この月の記事
私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(3/3)
私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(2/3)
私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1/3)

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2014年08月27日

私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(3/3)


 (前回の続き)

(7)嘘やごまかしの効かない書き言葉によるコミュニケーションを重視する。
 以前の記事「中小企業診断士が断ち切るべき5つの因習」で、顧客を口先でちょろまかせばよいと豪語する診断士を断罪した。その人が話し言葉重視ならば、私は徹底した書き言葉重視である。話し言葉は一過性のものなので、その場の勢いで何とか乗り切れるし、多少つじつまが合っていなくても、聞き手を何となく解った気にさせることも可能だ。しかし、形も残らない、内容も不完全なものに対して顧客からお金をいただくというのは、どうも不誠実に思えてならない。

 これに対して、書き言葉は形に残り、多くの人に繰り返し読まれるから、絶対にごまかしが効かない。だからこそアウトプットの品質にこだわるわけで、高い品質のアウトプットを提示することができれば、胸を張ってお金をいただける。私は、他人のアウトプットも割と厳しく見ている方だと思う。個人的には、自分で提案書を書いたことのない営業担当者や、企画書を書き上げた経験のない本社スタッフは信用していないし、報告書の中身がプアーなコンサルタントや、セミナーの配布資料がお粗末な講師の価値も低く見積もっている。

 私が前職の企業で開発したアセスメント(診断)の中に「コンサルティング能力診断」というものがあった。その中に、「論理的飛躍があっても口頭で上手に説明することができるか?」という設問があり、「はい」と答えるとコンサルティング能力の得点が高くなる仕様になっていた。この設問は、当時このアセスメントの開発責任者であったマネジャー(彼はどちらかと言うと話し言葉重視であった)の意向で入れられたのだが、当時も今も、この設問は誤りだったと思っている。

(8)模倣されることを恐れない。ナレッジはオープンにして全体の底上げを図る。
 (7)と関連するが、書き言葉を重視するということは、成果物が目に見える形で残るということである。成果物がはっきりと残ることには、メリットもあればデメリットもある。組織内で事例を横展開できるという利点がある半面、ノウハウが何らかの形で外部に流出するリスクを背負うことになる。例えば、コンサルティングのフレームワークを転職先に持っていかれる、セミナーの配布資料を別のセミナーで転用される、といった具合だ。もちろん、知財保護の規定は設けるものの、全ての流出を止めることは不可能に近い。

 だが、私はノウハウの流出に目くじらを立てるべきではないと思う。知的財産に対する意識が甘いと言われるかもしれないが、私は自分のナレッジに対してそれほど執着心はない。事実、本ブログではノウハウ(大したノウハウではないが・・・)がダダ漏れ状態である。私のノウハウが外部に流出したところで、競合他社が私のビジネスを完全に潰しにかかるとは思えない。それよりも、自分の考え方を知ってくれる人が増えることの方が嬉しい。仮に競合他社が私のノウハウを盗んだとしても、私がさらに新しいナレッジを開発すればよいだけの話である。

 コンサルティング会社や研修会社が主催するセミナーなどに参加しようとすると、申込ページに「同業他社の参加はお断りします」と書かれていることがほとんどである。私はこのルールが嫌で嫌で仕方ない。ノウハウが持っていかれたところで、自社のビジネスが決定的なダメージを受けるのだろうか?旧ブログの記事「研修業界はまだまだ未熟な業界かもしれない」でも書いたが、この業界のプレイヤーは中小・零細企業がほとんどである。そんなプレイヤーにノウハウが流出しても、大した痛手ではないはずである。私は、このルールがあるために、業界に良質なナレッジが浸透せず、業界全体の底上げがなされないのではないか?とさえ疑っている。

 最近、いろんな中小企業の経営者とお話をさせていただいて、1つ気づいたことがある。中小企業の経営者は、自分の事業にのめり込んでいるので、話し出すとたいてい止まらなくなる。だが、事業がうまく行っている経営者とそうでない経営者では、話の内容が全く違う。

