この月の記事
【ベンチャー失敗の教訓(第32回)】メディア露出が中途半端すぎてティッピングポイントを超えられない
【ベンチャー失敗の教訓(第31回)】お客様は神様。神様をバカにすれば罰が当たる
【ベンチャー失敗の教訓(第30回)】ターゲット市場がニッチすぎて見込み顧客を発見できない

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

※2019年にWordpressに移行しました。
>>>シャイン経営研究所(中小企業診断士・谷藤友彦)
⇒2021年からInstagramを開始。ほぼ同じ内容を新ブログに掲載しています。
>>>@tomohikoyato谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士

Top > 2013年08月 アーカイブ
2013年08月25日

【ベンチャー失敗の教訓(第32回)】メディア露出が中途半端すぎてティッピングポイントを超えられない


 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ

 マーケティングでは、投資と成果が比例しない。一定のメディア露出を一定期間続けると、ある時飛躍的に認知度が向上する。これがマーケティングにおける「ティッピングポイント」である。ティッピングポイントを下回る投資では、投資の多寡にかかわらず、効果はほぼゼロと言ってよい。

 テレビのCMについて言えば、1日1本だけのCMを毎日流し続けたところで、あるいは毎日10本のCMを1か月だけ流したところで(どちらも、年間のCM本数は300本強である)、視聴者の記憶に焼きつけることはできない。日々何十本、何百本というCMを目にする視聴者、しかもCMのことをそれほど好意的にとらえていない視聴者に、自社のCMのことを覚えてもらおうと思ったら、例えばゴールデンタイムを狙って集中的にしつこいくらい自社のCMを挿入しなければならない。しかも、短期間で止めることは許されない。365日、いや何年もそれを続ける必要がある。

 テレビよりもずっと早いスピードで爆発的に多数のコンテンツが生まれるWebの世界の方が、ティッピングポイントの問題は深刻だ。Webの世界は、情報戦争とでも呼ぶべき状態にある。ありとあらゆる競合のコンテンツを押しのけて、自社のコンテンツをターゲットユーザに届けようと思ったら、相当の頻度で良質のコンテンツを創造し続けなければならない。そのスピードと量を下回るコンテンツ制作は、いかにコストと労力をかけたとしても、全くリターンを生み出さない。

 マーケティングの担当を兼務するようになった頃から、このティッピングポイントのことを考えていた私は、自社のHPに高頻度で講師のコラムを掲載しようとした。以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第7回)】本を書いて満足してしまう社長」でも書いたように、私がコラム掲載のスケジュールを決めて、それぞれの講師に担当を割り振った(私も担当した)。高頻度と言っても、講師1人あたりに換算すれば1か月に1本(1本あたりの文字数は約2,000字)の計算であり、空いている時間を使えば余裕で書けるはずであった。にもかかわらず、コラムの締切はだんだんと守られなくなり、挙句の果てにはコラムの原稿すら提出されなくなった。HPが更新できなくなり、HPのUU(ユニークユーザ)数が激減してしまったことは、以前の記事でも述べた通りである。

 私が講師に対して強制的にコラムを書かせようとしたのがダメだったのかもしれない。それならば、講師が自主的に記事を書けば、長続きするのではないだろうか?講師の元には、人事関係のポータルサイトを運営する企業から、「うちのポータルで連載記事を書かないか?」という依頼が来ることがあった。それなりに有名なポータルサイトであったから、講師は「○○から依頼が来たんだよ!」と嬉しそうに私に話をしてくれたものだった。私としても、自社HPよりも知名度が高いポータルサイトで講師の露出が上がり、講師の名前が売れるのならば大歓迎であった。

 自社HPのコラムとは違って講師が前向きに取り組んでくれそうなので、私はポータルサイトに関しては講師に一任することにした。ところが、予定されていた5~6回の記事を書き終わると、それで満足してしまったのか、続きの連載をまた書かせてほしいと運営会社に提案する様子がまるで見られなかった。何百という記事を載せているポータルサイトに、たかだか5、6本の記事を載せたところで、次から次へと追加される新しい記事に埋もれてしまうのは自明である。

