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中村天風『運命を拓く』―天風哲学はアメリカ的なキリスト教の匂いがする(2)
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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2013年11月28日

中村天風『運命を拓く』―天風哲学はアメリカ的なキリスト教の匂いがする(2)

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運命を拓く (講談社文庫)運命を拓く (講談社文庫)
中村 天風

講談社 1998-06-12

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 (前回の続き)

 アメリカという国家は、煎じ詰めると、「自由と市場原理を基礎とし、競争的な経済活動を通じて物質的な富を増大させ、それを通じて人々を幸福にする」というたった1つの明確な目的に向かって邁進している。目的をこの1つに絞り込んでいるのは、アメリカはこの目的こそが神の意志であり、目的が達成されたあかつきには、神の思い描く理想世界が実現されると信じているからだ。だから、自国のルールを他国に押しつけ、従わない国には制裁を加える。極言すれば、全世界のアメリカ化を目論んでいる。アメリカ政府はそのための戦略を構想し、アメリカのグローバル企業は、その戦略の実行部隊として機能している。

 アメリカのやり方は、建国当初から変わっていない。西部開拓者は、「白人入植者による植民地拡大は、神の与えた運命である」という「マニフェスト・デスティニー」(明白なる運命)を感じており、開拓に伴う領地拡大と犠牲者の増大を当然の運命だと考えていた。西部開拓が終わると、マニフェスト・デスティニーが転じて、今度は「白人が世界経済におけるプレゼンスを増すことは、神の与えた運命である」というものに変質した。アメリカはまず、自国の通貨を世界通貨の基軸とした。その上で、先進国と途上国に対しては、次のような戦略を使い分けた。

 先進国に対しては、米国債を大量に発行した。そして、借金で得られたお金を国内に流していった。その結果、アメリカ国内では金余りの状態が生じ、インフレとなる。短期的には買い控えなどが起こるものの、長期的には値上げの分だけ企業の利益も増加する。すると、株主からは配当増の圧力がかかり、株価が押し上げられる。高騰を続ける株に投資をしていたアメリカ人は、莫大なキャピタルゲインを獲得する。そこで儲かったお金を使って、外国製品を次々に購入する。アメリカで儲けた国々には、貿易代金決済のためにドルが蓄積されていくが、放っておいても仕方ないので、再び米国債を購入する。その結果、プロセスの振り出しに戻る。

 途上国に対しては、先進国とは逆に、経済支援という名目で各国の発行した国債を購入する。次に、各国に経済使節団を派遣して、その国の経済政策を徹底的に変えさせ、繁栄させる。途上国の企業が力をつけてアメリカに輸出できるようになれば、アメリカの狙い通りだ。最初は、途上国がアメリカで儲けたお金は、自国債の償還に使われるだけだ。しかし、国債の償還が終われば、ドルが国内に蓄積されるようになる。そうすれば、立派な先進国の仲間入りである。彼らもまた米国債の購入先となり、先ほどのプロセスの担い手となる。

 20世紀も終盤に入ると、物質的な豊かさが限界を迎えたため、代わりに投資銀行を中心として、実体経済ではなく金融経済の世界で勝負をする金融資本主義が幅を利かせるようになった。だが、この投資銀行も、ある日突然出現したものではない。アメリカ建国当初から、その芽はすでに存在していたのである。

 1869年に全通したアメリカ横断鉄道は、「鉄道債」を発行することで資金を集め、建設された。延伸されればされるほど、沿線の地域が発展していくので、これほど安定的で儲かるものはない。そこで、この鉄道債を大量に売りさばくブローカーが大勢現れた。実は、このようにして始まったのが、アメリカにおける投資銀行である。アメリカの投資銀行のルーツは、市場が日増しに拡大することを前提とした鉄道関連ビジネスにある(※)。

 一神教のキリスト教に対して、多神(仏)教である日本は、特定の神や仏に絶対的な真理を求めない。むしろ、神仏の数だけ真理は存在すると考える。だから、アメリカのように国家の目的を1つに絞ることはない。アメリカは多くの民族が流れ込む多様な国家であり、日本は単一民族国家だとしばしば指摘される。しかし、社会を下支えする思想に関して言えば、日本の方がむしろ多様性に対して寛容であり、アメリカの方が単一的であるような気がする。

 キリスト教においては、人間は神の化身であり、人間の中に神が存在すると考えられている。これと同様に、日本の仏教や神道においても、我々の身体の中には神仏が宿っているとされる。ところが、私が思うに、キリスト教の神は完全な形で一人ひとりの人間の中に存在するのに対し、日本の神仏は不完全な形でしか人間の中に存在しない。

 したがって、キリスト教では、各個人が正しく信仰を続ければ神に通じることができるものの、仏教や神道では、個人の単独修行だけでは真理に到達することができない。自分と同じように神仏の一部をその体内に宿す他者、そして自然と連帯することによって、初めて真理を導き出すことができる。日本の場合、家族、共同体、地域社会、企業、組合、団体といった組織が重視されるのはそのためである。キリスト教が個人主義的であり、このような組織はあくまでも冒頭で述べたアメリカの目的を実現するための一時的な手段に過ぎないのとは対照的だ。

 進歩や向上に関する姿勢も、よく考えるとアメリカと日本では大きく異なる。日本人も進歩や向上を重視する民族であるのは間違いない。それを端的に表すのが「道」という言葉である。その分野で理想とされる人物像に向かって長年にわたり修業を積み、精神を磨き上げることを日本では「道」と呼ぶ。だが、アメリカが進歩や向上と言う場合、まずはアメリカが絶対視する目的を明確に定め、その目的から外れた状態を排除し、目的に適うように矯正することを意味する。

 これに対し、日本の進歩や向上は、明確な目的を持たない。「道」においても、理想とされる人物像は、実は誰にも解らない。おそらくそういう理想があるのだろうと、おぼろげに観念することしかできない。理想自体が日々変化し、理想に到達するための手段も頻繁に変わる。アメリカにおいては、目的と現実の乖離がはっきりとしており、目的に向かって変革している様子がありありと体感できる。ところが、日本の場合は、現在よりもよいと思われる状態に向かって、何となく変化しているようにしか感じられない。アメリカ人は短距離ランナーのように、直線的な変化を遂げるが、日本人はよちよち歩き、千鳥足的な歩みによってのみ変化を遂げるのである。


(※)アメリカに関する記述は、原田武夫『教科書やニュースではわからない 最もリアルなアメリカ入門』(かんき出版、2012年)を参考にした。

教科書やニュースではわからない 最もリアルなアメリカ入門教科書やニュースではわからない 最もリアルなアメリカ入門
原田武夫

かんき出版 2012-01-21

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2013年11月27日

中村天風『運命を拓く』―天風哲学はアメリカ的なキリスト教の匂いがする(1)

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運命を拓く (講談社文庫)運命を拓く (講談社文庫)
中村 天風

講談社 1998-06-12

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 中村天風は、明治35年頃に参謀本部謀報部員として旧満州に赴き、軍事探偵活動に従事した。いわゆるスパイであるから、大っぴらに募集することができず、縁故採用などで秘密裏に募集がかけられたという。それでも応募者の数は約3,000人に達し、天風は狭き門をかいくぐって200人の合格者の中に入ることができた。天風は戦争の最前線で、死をも恐れぬ態度で任務を遂行した(中村天風『君に成功を贈る』〔日本経営合理化協会出版局、2001年〕参照)。

君に成功を贈る君に成功を贈る
中村 天風

日本経営合理化協会出版局 2001-12

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 ところが、明治39年、30歳の時に突然吐血する。医師に診てもらったところ、「奔馬性肺結核」と診断された。当時は不治の病とされており、天風は絶望した。軍事探偵時代には死ぬことなどこれっぽちも怖くなかったのに、病で死ぬと解った途端に、恐怖が襲ってきたという。救いを求めてアメリカやヨーロッパを訪ねるも一向に回復しない。失意の天風を救ったのは、1人のヨガ師であった。日本へ帰る途中に立ち寄ったエジプトで、天風はヨガの聖者カリアッパ師と運命的な出会いをする。天風はヒマラヤのカンジェンジュンガでカリアッパ師と修行を積み、「心」の作用について研究を重ねた。不治の病を患った天風は、結局92歳まで生きた。

