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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
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◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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 持病の悪化により、今年の3月に続いて再び入院することとなりました。皆様にはご心配をおかけして申し訳ございません。復帰は8月末~9月上旬の予定です。それまでは過去の記事をお楽しみいただければと思います。
2018年05月15日

『正論』2018年6月号『安倍”悪玉”論のいかがわしさ/シリア攻撃 揺れる世界』―政治家やメディアが国民に迎合したら民主主義は終わる


正論2018年6月号正論2018年6月号

日本工業新聞社 2018-05-01

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 森友学園に対する国有地売却をめぐる財務省の決裁文書が改竄された疑いがあると朝日新聞が報じたのが3月2日である。「安倍晋三の葬儀はうちで出す」を”社是”としている朝日新聞が、本気で安倍政権を潰しにかかってきている証拠であった。しかし私は、率直に言うと、語弊があるかもしれないが「朝日新聞が余計なことをしてくれた」と感じていた。

 この問題に関しては、首相や明恵夫人の働きかけの有無が焦点であったが、1年経ってもめぼしい証拠は出てこず、野党が憶測で安倍首相を攻撃しているだけで、正直に言えば「どうでもよい問題」であった(事実、改竄前の文書によって、首相や明恵夫人の関与がないことがより明白になった)。そのどうでもよい問題をめぐるどうでもよい答弁に合わせるために、財務省が余計な忖度をして決裁文書を改竄したわけである。そして今度はこの改竄問題をことさら大きく取り上げて、麻生財務大臣の管理監督責任だの、安倍首相の任命責任だのと言い出した。この朝日新聞の報道によって、しばらくメディアと国会はこの問題一色になると容易に予測できた。

 3月5日に、韓国の文在寅大統領の特使である鄭義溶国家安全保障室長が訪朝して、北朝鮮の金正恩委員長と会談した。その会談では、4月末に南北朝鮮軍事境界線に位置する板門店の韓国側施設「平和の家」において南北首脳会談が行われることが合意された。これを受けて、ソウルへ戻った鄭義溶氏は、文在寅大統領に金正恩委員長との会談結果を報告した後、3月8日に文在寅大統領の特使としてアメリカへ渡航し、トランプ大統領に対して、「金正恩委員長がアメリカ合衆国大統領と会談したい意向がある」という金正恩委員長からのメッセージを伝えた。トランプ大統領は、「金正恩からの要請に応じよう」と答え、史上初の米朝首脳会談が実現することになった。朝鮮半島情勢は急転直下の展開を見せていた。

 北朝鮮が対話に応じる姿勢を見せてきたのは、最大限の経済制裁が効果を表したからである。北朝鮮の窓が少し開いたその隙に、日本はどうやって北朝鮮との対話を探るのか?アメリカ、韓国、それから中国やロシアといった関係諸国とどのように連携を取って北朝鮮の非核化を実現するのか?会談が破談してアメリカが北朝鮮に軍事攻撃を加えるという緊急事態が生じた場合を想定して、日本はいかなる準備をしておくべきか?さらに日本の場合は、積年の課題である拉致問題をこの機会にどう解決へと導くのか?といったことを、超党派的に大いに議論すべきであった。ようやく課題解決のスタートラインに立ち、課題解決の長いマラソンが始まるはずであった。ところが、朝日新聞の余計な横槍のせいで国会は空転し、スタートでいきなりつまずいた。金正恩委員長には、「拉致問題については周辺国があれこれ言ってくるが、肝心の日本がなぜ直接言ってこないのか?」と暴露され、安倍政権と外務省は赤っ恥をかいた。

 朝日新聞が北朝鮮問題という日本国家を揺るがしかねない問題よりも、財務省の決裁文書改竄問題という国民にとって受けがよい問題を優先した結果がこれである。しかも、朝日新聞はこうした事態を自ら招いておきながら、日本が北朝鮮問題で孤立していると呑気に批判する。
 (※朝日新聞の)ツイッターは北朝鮮の労働新聞が安倍政権を「退陣直前の状況」と評したことに触れ、「安倍政権にとって『嘘つき内閣』という非難よりも手痛いのは『退陣直前』という分析だ。国交正常化を見据え、腰を据えて交渉する相手と見なされていないのだ。米中露韓の現政権はしばらく倒れない。日本だけこんな内閣では激動の東アジア外交でますます出遅れる」(3月31日)と書いている。
(石川水穂「朝日新聞”倒閣”記者ツイッターを告発する」)
 販売部数至上主義に陥っている新聞、視聴率至上主義に陥っているテレビは、国家や国民をめぐる数多くの問題の中から、読者や視聴者が理解しやすい簡単な問題を選択する傾向が強い。野党もそういうマスコミを利用して、その簡単な問題の責任は政権にあるとすぐに騒ぎ立て、政権を打倒しようとする。マスコミは立法、司法、行政に次ぐ第4の権力、あるいは権力の監視者であるべきなのに、今や単なる野党の広告塔に成り下がっている。
 分かりやすく「手柄」を引き出そうとするパフォーマンスも、真相を煙に巻く結果をもたらした。野党議員に聞いたことがあるが、国会質疑においては、どれだけマスメディアに取り上げられるかも重要な要素らしい。それによって、党幹部から評価されて、党内での地位が上がる。とすると、翌朝の新聞の見出しを頭に思い浮かべながら「切り取りやすい一言」狙いをするという野党の戦略も出てこよう。共産党の小池晃書記局長は、この手の国会質問が非常に巧みだ。(中略)小池氏は、さしずめ、「国会の一言炎上男」だろう。
(山口真由「ピント外れの国会審議 もう1つのモリカケ問題」)
 小池氏は3月19日の参議院予算委員会で、明恵夫人の名前が決裁文書に記載された点について太田充理財局長に問いかけ、「基本的に総理夫人だからだと思う」という答弁を引き出した。その上で、「重大な発言ですよね。重大な発言ですよ。総理夫人なんですよ。まさに、国会議員以上に配慮しなきゃいけない存在なんですよ。だから決裁文書に登場してきているわけじゃないですか」と返した。そして、マスコミは小池氏のこの「重大な発言ですよ」の部分を切り取って繰り返し報じた(私はこの頃入院しており、日中よくテレビを観ていたのではっきり覚えている)。