 業績が好調な企業の経営者は、未来志向で話をする。将来のビジョンはこうで、こういう市場にこういう製品で打って出たいとストーリーを語る。一方、業績不振の企業の経営者は、過去の出来事に執着する。特に、外部の関係者から”攻撃”されたことに対して、異常なまでの反応を示す。その”攻撃”の中に決まって入っているのが、知財の侵害である。彼らは、知財を侵害した相手を徹底的に憎む。しかし、いつまでも相手を憎んでいても仕方がない。シャープの創業者は、「他社に真似される製品を作れ」と社員にハッパをかけたそうだ。経営者はそういう気概で臨んだ方がよいと思うし、私自身もそうありたい。

(9)時間は万人に平等に与えられた宝。宝を壊す人を許してはいけない。
 これは当たり前すぎるし、「【ベンチャー失敗の教訓(第40回)】ダメ会社の典型=遅刻や締切遅れが当たり前の体質」など多くの記事で書いたことなので、簡単な説明にとどめておく。「(6)信賞必罰に頼らない。相手の成長を見守ることで相手を動かす」で、相手を怒ったりしないと書いたが、時間にルーズな人に対してだけは私もさすがに怒ると思う。極端な話だが、私はお金を盗まれても怒らないけれども、時間を破壊されたら怒るに違いない。そのぐらい、時間に対しては自分に対しても他人に対しても厳しいつもりでいる。

 アポイントの時間に遅れる、締切を守らないといった行為は明白な破壊行為であるが、会議というものは破壊行為が横行する場である。必ずしも全員が参加する必要がなかったり、参加者の顔ぶれにそぐわない議題が話し合われたりする。先日、中小企業診断協会の支部の役員会議に出席する機会があった。会議には、企業で言うところの部長・副部長クラス以上のメンバーが20人ほど参加していた。

 そこで話し合われたことは、支部のメーリングリストの運用ルールをどうするか?支部でプロジェクター(8万円ぐらい)を購入してもよいか?といったことであった。これには正直がっかりした。どれも、担当者が5分で決められそうなことばかりである。それを、大の大人が2時間近くも議論しているのだから、怒りを通り越して笑うしかなかった。会議は相手の貴重な時間をいただく行為である。いただいた時間に見合うだけの、中身のある会議をあらかじめ設計できないのであれば、いっそ会議を開かない方がましである。

(10)仕事に楽しみを求めない。わずかな楽しみのために多くの苦しみがある。
 よく、「仕事を楽しめ」と言う。しかし、私が社会人になってちょうど10年が経過したが、仕事を楽しいと思った記憶がない。むしろ苦しみの連続でしかなかった。どこかに楽しい仕事があるだろうと期待を寄せてみたものの、どんな仕事をしても苦しみにぶち当たった。シリーズ「【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】」は、そんな苦しみの結晶である。そのため、最近では、「仕事は楽しいものである」という思い込みの方が間違っているのではないか?と思うようになった。

 元阪神の金本知憲氏は、引退会見で「僕の21年間のプロ野球人生は、大袈裟でなく70%が辛い苦しいものだった」と語った。元ヤクルトの宮本慎也氏も、引退時に「最近は『楽しみたい』と言うけど、僕は野球を楽しむなんてできない」とコメントしている。引退の間際になってようやく、「苦しかっただけのグラウンドで自分は幸せ者だったと気づいた。すべてが報われたと感じた」そうだ。イチローは、日米通算4,000本安打という偉業を達成した試合後のインタビューで、「4,000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8,000回以上は悔しい思いをしてきている」と答えた。こうした大打者と自分を並べるのはあまりにもおこがましいが、私もこの3人の考え方に深く共感する。

 サービス業などのマーケティングにおいては、インナー・マーケティングを実施して社員満足度を上げれば、顧客満足度の向上につながるとされる。端的に言えば、仕事を楽しんでいる社員が増えれば、顧客満足度は上がるというわけだ。だが私は、この説は正しくないのではないか?と思う。エンターテイメントの要素が強いサービスであれば、顧客接点で働く社員が楽しんでいることで、それが顧客に伝染することも考えられるだろう。

 しかし、世の中の大半の製品・サービスは、エンターテイメント的なものではない。私が生業としているコンサルティング業や研修サービス業もそうである。その上、顧客からは高い要求を受ける。その結果、顧客のニーズに応えようと、もがき苦しむことになる。

