2013年09月29日
【ベンチャー失敗の教訓(第37回)】最初に「バスに乗る人」を決めなかったがゆえの歪み
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前回の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第36回)】「この人とは馬が合いそうだ」という直観的な理由で採用⇒そして失敗」で紹介したような、Z社のC社長による場当たり的な採用は論外であるが、X社の採用もとても褒められたものではなかった。簡単に言うと、候補者が勤めていた企業のネームバリューに惑わされていた。
X社が創業して間もない頃、キャリア研修の講師とコンテンツ開発ができる人を採用することになった。ヘッドハンティング会社を利用して候補者を探したところ、ある米国系の有名な研修会社で講師をやっている人が見つかった。話を聞くと、講師だけでなく営業に近いこともやっており、何千万円単位の予算が割り当てられた大手の顧客企業も何社か担当しているという。実績は申し分ないと判断したX社は、その人を新しいマネジャーとして迎え入れることにした。
ところが、そのマネジャーにキャリア研修の開発を任せても、一向に研修が完成しない。前職の研修会社で講師をやっていたぐらいだから、研修のネタもある程度たくさん知っているだろうと見込んでいたのに、出てくる成果物は営業担当者が求める水準に達していなかった。営業担当者はあれこれと修正を依頼するものの、このマネジャーはどうもスピード感が足りなかった。
また、部下の使い方も上手ではなく、「マネジャーが一貫性のない修正を締切間際になって指示してくるので困っている」という苦情が私に寄せられたこともあった。今振り返ってみると、このマネジャーが得意だったのは、「すでに完成したコンテンツに忠実に従って講師をすること」であり、「チームを活用して新しいコンテンツを短期間で生み出すこと」ではなかったように思える。
似たようなことは他にもたくさんあった。営業力不足が課題だと感じたA社長は、世界的に有名なあるデータベースを開発・販売するIT企業から営業担当者を2人引き抜いてきた。2人とも前職では高業績を上げており、他の社員より多額のコミッションをもらっていたというので、A社長も大いに期待していた。ところが、いざX社の研修サービスを販売させると、自分で提案書を書くことも、サービスの中身をうまく説明することもできない。
2人が前職で高い成果を上げられたのは、その人の指示に従って提案書を作成してくれる優秀な営業スタッフが周りにいたからであり、またサービス自体の性能も優れていて高い競争力を持っていたからであった。ブランド力が皆無の状況で、自力で難局を打開し、商談を推し進めるだけの力は持ち合わせていなかった。
X社は人事制度構築のコンサルティングを提供していたが、実はコンサルタントの中には人事部門の経験者がいなかった。この事態を問題視したシニアマネジャーは、ある有名な玩具メーカーの人事部門から知り合いをX社に引っ張り込んできて、マネジャーの地位に就けた。
確かにこのマネジャーは、人事の日常業務に関する知識に関しては誰よりも上であった。だが、人事コンサルティングに必要なのは、事業戦略に対する深い洞察であり、戦略とリンクした人事制度を組み立てる構想力である。つまり、日常業務よりも1つ上の視点が求められるわけだ。したがって、単に人事業務に詳しいというだけでは不十分であり、せめて人事制度の改革を企画・実行した経験のある人を採用するべきであった。
採用にあたっては、自社が募集しようとしている職種・ポジションに、どのようなスキルや知識が求められるのかを丁寧に洗い出す必要がある。そして、そのような能力は、どのような業務経験を通じて体得されるものなのかをよく考えなければならない。その上で、応募者がそれらの能力を持ち合わせているかどうかを、面接を重ねながら明らかにしていく。
重要なのは、応募者の成功体験を深く掘り下げることだ。なぜその応募者は成功することができたのか?応募者自身の能力のおかげなのか、それとも応募者を取り巻く環境が味方しただけなのか?応募者の所属企業の知名度や応募者の口車に騙されることなく、応募者自身の真の能力とは何なのかを慎重に見極めることが肝要である。それが自社の求める能力と合致すれば、採用へのステップを一歩前へ進めることができる。
だが、採用にあたっては、能力の有無よりも、もっと重視すべきことがある。それは、「企業の価値観と応募者の価値観が合致しているかどうか?」である。価値観とは、事業や仕事を進める上で絶対に譲ることのできない基本ルールである。組織は、多様な利害を持つ人々を共通の目的に向かわせるための装置だ。そして、組織の価値観は、社員同士の調整の手間を減らし、経済学者ロナルド・コースが言うところの「取引コスト」を抑制する方向に作用する。組織の価値観に従う限り、社員は無用な対立を避けて、同じレールの上を前進することができる。
能力より価値観が優先されるのは、能力は入社後に習得できる可能性があるのに対し(ただし、前述した通り、能力がないよりもあった方がはるかにマシだ)、価値観は組織や個人のアイデンティティと深く結びついており、変えることが難しいからだ。『ビジョナリー・カンパニー』の著者ジェームズ・コリンズは、最初に「バスに乗る人」を慎重に決めよ、それからバスが向かう方向を決めよ、と主張している。バスに乗せるべき人とは、組織の価値観を共有できる人のことである。
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以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第9回)】額縁に飾られているだけの行動規範」でも述べたように、3社には「勇気を出して未知の領域に飛び込む」、「決意を持って独自の価値を創りだす」、「多様性の中で志を相互に尊重する」、「内外の知を結集して最高を目指す」、「体現主義を貫くことで深い信頼を築く」という5つの価値観が定められていた。そもそも3社の経営陣がこの価値観に従っていなかったこと自体が大問題だが、採用の段階で応募者がこの5か条と合致する価値観を持っていたかどうかを十分に確かめなかったことも問題であった。
「多様性の中で志を相互に尊重する」という価値観は、たとえ真っ向から対立するような考えを持つ人に対してであっても敬意を払い、異なる意見から弁証法的に新しいアイデアを導くことを要請していた。ところが、一部の社員は自分の意見が絶対に正しいとでも言わんばかりに、相手を言いくるめようとする傾向があった。あるいは、自分とは違う意見を聞いている素振りは見せるものの、実際には聞き流しているだけの人もいた。こういう人がいると、会議などで大勢とは異なる意見を持っていても、それを表に出そうという意欲がなくなる。
「内外の知を結集して最高を目指す」という価値観は、3社がシナジーを発揮してトータルソリューションを提供することを社員に求めていた。しかし、ある社員は他社のサービスが欠陥品であるかのように扱い、協力してサービスを提供しようとしなかった。一部の人がそういうことを言い出すと、周りの人もそのサービスがダメなサービスであるかのように思い始める。その結果、途中まで進んでいた共同提案の案件も、いつの間にかうやむやになってしまうことが増えた。
中小企業の場合、1人でも不適切な人材が混じっていると致命傷になる。社員数が数千人~数万人という大企業であれば、その中に1人や2人不適切な人材が入っていたとしても、全体に占める割合は塵のようなものだ。これに対し、社員数50人の中小企業に1人でも不適切な人材が入っていると、その人の存在はかなり目立つ。1万個のリンゴが入った箱に1つだけ腐ったリンゴが入っていても、全体が腐るまでにはかなりの時間がかかるだろう。しかし、50個のリンゴが入った箱に1つでも腐ったリンゴが入っていれば、全部のリンゴが腐敗するのは時間の問題である。
(※注)>>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ
X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング