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荒木肇『静かに語れ歴史教育』―日本は過去の軍事技術を過小評価し、現在の軍事技術を過大評価している
ヘンリー・S・ストークス『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』―日本は一体何と戦っていたのだろう?(結論は出ていません)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2014年06月27日

高橋史朗『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』―戦後の日本人に「自由」を教えるため米ソは共謀した


日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと
高橋史朗

致知出版社 2014-01-29

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 著者は、戦後教育が自虐史観で塗りつぶされる原因を作った4人の”戦犯”を断罪している。

 (1)ルーズ・ベネディクト
 『菊と刀』の著者。乳幼児期の厳しい用便の躾が「菊の優美と刀の殺伐」に象徴されるような日本文化の型、日本人の性格構造の「二面性」の原因であり、さらに階層秩序に異常に執着する日本人の「病的特性」や「伝統的攻撃性」の文化的土壌であり、侵略戦争の原因だと指摘した。

 (2)ジェフリー・ゴーラー
 イギリスの社会人類学者。ベネディクトの土台になった2つの論文『日本人の性格構造とプロパガンダ』と『日本文化におけるいくつかのテーマ』を著した。後者の論文は前者の論文の要約であるが、その中でゴーラーは、日本人の国民性には矛盾する二面性があるとし、その根底に乳幼児期の厳しい用便の躾(トイレット・トレーニング)があると結論づけた。また、ゴーラーは、日本人の国民性の定義として、(ⅰ)原始的、(ⅱ)幼稚および未熟で不良少年の構造に類似、(ⅲ)精神的・感情的に不安定という3つを挙げ、日本人は「集団的神経症」であると主張した。

 (3)ハロルド・ラスウェル
 アメリカの政治学者。ゴーラーが論文を書くにあたって情報を提供した人物の1人。ラスウェルは、「日本人の子どもの躾に関する件」というタイトルのついた報告書の中で、「日本人は儀式化された無表情な公の顔を持つ一方で、めそめそした酔っ払いという2つの相反する顔を持つ」と書いた。また、著書『権力と人間』では、政治家は幼少期に権力に関する嫌な出来事を経験した記憶の反動として権力を志向するようになると述べた。

 (4)D・C・ホルトム
 アメリカの神道学者で、ゴーラーとベネディクトに影響。神道と軍国主義・超国家主義を混同し、間違った日本文化論と宗教論によって、日本人の「精神的武装解除」を推進するきっかけを作った。戦後の教育改革に特に大きな影響を与えた「4大指令」というものがあり、その中には、学校における神道行事と神道や皇室についての教育を禁止した「神道指令」が含まれるが、その契機となったのは、ホルトムが出した国家神道に対する占領政策についての勧告であった。

 日本社会は階層社会であり、下の階層の者は絶えず上の階層の権力から虐げられている。その反動として、自分が上の階層に上った時には、先人が持っていたような権力を志向するようになり、自分が受けたのと同様の暴力を下の階層に及ぼすようになる。さらに、その暴力性が下の階層だけでなく外部に向けられるようになると、侵略戦争につながる。そして、階層社会の象徴こそ、神を頂点としてあらゆる者を序列化する「神道」であり、日本人が皆共通して受ける権力からの最初の被害こそ「トイレット・トレーニング」である。4人の主張をまとめると、こういうことなのだろう。よって、戦後教育の方向性は、階層の否定と子どもに対する自由の付与となる。

 最近、戦後の歴史教育について学んでいる中で不思議だったのは、どうやら戦後教育は米ソ両国の影響を受けているという点であった。例えば、坂本多加雄氏の『歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか』には、次のように書かれている。
 現在の歴史教科書は、戦後的価値を絶対視するという観点から記述されているため、日本の他の時代および他の国の歴史への理解を著しく阻害している。すなわち、戦後に獲得されたとされる民主主義と平和主義によって、現在という時代がもっとも良い時代であるといった印象を与えるような記述になっている。(中略)

 また、現在の教科書に反映されている学問的水準は、ひとことで言って昭和20年代から30年代の、講座派マルクス主義のものと言ってよいだろう。(中略)そのため、歴史を社会主義の実現の過程と考え、階級闘争史観により抑圧者と被抑圧者の闘争として描くことが多く、たとえば江戸時代の記述において、農民は重税に苦しめられ収奪されているといった面が過度に強調されている。
歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか (PHP新書)歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか (PHP新書)
坂本 多加雄

PHP研究所 1998-02

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 前半はアメリカの影響を、後半はソ連の影響を示唆している。なぜ、イデオロギーが全く異なる両国が関与しているのか不可解だったのだが、本書を読んでその理由が少し解った気がする。
 共産主義者はソ連に国益のあるコミンテルン史観を信奉しています。コミンテルン史観によると、明治維新以来、日本の対外戦争はすべて天皇制絶対主義国家の侵略戦争であると見なしています。(中略)一方、アメリカの歴史観は、満州事変以降の十五年戦争(日中戦争)を侵略戦争と書いています。

 そういう意味では、両者の歴史観には根本的な違いがあるのですが、不思議なことに、異質な米国史観とコミンテルン史観が合体することになりました。なぜそれが可能だったかというと、日本が対外戦争を起こした軍国主義や超国家主義の根底に天皇制・天皇信仰を中心とする日本文化や神道があり、それらに根差した日本人の国民性があるという共通理解があったからです。
 ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの最後の段階では映画が重視されました。そこに映画会社が協力したというのは、共産主義の組合が関係していたからです。戦時中に戦争映画を多く製作することで政府に協力して戦意高揚に努めた東宝が、戦後一貫して最も過激な組合員を生み出し、占領軍に協力して民主主義映画の数々を製作したのは、占領軍と共産主義者の癒着を象徴するものでした。

 とくに、日本人の伝統的価値観の1つである「忠義」や「復讐」に対して、占領軍の検閲官は強く反発し、映画から追放しなければならないと考えました。一方、労働運動は日本の民主的再建に必要であると考えて推奨しました。占領軍は、日本人の伝統的価値観、軍国主義、超国家主義を排除するために、これらに最も否定的な共産主義者、労働組合員を積極的に利用したのです。
 私の不勉強のせいで十分な記述にならず恐縮なのだが、資本主義も社会主義も「自由」を志向するという根っこの部分ではつながっているのかもしれない。そして、その自由を起点として民主主義を希求するところまでは共通しているのかもしれない。では、何をきっかけに資本主義と社会主義は分化していくのだろうか?また、どうして社会主義よりも資本主義の方が世界で優勢となったのだろうか?私の次の疑問はこの辺りにある。

 それと同時に、日本は果たして資本主義や社会主義というイデオロギーで語れる国家・社会なのかも考えなければならないだろう。資本主義や社会主義は、アメリカやソ連という比較的若い国家が採用したイデオロギーである。しかし、日本はそういうイデオロギーよりもはるか以前から存在していたのであり、資本主義や社会主義は「日本的な何か」に接ぎ木された思想に他ならない。では、日本の本質とは何なのか?その本質から歴史を見つめ直した時、何が見えてくるか?これらの問いに答えることが、日本が「歴史を取り戻す」上で重要になるはずである。


2014年06月25日

荒木肇『静かに語れ歴史教育』―日本は過去の軍事技術を過小評価し、現在の軍事技術を過大評価している


静かに語れ歴史教育静かに語れ歴史教育
荒木 肇

出窓社 1998-09

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 著者の荒木肇氏は9年間の小学校教員生活の経験を踏まえて、現在の学校教育が技術軽視であることに警鐘を鳴らしている。
 現代の日本の学校ではほとんど技術史を学ぶことがない。まして戦争については知らないほうが良く、兵器などは見るものではないという教育がされてきた。古代や中世の農業技術、土木技術にふれることはあっても、近代の技術を概観だけでも知らされてきたことがない。それどころか、授業ではほとんどそういったことは素通りされてしまう。
 本書では、日本の近代史を技術の観点から検証している。技術に対する私の不勉強ゆえに理解するのに苦労したが、本書の内容を総合すると、近代の日本の技術に関してはかなりの過小評価や誤解がまかり通っているようだ。これは、現代の教育が、「日本人は西洋人より劣っているのに、西洋人に歯向かって戦争を起こしたから裁かれたのだ」という認識を植えつけようとしてきたことと無関係ではないだろう。以下、教育の現場で横行している誤解を3点ほど挙げる。

