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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。ほとんど書評ブログ。たまにモノローグ。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)


2018年07月27日

『正論』2018年8月号『ここでしか読めない米朝首脳会談の真実』―大国の二項対立、小国の二項混合、同盟の意義について(試論)


正論2018年8月号 (在韓米軍撤退の現実味)正論2018年8月号 (在韓米軍撤退の現実味)

日本工業新聞社 2018-06-30

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 経営については、一応経営コンサルタント(中小企業診断士)としての経験もブログの経験も10年以上あり、それなりの内容が書けるようになったと思う。しかし、政治に関しては、法学部出身にもかかわらずまじめに勉強したことがなく、ブログで取り上げるようになったのも、現行ブログを立ち上げたここ数年のことだから、未だに珍妙なことを書いてしまうかもしれないが、今回もそれを覚悟の上で記事をまとめてみたいと思う。

 今、ある小国aがあるとしよう。小国aは大国Bからの脅威にさらされている。小国aは、自国だけでは大国からの脅威に対抗できないと判断した場合、自国の味方となってくれる大国を探す。それを大国Aとしよう。小国aは大国Aと同盟関係を結ぶ。大国Aは小国aを庇護しながら、大国Bと対立する。大国Bとしては、小国aに手を出したいところだが、小国aを攻撃すると、小国aと同盟関係にある大国Aが出てきて非常に厄介なことになる。こうして、大国Aと小国aの同盟関係は、大国Bに対する抑止力となる。この同盟は、小国のための同盟であると言える。

 だが、大国Bとしては、この事態を黙って見過ごしているわけにはいかない。特に、大国Bの内政が混乱している場合には、国民の目を外部に向け、国威を掲揚する必要がある。かといって、大国Aを引きずり出すような真似はしたくない。そこで、大国Bは、近隣の小国bと同盟を結び、大国A側の小国aと大国B側の小国bの対立という構図を作り出す。言い換えれば、大国Aと大国Bの代理戦争を小国aと小国bにやらせる。中東におけるサウジアラビア・エジプトVSイラン・シリアや、朝鮮半島における北朝鮮VS韓国はアメリカとロシア(+中国)の代理戦争の典型例である。ここに至って、同盟は、小国のための同盟から、大国のための同盟へと変質する。

 大国Aと大国Bにとっては、小国aと小国bの対立が盛り上がってくれた方が、血を流さずに軍事費を引き上げることができ、自国の軍需産業の成長につながる(朝鮮半島の場合)。もちろん、小国aと小国bが血を流してくれても、やはり軍事支出が増えるので、大国Aと大国Bにとってはありがたい(中東の場合)。いずれにしても、大国Aと大国Bが直接対決せずに、両国の対立を小国aと小国bの対立という空間に閉じ込めておくことが重要である。

 大国Aと大国Bは限界まで直接対決しないように、二項対立的な発想で双方の緊張を高めつつも、対立を抑制する仕組みを持っている。大国Aには、主流派としての反B派と、非主流派としての親B派という二項対立がある。同様に、大国Bには、主流派としての反A派と、非主流派としての親A派という二項対立がある(アメリカは反ロ派が主流だが、一部には親ロ派がいる。同様に、ロシアも反米派が主流だが、一部には親米派がいる)。大国Aの反B派と大国Bの反A派は、公式・非公式のあらゆるチャネルを通じて相手国と対立する。一方で、大国Aの親B派と大国Bの親A派は、裏で同じように公式・非公式のチャネルを活用して相手国と通じている。すると、大国A内の反B派と親B派は、大国Bへの対応をめぐって国内対立し、大国A全体として大国Bに向かっていくエネルギーが減退する。同じことは、大国Bに関しても言える。

 だが、大国には豊富な政治資源があるからこのような芸当ができるのである。政治資源が限定されており、大国の内情をよく知らない小国aと小国bは、それぞれ大国Aと大国Bから十分な支援を受けていると思い込み、全面的に対立する。実を言うと、中東に関しては、山本七平が指摘したように、セム系の民族であるアラブ人は、古代から二元論に強いとされる。20世紀に入ってからは、サイイド・クトゥブの善悪二元論のような、極端な二元論もあった。ただし、中東の小国はこうした二元論を、大国のように国内の二項対立として処理することができない。だから、自分の国は正しい、相手の国は間違っている、という二分論になってしまう。これが、中東の混乱を招いている一因であると考える。必ずしも、近現代の欧米諸国の中東政策だけが間違っていたわけではなく、中東の伝統的な思考様式にも原因を求める必要がありそうである。

 では、小国aと小国bが全面的な対立を回避するためにはどうすればよいだろうか?ここからは非常に稚拙な案なのだが、小国は「精神分裂症」にならなければならないと思う。つまり、相互信頼と相互不信を織り交ぜて、お互いにくっついたり離れたりを繰り返す複雑な外交を展開するのである。この精神分裂症的外交を、私は日本と朝鮮半島の長い歴史の中に見出すことができると考える(以下、小倉和夫『日本人の朝鮮観―なぜ「近くて遠い隣人」なのか』〔日本経済新聞出版社、2016年〕を参考にした)。

日本人の朝鮮観 ―なぜ近くて遠い隣人なのか日本人の朝鮮観 ―なぜ近くて遠い隣人なのか
小倉 和夫

日本経済新聞出版社 2016-03-26

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 またしても私の好きなマトリクス図を取り出して恐縮なのだが、「融和―対立」、「公式―非公式」という2軸でマトリクスを作ると、外交には4つのパターンがあることが解る。まず、「融和&公式」の象限であるが、古代から日本は朝鮮半島を儒教の国として尊重してきた。また、江戸時代に入ってからは、朝鮮半島を「文」の進んだ国と見なしてその文化を吸収してきた。一方で、朝鮮半島の背後には常に中国の影があり、中国の脅威が近づくと朝鮮半島に対して高圧的な態度を取るという伝統がある。これが「対立&公式」の象限である。古代の白村江の戦いがそうであったし、戦国時代における豊臣秀吉の朝鮮出兵もそうであった。近代に入ってからは、欧米の帝国主義から中国や朝鮮半島を解放するという名目で朝鮮半島に踏み入った。

