が担当する中小企業は、既に採択された、すなわち一度審査で合格になった企業である。中小企業は、「採択された以上、補助金を受け取る権利がある」と思っている。だから、事務局はあまりやかましく言わずに補助金を支払うのが人間の情というものであろう。これも日本教の一例かもしれない。

 私自身も、事務局長レベルの人たちと近い考え方で仕事をしていた。我々事務局員がどんなに真面目に仕事をしても、所詮補助金は補助金であり、世間には政治家が人気取りのために行うバラマキにしか映らない。だとすれば、よほどの不義理がない限り、いっそのこと盛大にばらまいてお金を循環させた方が、世のため人のためになるというのが私の考えであった。幸い、私が200社ぐらい担当した中で、明らかな不正を働いている企業は1社もなかった。むしろ、前述のようにルールを厳格に解釈する厳しい事務局員に限って、明らかな不正を働いている中小企業に当たることが多く、中小企業とよくトラブルを起こしていた記憶がある。
2017年06月05日

『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について

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致知2017年6月号寧静致遠 致知2017年6月号

致知出版社 2017-06


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 特集タイトルの「寧静致遠」とは、誠実でコツコツした努力を続けないと、遠くにある目的に到達することはできないという意味である。諸葛孔明が自分の子どもに遺した言葉に、「淡泊にあらざればもって志を明らかにするなく、寧静にあらざればもって遠きを致すなし」(私利私欲におぼれることなく淡泊でなければ志を持続させることができない。ゆったりと落ち着いた状況にないと遠大な境地に達することはできない)とあるそうだ。
 岡村:私たちの社会は一人ひとりの集まりですが、全体を数として見るのではなく、一人を見ることが同質のすべての人を見ることに繋がるという発想が東洋にはあったわけです。ですから、西洋でいう宗教という言葉自体が東洋には必要なかったのかもしれません。
(岡村美穂子、上田閑照「鈴木大拙が歩いた道」)
 鈴木大拙の「1が全体であり、全体が1である」という考え方は、全体主義に通じる危険性があるのではないかということを以前の記事「鈴木大拙『禅』―禅と全体主義―アメリカがU理論・マインドフルネスで禅に惹かれる理由が何となく解った」で書いた。
 岡村:人間は他の生物と比べて一足先に意識が変化しました。そこで何が起きたかというと、物事を主観と客観に分けて捉えるようになったんです。(中略)半面、自我をも発達させてしまったことで「自分はあなたじゃない」「あなたは自分ではない」という分離を生んでしまったんです。(中略)そこに生じるのが対立であり競争であり戦争です。
(同上)
 「1が全体であり、全体が1である」社会は、私とあなたという区分がない社会である。さらに言えば、この考え方の根底には汎神論(一切の存在は神であり、神と世界とは一体である)があり、その神は唯一絶対であるという前提がある。我々は皆、生まれながらにして絶対的な神と等しい完全な存在である。そこには、自分とは異なる他者の存在を容認する余地はない。

 私は、これを修正したのが「二項対立」という発想であると考えている。世の中の全ての事象を対立構造で把握する。確かに両者は激しく衝突し、引用文にあるように時に戦争にまで至るが、少なくとも、自分とは異なる立場を取る者が存在することを是認している。こうした修正に関しては、以前の記事「【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション」で書いた。そして、現代の大国はおしなべて二項対立的な発想をする。この点については以下の参考記事を参照していただきたい。引用文にある岡村氏は、2つ目の引用文が1つ目の引用文より進んだ考え方だとしているが(そして、それが鈴木大拙の言う禅の思想だとしているが)、私は逆に、2つ目の引用文の方が進んでいるのではないかと感じる。

 《参考記事》
 アメリカの「二項対立」的発想に関する整理(試論)
 岡本隆司『中国の論理―歴史から解き明かす』―大国中国は昔から変わらず二項対立を抱えている

 ただし、二項対立的な発想ができるのは大国に限定される。二項対立は非常に大きなエネルギーを扱うことになるため、日本のような小国では手に負えない。そこで日本人が編み出したのが「二項混合」という手法である。これにより、対立する二項のエネルギーを減殺する(以前の記事「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」、「齋藤純一『公共性』―二項「対立」のアメリカ、二項「混合」の日本」を参照)。

