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『法治崩壊─新しいデモクラシーは立ち上がるか(『世界』2015年11月号)』
『習近平の蹉跌/中韓の反日に汚される世界遺産(『正論』2015年11月号)』―右派と左派の違いに関する試論
海外進出する中小企業が直面するリスクとその対応策(海外ビジネスセミナーより)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2015年11月24日

『法治崩壊─新しいデモクラシーは立ち上がるか(『世界』2015年11月号)』

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世界 2015年 11 月号 [雑誌]世界 2015年 11 月号 [雑誌]

岩波書店 2015-10-08

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 翁長知事は在沖米軍基地について、沖縄が自ら土地を提供したのではなく、戦後、米軍の強制接収によってできたものであること、国土面積の0.6%の沖縄に在日米軍用施設の73.8%が存在すること、戦後70年間、米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けていることを指摘し、沖縄の自己決定権と人権が侵害されていると強調した。
(潮平芳和「翁長沖縄県知事の国連演説―世界に問うた日米の不正義」)
 冒頭のこの記事を読んでいきなり卒倒しそうになった。「沖縄県民の自己決定権」ではなく、「沖縄の自己決定権」となっていたからである。私が大学時代に教科書として使った初宿正典教授の『憲法〈2〉基本権』によれば、自己決定権は「個人が自律的人格の主体として、自己にかかわる私的な事柄について公権力によって干渉されずに自ら決定し行動しうる権利」と定義されている。言うまでもなく、自己決定権は個人の権利であり、地方自治体に付与されたものではない。

 自己決定権が問題になるのは、自殺、尊厳死、安楽死、リプロダクション(避妊や妊娠中絶など)のように、個人が生命を自由に処分できるかどうかをめぐってである。また、子どもの権利と関連して、校則で生徒の髪型(丸刈りなど)や服装を強制できるか?バイク免許の取得禁止やバイクでの登校禁止を定めることができるか?といった点が議論される。仮に、「沖縄県民の自己決定権」が侵害されているとしても、一体何が侵害されていると主張しているのか不明である。

憲法〈2〉基本権 (法学叢書)憲法〈2〉基本権 (法学叢書)
初宿 正典

成文堂 2010-10

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 何でもかんでもすぐに権利を持ち出し、その概念を無尽蔵に拡張していこうとする左派の論理には、時々ついて行けなくなる。まして、個人の権利を地方自治体の権利(?)に援用するのは私の理解を超えている。憲法9条の拡大解釈には反対し、憲法を守れと強弁するのに、人権については自由に内容を操作するのは、いかにもご都合主義ではないだろうか?

 辺野古移設問題を憲法の枠組みで論じるならば、95条が妥当である。95条は「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」と定めている。辺野古移転が95条の住民投票の要件に該当するか否かを議論すればよい。
 先日、元文部官僚でゆとり教育の推進者と言われた寺脇研氏と話した時、SEALDsはゆとり教育の成果だと誇っていた。確かに、正解を覚えこむのではなく、自分で問いを立てつつ自分で考え、権威に臆せず自分の意見を言うという態度を身に着けた若者が増えたということである。
(山口二郎「”不断の努力”がデモクラシーを進化させる」)
 寺脇研氏の名前を久しぶりに見た(旧ブログの記事「「ミスター文部省」寺脇氏の理想と現実のギャップが垣間見えた―『それでも、ゆとり教育は間違っていない』」で一度だけ取り上げた)。私は、SEALDsこそ「憲法9条の平和主義は絶対に正しいのだ」という正解を覚えこんでいるだけではないかと思う。彼らは国際政治の力学をどこまで考え抜いているだろうか?

 現代の世界は、アメリカ、中国、ロシア、(ドイツを中心とする)欧州という4つの大国が覇権争いをしている。それ以外の小国は、悲しいが4大国に利用される宿命にある。日本も決して例外ではない。小国は4大国の対立構造を注意深く読み解き、生き残りをかけてどの大国の側につくのか(どの大国に利用されるのか)を決めなければならない。加えて、大国との関係を深化させるために、周辺の小国(日本の場合は韓国やASEAN諸国など)とも連携する必要がある。

 事態を複雑にしているのは、4大国は常に敵対関係にあるわけではなく、例えば政治では対立するが経済では協力するといった具合に、局面に応じて態度を細かく変えている点である。大国の戦略が複雑であるから、それに影響される小国の戦略も複雑にならざるを得ない。その小国の戦略の文脈において、今回の安保法制が妥当なのかどうかを議論する必要がある。