 公式のチャネルに関しては以上の通りだが、非公式のチャネルを通じても融和と対立を繰り返してきた。「融和&非公式」という象限に関しては、古くは倭寇(よく知られているように、倭寇という名前がついているものの、その構成員には日本人だけでなく、多くの朝鮮人も含まれていた)が日本と朝鮮半島の交易上のつながりを示すものであった。明治時代以降は、近代化が進む日本と近代化の面で遅れている朝鮮半島を比較し、遅れている朝鮮半島の方にかつての日本が持っていたロマンを見出すという文芸家が少なからず存在した。また、ロマンを感じるだけでなく、植民支配に対するアジアの連帯を説く思想家も現れた。

 「融和&非公式」という象限があれば、その反対の「対立&非公式」という象限もある。江戸時代には、朝鮮半島からの通信使である崔天宗が殺害されるという事件が起きている。しかも、この事件は、通称「唐人殺し」という名の「漢人韓文手管始」という演目で歌舞伎の題材となった(ここでの「唐人」とは外国人の意味である)。明治より後は、前述のように朝鮮半島に対してロマンを感じる人々も多かったものの、日本人と朝鮮人が文化的・民族的に近すぎるがゆえの嫌悪感も生まれた。民度が低い、非実利的性格、いい加減、激情的、享楽的、反抗的、残酷であり横暴などといった批判が朝鮮半島の人々に向けられた。

 とりわけ明治以降の朝鮮人に対する日本人の感情は複雑である。いち早く近代化に成功した日本は、朝鮮半島が儒教に優れた国というこれまでの評価を覆して、近代化に遅れた国だというレッテルを貼り、その遅れに対して苛立ちを感じていた。ところが、実際に朝鮮半島を訪れた日本人は、朝鮮人の純朴さ、精悍さに心を打たれ、日本が近代化の過程で失ったロマンを見出した。しかし、憧れというのは近すぎるとその魅力を失うようで、ロマンに近づきすぎた日本人はやがて朝鮮人と距離を取るようになった。とはいえ、欧米の帝国主義の脅威は迫っているわけであり、西洋に対抗するためにアジアの連帯を強調するようになった。にもかかわらず、一向に立ち上がろうとしない朝鮮人に再び苛立ちを感じた。このサイクルをぐるぐると回っていた。

 興味深いのは、大国であれば、反朝鮮半島の人々と親朝鮮半島の人々が二項対立によってくっきりと分かれるのに対し、日本人の場合は国内に二項対立が存在しないため、同じ人物がある時は反朝鮮半島に回り、ある時は親朝鮮半島に回るということである。例えば、高浜虚子は、一方で朝鮮半島の近代化の遅れを批判しておきながら、他方で、朝鮮人のロマンを持ち上げるというような芸当をやってのけている。これは、大国の二項対立には見られない、いわば「二項混合」とでも呼ぶべき状態である。小国の外交とは、こういうものであるべきだと思う。

 お互いが精神分裂症だから、外交姿勢が一貫せず、相手の考えがよく解らないこともあるだろう。だが、例えば近くて遠い存在である家族を取り上げてみると、どんなに上手く行っている家族であっても、親密と疎遠を繰り返しながら関係を維持しているものである。喧嘩しても、仲直りして信頼関係を深めているものである。これと同じ関係を、近隣の小国と構築すればよい。

 こうして、小国aと小国bが複雑ながらもそれなりに良好な関係を築くようになると、小国aと小国bに代理戦争を行わせようと目論んでいた大国Aと大国Bには旨みがなくなる。大国Aと大国Bが対立するよりも手を組んだ方が利益が大きくなると判断すれば、両国は突然接近することもあり得る。大国A内の親B派と大国B内の親A派の力が強くなり、両者が意気投合する。

 現在、アメリカと中国が激しい貿易戦争を繰り広げているが、アメリカも中国も表現の自由を制限し、三権分立を脅かし(中国にはそもそも三権分立がない)、政府が一方的な主張を展開するといった具合に、同じファシズムに向かっている。もちろん、第2次世界大戦時のドイツとソ連のように、ファシズム国家同士が対立する例もあるが、同じ政治的志向を持つ国同士のこと、いつ連携してもおかしくはない。アメリカと中国の貿易戦争の本質は、中国からアメリカに輸出される大量の日本製品に高い関税を課して日本の産業を潰すことであるとも言われている。アメリカと中国は激しく対立しているように見せかけながら、実は、アメリカが日本のはしごを外して中国に接近し、何らかのしたたかな計算の元に、両国が儲かるように仕組んでいる可能性もある。そのような事態に備えて、日本は近隣の小国と関係を深めておく必要がある。

 米朝首脳会談によって「体制の保証」を勝ち取った北朝鮮は、アメリカらから邪魔されるリスクを気にせずに、南北統一に向かうと思われる。韓国の親北派・文在寅大統領もこれを後押しするだろう。今までアメリカと中国の対立は朝鮮半島内に閉じ込められていたが、今後は日本と朝鮮半島の対立に拡大される恐れがある。