 私が言うまでもないが、マスコミは国民にとって解りやすいイシューではなく、国民や国家にとって重要なイシューを扱うべきである。販売部数/視聴率至上主義を捨て去り、もっと大局的な視点に立たねばならない。こうしたマスコミの姿勢は、最初はなかなか国民には受け入れられないだろう。それでもなお、イシューの重要性を地道に説いて回る営業努力が必要である。真のマスコミは、赤貧に耐え、それでもなお国民や国家に奉仕する高邁な志を持った人々によって支えられるべきである。だから、本来マスコミが儲かる職業であるというのはおかしいのである。自由市場が短期的に現世代の経済的ニーズを満たす仕組みであるのに対し、民主主義とは中長期的に次世代の社会的課題を解決する制度である(「私と同じ苦しみを子ども世代に味わわせてはならない」)。マスコミはそういう民主主義の進展を促進するものでなければならない。マスコミの姿勢が変われば、マスコミに迎合して一発芸を狙う安直な政治家も減るだろう。

 それにしても、野党やマスコミは、「モリカケ問題に首相が関与している」ということにどうしてもしておきたいようである。感情に訴えて国民を扇動すると、全体主義を生む危険性がある。
 高井:権力を持つ国会議員が国民の感情に訴え、それに国民が呼応している現状は、民主主義の土台が崩されかねないという意味で極めて危険です。事実に基づき、国民の理性に訴えるのが「説得」で、逆に事実を無視して、国民の感情に訴えるのが「扇動」です。ナチス・ドイツのゲッベルズ宣伝相は「扇動」で国民の支持を集めることに成功しました。彼のような人物が今の日本に存在するとは思いませんが、「ミニ・ゲッベルズ」ならば与野党を問わず誕生しかねません。
(高井康行「ジャーナリズムが民主主義を滅ぼす」)
 ただし、個人的には、国民の理性を信じて事実を訴えることが必ずしも正しいとは限らないのではないかとも思っている。仮に事実が1つであるならば、「説得」も「扇動」も1つの事実(「扇動」の場合は虚偽の事実だが)に向かって国民の感情を収斂させることになり、全体主義へとつながりかねない。「説得」の場合は”冷静な”全体主義となり、「扇動」の場合は”熱狂的な”全体主義となるという違いがあるにすぎない。この点に関して、掛谷英紀「大学政治偏向ランキング 学者の政治活動を徹底批判」という興味深い記事があった。これは、2015年の「安全保障関連法に反対する学者の会」に署名した学者の所属大学、専攻分野を分析したものである。

 掛谷氏は、「安保反対の会」に署名するような左派系の学者には理論系が多く、工学系が少ないと述べている。理論系の学者は文字通り理論を組み立てて事実を明らかにする。一方、工学系の学者は実験を繰り返して事実を明らかにする。もし安保法制が間違っているということが動かしがたい事実であるならば、理論系の学者も工学系の学者も「安保反対の会」に署名しそうなものである。ところが、工学系の学者が少ないというのは、彼らは厳密な自然科学の研究のルールに従うものの、事実が1つであるとは限らず、事実が別の実験でひっくり返ったり、事実が複数存在したりすることを認めているからではないだろうか?事実が異なれば解釈、主義主張も異なる。そして、そういう違いがあるところに政治が生まれる。
 それぞれの人々がそれぞれの正義を主張するとき、政治が生ずる。妥協、排除、暴力の行使等々あらゆる手段を講じて、自らの正義を実現しようと試みるのが政治という営みに他ならない。(中略)政治の場においていかなる正義の独占をも許さないとするのがリベラル・デモクラシーの基礎なのである。
(岩田温「あなたもバッシングされる?世にはびこる”悪玉”論の恐怖」)
 「群盲象を評す」というインド発祥の寓話がある。6人の盲人が象に触って、それが何だと思うかと王から問われた。足を触った盲人は「柱のようです」と答え、尾を触った盲人は「綱のようです」と答え、鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答え、耳を触った盲人は「扇のようです」と答え、腹を触った盲人は「壁のようです」と答え、牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。それを聞いた王は、「皆正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方が象の異なる部分を触っているからだ。象はあなた方の言う特徴を全て備えている」と答えた、という話である(以上はジャイナ教の寓話に拠った)。政治はこれと似ている。ある人はAと言い、別の人はBと言い、また別の人はCと言う。それぞれの主張の長所を斟酌しながら、より高次の包括的な新しい知を創造するのが政治的な営みである。「AはAだ。A以外は認めない」では政治にならない。

