2014年12月17日
野村総合研究所2015年プロジェクトチーム『2015年の日本』を2015年の到来を前に読み返してみた
2015年の日本―新たな「開国」の時代へ 野村総合研究所2015年プロジェクトチーム 東洋経済新報社 2007-12 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は2007年に出版されたものである。いざ2015年を目前にして、果たして本書の予測がどのくらい現実のものとなったのか確かめてみようと、7年ぶりに読み返してみた。細かい部分で予測が外れた箇所はあるものの(※1)、概ね書いてある通りになった。「インビジブル・ファミリー(※2)」や「ガラパゴス化」といったキーワードを提唱したのは本書であったことも懐かしく思えた。
(※1)予測が外れた箇所としては、例えば以下のようなものがある。
・日本の総人口は、2015年には1億2,543万人になると予測されている。
⇒2014年11月1日現在の総人口(概算値)は1億2,708万人(前年同月より22万人減)で、減少スピードがやや緩やかになっている。
・中国のGDPは2018年頃に日本を追い抜く。
⇒名目GDPレベルでは、2009年に中国(5兆1,058億ドル)が日本(5兆351億ドル)を逆転している。2014年の名目GDP(IMFにおける10月時点での推計)は、日本が4兆7,968億ドル、中国が10兆3,554億ドル。
・高齢化率が50%を超える限界集落は、2006年4月時点で全国に7,878集落存在しており、うち1,591集落は将来的に消滅の恐れがある。
⇒総務省の調査によると、2010年4月時点における限界集落の数は1万91。2006年度の前回調査から2,213増加し、調査地域の集落総数に占める割合も12.7%から15.5%に上昇した。
(※2)インビジブル・ファミリー=親子二世帯が歩いていけるような距離に住む「隣居」、何らかの交通手段を使って片道1時間以内ぐらいで行き来できるところに住む「近居」といった形態で緩やかにつながりながら、経済的にも、精神的にも支え合うような家族の形を指す。インビジブル・ファミリーは、統計上は複数の世帯から構成されているが、財布としては事実上1つであり、市場調査の際にはこの点を考慮する必要がある。
では、2015年に迫りくる危機に対してどう対処すればよいか?本書ではその手がかりをイギリスに求めている。結局、日本という国は、どこまでも外部に手本を求めなければ生きていけない国なのだと、改めて認識させられてしまった。日本は「課題先進国」になるべきだ、などと声高に主張している人がいるみたいだが、そんなのは夢物語に違いない。2000年間日本にできなかったことを、今からやれというのは酷な話だ。いいじゃないか、いっそ開き直って、他国や歴史からいろいろな手本を引っ張り出そうではないか(以前の記事「山本七平『危機の日本人』―「日本は課題先進国になる」は幻想だと思う、他」を参照)。
そのイギリスだが、基幹産業であった製造業が衰退した後、国家を挙げて製造業に代わる産業を育成している。私の勝手な印象かもしれないが、イギリスという国は、自由主義を信奉するアングロ・サクソン系であるにもかかわらず、産業に対して国家が割と深く介入する。突っ込んだ話は本書に譲るが、金融業、クリエイティブ産業、官庁のアウトソーシングサービス産業などは、政府の積極的な関与によってグローバルな競争力を持つようになった。
産業再生機構の創立者の1人で、COOを務めた冨山和彦氏は、「G(Global)の世界」と「L(Local)の世界」は、経済を動かす原理が全く違うから、分けて考えるべきだと主張されている。イギリスの「Gの世界」は前述の通りだとして、では「Lの世界」はどうなっているのか?実は、これもまた行政による関与の度合いが高いようである。
なぜローカル経済から日本は甦るのか (PHP新書) 冨山 和彦 PHP研究所 2014-06-14 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
イギリスに学ぶ商店街再生計画―「シャッター通り」を変えるためのヒント 足立 基浩 ミネルヴァ書房 2013-10 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
非常に限られた情報の中での話で大変恐縮だが、足立基浩『イギリスに学ぶ商店街再生計画―「シャッター通り」を変えるためのヒント』(ミネルヴァ書房、2013年)によると、イギリスの都市計画、商店街計画においては、官の果たす役割が非常に大きいようである。
1947年の都市農村計画法(中略)は民間開発を政府が公的なメリットを根拠にコントロールし、誘導していくものである。具体的には、①開発計画、②詳細な開発コントロール、③開発利益の社会的な還元などで都市計画の基礎を定めている。さらに、この法律によって自治体レベルの都市再生の手順等が示されている。