 結局のところ、朝鮮半島は中国に従うしかないのである。朝鮮半島は、百済・新羅の歴史を持ち出して、朝鮮半島に独自の民族がいたと主張する。だが、中国は高句麗が中国民族の出先機関であるとしており、新羅が朝鮮半島を統一したと言っても、その後の高麗は所詮新羅の政権交代ぐらいにしか見ていない。ただ、だからと言って、日本と朝鮮半島という小国同士が全面的に対立していては、背後にいる大国の思うつぼである。日本としては気が進まなくても、朝鮮半島の新統一国家とは精神分裂症的な外交を展開しなければならない。この点については、以前の記事「『正論』2018年7月号『平和のイカサマ』―「利より義」で日本と朝鮮統一国家の関係を改善できるか壮大な実験を行うことになるだろう」でも書いた。

 日本と朝鮮半島の新統一国家が国交を樹立すれば、国民を拉致するような危険な国の大使館が東京のど真ん中にできると恐れる声もある。しかし、国民を拉致するどころか、国土の略奪を虎視眈々と狙っている中国の大使館があるぐらいだから、この批判は十分でない。

 大国が小国のはしごを外すタイミングは、小国には予期できない。小国には、大国内の二項対立の構造が理解不能である。かつて、日独防共協定を結んでいたドイツが、1939年に突如独ソ不可侵条約を締結して日本を驚かせた。平沼騏一郎首相は、「欧州情勢は複雑怪奇なり」という言葉を残して辞任した。小国にできることと言えば、近隣の小国と精神分裂症的な外交を通じて一定の信頼関係を構築するとともに、対立する大国に関しても、双方のいいところ取りをして、日本の文化、伝統の上に独自の政治、経済、社会、軍事制度を構築し、それを双方の大国にフィードバックして、大国同士の対立を少しでも中和することに貢献することである。これを私は「ちゃんぽん戦略」と呼んでいる(以前の記事「『トランプと日本/さようなら、三浦朱門先生(『正論』2017年4月号)』―米中とつかず離れずで「孤高の島国」を貫けるか?」を参照)。

 日米、日中の関係を考えてみる。政治に関しては、アメリカの2大政党制民主主義と、中国の一党独裁のいいところ取りをする。そして、アメリカに対しては政治の多元主義を、中国に対しては下層部からの諫言を認める権威主義を示す(これは古代中国にあったものである)。経済に関しては、アメリカの株主至上主義と、中国の国営企業中心経済のいいところ取りをする。そして、アメリカに対しては穏健な自由市場経済を、中国に対してはマネジメントの重要性を示す。社会に関しては、アメリカの自由・平等と、中国の統制のいいところ取りをする。そして、アメリカに対しては、多層社会における役割の配分を、中国に対しては権力と人権の共存を示す。

 軍事については以前の記事でも上手に書けなかったのだが、1つの方法としては、対立する双方の国へ武器を販売するという手がある。かつて日本陸軍は、昭和通商という企業を通じて中国などに武器を輸出していた。日本に対する武器の依存度が高まれば、中国との間で疑似的に軍事同盟が成り立つだろうというのが陸軍の考えであった。しかし、結局日本は中国と戦争になってしまったので、今はこの考えを採用することはできない。それに、国民全体が武器の輸出に対してナイーブになっている現代では、現実的な選択肢ではないだろう。

 もう1つの方法は、逆に、対立する両国の国から武器を購入するというものである。ベトナムはアメリカとロシアの双方から武器を購入している。お互いの軍事機密が相手国に漏れるのではないかと思うのだが、ベトナムはこれを上手くやっている。ベトナムに学ぶというのはありだろう。だが、いずれの方法もかなりのリスクを伴う。ちゃんぽん戦略という観点で単純に考えれば、日本がアメリカ、中国の双方と軍事演習を行うことができれば一番望ましい。だが、お互いの軍事機密が相手国に駄々洩れになるため、実現可能性は低いだろう。よって、現実的には、今行われているように、アメリカとは軍事演習を実施する一方で、中国とは軍事危機に備えた連絡メカニズムを構築するということになるのだろう(あるいは、将来的には中国と軍事演習を行い、アメリカとは軍事危機に備えた連絡メカニズムを構築する、という逆の道があるのかもしれない)。将来的には、軍事演習なしで、双方の大国と連絡メカニズムだけを構築できれば望ましい。

 ここまで来ると、日本を通じてアメリカの情報が中国に、中国の情報がアメリカに渡るから、日本はアメリカにとっても中国にとっても重要な国となり、双方の大国はそう簡単には日本に手出しができなくなる。日米同盟の意義は低下する。近年、日本のマンガやポップカルチャーが世界中で人気を博し、日本文化に好意的な国は「こういう文化を持っている国は攻撃してはならない」と考えるようになっている。これを「文化による安全保障」と呼ぶそうだ。

 だが、私は、文化による安全保障とはもっと深いものであり、前述のように、政治、経済、社会など多元的なレベルでちゃんぽん戦略を採用し、日本独自の価値を訴求することによって成り立つものであると思う。同盟関係は、複数の国で共通の仮想敵国を設定できた時代には有効であった。しかし、現代はある国とある国が時と場合に応じて接近と離反を繰り返す時代である。同盟という概念は見直しの時期にあるだろう(事実、ロシアが主導するCSTO〔集団安全保障条約機構〕は、加盟国の仮想敵国が皆バラバラであるため、ほとんど機能していない)。

 最後に、大国の恐ろしさについて書いておきたい。前述の通り、大国Aは小国aを、大国Bは小国bを支援するというのが基本的関係である。だが、大国は二項対立的な発想を拡大して、大国Aが小国aと小国bの双方を支援することがある。大国A内の親B派が大国B内の親A派と結びついて、大国Bが支援する小国bを大国Aも支援するというパターンである。