 二項混合には、水平方向の混合と垂直方向の混合の2種類がある。まずは、水平方向の今号から説明したい。水平方向の混合にはいくつかのレベルがある。最もプリミティブな混合は、対立する2つの事柄について、ある時は一方を用い、別の時はもう一方を用いるという使い分けをすることである。経営で言えば、マーケティングとイノベーション、マネジメントとリーダーシップは対立関係にある。アメリカのビジネスでは、マーケティング部門とイノベーション部門(R&D部門)は激しくいがみ合い、変革に挑戦するリーダーは既成勢力のマネジャーから猛烈な反発を食らうというストーリーがしばしば描かれる。日本の場合は、マーケティングとイノベーション、マネジメントとリーダーシップの「スイッチを切り替える」ことで、対立を回避しようとする。

 2段階目の混合は、スイッチの切り替えの頻度を上げることである。以前の記事「『構造転換の全社戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年WIN.64巻3号)』―家電業界は繊維業界に学んで構造転換できるか?、他」で、野中郁次郎氏の知識創造理論はマインドフルネスやU理論に触れたことがないと書いた。野中氏のSECIモデルでは、SECIのサイクルを回す中で、主観と客観、物質と精神、身体と心、感覚と論理、個人と集合、部分と全体、過去と未来、形式知と暗黙知といった対立軸の間を頻繁に移動する。例えるならば、対立する二項の間で高速の反復横跳び運動をするようなものである。運動者は一種の酩酊状態に陥る。主観の中に客観を見、物質の中に精神を見る(あるいはそれらの逆)といった現象が生じる。

 3段階目の混合は、対立する二項を文字通り混ぜ合わせて、新しい事象を創造することである。政治の世界では、一方に独裁政治、もう一方に民主主義政治がある。日本の政治は両者の混合型である。すなわち、自民党が戦後のほとんどの期間において政権を握っていながら、自民党の内部が多様な派閥に分かれていることで、疑似的に多党制の民主主義が実現されていた(この点、小泉純一郎氏が派閥をぶっ壊してしまい、現在の自民党が派閥の弱い一党独裁のようになっている点が心配である)。また、経済の世界では、一方に資本主義、もう一方に社会主義がある。日本の戦後の高度経済成長は、日本株式会社とも呼ばれたように、国家が自由な市場経済や企業活動を牽引するという特殊型で成し遂げられたものであった。

 4段階目の混合は、もはや対立を二項に限定しない。多神教の影響を受けている日本人は、物事には様々な見方があることを知っている。そして、それぞれのいいところを都合よく取捨選択する。ここまで来ると、もはや二項混合ではなく多項混合である。明治時代の日本はまさに多項混合で近代社会を作り上げた。法律、金融、通信、軍隊など様々な社会制度は、ヨーロッパ諸国の制度のちゃんぽんである。私は、このちゃんぽん戦略こそが、日本が対立する大国の間に身を置きつつ、周囲の小国と連携しながら自国を守る術であると考えている(以前の記事「千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる」を参照)。

 ここで、私が思い描いていた鈴木大拙の世界観について、少し修正しなければならないと思うようになった。「1が全体であり、全体が1である」という世界には、名前がない。名前をつけようがない。どんなに言葉を尽くしても、神が放つ強烈な輝きによって言葉は意味を失う。だからこそ、全体主義は恐ろしい。だが、鈴木大拙は、西洋に禅を紹介した書物の中でこう述べている。
 「花紅にあらず、柳緑にあらず。」―これも禅のもっともよく知られた言葉の一つであるが、「柳は緑、花は紅」という肯定と、同じものと考えられている。これを論理的な方式に書き直せば、「AはAであって、同時に非Aである(A is at once A and not-A.)」となろう。そうなると、われはわれであって、しかも、なんじがわれである。
禅 (ちくま文庫)禅 (ちくま文庫)
鈴木 大拙 工藤 澄子

筑摩書房 1987-09

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 つまり、対立や矛盾が平然と存在するのが禅における全体である。禅に対する私の理解がまだ十分に追いついていないのだが、禅には二項混合的な発想があるのかもしれない。その複雑な世界を、修行者はあらゆる角度から考察する。彼らが語る言葉には矛盾や否定が多く含まれる。一般人には意味不明に聞こえる。だから、禅問答などと呼ばれる。以前の記事「鈴木大拙『禅』―禅と全体主義―アメリカがU理論・マインドフルネスで禅に惹かれる理由が何となく解った」では、禅問答では言葉が表面的な意味を失って意味を無制限に拡散させているから、全体主義につながっていると書いてしまった。しかし、禅問答は混合的な世界を複眼的に描写しようとする修行者の苦労の跡であると解釈するのが公平な見方ではないかと考えるようになった。