 左派は自由を掲げながら、「反体制、親中、親北朝鮮」で凝り固まっていることを私はしばしば本ブログで批判してきた。この考えが行き過ぎると全体主義に陥る。だが、右派は逆に「反中、反韓、反北朝鮮」で凝り固まっており、これも行き過ぎれば全体主義になる。極右と極左は同根異種であると、以前の記事「『正論』2018年3月号『親北・反日・約束破り・・・/暴露本「炎と怒り」で話題沸騰』―小国・日本の知恵「二項混合」に関する試論(議論の頭出し程度)、他」でも書いた。極左は、国家という枠組みを取り払い、民族などの表面的な違いを無視して、全世界の人々は本質的に同じであると説く。一方、極右は日本こそが絶対善であり、異質を排除して全世界を日本化しようとする。極左と極右は一見すると正反対であるようだが、どちらも世界をモノトーンで見ている点では実は共通している。右派にも反省すべき点がある。

 3月以降、朝日新聞の全体主義的な「『安倍政権=悪』キャンペーン」が展開されたが、以前に比べると国民は賢明になったと思う。内閣支持率が30%台まで”しか”下がらなかったのがその証左である(内閣支持率は底を打ったとの見方もある)。これが森喜朗首相の時代であれば、一発で内閣支持率が一桁台まで落ち込んでいたことだろう。国民の中には、森友学園問題(と加計学園問題)が大した問題ではないと考える人が増えている。ただ、だからと言って、国民主権を頼りにし、国民の力に完全に依拠して政治を展開するのは難しいと感じる。

 インターネットが普及した時代であるから、例えばネット上に政治空間を作り、国民が自由にイシューを発案して、他の大勢の国民が議論のフィールドに参加しながら必要な法律や施策、規制などを策定していく民主主義も原理的には可能である。だが、発案されるイシューは膨大になり、優先順位をどうつけるかが問題となる。おそらく議論フィールドへのアクセス数、フィールドに参加している国民の数などでランキングが作成されるだろう。だが、ランキングを作成した時点で人気投票と化し、国民は近視眼に陥る。また、たとえ政治空間で実名性が担保されたとしても、炎上、暴言、脅迫が日常茶飯事となり、収拾がつかなくなるに違いない。前述の通り、しばしば政治家は視野狭窄に陥り国会を空転させ、行政は保身に走り余計なことをするが、国民がもっと利己的になり、罵詈雑言の類で議論フィールドを混乱させるよりかは幾分ましである。

 だから、現在の立法府や行政府は最善ではないが最悪でもないのである。その両権力を、中長期的な視点、将来の世代の視点、社会的な善の視点から監視する役割をマスコミには期待したいし、政治家(特に野党)はそういうマスコミを上手に利用して国民を啓発してほしい。
2018年05月08日

『致知』2018年6月号『父と子』―教師にとっては生徒が自分を超えていくことが喜び


致知2018年6月号父と子 致知2018年6月号

致知出版社 2018-05


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 私は子どもを持ったことがないので、「父と子」の関係について語ることはできない。だが、本号に書かれている父と子の関係は、「教師と生徒」、「師匠と弟子」、「上司と部下」の関係にもあてはまるだろう。私は中小企業診断士として経営コンサルティングを実施するとともに、企業向けのセミナーや研修で講師を務めることもある。自分のことを教師と言うのもはなはだおこがましいが、本号から学んだ「教師としての心構え」をまとめてみたい。以下の文中の「教師と生徒」を「師匠と弟子」、「父(親)と子」、「上司と部下」に置き換えても、概ね内容は通じると思う。

 ①生徒を教師に従わせるのではなく、生徒による反論を許す。
 教師は生徒に対して優越的な立場に立っている。教師というだけで生徒からは尊敬される(近年の学校の教育現場では必ずしもそうではなくなっているようだが)。ややもすると、教師はそういう立場を利用して、生徒を自分に盲目的に従わせようとする。別の言い方をすると、自分の教えることの全てをそのまま生徒に吸収させようとする。こうした教え方は、教育学の分野では「導管メタファ」で例えられる。水が水道管を通ってある場所から別の場所へそっくりそのまま移動するように、教師の知識が丸ごと生徒に移植されるというわけである。

 ただし、この導管メタファは教育学の分野では批判的にとらえられている。学習とは教師から生徒への一方通行で行われるのではなく、教師と生徒の相互作用による創発的な営みであるべきだというわけである。確かに、教師は知識の体系を持っている。しかし、その体系は、教師の考え方・視点に立って、教師がこれまでの経験から導き出したものである。一方、生徒は教師とは別の考え方・視点を持っており、教師ほど体系化されてはいないが、最新の経験を有している。その考え方・視点・経験からすると、教師の言っていることはおかしいと感じることがある。それを素直に教師にぶつけてみる。教師もその意見を素直に受け止める。そこから活発な議論が始まり、両者の考え方を包摂する新たな知識の創造へとつながっていく。