 だが、私が苦しんでいるからと言って、顧客満足度が下がるとは一概には言えない。事実、私が苦しんで開発した研修を実施したところ、研修後のアンケートでは受講者ほぼ全員から5段階評価で5の評価をいただいたことが何度もある。「社員満足度向上⇒顧客満足度向上」ではなく、「社員の苦しみ度向上⇒顧客満足度向上」というロジックが成り立つかどうか?今は私の単なる価値観・信念でしかないが、その妥当性を検証することが今後の私の研究課題である。


《2014年9月13日追記》
 『致知』2014年10月号の「対談 日本の次世代に託す夢 泥を肥やしに花は咲く」(鍵山秀三郎、上神田梅雄)という記事で紹介されていた下村湖人の言葉が印象に残ったので引用する。
 私は不満のない人生をおくりたいとは思わない。私ののぞむ人生は、不満が平和をみだす原因とならず、創造への動機となるような人生である。私は苦悩のない人生に住みたいとは思わない。私の住みたい世界は、苦悩が絶望の原因とならず、勇気への刺激となるような世界である。
致知2014年10月号夢に挑む 致知2014年10月号

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2014年08月26日

私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(2/3)


 (前回の続き)

(4)自分の価値を簡単に安売りしない。
 以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第33回)】営業担当者任せにしすぎたプライシング」、「中小企業診断士が断ち切るべき5つの因習(+2個追記)」で書いた通りである。前職の企業では、定価50万円の研修を10~20万円で販売するということが横行していた。実に6~8割引である。ブランドショップの在庫処分セールではないのだから、そんなことをすれば大赤字になることは誰の目にも明らかである。また、中小企業診断士の世界も、おかしな単価がまかり通っている世界だ。年金診断士(=主たる収入源が年金で、診断士活動は収入の足しになる程度でよいと考えている診断士)が設定する低価格には、私もほとほと手を焼いている。

 そういう例は枚挙に暇がないのだが、さらに私が苦言を呈したい中小企業診断士の制度を挙げる。中小企業診断士は、資格取得後5年ごとに更新が必要である。その更新要件の中に、「5年間で30日以上、中小企業の診断をすること」というものがある(年平均たった6日で診断能力が維持できるのかという別の問題はある)。この要件を満たすことが難しい診断士向けに、中小企業診断協会は「実務従事」というコンサルティングの機会を提供している。

 だが、驚くべきことに、実務従事に参加すると、診断士が顧客企業からお金をいただくのではなく、診断士が協会にお金を払わなければならない(顧客企業側は無料)。有資格者がわざわざお金を払ってコンサルティングを提供しなければいけないとはおかしな話である。事情を知っている顧客企業はきっと、「診断士の資格など所詮その程度だ」と思うに違いない。

 余談だが、診断士側がお金を払っているせいか、いつの間にか診断士の方が協会の顧客になってしまうケースがあるという。実務従事に参加すると、先輩の診断士が指導員として指導にあたる。指導員はコンサルティングの品質を維持するため、時に参加者を厳しく指導することがある。すると、その指導が厳しすぎると言って協会にクレームを入れる診断士がいるという。そこまで行かなくても、「お金を払って更新要件さえ満たせればよい」と考える人の中には、割り振られた作業を全くしなかったり、途中から仕事に来なかったりする人も結構いる。

 《2016年2月22日追記》
 (4)のような格好いいことを書いておきながら、実際には私の事業はまだまだ不安定で、いただける仕事は選り好みせずに可能な限り引き受けさせていただくことにしている。その中には割に合わないかもしれないと思う仕事もあるのだが、修行の一環としてとらえている。ただし、私が絶対に引き受けない仕事が1つだけある。それが「成功報酬型」の仕事である。

 成功報酬型は、コンサルティングが成功すれば、増加した利益の一部をコンサルタントに支払う反面、失敗した場合はコンサルティングにかかった費用を全てコンサルタントに転嫁する。コンサルティングが失敗する時というのは、確かにコンサルタント側にも責任はある。だが、全責任がコンサルタントにあると言えるだろうか?それに、仮に失敗の全責任をコンサルタントに被せるのだとすると、成功した時には増加した利益の全部をコンサルタントが総取りできなければ筋が通らない。成功報酬型を突き詰めると、コンサルティングが成功しても失敗しても、企業は利益を増やすことができない。この点で、成功報酬型は破綻していると思う。