 私は、何とかして自社HPの更新頻度を上げられないものかと考えていた。そこで注目したのが、何人かの講師が運営していた個人ブログであった。ブログには、自分が講師を務めた研修の感想や、自らの専門分野についての記事がアップされていた。「これは使える」と思った私は、各講師のブログの最新記事をRSSのように自社HPに表示させることを思いついた。やや姑息ではあるが、これだけでも更新頻度を上げられる。私はこのアイデアを講師に持ちかけてみた。

 ところが、どの講師からも、「ブログに載せている内容は、たくさんの人に読んでもらうような内容ではないから・・・」という理由で断られてしまった。講師たちは一体何を目的としてブログを書いていたのだろうか?私は思わず、「そんな程度の低い記事を書くのに時間を使うな。その時間を使って自社HP用のコラムを書いてくれ」と言いたくなった。

 強制的であろうと自主的であろうと、長続きしない性格の講師ばかりがX社には集まっていたのかもしれない。X社の講師は、比較的早い段階からtwitterを始めていた。私が講師たちのアカウントを発見した時には、フォロワーの数が100名ぐらいになっていた。私は、「フォロワーを100人集めるのはどのくらい大変なのだろうか?」と思い、自分でもアカウントを作ってみた。すると、わずか3日ほどで講師たちのフォロワー数を抜き去ってしまった。

 twitterは、リツイートされやすいつぶやきを、twitter閲覧者が増える20時~23時頃の間に20回前後集中的につぶやけば、簡単にフォロワーを増やせる。言い換えれば、これがティッピングポイントというわけだ。ツイートが1日に10回未満とか、20ツイートを超える日が1週間に1日だけといった具合では、ティッピングポイントを超えられず、フォロワーは増えない。しばらくしてから講師のアカウントを再確認したところ、フォロワー数はほとんど変わっていなかった。講師たちは、あまり積極的にツイートをしていなかったのだろう。ここでもまた、講師たちの飽きっぽさが災いして、ティッピングポイントに対する理解を阻害していた。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ

2013年08月18日

【ベンチャー失敗の教訓(第31回)】お客様は神様。神様をバカにすれば罰が当たる


 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ

 ある時、X社のA社長自らがプロジェクトマネジャーとなって、新規顧客である中堅企業に対し、コンサルティングプロジェクトを実施した。A社長は、その顧客企業とのビジネス規模を拡大するためにコンサルティングの継続案件を提案したものの、相手には受け入れられず、関係がそこで途絶えてしまった。A社長はそのことを社員の前で報告した際、驚くことに「コンサルティングのことを解っていない中堅企業とはつき合いたくない」と放言したのであった。

 この中堅企業はコンサルティング会社を使うのが初めてだったらしく、プロジェクトの進め方に不慣れなところもあっただろう。だが、その辺りの事情も踏まえて適切なアドバイスを行うのが、コンサルタントの仕事というものではないだろうか?それを顧客企業の無知のせいにしてしまっては、元も子もない。以前の記事「『起業に学ぶ(DHBR2013年8月号)』―製品が先か、営業が先か?」の中で、ベンチャー企業は大企業よりも中堅企業を攻めた方がいいのではないか?という問題提起をしたが、私はX社についても同じように考えていた。しかし、A社長がこういう考え方の持ち主なので、私の意見は聞き入れられるはずもなかった。

 トップがこういう考えを持っていると、部下にも自然と伝わるものだ。Z社のシニアマネジャーの中には、顧客企業のことを見下している人が少なからずいた。あるシニアマネジャーは、顧客企業を訪問するたびに、帰り道で「あの担当者はバカだから何も解っていない」と言うのが口癖であった。そう言われたところで、こちらとしても返しようがない。そもそも、顧客企業が天才だったら、わざわざコンサルタントなんか使わない。どこかに課題があるからこそコンサルティングの仕事が生まれるのであって、その課題をバカの一言で片づけてしまっては、コンサルティングという仕事の品位を自ら貶めることになってしまう。

 このシニアマネジャーは、どこか仕事を舐めている節があった。あるコンサルティングプロジェクトの中間報告の日、シニアマネジャーは「親戚が亡くなった」と言って、中間報告を1週間ほど延期することになった。確かにそういう不測の出来事もあるだろう(私も、コンサルティングプロジェクトの最終報告の3日ほど前に祖父を亡くした経験がある)。だが、1週間後、シニアマネジャーは「今度は別の親戚がなくなった」と言って、再度の延期を求めてきたのである。

 そうそう都合よく(?)中間報告の日を狙ったかのように親戚が亡くなるものだろうか?百歩譲って、身内が立て続けに亡くなったとしよう。自分の両親や祖父母が続けて亡くなったのならば葬儀を優先させるのも理解できるが、親戚の葬儀をそこまでして優先させなければならない特別な理由があるのだろうか?さすがにこの子どもじみた言い訳は、顧客企業も疑わしく思っていたようだ。このシニアマネジャーは他にも、顧客企業との打合せに遅刻する、さらには何の連絡もなしに顧客企業との打合せを欠席するなど、顧客企業を軽視しているところがあった(こういう”前科”があるので、「親戚が亡くなった」という報告が余計に嘘っぽく思えた)。

 もちろん、どんな顧客であっても大切にしなければならない、という絶対的な主張を行うつもりは毛頭ない。ビジネスパーソン、あるいは人間としての資質を疑いたくなるような顧客は、わずかな割合かもしれないが存在するものだし、そういう破壊的な顧客に関しては、自社のビジネスと社員を守るために、取引を中止する方が賢明である。サウスウェスト航空のCEOだったハーブ・ケレハは、次のように述べている。
 顧客はいつも正しいとはかぎらない。それこそ、会社が従業員に対して犯しやすい背信行為にほかならないとわたしは思う。顧客が従業員に対して悪態をつくこともある。顧客のほうが間違っていることだってある。われわれはそういう顧客はお断りしている。
(※ジェームス・L. ヘスケット『バリュー・プロフィット・チェーン―顧客・従業員満足を「利益」と連鎖させる』〔日本経済新聞社、2004年〕)
バリュー・プロフィット・チェーン―顧客・従業員満足を「利益」と連鎖させるバリュー・プロフィット・チェーン―顧客・従業員満足を「利益」と連鎖させる
ジェームス・L. ヘスケット レオナード・A. シュレシンジャー W.アール サッサー James L. Heskett

日本経済新聞社 2004-12

Amazonで詳しく見る by G-Tools
 実際、サウスウェスト航空では、社員に対して無礼な態度をとる顧客がいた場合、社員がその顧客をアメリカン航空のカウンターに連れていき、「こちらでチケットをお買い求めください」などと突き放すことが許されている。たとえ敵に塩を送ることになっても(非礼な顧客に「塩」ほどの価値はないのかもしれないが・・・)、自社の信念を貫き通すのがサウスウェスト航空のやり方である。

 とはいえ、これは例外中の例外であって、やはり9割9分の顧客は全うなお客様である。お客様は神様だ。神様をぞんざいに扱えば、必ず罰が当たる。ある時、Z社で新規顧客の戦略コンサルティングプロジェクトが発足した。そのプロジェクトは3,000万円ほどの案件であり、Z社としては大規模な部類に入るものであった。顧客企業の重役たちがZ社のオフィスを訪れ、キックオフミーティングが開催された。Z社からは、先ほど述べたシニアマネジャーがプロジェクトマネジャーとして参画し、プロジェクトの品質管理責任者としてC社長も名前を連ねていた。まさに、顧客企業にとっても、C社にとっても肝煎りのプロジェクトのはずであった。

 ところが、キックオフミーティングが終わって数日後、顧客企業からZ社に連絡が入り、「やはり今回のコンサルティングプロジェクトはお断りしたい」という申し出があった。キックオフミーティングの直後に案件をキャンセルされるなどというのは前代未聞だ。顧客企業からは発注書をいただいていたし、大企業であった顧客企業はコンサルティング会社を使うことにも慣れていたはずだ。その顧客企業からこんな扱いを受けたのは、顧客企業に対するシニアマネジャーの日頃の心構えが悪かったのも一因ではないかと私は思う。

 X社も顧客から何度かしっぺ返しを食らっていた。ある顧客企業とは、どの研修案件であっても常に研修日程がなかなか決まらず、営業担当者が何度も何度も足を運んで顧客企業と日程を調整しなければならなかった。メールで済みそうな日程調整を、わざわざ足を運んで行わなければならなかったことが事態を深刻化させていた。日程調整に要した営業工数だけで、どの案件も赤字が出てしまうような状況だった。

