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【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業
【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―戦略立案の客観的アプローチと主観的アプローチ(2)
【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―戦略立案の客観的アプローチと主観的アプローチ(1)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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 ―経営学検定(初級・中級)
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 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2013年01月31日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業

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ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは、『経営者の条件』で示したような「経営管理者(エグゼクティブ)」、つまり、自らが上げるべき成果を規定し、自らの強みに集中し、適切な優先順位づけと意思決定を行い、諸活動に十分な時間を割り当てて仕事を行う知識労働者が増えれば、彼らの上に立つ管理職の数はおのずと減らせると考えている。以下、やや長くなるが、ドラッカーが伝統的な経営学における「管理の限界(スパン・オブ・コントロール)」について喝破している部分を引用する。
 経営管理者の仕事の大きさについては、経営書は、1人の人間が管理できる部下の数はごくわずかであるという「管理の限界(スパン・オブ・コントロール)」からスタートする。その結果、階層の上に階層を重ねた不恰好なマネジメントを生み出している。協力関係やコミュニケーションを阻害し、明日の経営管理者の育成を困難にし、そもそもマネジメントの仕事の意味さえ腐食させている。

 しかし、経営管理者の仕事が客観的なニーズによって規定され、業績によって評価されるのであれば、部下に指示し報告させるという管理業務の必要はなくなる。「管理の限界」の問題もなくなる。理論的には、何人でも直属の部下をもつことができることになる。

 もし限界があるとすれば、「マネジメントの責任範囲(スパン・オブ・マネジリアル・リスポンシビリティ)」(確かGEのH・H・レイス博士の命名)だけとなる。仕事の目標を達成できるように助け、教えることのできる部下の数に限界があるだけのことになる。

 確かにそのような意味での限界はある。しかし、それは固定したものではない。マネジメントの「管理の限界」はせいぜい6人から8人とされている。これに対し「マネジメントの責任範囲」は、助けたり教えたりする必要のある部下の数によって決まる。(中略)したがって、「マネジメントの責任範囲」は、「管理の範囲」よりも大きい(レイス博士は100人と見ていた)。
 かつて、ミドルマネジャーの人員増・階層増が組織の動きを鈍くしているという理由で、組織のフラット化を目指す動きが広まったことがあった。まずアメリカで、1990年代前半にマイケル・ハマーの「リエンジニアリング」が人気を集めると、企業はこぞって組織の階層を減らし、多数のミドルマネジャーを追放した。株主から利益を増やせと厳しいプレッシャーを受けており、リストラで手っ取り早くコストを削り利益をかさ増ししようと画策していた当時のアメリカ企業の経営陣にとって、リエンジニアリングはリストラを正当化する強力なツールであった。そのリエンジニアリングが21世紀になって日本に入ってくると、日本でも同様に組織のフラット化がキーワードになった。

 日本ではその結果どうなったか?厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を使って、1979年以降のミドルマネジャー(部長+課長)の数とその割合の推移を求めてみた(※1)。

(1)企業規模100人以上
管理職比率の推移(企業規模100人以上)

(2)企業規模1,000人以上
管理職比率の推移(企業規模1000人以上)

 興味深いことに、日本企業はフラット化するどころか、むしろミドルマネジャーの割合が増えている、という結果になった。企業規模100人以上、1,000人以上いずれを見ても、1979年からの30年で、ミドルマネジャーの割合はほぼ倍増している。仮に企業の成長に伴って組織の規模が大きくなり、ミドルマネジャーの数が増えたとしても、組織の階層構造が変わらず、かつミドルマネジャー1人あたりの部下の数が同じであれば、ミドルマネジャーの割合は変わらないはずだ。よって、日本企業では、ミドルマネジャー1人あたりの部下の数が減少しているか、またはミドルマネジャーの多層化が進んでいる(例えば、部長クラスが部長、統括部長、事業部長のよう多層化する)か、あるいはその両方であると推測できる(※2)。

 ドラッカーは、ミドルマネジャーの仕事をどのように定義するべきだと考えているのだろうか?
 経営管理者の仕事は、可能なかぎり範囲の大きなものとし、可能なかぎり権限の大きなものにする必要がある。すなわち、意思決定は、可能なかぎり下の階層、可能なかぎりその意思決定が実行される現場に近いところで行う必要がある。(中略)

 経営管理者の仕事は下から組み立てられる。第一線の活動、すなわち製品やサービスという産出物にかかわる仕事、顧客への販売、設計図の製作についての具体的な仕事から始まる。

 最も基本的なマネジメントの仕事を行うのは、第一線の現場管理者である。つまるところ、彼らの仕事ぶりがすべてを決定する。このように見るならば、上位の経営管理者の仕事は、すべて派生的であり、第一線の現場管理者の仕事を助けるものであることにすぎないことになる。
 引用文の「経営管理者」を現場社員、「第一線の現場管理者」を課長、「上位の経営管理者」を部長に置き換えると、ドラッカーの組織設計が理解しやすくなると思う。つまり、まずは企業が顧客に対して価値を提供する一連の業務プロセスを定義する。次に、その業務プロセスのうち、現場社員=経営管理者(エグゼクティブ)=知識労働者が担うべき範囲を(広めに)設定する。その上で、彼らにできないことを課長が行い、さらに課長にはできないことを部長が行う、という手順で階層とその職域・権限を設計するのが理想である、というわけだ。

 翻って、先ほどグラフで示したように、日本企業のミドルマネジャー層が増大化している現実を見ると、組織設計が本当に適切なものとなっているかどうかを問う必要がある。現場でできることにミドルマネジャーが首を突っ込んでいる、あるいは不要な管理業務のためにミドルマネジャーを増やしている、または年功序列的な昇進制度のせいで必要以上の人員をミドルマネジャーに昇進させているとしたら、それは問題である。

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(※1)「賃金構造基本統計調査」における「部長」、「課長」の定義は以下の通りである(詳細は各年度の「調査の説明」にある「役職及び職種解説」を参照を参照)。

<部長>
○(含まれる職階)
 本社(店)、支社(店)、工場、営業所などの事業所における総務、人事、営業、製造、技術、検査等の各部(局)長
×(含まれない職階)
 部(局)長を兼ねない取締役、部(局)長代理、同補佐、部(局)次長
仕事の概要
 いわゆる部(局)長で、経営管理活動を行う営業、人事、会計、生産、研究、分析等の事務的、技術的な組織を統制、調整、監督し、所轄部門を運営する業務に従事する者及びこれらと同程度の責任と重要度をもつ職務に従事する者をいう。
説明事項
 1)「部長」とは、事業所で通常「部長」又は「局長」と呼ばれている者であって、その組織が2課以上からなり、又は、その構成員が20人以上(部(局)長を含む。)のものの長をいう。
 2) 同一事業所において、部長のほかに、呼称、構成員に関係なく、その職務の内容及び責任の
程度が「部長」に相当する者がいる場合には、これらの者は、「部長」に含む。ただし、通常「部長代理」、「課長」、「係長」等と呼ばれている者は、「部長」としない。
3) 取締役、理事等であっても、一定の仕事に従事し、一般の職員と同じような給与を受けている者であって、かつ、部(局)長を兼ねている場合には、「部長」に含め、部(局)長を兼ねていない場合には「部長」としない。

<課長>
○(含まれる職階)
 本社(店)、支社(店)、工場、営業所などの事業所における総務、人事、営業、製造、技術、検査等の各課長
×(含まれない職階)
 課長代理、同補佐、課次長
仕事の概要
いわゆる課長で、経営管理活動を行う営業、人事、会計、生産、研究、分析等の事務的、技術的な組織を統制、調整、監督し、所轄部門を運営する業務に従事する者及びこれらと同程度の責任と重要度をもつ職務に従事する者をいう。
説明事項
 1)「課長」には、事業所で通常「課長」と呼ばれている者であって、その組織が2係以上からなり、又は、その構成員が10人以上(課長を含む。)のものの長をいう。
 2) 同一事業所において、課長のほかに、呼称、構成員に関係なく、その職務の内容及び責任の程度が「課長」に相当する者がいる場合には、これらの者は、「課長」に含む。ただし、通常「課長代理」、「係長」等と呼ばれている者は「課長」としない。

