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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2017年10月17日

『世界』2017年10月号『「一強」は崩壊したのか』―「様々な政治的課題で左派の山の方が大きい」という事実誤認、他


世界 2017年 10 月号 [雑誌]世界 2017年 10 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-09-08

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 (1)
 現下の状況では、米朝両国に対し、世界中に災厄を撒き散らしかねない武力衝突への道を回避するように諫め、朝鮮戦争の完全停止―両国の平和条約締結・国交正常化に向かう話し合いを開始せよ、と促すことだ。
(神保太郎「メディア批評 第118回」)
 米朝関係が緊迫したまま膠着状態にあるが、左派はすぐにここで「対話」を持ち出してくる。しかし、この段階で米朝がどんな対話をすればよいのか、具体的なスクリプトを提示した左派を私は知らない。ただ単に、対立する両者が交渉のテーブルに着いて、「まあまあ、ここは仲良くやりましょうよ」と言えば、両者が和解するというユートピアを描いているかのように私には映る。

 第一、ミサイルを次々と打ち込んでくる北朝鮮に対して、すぐに対話を求めること自体がおかしい。仮に、日本国内で、空に向かってパンパンと拳銃を撃ち鳴らす凶暴な人がいたら、まずは警察に何とかしてくれと頼むであろう。まさか、その人に近づいて行って、「ここは話し合いを」などと言う人はいない。それに、左派がすぐに対話を求める姿勢は、沖縄県における基地反対運動と矛盾する。辺野古移設をめぐっては、工事現場に出入りする車両を力づくで止めようとする左派、市民活動家が後を絶たないと聞く(実際に逮捕者も出ている)。力に対しては力で対抗するのが普通の反応である。左派は、身近に感じている脅威に対しては過激に振る舞うのに、それ以外の脅威に対しては冷静な対話を要求しているわけであり、論理的に一貫していない。

 そもそも、左派は「対話」というものを誤解している。旧ブログの記事「「対話」という言葉が持つソフトなイメージへのアンチテーゼ」でも書いたが、一般的に「対話」と言うと、和やかな雰囲気の中でお互いの意見を語り合うという印象がある。しかし、対話は「議論」の対極に位置する。議論は、参加者が冷静に意見交換をし、合理的に結論を導くプロセスである。その対極にある対話とは、実は本質的に暴力的である。参加者は冷静さを欠き、感情的に高ぶっている。相手を非難し、罵倒し、恫喝し、脅迫する。その言動は時に支離滅裂であり、非合理的である。一歩間違えば、本当に暴力の応酬になる。かろうじて残っている理性が非理性を何とか制御している。

 そして、お互いに気の済むまで自分の見解を奔放にぶつけ合うと、相手の意識の根底に横たわっていた本音が透けて見えてくる。ここに至って初めて、相互理解が進む。対立していた両者は、必ずしも相手のことを正しいとは認めないが、未来に向けて同時に一歩を踏み出すようになる。何か合理的な結論に双方が合意することが重要なわけではない。むしろ、そんな合意は存在しないかもしれない。双方が膠着から前進へと移るという事実こそが重要である。これが本来の対話のプロセスというものなのである。現在、北朝鮮は相変わらずミサイルでアメリカを挑発し、アメリカがそれに言葉と制裁で応酬するということを繰り返している。これは彼らなりの対話のプロセスの一環であり、将来的に交渉のテーブルに着くために避けては通れない道である。

 (2)
 中野:実際の世論調査では、むしろリベラル、左派の山のほうが大きい。どういうことかというと、原発、雇用、福祉、安保法制、特定秘密保護法、共謀罪―これらのイシューで民進党の立ち位置よりも左側に多くの有権者がいることを世論調査はむしろ示している。真ん中に高い山が1つではなく、右寄りと左寄りに2つ山があるのかもしれない。
(中北浩爾、中野晃一「政党政治の底上げは可能か―揺れる安倍政権と野党の活路」)
 引用文中にある政治的課題をめぐっては、右派より左派の方が山が大きいと著者は言うわけだが、これは正確な表現ではない。実際の世論調査の結果を拾えるだけ拾ってみた。

 <安保法制
 ・共同通信=「廃止するべきではない(47%)」⇔「廃止するべきだ(38%)」
 ・産経新聞=「必要(57%)」⇔「必要だと思わない(35%)」
 ・日本経済新聞=「廃止すべきではない(43%)」⇔「廃止すべきだ(35%)」
 ・朝日新聞=「賛成(30%)」⇔「反対(51%)」
 ・毎日新聞=「評価する(37%)」⇔「評価しない(49%)」

 <共謀罪
 ・日本経済新聞・テレビ東京=「賛成(58%)」⇔「反対(23%)」
 ・読売新聞=「賛成(58%)」⇔「反対(25%)」
 ・産経新聞・FNN=「賛成(57.2%)」⇔「反対(32.9%)」
 ・朝日新聞=「賛成(35%)」⇔「反対(33%)」
 ・毎日新聞=「賛成(49%)」⇔「反対(30%)」

 <特定秘密保護法
 ・共同通信=「賛成(35.9%)」⇔「反対(50.6%)」
 ・時事通信=「必要(63.4%)」⇔「必要でない(23.7%)」
 ・FNN=「必要(59.2%)」⇔「必要でない(27.9%)」
 ・日本テレビ系列=「支持する(57.3%)」⇔「支持しない(27.6%)」
 ・テレビ朝日系列=「支持する(38%)」⇔「支持しない(32%)」
 ・NHK=「必要(25%)」⇔「必要でない(16%)」
 ・朝日新聞=「賛成(30%)」⇔「反対(42%)」
 ・毎日新聞=「賛成(29%)」⇔「反対(59%)」

 <原発再稼働>
 ・朝日新聞=「賛成(29%)」⇔「反対(57%)」
 ・毎日新聞=「賛成(26%)」⇔「反対(55%)」

 原発再稼働に関する世論調査は、東日本大震災から6年を迎える今年の3月に実施されたものであるが、朝日・毎日新聞以外では実施されていないようであった(個別の原発の再稼働に関して、地元新聞が行った世論調査はあった)。引用文中には、あと「雇用」と「福祉」がある。雇用に関しては「労働市場を流動化するべきか、それとも労働者の権利を保護すべきか」、福祉に関しては「社会保障を削減するべきか、それとも充実させるべきか」という世論調査を想定しているのだろうが、「雇用 世論調査」、「労働市場 世論調査」、「福祉 世論調査」、「社会保障 世論調査」をキーワードにgoogleで上位100ページを調べたものの、そのような世論調査は見つからなかった。以上の結果を見ると、右派より左派の山の方が大きいのは原発再稼働ぐらいで、総合的に左派の山の方が大きいとはとても言い難い。

 今月号は、何としてでも安倍政権を倒したいという意向が随所に垣間見える内容だった。上記の世論調査に関する印象操作はまさにその典型である。左派は自分にとって都合のいいように事実を捻じ曲げている。左派は、歴史問題に関しては、まずは事実と真摯に向き合うべきだと主張する。日中、日韓の間で、歴史的事実に関して完全なる合意ができなければ、両国との過去を清算し、未来志向の関係を構築することは困難だと言う(もっとも、左派が言う歴史的事実が本当に事実なのかという疑問はあるのだが)。ところが、こと実際の政治問題となると、虚言を並べ立てる。ナチスでプロパガンダの天才と呼ばれたヨーゼフ・ゲッベルスは、「嘘も100回言えば真実になる」と言い、旧ソ連は虚偽の情報を国民に信じ込ませるための広告手法を共産党員に熱心に教育した。日本の左派がやっていることは、これと大して変わらないのではないか?

 (3)
 そんな中、1つだけはっきり言えるのは、「ポスト安倍」時代こそ「中庸の精神」にもとづく政治が必要とされてくる、ということだ。安倍政権は、戦後秩序を根本から変えるという国民を二分するテーマに挑戦し続け、国民の間に深刻な軋轢を生じさせた。寛容な態度で多様な価値観を認める「中庸の精神」という保守主義の美徳は、国民の分断という傷を癒やし、再び統合へと導く大きな力となるだろう。
(園田耕司「保守政党よ、「中庸の精神」たれ―「ポスト安倍」時代への提言」)
 私は、安倍総理は十分に中庸の精神を発揮していると思う。前回の衆議院議員総選挙で改憲勢力が3分の2以上を獲得した時、自民党は野党時代の2012年に取りまとめた「日本国憲法改正草案」をベースに議論を進める予定であった。しかし、この草案は現行憲法の内容を大きく書き換えるものであり、天皇を元首として定め、愛国心と郷土愛を強調し、国民の基本的人権を制限し、家制度の復活を匂わせる内容であった。さすがにこの内容では国民の理解が得られないと感じた安倍総理は、熟慮の結果、9条の改正一本に絞ったわけである。しかも、自民党草案では「国防軍」と明記されていたところを、まずは国民に広く理解・支持されている「自衛隊」の存在を9条3項に書き込むという、極めて穏健な加憲を目指すことにした。

 もちろん、この加憲案は問題もはらんでいる。9条2項には「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあり、この後に3項として自衛隊の存在を加えると、「戦力ではない自衛隊とは何なのか?」、「交戦権が認められていないのに、自衛権を行使してもよいのか?」などといった議論を巻き起こす恐れがある。そして、これまでもそうであったように、この手の議論は日本を取り巻く安全保障の現状を離れて、神学的な論争になりやすい。それでも私は、安倍総理が本当は心の中で実現したいと思っている自民党草案を一旦棚上げし、9条のみにフォーカスしたことに中庸の精神を感じるのである。少なくとも、改憲か護憲かという単純な二項対立の図式にはめ込み、改憲と護憲の中庸は護憲であるという不可解な方程式を導く左派よりはずっとましである。

 (4)
 しかし、事故前に定められた「自衛隊原子力災害対処計画」にはない、原発敷地内、つまり原発オンサイトでの原子炉への注水や給水、燃料プールへの放水などの作業が、いつ誰からどのような経路で自衛隊に依頼され、自衛隊内部でどのような議論がなされ、事後それはどう総括されたかという点については(※防衛省は)一切回答しなかった。
(七沢潔、中村勝美「吉田調書を超えて(第3回)―原発事故と自衛隊(下)」)
 福島原発事故では自衛隊が出動したが、日本の自衛隊は海外の軍とは違って、ポジティブリスト方式で動いている。海外の軍は「これだけは絶対に行ってはいけない」という禁止事項を列挙するネガティブリスト方式であるのに対し、日本の場合は「これだけは行ってもよい」という事項を列記するという方式をとっている。本記事は、原発オンサイトにおける自衛隊の一連の活動が、このポジティブリスト方式に則っていないのではないかと問題提起をするものであった。

 自衛隊のミッションは、非常事態において国民の生命を守ることである。非常事態においては何が起きるか事前に予測することが不可能であり、その時の状況に応じて柔軟に対応することが要求されるから、本来であれば海外のようなネガティブリスト方式の方が適切である。だが、日本のポジティブリスト方式をネガティブリスト方式にがらりと変えるのは、抜本的すぎておそらく非常に時間がかかる。よって、当面は自衛隊が行ってもよいことをポジティブリストの中にできるだけ包括的に定めておくという策が現実的であろう。今回の福島原発事故が、将来の原発事故に備えてポジティブリストを見直す契機になるとよいと思う。

 ところで、9月には2020年の東京五輪・パラリンピックを見据えて、テロ対策の訓練が秩父宮ラグビー場など各地で実施された。訓練の主体は警視庁や海上保安庁であった。私はここで、なぜ自衛隊が加わっていないのかと不思議に感じた。テロは不特定多数の国民の生命を脅かす行為である。ならば、警察ではなく自衛隊が出動するべき場面であるはずだ。

 日本では伝統的に、自衛隊よりも警察の方が権限が強いという傾向がある。国際問題アナリストの藤井厳喜氏は、オウム真理教による地下鉄サリン事件はテロであり、警察のキャパシティを超えているがゆえ、自衛隊マターであったと述べている(藤井厳喜、飯柴智亮『米中激戦―いまの「自衛隊」で日本を守れるか』〔KKベストセラーズ、2017年〕)。海外では、テロが起きると必ず軍が最前線に出てくる。日本の場合、ポジティブリストにテロへの対応がまだ十分に書き込まれていないのかもしれない。テロへの対応は自衛隊と警察が協力して行うものだという認識に立って、どこまでが警察の守備範囲であり、どこからが自衛隊の出番なのか、そして、警察と自衛隊はどのように連携するのかをポジティブリストの中で明らかにする必要があると考える。

米中激戦!  いまの「自衛隊」で日本を守れるか米中激戦! いまの「自衛隊」で日本を守れるか
藤井厳喜 飯柴智亮

ベストセラーズ 2017-05-26

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 (5)
 武田さんが生涯を通じて問い続けてきたのは、伝統に根ざす、特殊で排他的な要素をも含む土着的価値の中のポジティブな要素を、いかにして普遍的な「民主的価値」にまで高めていくか、ということである。
(阿部菜穂子「インタビュー 武田清子氏に聞く―「天皇観の相剋」と現代」)
 武田清子氏は『天皇制の相剋』などの著書がある、御年100歳の近代日本思想史学者である。戦前の天皇制が天皇の絶対化・神格化から全体主義へと至ったという過去を反省し、戦後の日本人は「常に人間を超えた普遍的な価値というものに、自分たちの現実が沿っているか銅貨を反省してインプルーブしていく」ことが重要だと説いている。

 だが、ここで私は「人間を超えた『普遍的な価値』」というものが果たしてあるのかどうかと疑問に感じる。引用文では、それを「民主的価値」に高めていく必要があるとされているが、これではまるで、戦前の日本が上からの全体主義化であったのに対し、21世紀の日本が下からの全体主義化を志向しているようにも見えてしまう。実は、『正論』2017年10月号にも、「脱宗教化されたグローバルで民主的な普遍的価値をアメリカが世界に広めていき、日本はそれに協力するべきだ」といった趣旨の記事があった(ケヴィン・M・ドーク「グローバル社会だからこそ「武士道」を」)。私はこうした主張に首をかしげざるを得ない。

月刊正論 2017年 10月号 [雑誌]月刊正論 2017年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2017-09-01

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 我々は人間を超えた価値を認めるべきである。これは、人間が合理主義者を名乗って傲慢にならないようにするために絶対に必要である。合理主義を超える価値は、非合理である。なぜ正しいのかを合理的に説明することはできない。ただ、人間を超越しているからというその理由だけで尊い。そして、その非合理的な価値には、人間がどれだけ逆立ちしても到達することができない。我々はその価値を信じるしかない。よって、これは宗教である。そして、ここからが重要であるが、その宗教が政治を規定する。非合理が合理を規定する。合理は非合理に影響されることによって、逆説的だが絶対に完全な合理になることがない。つまり、人間を謙虚にする。

