2014年07月28日
山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人
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下巻は『神皇正統記』(北畠親房)と『太平記』(著者不明)を対比させた内容である。山本七平は、天皇制を後醍醐天皇までの「前期天皇制」と、北朝以降の「後期天皇制」に分ける。そして、「後期天皇制」は武家が自らのために作ったもの、すなわち幕府(武家)を征夷大将軍に任命させるために、天皇を形式的官位授与権を持つ「山城の一小領主」(北朝)に封じ込めて、幕府を合法政権とするためのものと捉えている。
山本は、「尊王思想」こそ日本で唯一の思想革命であり、この思想革命は歴史上2度起きたと指摘する。「尊王思想」とは、皇帝が絶対的な権力を握る中国のように、天皇に全ての政治的権力を集中させ、整備された官僚組織を通じてその権力を発揮させようとするものだ。最初の思想革命を起こしたのは、前期天皇制最後の天皇となった後醍醐天皇である(2度目は、江戸時代中期に発生した中国ブーム)。著者は、後醍醐天皇の運動を「中国化革命」と呼ぶ。『神皇正統記』は南朝の正統性、後醍醐天皇による中国化革命の正統性を訴えた本である。
これに対して、『太平記』は北朝、そして後期天皇制の正統性を論じている。『太平記』は象徴天皇制を志向しており、後醍醐天皇の政治が3年で失敗に終わったのは、天皇が政治・経済に介入しすぎたからであると分析する。後醍醐天皇の行為は、政治の「覇道」ではあっても、「王道」ではなかった。このように、『神皇正統記』と『太平記』は、同じ時代を取り上げていながら、評価の軸が逆になっているため、全く正反対の結論が導かれている。
革命はいつも成功するとは限らない。山本は、後醍醐天皇を日本初の思想革命家として挙げていながら、天皇制を後醍醐天皇のところで2つに分断している。これは、著者が必ずしも後醍醐天皇の革命を評価しているわけではないことを意味する。
日本人は、常に外部にお手本を必要とする辺境民族とされる。南北朝時代の日本にとってのお手本は、他ならぬ中国であった。よって、中国化革命によって天皇に権力を集中させようというのは、辺境民族としては自然の成り行きであった。当時、宋の司馬光が著した『資治通鑑』が為政者の心得を説いた書物として広く読まれていたのはその表れであろう。
ところが、日本はいつも周辺の国より劣るのだろうか?天皇制と幕府が並立し、明治以降も天皇制と政府が並立するという体制は、世界に類を見ない独創的な体制である。著者は、日本の体制を非常に近代的なシステムだと評価する。幕府や政府があったからこそ、それらが西欧からの衝撃への緩衝器となり、西欧をうまく吸収することができた。こうした理由から、著者は中国化革命を目指した後醍醐天皇に1つの天皇制の終わりを見、その後幕府が何度か入れ替わり、さらに幕府政治が終わっても、現在までの天皇制を同じ1つの天皇制とみなしているわけだ。
本書を読んで1つ興味深かったのは、日本人の「正統性」に対する考え方である。著者によれば、「正統性」に関する日本人の思考方法に強い影響を与えたのは、蘇軾の『正統論』である。そして、平清盛は自らの権力を武力以外の方法で正統化するために、『正統論』を大いに参考にしたとされる。『正統論』の特徴は、「名」と「実」を分けて考える点にある。
蘇軾の考え方は、いわば「力は正義にあらず」ただし「力の存在を無視しても意味はない」といった考え方である。政治的権力は「正統性」をもつ、それは認める、ただしこの「正統性」とは「名」であって、その「実」の検討は別問題である。「魏」であれ今の中国であれ、その「正統性」は当然「軽く」認める。それは絶対に重い問題でない。重いのは「実」であって、その「実」への実質的な対処やこれへの批判は、その正統性を認めたからといって、それに拘束されるわけではない。これが彼の考え方である。
それが正統だという意味はあくまでも「名」であって、その「実」への批判は自由であって、「正統だ」ということは「絶対だ」という意味でもなければ「批判してはならない」という意味でもない。しかし、その「実」を批判することは、その「正統性」を否定することではない―これが「名は実を傷(やぶ)らず」「実は名を傷らず」である。どんなものであっても存在する限りは、「名」があるということで正統性を一旦認めよう、というわけだ。ただし、正統性があるからといって、それが絶対的であるわけでもないし、一切の批判を受けつけないわけでもない。これが「名は実を傷らず」の意味である。「実」のレベルにおける自由な議論はむしろ歓迎される。それは正統性の問題ではなく、倫理性の問題である。とはいえ、どんなに厳しく批判されたとしても、その正統性が否定されることもない。「実は名を傷らず」とはそういう意味である。蘇軾の『正統論』は、天皇―幕府並立制度の理論的根拠として用いられた。
蘇軾の考え方には、メリットもデメリットもあるだろう。まず、メリットを挙げるならば、蘇軾の思考法は絶対に相手を全否定しないというよさがある。相手が誰であっても、一旦はその正統性を承認し、その次に具体的な中身の議論に入るというルールが共有されている。そして、このルールは、多様性を前提とする民主主義においては、非常に重要である。こうしたルールがない文化圏では、容易に独善的・独裁的に陥るリスクがある。
何か改革を進める上でも、蘇軾の原則はプラスに働く。どんな新興勢力が出てきても、そして、その中身が不完全でも、蘇軾の考え方に従えば、まずは正統性が付与される。その後に、改革プランの実効性を高めるための議論が展開される。すなわち、「走りながら考える」ことが許される。最初は非合理的に見えるプランであっても、事後的に中身を充実させて合理的なものに仕立て上げればよしとされる。蘇軾の原則を受けつけない文化圏では、走る前に考えることに時間が使われ、改革が遅れたり、最悪の場合は改革が事前に潰されたりすることが考えられる。
だが、蘇軾の原則にもデメリットはある。新興勢力に正統性があるのと同様に、既存の勢力にも正統性がある。すると、どちらも正統性を有することになり、両者の間でどのように折り合いをつけるのかという難しい問題を生じる。また、どんなものであっても正統性が承認されるというルールを”悪用”すると、形だけでも何か新しいものを作った者が有利になる。例えば、議論が成熟する前に新しい組織などを先に作ってしまう、ということが横行する。
こうしたデメリットの先にあるのは、正統性はあるけれども中身が十分に詰められていない組織や制度や権力が乱立する入り組んだ社会である。そしてこれは、まさに今の日本社会そのものではないだろうか?一方では既得権益が自らの正統性を盾に存命を図り、他方では新興勢力が何らかのアクションを起こして規制事実を作ろうとする。ただし、お互いに相手のことを徹底的に攻撃したりはせず、玉虫色的に全員を共存させようとする。こうした社会は相当に複雑である。
《追記》
著者によると、こうした「名」―「実」分離論を最も受けつけないのがアメリカ人だそうだ。アメリカ人は「実は名を傷る」という原則を信じている。だから、正統―霸統という発想がすぐに出てくる。そして、蘇軾の『正統論』を受け継いでいるはずの日本人も、最近ではアメリカの影響なのか、すぐに正統―霸統という判断を下してしまう傾向があるという。この傾向が、前述した日本社会の弊害を打破することになるのかどうかはよく解らない。