 幸田露伴は、言うまでもなく日本の文豪であり、彼の娘である文(あや)に対する願いは、その名前からも明らかである。露伴は自分が選んだオリジナルの百人一首を、文がまだ6歳の頃から毎日1首ずつ覚えさせた。朝食の後、露伴がその日の和歌を3度詠み、それを翌朝までに暗記させる。幼い文には随分苦痛であったようだが、それでも露伴から教わった和歌は心の中にしっかりと刻み込まれ、彼女の人生を支え続けた。一方で露伴は、文が盲目的に従うことをよしとせず、不服に思うならきちんと反論し、納得した上で従うべきだという教育方針も持っていた。後年、文は露伴から和歌の指導を受けることを拒絶した時期があったが、露伴は逆にその態度を評価し、対等な親子関係を構築しようとした。こうした露伴の思いが通じ、文は後に、露伴について記した文学作品を多数残した(木原武一「偉人の父に学ぶもの」より)。

 ②教師は生徒が自分を超えていくことを喜びとする。
 ①のように新たな知識が創造されれば、生徒は教師を超えていく。教師はそれを脅威と受け取るのではなく、喜びにしなければならない。私自身の経験で恐縮だが、ある顧客企業の営業部門に向けて、新しい提案手法を習得してもらうための研修を提供したことがあった。さらに、研修に加えて、研修で学んだ提案手法を現場で活用しているかを評価するよう人事制度も再構築した。その際、顧客企業の担当者から、「単に研修の内容をそのまま使っているだけではダメだ。研修に基づいて自ら新しい提案手法を考案した営業担当者を高く評価するべきだ」という意見が出て、そういう評価項目を追加した。すると、優秀な営業担当者の中からは、担当顧客の戦略的重要度、業種、案件の種類、規模や難易度などに応じて、本当に新たな提案手法を創り出す人が出てきた。その提案書を見せてもらった時は、素直に嬉しかった記憶がある。

 ただ、教師の中には、生徒の成長を自分にとっての脅威ととらえてしまう人もいるようだ。ピカソの父は、ピカソが13歳の時に描いた鳩の絵を見て、我が子が自分の力量を凌駕していることを悟り、それ以降絵を描くことを一切止めてしまった。レオナルド・ダ・ヴィンチも、アンドレア・ヴェロッキオというフィレンツェの有名な画家に弟子入りしていたのだが、ヴェロッキオが制作中の『キリストの洗礼』にダ・ヴィンチが描いた天使の絵を見たヴェロッキオは、弟子が自分の才能を上回っていることを悟り、二度と絵筆を取らなかったという。

 教師が生徒に教えることを止めるだけならまだましかもしれない。教師が生徒の成長を妨害するというケースもある。ベートヴェンの祖父は音楽家として有名だったが、父は音楽の才能に恵まれず、大酒のみで素行も悪かった。ベートーヴェンが優れた才能を発揮し始めるや、自分が追い抜かれると嫉妬心を抱き、才能を抑え込もうとした。当時の音楽家には即興演奏が求められていたので、ベートーヴェンがピアノで即興的に演奏しようとすると、父はそんなことをしてはいけないと叱った。また、ベートーヴェンが作曲に取り組もうとすると、まだ早いと息子の意欲を挫いたりもした。仕方なく、ベートーヴェンは父が不在の時に即興や作曲に取り組んだ。こうした不遇にもかかわらずベートーヴェンは偉大な音楽家になったが、その裏には、教師に恵まれず才能を握り潰された人が数多く存在するに違いない(木原武一「偉人の父に学ぶもの」より)。

 ③教師は生徒が自分を簡単に超えないように努力する。
 教師は生徒が自分を超えていくのを喜びとしなければならない半面、生徒に簡単に超えられるような教師であってはならない。生徒は、そんな教師にはすぐに見切りをつけるだろう。社会が全体として発展していくためには、最終的には生徒が教師を超えていかなければならないのだが、その過程では教師と生徒は抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じるべきである。

 マッキンゼーやBCGのような大手コンサルティングファームは、自社が考案したフレームワークを書籍を通じてオープンにしている。こうした書籍はもちろん営業ツールとしての側面もあるものの、それ以上に、コンサルティングファームがさらに新しいフレームワークを考案するべく自らを追い込むのが目的なのではないかと思う(だから、こういう書籍を読んだ人は、マッキンゼーやBCGが書籍に書かれた手法でコンサルティングをやっていると思わない方がよい)。マッキンゼーなどのコンサルタントに比べれば私など屁みたいな存在だが、私もノウハウはブログを通じてできるだけオープンにしている。ただ、それによって私のノウハウが読者の手に渡った以上、私は読者に負けないように、また新たなノウハウを創造しなければならないと感じている。