日本の都市計画はアメリカ型の「ゾーニング制」(※都市計画区域内に住居専用の地域を定める)であるが、これは、ゾーン内で一定の開発要件を満たしてしまえば、わりと簡単に開発許可が下りてしまうものである。イギリスの場合、「ゾーニング制」ではなく、物件ごとに開発申請を個別にチェックするシステムであり、その審査は厳しい。ゆえに景観などは守られる傾向にある。
広域レベルの空間戦略が広域計画団体と呼ばれる県(カウンティ)や、市町村等の集合体により策定されるようになった。(中略)2004年以前は国が定めた計画案(RPG)にそって、県(カウンティ)などが都市計画を実行していたが、2004年以降、行政区域を超えた広域計画団体の役割が大きくなった。(中略)
では、ディストリクト(市)などの小規模の行政区は都市計画においてどのような役割を果たせばよいのか。結論を先取りすれば、先に述べた広域計画団体を対象にしたRSS(地域空間戦略)、つまり広域に関する都市再生の計画書をもとに、それよりも小さい地域のディストリクトなどがLDF(地域開発フレームワーク)を作成することになった。
イギリスのプランニング・ポリシー・ガイダンスシリーズは都市計画の基本的な方針を示したもので、上位規定的な意味合いがある。この第6番目が中心市街地再生に関するものである。1988年にPPG6は誕生したが、基本理念を継承しつつ1993年に改正され、その後は持続可能なまちづくりの意味合いがさらに強化されて、PPS4(Planning Policy Statement No.4)となった。このように、官主導の厳密なルールや計画があるため、日本のように、商店街に無計画にコンビニやパチンコ店が入ったり、空き店舗がそのまま放置されたりすることがない。
話を本書に戻そう。本書では、「第三の開国」の必要性を訴えている。イギリス(やスコットランド)が外資企業を積極的に誘致して国内産業を活性化させ、また、観光客の招致によって国内での消費を増加させた例にならったものである。
「第一の開国」では黒船の来航、「第二の開国」は敗戦と占領軍による統治といったように、それぞれの外国のパワーによって開国がはじまった。そして、政府が主導し、産業界と国民がその下で行動するという方式で進められてきた。しかし私は、第三の開国もやはり、政府や行政主導でやった方がいいのではないか?と思っている。日本がイギリスを手本にするのであればなおさらである。ただこの点については、プラスの兆候も見えている。例えば、何度かこのブログで取り上げている中小企業向けの補助金である「ものづくり補助金(中小企業・小規模事業者ものづくり・商業・サービス革新事業)」の「公募要領」の最後には、「地方版成長戦略」と関連性の高い事業は評価が高くなると書いてある。
しかし、「第三の開国」は、「第一の開国」、「第二の開国」と異なり、必ずしも、外圧によってもたらされるものではない。政府が主導するのではなく、産業界も国民も自ら動いていかねばならない。
「地方版成長戦略」においては、地域ごとの戦略産業を特定し、地域に眠る資源の掘り起こし、地域に必要な産業人材の育成などに関する戦略を定めており、今後は国と地方が一体となって戦略の実現に向けた取組みを進めていくとされている。ただし、1つ気がかりなのは、どの地方も戦略産業が似たり寄ったりになっていることである。日本人の「横並び主義」という悪癖が出てしまっているようだ。例えば、ヘルスケア産業はほとんど全部の地方が掲げているが、こうなるとヘルスケア産業が全国に分散してしまい、競争力のある産業集積を構築することが困難になる。
もっと国がリーダーシップを発揮して、「A地方は医療、B地方はエネルギー、C地方は航空、D地方は素材・・・」といった具合に、各地方の産業の現状を踏まえつつも、トップダウンでそれぞれの産業を各地方に割り振ってもよいと思う。もっとも、だいたいこういう国の計画というのはうまく行かないと相場が決まっていて、理想とは違う結果になるのが常である(以前の記事「安田元久監修『歴史教育と歴史学』―二項対立を乗り越える日本人の知恵」を参照)。しかし、計画をしなければ、予想外の現実を呼び込むことができないのもまた事実である。
それぞれの地方は、国から指示された産業を強化するために、全国から企業を誘致し、足元での起業をサポートする。企業が集まってくれば、社員が生活するためのまちづくりも必要となる。社員の年齢特性や家族構成などを踏まえて、彼らのニーズにフィットした住居や商店街をデザインする。企業誘致やコミュニティ形成などの仕事は、都道府県や市区町村の責任において行う。そのくらい官が強力に関与しないと、市場主義的な流れに任せていては、東京一極化は止められないと思う(首都圏に住んでいる私がこんなことを言うのは無責任だが・・・)。