(5)直観で人を評価しない。その人の価値観と能力をじっくり見極める。
 これも、旧ブログ(「会社を退職しました」、「「やりたいこと」と「得意なこと」のどちらを優先すればいいんだろう―『リーダーへの旅路』」)や、本ブログ(「【ベンチャー失敗の教訓(第36回)】「この人とは馬が合いそうだ」という直観的な理由で採用⇒そして失敗」、「【同(第37回)】最初に「バスに乗る人」を決めなかったがゆえの歪み」)で書いたことの繰り返しである。

 人を採用する、あるいは外部のパートナーと協業関係を結ぶ時には、やりたいこと、熱意、モチベーションをあてにしてはいけない。これらは非常に不安定な要素である。人は簡単にやりたいことを変え、熱意を失い、モチベーションを低下させる。そして、そういう人ほど一緒に仕事をしにくい人はいない。そうではなく、能力という比較的安定した要素に目を向ける必要がある。能力さえあれば、その人を適切に活用することで一定の成果を出すことができる。

 もっと言えば、その能力の土台にある価値観を見定めることも大切だ。価値観とは、まさにこの記事で書いているような内容である。価値観が相容れない人と一緒に仕事をしても、重要な意思決定の局面で必ず深刻な問題を引き起こす。例えば、前述の「(4)自分の価値を簡単に安売りしない」と反する価値観、すなわち安売りを是とするような価値観の人とは、たとえどんなにコンサルティング能力が優れていても私は一緒に働けない。価値観は能力以上に固定的な要素である。よって、一度間違った価値観の人と組んでしまうと、修正が非常に困難である。

 『論語』の「為政篇」に、「其の似す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察れば、人焉んぞかくさんや」という言葉がある。「その人は何をしているのかを視、その人の動機(何のためにそれをしているのか?)を観、その人の心のよりどころ(満足・安心すること)を察れば、その人の値打ちが解るものだ」という意味である。私はこの言葉を忘れずにいたい。

(6)信賞必罰に頼らない。相手の成長を見守ることで相手を動かす。
 私は大学生時代に塾講師のアルバイトをしており、高校3年生の受験生を教えていた。アルバイトを始めたばかりの頃、先輩の先生から個別指導の生徒2人を引き継ぐことになった。塾内の話では、その2人は相当な勉強嫌いで、成績も芳しくなく(偏差値は30台だった)、宿題をやってこない、前回教えたことをすぐに忘れるといったことは日常茶飯事であった。家庭学習の習慣もついていないので、塾内にある自習室に通うように強制的にスケジュールを組んだりもしたが、全く自習室に来なかったという。引継ぎのために前任の先生がその2人を教える授業を見学させてもらった時、最後の授業だというのにその先生は2人を怒鳴り散らしていた。

 だが、私の目には、先生の怒声が2人にとって全く効果がないように映った。2人は、「また先生がいつものように怒っている」、「今だけ我慢して聞き流せばいい」と思っているようであった。いわば、叱られることに慣れっこだったのである。そこで私は逆の戦法をとることにして、何があっても絶対にこの2人を叱らないと決意した。前評判通り、宿題は忘れるし、同じことを何度も教えなければならないので腹が立つこともあった。それでも私は絶対に叱らなかった。むしろ、授業にちゃんと来てくれたことに感謝するようにしていた。

 毎回80分の授業は、前回出した宿題をその場で解かせるだけで終わることがほとんどだった。極端なことを言えば、私がしたことは、彼らが宿題をするところを見守ったぐらいである。それでも、受験が近づいてきたら、彼らなりに自発的に勉強するようになった。自習室にも時々来るようになった。最終的に、1人は論文試験で美術大学に合格し、もう1人は産近甲龍レベルの大学に合格した。この時は非常に嬉しかった記憶がある。

 この価値観には、「相手に期待しすぎない」という側面もある。過剰な期待をするから裏切られるし、裏切られるから怒りたくなる。怒って事態が好転するなら、私だっていくらでも怒る。だが、たいていは怒ったところで何も変わらない。それならば、最初から相手に期待などしなければよい。ただし、それは見捨てることとは違う。むしろ相手にそっと寄り添い続けることである。人は、「自分のことを見てくれている人がいる」と思うと、思わぬやる気を出す。