 (1)著者は、ペリーに率いられた黒船が鉄張りであり、日本側の大砲が石の弾丸を使ったという解説を聞いたことがあるそうだ。木造船ばかりの日本の軍船では、黒船にかなわなかったとその教師は説明した。しかし、これは事実ではない。黒船の黒は、木造船体に塗られた瀝青(さび止めや防水に使われたタールのようなもの)のことで、鉄板を張って防弾にしようという発想が生まれたのは、翌年のクリミア戦争の頃だった。また、石の弾丸というのも、中世戦国時代の石火矢という名称からの誤解だろう。日本が当時保有していた古い大砲でも、球形の実質弾(砲丸投げの砲丸のような鋳鉄製のもの)を撃ち出すことはできた。

 (2)日露戦争では、日本陸軍に機関銃がなく、銃剣突撃を繰り返し、多大な損害を受けたと言われている。しかし史実では、日清戦争以前にも陸軍にはフランスから輸入した機関砲によって装備された部隊があった。機関砲は国産化され、日露戦争にも使われた。史実と異なる説明がされるのは、日本に根強く残る白兵重視の文化のせいだろう。だが、銃剣突撃を繰り返したのは、旅順要塞の攻略だけである。戦争全般を見ると、むしろロシア側がしばしば無謀な白兵戦を行っている。日本陸軍は当初から、西南戦争で示されたように火力重視であった。

 (3)太平洋戦争で小柄な日本人が、欧米人ですら持て余す三八式歩兵銃を使ったのは、白兵戦でのリーチの長さを重んじたからだという。ところが、銃器の専門家の説によれば、小銃の設計の原点は、弾丸口径と弾速の決定だそうだ。結論から言えば、三八式歩兵銃は当時の与えられた諸条件を検討した結果生まれたものだった。火薬性能や薬莢の完成度、携行弾数などの問題から検討して欧米列国の小銃と対抗するには、あの銃身長を採るしかなかった。あれより銃身を短くすれば、火薬ガスは燃焼しきらないうちに銃口を出てしまう。

 翻って現代に目を向けてみると、現代の軍事技術に関しては過大評価が見られる。戦後、日本が技術立国になったため、日本の技術をもってすれば何でもできると思い込んでいるのかもしれない。特に自衛隊に対しては、国民が間違った期待をしている。以下にそれを3つほど示す。

 (1)旅客機が山間地に落ちた時、救助のヘリが飛ばなかったことを理由に、マスコミは自衛隊を批判した。しかし、ヘリがホバリングできるのは、平らな地面や水面に向かって空気を叩きつけているからである。山の斜面に沿って停止することは、どの国のヘリにもできない。また、救助をするにはリペリングという技術がいる。静止したヘリからロープを降ろし、隊員はそれを伝って地上に降りる。安定しない機体から揺れるロープで山中に降りるのは自殺行為だ。原生林の鋭い枝や、太い幹に叩きつけられたら二重遭難になる。これらの点をマスコミは理解していなかった。

 (2)自衛隊は機動力があり、組織的であり、何より自給能力を持っている。武器を持っているから、外国に行っても通用するだろうという安易な思い込みもある。しかし、自衛隊は専守防衛の軍隊であり、国内で戦うことを主眼に、あらゆる装備も訓練体系も整えられている。例えば、六四式小銃(※1)の正照準は300メートルだが、これは全国に数十万ポイントを設置し、調査地点ごとに周囲の視界の平均距離を測ったところ300メートルであったのが理由だ(アメリカの場合は400メートル)。また、七四式戦車(※2)も、山岳が多い日本内地の特性を考えて造られている。複雑な車高変換装置は、高低差を利用して敵を待ち伏せするためのものである。

 (3)アフリカのルワンダでのPKO活動へ陸上自衛隊を派遣する際、部隊が携行する機関銃を1挺にするか2挺にするか国会で議論された。結局、2挺だと脅威になるとされ、故障した際の予備も持たされず自衛官を出発した。議論した国会議員の精神構造は、依然として技術無知、用兵無視のままである。無謀な戦争を止めることができなかった彼らの先輩と少しも変わらない。戦争中の「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と全く同じだ。

