2013年04月28日
【ベンチャー失敗の教訓(第15回)】「手離れのいいビジネス」という幻想
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X社のC社長はしばしば、「1,000社に研修を導入するという目標達成(※この目標に到達するシナリオがはなはだ不明確であったことは、以前の記事「【第12回】独り歩きした戦略的目標に全くついて行けなかった組織能力」を参照)のために、『手離れのいいサービス』を提供する」と口にしていた。手離れのいい研修サービスとは、手短に言えば、商談にそれほど時間をかけなくても受注することができ、顧客企業ごとに研修コンテンツをカスタマイズしなくてもよく、研修実施後のアフターフォローもあまり要求されないサービスのことを意味していた。
自社の製品やサービスが競合他社に比べて圧倒的な優位性を持っていれば、手間暇をかけないビジネスを展開することも可能だろう。しかし、そこまで強力でイノベーティブな武器がある企業は、世の中に1割も存在しないのではないだろうか?
大部分の企業は、100%完璧とは言えない製品やサービスを抱え、顧客の様々なニーズに合わせてカスタマイズや修正を施し、対価に見合った価値を顧客が享受できたかどうか顧客からフィードバックをもらいながら、製品やサービスの改善、さらには新製品・サービスの開発につなげている。日本電産の永守社長は、「君は死んだ猫を売れるか?」と営業担当者にハッパをかけるのが口癖だそうだ。自社に死んだ猫しか売れるものがないというのは極端な話だが、そういう厳しい状況の中でビジネスを展開するのが普通だろう。
特に、名もないベンチャー企業が既存の大企業と同じ土俵で勝負しようと思ったら、大企業がやりたがらない、あるいは大企業ではできない仕事をやるしかない。必然的に、大企業だと採算割れしてしまうような、手間暇のかかる仕事が中心となる。好調な中小の製造業を見てみると、「他社がやりたがらない仕事」を積極的に引き受けることで成長してきた企業が多いことに気づかされる(試しに、googleで「他社がやりたくない仕事」というキーワードで検索してみるといい)。そういう仕事で成果を上げていくと、「あの会社ならば何とかしてくれる」という口コミが他の企業に伝わり、新しい仕事の受注へとつながっていく。
1つ有名な例を挙げると、昭和9年の創業以来、一貫してばね製品を製作してきたばね専業メーカーである東海バネ工業という企業がある。同社は常に「単品でお困りのお客さまのお役に立つこと」を最優先課題としてきた。ばねはコモディティ製品であり、普通にビジネスをやっていては海外の低価格製品にとても太刀打ちできない。そこで同社は「他社が非効率と避けがちな仕事」である、数のまとまらない、不特定多数の顧客からの注文に真摯に対応することで、「完全受注・1本~5本の超微量生産」を実現している。
業界は違うが、同社は5年間で1,000社もの新しい顧客を開拓したそうだ。手離れのいいビジネスを目指していたX社が、私の5年半の在籍期間中にわずか数十社しか顧客を開拓できなかったのに対し、手間暇を惜しまないことをモットーとしている東海バネ工業が1,000社も顧客を獲得できたというのは、何とも皮肉な話だ(※「ばね一筋70年:東海バネのモノづくり|バネ・ばね・スプリングの東海バネ工業株式会社」を参照)。
そもそも、研修サービスはその性質からして、手間暇がかかるものである。企業は競合他社との差別化を図る戦略を立案し、その実行を担う高いスキルを持った人材の育成を目指して研修を実施する。したがって、研修コンテンツは、その企業の戦略を反映させたオリジナルのものとなる。汎用的な研修が通用する世界ではないのだ。
営業担当者は人事担当者の下に何度も足を運び、顧客企業の事業戦略や人材戦略を理解する。研修コンテンツの開発担当者と講師は、顧客企業の事情を汲み取った研修を作成し、狙い通りの教育効果が得られそうかどうか人事担当者と綿密にすり合わせる。そして、研修実施から一定期間が経過した後に、研修がビジネス上の成果につながったかどうかを営業担当者が人事担当者に確認する。決して、「研修当日だけ講師が頑張ればOK」ではない。
もちろん、手離れのいいサービスを持つこと自体は悪いことではない。なぜならば、手離れのいいビジネスは、安定的な収益基盤になるからだ。財務基盤が脆弱なベンチャー企業の場合、これは特に重要である(中堅・中小企業向けの研修サービスを提供するトーマツイノベーション株式会社は、顧客企業を会員化し、年会費収入という安定的な収益源を持っていたのをうらやましく思ったこともある)。他社がやりたがらない仕事ばかりを引き受けた結果、いつまでも利益が上がらないようでは意味がない。しかし、反対に全てのビジネスを手離れのいいサービスにしようとするのは、非常におこがましい話であり、顧客の存在を無視して自社の都合しか念頭に置いていない非倫理的な考え方であると言わざるを得ない。
明治の大実業家・渋沢栄一は次のような言葉を残している。「金は働きのカスだ。機械が運転しているとカスがたまるように、人間もよく働いていれば金がたまる。仁義道徳と金儲けの商売とが、その根本において異背するように思われるが、けっしてそうではない。論語を礎として商業を営み、算盤をとって士道を説くこそ非常の功である。」これに対してA社長は、どうやら楽してお金を儲けようとしてた気がする。これでは経営者として大成しない。
(※注)>>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ
X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング