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山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人
山本七平『山本七平の日本の歴史(上)』(2)―権力構造を多重化することで安定を図る日本人
山本七平『山本七平の日本の歴史(上)』(1)―夏目漱石『こころ』は「天皇制のパイロット・プラント」

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年07月28日

山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人


山本七平の日本の歴史〈下〉 (B選書)山本七平の日本の歴史〈下〉 (B選書)
山本 七平

ビジネス社 2005-02

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 下巻は『神皇正統記』(北畠親房)と『太平記』(著者不明)を対比させた内容である。山本七平は、天皇制を後醍醐天皇までの「前期天皇制」と、北朝以降の「後期天皇制」に分ける。そして、「後期天皇制」は武家が自らのために作ったもの、すなわち幕府(武家)を征夷大将軍に任命させるために、天皇を形式的官位授与権を持つ「山城の一小領主」(北朝)に封じ込めて、幕府を合法政権とするためのものと捉えている。

 山本は、「尊王思想」こそ日本で唯一の思想革命であり、この思想革命は歴史上2度起きたと指摘する。「尊王思想」とは、皇帝が絶対的な権力を握る中国のように、天皇に全ての政治的権力を集中させ、整備された官僚組織を通じてその権力を発揮させようとするものだ。最初の思想革命を起こしたのは、前期天皇制最後の天皇となった後醍醐天皇である(2度目は、江戸時代中期に発生した中国ブーム)。著者は、後醍醐天皇の運動を「中国化革命」と呼ぶ。『神皇正統記』は南朝の正統性、後醍醐天皇による中国化革命の正統性を訴えた本である。

 これに対して、『太平記』は北朝、そして後期天皇制の正統性を論じている。『太平記』は象徴天皇制を志向しており、後醍醐天皇の政治が3年で失敗に終わったのは、天皇が政治・経済に介入しすぎたからであると分析する。後醍醐天皇の行為は、政治の「覇道」ではあっても、「王道」ではなかった。このように、『神皇正統記』と『太平記』は、同じ時代を取り上げていながら、評価の軸が逆になっているため、全く正反対の結論が導かれている。

 革命はいつも成功するとは限らない。山本は、後醍醐天皇を日本初の思想革命家として挙げていながら、天皇制を後醍醐天皇のところで2つに分断している。これは、著者が必ずしも後醍醐天皇の革命を評価しているわけではないことを意味する。

 日本人は、常に外部にお手本を必要とする辺境民族とされる。南北朝時代の日本にとってのお手本は、他ならぬ中国であった。よって、中国化革命によって天皇に権力を集中させようというのは、辺境民族としては自然の成り行きであった。当時、宋の司馬光が著した『資治通鑑』が為政者の心得を説いた書物として広く読まれていたのはその表れであろう。

 ところが、日本はいつも周辺の国より劣るのだろうか?天皇制と幕府が並立し、明治以降も天皇制と政府が並立するという体制は、世界に類を見ない独創的な体制である。著者は、日本の体制を非常に近代的なシステムだと評価する。幕府や政府があったからこそ、それらが西欧からの衝撃への緩衝器となり、西欧をうまく吸収することができた。こうした理由から、著者は中国化革命を目指した後醍醐天皇に1つの天皇制の終わりを見、その後幕府が何度か入れ替わり、さらに幕府政治が終わっても、現在までの天皇制を同じ1つの天皇制とみなしているわけだ。

 本書を読んで1つ興味深かったのは、日本人の「正統性」に対する考え方である。著者によれば、「正統性」に関する日本人の思考方法に強い影響を与えたのは、蘇軾の『正統論』である。そして、平清盛は自らの権力を武力以外の方法で正統化するために、『正統論』を大いに参考にしたとされる。『正統論』の特徴は、「名」と「実」を分けて考える点にある。
 蘇軾の考え方は、いわば「力は正義にあらず」ただし「力の存在を無視しても意味はない」といった考え方である。政治的権力は「正統性」をもつ、それは認める、ただしこの「正統性」とは「名」であって、その「実」の検討は別問題である。「魏」であれ今の中国であれ、その「正統性」は当然「軽く」認める。それは絶対に重い問題でない。重いのは「実」であって、その「実」への実質的な対処やこれへの批判は、その正統性を認めたからといって、それに拘束されるわけではない。これが彼の考え方である。
 それが正統だという意味はあくまでも「名」であって、その「実」への批判は自由であって、「正統だ」ということは「絶対だ」という意味でもなければ「批判してはならない」という意味でもない。しかし、その「実」を批判することは、その「正統性」を否定することではない―これが「名は実を傷(やぶ)らず」「実は名を傷らず」である。
 どんなものであっても存在する限りは、「名」があるということで正統性を一旦認めよう、というわけだ。ただし、正統性があるからといって、それが絶対的であるわけでもないし、一切の批判を受けつけないわけでもない。これが「名は実を傷らず」の意味である。「実」のレベルにおける自由な議論はむしろ歓迎される。それは正統性の問題ではなく、倫理性の問題である。とはいえ、どんなに厳しく批判されたとしても、その正統性が否定されることもない。「実は名を傷らず」とはそういう意味である。蘇軾の『正統論』は、天皇―幕府並立制度の理論的根拠として用いられた。

 蘇軾の考え方には、メリットもデメリットもあるだろう。まず、メリットを挙げるならば、蘇軾の思考法は絶対に相手を全否定しないというよさがある。相手が誰であっても、一旦はその正統性を承認し、その次に具体的な中身の議論に入るというルールが共有されている。そして、このルールは、多様性を前提とする民主主義においては、非常に重要である。こうしたルールがない文化圏では、容易に独善的・独裁的に陥るリスクがある。

 何か改革を進める上でも、蘇軾の原則はプラスに働く。どんな新興勢力が出てきても、そして、その中身が不完全でも、蘇軾の考え方に従えば、まずは正統性が付与される。その後に、改革プランの実効性を高めるための議論が展開される。すなわち、「走りながら考える」ことが許される。最初は非合理的に見えるプランであっても、事後的に中身を充実させて合理的なものに仕立て上げればよしとされる。蘇軾の原則を受けつけない文化圏では、走る前に考えることに時間が使われ、改革が遅れたり、最悪の場合は改革が事前に潰されたりすることが考えられる。

 だが、蘇軾の原則にもデメリットはある。新興勢力に正統性があるのと同様に、既存の勢力にも正統性がある。すると、どちらも正統性を有することになり、両者の間でどのように折り合いをつけるのかという難しい問題を生じる。また、どんなものであっても正統性が承認されるというルールを”悪用”すると、形だけでも何か新しいものを作った者が有利になる。例えば、議論が成熟する前に新しい組織などを先に作ってしまう、ということが横行する。

 こうしたデメリットの先にあるのは、正統性はあるけれども中身が十分に詰められていない組織や制度や権力が乱立する入り組んだ社会である。そしてこれは、まさに今の日本社会そのものではないだろうか?一方では既得権益が自らの正統性を盾に存命を図り、他方では新興勢力が何らかのアクションを起こして規制事実を作ろうとする。ただし、お互いに相手のことを徹底的に攻撃したりはせず、玉虫色的に全員を共存させようとする。こうした社会は相当に複雑である。

《追記》
 著者によると、こうした「名」―「実」分離論を最も受けつけないのがアメリカ人だそうだ。アメリカ人は「実は名を傷る」という原則を信じている。だから、正統―霸統という発想がすぐに出てくる。そして、蘇軾の『正統論』を受け継いでいるはずの日本人も、最近ではアメリカの影響なのか、すぐに正統―霸統という判断を下してしまう傾向があるという。この傾向が、前述した日本社会の弊害を打破することになるのかどうかはよく解らない。

2014年07月26日

山本七平『山本七平の日本の歴史(上)』(2)―権力構造を多重化することで安定を図る日本人


山本七平の日本の歴史〈上〉 (B選書)山本七平の日本の歴史〈上〉 (B選書)
山本 七平

ビジネス社 2005-02

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 (前回の続き)

 (2)後半では北畠親房の『神皇正統記』の分析が行われている。先日の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」」でも書いたように、著者は天皇制を後醍醐天皇までの「前期天皇制」と、北朝以降の「後期天皇制」に分けている。『神皇正統記』は、北畠親房が南朝そして前期天皇制最後の天皇である後醍醐天皇の正統性を論じた書物である。

 南朝は最終的に北朝に吸収され、足利尊氏が「後期天皇制」を始めるのだが、ここで著者は、天皇制が「下剋上」を前提としており、下剋上なしには天皇制の秩序は保たれないという、興味深い議論を展開する。下剋上的秩序とは、「下が上に向かって実質的な権力を行使することはあっても、下が上を打倒して自らが上になることではなく、したがって、下は上に向かって権力を行使しうるために、あくまでも上下の関係を下が維持しようとする関係」と定義される。これは、下が上を打倒する「反乱」とは区別して考えるべきである。

 ここに、天皇を頂点としながら、実質的には幕府が権力を握るという二重構造が成立する。以前の記事「相澤理『東大のディープな日本史』―権力の多重構造がシステムを安定化させる不思議(1)(2)」でも書いたように、こうした権力の多重構造はしばしば日本に見られる。

 通常は、権力を強化しようと思ったら、階層を少なくするものである。一時期、「組織のフラット化」というキーワードがアメリカから輸入され、過剰なミドルマネジメントを駆逐して複雑な組織構造をスリムにしようとする動きがあった。これは、まさに残された階層の権力強化を狙ったものである。ところが、日本においてはあまり組織のフラット化が進まなかったように思える。それどころか、中間管理職の割合はむしろ増加を続けている(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業」を参照)。

 アメリカ的な一神教の世界では、神と個人の直接的な関係が理想とされる。神と個人との間に何かしら別の組織が介在する場合には、その組織の正統性が厳しく要求される。政府も、企業も、家族も、神との関係において自らの正統性を証明しなければならない。その証明が不十分な場合には、組織を排除する運動が起きる。個人主義者は封建的な家族制度を嫌い、共産主義者は企業(資本家)を打ち倒し、アナーキストは政府や国家という枠組みを取り払おうとする。

 一方、日本では神と個人との間に様々な組織が介入することを容認する。やや簡易的すぎるが、日本では、個人―家族―学校―企業・NPO―地域社会―地方自治体―政府―天皇(―神?)という重層的な関係が成り立つ。下位の層は、上位の層を「天」としていただく。そして、「天」としていただく限りにおいて、下位の層は自由に振る舞うことを許される。

 下位の層の自由とは、上位の層の権力からの自由ではなく、上位の層の権力を受ける限りにおいての自由である。日本では、神と個人との関係が単線的であるよりも、神と個人との間に多重構造が存在している方が、全体のシステムが安定する(以前の記事「山本七平『日本人と組織』―西欧と日本の比較文化論試論」を参照)。

 同じことは、同一組織内でも起こる。例えば企業の内部では、経営トップを頂点として、ミドルマネジメントが幾重にも重なる。その方が安定した経営ができるからだ。先日の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」」に登場した「文化的影響力」と「政治的影響力」という2つの言葉を使ってもう少し厳密に記述するならば、上位の層になればなるほど「政治的影響力」が薄れていき、「文化的影響力」の比重が重くなる。逆に、下位の層は強い「政治的影響力」を持つようになる。これが日本の組織である。

 言い換えれば、経営トップは企業理念やビジョンという抽象的な構想で組織全体の求心力を保つことしかできず、日常のオペレーションを担う現場の方が実質的には強い権限を持つ、ということである。アメリカの経営学者は、現場のリーダーシップを高めるために「権限移譲(エンパワーメント)」を行うべきだと主張している。しかし、日本企業の場合は、現場に権限があるのは当然であって、権限移譲というのは不可思議な現象ということになる。

 こうした権力構造で1つ困るのは、上位の層になればなるほど「政治的影響力」、すなわち実質的な権限が薄れていき、自由度が下がることである。にもかかわらず、「文化的影響力」は強くなっているという理由で、責任だけは重くなる。日本の組織では、組織論の重要な原則である「権限―責任一致の原則」が通用しない。日本の組織では「権限<責任の原則」が成立する。

 内閣総理大臣は、政治家ならば一度はやってみたいが、一度やったらもうやりたくないと思うものらしい(その意味では、再登板した安倍総理は例外である)。実際、内閣総理大臣の権限は狭く、リーダーシップが阻害されていると問題になる。企業に目を向ければ、最近では管理職になりたがらない社員が増えているという。事実上の権限は小さくなるのに、責任だけは大きくなっていくことに耐えられないのだろう。だが、これは日本的な社会システムを前提とすれば当然の帰結である。そのような人生をどう実り多いものにしていくか?これが次の重要な課題かもしれない。

2014年07月25日

山本七平『山本七平の日本の歴史(上)』(1)―夏目漱石『こころ』は「天皇制のパイロット・プラント」


山本七平の日本の歴史〈上〉 (B選書)山本七平の日本の歴史〈上〉 (B選書)
山本 七平

ビジネス社 2005-02

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 「日本の歴史」というタイトルからして、日本の歴史を幅広く考察したものかと思ったが、夏目漱石の『こころ』と北畠親房の『神皇正統記』を通じて、日本の天皇制を論じるという、かなり独創的な著書であった。多分、本書の2割ぐらいしかまともに理解できていないが(それで書評を書くなと怒られそうだが・・・)、理解できた範囲で記事をまとめてみようと思う。