 日本では、水平方向の二項混合だけでなく、垂直方向にも二項混合が見られる。通常、階層社会においては、上の階層と下の階層は対立関係でとらえられることが多い。ところが、日本の場合、下の階層が上の階層の権限を侵食し、より大きな影響力を行使することがある。ただし、ここで重要なのは、下の階層は決して上の階層を打倒しようとはしないということである。こうした現象を、山本七平は「下剋上」と呼んだ(一般的な意味での下剋上とは違うので注意が必要である)。マルクス社会主義が唱えた階級闘争とは異なる。

 日本の歴史を振り返ると、下の階層が上の階層の権限を侵食するという例は数多く見られる。平安時代の摂関政治は、藤原家が摂政・関白という地位を利用して強い政治力を発揮した現象である。日本で長く続いた朝幕二元支配は、幕府(武士)が天皇の執政権の大部分を担ったものである。その幕府の中でも下剋上が起きたことがある。鎌倉時代には、将軍の力が弱く、代わりに執権である北条氏が実権を握っていた。明治時代に入ると、大日本帝国憲法によって天皇に強大な行政権が与えられるようになったが、内閣総理大臣(実は帝国憲法に定めがない)の任命は、天皇の下にいる元老(これも帝国憲法に定めがない)の助言に従って行われていた。

 私は、究極の二項混合は、神仏習合であると思う(以前の記事「義江彰夫『神仏習合』―神仏習合は日本的な二項「混合」の象徴」を参照)。大陸から仏教が伝わった頃、信仰の内容がはっきりしない神祇信仰は、教義が明確な仏教に比べると圧倒的に不利であるように見えた。事実、日本の八百万の神々は、様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする本地垂迹説が唱えられたり、日本書紀に登場する神々が仏の名前によって書き換えられたりもした。ところが、仏教はついに神社を破壊しなかったし、天皇から祭祀の機能を取り上げることもなかった。明治時代に入って廃仏毀釈が起き、神道と仏教が分離して現在に至るものの、初詣は神社で、葬式はお寺で行うという習慣の中に、弱い神仏習合が見られると言えるのかもしれない。

 下の階層が1つ上の階層に対して下剋上するだけではなく、2つ以上上の階層に対して下剋上をする場合もある。本ブログで何度も書いているように、(非常にラフなスケッチだが)日本社会は「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族」という多重階層構造になっている。ここで、企業は単に顧客の要望に忠実に従うだけでなく、「お客様はもっとこうした方がよい」と提案することがある。これが1つ目の下剋上である。さらに進んだ企業は、市場に対して公正な資源配分を命ずる行政府に対して、「もっとこういうルールにした方が、市場が効果的に機能する」と提案する。いわば、企業による二階級特進である。ヤフーには政策企画部という部門があり、行政に対して様々な提案を行っていると『正論』2017年6月号に書かれていた。

正論2017年6月号正論2017年6月号

日本工業新聞社 2017-05-01

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 企業の内部には、経営陣⇒部長⇒課長⇒係長⇒現場社員といった階層構造がある。論理的に言えば、市場の大まかなニーズを経営陣が把握し、それを部長⇒課長⇒係長⇒現場社員の順に具体化して、製品・サービスを製造・提供する。ここで、下剋上が進んだ企業では、顧客と直に接する現場社員が上司である係長、課長、部長、経営陣の意向をすっ飛ばして、自らの判断で製品・サービスを提供することがある。二階級特進どころか、三階級、四階級特進である。こういう企業では、現場に対して大幅な権限移譲がされている。私は、時にこのような下剋上が起きる企業こそが強い企業だと思う。逆に、弱い企業というのは、担当者と話をしても、いつも「上と相談してからでないと回答できない」と言われてしまうような動きの鈍い企業である。
2017年06月02日

【JETRO】ASEAN-JAPAN Open Innovation Forum(セミナーメモ書き)

