2014年06月27日
高橋史朗『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』―戦後の日本人に「自由」を教えるため米ソは共謀した
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著者は、戦後教育が自虐史観で塗りつぶされる原因を作った4人の”戦犯”を断罪している。
(1)ルーズ・ベネディクト
『菊と刀』の著者。乳幼児期の厳しい用便の躾が「菊の優美と刀の殺伐」に象徴されるような日本文化の型、日本人の性格構造の「二面性」の原因であり、さらに階層秩序に異常に執着する日本人の「病的特性」や「伝統的攻撃性」の文化的土壌であり、侵略戦争の原因だと指摘した。
(2)ジェフリー・ゴーラー
イギリスの社会人類学者。ベネディクトの土台になった2つの論文『日本人の性格構造とプロパガンダ』と『日本文化におけるいくつかのテーマ』を著した。後者の論文は前者の論文の要約であるが、その中でゴーラーは、日本人の国民性には矛盾する二面性があるとし、その根底に乳幼児期の厳しい用便の躾(トイレット・トレーニング)があると結論づけた。また、ゴーラーは、日本人の国民性の定義として、(ⅰ)原始的、(ⅱ)幼稚および未熟で不良少年の構造に類似、(ⅲ)精神的・感情的に不安定という3つを挙げ、日本人は「集団的神経症」であると主張した。
(3)ハロルド・ラスウェル
アメリカの政治学者。ゴーラーが論文を書くにあたって情報を提供した人物の1人。ラスウェルは、「日本人の子どもの躾に関する件」というタイトルのついた報告書の中で、「日本人は儀式化された無表情な公の顔を持つ一方で、めそめそした酔っ払いという2つの相反する顔を持つ」と書いた。また、著書『権力と人間』では、政治家は幼少期に権力に関する嫌な出来事を経験した記憶の反動として権力を志向するようになると述べた。
(4)D・C・ホルトム
アメリカの神道学者で、ゴーラーとベネディクトに影響。神道と軍国主義・超国家主義を混同し、間違った日本文化論と宗教論によって、日本人の「精神的武装解除」を推進するきっかけを作った。戦後の教育改革に特に大きな影響を与えた「4大指令」というものがあり、その中には、学校における神道行事と神道や皇室についての教育を禁止した「神道指令」が含まれるが、その契機となったのは、ホルトムが出した国家神道に対する占領政策についての勧告であった。
日本社会は階層社会であり、下の階層の者は絶えず上の階層の権力から虐げられている。その反動として、自分が上の階層に上った時には、先人が持っていたような権力を志向するようになり、自分が受けたのと同様の暴力を下の階層に及ぼすようになる。さらに、その暴力性が下の階層だけでなく外部に向けられるようになると、侵略戦争につながる。そして、階層社会の象徴こそ、神を頂点としてあらゆる者を序列化する「神道」であり、日本人が皆共通して受ける権力からの最初の被害こそ「トイレット・トレーニング」である。4人の主張をまとめると、こういうことなのだろう。よって、戦後教育の方向性は、階層の否定と子どもに対する自由の付与となる。
最近、戦後の歴史教育について学んでいる中で不思議だったのは、どうやら戦後教育は米ソ両国の影響を受けているという点であった。例えば、坂本多加雄氏の『歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか』には、次のように書かれている。
現在の歴史教科書は、戦後的価値を絶対視するという観点から記述されているため、日本の他の時代および他の国の歴史への理解を著しく阻害している。すなわち、戦後に獲得されたとされる民主主義と平和主義によって、現在という時代がもっとも良い時代であるといった印象を与えるような記述になっている。(中略)
また、現在の教科書に反映されている学問的水準は、ひとことで言って昭和20年代から30年代の、講座派マルクス主義のものと言ってよいだろう。(中略)そのため、歴史を社会主義の実現の過程と考え、階級闘争史観により抑圧者と被抑圧者の闘争として描くことが多く、たとえば江戸時代の記述において、農民は重税に苦しめられ収奪されているといった面が過度に強調されている。
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前半はアメリカの影響を、後半はソ連の影響を示唆している。なぜ、イデオロギーが全く異なる両国が関与しているのか不可解だったのだが、本書を読んでその理由が少し解った気がする。
共産主義者はソ連に国益のあるコミンテルン史観を信奉しています。コミンテルン史観によると、明治維新以来、日本の対外戦争はすべて天皇制絶対主義国家の侵略戦争であると見なしています。(中略)一方、アメリカの歴史観は、満州事変以降の十五年戦争(日中戦争)を侵略戦争と書いています。
そういう意味では、両者の歴史観には根本的な違いがあるのですが、不思議なことに、異質な米国史観とコミンテルン史観が合体することになりました。なぜそれが可能だったかというと、日本が対外戦争を起こした軍国主義や超国家主義の根底に天皇制・天皇信仰を中心とする日本文化や神道があり、それらに根差した日本人の国民性があるという共通理解があったからです。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの最後の段階では映画が重視されました。そこに映画会社が協力したというのは、共産主義の組合が関係していたからです。戦時中に戦争映画を多く製作することで政府に協力して戦意高揚に努めた東宝が、戦後一貫して最も過激な組合員を生み出し、占領軍に協力して民主主義映画の数々を製作したのは、占領軍と共産主義者の癒着を象徴するものでした。私の不勉強のせいで十分な記述にならず恐縮なのだが、資本主義も社会主義も「自由」を志向するという根っこの部分ではつながっているのかもしれない。そして、その自由を起点として民主主義を希求するところまでは共通しているのかもしれない。では、何をきっかけに資本主義と社会主義は分化していくのだろうか?また、どうして社会主義よりも資本主義の方が世界で優勢となったのだろうか?私の次の疑問はこの辺りにある。
とくに、日本人の伝統的価値観の1つである「忠義」や「復讐」に対して、占領軍の検閲官は強く反発し、映画から追放しなければならないと考えました。一方、労働運動は日本の民主的再建に必要であると考えて推奨しました。占領軍は、日本人の伝統的価値観、軍国主義、超国家主義を排除するために、これらに最も否定的な共産主義者、労働組合員を積極的に利用したのです。
それと同時に、日本は果たして資本主義や社会主義というイデオロギーで語れる国家・社会なのかも考えなければならないだろう。資本主義や社会主義は、アメリカやソ連という比較的若い国家が採用したイデオロギーである。しかし、日本はそういうイデオロギーよりもはるか以前から存在していたのであり、資本主義や社会主義は「日本的な何か」に接ぎ木された思想に他ならない。では、日本の本質とは何なのか?その本質から歴史を見つめ直した時、何が見えてくるか?これらの問いに答えることが、日本が「歴史を取り戻す」上で重要になるはずである。