 近代以降の原則は政教分離であるとされるが、実際には土着の非合理が世俗の合理の輪郭を作る。したがって、唯一絶対の政治システムというものは存在しない。土着の非合理の数だけ、政治も多様になる。そして、我々は、他国の土着の非合理が自国の政治を脅かさない限りにおいて、他国の土着の非合理を尊重しなければならない。他国の政治を理解するとは、その国の宗教を理解することである。ある国が自国の宗教に対して謙虚であるのと同様に、他国の宗教に対しても寛容さを示せば、世界に多様な宗教的価値が併存することを認めることができ、全世界を普遍的価値が覆う場合と比べて、かえって国家間の連帯が可能になるであろう。
2017年10月10日

『致知』2017年10月号『自反尽己』―上の人間が下の人間に対してどれだけ「ありがとう」と言えるか?、他


致知2017年10月号自反尽己 致知2017年10月号

致知出版社 2017-10


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 本号には、山田方谷の「至誠惻怛」(何事にも真心を持って接すれば物事が上手くいく)という言葉をはじめ、他者に尽くし、個人よりも全体を優先させることの重要性が説かれた箇所がいくつか見られる。ただ私は、特に日本において「私」が「公」に完全に吸収されることには危険を感じている。事実、日本人はそれによって全体主義に陥り、太平洋戦争に敗れた痛ましい過去を背負っている。このことは以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」でも書いた。

 アメリカの2年目教員400人超(担当は未入園児から高校生まで)を対象とした興味深い研究がある。教師には幾何学の先生になったつもりという前提で、次の質問に回答してもらった。「ある日あなたは、放課後の時間を使って、アレックスという生徒の習熟度向上を助けることにした。アレックスからは、『友達のジュアンも指導してもらえませんか』と頼まれたが、ジュアンはあなたの担当する生徒ではない。さて、どうするか?

 ①ジュアンが何に困っているかをよりよく把握するために、放課後に個別の補修を行う。
 ②アレックスの補習にジュアンを招く。
 ③『ジュアンの力になろうとするのはよい心がけだが、まずは自分が授業についていけるよう、勉強に専念しなさい』とアレックスを諭す。
 ④アレックスに、ジュアンは担任に助けを求めるべきだと伝える。」

 教師は生徒の力になるのが仕事であるため、「役に立とう」という意識の強い人が多いことは容易に推測される。ところが、教員が①のような選択をすると、生徒の成績は悪化することが判明した。①は、生徒に際限なく手を差し伸べる「滅私」である。このような対応をする教員の場合、自分をいたわる教員と比べ、担当生徒の学年末標準テストの成績が著しく悪かった。一方、②を選択した教員は、滅私タイプの教員とは異なり、成績を悪化させずに済んだ。

 「滅私」と「寛容」の混同はよくある過ちである。寛容の精神を上手く発揮する人は、誰にでもむやみに尽くしたりはしない。他者を助けるための犠牲が過大にならないよう、注意を払っている(アダム・グラント、レブ・リベル「いつ、誰を、どのように支援するかを工夫する 『いい人』の心を消耗させない方法」〔『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年9月号〕より)。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)

ダイヤモンド社 2017-08-10

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 心を込めて他者に貢献することは重要であるが、自分をすり減らしてはならない。他者貢献をしながら自己の利益もしっかりと確保することが重要である(以前の記事「『闘魂(『致知』2016年11月号)』―「公」と「私」の「二項混合」に関する試論、他」、旧ブログの記事「人間は利他的だとしても、純粋な利他的動機だけで富は生まれぬ―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』」を参照)。個人的には、本号の次の言葉がしっくりくる。
 田口:東洋思想では、他者に尽くすことで初めて自分も生きてくる。自利と利他はイコールですが、そういうところから説いていけばよいということですか。
(野口智義、田口佳史「いま、なぜ世界のエリートたちは東洋思想に惹かれるのか」)
 さて、本ブログでは、非常にざっくりとした形ではあるが、日本の重層的な階層社会を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/非営利組織⇒学校⇒家庭」と描写してきた。ここで、企業にフォーカスを当てて細かく観察すると、その内部はさらに多重化している。製造過程は「親会社⇒子会社⇒孫会社⇒・・・」という形を、流通過程は「(市場⇒)小売⇒・・・⇒2次卸⇒1次卸」という形をしている。両者をつなぐと、「(市場⇒)小売⇒・・・⇒2次卸⇒1次卸⇒親会社⇒子会社⇒孫会社⇒・・・」という形で業界全体のバリューチェーンが形成されていることが解る。

 さらに、1つの企業の内部をとってみても、「経営トップ⇒本部長⇒事業部長⇒部長⇒課長⇒係長⇒リーダー⇒・・・」という多重構造が見られる。20年ほど前、欧米から組織のフラット化の手法が日本にもたらされたが、日本ではミドルマネジャーが減少するどころが増加していることは、以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業」でも書いた。企業だけに注目しても、これだけ多重化しているのが日本の特徴である。他の要素に関しても、おそらく一定の多重化が見られると推測される。その構造がどのようになっているのかを解きほぐすのが、今後の私の課題である(ただし、天皇だけはお一人であり多重化しない。一方で、日本の神々は多重化していることは、冒頭の和辻哲郎に関する記事で書いた)。