 (1)前半は夏目漱石の『こころ』が題材になっている。おそらく、漱石は『こころ』で天皇制を論じようとは露だにも思っていなかっただろう。また、著者自身も自覚しているように、『こころ』をはじめ漱石の作品は基本的に「空白」が少なく、読み手が様々な言葉を継ぎ足して自由な解釈を行うことを拒む傾向がある。にもかかわらず、著者の自由な論理展開によって、『こころ』を「天皇制のパイロット・プラント」に仕立て上げている。

 『こころ』は、「お嬢さん」に好意を寄せる「先生」と「友人K」の話であるが、もちろん著者はこれを安っぽい恋愛物語だとは思っていない。まず、「先生」も「友人K」も、個人的な欲望や社会的なしがらみといったあらゆる重力から解放された「純粋人間」であると規定する。「純粋人間」は、身を天地自然に委ねて生きてゆこうとする。いわゆる「則天去私」である。「純粋人間」は、自らは何の決断も行わず、天地自然=「道」が導くままに進んでいく。

 「先生」は、「お嬢さん」に対して世俗的な恋愛感情を超えた何かを感じ、それを通じて「道」との関係を結ぼうとした。これに対して「友人K」は、「道」と自分との直接的な関係の中に「お嬢さん」が入り込んできているかのように感じてしまった。だから「友人K」は「苦しい」と打ち明けたのであり、「先生」から「精神的に向上心のない者はばかだ」と言われて反論に窮してしまう。

 「先生」は「友人K」のことを「去私の人」と思い、「友人K」も「先生」のことを「去私の人」と思っていた。だから、2人の間には友情関係が成立していた。ところが、「先生」が「お嬢さん」に結婚を申し込んだことを「奥さん」から知らされた「友人K」は、「先生」が「去私の人」ではなかったと悟り自殺する。「先生」は最初、「友人K」の自殺の原因を恋に破れたからだと考えたが、実は自分に原因があったのではないかと思うようになり、「先生」も自殺する。

 『こころ』では、「お嬢さん」の意思が介在する場面が皆無に等しい。それもそのはずであり、「道」へと通じる「お嬢さん」は絶対的に「去私の人」でなければならず、自らが判断を下してはならないからである。だが、それゆえに、「お嬢さん」は強烈な「虚のエネルギー」を発揮して、「先生」や「友人K」を引きつけていく。この絶対的な「去私の人」を現実世界に探すならば、それは天皇に他ならない。天皇を頂点として「純粋人間」の集団が成立しているのが天皇制社会である。

 相手の中に「道」があると信じ、相手を理想化し、その相手のために最後は倒れる―この展開は、まさに先日「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」」で書いた、中国に対する日本の態度と共通する。

 日本人は多神教を崇拝し、それぞれの人間に様々な仏性・神性が宿ると考えている。自らの仏性・神性が何であるかを知るためには、積極的に他者と交わらなければならない。他者との相違点を手がかりに、自分は何者かを徐々に理解していく。それが日本人の信仰であり、宗教である。日本人は、自己を確立するために、他者の存在を絶対的に必要としている。これは、唯一絶対の神を信じ、神と直接対話をすれば、他者を介さずとも自己理解を深められるとするアメリカ的なキリスト教とは大きく異なる(以前の記事「安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?」を参照)。

 だが、日本人は他者を媒介することでしか自己を理解できないため、臆病に、そして自信なさげに振舞わざるを得ない。日本人は常に他者の顔をうかがっている。臆病であっても他者と能動に交渉しているうちはよいが、臆病が過ぎると他者との関係が疎遠になる。すると、他者のことを勝手に理想化し、他者はこう考えていると勝手に推測するようになる。しかし、そういう芸当は、神との個人的対話に慣れたアメリカ人なら成功するかもしれないが、日本人ではまず成功しない。

 日本人は、推測が外れると、自分の方が他者のことを他者よりも知っていると強弁し、自分の考えを他者に押しつける。これは、まさに秀吉がアジアの平定を狙い、日本軍が南京を総攻撃した構図そのものである。他者からすれば、自分は何も干渉していないのに、相手から勝手な思い込みで勝手に攻め込まれるのだから、たまったものではない。

 だが、現在苦境に陥っている大企業がやっているのは、まさにこれと同じではないだろうか?市場に密着せず、安易にアメリカのイノベーションの真似をして、「これこそ市場のニーズに合致している」と自社が思い込んでいる製品・サービスを市場に強制する。市場に受け入れられないと、「我が社は新しい価値を『提案』している」、「市場のニーズを『先取り』している」などという聞こえのいい言葉でごまかそうとする。だが、これらの言葉は「市場=神や仏との対話が足りていない」ことを告白しているようなものなのかもしれない。

 (続く)




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