 本書は、そんな天風の哲学をまとめた数多くの書籍のうちの1冊である。ヨガの聖者の下で修業を行った天風であるから、仏教的な思想の持ち主かと思っていたが、その思想は仏教というよりむしろキリスト教に近い印象を受けた。しかも、絶えざる進歩・変化を是とするアメリカのキリスト教に近い。アメリカ的なキリスト教の特徴を私なりにまとめると以下のようになる。

 (1)万物は、絶対的な力を持つ神によって創造された。
 (2)人間は神の化身であり、一人ひとりには神の意思が宿っている。厚い信仰心を持てば、神の心に通じ、その意思をくみ取ることができる。
 (3)神の心に通じた人間には、現実世界を進化・向上させる特別な使命が与えられる。言い換えれば、神によって選ばれる。
 (4)現実世界は、神が理想とする国を実現するための途中過程である。神によって選ばれた人間には、完全な世界を実現する資格が与えられている。

 この4つの特徴に対応する天風の記述を本書から引用してみよう。
 (1)(宇宙の)一番根本は何か、というと、ただ一つの実在から産み出されたものである。その実在とは何であろうか。哲学では、”根本的本源実在”と呼び、科学では、これを、微粒子的なものとして”エーテル”と名づけている。哲学の方では、人間の感覚では、捉えることの出来ない、茫漠たる、見えざる、一つの”気”であるといっている。(中略)

 いずれにしても、このただ一つのエネルギーを産み出す元が、宇宙を創り出したのである。だから、哲学的な論理からいくと、そのエネルギーを産み出す元が、今あるような宇宙の鋳型をなしていたのだ、ということが考えられるのである。
 (2)森羅万象を包含している宇宙も哲学的に究極していくと、現象界に存在する一切の物質もこの宇宙本体から産み出されたものなのである。と同時に、科学的に考えてみると、一切の森羅万象と称するものは、宇宙本体のエネルギーの分派によって創られている。形が、つまり目の前にあるというのは、宇宙本体の力が、まだ籠っているからである。(中略)

 特に忘れてはならないことは、人間は、万物の中で、この宇宙本体の分派分量を最も多く頂戴しているということである。人間以外の生物が真似することの出来ないほど、まことに分量をいただいている。このことが、人間が霊長といわれる所以なのである。
 (3) 哲学的にいうなら、あなた方の自我の中には、造物主の無限の属性が、宿っている。それは、自分および人の世のために、その尊いものを善用して、この世に生まれた人間たちの幸福を増進し、進化と向上とを現実化させようとする、造物主の意図に他ならないのである。そして、こうした尊いものが、別に頂戴したいといって注文したわけでもないのに、生まれてみたらば人間であり、人間であるからこそ、生き甲斐を意義づけるために、その生命に、男も女も公平に、この恵みを、造物主から与えられている。
 (4) どんな人間でも気が狂ってないかぎりは、「何ものをも完全であらしめたい。完全につくり上げたい」という気持ちが、誰にでもあるはずである。すなわち、ものの破壊や消滅を好まず、ものの成就や完成を好むという気持ちには、共通的にいわゆる完全を喜ぶという気持ちが、その心の中にあるはずである。(中略)

 これもやはり、人間の生命の中にある、自然傾向であるからである。いわば自然に与えられた活動的能力である。
 (続く)

2013年11月25日

中村天風『錬身抄』―怒りを含む食品などを避けることで健康を保つ

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錬身抄錬身抄
中村 天風

天風会 1949

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 体を鍛え、「真健康」を手に入れるために、衣食住その他の日常生活をどのようにすればよいかを説いた本。食事に関しては、動物性タンパク質よりも植物性タンパク質を摂取するのが望ましいとされている(最も理想的なのは、果物を食べることらしい)。
 元来動物はその生命を存続せしむるために新陳代謝の作用を行う。そして新陳代謝の作用で大なり小なりの毒素は絶えず発生している。(中略)この事実は一寸でも吾々が一時的に呼吸を止めると血液が忽ちドス黒くその色を変化するので分明する。これは毒素が体内にある立派な証拠なのである。

 何れにしても敢て人間のみならず一切の動物には皆一様にその体内に毒素が存在しているのである。然るに動物を殺してそれを食餌としれば、その動物の体内に存在する毒素はその儘無条件に、それを食した人の体内へ直接に這入る、というのはこの毒素なるものは、今日の科学的知識では、何としても到底取除くことは断然不可能であるからである。たとえ煮たとて焼いたとて・・・。
 精密にいえば最も新鮮な肉というのは、その動物が活きている時の肉を指していうので、吾人の食餌に供されている肉は、概ねその動物を殺戮し、その生命を奪った後のものである。

 しかして動物を殺戮すると、死と同時に血液の循環は即座に止まる、するとその肉体を組織している生活物質は直ちに第一の腐敗期に入る。然し未だこの時期には、その肉の味いが食してもうまくないため、多くの人は好んでこれを食さない。それから暫く経過すると第二腐敗期に入る。しかしこの時期はその死肉が俗にいう硬直状態になるために、食用に供するのに不適当であるが故にこれまた人は食さない。人々の好んで食すのはその後この硬直状態が分解期に入り、死肉に柔らか味の生じた時である。

 が然し焉んぞ知らん。この時その死肉は、第三腐敗期に入る。しかして体内の毒素はその腐敗期を重ねるに随い加重し来たり、第三腐敗期には、既に相当の多量毒素がその死肉の中に沈積しているのである。だから動物性食餌を愛好する人々の多くはかなり多量の毒素を滋養だという名目の下に、その死肉の中から知らず知らずに、自己の体内に搬入しているのである。
 以前の記事「中村天風『ほんとうの心の力』―大いなる理想のためには大いに怒り、悩めばいいと思う」で怒りについて触れたが、怒りをため込まないためには動物を食べない方がよい、という話を聞いたことがある。動物は人間の手によって殺戮される時、並々ならぬ怒りを抱えて死んでいく。その怒りは、動物の死後も肉の中に残る。怒りが充満した肉を人間が食べると、動物の怒りが人間にも乗り移り、その人まで怒りっぽくなるというのである。科学的根拠に乏しい話だが、全く理解できない話でもない。そう思いながら、昼食をマクドナルドやケンタッキーで済ませてしまう自分が嫌になるのだが・・・(この記事もマクドナルドで書いている)。

 動物の怒りが食事を通じて人間に乗り移るのならば、人間の怒りも食事を介して人間に乗り移るのではないか?つまり、食事を作る人間が怒りに満ちていれば、その食事を食べる人間にも怒りが伝染する気がするのである。最近、ブラック企業が何かと話題になっており、中でも飲食業のチェーン店が標的にされている。価格競争を勝ち抜くために社員を安い給与で酷使するチェーン店の食事には、社員の愛情ではなく、沸々とした怒りが込められているように思えてならない。

 昼食でどうしてもマクドナルドやケンタッキーを使ってしまう私も、居酒屋に関しては、ブラック企業の噂が絶えないお店を使わないようにしている。中小企業診断士は飲み会が好きで、大人数で入れる安いお店としてチェーン店を選択することが多いのだが、個人的には勘弁してほしいというのが本音だ。そういうお店で交わされる会話は、どこか下世話なものになりがちである。建設的な話をしたり、純粋に食事を楽しんだりするには、もっと高いお店の方がふさわしい。

 スーパーで極端に安い弁当を見ると、実は社員が劣悪な労働条件で働かされているのではないかと疑ってしまう。私はコーヒーが好きなのでカフェをよく利用するのだが、コーヒー豆が途上国の児童労働によって供給されてやしないかと心配してしまう。家でおやつにチョコレートを食べる時も同じだ。十分な教育も受けられず、奴隷のように働かされる子どもたちの犠牲の上に成り立っているおやつが、果たして私に安らぎを与えてくれるのだろうか?

 こうした考え方を拡張していくと、日常生活の中で購入するあらゆる製品やサービスについても、怒りをため込んだものは避けた方がよいということになる。ブラック企業と評される企業の製品やサービスを買っても、喜びは泡沫にすぎず、実は健康を害しているのかもしれない。私は、社員が尊重されており、活き活きと働いている企業の洋服を身に着けたいし、家具を揃えたいし、電化製品を使いたいし、診療サービスを受けたいし、娯楽を楽しみたいし、おもてなしされたい。そのような消費生活を送ることが、精神的な安寧と健康につながると思うのである。非合理的な考え方かもしれないが、こういう健康法が1つぐらいあってもいいのではないだろうか?


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