 SEALDsがこのような点をどこまで真剣に考えているのか、どうも判然としない。「戦後日本は平和主義で世界に貢献してきた」などという主張は、日本がアメリカの核の傘で守られてきたこと、その核がロシアにとっての抑止力になっていたことを無視した平和ボケ発言である。
 小田川:国会前でコールされた、「憲法違反の法案は認めない」、「立憲主義をこわすな」、「民主主義を取り戻せ」といった声が、野党に結束してほしいという参加者の総意を示すものだったと思います。(中略)
 福山:今回の運動に参加した人々や団体、みんなが統一署名に取り組めば2000万とか3000万という署名も不可能ではない。
(福山真劫、高田健、小田川義和「連帯を拡げ、共闘を次のステージへ」)
 朝日新聞が9月19、20日に行った全国世論調査によれば、内閣支持率は、支持35(36)、不支持45(42)(単位はパーセント、カッコ内は9月12、13日の調査)と、不支持が大きい状態が続いている。しかし、政党支持率を見ると、自民36(33)、民主10(10)、維新2(2)、公明3(3)、共産4(4)と、野党の支持率は変化していない。
(山口二郎「”不断の努力”がデモクラシーを進化させる」)
 安保法制反対派は、全国各地で巻き起こるデモ・集会の様子を伝える。それだけ反対運動が全国に広がっているのであれば、内閣支持率や自民党支持率は急落しなければおかしい。ところが、実際には数ポイントの下落という軽傷で済んでいる。民主主義を重視する左派は、世論調査に国民の声が最もよく反映されていると言う。だとすれば、支持率が微減だったということこそが民意であり、全国で反対派が蜂起しているというのは、左派が作り上げた虚構にすぎない。

 旧ソ連には「扇動」を学問化し、運動家に教育する国家機関があった。その機関で教えられていたのは、「ウソであっても繰り返し主張すれば真理になる」ということである。安保法制をめぐる左派の動きを見ていると、まさに旧ソ連の扇動が想起される。
 湯浅誠氏が民主党政権時代に、自らの経験をもとに社会が主で政治は客と言ったことがあったが、安保法案反対運動を通して私もそのことを痛感した。
(山口二郎「”不断の努力”がデモクラシーを進化させる」)
 湯浅誠氏は、2008年末に東京都・日比谷公園で行われたイベント「年越し派遣村」の村長を務めた社会運動家である。「国民の声が大切だ」という立場を突き詰めていくと、社会=主、政治
=客という図式に行き着くのだろう。別の言い方をすれば、社会は政治にとってお客様なのだから、政治は社会の言うことを聞くべきだ、ということになる。企業経営における顧客第一、顧客中心主義、顧客資本主義の影響を見て取ることもできる。

 だが、顧客中心主義は、企業経営という狭い領域においてのみ成り立つことである点を左派は忘れている。思想家の内田樹氏は、病院が顧客中心主義を打ち出した結果、無理難題を突きつける患者、他の患者に迷惑をかける患者が増えて、医療現場が荒廃したと指摘した。内田氏の主張について、病院を学校、患者を生徒に置き換えれば、現在の学級崩壊を説明できる。

 政治と社会の関係は、政治=主、社会=従である。もちろん、社会は政治に完全に従属するわけではなく、政治に対して影響力を発揮することもある。しかし、決して社会が政治より上に立つわけではない。我々国民は、生まれると国家から資源を与えられ、一生を通じて資源を有効活用し、死ぬ時にはより価値の高い状態で資源を国家に戻す責務を負っている(その反対給付として、諸々の権利が保障される)。国民の側から国家に対し声を上げるのは、政治による資源の配分が不公平である時、資源の有効活用・価値向上を阻害する政治的な要因がある時である。この点を無視して、社会が上に立って政治に何でも要求できるなどとすれば、政治は衰退する。
 日本は、安保法制成立前までは可能であった、日本を攻撃してくる国の戦闘機に補給する後方支援国に対して個別的自衛権の行使をできず、補給路を断てないため、攻撃をされ続け、究極的には自国を守れない。今国会で個別的自衛権の範囲がきわめて限定されてしまった。
(倉持麟太郎「政府答弁が描き出したトンデモ「我が国防衛」」)
 左派の安保法制批判は、もっぱら「日本が戦争に巻き込まれる」というものである。これに対して上記の記事では、今回の安保法制によって実は日本の自衛権が制限されてしまい、国防が弱体化すると指摘しており、興味深かった。安倍政権が、「後方支援を行う国に対して日本は個別的自衛権を行使できない」と方針転換したのは、日本が後方支援を行う可能性を残すためである。仮に日本が後方支援国に対し個別的自衛権を行使できるという態度を保ち続ければ、日本が逆に後方支援国に回った際、日本は被攻撃国の個別的自衛権の対象となってしまう。

 以前、「「集団的自衛権」についての私見」という記事を書いたが、改めて今回の安保法制の意義を考えてみると、こういうことではないだろうか?日本近海を巡回するアメリカ海軍艦艇が中国から攻撃されたとする。日本に対する直接的な武力攻撃ではないが、放っておけば日本本土の攻撃につながる場合は存立危機事態に該当し、日本は集団的自衛権を発揮して中国を攻撃する。ただ、これはアメリカを守るためというよりも、日本を守るためであるから、集団的自衛権という名前は適切ではなく、個別的自衛権の行使条件が広がったととらえるべきだろう。

 上記の場合において、日本が直接中国を攻撃するのも1つだが、別の選択肢として、近辺にあるアメリカ海軍艦艇を日本が後方支援し、アメリカ海軍艦艇を通じて中国を攻撃する、という手もある。おそらく、こちらの方が作戦としては現実性が高い。従来の法律では、このケースで日本がアメリカを後方支援することは不可能であった。今回の安保法制では「存立危機事態における後方支援」という枠組みで、アメリカ海軍艦艇に武器や燃料を供給できるようになる。
 「自立した理性的な市民」が社会契約によって政府(主権国家)を樹立するという主流派の政治モデルに対しては、有力な反批判もある。つまり、主権国家―戦争する国家―の担い手として「自立した理性的な市民」という虚構が考案されたのであり、この「市民」は「自立」していない女性・若者・労働者・少数民族などを抑圧しており、「理性」以外の人間の営み―戦争で亡くなった者を悼み、「誰の子どもも殺させない」と誓うこと、搾取や理不尽な差別への怒りと抵抗など―を抑圧しているという反論である。
(進藤兵「私は新しい種類の政治に票を投じたのだ」)
 スコットランドナショナリズムのように、世界のいたるところでナショナリズム復活の動きがあります。これは、デジタル革命によってもたらされた制御困難なコスモポリタンな世界が私たちにある種の負荷をもたらし、それがアイデンティティの不安をかき立てることに由来している面があります。私はそれを「コスモポリタン・オーバーロード」と呼びます。
(アンソニー・ギデンズ「「第三の道」以後の社会民主主義と世界を語る」)
 これはまるでマッチポンプだ。「自立した理性的な市民」を持ち出したのは啓蒙主義左派である。その一方で、左派が「自立した理性的な市民」なる概念を作り上げたがために、女性・若者・労働者・少数民族など、その概念からこぼれ落ちる人たちが生じてしまったわけである。差別撤廃運動は左派の十八番であるが、その原因は左派にあるという点に、左派は気づいていない。

 「コスモポリタニズム(世界市民主義)」は、太古の昔から左派が掲げてきたスローガンである。彼らにとって国家は悪であり、国家を取り払って世界が連帯することが目標である。ところが、いざデジタル革命によって世界がつながると、アイデンティティが不安に陥り、ナショナリズムが復活していると批判する。左派のお望み通りのコスモポリタニズムが実現しようとしているのに、直前になってやっぱり嫌だと駄々をこねているようなものである。

2015年11月20日

『習近平の蹉跌/中韓の反日に汚される世界遺産(『正論』2015年11月号)』―右派と左派の違いに関する試論

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正論2015年11月号正論2015年11月号

日本工業新聞社 2015-10-01

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 教室や世間で口にされている「平和と民主」そして「進歩とヒューマニズム」に関連するきれい事の文句がすべて彼(※この記事は、西部邁氏が自身の少年時代を振り返っているものであり、彼とは西部氏のことである)には気に入らなく、それに唱和するよう強いられると、吃音がいっそう悪化するという具合なのであった。平和は「負けて静かになること」であり、民主は「愚論が罷り通ること」であり、進歩は「新しいものにはむやみにとびつくこと」であり、ヒューマニズムは「人間へのオベンチャラを述べること」としか少年には思われなかったのである。
(西部邁「ファシスタたらんとした者 「敗北」を目の当たりにした少年の「鬱勃たる憂鬱」」)
 稚拙ながら、右派と左派に関する私なりの理解を、左派を中心にここで整理しておく。左派の根底にあるのは、唯一絶対の神と人間との関係である。左派は、人間が神と直接つながることを目指す。そのため、神と人間の間に存在するあらゆる階層を敵視する。

 日本では考えられないことだが、アメリカでは大企業や政府に対する国民の信頼度が定期的に調査されている。アメリカ人は潜在的に大企業や政府に対して不信感を抱いており、できることなら大企業や政府がなくなればよいと考えるためだ。アメリカ人は教育機関に制約されることも嫌う。学校の教育内容に賛同できなければ、学校を拒否して家庭内教育を選択する。だが、その家庭においても、親が子を、男性が女性を束縛することを左派は批判する。急進的な左派は家庭すら解体しようとする(日本で言えば福島瑞穂氏など)。

 左派は現在の社会構造を階級対立でとらえる。そして、闘争を通じて階級を撤廃し、極限まで平等を志向する。社会主義においては、労働者が資本家を打倒し、国家という枠組みも取っ払って、全世界の人々が世界市民として連帯する社会が理想とされる。全ての人間は平等に政治に参画する。そこで、意見集約のメカニズムとして民主主義が選択される。

