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【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―「雇用の維持」は企業の社会的責任か?
【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―既存の人材マネジメントに対するドラッカーの不満が爆発している
【ベンチャー失敗の教訓(第6回)】リスク管理が甘い経営者

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2013年02月27日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―「雇用の維持」は企業の社会的責任か?

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ドラッカー名著集3 現代の経営[下]ドラッカー名著集3 現代の経営[下]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 前回の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―既存の人材マネジメントに対するドラッカーの不満が爆発している」で、ドラッカーは「絶対的な雇用保障という労働組合の要求、すなわち年間賃金保障の要求は、不死の約束を要求するように愚かである」と主張し、イタリアの法律を批判していることを述べた。しかし一方で、ドラッカーは不況期に雇用の維持を約束したIBMのことを称賛している。
 IBMにおいても、雇用保障の経営方針なくしては、従業員1人当たりの生産量は上昇し続けるどころか、高い水準を維持することさえできなかったに違いない。実は、このIBMの最も過激ともいうべきイノベーションは、大恐慌の初期のころに採用されていた。

 IBMは資本財メーカーである。製品のほとんどは企業によって使われる。したがってその雇用は、景気変動(つまり顧客たる企業の好不調)に対してきわめて敏感である。事実、IBMの競合相手は、大恐慌時には大幅に雇用を調整していた。だがIBMのトップマネジメントは、雇用を維持することこそ自らの仕事であるとした。事実IBMは、(事務機器という新しい)市場を見つけ成長させることに成功し、あの1930年代を通じて、事実上その雇用を完全に維持した。
 結局ドラッカーは、企業に雇用の維持を求めているのか否か、どうも釈然としない。この辺りが、ドラッカーは右派なのか左派なのか解らないとしばしば批判される要因の1つなのかもしれない(当の本人は、自分が典型的な右派であり、古典派経済学を信奉していると告白している)。

 ドラッカーは本書の最後で、企業の社会的責任について次のように述べている。
 社会に対するマネジメントの第一の責任は、利益をあげることである。そして、これとほぼ肩を並べて重要な責任が、事業を発展させることである。企業は社会における富の創出機関であり、生産機関である。マネジメントは、経済活動に伴うリスクを補うだけの利益をあげることによって、富の創出能力をもつ資源を維持していく必要がある。
 少なくともアメリカでは、能力と実績による昇進の機会を広く開放する責任をマネジメントに課す。もしこの責任が果たされないならば、やがては富を創出するための活動が、社会を強化するどころか、階級を生み、階級間の憎悪と闘争をもたらすことによって社会を弱体化することになる。
 前者の引用文中にある「富の創出能力をもつ資源」のうち、ドラッカーが最も重視しているのは人材であるから、前者の引用文は企業に雇用の維持を要求していると解釈できる。また、後者の引用文は、アメリカの建国の理念であり、社会の土台となっている自由主義や機会の平等を守るために、企業に昇進の機会を要求するものである。よって、両方を合わせて読むと、ドラッカーは、「企業が社会の富の創出機関として、また自由主義を体現する機関として責任を果たすためには、雇用を維持し、さらに広く昇進の機会を解放する必要がある」と主張していることになる。

 だが、そんなことが果たして可能なのか、簡単なモデルで検証してみたいと思う。役員(50代)、部長(40代)、課長(30代)、一般社員(20代)の4階層からなる組織を想定してみる。管理職と部下の比率は1:10、すなわち、管理職1人につき部下が10人いるものとする。役員が10人とすると、部長はその10倍の100人、課長はその10倍の1,000人、一般社員はその10倍の10,000人となり、全体で11,110人となる。1人あたり売上高が1,000万円(SIerなどの労働集約型産業は、この数値に近いと思う)だとすれば、全社の売上高は1,111億円となる。

 この企業の10年後の人員構成はどうなるだろうか?10年後に役員は全員退任し、その他の階層については3割が退職、残りの7割が自動的に上の階層に昇進するとすると、人員構成は下図(右)のようになる。つまり、役員が70人、部長が700人、課長が7,000人となり、新卒採用で一般社員を70,000人採用することになる。1人あたり売上高が1,000万円と変わらないならば、全社の売上高は7,777億円となり、10年間で7倍になる計算だ。

(1)全員を昇進させる場合

 しかし、売上高を10年間で7倍にするのは、草創期のベンチャー企業でも至難の業であり、一般企業ともなればウルトラCの離れ業でもない限り不可能である。なぜならば、売上高を毎年22%、10年にわたって成長させ続ける必要があるからだ(1.22の10乗=約7.3)。

 では、もう少しハードルを下げて、10年間で売上高を3倍にするとしよう。この場合、全員を上の階層に昇進させることはできなくなり、一部の人たちは10年後も同じ階層にとどまる。下図(右)のように、部長100人のうち、役員に昇進できるのは30人だけであり、退職者30人を除く40人はそのまま部長にとどまる。役員が30人なので、部長のポストは300人分しかない。したがって、課長1,000人のうち、部長に昇進できるのは260人に限られ、昇進率は26%となる。同様に、課長1,000人のうち、部長への昇進者260人と退職者300人を除く440人はそのまま課長にとどまる。部長が300人なので、課長のポストは3,000人分しかない。したがって、一般社員10,000人のうち、課長に昇進できるのは2,560人に限られ、昇進率は25.6%となる。

(2)10年間で売上高を3倍にする場合

 しかしながら、この10年間で売上高を3倍にするという目標も、本当はそれほど現実的ではない。なぜならば、毎年12%の成長を10年間続けなければならないからだ(1.12の10乗=約3.1)。ハードルを下げたとはいえ、実は高度経済成長期並みの成長を遂げる必要がある。日本企業の特徴である終身雇用と年功序列は、高度経済成長期の実情に合わせて成立したという見方があるが、少なくともこのシミュレーションを見る限りは、高度経済成長期においてすら、既に制度的に破綻していたと言えなくもない。

 では、さらにハードルを下げて、年率3%の成長を10年続けるとしよう。1.03の10乗=約1.3であるから、10年間で売上高は1.3倍になる。1990年代以降の約20年間、日本の名目GDPの平均成長率は年率マイナス0.7%程度であるから、3%でも十分に野心的かもしれない。グローバル展開している企業で、国内市場の成長率を横ばいと見積もっている企業が、全社で3%の成長率を達成するためには、成長率の高い海外市場を大きく取り込む必要がある。仮に海外市場の成長率が7%であるとすると、海外事業比率が約43%でなければ、全社で3%の成長率とはならない({0%×57%}+{7%×43%}=3.01%)。

 この場合、各階層の昇進率は、下図(右)からも解るように、悲劇的に低くなる。部長100人のうち、役員に昇進できるのは13人だけであり、退職者30人を除く57人はそのまま部長にとどまる。役員が13人なので、部長のポストは130人分しかない。したがって、課長1,000人のうち、部長に昇進できるのは73人に限られ、昇進率は7.3%となる。同様に、課長1,000人のうち、部長への昇進者73人と退職者300人を除く627人はそのまま課長にとどまる。部長が130人なので、課長のポストは1,300人分しかない。したがって、一般社員10,000人のうち、課長に昇進できるのは673人に限られ、昇進率は6.73%となる。部長、課長、一般社員とも、約半分は10年前から昇進できなかった人たちで占められることになる。

(3)10年間で売上高を1.3倍にする場合

 以上から解るように、ドラッカーの言う雇用の維持と昇進機会の開放を同時に達成することは、事実上不可能である。では、現代における企業の社会的責任とは何なのだろうか?まず、企業は富の創出機関であると同時に、市場メカニズムを通じた資源の最適配分を担う機関でもある。そして、成熟した経済の特徴は、全体を押しなべて見ると成長率はほぼ横ばいだが、個別の産業を見れば、ある産業が急速に消え、その代わりに古い産業とは関連性の低い新たな産業が急速に立ち上がる、という点にある。

 したがって、衰退産業から新興産業へのスムーズな資源の移転が行われなければならない。言い換えれば、全ての企業が成長や富の創出を目指すのではなく、衰退産業は事業を適切に縮小し、新興産業に必要な資源を捻出することが社会的責任となるのである。衰退産業は、いつまでも成長の幻想に囚われて、貴重な資源である人材を奴隷にし続けてはならない。むしろ、衰退産業では余剰となった人材に対し、新興産業でやっていけるだけの能力を身につけられるよう支援する方が、社会的正義に適っていると言えるのではないだろうか?