 以前の記事「【議論】人材マネジメントをめぐる10の論点」では、「企業において上の階層の者(マネジャー)が下の階層の者(現場社員)を動機づけるのはおかしいのではないか?」ということを書いた。人材マネジメントの分野で、社員のモチベーションは重要な研究テーマであるにもかかわらず、それを真っ向から否定しようという挑発的な問題提起であった。私がそのように書いたのは、お金をもらっている人(現場社員)が、お金を払っている人(マネジャー、企業)から動機づけられることを期待するのは不自然だと感じたからである。例えば、顧客が企業から製品・サービスを購入する時、お金を払う顧客はお金をもらう企業を動機づけようとはしない。

 階層社会においては、上の階層の指揮命令に従うことが下の階層の者の絶対的な役割であり、動機づけは下の階層の者が自分自身の責任において行わなければならない。それでも、企業において社員の動機づけを問題にしなければならないとすれば、顧客と企業の関係においては、顧客がある企業の製品・サービスが気に入らない場合は容易に他社に乗り換えることができるのに対し、企業においては、上司が部下のことを気に入らないからと言って、簡単に部下を切り捨てることができないという事情があるためだと考える。新たに人を採用するにはコストも時間もかかる。上司は、まずは現有戦力で何とかやりくりしなければならない。つまり、今の部下に頑張ってもらわなければならない。よって、部下のモチベーションを上げる必要がある。ここに私は、企業における動機づけ理論の限定的な意義を認める。

 こう書くと、「基本的に、上司は部下のモチベーションのことは考えなくてもいいのだ」と思う方もいらっしゃるかもしれない。誤解してほしくないのだが、私が上記のようなことを書いたのは、昨今の「現場社員の態度」を問題にしているからである。日本企業の社員は、世界的に見ても恵まれている。日本企業の多くの経営者には、「社員を大切にする」というマインドが染みついている。また、欧米に比べると一長一短はあるものの、福利厚生制度もそれなりに整っている。それなのに、国際的な調査によれば、日本人社員のモチベーションは非常に低い。日本人社員はことあるごとに、「会社が自分のモチベーションを上げてくれない」と愚痴をこぼす。私は彼らに対して「甘えるな」と言いたい。前述の通り、モチベーションの管理責任は第一義的には本人にある。

 では、「経営者の態度」や「マネジャーの態度」はどのようなものであるべきだろうか?経営者やマネジャーは、企業組織の階層の上位にあって、下位の社員に指揮命令をする立場にある。だが、指揮命令とは、言い方を変えれば「お願い」である。しかも、昨今は技術進歩が加速しているため、上司自身が過去に経験したことのない仕事を部下に依頼する局面が増加している。非常にプリミティブなことだが、自分がお願いしたことをやってくれた人に対しては、素直に「ありがとう」と感謝の意を伝えるのが人間というものではないだろうか?

 京セラの創業者であり、JALの経営再建にも成功した稲盛和夫氏は、昔から役員の仕事をくそみそにこき下ろすことがあるらしい。それでも自分について来てくれる役員には感謝していた。ある時、稲盛氏は役員に対して、「何でいつも滅茶苦茶に叱っているのに自分について来てくれるのか?」と尋ねた。すると、役員は「どんなに怒られても、最後は稲盛さんが『ありがとう』と言ってくれるからです」と答えたそうである。もちろん、稲盛氏とそりが合わなくて辞めた役員も少なくないだろうが、稲盛氏が人間観を持って人間を大切にしたからこそ、経営チームが機能し、複数の企業で大きな成果を上げられたのだと思う。

 これはある人から聞いた話だが、ある企業が経営不振に陥っており、倒産直前まで追い込まれていた。社長は倒産を回避するために休日を返上して一生懸命働いている。それにもかかわらず業績が一向に回復しないのは、社員が自分のように頑張って働かないからだと社長は考えていた。社長は、今までの様々な失敗を全て社員のせいにしていた。その社長はある時、コンサルタントからこんなことを言われたそうだ。「そんなにガタガタな会社でも、毎日朝になると社員が皆出勤してくれる。まずはそのことに感謝しなければならない。『今日も会社に来てくれてありがとう』と言わなければならない」。社長は最初反発したものの、助言に従って、社員に感謝の意を表明するようにした。すると、徐々に社内の雰囲気が改善され、業績も回復したという。

 現在、グローバル規模での価格競争に打ち勝つため、あるいは飽和した国内市場に代わる市場を探すために海外に進出する日本企業が増えている。私はいろんな経営者の話を聞いてきたが、海外で事業を成功させている経営者は異口同音に、「我が社はこの国でビジネスをさせてもらっている」と言う。進出先の国に対して感謝をしているわけだ。