 (続く)

2014年08月25日

私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1/3)


 現在、創業希望者を対象としたキャリア開発のセミナーコンテンツを製作中である。その中で、「自分がよりどころとしている価値観」を棚卸しするワークショップを開発しているのだが、そのワークに沿って、改めて私自身の価値観を見つめ直してみた。価値観とは、仕事をはじめとする人生の中で自分が大切にしているルールや、これだけは絶対に譲れないという原理原則、何らかの重要な意思決定を下す際の判断基準のことである。

 人は、何か重要な出来事を経験すると、自分が大切にしている価値観に気づくものである。その出来事は自分自身に降りかかったものでなくてもよい。他人の出来事、特に他人の失敗から学ぶことも多い。他人の失敗から学ぶことのメリットは、教材が身の回りにたくさん転がっていること、そして自分は痛手を被らなくてもよいことである。

 私の価値観については、以前に旧ブログで何度か書いたことがある。今回再整理した価値観は、それと重なるものもあれば、新たに追加されたものもある。

 年明けということで、改めて自分の価値観を棚卸ししてみた
 創業半年超でようやく形になりつつあるオフィス・エボルバーのビジョン
 オフィス・エボルバーのビジョン(ドラフト)の補足(1)(2)
 いたずらに新しさを追求することに果たして意味はあるのか?という疑問―創業1周年に寄せて(1)
 「日本らしい経営」を探求する必要性~創業1周年に寄せて(2)
 人材の採用に対する私の考え方~創業1周年に寄せて(3)

(1)努力に惚れるのではなく、成果が出る努力をする。成果が出なければ努力を諦める。
 以前のホンダのCMで、「頑張っていれば、いつか報われる。持ち続ければ、夢は叶う。そんなのは幻想だ」というメッセージがあり、痛く共感した覚えがある。努力と成果は必ずしも比例関係にない。それどころか、努力していれば、多少成果が出なくても免罪されると考えている人がいるのは非常に残念なことだ。シリーズ「【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】」で何度も書いたが、私の前職の企業の人は、そんな幻想にとらわれた人ばかりであった。

 彼らは、何年経っても利益が出ない研修サービスに拘泥していた。開発責任者だったマネジャーは「何でこんなに頑張っているのに、数字がついてこないのだろう?」とよくこぼしていた。しかし、私に言わせれば「努力の方向性が間違っていたから」に他ならない。研修コンテンツを修正してばかりでいつまでもサービスとして完成しないし、何よりも修正の仕方が独り善がりで顧客のニーズを反映していなかった。

 講師は講師で、プロモーション目的と称して人事担当者向けに体験セミナーを開催していたが、何年も受注につながっていなかった。途中からマーケティング業務を兼務した私は、成果が出ていないならそんなセミナーはやめた方がいいと提案した。ところがその講師は、「セミナーをやっていれば自分の勉強になるから」と言って聞かなかった(私が中止したセミナーを、影でひっそりと復活させていたこともあった)。一体、何年自分の勉強を続ければ気が済むのだろうか?

 ある中小企業診断士の先輩に、「プロフェッショナルとは『正しい努力』を『怠らずに継続する』人のことだ」と教えてもらった。単に継続するだけでは、およそプロフェッショナルとは言えない。そして、もう1つつけ加えるならば、努力の方向性が正しくないと解った時には、潔くその努力を放棄することも、プロフェッショナルの必須条件である。サンクコスト(埋没費用)に心を奪われているうちは、いつまで経っても新しい道に進むことができない。

(2)自分が愛する製品・サービスを顧客に提供する。
 これも「【ベンチャー失敗の教訓(第10回)】自社ができていないことを顧客に売ろうとする愚かさ」で書いたことだが、顧客に自社の製品・サービスを勧めるためには、まず自分自身がその製品・サービスの熱心なファンになっていなければならないと思う。売り手が効果や性能に疑問を抱いている製品・サービスを顧客に売りつけるのは、詐欺行為以外の何物でもない。

 前職の会社ではいろいろな研修メニューがあったが、私が5年半の在籍期間中に顧客に提供したのは、ビジネス・プロセス・エンジニアリング(BPR)研修だけである。これは、入社直後にあるメーカーの設計部門を対象に実施したBPRのコンサルティングの失敗経験が元となっている。