 寛政年間創業以来、200年以上の歴史を持つうなぎ屋「野田岩」の5代目・金本兼次郎氏は90歳を超えてなお現役のうなぎ職人である。金本氏は、教えるというのは闘いのようなもので、苦しくてきついが、弟子が何かの拍子にぐんと成長する姿を見るのが嬉しいと語っている。とはいえ、弟子に教えてばかりではない。朝早くからどんどんお店に出てくる若い職人に対抗して、金本氏も早い時には3時半に起き出す。そして、「連中が出てくる前に80本裂いちゃおう」と目標を立てて、一気に仕事を仕上げる。まだ誰もいない時は仕事もはかどるから、「今日は100本裂いた」という日もあるそうだ(「生涯現役(第147回) 金本兼次郎 人生生涯うなぎ職人」より)。

 ④教師が本当に教えるべきは品格や哲学である。
 ここまで書いておいてこんなことを言うのは若干憚られるが、結局のところ知識や技術、ノウハウというものは形式知であり、教師がわざわざ教えなくても、世の中にごまんとあふれている書籍や教則DVDなどで学ぶことが可能である。生徒が生身の教師からしか学ぶことができないのは、仕事や人生に関する品格や哲学である。どういう思いで仕事に打ち込んでいるのか?どういう価値観で人生を送っているのか?その思いや価値観はどれほど強固でぶれないものであるか?こうした暗黙知こそ、教師は生徒に伝えるべきである。教師はその一挙手一投足に注意を払い、自分の品格や哲学を表現しなければならない。私も講師をしながら、この点はまだまだ全然実践できていないと反省しているところである。

 染色家で人間国宝の森口邦彦氏は、技術的なことを父から教わっていないという。技術はビデオや解説書があれば足りる。父から受け継いだのは、染色という仕事に対する品格や哲学である。森口氏の父は常々、着物は女性に夢と希望を与えるものであり、着ている女性が美しくなるのが着物の使命だと言っていた。それを作るには適切な技術的裏づけが必要だが、単に上手に絵が描ければよいというわけではない。あくまでも着る人、観る人の視線から見て美しい作品でなければならない。森口氏はそうした作品づくりの哲学を父から感じ取ったと語っている(中村義明、森口邦彦「父から受け継いだ父子相伝の道」より)。

 私の前職は教育研修&組織・人事コンサルティングサービスを提供するベンチャー企業であった。社長はキャリア研修とリーダーシップ研修を研修サービスのコアにしようとしていた。だが、この2つほど単なる方法論で終わらせてはならない研修はない。それを教える講師がどれほど真剣に人生と向き合っているか?また、どれほど人格的に優れたリーダーであるか?が重視される。社長は「リーダーシップの学者はリーダーシップを発揮した経験がなくてもリーダーシップを教えているのだから、研修会社でも教えることは可能だ」と言っていたものの、私は受講者を舐めていると感じた。案の定、この2つの研修はほとんど売れなかったのだが、社内講師の品格と哲学を育てなかった、あるいはそういう品格と哲学を兼ね備えた講師を外部から探してこなかった社長の責任が大きいと考えている(参考>>>「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」)。

 ⑤生徒の成功は生徒の手柄とする。
 生徒との議論を通じて新しい知識が創造され、それを手にした生徒が教師を超えていく時、教師は喜びのあまり「あの生徒は自分が育てた」と自慢したがる。「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上」という後藤新平の言葉に従えば、「自分は『人を残す』という最高の仕事をした」と思い上がってしまう。だが、生徒が成功したのは教師のおかげではなく、あくまでも生徒自身の努力のおかげである。教師はちょっとしたきっかけを与えたにすぎない。

 明治時代に教育勅語の作成に携わった元田永孚と井上毅は、熊本藩の藩校・時習館の先輩、後輩の関係にあたる。先輩後輩と言っても、2人は25歳も離れている。しかも、元田は枢密顧問官で”天皇の師”と仰がれたほどの人物である。元田は儒教の五倫の教えを中核に置いた草案を作成する。井上は、儒教は封建的であるからまずいとその部分を削除修正した案を元田に返す。これに対して元田は新たな草案を考えて井上に見せる。時に熾烈とも言えるほどのやり取りが約2か月間続いた。最終的には井上の案が取り入れられ、よく知られているようにわずか315字のシンプルな文章に落ち着いた。この時、元田は作成の手柄を井上に譲っているのがポイントである(荒井桂、伊藤哲夫「『教育勅語』が果たした役割」より)。

 仮に私が教えた人が後に仕事で大成功を収め、テレビや雑誌のインタビューで「成功の秘訣は何ですか?」と尋ねられた時に、私が教えたことをブラッシュアップした内容を、さもその人自身が発見したことであるかのように語っていたら、私の教育は成功である。そして、その人が勤める企業のデスクの上に、私の研修テキストが置いてあって、時々読み返したりメモを書き込んだりした形跡があったとすれば、私としてはもうそれで十分満足なのである。
2018年04月29日

『正論』2018年5月号『策略の朝鮮半島/森友”改竄”の激震/新たなる皇帝の誕生・・・』―南北統一で「金氏朝鮮」が成立する可能性、他


2018年5月号 (正論)2018年5月号 (正論)