 昇進機会の開放についてはどうか?先のシミュレーションで見たような、10年間で6~7%しか昇進できない世界には絶望しかない。この数値をもっと高めることが、自由主義の立場からますます強く要請されることになるだろう。ただしその要請は、必然的に解雇のリスクを高めることになる。だが、解雇のリスクを冒してでも、自由主義を守るだけの価値はある。よって、企業に求められることは、ここでもやはり、解雇の対象となった人材に対して、次の仕事にスムーズに移行できるようサポートすることであるに違いない。

 具体的にどのようなスキームで企業がこの社会的責任を果たすのかはまだ明らかではない。民間が共同出資して人材斡旋・教育訓練を行う企業を作るのかもしれないし、あるいは官がそのような組織を作るのかもしれない。いずれにせよ、企業の新しい社会的責任が、これまで以上に人材の流動化をもたらすことは間違いない。

 >>シリーズ【ドラッカー書評(再)】記事一覧へ


《2013年4月13日追記》
 余剰人員の整理と再訓練について、『乱気流時代の経営』の中でドラッカーが2つの事例を紹介していたので引用しておく。
 歴史上、この余剰労働力の問題は、簡単かつ効果的に解決されたことが2度ある。まず第一に、1904年から5年にかけての日露戦争後、発展を始めたばかりの日本の産業が、初めて不況に見舞われたとき、三井本社は、財閥傘下の全企業に対し、解雇と求人の予定を早急に知らせるよう求めた。

 そして本社が、傘下企業の解雇と求人を突き合わせ、解雇者を求人企業に再就職させた。給与は、初任給分を再就職先の企業が負担し、解雇直前の給与とその初任給分との差額を解雇した企業が負担した。再訓練と転勤に伴う費用は両社が負担した。
 第二に、今(※同書が発表された1980年)から30年前、スウェーデンにおいて、余剰労働力の発生を予期するだけでなく、むしろそれを加速し、しかもそれを労働者一人ひとりの機会と利益に結びつけるという、さらに野心的な政策が成功した。

 当時のスウェーデンの労働組合運動の指導者ヨースター・レーンは、工業化前の原材料供給国としてのスウェーデンを、早急に高度技術国に転換する必要を痛感した。しかしそのためには、きわめて多くの労働者が、構造的に余剰になるはずだった。彼らに対し、新しい仕事に就くための訓練を行う必要があった。

 1950年、レーンはスウェーデンの各地に、雇用主、労働組合、政府の代表から成る三者委員会を組織し、少なくとも2年前に余剰人員を予知し、その対象となる労働者に対し再訓練を行うこととした。この三者委員会は、必要に応じ、再就職先への引越費用の融資まで保証した。
「新訳」乱気流時代の経営 (ドラッカー選書)「新訳」乱気流時代の経営 (ドラッカー選書)
P・F. ドラッカー Peter F. Drucker 上田 惇生

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2013年02月25日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―既存の人材マネジメントに対するドラッカーの不満が爆発している

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ドラッカー名著集3 現代の経営[下]ドラッカー名著集3 現代の経営[下]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーの三大古典『経営者の条件』、『創造する経営者』、『現代の経営(上)(下)』の最後の本をようやく読み終えた。ドラッカーの本は読みやすいと言われるものの、改めて読み直してみると『現代の経営』はとても難しい。この本を最初に読んだ20代前半の私が、内容を理解できていたとは到底思えない(苦笑)。

 ドラッカーはマネジメントの機能として、「事業のマネジメント」、「経営管理者のマネジメント」、「人と仕事のマネジメント」の3つを挙げているが、下巻は「人と仕事のマネジメント」が中心である。ドラッカーはいつものように、自ら体系化した原則を表明する前に、既存の理論や現状をめった打ちにしている。その批判は、本書が世に出てから半世紀ほどたった現在でも十分に通用するから、人材マネジメントに関する理論と実践があまり進歩していないことを思い知らされる。

(1)人事管理論・人間関係論への批判
 人のマネジメントについて今日一般に受け入れられている2つの考え、すなわち人事管理論と人間関係論は、働く人たちのマネジメントを単なる事業の付属物のように扱っている。それは、人と仕事のマネジメントのためには、あえて事業のマネジメントの仕方を変える必要などないかのように考えている。しかも、人と仕事のマネジメントに必要な概念や手法は、いかなる事業に対してもそのまま適用できるかのように考えている。
 人事管理においては、人と仕事のマネジメントという仕事を、単なる書類整理の仕事、庶務の仕事、社内福祉士の仕事、組合とのもめごとの予防や処理という消防士の仕事などの寄せ集めに化けている。典型的な人事部の仕事、すなわち安全衛生、企業年金、提案制度、採用事務、組合窓口などの仕事も、企業にとって、必要ではあっても雑事にすぎない。
 (人間関係論が消極的な貢献にとどまっている)第2の原因は、人間関係論が、仕事に焦点を合わせていないことにある。積極的な動機づけ、は仕事を中心に位置づける必要があるにもかかわらず、人間関係論は、人間間の関係やインフォーマルグループの重要性を強調するにとどまっている。
 「人と仕事のマネジメントのためには、あえて事業のマネジメントの仕方を変える必要などないかのように考えている」という部分は、人材マネジメントと事業戦略が切り離されている現状をドラッカーが嘆いたものと解釈している。

 本来の人材マネジメントは、将来の事業戦略をスタートとして、その戦略を実現するためには、どのようなビジネスモデルが必要になるか?そのモデルをビジネスプロセス(=社員の行動の束)に落とし込むとどうなるか?そのビジネスプロセスを遂行し、戦略上の目標を達成するためには、いかなる能力を持った社員が何人必要なのか?を構想した上で、現有社員の量・質とのギャップを分析し、ギャップを埋めるための採用や育成、異動、昇(降)格といった施策を打つのが自然な流れである。ところが、(私の限られた経験に基づいて物申すのは大変恐縮であるけれども、)人事担当者のうち、自社の将来の事業戦略に通じている人は少なく、直近の採用活動や当面の研修スケジュールをこなすので精いっぱいになっている印象がぬぐえない。

 余談だが、先日中小企業診断士の会合で、人材マネジメントの研究会に参加しているという方と話す機会があった。その方は、「研究会では持ち回りでテーマ発表をするのだが、内容が枝葉末節すぎて実務に役立ず、正直面白くない」とこぼしていた。私はその研究会に参加していないので、その方の話から推測するしかないが、おそらく労務管理などの細々としたテーマばかりで、事業戦略と紐付けて人材マネジメントを扱うことがないから、ダイナミズムが感じられずつまらないのではないか?と申し上げたら、その方は納得顔をされたので、きっとそういうことなのだろう。

(2)雇用の保障への批判
 絶対的な雇用保障という労働組合の要求、すなわち年間賃金保障の要求は、不死の約束を要求するように愚かである。そのような約束は無価値以下である。なぜならば、働く人たちが最も保証を必要とする不況時には、反古にされるしかないからである。(中略)第二次大戦直後の厳しい時代、共産党の勝利が不可避と見られた状況下において、イタリア政府は、企業が危機的な状況にある場合を除き、いっさい解雇してはならない旨の法律を成立させた。しかしその結果、イタリアではだれも人を雇わなくなってしまった。
 これと全く同じことが、現在のドイツやフランスで起きているのだから、全く笑うに笑えない。両国の立法者は本書を読むべきだった。そうすれば、若者の暴動を防ぐことができたに違いない。「雇用の維持」は企業の社会的責任なのか否かについては、後日改めて論じることにしたい。