 現在、集団的自衛権の是非をめぐる議論が行われており、実際に想定される戦闘のシミュレーションも行われているようだ。戦略のセオリーに従えば、どこの国とどの場所で戦闘が起きる可能性があるのか?相手の戦力はどのくらいで、その戦力に対抗するためにはどのような戦術をとるべきなのか?その戦術を実行するには、どんな戦力が必要なのか?不足している戦力を補うために、どんなリソースを調達し、技術を開発すべきか?を順番に問うことになる。

 しかし一方では、自軍の現在の規模や技術レベルを考えた場合に、可能な戦闘はどこまでなのか?という限界を設定することも重要だろう。その限界がどうしても突破できないものであれば、限界を超えた戦闘は行ってはならないことになる。つまり、絶対に戦闘が起きないように、他の外交的手段を駆使しなければならない。

 それを行わずに安易に戦闘に踏み切れば、日本はまた不利な戦いに引きずり込まれるだろう。そして、「日本は再び軍国主義に陥った」と世界からレッテルを張られるに違いない。本書では、ナチス・ドイツ時代を振り返った評論の一部が紹介されている。「軍国主義国家というのは、軍事知識が世界を覆うというように理解されているが、むしろ逆であり、軍事知識に国民が疎くなっている状態を指す」 日本は足元の軍事技術を的確に理解しなければならない。まさに、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という孫子の言葉の通りである。


(※1)現在は、後継小銃の八九小銃の採用をもって製造が終了している。陸上自衛隊の普通科など、戦闘職種に限れば更新は完了し、後方職種も順次更新が進んでいる。ただし、予備自衛官用装備や海上自衛隊と航空自衛隊の自衛用装備としては、未だに主力の小銃である。

(※2)後継車輌として第3世代主力戦車である九〇式戦車が開発・生産されたが、これは北部方面隊以外では富士教導団など教育部隊にしか配備されていないため、全国的に配備された七四式が数の上では主力であった。それでも年40輌程度の早さで退役が進んでおり、また、2010年に七四式の更新をも考慮した一〇式戦車が採用された。


2014年06月23日

ヘンリー・S・ストークス『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』―日本は一体何と戦っていたのだろう?(結論は出ていません)


英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書)英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書)
ヘンリー・S・ストークス

祥伝社 2013-12-02

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 著者のヘンリー・ストークスは半世紀もの年月を日本で過ごし、『フィナンシャル・タイムズ』、『ロンドン・タイムズ』、『ニューヨーク・タイムズ』の各東京支局長を歴任した人物である。また、三島由紀夫とも親交が深く、三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる。三島が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自衛隊を「傭兵」と呼び、自衛隊に決起を促した事件の目撃者であり、その様子が詳細に語られていて興味深い。
 ドナルド・キーンは、日本人の気高さに、打たれた。著書『日本人との出会い』のなかで、述懐している。

 「ガダルカナル島を餓島と呼んだ日本軍の兵士たちの耐えた困苦は、圧倒的な感動を呼び起こした。アメリカ軍の兵士の手紙には何の理想もなく、ただ元の生活に戻りたいとだけ書かれていた」「大義のために滅私奉公する日本人と、帰郷以外のことにはまったく関心を持たない大部分のアメリカ人。日本の兵に対しては讃嘆を禁じえなかった。そして結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信じるようになった」

 日本軍は補給を完全に断たれ、餓死する兵士が続出していた。だがキーンは、まさに超人的な精神力で戦った日本兵を、目の当たりにした。
 本書では、戦後になって戦勝国の都合によって作り上げられた「戦勝国善玉、日本悪玉論」が断罪されている。だが、アメリカ人の中にはキーンのように考えていた人がいたこと、そして著者のようにその考え方に共感するイギリス人がいたことは、私にとっては意外だった。もっとも、彼らは多数派ではないだろう。一般的なアメリカ人やイギリス人は、今でも自国の勝利を正当化し、日本のことを敗れるべき軍国主義国だったととらえているに違いない。