(※2)この点を裏づけるような発言を、リクルートワークス研究所『Works No.101 モチベーションマネジメントの限界に挑む』(2010年8月~9月号)から拾ってみた。

 「ここ数年間の業績低迷に加えて、業務拡大に伴い組織が肥大化し、縦割り組織に細分化されたことで、社員が仕事の全体像をつかめなくなり、やりがい感を得られない状況にあると思います」(メーカー元人事)
 「ISOや内部統制が強化され、課題に直面した際に、自分の裁量で判断、実行するよりも、上司や組織に判断を仰ぐことが多くなった。そのためにモチベーションが低下しているようです」(機械 取締役)


 《2016年9月3日追記》
 ジェフリー・フェファー『悪いヤツほど出世する』(日本経済新聞出版社、2016年)によれば、海外でも管理職の数が増加しているという。その理由はこうである。まず、好景気の時には、組織の成長に伴って管理職が増える。ところが、不景気になると、リストラの意思決定を行う経営幹部に近い管理職は自分の雇用を守ろうとし、解雇の対象は現場の人間に集中する。その後、再び好景気になれば、また管理職が増える。管理職が飽和状態になると、彼らのモチベーションを上げるために、特別なポストを用意してでも彼らを出世させる。こうして、好景気と不景気を繰り返すうちに、管理職の数が増えていくのだという。

 日本で管理職が増えたのはこういう理由ではなく、文化的な要因によるものだと信じたい。


悪いヤツほど出世する悪いヤツほど出世する
ジェフリー・フェファー 村井 章子

日本経済新聞出版社 2016-06-23

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2013年01月30日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―戦略立案の客観的アプローチと主観的アプローチ(2)

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ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 (前回の続き)

 客観的アプローチの利点は、説得力ある分析を行えば、手堅く事業機会をモノにできるという点である。すでに顕在化しつつある将来の市場がある場合に、客観的アプローチは威力を発揮する。しかし、客観的アプローチの弱点は、どの企業も似たような結論=戦略に帰着しやすく、魅力的な市場があれば企業がこぞって参入し、またたく間にレッドオーシャンになってしまう、ということだ。日本の人口構造の変化を見据えて、どの企業も高齢者市場に目をつけているのはその最たる例と言えるだろう。

 誰も予想しなかったような市場=ブルーオーシャンを切り開くには、主観的アプローチの方が優れている。客観的アプローチは、データが存在しない世界のことを予想できない。しかし、主観的アプローチは、戦略立案者の思い込みによって”少し歪んだ世界観”、”少し飛躍した論理”がデータの不足を補い、新しい世界を自由に描き出すことができる(スティーブ・ジョブズの「現実歪曲空間[Reality Distortion Field]」はその好例)。もちろん、全ての新しい世界が市場に受け入れられるわけではない。むしろ、死産に終わる戦略の方が多いだろう。だが、世界をあっと驚かせ、競合他社を一気に出し抜き、業界構造をがらりと変えてしまう戦略は、主観的アプローチから生まれることの方が多いように思えるのである。

 主観的アプローチには、客観的アプローチのように有名なフレームワークがあるわけでも、精緻な理論があるわけでもない。むしろ、主観的アプローチを理論化するという試み自体が、主観の客観化という矛盾をはらんでいるから、理論化は不可能かもしれない。私のアイデアにすぎないが、主観的アプローチで戦略を立案するための問いをドラッカー風に1つ考えてみた。それは、「もし今の事業が法律で禁止されたら、われわれは明日から何をするか?」という問いである。