 レーガン政権下の「イラン・コントラ事件」を取り上げてみよう。まず、アメリカはイラクを扇動してイランを攻撃させた。この時、サウジアラビアはイランのホメイニ師を支援した。サウジアラビアとイランは元々仲が悪いのだが、ここまでは小国同士の神経分裂症的な外交として何とか理解できる。不可解なのは、アメリカがあろうことかホメイニ師に武器を販売して、その代金をニカラグアの親米反政府組織に渡していたことである。ホメイニ師は典型的な反米であり、太平洋戦争でアメリカが日本に原爆を落としたことを強く批判していた。そのホメイニ師をアメリカは支援して、ニカラグアの親米政権樹立を目指していたのである。このように、大国は自国の利益のために手段を選ばないことがある。いくら同盟を結んでいても、最終的に優先されるのは同盟国の利益ではなく、アメリカの利益である。この点を忘れてはならない。
2018年07月20日

DHBR2018年8月号『従業員満足は戦略である』―社員満足度を上げるには本社が現場の邪魔をしないこと


DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年08月号 [雑誌]DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年08月号 [雑誌]
ダイヤモンド社 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部

ダイヤモンド社 2018-07-10

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 社員満足度(ES)の向上が企業の業績アップにつながるというプアな内容だったらどうしようかと思ったが、杞憂に終わった。何年も前の私なら、ESの向上がCSの向上につながり、高業績をもたらすという言説を無批判に受け入れていたものの、現在では考え方を改めている。

 企業は顧客からお金をいただいている。しかし、お金を払う側の顧客がお金をもらう側の企業のモチベーションを上げようとは考えない。同様に、社員は企業からお金(給料)をいただいている。お金を払う側の企業がお金をもらう側の社員のモチベーションを上げる必要は原則としてない。社員のモチベーションは、社員自身の問題である。LINEのとある執行役員が言っていたが、「会社にモチベーションを上げてもらおうと考える社員は、プロとして失格」である。それでもなお、企業が社員のモチベーションに気を配っている理由を挙げるとすれば、顧客は企業が気に入らなければ他の企業に簡単にスイッチできるのに対し、企業は社員が気に入らなくても簡単に解雇できないからである。企業は、今いる社員に頑張ってもらうしかない。だから、企業は社員に気を遣い、何とかモチベーションを上げようとするわけだ。

 ここでは意図的に、モチベーションと社員満足度を使い分けている。モチベーションは「将来、仕事をやってやろうと思う気持ち」であるのに対し、社員満足度は「現状、どれだけ気持ちが充足されているか」を表す指標である。企業が将来的に業績向上を目指すのであれば、重要なのはモチベーションである。なぜなら、いくら社員満足度が高くても、必ずしもモチベーションアップにつながるとは限らず、現状に満足してしまい進歩が止まる恐れがあるからだ。

 本号の特集は、例えば都心に本社があって、地方に多くの直営店、営業所、販社、サービス拠点が分散しているような組織構造の企業を想定している。こういうタイプの企業の場合、現場の営業・サービス担当者に気持ちよく仕事をしてもらうために最も重要なことは、「本社が余計な邪魔をしない」ことである。昔、先輩のコンサルタントに教えてもらった話なのだが、ある顧客企業は「本社から販売店に対して、製品情報や販売マニュアル、キャンペーン情報、システム登録手続きに関する情報などが五月雨式に送られてくるので現場が混乱している」という問題を抱えていた。先輩は当初、本社と販売店の間を結ぶ情報システムを強化すればよいと考えた。

 だが、この顧客企業の事業を分析するにしたがって、もっと構造的な課題が見えてきた。この顧客企業は、主に3つのカテゴリーの製品を扱っていた。カテゴリーAは業界内でも非常にユニークなもので、競争力があり、顧客企業の収益源となっていた。カテゴリーBは並みの製品、カテゴリーCは激しい競争についていけなくなっていた製品であった。販売店は、A~Cの製品を全て取り扱っており、本社から全製品に関する情報を受け取っていた。

 ここで先輩は、製品カテゴリー別に販売店網を再構築することを提案した。つまり、カテゴリーAのみを扱う販売店を販売チャネルの中心に位置づける一方で、カテゴリーBを扱う販売店を一定数に抑え、カテゴリーCを扱う販売店は将来的な撤退も視野に入れて縮小するというものである。さらに、本社の役割にもメスを入れた。本社が発信する各種情報のうち、販売店でも作成可能なものは販売店に権限移譲することにした。

 もちろん、本社と販売チャネルの大規模な改革であり、本社のマネジャーや各販売店の店長の権限、さらには現場社員の役割を大きく見直す必要があったため、改革は一筋縄ではいかなかったようだ(特に、権限を剥奪される本社のマネジャーは相当抵抗したらしい)。だが、改革が無事に完了すると、本社と販売店の関係は極めてシンプルなものになった。カテゴリーAのみを扱う販売店は、本社からカテゴリーAに関する情報しか受け取らない。しかも、一部の情報作成の権限は販売店に委譲されているので、以前に比べて本社からの情報量は圧倒的に減少した。同じことは、カテゴリーBのみを扱う販売店、カテゴリーCのみを扱う販売店にも言えた。

 本社が現場社員の邪魔をせず、彼らに生き生きと働いてもらうためのポイントは3つある。

 (1)本社が作った無用な社内ルールを撤廃する。
 企業は規模が大きくなるにつれて、官僚組織的になる。官僚組織の特徴は、マックス・ウェーバーが指摘したように文書化とルールである。そのルールが顧客価値の創造につながるものであればよいのだが、中には単に社員を管理するためのもの、あるいは経営幹部のシンボルやステータスを守ることが目的になっているものもある。