(3)社員満足度への批判
 働く人たちから最高の仕事を引き出すには、いかなる動機づけが必要か。通常これに対するアメリカの産業界の答えは「従業員の満足」である。しかし、この答えはほとんど意味をなさない。もし万一、従業員の満足が何らかの意味をもつとしても、それは企業のニーズを満たすに十分な動機づけとはならない。

 仕事において、何かを達成しているがゆえに満足な者もいる。逆に、大過なく過ごせるがゆえに満足な者もいる。何事にも不満をもつがゆえに不満な者がいる。あるいは、より優れた仕事を行いたいがゆえに、自分自身やチームの仕事を改善したいがゆえに、さらにまた、より大きな仕事をよりよく行いたいがゆえに、現状に不満な者がいる。とくに後者のような不満は、あらゆる企業にとって価値ある不満である。
 これもぐうの音も出ない正論である。しばしば、社員満足度とモチベーションは混同される。社員満足度は過去に対する評価であるのに対し、モチベーションは将来に対する熱意であり、両者は時間軸が正反対である。ところが、両者を厳密に区別している研究はあまり見たことがない(あったら教えてください)。モチベーションの話をしているのに、途中から社員満足度の話が混在したり、あるいはその逆であったりすることが非常に多い。

 もちろん、社員満足度とモチベーションの間に一定の因果関係がある可能性は否定できない。「今日の仕事は満足だったから、明日からもまた頑張ろう」と思う人がいるのは確かだ。しかし一方で、ドラッカーも指摘しているように、今日の満足と明日のモチベーションが途切れている人もいる。社員満足度とモチベーションを厳密に区別した研究が表れることに期待したい。

 話が逸れるが、似たような話が顧客満足度に関しても起きている。一般的に、顧客満足度と売上高との間には因果関係があるとされる。しかし、この因果関係は、「顧客満足度が高ければ、『再購入可能性』が高い」ことを前提にしている。そして、この前提こそ疑うべき対象だ。自動車など、買い替えサイクルが長い一部の業界では、顧客満足度が高くても、必ずしも再購入可能性が高いとは限らないことが明らかになっている(武藤猛「「顧客満足度」再考~「顧客満足度」は業績と連動するか~」を参照)。ここでも、過去に対する評価である顧客満足度と、将来の購入意欲を表す再購入可能性を厳密に区別すべきである。

 話を元に戻そう。それでは、ドラッカーは何によって社員を動機づけるべきだと主張しているのか?ドラッカーは、
 「汝の額に汗して糧を得よ」は、アダムの堕落に対する神からの罰であるとともに、楽園を追われた日々を耐えられるものとし、意味あるものとするための神からの贈り物、祝福でもあった。
という言葉に表れているように、プロテスタンティズムの影響を強く受けており、仕事そのものがモチベーションの源泉だと考えている。そして、仕事を満足ではなく、責任あるものにすることで、よりモチベーションを高め、生産性を向上させることができるとしている。仕事を責任あるものにするための要件は、本書の内容をまとめると、(A)多様な仕事の統合、(B)計画と実行両方への関与、(C)挑戦の要求、という3点に集約できる。
 人に特有の能力は、多様な動作を行い、統合し、均衡をとり、コントロールし、評価測定し、判断することにあるという事実に変わりはない。確かに、個々の作業は(インダストリアルエンジニアリングによって)分解し、研究し、改善しなければならない。しかし人的資源は、それらの要素動作を仕事として再び統合し、人に特有の能力を活用できるものとしなければ、生産的たりえない。
 われわれはすでにIBM物語(※詳しい事例は本書を参照)によって、働く人たち自身に仕事の計画について責任をもたせるとき、生産性が大幅に向上したことを知っている。(科学的管理法による)実行と計画の離婚に加えて、計画者と実行者の結婚が行われるとき、あらゆる分野において、働く人間の態度や誇りの面で向上が見られるだけでなく、大幅な生産性の向上が見られる。
 人の「開発」とは成長である。そして成長は、つねに内から行われる。したがって仕事は、つねに人の成長を促すとともに、その方向づけを行うべきものである。さもなければ、仕事は、人に特有の性質を完全に発揮させることはできない。すなわち、仕事は、働く人にとってつねに挑戦である必要があるということである。
 「(1)人事管理論・人間関係論への批判」で、理想的な人材マネジメントのアプローチを述べたが、将来的なビジネスプロセスが明らかになった後、どこからどこまでの範囲を1人の人間に担当させるかを検討するにあたっては、この3条件を満たすように考慮する必要があるだろう。