 人間は、事故や病気によって、それまで普通にできていたことができなくなると、内なる声に耳を傾けて、本当の自分とは何なのかを深く考察するようになる。そして、今までの自分を尊重しつつも、それとは異なる自分を発見し、新しい人生を歩み出すものである(旧ブログの記事「何かを諦めざるを得ない時こそ、大切な価値観に気づく」を参照)。この発想を、事業戦略の構想にも取り入れるのである。

 例えば、JTはタバコが法律で完全に禁止されたらどうするだろうか?現在は、食品事業でタバコの売上減を補う形になっているが(売上に占める食品事業の割合は約2割)、仮にタバコが禁止された場合、「食品は生活必需品であり、絶対に消えない市場だから」という単純な理由で食品事業を拡大するのであれば、JTは環境変化に受動的に反応するだけの組織体となってしまい、JTらしさは完全に失われてしまうに違いない。

 JTが社会に対して提供できること、あるいはJTが社会に対して提供したいこととは一体何だろうか?タバコが人々のストレス解消に貢献してきた歴史を尊重して、「健康に害を与えずにストレスを解消する新しいソリューション(それがどういう製品やサービスになるかは今すぐに想像できないが・・・)」、あるいはもっと本質的に「そもそも人々がストレスを感じない社会づくり(それがどんな社会なのかは今すぐに想像できないが・・・)」に思いをはせることが、主観的な戦略構築の第一歩になるのかもしれない。

 他にも例えば、コーヒー豆の原産地における児童労働が問題視されて、コーヒーが全面的に禁止されたら、スターバックスはどうするだろうか?個人情報の取扱いが厳しくなって、企業による購買履歴情報の取得が禁止されたら、Tポイント・ジャパンはどうするだろうか?受験戦争を煽り立てているという理由で、文科省が塾や家庭教師を禁止したら、河合塾やトライはどうするだろうか?こういった問いは、客観的アプローチでは本当に法規制が迫っている時にしか発せられないものであり、通常はなかなか出てこないものである。

 この問いは極端だと思われるかもしれない。だが、アップルがiPhoneを生み出したアプローチは、これに近いものがあったと思う。ジョブズは、iPodが大ヒットしても、喜びをじっくり噛みしめるどころか、「iPodを脅かすのは何だろうか?」と気を揉み始めた。すると、iPodの機能は携帯電話に吸収されて、人々は電話と音楽プレイヤーを同時に持ち歩く可能性が考えられた。そこで、iPodの売上を共食いするのを覚悟で、iPhoneの開発に乗り出したのである(※)。

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(※)ウォルター・アイザックソン「伝記作者が語る スティーブ・ジョブズ流リーダーシップの真髄」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年11月号)

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 11月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 11月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2012-10-10

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2013年01月29日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―戦略立案の客観的アプローチと主観的アプローチ(1)

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ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 昨年5月以来の【ドラッカー書評(再)】シリーズ。決して忘れてしまっていたわけではありませんよ。今月からまた再開します!今月は、ドラッカーの3大古典の1つにして最大の傑作である『現代の経営』の上巻。目標管理制度(MBO:Management by Objects)の原典とも言われ、「事業は目標によってマネジメントしなければならない」というのが上巻の主たる内容である。マネジメントのための目標は、(1)マーケティング、(2)イノベーション、(3)生産性と、(4)資源と資金、(5)利益、(6)経営管理者の仕事ぶりと育成、(7)働く人たちの仕事ぶりと活動、(8)社会的責任と全部で8つあり、それぞれ具体的にどのような目標を設定すればよいかが例示されている。

 ただし、目標管理の前提として、そもそも目標管理によってマネジメントされる「事業」とは何か?を明らかにしなければならない。この点は前著『創造する経営者』で提唱された戦略立案と共通の部分であり、本書でも事業の定義に3分の1ほどのページが費やされている。今回は、その事業の定義の仕方について、私なりの見解を述べてみたいと思う。