 ある企業では、工場の倉庫の管理者がつけている手袋がボロボロになっていた。それを見た新米のCEOは、「なぜ手袋を変えないのか?」と聞いた。すると、「当社の規定では、手袋が完全に使えなくなるまで買い替えることができないことになっています。しかも、買い替えの申請を出してから、新しい手袋が届くまでに2週間かかります」と言われた。CEOは、このルールがあまりにもくだらないと思い、工場の倉庫に新品の手袋のストックを置いておくことができるように社内ルールを変更したそうだ(おそらく、工場に手袋のストックを置いておくようなルールを作らなかった本社は、社員が手袋を盗むことを恐れたのだろう)。

 IBMを復活させたルイス・ガースナーは、IBMに入社した当初、秘書から分厚い社内規定集を手渡されてびっくりしたそうだ。服務規定はもちろんのこと、経営幹部に提供するガムの置き方までこと細かく規定されていた。ガースナーはある時、服務規定に反するスーツを着ていた。秘書に「経営幹部らしくない服装なのでルール違反です」と指摘されたので、ガースナーが「ルールを変えるにはどうすればよいか?」と尋ねたところ、「社長が変えると言えば変えられます」との返答だった。それを聞いて、早速ガースナーは社内規定の大幅な削減に着手した。

 (2)現場の業務プロセスの基本を整備するのを支援する。
 本社のスタッフ部門の役割は、単に経営資源を管理するのではなく、顧客価値の創造と経営資源の最適配分のバランスを取りつつ、さらに自社が重視する価値観を反映させることで現場の業務プロセス整備を支援し、適切なタイミングで適切な経営資源を投入することである。

 例えば、人事部門は、事業部から言われるがままに新人を採用したり、人事評価の結果を取りまとめたり、研修を運営したり、給与を計算したりすることだけが仕事ではない。まずは、現場が実現しようとしている顧客価値を最もストレートに実現する業務プロセスを描く。次に、現場に配属されている社員の特徴を踏まえて、業務プロセスを調整する。さらに、自社のミッションに含まれる価値観(経営・業務における意思決定のよりどころとなる重要な判断基準)を随所に埋め込んで、最適な業務プロセスを現場と一緒に検討する。こうしてでき上がった業務プロセスが要求する人材要件と、現在の社員の能力・価値観との間にギャップがある場合には、社員をトレーニングしたり、他部門からの異動や外部からの採用によって人員を補ったりする。

 モノを扱う購買部門、カネを扱う経理部門、情報を扱う情報システム部門についても同様である。現場が実現を目指す顧客価値と、自社が調達する原材料・機械装置などの特性、自社の資金の状況、自社が取り扱う情報の量や質のバランスを取り、さらに自社の価値観を反映させた形で、最適な業務プロセスを現場とともに構築する。そして、必要に応じてモノ、カネ、情報をすぐさま現場に対して提供することができるようにする。

 ここで注意すべきなのは、本社が業務プロセスの構築に関与するからと言って、あまりにも細かい業務プロセスを定義してはならないということである。あくまでも基本的な業務プロセスを定めるにとどめる。プロセスまでいかず、方針レベルでも構わないと思う。詳細すぎる業務プロセスを渡された現場は、本社から過剰に介入されていると抵抗するに違いない。

 それから、本社はよかれと思って新製品・サービスやITツールを次々と現場に導入したり、各種販促活動を実施するように現場に命じたりするが、これも要注意である。先ほど紹介した事例のように、本社から五月雨式に情報が降ってくることになり、現場にとっては迷惑この上ない。さらに言うと、本社が引き起こす重大な問題は、例えば新製品・サービスを導入した際、その製品・サービスの販売・アフターサービスや売上・粗利管理、請求・債権回収プロセスについてはマニュアルを作成するものの、既存の製品・サービスのマニュアルとの整合性にあまり気を配っていないことである。本社は製品・サービスを順番に開発するが、現場はどの製品・サービスも同時に販売しなければならない。現場が複数の製品・サービスを担当した場合、複合的な業務プロセスはどのようなものになるのかを本社は現場と一緒になって考える必要がある。

 本号の論文「やみくもな製品開発が経営資源を浪費する “イノベーション中毒”を回避する3つの原則」(マルティン・モーカー、ジャンヌ・W・ロス)がこの問題を扱っている。イノベーションに取りつかれた本社が、現場のことを顧みずに、次々と新製品・サービスを投入して、現場を疲弊させてしまうという問題である。この問題を解決する方法として、同論文では、①バラエティよりも統合を重視する、②イノベーションの担当者と複雑性に対処する担当者を分けない、③イノベーションを導くビジョンに向かって全力を尽くす、という3つが挙げられている。

 言い換えれば、①互いに無関係な新製品・サービスをバラバラと投入するのではなく、既存製品・サービスと関係性の高い新製品・サービスを投入する。できれば、クロスセルが可能なものを開発する、②本社側の新製品・サービス開発担当者は、開発プロジェクトの初期段階で現場社員を巻き込み、新製品・サービスを展開する上での問題を早期に解決する、③ビジョンの焦点を絞り、ビジョンから外れた新製品・サービスを開発しないようにする、ということである。

 (3)現場が顧客に個別対応できるよう、権限委譲を進める。
 (2)と矛盾するようだが、(2)で標準的で基本的な業務プロセスを定めた後、現場社員にはそこからはみ出す個別の顧客対応を認めることも重要である。社員は、指示された仕事をそのまま行う時よりも、自分でやり方を考えて仕事をした時の方がモチベーションが上がる。日本人の場合、どちらかというと一から物事を考えるのは苦手であるから、まずは本社と一緒になって作成した業務プロセスをベースとして、そこに自分なりに手を加えていく方がやりやすいだろう。