 私はピーター・ドラッカーの著書などを読みながら、アメリカは建国理念である自由と平等のために戦うという明白な目的を持って第2次世界大戦に臨んだものだと思っていた。一方、日本は「国体」という、当時誰もはっきりと定義できなかった得体の知れないものにしがみつき、国体を維持するという不透明な大義名分のせいで最後まで目的を明確にすることができず、敗れ去ったものだと思い込んでいた。だが、それは一面的な見方のようだ。実際にはアメリカこそ目的が曖昧で、日本の方が一体感を持って戦っていた、というキーンの記述を読むと動揺してしまう。

 では、日本軍は何のために戦っていたのだろうか?著者は本書の中で、日本軍の戦いが、当時欧米の植民支配下にあったアジア諸国の独立を促したことを指摘している。また、1943年11月5日から6日間にわたって東京で開かれた「大東亜会議」が、有色人種によって行われた最初のサミットであると高く評価されている。

 日本軍はマレー沖海戦でイギリスの最新鋭の戦艦を撃沈し、フィリピンの戦いでアメリカのダグラス・マッカーサーを敗走させ、蘭印作戦でオランダ軍を駆逐した。そのことで東南アジア各国が勇気づけられ、独立運動の機運が高まったのは事実なのだろう。しかし、日本軍は最初から東南アジア各国を独立させる目的で戦いに挑んだわけではない。目的はあくまでも、それまでアメリカに頼っていた資源を東南アジアから確保することにあり、なぜ東南アジアの資源を必要としたかと言えば、日中戦争を継続するためであった。

 日中戦争の伏線は日露戦争に求められるだろう。日露戦争に勝利した日本は、ポーツマス条約によって遼東半島(関東州)の租借権、東清鉄道の長春~大連の支線、韓国の監督権を得たが、中国本土には依然として欧米列強の支配が残っていた。そうした欧米諸国の権益に対抗するために、日本は満州国を建設して「五族協和」の精神を掲げた。しかし、その満州国が満州事変の引き金となり、日中戦争へとつながっていった。

 さらに遡れば、日露戦争は朝鮮をめぐる日露の対立である。当時、朝鮮(大韓帝国)は、日清戦争の結果として、中国の冊封体制から脱することに成功した。日清講和条約の第1条には、「朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する」とある。ところが、満洲を勢力下においたロシアが、清―朝鮮の関係に横やりを入れるような形で、朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取ったため、日本との対立を深めることになった。

 やや論理的に飛躍しているが、近代日本の一連の戦いは、朝鮮と中国のためのものだったのかもしれない。明治維新によって開国した日本は、欧米列強の帝国主義の脅威をまざまざと感じた。日本と古来から交流のある朝鮮と中国を早急に近代化しなければ、帝国主義に呑み込まれてしまう。そこで、まずは冊封体制という前近代的な関係に従属していた朝鮮を独立させ、次いで冊封体制の親元である中国を変革しようとしたのだろう。

 著者は本書の中で、日本にとって太平洋戦争は自衛戦争であったと主張しているが、古来からの「同盟国」である中国・朝鮮を守るという意味で、確かに自衛戦争だったのかもしれない。もちろん、日本と中国・朝鮮との間には、日英同盟のような近代的かつ法的な意味での同盟関係があったわけではない。しかし、欧米主導で構築された国際秩序とは違う道を志向していた当時の日本は、中国・朝鮮との”心理的な”同盟関係を守ろうと考えていたのではないだろうか?

 歴史に”たられば”は禁物だが、日本がそういう自衛戦争の立場を最初から明確に貫いていれば、太平洋戦争の結果は大きく変わっていたかもしれない。さらに、もしもこの仮定が成り立つとすれば、中国・韓国から日本のことを侵略国だと批判されるのは、いささか心外でもある。

 とはいえ、日本が取った手段が適切であったかどうかについては、十分に議論する必要がある。中国・朝鮮を近代化するためには、韓国併合を行い、中国に満州国を建国しなければならなかったのだろうか?日本が恩賜的な態度を取らず、別の政治的手段に訴えることは考えられなかったのだろうか?武力行使を回避する第三の道は本当になかったのだろうか?こうした議論を重ねていくことが、日中・日韓の歴史認識の溝を埋める一助にもなる気がする。

(※)今日の記事は私の貧弱な歴史知識に立脚している点をご了承ください。もっと勉強します。



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