 近年は新興国に進出する日本企業が多い。日本企業は、ややもするとローカル社員の能力を過小評価し、上から目線で彼らに接しがちである。また、進出目的がコスト削減であれば、彼らを安い賃金で目一杯働かせようとする(中国や韓国の企業はこの傾向が強く、進出先の国から嫌われていることがある)。しかし、こういうことをする企業はたいてい失敗する。確かに、日本企業から見れば、ローカル社員は階層構造の中で下の立場にある人たちである。しかし、彼らに感謝をしながら、進出先の国の長期的な発展を願うことが、海外における成功の秘訣なのである。

 やや話が逸れるが、登山家も、山に感謝しながら登山をしていると本号にあった。
 どんな山に挑戦する時も、その山のことをしっかり頭に入れて、安易な気持ちでいるのではなく、畏れを持つ。山に登るんだという厚かましい態度ではなく、登らせていただくという気持ちで山と向き合ってきました。山には危険が至るところにあって、いつ何が起こるか分かりません。これまで多くの登山家が命を落としてきただけに、そういった心構えが私は大切だと思っています。
(田村聡「少しの勇気が明日をひらく大きな力になる」)
 日本は元々儒教社会であるから、目上の人を尊敬する文化が根づいている。つまり、下の階層の人が上の階層の人に感謝をすることが当然とされており、幼少の頃からそういう教育を受けている。製品・サービスを買ってもらった企業は顧客に感謝をし、給料をもらった社員は会社に感謝をし、学校に子どもを預けた親は先生に感謝をし、家庭で自分の面倒を見てもらっている子どもは両親に感謝をする。しかし、これからは、上の階層の人から下の階層の人への感謝をプラスしなければならないと思う。顧客は自分のニーズを充足してくれた企業に感謝をし、経営トップは毎日会社に来てくれる社員に感謝をし、学校はよくしつけされた子どもを学校に送り込んでくれる家庭に感謝をし、両親は元気に生きてくれる子どもに感謝をする。この「双方向の感謝」を、私が考える日本社会の階層構造を構成する重要な要素の1つとする必要がある。

 ただ、本号では、寺院の修理・新築を手がける鵤工舎の小川三夫氏が、最近は儒教社会の根本である、下の階層から上の階層への感謝が薄らいでいると指摘していた。
 小川:管主のお話を聞きながら感じたことですが、最近の弟子は一昔前に比べて恩を感じるということが少なくなりましたね。何年も一緒に生活をしていながら、独立した途端「いまどこで何をやっています」というような連絡を寄こさないし、そのまま離れてしまう子が多いのは実に残念です。
(小川三夫、村上太胤「人を大成に導くもの」)
 私は小学校から中学校にかけて珠算と書道を習い、そのおかげで現在の知力や精神力があると思っている。しかし、大学生になって実家を離れてからは、一度もその恩師の下を訪れていない。また、学校のOBがよく恩師のところを訪れることがあると言うが、私は小学校、中学校、高校、大学で実に様々な先生にお世話になったにもかかわらず、OB訪問というものを一度もしたことがない。高校の部活の先生からは、毎年新年会の案内をいただいているのに、一度も顔を出したことがない。私は何と恩知らずな人間なのだと顔が真っ赤になった。
2017年10月03日

『正論』2017年10月号『日本は北朝鮮と戦わないのか/傲る中国』―朝鮮半島の北が資本主義国家、南が社会主義国家になる可能性?


月刊正論 2017年 10月号 [雑誌]月刊正論 2017年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2017-09-01

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 《参考記事》
 ○日本にとっては、朝鮮半島は南北分裂の現状維持がベスト。
 『「慰安婦」戦、いまだ止まず/台湾は独立へ向かうのか/家族の「逆襲」(『正論』2016年3月号)』―朝鮮半島の4つのシナリオ、他
 『トランプ大統領/進まぬ憲法改正/「生前退位」でいいのか/「死刑廃止」宣言(『正論』2017年1月号)』―朴槿恵問題は一歩間違えば朝鮮半島の”革命”を引き起こしていた、他

 ○朝鮮半島が社会主義国として統一される可能性がある。
 『巨頭たちの謀事/朴槿恵政権崩壊(『正論』2017年2月号)』―ますます可能性が高まった「朝鮮半島統一」に対してどう対処すべきか?
 『愚神礼讃ワイドショー/DEAD or ALIVE/中曽根康弘 憲法改正へ白寿の確信(『正論』2017年7月号)』―日本は冷戦の遺産と対峙できるか?