日本工業新聞社 2018-03-31

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 (1)
 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は27日、軍事境界線のある板門店(パンムンジョム)の韓国側施設「平和の家」で会談し、「完全な非核化により、核のない朝鮮半島の実現という共通の目標を確認した」とする「板門店宣言」に署名した。宣言では1953年から休戦状態にある朝鮮戦争の「終戦」を今年中に目指すことや、両国に米国や中国を交えた多国間の枠組みで、平和体制の構築を協議する方針も示した。
(毎日新聞「南北首脳会談「朝鮮半島の完全な非核化」目標 共同宣言」〔2018年4月27日〕)
 以前の記事「『世界』2018年2月号『反貧困の政策論』―貧困を解決するには行政がもっと市場に介入して消費者にお金を使わせればよい、他」で、朝鮮半島で起こり得るシナリオとして、Ⅰ.北朝鮮が先制攻撃する場合、Ⅱ.アメリカが先制攻撃する場合、Ⅲ.米朝対話が成立する場合、Ⅳ.南北対話が成立する場合という4つを示し、最も可能性が高いのはⅢであり、次いでⅣではないか(ⅠとⅡは起こらないだろう)と書いたが、実際にはⅣが実現したわけだ。これによって、韓国と北朝鮮は将来的に統一に向かうと推測される。

 まず、経済面であるが、北朝鮮は中国と同様、表面的には社会主義を掲げながら、韓国に倣って徐々に市場経済を導入していくものと考えられる。既に、北朝鮮では相当程度まで市場経済が浸透しているという見方もある。1990年代に物資が極度に不足し、「苦難の行軍」を経験した際には、国営商店を介さずに自由に取引ができる闇市が発達した。21世紀に入って苦難の行軍を脱した後も闇市はなくならず、北朝鮮の人々は、市場レートよりもはるかに高い価格で取引がなされる闇市で、余った農作物などを売買した。政府は、国営商店と闇市の価格差を問題視し、2002年に7・1措置を出して国営商店の価格を大幅に引き上げたものの、それでも闇市はなくならなかった。市場の自由化の流れを止められないと感じた政府はついに、2003年に総合市場を公設した。現在、北朝鮮のGDPの4割程度は私経済によるものと推測されている。

 北朝鮮は経済特区を設置し、韓国企業の誘致に乗り出すであろう。現在、北朝鮮の経済特区と言うと、開城工業団地がある。2012年末時点の稼動企業数は123社、2012年時点の従業員数は5万4,234人、従業員の98.6パーセントは北朝鮮側の人員であった。2013年時点で、進出した韓国企業の投資総額は5,568億ウォン(482億円)で、生産額は月4,000万ドルに上った。これとは別に韓国側の公的企業が、造成や社会基盤整備に5.5兆ウォン(4,770億円)から6兆ウォン(5,200億円)を投資している。北朝鮮側は、労働者約5万3千人分の賃金として1年間に8,700万ドル(約86億円)の外貨収入を得ており、北朝鮮にとっては「ドル箱事業」であった。

 2016年2月10日、北朝鮮による弾道ミサイル発射実験を受け、韓国政府は、開城工業地区から北朝鮮へ流入する通貨が、兵器開発に流用されることを防ぐとして、開城工業地区の操業停止と韓国人の引き揚げの措置を行った。だが、2017年10月、北朝鮮が韓国との協議を経ず、秘密裏に工場を再稼働されていたことが明らかになり、再開してすでに6カ月経っていることが報じられた。まずは、この開城工業団地の操業を正式に認めるところから始められるに違いない。そして、北朝鮮は第2、第3の工業団地の造成に着手する可能性が高い。

 韓国企業はASEAN諸国に海外工場を持っているが、ASEAN主要国の製造業のワーカーの月額賃金は以下の通りである(JETRO「投資コスト比較」より)。

 ・バンコク(タイ)=378ドル
 ・ハノイ(ベトナム)=204ドル
 ・ジャカルタ(インドネシア)=324ドル
 ・マニラ(フィリピン)=237ドル
 ・プノンペン(カンボジア)=170ドル
 ・ビエンチャン(ラオス)=121ドル
 ・ヤンゴン(ミャンマー)=135ドル

 これに対して、北朝鮮の場合は、前述の通り5万3千人分の賃金が年間8,700万ドルであるから、1人あたりの月額賃金に直すと約137ドルである。ただし、開城工業団地の労働者は、他の北朝鮮の労働者よりも優遇されているはずであるから、北朝鮮のワーカーの平均月額賃金を求めると、ASEANのどの国よりも低くなると推定される。北朝鮮はこの労働コストの安さを武器に、韓国企業を大量に誘致し、自国の経済発展を目指す。韓国企業は、製品コストのより一層の引き下げというメリットが得られる。すると、日本企業にとっては非常に大きな脅威となる。

 現在、韓国と北朝鮮の経済格差は45倍であり、このままではとても統一できない。しかし、北朝鮮が今後10年の間に毎年10%の成長を続け、その後の10年間でさらに毎年7%の成長を達成すると仮定すると、北朝鮮の経済規模は約4.5倍になる。一方、韓国は今後20年の間毎年2%の成長が続くならば、韓国の経済規模は約1.5倍になる。したがって、20年後の経済格差は45×1.5÷4.5=15倍にまで縮小する。東西ドイツが統一した時の経済格差は、西ドイツ:東ドイツ=3:1であったことを踏まえると、これでもハードルは高いのだが、45倍に比べれば大幅に改善されたことになり、南北統一の可能性が見えてくる。