 ドラッカーは事業の定義にあたっていくつかの問いを用意しているが、未来の視点から事業を定義するための問いとして、「われわれの事業は将来何になるか?」、「われわれの事業は何でなければならないか?」という2つの問いを投げかけている。ここで問題になるのは、この2つの問いの違いである。

 ドラッカーは、「われわれの事業は将来何になるか?」という問いに答えるためには、次のことを明らかにするべきだと述べている。
 第一に、市場の潜在的な可能性と趨勢である。市場や技術に大きな変化がない場合、5年後、10年後には、われわれの事業はどこまで大きくなることを期待できるか。そして、それを決定する要因は何か。

 第二に、経済の発展、流通や好みの変化、競争の変動による市場の変化である。ここにいう競争とは、製品やサービスについての顧客の定義に基づく競争であって、直接的な競争だけでなく、間接的な競争を含む。

 第三に、顧客の欲求を変化させ、新しい欲求を創造し、古い欲求を消滅させる技術的イノベーションの可能性である。さらには、顧客の欲求を満足させる新しい方法を生み出し、価値の概念を変え、より大きな満足を可能とする技術的イノベーションの可能性である。(中略)

 そして第四に、今日のサービスや製品によって満足させられていない顧客の欲求である。
 一方、「われわれの事業は何でなければならないか?」という問いに関しては、次のような事例を挙げている。
 アメリカ中西部のある保険会社は、顧客のニーズを分析した結果、それまでの生命保険は、受取保険金の購買力維持という顧客のニーズを満足させていないという結論を得た。換言すれば、株式投資によってそれまでの標準的な保険や年金を補完する必要があった。

 そこで、この保険会社は、そのような顧客のニーズを満足させるために、中小ではあるが堅実経営で知られた投資信託会社を買収し、新規契約者だけでなく、既契約者に対しても投資信託の購入を可能にした。
 ある雑誌社は、最近、雑誌販売から情報サービスへと事業の重点を変えた。(中略)(利益低下の原因の)分析の結果、原因は既存購読者の契約更新率の低さにあることがわかった。営業部門では、発行部数を維持するために新規購読者の獲得に力を入れていたが、経費がかかるため利益が伸びていなかった。

 必要とされていたことは、新規購読者の獲得から既存購読者の維持への戦略の移行であって、事業の概念そのものの転換だった。目標の変更が必要だった。そこで、新規購読者の獲得から既存購読者の契約更新に目標を変えた。活動の重点を新規購読者の獲得から、既存購読者へのサービスに移行した。
 両者を見比べると、「われわれの事業は将来何になるか?」と「われわれの事業は何でなければならないか?」という2つの問いは、市場の確実な変化をとらえてそれに対応するという点では同じであるように思える。私の理解不足なのか、この2つを区別する意味がいまいち解らない。

 ここでドラッカーの主張を離れて、敢えてこの2つに違いを設けるとすれば、前者は戦略立案の客観的アプローチであり、後者は主観的アプローチである、とすることができるのではないだろうか?「われわれの事業は将来何に『なる』か?」の「なる」という部分に、客観的に予想される市場の変化に適応するという意味合いを込めている。また、「われわれの事業は何で『なければならない』か?」の「なければならない」の部分に、将来の事業に関する主観的な意図を込めている。

 客観的アプローチとは、とどのつまり伝統的な戦略立案アプローチである。マイケル・ポーターの競争戦略論に従って外部環境を重視する立場であれ、J・B・バーニーの資源ベース理論に従って内部環境を重視する立場であれ、データを用いて事業環境を分析し、そこから戦略を導くアプローチである。これに対して主観的アプローチとは、「環境は人間が主体的に創造できる」という前提に立って、戦略立案者が「こういう世界を実現したい」、「こういう価値が人々に喜ばれるはずだ」という意思や願望を表明するものである。

 (続く)

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