 ○アメリカが中国と手を組んで日本のはしごを外したら、ロシアと手を結ぶべき?
 『非立憲政治を終わらせるために―2016選挙の争点(『世界』2016年7月号)』―日本がロシアと同盟を結ぶという可能性、他
 『小池劇場と不甲斐なき政治家たち/北朝鮮/憲法改正へ 苦渋の決断(『正論』2017年8月号)』―小池都知事は小泉純一郎と民進党の嫡子、他

 一介の経営コンサルタントが書くアジア情勢に関する記事など、上記のように矛盾だらけで取るに足りない内容が多いのだが、その矛盾をさらに複雑にしかねない記事をこれから書くことをどうかご容赦いただきたい。ブログ別館の記事「牧野愛博『金正恩の核が北朝鮮を滅ぼす日』―アメリカも北朝鮮も本気で戦争をする気はないと思う」では、アメリカが北朝鮮の報復を抑えるために制圧すべき拠点、ミサイル基地などが膨大な数に上るため、アメリカは本気で北朝鮮を攻撃することはできないと書いた。しかし、本号には次のような記述があった。
 主戦論の民間における主唱者、ジョン・ボルトン元国連大使は、作戦計画をある程度知る立場から、ソウルに向けた北の高射砲群を大部分一斉破壊することは、「なしうる」(doable)と強調している。
(島田洋一「アメリカの深層 第26回 まさに開戦の時―」)
 現在、韓国には20万人強のアメリカ民間人や在韓米軍人の家族が滞在している。そのことを理由に米軍の攻撃開始はない、という見方をする向きも少なくない。自国民間人の命を危険にさらしてまで、米軍は攻撃を始めないし、始めるときは、彼らを退避させるはずだ、という理屈だ。また、日本に住む在日米軍人家族を含む米国人も退避させない限り、軍事攻撃はないと見る人もいる。

 本当だろうか。筆者は、彼らの退避はなくとも攻撃は始まり得ると考える。そのための手段があるからである。簡単に言えば、奇襲攻撃だ。(※この後、具体的な奇襲攻撃の説明が続くが、軍事面の詳細な話に入るため割愛する)
(香田洋二「アメリカが北朝鮮を攻撃しない理由は初めからない」)
 以前の記事「『北朝鮮”炎上”/日本国憲法施行70年/憲法、このままなら、どうなる?(『正論』2017年6月号)』―日本はアメリカへの過度の依存を改める時期に来ている」で、アメリカは北朝鮮の軍事力が上がるのを敢えて待っているのではないかと書いた。北朝鮮の軍事力が中途半端なままでは、インテリジェンス頼みのアメリカは十分な情報が収集できず、適切な対北戦略が立てられない。北朝鮮の軍事力が上がってくれば、巨大化した北朝鮮の基地を衛星写真で正確に知ることができるし、またサイバー攻撃を仕掛けて北朝鮮の機密情報を大量に入手することも可能になる。これらの情報に基づいて、様々な選択肢を検討しながら、北朝鮮を短時間で一気に潰す戦略を構想する。上記の引用文は、その戦略が相当程度まで完成していることを意味し、同時にやはりアメリカはこれまで時間稼ぎをしていたのだと私は感じた。

 朝鮮半島をめぐる各国の思惑を私なりに整理してみると以下のようになる。

 ・アメリカ・日本=北朝鮮を非核化する。南北分裂はそのままとし、現状維持を目指す。

 ・北朝鮮=核の恫喝によってアメリカから体制の維持を認めてもらう。というのは建前であって、実際には、アメリカをICBMで牽制しながら韓国を攻撃し、最終的には朝鮮半島を社会主義国家として統一したいと目論んでいる。

 ・韓国=北朝鮮を非核化する。だが、これもまた建前であって、左傾化が著しい韓国は、実は北朝鮮と一緒になりたいと願っている。文在寅大統領が、国連の制裁決議が通った後で、北朝鮮に対して人道支援を行ったのは、文大統領が左傾化していることの表れである。統一国家は親中国家となる。アメリカとの同盟は放棄する。北朝鮮の核に韓国の資金を投入して、強力な核保有国となる。共産主義の38度ラインを朝鮮半島の南まで押し下げて日本と対立する。

 ・中国・ロシア=香田洋二「アメリカが北朝鮮を攻撃しない理由は初めからない」では、中国・ロシアも北朝鮮の非核化には賛成しており、金正恩体制を崩壊させないのであれば、アメリカの軍事攻撃をギリギリ容認するだろうと書かれていた。しかし、中ロは、金正恩体制が存続さえしてくれれば、国際世論のほとぼりが冷めた頃に再び北朝鮮の核開発支援を再開するに違いない。日本では、北朝鮮の暴走に中ロが手を焼いていると報道されることが多いものの、中ロとしては、朝鮮半島に核保有国を作り、将来的には日本を奪取したいというのが本音である。

 こうして見ると、朝鮮半島に核保有国を誕生させたがっている国の方が多いことが解る。朝鮮半島の核保有国を容認すると、いわゆる「核ドミノ」が発生する恐れがある。具体的には、まず朝鮮半島の核に反応して日本が核を保有する。それにつられて、東南アジア諸国も朝鮮半島や中国の核に対抗するために核の保有を目指す。こうなると、核拡散防止条約(NPT)は事実上骨抜きになる。NPTに関しては、既にインドという例外を作ってしまっている以上、さらなる例外の発生は避けたいところである。それに、核保有国が増えることは、先般成立した核兵器禁止条約の流れにも逆行することになる。だから、何としてでも北朝鮮を非核化しなければならない。