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ASEAN-JAPAN Open-Innovation Forum(1)

 4月7日、"ASEAN-JAPAN Open Innovation Forum"がベルサール渋谷ガーデンホールで開催された。主催は経済産業省、一般財団法人海外産業人材育成協会、日アセアン経済産業協力委員会、日本貿易振興機構(ジェトロ)。日ASEAN両地域の主要ビジネス団体による「日ASEANイノベーションネットワーク」形成に向けた協力覚書(MOC)の署名式が行われた(写真)他、日本企業とASEAN連携深化のための、オープンイノベーション促進セミナーが講演された。今さらながら、その時のセミナーの内容をまとめておく。

 まずは、ASEANなどアジア新興国で現在注目を集めているスタートアップ企業、イノベーション企業の紹介があった。新興国では、先進国が歩んできた経済発展のプロセスを順番にたどることなしに、先進国の最新の製品・サービスがいきなり市場で受け入れられることがある。これを"Leap Flog"と呼ぶ。紹介された主な企業は以下の通り。

 ①Go-Jek
 バイクタクシー配車アプリを提供するインドネシア企業。2011年にサービスを開始し、これまでに2,500万人がダウンロードしている。登録されている運転手は約24万人、決済は全体で1億件に上る。楽天やKKRなどが出資をしている。バリュエーションは約13億ドル。

 ②Grab
 「東南アジアのUber」と呼ばれるインドネシア企業。サービス開始は2012年だが、アプリのダウンロードは既に3,300万件を記録している。登録されている運転手は約35万人。インドネシアだけでなく、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムで事業を展開している。ソフトバンクやホンダなどが出資をしている。バリュエーションは3,000億円以上。

 ③Paytm
 インド最大級のE-ウォレットサービス企業である。新興国では後述するように銀行口座を持たない人が多数存在するため、代わりにE-ウォレットサービスが発達している。2016年11月にインドで高額紙幣の廃止が発表されたのを機に、急激にユーザが増加した。現在、2億人のユーザがおり、1日のトランザクションは約700万件に上る。

 ④Garena
 シンガポールに本社を置く企業で、メルカリとDeNAを合わせたようなサービスを提供している。サービス開始は2009年で、中国のテンセントなどが株主となっている。メルカリの月間流通額は約100億円だが、Garenaの月間流通額は約18億ドルである。

 ⑤Ookbee
 「ユーザー生成コンテンツのNetflix」とも言うべきタイの企業。タイの他にマレーシア、フィリピン、ベトナム、インドネシアで事業展開をしており、約800万人の会員がいる。サービス開始は2010年。日本のトランスコスモス、中国のテンセントなどが出資している。

 ⑥iFlix
 映像ストリーミングサービスを提供しているマレーシア企業。東南アジアの他にアフリカ、中東でもサービスを提供している。サービス開始は2015年であるが、月額利用料金が約300円という安さが受けて、利用者数は約400万人に上っている。

 ASEANでは、社会的課題を解決するためのイノベーションも生まれている。その1つとして、日本の「ドレミング株式会社」からのプレゼンテーションがあった。世界には、銀行口座を持たない成人が約20億人いるという。同社のミッションは、「貧困層に正規の金融取引を提供すること」である。同社の「リアルタイム給与計算プラットフォーム」を使用すると、退勤した瞬間にその日の給与(税金、社会保険控除後)を算出することができる。「Doreming-Pay」というアプリをインストールしていれば、銀行口座がなくても買い物ができる。加盟店が支払う決済手数料は約2%であり、日本の半分の水準に抑えられている。このようなデジタル通貨が普及すれば、現金の盗難防止、強盗被害の削減やブラックマネーの撲滅が期待できる。

 ここまでがイノベーションの話。本セミナーの主題は「オープン・イノベーション」である。オープン・イノベーションとは、自社だけでなく他社や大学、地方自治体、社会起業家など異業種、異分野が持つ技術やアイデア、サービス、ノウハウ、データ、知識などを組み合わせ、革新的なビジネスモデル、研究成果、製品開発、サービス開発、組織改革、行政改革、ソーシャルイノベーションなどにつなげるイノベーションの方法論である。オープン・イノベーションのよいところは、中小企業、スタートアップ企業、ベンチャー企業であっても、大企業と対等に研究開発やイノベーションに取り組むことができるという点である。

 日本とASEANにおけるオープン・イノベーションというものを考えた場合、想定されるのは、日本の中小企業などがASEANの大企業と協業する、ASEANの中小企業などが日本の大企業と協業するという2パターンになるであろう(日本の中小企業などが日本の大企業と協業する、ASEANの中小企業などがASEANの大企業と協業するのは、それぞれ日本、ASEANの課題である)。こういう取り組みは自然発生的に進展するのを期待することが難しい。講演者の1人が指摘していたが、政府によるバックアップが必要である。タイとの間では、JTIS(Japan Thai Innovation Support Network)という団体が、世耕経済産業大臣(当時)の立会いの下、2016年9月9日に発足した。両国のスタートアップ企業10社が参画するとともに、タイトヨタやタイの素材最大手Siam Cement Group(SCG)など両国の大手企業20社以上が名を連ねている。

 一般的にオープン・イノベーションは、主に大企業がNIH(Not Invented Here)症候群を克服し、新しい製品・サービスの開発やビジネスモデルの構築に必要な技術を広く社外に求めることで、イノベーションに要する時間を短縮することを狙いとしている。ただ、個人的にはそんなに簡単にオープン・イノベーションは成功しないように感じている。そもそも、自社に足りない技術が初めから明らかで、その技術を持つ中小企業などから技術の提供を受けるのは、従来の取引関係、主従関係と何ら変わるところがない。オープン・イノベーションが従来の関係と異なるのは、ネットワークに参加するメンバーの立場が対等であり、かつ、メンバーが当初想定していた成果とは異なる予期せぬ成果が創発される点にあると思う。

 オープン・イノベーションに参加する企業は、①自社がやりたいこと、②自社が強みとすること、③自社に足りていないことに関する情報をネットワーク上に公開する。協業の可能性としては3つ考えられる。1つ目は、ある企業がやりたいと思っていることと別の企業がやりたいと思っていることが類似しており、各々が単独で事業を行うよりも協業した方が、より革新的な戦略の下での事業化が見込める場合である。2つ目は、ある企業が強みとすることと別の企業が強みとすることを上手に掛け合わせれば、新たな事業機会が期待できる場合である。いずれも、予期せぬ成功を狙っているという点がポイントである。3つ目は、ある企業に足りていないことを別の企業が補完することで事業化に結びつける場合である。この場合であっても、単なる取引関係にとどまらず、両社が協業することで事業や技術の新たな可能性に気づくことが重要である。

 では、オープン・イノベーションに参加する企業をインターネットでつないで、上記の①~③の情報を流せば、協業が成立するだろうか?欧米の企業はインテリジェンスに長けていて、インターネットの情報やその他の公知情報から相手の素性を見抜く術を身につけている。これはおそらく、植民地時代に本国から遠く離れた植民地を本国からコントロールするために、入手可能な情報だけで植民地経営のよしあしを判断してきた歴史も影響しているのだろう。だから、P&GのConnect & Developmentのように、世界中の研究機関をインターネットでつなげば、オープン・イノベーションの実現をある程度期待することができる。

 ところが、そういう歴史を持たない日本は、相手に直接会って話をしないと、相手のことを信頼し、理解することができない。だから、前述の政府主導組織などが、積極的にリアルの「場」を設けなければならない。そしてこの点は、おそらく日本に限らず、ASEAN諸国も変わらないのではないかと思う。しかも、1回会えば話がまとまるといった簡単な話ではなく、何度か顔を合わせるうちに、前述の①~③に関する情報を徐々にオープンにしていくという関係になるに違いない。

 星野達也『オープン・イノベーションの教科書』(ダイヤモンド社、2015年)には、「運転手の眠気検知技術」について、技術を探している企業が技術を深掘りし、提供者も自社技術を明確に提示することですんなりと協業が実現するという話が登場する。同書の著者は株式会社ナインシグマ・ジャパンという、オープン・イノベーションの仲介役を担う企業に勤めているため、技術の探索者と提供者があらかじめ自社のニーズとシーズを明確にしておいてくれると、自社の業務が進めやすいという願いが込められているように思える。しかし、実際には、コンソーシアムなど大勢が集まる会合で短時間の会話を重ねることで、協業の道が開けるのではないかと考える。