 ここで問題になるのは、本社として現場に対しどこまで権限移譲を認めるかということである。最も簡単なのは、顧客に対する無償サービスの権限を与えることである。無償であるから、企業の財布が痛むこともない。その次は、顧客に対して有償サービスを提供することである。この場合は、現場が自由に使える一定の予算を与えなければならない。

 個別顧客のニーズに深く入り込むと、製品・サービスのカスタマイズを求められる。すると、カスタマイズに伴う原材料や加工用の機械装置を独自で調達することになる。生産ラインも変更になるだろう。ここまで来れば、予算の権限をもっと増やさなければならない。さらに、個別対応に長けた特殊能力を持つ人材を確保するための人事権も必要になる。個別の顧客に対し、個別の製品・サービスを提供し、個別の生産ラインで生産し、個別の社員を活用するということは、それらの情報を管理する独自ITの開発も欠かせないことを意味する。そして、究極的な権限移譲は、現場をターゲット顧客に密着させて、新製品・サービスの開発を任せることである。

 どこまで権限移譲させるかは、企業の戦略による。巣鴨信用金庫の行員は、高齢者の顧客に対して、無料の送迎サービスなどを提供する権限が与えられている。リッツカールトンの社員は、顧客のために2,000ドルまで自由に使える権限を持っている。完全な権限移譲ではないが、餃子の王将は、全店舗共通メニューの他に、各店舗がオリジナルのメニューを用意している。逆に、良品計画は店舗にほとんど権限移譲を行っていない。有名なMUJIGRAMは本社主導で作られたものであるし、店舗には商品開発の権限はおろか、仕入れの権限も与えられていない。良品計画の場合、海外においても、商品開発は日本本社で行うという徹底ぶりである。

 権限移譲の度合いは、提供したい顧客価値、競合他社との差別化要因、企業の価値観、社員の能力や特性、組織内のコミュニケーションの構造、企業風土など様々な戦略的要因によって決まるだろう。社員が本社から締めつけられていると感じず、逆に任されすぎて負担になっていると感じない程度の、ちょうどよいコンフォートゾーンを見つけなければならない。この意味では、確かに本号の特集タイトルにあるように、「従業員満足は戦略である」。

 最近、フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』(英治出版、2018年)を読んだのだが、ティール(進化型)組織は、現場がほとんど完全に権限を握っており、それぞれの社員が経営者として働くことを期待されている(ティール組織では、最初に本社が権限を持っており、それを現場に委譲するというのではなく、初めから現場に権限があるという考えに立っているため、権限移譲という言葉を使わない)。

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 例えば、アメリカのモーニング・スターというトマト加工食品製造会社では、製造に携わるそれぞれのチームがどのように結成され、チーム間でどのように作業分担をし、どういうふうにして製造ラインを調整し、製造目標をどの程度に設定し、それぞれのチームの予算をいくらにするのか、といったことを完全にチーム間の話し合いに委ねている。原材料の調達はチームに任されているし、もし製造ラインの調整に伴って新しい機械装置の購入が必要になった場合は、他のチームと相談して購入を決定する。現場で起こる様々な問題の解決は、マネジャーによってではなく、チーム間の紛争処理プロセスに従って行われる。

 それぞれのチームが誰を採用し、どのようにトレーニングを行い、どのような評価・フィードバックを与え、最終的に報酬をいくらにするのかを決めるのもチームの権限である。また、社員は採用されたからと言ってすぐに仕事が与えられるわけではない。「自分はチームに対してこういう貢献ができる」ということを文書をまとめ、社内で営業をかけて、自分で仕事を取ってこなければならない。さすがに、どういうトマト加工食品を作るかまではチームで決めることができないようだが、同社では1人1人の社員がまるで経営者であるかのように振る舞っている。

 現場の権限が非常に強いので、逆に本社の規模は極めて小さい。CEOの権限も少ない。本社は「戦略を立てない」。CEOや本社は、明確な「存在目的」を掲げて企業全体をリードすることに腐心する。この点については、同書には明確に書かれていないのだが、複雑系の理論の影響を受けているものと推測される。同書に関する記事は後日改めて書く予定である。
2018年07月13日

『致知』2018年8月号『変革する』―「1年も持たない製品・サービス」よりも「10~15年かけて完成させる製品・サービス」を


致知2018年8月号変革する 致知2018年8月号

致知出版社 2018-07


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 先日の記事「メラニー・フェネル『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』―私自身の「最終結論」を修正してみた」で、私の最終結論を「私は努力すればすぐに結果が出せる人間だ」と「私は本当は劣った人間である」という2つから、「私は大器晩成型で、回り道もするが中長期的には成果が出せる人間だ」と「私は普通の人並みには優れている人間だ」という2つに変更したと書いた。これに伴って、生きるためのルールを「短期的な成果を求めず、今日が昨日より少し優れているように努力すること(そうすれば、解る人には解る)」へと変更した。簡単に言えば、短期志向に走って思い通りに行かずに悩むのではなく、10年、15年といった中長期的な視点で仕事に取り組んで、最後に成果が出ればよいという考え方にシフトした。

 『致知』の本号には、江戸時代の農政家で、生涯に約600もの復興を成し遂げたと言われる二宮尊徳の言葉が紹介されていた。
 遠きを謀る者は富み、近きを謀る者は貧す。
 中長期的な視点で物事に取り組む人は(最初は成果が出なくて苦しむかもしれないが、最終的には指数関数的に)財を成し、近視眼的に物事に取り組む人は(すぐにちょっとした成果が出るかもしれないものの、まもなくそれを使い果たして)貧乏に苦しむ、といった意味だろう。