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2013年02月24日

【ベンチャー失敗の教訓(第6回)】リスク管理が甘い経営者

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 この連載で紹介しているエピソードはどれも笑うに笑えないものばかりだが、今回は本当に笑うに笑えない話を1つ紹介したい。組織のトップたる人物はパブリックな存在であるから、プライベートの失態で足を引っ張られないよう、細心の注意を払う必要がある。

 昨年7月には、三重県伊賀市の内保(うちほ)博仁市長が、2009年9月に同市発注の工事を受注する土木工事会社社長ら取締役3人と石川県加賀市の温泉に1泊2日で私的に旅行し、女性コンパニオンらのもてなしを受けていたことがスクープされた。内保市長は「大変軽率な行為だった」と謝罪し、「業者の人が旅行に加わっているのを知った時点で引き返すべきだったと今思っている。もう少し真剣に考えるべきだった」と釈明した(※1)。しかし、地元の建設業界との癒着が疑われ、市民のイメージダウンは避けられないだろう。

 また同じく7月には、日本維新の会の代表で大阪市長である橋下徹氏が、大阪府知事就任前の2006年、市内の高級クラブに勤務していた女性と知り合い、交際していたことが報じられた。記事では橋下氏が女性にスチュワーデス姿のコスプレをさせたことが暴露され、橋下氏は赤っ恥をかいた(※2)。橋下氏の件は、府知事時代より前の弁護士時代の話であるからまだ弁明の余地はあるものの、やはりプライベートでのつまらないミスによる失点は避けたいところだ。

 Z社の取締役の1人は、リスク管理の甘さがたたってプライベートで大失態を犯した。ある飲み会で泥酔した取締役は、道路に落ちていたスケートボードにふざけて乗って転倒し、右腕を複雑骨折してしまった。結構な重傷だったようで、入院期間は1ヶ月にも及んだ。当時、Z社は「【ベンチャー失敗の教訓(第4回)】何にでも手を出して、結局何もモノにできない社長」で書いたように、C社長があれこれ新しいコンサルティングサービスを始めようとして迷走しており、業績が低迷していた。そんな中での取締役のぶざまな戦線離脱は、3社の社員の失笑を買った。

 だが皮肉にも、取締役が1ヶ月間コンサルティングの現場を離れても、Z社の業務に大した支障は生じなかった。つまり、この取締役はZ社に対してさしたる貢献をしていなかったことが判明してしまったのである。以前から取締役の仕事ぶりに失望していたシニアマネジャーとコンサルタントは、1ヶ月の間に相次いで離職した。彼らの離脱の方が、Z社にとってよっぽど痛手であった。

 パナソニックの元社長である中村邦夫氏は、社長就任時に大好きなお酒を断ったそうだ。全世界に30万人、600社以上の子会社を抱えている大企業の社長は、いつどこで何が起こるか解らないリスクの中で、多大な責任を負いながら仕事をしている。世界のどこかで大地震やテロなど、予想を超えた事件が起きている世の中である。酒など飲んでいられないということだろう(※3)。

 経営者は酒を断つべきだとまでは言わないが、組織のトップに立つ人間として自覚ある行動を自らに課す必要がある。それができないのであれば、組織のトップを務めてはならない。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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(※1)「伊賀市長:市の工事受注業者と温泉旅行 『軽率だった』」(毎日新聞、2012年7月22日)、「『軽率な行為だった』内保伊賀市長が謝罪会見 土木業者との旅行で」(伊賀タウン情報YOU、2012年7月22日)

(※2)『週刊文春』2012年7月26日号

(※3)青木仁志『戦略を超える理念経営』(アチーブメント出版、2008年)

戦略を超える理念経営戦略を超える理念経営
青木仁志

アチーブメント出版 2008-09-05

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