オープン・イノベーションの教科書---社外の技術でビジネスをつくる実践ステップオープン・イノベーションの教科書---社外の技術でビジネスをつくる実践ステップ
星野 達也

ダイヤモンド社 2015-02-27

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 <1回目>
 探索者「我が社は眠気を検知する技術を探しています。よろしければ、御社がどういった事業をされているか教えていただけませんか?」
 提供者「我が社は脳波を測定する技術の開発を行っています。眠気は脳波の変化でとらえることが可能です」

 <2回目>
 探索者「以前お会いした後、眠気を検知する技術について社内で調査をしてみました。おっしゃる通り、眠気を検知するには脳波を測定するのが有効であるようですね。ただ、他にも、目の動きをとらえる、皮膚電位から脈拍をとらえる、という方法があることが解りました。この2つの方法に比べて、脳波を測定する方法はどういった点で優位性がありますか?」
 提供者「脳波を測定する場合は、○○という点でメリットがあります。ただし、測定の際には○○という点に気をつけなければなりません」

 <3回目>
 探索者「前回教えていただいた話を社内で検討した結果、脳波を測定するという方法で開発を進めようという話になりました。御社は今までどのような分野で実績がありますか?」
 提供者「我が社は、子どもが学習をした際の脳波の変化をとらえる装置を開発しています。主に研究機関向けです」
 探索者「子どもの脳波を測定する技術は、眠気を測定する技術に応用することができそうですか?」
 提供者「測定する脳の部分、とらえる脳波の種類が違うため、すぐには応用することは難しいのが正直なところです。ただし、新たに○○という技術を開発すれば、実現可能かもしれません」

 <4回目>
 提供者「今回お考えの技術は、具体的に誰をターゲットとしていますか?」
 探索者「バスやトラックの運転手をターゲットとしています。彼らの事故防止に役立てばと考えています。先日、御社の製品は研究機関向けとおっしゃいましたが、そうするとかなり大がかりな装置ですよね?」
 提供者「そうです。一般ユーザ向けの製品にするためには、小型化しなければなりませんね。率直に言って、小型化は我が社ではあまり実績がありません」
 探索者「我が社は製品の小型化を強みの1つとしていますので、もしかしたらお役に立てるかもしれません。一緒にプロジェクトをすると、いいものができそうな気がします。是非一度、我が社で具体的な打ち合わせをしませんか?」
 提供者「ありがとうございます」

 上記の例はかなりまどろっこしく書いたが、要するに日本とASEANの間でオープン・イノベーションが成立するかどうかは、手間のかかるリアルのコミュニケーションを惜しまないかどうかにかかっているというのが私の見解である。この点で、オープン・イノベーションはイノベーションに要する時間を短縮するという、欧米企業が考えるメリットは減殺される。だが、日本とASEANの企業は、協業を通じて、それぞれが単独では思いもよらなかった画期的な価値に到達することができるという点に、オープン・イノベーションのメリットを見出すべきであろう。

 最後に、オープン・イノベーションのマネジメントについても触れておく。オープン・イノベーションは2社以上の協業であるから、当然のことながら共通の目標を追求することになる。ただし、共通の目標だけを追求するのであれば、合併して1つの企業になった方がマネジメントしやすい。その道をとらずに、協業というやり方を選択するからには、マネジメントに一工夫が必要である。つまり、両社が共通の目標を追求すると同時に、両社が共通の目標を追求することによって、双方に固有の目標の達成も支援されるという関係を構築することである。バランス・スコア・カード(BSC)で説明すると下図のようになる。

オープン・イノベーションにおけるBSC

 まず、協業によって達成すべき財務の目標をブレイクダウンする形で、協業におけるBSCを作成する。一方で、双方の企業は、自社に固有のBSCの体系を持っているはずである。ここで、例えば、協業のBSCにおける学習と成長の視点の目標を追求すると、A社の業務プロセスの視点の目標にプラスの影響が出る、協業のBSCにおける業務プロセスの視点の目標を追求すると、B社の顧客の視点の目標にプラスの影響が出る、などといった因果関係を描くのである。そうすれば、まさにWin-Winの関係が構築できる。本ブログで私はしばしば、日本企業は水平連携、時に異業種との連携を得意としていると書いてきたが、水平連携に成功している企業はこういったマネジメントを普段から自然に実践していると思う。

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