 また、本号では、江戸中期に書かれた『葉隠』に関する記事もあった(本田有明「【不朽の名著】『葉隠』に学ぶ変革の要諦」)。『葉隠』は「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という過激な一文で始まるため、武士の厳しい心構えを説いた本だと思われがちだ。しかし、実際には、人間はどう生きるべきか、リーダーはどうあるべきかといったことについて、万人向けに論じた自己啓発書である。『葉隠』は、自分自身や組織を変革し、大きな仕事を成し遂げるためには、15年先を見据えることが肝要だと書かれている。以下、本号より口語訳を引用する。
 人はみな短気を起こして大きな仕事をしそんじることがある。長く時間がかかってもかまわないと気長にかまえていれば、意外と早く望みをかなえられるものだ。つまり時節が到来するのである。

 15年先のことを考えてみなさい。さぞかし世間の様子は変わっていることだろう。いま役に立っている者たちも、15年先にはいなくなっているかもしれない。(中略)時代の変化とともに人間の能力も下がってゆくことだから、気長にかまえてひと踏ん張りすれば、やがて必ず陽の目を見る。15年などというのは夢の間のことである。きちんと節約して努力を続ければ、ついには本願を遂げてお役に立てるようになる。
 私は、私自身だけでなく、多くの日本人はもっと中長期的な視点に立って仕事をする方が向いている気がする。これは決して、遠い将来における明確なビジョンを樹立し、そこからバックキャスティング的に計画を立てて、それを着実に実行することを意味しない。こういうのはアメリカ人の方が得意である。アメリカ人の思考は「未来⇒現在」へと流れる。他方、日本人は現在を大切にする。今日1日を精一杯生きることを誓う。それを積み重ねていけば、遠い将来には、どんなものができ上がるか想像がつかないけれども、きっと大きな仕事を成し遂げることができると信じている。つまり、時間の流れがアメリカ人とは逆で、「現在⇒未来」となっている。

 最近は、アメリカから成果主義など短期的な施策が日本に入ってきている。アメリカ人はビジョンと現在の間隔を詰めることで対応することができる。しかし、日本人は、そもそも中長期的に何ができるかよく解っていないのだから、時間軸を縮めたら中途半端なものしかできない。

 もちろん、短期的に成功を収めることが可能な分野もある。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で示したマトリクス図のうち、左上に位置する<象限③>の領域である。スマホアプリ、BtoC向けWebサービス、エンタメ、音楽などは、ヒットすれば爆発的に儲かる。ただし、人気がなくなればそれでおしまいである。

 私は、最近の<象限③>に位置する製品・サービスがますます短期志向になっており、その質を劣化させているように感じる。スマホゲームの寿命は半年ほど、演劇の寿命は数か月、音楽の寿命は数週間、Youtuberの動画の寿命はわずか数日しかない。こんな具合なので、手っ取り早く儲ければよいと考える人は、製品・サービスを作り込もうとしない。その結果、なぜこんなゲームアプリがダウンロードされるのか、こんな演劇がヒットするのか、こんな音楽が売れるのかなどと、首をかしげたくなるケースが増えた(いつの時代にもあるような、年寄りが若者に対して抱く違和感にすぎないのかもしれないが)。Youtuberが「・・・をやってみた」といったお気軽動画で100万回以上の再生数を稼いで、一般人よりもリッチな生活を送っているのは、私にはもはや理解できない。私は、<象限③>で勝負する日本人が増えるのは危険信号だと思う。

 左下の<象限①>はどうだろうか?以前の記事「『組織の本音(DHBR2016年7月号)』―「明確なビジョンを掲げ、短期間で成果を出す」というアメリカ流の経営には飽きた」で、LIXILの短期的経営を問題視したことがある。LIXILが扱う製品は<象限①>に該当するとすると私はとらえている。<象限①>の製品・サービスは、消費者の生活に深く密着している。だから、消費者の生活習慣、さらにはその背景にある伝統、文化、社会的文脈を理解することが欠かせない。これは数年でできることではない。インテリジェンスに長ける欧米企業とは異なり、市場調査から得られるデータの解釈が苦手で、現地に行って現物を見ないと現状が理解できない日本人は、ターゲットとする市場に直接出向いて、長期間潜在顧客を観察する必要がある。そして、そこから得られた情報・知見を製品・サービスに丁寧に織り込むことが重要である。

 とはいえ、<象限①>は参入障壁が低く、特に新興国企業の参入を受けやすい。つまり、競争が激化しやすい。だから、あまり悠長に製品・サービス開発をすることもできない。そこで、サムスン電子が取った方法は、大量の若手社員を世界各地に駐在させ、1年間実際に生活させて、現地の消費者のニーズを細かく吸い上げるというものであった。サムスン電子は、人海戦術によって時間を短縮したわけである。ところが、日本企業はと言うと、せいぜい現地法人に数名の駐在員を送り込む程度である。しかも、駐在員は人事総務、生産管理、営業、経理などに忙しいから、マーケティング活動に専念することができない。そんな駐在員から送られてくる貧弱な情報では、日本の本社が勝負できるわけがない。そうでなくても、<象限①>は新興国企業の低コストに分があるわけだから、日本企業がやすやすと勝てる領域ではない。

 私は、日本企業の強みは右下の<象限②>であると思っている。しかも、<象限②>の製品・サービスはどんどん複雑なものになっている。自動車業界では電気自動車や自動運転が注目されているが、これらが実現すると、サプライチェーンは全く異なるものになる。また、交通システムを全般的に見直さなければならない。電力業界では、スマートグリッドが導入されつつある。同時に、再生可能エネルギーへのシフトが進んでいる。加えて、規制緩和により電力小売の自由化が実現している。社会全体でどのようにすればエネルギーを効率的に使うことができるのか、グランドデザインが求められている。医療分野では、医療技術が高度化するとともに、地域医療の徹底、介護との連携などが課題となっている。また、医療システムを支える社会保障制度の抜本的見直しも急務である。これらの諸要素の整合性を取りながら、望ましい医療の姿を描くことが必要とされている。金融分野でも、ブロックチェーンの登場、フィンテックの導入などにより、従来とは全く異なる金融システムを作り上げなければならない。