 政治に目を向けると、文在寅大統領はしばしば2国併存の連邦制を主張しているが、その具体的な政治機構ははっきりしない。北朝鮮の金政権と韓国の大統領制をそのまま残すのであれば、南北統一にはならない。かと言って、北朝鮮の金政権と韓国の大統領制の上に、何か新しい統一的な政治機構を作るのは現実的ではない。よって、北朝鮮の金政権と韓国の大統領制のどちらかを選択するしかない。北朝鮮と韓国はいずれも、自国が朝鮮半島を代表する国家であることを主張し合ってきた。北朝鮮の金政権と韓国の大統領制のどちらに正統性があると認めるのかという問題になるが、私は最終的に金政権が選択されるのではないかと予測する。

 と言うのも、韓国の歴代大統領の多くは、在任中の不祥事(身内の不祥事を含む)が原因で、その後に悲惨な末路をたどっているからである。その一部を挙げると次の通りである。

 ・李承晩(初代~第3代)=1960年の不正選挙で、副大統領に当選した李起鵬は四月革命で失脚し、長男の李康石の手によって、朴瑪利亜夫人や次男(李康旭)とともに射殺された。
 ・朴正煕(第5~9代)=妻(陸英修)は、文世光事件で銃弾が頭部に命中し、死亡。長男(朴志晩)は、麻薬法違反の容疑で繰り返し逮捕。本人は、側近の金載圭情報長官により暗殺。
 ・全斗煥(第11・12代)=退任後に、利権介入などが発覚し親族が逮捕された。後に、政権下の不正と親族の不正を国民に謝罪し、財産を国に返納した。その後も、光州事件や不正蓄財への追及が止まず、死刑判決を受けた(減刑の後、特赦)。
 ・盧泰愚(第13代)=退任後の1995年に政治資金の隠匿が発覚。さらに、粛軍クーデター、光州事件でも追及され、軍刑法違反として懲役17年の判決を受ける(1997年12月に特赦)。
 ・金大中(第15代)=長男の金弘一は、「李溶湖ゲート」、「陳承鉉ゲート」と呼ばれる不正事件で在宅起訴。次男の金弘業は、利権に便宜を図る見返りに25億ウォンを受け取り逮捕。 三男の金弘傑も、「崔圭善ゲート」と呼ばれる事件に関与し、逮捕。全部で親族5人が逮捕された。
 ・盧武鉉(第16代)=任期終了後の2009年に、6億円を超える不正資金疑惑について、事情聴取が実施され、逮捕も近いのではと思われていたが、自宅の裏山の岩崖から投身自殺。
 ・李明博(第17代)=2012年に入り、李明博が私邸として購入した土地の金額が、同地域の他の土地より安かったことや、土地の名義が別人だった事などから、購入資金を政府が不正に肩代わりしたとの疑惑がある。2018年3月、約10億円の収賄容疑などで逮捕。
 ・朴槿恵(第18代)=2016年10月末に発覚した友人崔順実の国政介入問題、いわゆる「崔順実ゲート事件」により、支持率が急落。12月9日、国会で弾劾訴追案が可決され、大統領としての職務が停止。2017年2月28日には特別検察官が国政介入疑惑における収賄を認定。3月10日、憲法裁判所により、罷免が決定。3月31日に逮捕。

 ブログ別館の記事「櫻井よしこ、呉善花『赤い韓国―危機を招く半島の真実』―全体主義的な韓国は「悪」を徹底的に叩くことでしか「善」を定義できない」で書いたような、「悪を徹底的に叩く」という韓国人の特質からすると、韓国にはおよそ正統性がある政権というものがほとんどなかったことになる。一方で、北朝鮮に目を向ければ、金日成―金正日―金正恩と続く政権がある。金正恩総書記によほどのことがない限り、20年後も金正恩体制が続いているだろう。

 もし今後の韓国大統領も同じように在任中の不正が続くならば、韓国人が自国の政権を見捨て、金政権に正統性を見出す可能性も決して低くない。最近左傾化が著しい韓国であれば十分あり得る。現在の韓国は50代の人口が多いが、彼らはいわゆる「386世代」である。386世代とは、1990年代に30代(3)であり、80年代(8)に大学生で、87年の民主化宣言まで民主化学生運動に参加していた者が多い60年代(6)の生まれを指す。彼らは進歩主義的傾向が強く、北朝鮮に強いシンパシーを抱いている。そして、20年後には彼らが韓国の政治の中心にいる。

 以上を総合すると、20年後ぐらいを目途に、朝鮮半島には「金氏朝鮮」とでも呼ぶべき国家が誕生すると予測する(北朝鮮が核兵器開発の目的としていた「体制の維持」も達成される)。政治的には共産党をトップとする社会主義であるが、経済的には部分的に自由市場を受け入れる。ちょうど、中国のミニチュア版が誕生するイメージである。金氏朝鮮は親中反日である。結局、朝鮮半島の国家というのは、中国に属することで生き延びる運命なのである。そういう意味では、朝鮮半島の歴史のメインストリームに戻ってきたということに他ならない。

 アメリカもこのことを見越した上で、トランプ大統領は米朝首脳会談に臨むだろう。北朝鮮が非核化を完了すれば、在韓米軍を韓国から撤退させる。だが、ここで気になるのは、南北首脳会談で、「年内の朝鮮戦争終結宣言を目指す」とされた点である。朝鮮戦争が終結すれば、韓国にアメリカ軍を駐留させる意味がなくなる。つまり、朝鮮戦争の終結とともに在韓米軍は撤退しなければならないのである。それまでに北朝鮮が非核化のプロセスを完了させられるとは到底思えない。北朝鮮は現在60発ほどの核兵器と、最大で150の核関連施設を保有していると言われている。これらの全てを、年内に撤廃するのはほとんど不可能だ。

 仮に米朝首脳会談で非核化の成果が得られて在韓米軍が撤退したとしても、それはまやかしの非核化(アメリカ向けのICBMのみ放棄)であり、将来的に誕生する金氏朝鮮は、隠しておいた残りの核兵器を今度は日本に向けてくるに違いない。その核兵器はもはやアメリカが対象ではないため、日本は朝鮮半島の非核化をアメリカに頼ることはできず、独力でこの問題に立ち向かわなければならない。拉致問題といい核問題といい、日本はずっとアメリカにおんぶにだっこの状態で、気がついてみたら交渉の蚊帳の外に置かれていた。そのような外交の愚策はもう許されない。日本がイニシアティブを発揮して朝鮮半島の反日国家と対峙する必要がある。

 (2)本号の井上和彦「シベリア出兵の美しき真実 ポーランド人を救った日本人」では、日本とポーランドの絆についての記事である。ポーランドが東欧一の親日国である理由が解る。

 ポーランドはウィーン会議(1814~15年)で形式上独立するも、事実上はロシア領であった。19世紀末、ポーランド人は真の独立を勝ち取るべく、2度にわたって帝政ロシアに独立戦争を挑んだ。しかし、蜂起は鎮圧され、さらに蜂起に立ち上がった多くのポーランド人が政治犯としてシベリアに強制移送された。その後、第1次世界大戦で戦場となったポーランドの人々がシベリアに逃れ、シベリアのポーランド人は15~20万人に膨れ上がった。そんな中、1917年にロシア革命が起き、1918年に第1次世界大戦が終結して、ようやくポーランドは独立を回復した。

 ところが、シベリアのポーランド人は、ロシア内戦で祖国への帰還が困難となり、それどころか生活は困窮を極め、餓死者が続出した。同胞の惨状を知ったウラジオストク在住のポーランド人は、彼らを救済するために「ポーランド救済委員会」を立ち上げた。彼らは、せめて子どもたちだけでも救って祖国へ帰してやりたいと願っていた。ちょうど同時期にシベリアに出兵していた日本人が彼らの存在を知り、日本政府が救済に動いた。日本陸軍は1920年7月20日に第1陣として、輸送船「筑前丸」に56名の児童とポーランド人の付き添い5名を乗せ、ウラジオストクの港を出発した。それ以降、1921年7月までに5回の救援便が合わせて375名の児童を救出した。さらに、1922年8月、輸送船「明石丸」と「臺北丸」が3回に分けて孤児390名を移送した。

 輸送船はウラジオストクを発ってから一度日本に立ち寄るのだが、そこで受けた日本の医療スタッフによる献身的な看病にポーランドの子どもは感激し、日本を出発する際には「日本を離れたくない」と泣きじゃくる子どももいたそうだ。そして、子どもたちの看病に奮闘した1人の日本人看護師のことが、ちょうど『致知』2018年4月号に紹介されていた。
 岡田:この第1回救済事業の時には、日本国内で腸チフスが流行し、20数名のポーランドの子供たちが腸チフスに罹ってしまいます。日赤の医師や看護師たちが「ここで死者を出したら申し訳ない」と、全力をあげて治療したことで全員元気にすることができたのですが、その時に看護をした23歳の松沢フミという女性が腸チフスに罹るんです。

 ところが、フミは腸チフスになっても、昼夜問わず献身的に子供たちを看護し続け、心配する同僚たちにこう言ったといいます。「人は誰でも自分の子や弟や妹が病に倒れたら、己が身を犠牲にしても助けようとします。けれどもこの子たちは両親も兄弟、姉妹もいないのです。誰かがその代わりにならなければなりません。私は決めたのです。この子たちの姉になると」 そしてフミは殉職。ポーランドの子供たちはその死を悼み、声が嗄れるほど泣いたといいます。
(岡田幹彦、服部剛「〔感動の日本史〕本気・本腰で生きた歴史の偉人たちに学ぶ」)
致知2018年4月号本気 本腰 本物 致知2018年4月号

致知出版社 2018-03


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 なお、『致知』の同記事では、他の偉人として、①太平洋戦争の沖縄戦で、県民の多くを疎開させた上で自決した沖縄県知事・島田叡、②義和団事件で日本の軍隊の優秀さを世界に証明した柴五郎、③第2次世界大戦中にドイツの反対を押し切ってユダヤ人難民を救った樋口季一郎、④硫黄島の戦いで目覚ましい統率力を発揮した栗林忠道の名前が挙げられている。

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