 もっとひどい仕打ちは、顧客企業側と研修日程について合意し、講師のスケジュールも確保したのに、研修の直前になって受講者が集まらず、研修が中止になるというケースであった。しかも、一度の中止にとどまらず、二度、三度とリスケジューリングを行った挙句に研修が流れてしまうことが多々あった。この場合、講師の稼働日数を数日間フイにしてしまうわけだから、その分だけ機会損失が発生してしまう。原因を分析すれば、営業担当者の調整能力不足によるところも大きいのだろうが、顧客企業を大切に扱わないA社長に対する仕返しでもあったように感じる。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ

2013年08月11日

【ベンチャー失敗の教訓(第30回)】ターゲット市場がニッチすぎて見込み顧客を発見できない


 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ

 ランチェスター戦略に従うと、弱者は強者が入ってこないようなニッチの市場を攻めて、そこでナンバーワンになるのが有効であるとされる。実際、優良な中小企業の中には、大手企業が手をつけないニッチな市場で地位を確立しているところが多い。

 研修の市場規模は5,000億円程度で推移しているが、大半は新入社員研修と管理職向け研修だ。X社が売り物としていたキャリア研修はどちらかというとマイナーな部類に入る。オリックスの関連会社であるブルーウェーブ社が実施した調査からも、この傾向がはっきりと見て取れる。

 ≪どのような研修を実施していますか?(複数回答)≫
20090401_企業における人材研修の現状.jpg
(※ブルーウェーブ株式会社「企業における人材研修の現状 オリックスグループの研修専門施設 「クロス・ウェーブ」でアンケートを実施」〔2009年4月1日〕より)

 キャリア研修はニッチ市場である。ただ問題は、ニッチすぎるということだ。研修の種類別に市場規模を算出したレポートが見つからなかったため(この辺りが研修業界の未熟さを表している気もするが・・・)、自力でキャリア研修の市場規模を算出することにしてみた。

 キャリア研修は大まかに言って、(1)若手向け、(2)中堅社員(管理職前後)向け、(3)シニア向けの3タイプに分かれる。先進的な企業では、例えば30歳、40歳、50歳という節目ごとにキャリア研修が用意されている。

キャリア研修の市場規模推計
(※事業所数、社員数合計の数値は、総務省統計局「平成21年経済センサス」による)

 まず、300人未満の企業は、1社あたりの平均社員数が12名であり、集合研修が成立しない。また、ブルーウェーブ社のレポートによると、社員数0~449人の企業におけるキャリア研修の実施割合は11.5%と低いため、300人未満の企業はキャリア研修を実施しないものとする。

 次に、社員数300~499人の企業については、1社あたりの平均社員数が392名である。22歳(入社時)~60歳(定年退職時)までの社員数を年齢別にみると、単純計算で各年齢とも392名÷39年=約10名の社員がいる計算になる。10名では集合研修が成り立たないが、例えば若手と中堅をセットにするなどすれば研修が開催できる。よって、この規模の企業では、年間1回のキャリア研修が実施されるものとする。1回あたりの研修単価はそれほど高くなく、1日研修で平均30万円と設定する。すると、キャリア研修の市場規模は約20.7億円となる。

 同様にして、社員数500~999人の企業については、1社あたりの平均社員数が703人であり、各年齢とも703人÷39年=約18名の社員がいる計算となる。18人いれば集合研修のクラスが作れるから、この規模の企業では、毎年30歳、40歳、50歳向けの研修が1回ずつ、合計3回実施されるものとする。1回当たりの研修単価は少し上がり、1日研修で40万円程度と仮定する。すると、キャリア研修の市場規模は約45.5億円となる。

 最後に1,000人以上の企業だが、1社あたりの平均社員数は2,002人であり、各年齢とも2,002÷39=約51名の社員がいる。51名を一度にトレーニングするのは不可能なので、3クラスに分ける(1クラスあたり17人の計算)。よって、この規模の企業では、毎年30歳、40歳、50歳向けの研修が3クラスずつ、合計9回実施されることになる。1,000人以上の大手企業だと、研修1日あたり50万円ほど出してくれる場合も多い。また、1日ではなく2日間の手厚い研修を実施するケースも増えてくる。そこで、研修日数は間をとって1.5日とし、研修1回あたりの平均単価は、50万円×1.5=75万円とする。すると、キャリア研修の市場規模は約115.0億円となる。