 これらの仕事は、到底数年では完成しない。10年、15年とかけて完成させるべき大仕事である。多くの日本企業は、アメリカの影響で短期に振れてしまった経営の方針を、日本人本来の精神のリズムに合わせ直し、ミッション、ビジョン、価値観、戦略、ビジネスエコシステム、ビジネスモデル、ビジネスプロセス、組織構造、予算制度、調達制度、人材育成、人事・業績評価制度、情報システム、知的財産、研究開発、組織風土などを構造的に見直す必要がある。

 前述の仕事は、もはやマーケティングの域を超えている。前掲の記事で、<象限③><象限④>は需要を創造するイノベーション、<象限①><象限②>は既存の市場のパイを奪い合うマーケティングであると書いたが、これには少し補足をしたい。イノベーションとは、必ずしも新しい需要を創造する活動だけではない。非連続的な技術や代替品によって、既存市場の構造を抜本的に破壊する行為もあてはまる。このタイプのイノベーションの1つの目安は、異業種からの参入が増えることである。例えば、電気自動車が普及すると、想定外の部品メーカー、組立メーカーが現れる可能性がある。こう考えると、前述の仕事は従来の産業・市場の枠組みを根底から覆し、その結果として異業種参入を招くから、イノベーションに該当すると言える。

 (※)余談だが、<象限③><象限④>にもマーケティングは存在する。リピーターが多い業界は、データに基づくマーケティングに力を入れている。ディズニー、USJ、そして航空業界は、顧客情報を大量に収集し、セグメント別のサービスを開発している(USJについては、ブログ別館の記事「森岡毅、今西聖貴『確率思考の戦略論―USJでも実証された数学マーケティングの力』」を参照)。さらに進んだ企業では、いわゆるOne-to-Oneマーケティングを実践している。リッツカールトンでは、例えばある顧客がアメリカのホテルを利用した時、その人が要望したサービスの情報(熟睡できるように柔らかめの枕を希望した、など)が統合データベースに登録され、彼が次にイギリスのホテルに宿泊した際には、統合データベースの情報に基づいて、アメリカのホテルで受けたサービスと同じサービスを受けることができる。

 アメリカ人が<象限③>で起こすイノベーションは、イノベーター自身の心の軸に従って、利己的に開発されることが多い。「私ならこういう製品・サービスがほしい。しかし、世界にはまだそれがない。だから、私が開発した。私がほしがっているなら、世界中の人も同じようにほしがるはずだ。世界中の人が私のイノベーションを購入すれば、私は大儲けできる」と期待する。<象限③>は必需品ではないため、実際に全世界の人がそのイノベーションを購入するわけではないが、全世界人口のわずかな割合でもそれを購入すれば、イノベーターは短期間で莫大な富を手にすることができる。後は早々にリタイアして、悠々自適の生活を送るだけである。

 一方、日本人の美徳は利他的であることである。よって、イノベーター自身の心の声に耳を傾けるのではなく、社会の声に耳を傾けなければならない。社会にとって何が善なのか、正義なのか、公正なのか、道徳なのか、倫理なのか?これを考え抜くことでイノベーションが生まれる。第二電電(現KDDI)を創業した稲盛和夫氏は、創業にあたり、「動機善なりしか、私心なかりしか」と半年間自問自答したそうだ。そして、動機が善であるという確信を得て初めて第二電電を創業した(通信は、マトリクス図の<象限②>に該当すると考える)。

 もちろん、アメリカの全てのイノベーターが利己心に基づいているとまでは言わない。中には利他心に基づき、社会全体のことを案じているイノベーターもいる。彼らが創造したイノベーションは、<象限③>から出発するものの、やがて本当に全世界中の人々にとっての必需品となり、<象限①>や<象限②>に下りてくる(<象限②>に下りてくるのは、世界中で売れるにしたがって、要求の厳しい顧客に直面し、品質水準が上がる場合である)。マイクロソフトのWindowsは、最初はコンピュータおたくのためのイノベーションであったが、今や世界中の人々に欠かせないソフトウェアとなっている。ビル・ゲイツにどのような動機があったのか、その本音を聞いてみたいものだ。それはともかく、アメリカでは利他心に基づくイノベーターが例外的であるのに対し、日本では利他心に基づくイノベーターが中心でなければならない。

 利己的なイノベーターは初めから利益を最優先している。一方、利他的なイノベーターは利益を二の次にする。幕末に備中松山藩の財政を立て直した山田方谷は、漢の時代の董仲舒の言葉である「義を明らかにして利を計らず」という一節をよく用いた。

 松山藩には10万両(現在の貨幣価値に直すと約600億円)の借金があり、かつ毎年7,000~8,000両の利息が発生していた。これだけの借金があると、普通ならば、毎年の利益を緻密に計算して返済のシミュレーションをするだろう。少なくとも、そうしなければ今の金融機関は認めてくれないに違いない。ところが、山田方谷は「利を計らず」と言って、陽明学の精神に従って財政を再建させた。だからと言って、山田方谷の成果は決して小さいものではなかった。山田方谷は8年かけて借金を完済するだけでなく、逆に10万両の財産を築くことに成功している。義、つまり、人間として正しいことを長期間実践し続けていれば、後から結果はついてくる。これを、<象限②>で戦う現代の日本のイノベーターにも求めたい。

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