 北朝鮮を非核化するには、①外交による解決と②軍事的手段の2つがある。まず、外交による解決だが、アメリカと北朝鮮が直接対話をする。アメリカは北朝鮮に対して核の放棄を迫る代わりに、北朝鮮はアメリカに対して金正恩体制の維持を約束させる。だが、北朝鮮の要求はこれだけにとどまらないであろう。前述の通り、北朝鮮の真の狙いは南北統一であるから、北朝鮮は韓国との戦いを優位に進めるため、在韓米軍の撤退を要求する。これは、アメリカとしては到底呑める条件ではない。ただ、韓国の文大統領がアメリカの意向に反して左傾化している現状を踏まえると、アメリカが韓国を捨て石にする可能性もゼロではない。朝鮮半島の非核化の価値と、米韓同盟の価値を天秤にかけた場合、アメリカは前者を選択するかもしれない。

 しかし、そもそもこの交渉は決裂するリスクが高い。
 仮に外交交渉等の非軍事的手段で北朝鮮の核ミサイル開発と使用を一時的に合意した場合、続く核ミサイル放棄交渉において北朝鮮が全面放棄に同意すれば本件は一件落着であり、正に万人の望む結果となる。問題は北朝鮮が同意しない場合であり、その際に次の交渉カードは最早残っていない。

 今述べた、交渉にこぎつけたものの核ミサイル廃棄交渉が決裂した場合及び現在の状況である北朝鮮との対立が続き、問題解決の糸口が見つからない場合の両ケースにおいて、米国をはじめとする国際社会が何もしない場合には、「ズルズル」と北朝鮮の核ミサイル開発と実戦化を黙認してしまうこととなる。
(香田洋二「アメリカが北朝鮮を攻撃しない理由は初めからない」)
 それに、仮に交渉が成功して北朝鮮の核放棄に成功したとしても、繰り返しになるが、金正恩体制が続く限り、中国とロシアが再び北朝鮮の核開発の支援を行う恐れがある。

 よって、北朝鮮を完全に非核化するには、金正恩体制を完全に崩壊させるしかない。つまり、トランプ大統領が発言したように、「北朝鮮という国を完全消滅させる」しかない。アメリカは、北朝鮮がアメリカ本土に届くICBMを完成させた頃を見計らって、自衛戦争と称して北朝鮮に攻め込むであろう(日本にとっては、集団的自衛権の行使が問われる初のケースとなるだろう)。冒頭の引用文のように、短時間で北朝鮮のミサイル基地や核関連施設を封じ込める作戦が本当にあるならば、アメリカの勝利の可能性が見えてくる。アメリカが気をつけるべき点は、100万人を超えるとされる北朝鮮の人民解放軍とのゲリラ戦にズルズルと巻き込まれることだ。アメリカがゲリラ戦に弱いことはベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争で経験済みである。

 アメリカが北朝鮮を攻撃すれば、北朝鮮VSアメリカ・韓国となる。当然、中国とロシアが出てくるから、中国・ロシア・北朝鮮VSアメリカ・韓国となる。だが、左傾化した韓国はアメリカを裏切って(米韓同盟を破棄して)北朝鮮側につくことも考えられる。すると、中国・ロシア・北朝鮮・韓国VSアメリカとなり、自ずと日本はアメリカを支援しなければならない立場に置かれる(ここで集団的自衛権の行使が問われる)。中国・ロシア・北朝鮮・韓国VSアメリカ・日本の結果がどうなるかは私には予想がつかない。仮に前者のグループが勝利すれば、朝鮮半島は社会主義国家として統一されるであろう。さらに悪いことに、朝鮮半島の非核化は達成されないままとなる。

 アメリカ・日本が勝利した場合、アメリカは北朝鮮の跡地に新たな国家を建設する。朝鮮半島では、北側にアメリカ主導で新しい資本主義・民主主義国家であり非核化された国家が生まれる一方で、南側には左傾化しアメリカを裏切った韓国が存在するという構図になる。つまり、朝鮮半島は、北側が資本主義国家、南側が社会主義国家という、現在とは正反対の配置になる。そして、北側の資本主義国家は中ロと南の韓国によって抑え込まれ、南の韓国は北側の資本主義国家と日米によって抑え込まれるという図式が成立する。

 ここで留意しなければならないのは、左傾化して中ロ側についた韓国が核開発に乗り出す可能性である。韓国と中ロの間には新しい資本主義国家が存在しているため、韓国と中ロのつながりは地理的には一応分断されており、中ロが北朝鮮に対してしたような直接的な支援はやや困難になる。しかし、韓国ほどの資金と技術があれば、中ロの支援をそれほど受けなくても、独自に核を開発することが可能かもしれない。とはいえ、韓国にとって核開発は一からの開発になるから、韓国と言えども一定の時間が必要になる。アメリカや日本をはじめとする国際社会としては、北朝鮮の核開発を20年以上も放置して現在の問題を招いた過去を反省し、韓国の早期封じ込めに注力することが今後の重要な課題となるのかもしれない。

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