 当時の私にはBPRの知識が十分備わっておらず、苦汁を舐めた。自社の研修メニューにBPR研修というものがあることを知ったのは、プロジェクト終了後であった。私は研修の有用性を実感するとともに、プロジェクト前にこの研修を知っていたら、もっと上手く仕事ができたのにと後悔した。この体験があったからこそ、この研修を多くの人に知ってもらいたいと思うようになった。

 ちなみに、BPR研修は、単に業務プロセスを描くだけの研修ではない。経営ビジョンや事業戦略を整理してビジネスモデルをデザインする、業務プロセスを支えるITや教育・評価制度などといった仕組みを構築する、施策の効果を定量化してモニタリングする、といった内容が含まれる。言い換えれば、経営全般を上流から下流まで一貫性のある形で俯瞰することができる研修であった。これを現場社員向けに実施すると、短期的な現場の視点からではなく、中長期的な経営の視点から物事を考えることが可能になる。

(3)自分の実力を120%出さないとできない仕事を引き受ける。
 1流の営業担当者は、自社の実力を100%出さないとできない仕事を受注する。だが、それだけでは自社の強みをそれ以上磨くことができず、成長が止まってしまう。そこで、超1流の営業担当者は、自社の実力を120%出さないとできない仕事を受注してくる。あるコンサルティング会社は、自社のコンサルタントを育成する目的で、敢えてトヨタ自動車の案件を狙ったことがあるそうだ。トヨタ自動車はお金にも品質にも異常なまでに厳しい。それでも、報酬以上に得られるものが大きいと判断した結果である。

 これに対して、3流の営業担当者は、自社の実力とは無関係に、顧客に言われるがままに何でも受注してくる。超1流と3流の違いは紙一重である。その違いは、自社の組織能力に対する厳しい自己認識があるかどうかだ。自社のケイパビリティがどのレベルにあるのか解らなければ、受注を目指している仕事が自社の能力を何%ぐらい必要とするのか判断することができない。その判断ができない3流の営業担当者は、顧客の要望を安請け合いして、社内を混乱させる。

 前職の企業では、自社の研修メニューに存在せず、かつ自社サービスとシナジーが薄い営業研修などを無理やり受注してくる営業担当者がいた。自社ではどうしようもないので、営業担当者が外部の研修会社に頼み込んで、研修を実施してもらっていた。これでは、前職の企業は研修会社と顧客の間に入り込んでいる単なる中間業者であり、何のバリューも発揮していない。むしろ、前職の企業が1枚噛んでいることで、顧客に余計なマージンを請求していることになる。

 また最近も、エクセルの統計処理が全く解っていないのに、大規模な市場調査案件を受注してきたコンサルタントがいた。結局、後から私がその案件に入って分析作業をしたのだが、もしも私がいなかったらどうするつもりだったのだろうか?中小企業診断士の中には、国や都の補助金の中身を十分に理解しないまま、中小企業に補助金を勧める人がいる。後になって、補助が受けられると思っていた経費が補助対象外と解り、トラブルになったという話をしばしば耳にする。

 (続く)


《2014年9月13日追記》
 (2)に関連して、『致知』2014年10月号の記事「対談 老舗の志を継ぎ和食文化を後世に」(村田吉弘、高津克幸)から、菊之井3代目主人・村田吉弘氏のエピソードを紹介したい。
 その頃、親父の友達の京料理・たん熊のご主人が時々寄ってくださっていました。いつもカウンターの端に座ってビールを2本ほど飲みながら、「適当に何か出してみいな」とおっしゃるんです。春先だったので木の芽和えを出して「それ甘ないですか」と聞いたところ、「甘いと思ったら、甘ないもん出さんかい」と。

 「それ親父のレシピで作っているんです。親父と同じようにやらへんかったら、菊之井の味にならんと思いまして」と説明しかけたら、「お前はアホか」と怒られましてね。「自分がうまないと思っているものを人に出してどうする。自分がうまいと感じたもんを出して店が潰れるなら納得いくけれども、うまないと思っているものを出して立ちいかんようになったらどうするねん」と。この一言には目が覚める思いがしました。
致知2014年10月号夢に挑む 致知2014年10月号

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