 以上を合計すると、キャリア研修の市場規模は約181.2億円となる(a)。ただし、これは社員数300人以上の全企業がキャリア研修を実施した場合の潜在的な市場規模であるから、実態に即して補正する必要がある。ブルーウェーブ社の調査によれば、キャリア研修の実施割合は26.8%なので、先ほどの181.2億円にこの割合をかけると、約48.6億円となる(b)。

 また、全てのキャリア研修が外部の研修会社を使って行われるとは限らない。研修を社内で内製化することもある(実際X社でも、キャリア研修の商談を進めるうちに、顧客から「やっぱり社内で講師と研修コンテンツを準備することになりました」という理由で失注したことが何度もあった)。ブルーウェーブ社の調査によると、社外講師の利用割合は74.7%であるため、先ほど48.6億円にこの割合をかけると、約36.3億円となる(c)。

 さらに言えば、この数値は全国の市場規模である。X社のような小さなベンチャー企業は、全国の顧客企業を相手にできるほど人的リソースが十分ではなく、東京都をターゲットとせざるを得なかった。市場規模を東京都に限定すると、やや乱暴な方法だが、東京都の人口が全国の10分の1であることを利用して、36.3億円×10%=約3.6億円と推測される(d)。

 googleで「キャリア研修」と検索すれば解るが、キャリア研修を提供している研修会社は東京都だけでも数十社は簡単に見つかる。その数十社が4億円弱の小さな市場を奪い合っているのである。研修会社の中には、ほとんど個人経営のような企業もたくさん存在する。そういう会社であれば、東京都で数百万円の売上が取れるだけでも十分かもしれない。だが、X社は曲がりなりにも数十人単位の社員数を抱え、億単位の売上高を目指していたわけだから、この市場はあまりに魅力に乏しかったと言わざるを得ない。

 X社はキャリア研修をさらに細分化して、「女性向け」キャリア研修も提供していた。確かに、「ダイバーシティマネジメント」というキーワードが欧米から流入して、女性社員の活用が注目されるようになっていたこともあり、女性社員のキャリア意識を高め、女性の管理職を増やそうという機運が世の中にはあった。X社の経営陣やマネジャーは、そのためのソリューションとして、女性向けのキャリア研修を導入する企業が増えると予想したようだ。

 しかし、現実は甘くなかった。経済同友会のレポートによると、「女性の登用・活用のために必要と思われる施策」として、「女性の管理職・役員を育成するために、女性を主体とした研修を実施する」と回答した企業はわずか2.8%であった。2012年時点でもこの程度であるから、私が在籍していた2000年代後半はもっと数値が低かっただろう。管理職に占める女性社員の割合は、年々上昇しているとはいえ、現在でも10%台であり、OECD諸国の中でも最低水準のままだ。

女性管理職・役員の登用・活用状況のアンケート調査結果

(※経済同友会「「意思決定ボード」の真のダイバーシティ実現に向けて~女性管理職・役員の登用・活用状況のアンケート調査結果~」〔2012年10月16日〕より)

 こういうデータをX社の経営陣に見せたら、「キャリア研修も女性向け研修も、今までにない市場を切り開くイノベーティブなサービスであるから、市場規模は小さくて当然だ」と反論したかもしれない。だが、顧客の意識や行動の変容が必要なイノベーションは、成功の確率が下がる(P&Gはイノベーションの是非を判断する際に、この基準を大事にしているという。詳しくはアラン・ラフリー『ゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばす』を参照)。社員のキャリア支援もダイバーシティマネジメントも、人事担当者は「頭の中で重要性は理解しているけれども、いざやるとなると大変だ」と感じているものだ。そういう人事担当者の意識を変えるのは容易ではない。

ゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばすゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばす
A.G.ラフリー ラム・チャラン 斎藤 聖美

日本経済新聞出版社 2009-05-23

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 ある時、私はA社長に、「シニア向けのキャリア研修は、今後どうやって売っていくつもりですか?」と聞いてみた。するとA社長は、「8年後ぐらいには世の中がついてきて、売れるようになるんじゃないか?」と答えた。何とも気の遠くなるような話である。今日、明日の売上すら心もとないような状態で、8年間も顧客の啓蒙活動を行う余裕などX社にはないのは自明であった。なお、この問答を行ったのは2009年頃のことである。A社長の言う「8年後」は未だに到来していない。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ




  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like