 左派の立場は、完全無欠の神が自分に似せて人間を作ったのだから、人間もまた完全であるというものである。確かに、現実の人間は何かと不完全であるように見える。しかし、潜在的には完全性を内在しているのであり、やがてはそれが発露すると考える。人間が信仰を厚くすれば、神とつながり、完全性を表現できるというわけだ。近代の啓蒙主義は信仰の非合理性を説いたが、個人的には、啓蒙主義によって理性の合理性に目覚めた人間が、絶対的な神と手を取り合って、同盟関係を一層強固なものとしたように感じられる。

 左派の人たちは、人間の合理的理性を信じる一方で、技術に対しては懐疑的である。大量生産技術が高度化すると公害を持ち出し、原子力発電所が建設されると健康被害を持ち出し、ロボットが普及し始めると雇用の喪失を持ち出すなどして、何かと新しい技術に抵抗を見せる。技術は知識の集合であり、知識は力の源泉である。よって、技術を持つ人は他の人に比べて優位な立場に立つ。この上下関係が左派には許せないのである。だから、かつての急進派は、進取的な技術が次々と現れる工業社会を捨てて農業社会に戻れと主張したこともあった。

 こうなると、左派は進歩主義と呼ばれるのに、本当に進歩的なのかどうか怪しく思える。左派の究極の理想を端的にまとめるならば、経済的には技術革新を捨てて全ての人々が平等に農作業にいそしみ、政治的には全員が完全な理性を発揮し、連帯して意思決定する原始経済・民主主義社会となるだろう。いや、左派の人々は心の底から連帯を望んているのかさえ、私は疑問に感じることがある。前述の通り、個々の人間が完全性を獲得するのは、神との関係を通じてであり、他者との関係は考慮されない。真の左派はお互いに疎外されているのではないかと思う。

 以前の記事「高橋史朗『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』―戦後の日本人に「自由」を教えるため米ソは共謀した」でも書いたが、かつてGHQにはソ連のスパイがいたと言われる。そして、アメリカもどうやらスパイの存在には気づいていたらしい。GHQ主導で進められた戦後の教育改革にソ連の共産主義が大きく影響しているのは、米ソの共謀関係があったためではないかと考える。冷戦しか知らない私などからすると、アメリカとソ連が手を組むというのがどうも信じられなかった。さらに言えば、第2次世界大戦でアメリカとソ連が同じ連合国として戦った理由もよく解らなかった。

 だが、これまで見てきた左派の整理に従うと、アメリカもソ連も、個人の政治的な自由を重視し、社会として民主主義を追求する点では共通している。これが、両国を結びつけた理由なのかもしれない(民主主義の対極にあるファシズムは、両国の共通の敵となった)。戦後、両国が対立したのは、ソ連が独裁主義になり政治的自由が失われたことが大きいだろう。また、経済面でも、私有財産を認める、すなわち経済的な自由を認めるアメリカと、財産は国家の共有とする、すなわち経済的には不自由なソ連との違いがあまりに大きくなったことも影響しているに違いない。

 左派の話が長くなったが、最後に右派に触れておく。左派と比較した場合の右派の特徴は、①階層関係を肯定する、②人間の不完全性を前提とする、③他者との関係を重視する、などである(詳しくは、以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。保守的な日本人は合理性が限定され、限定的にしか政治に参加できない。日本の民主主義は未熟だと批判されるが、それは致し方ないことだ。日本人は民主主義よりも権威主義の方が親和性が高い(以前の記事「加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―「全体主義」と「民主主義」の間の「権威主義」ももっと評価すべきではないか?」を参照)。

 以前の記事「山本七平『危機の日本人』―「日本は課題先進国になる」は幻想だと思う、他」で、日本社会を多面体にたとえた。この話をもう少し続けると、その多面体の各頂点は柔らかい針金で結ばれている。特定の頂点を引っ張る、つまりある人がリーダーシップを発揮して何か変化を起こそうとしても、その頂点は他の様々な頂点と針金でつながっているため、引き戻されてしまう。現状維持の抵抗勢力が働くという意味で、保守的である。

 しかし、何度か頂点を引っ張れば、針金の方が根負けして多面体の形が変わる。それでも、針金は最後まで反作用を及ぼすため、多面体は頂点の作用が意図した形とは違う形に変形する。この比喩から導かれるのは、日本社会は暫時的にしか変化させることができないということ、そして、必ずしもリーダーの意図した通りの結果にはならないことが多い、ということである。

2015年11月18日

海外進出する中小企業が直面するリスクとその対応策(海外ビジネスセミナーより)

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danger

 海外ビジネスセミナーでリスクマネジメントの話を聞いてきたので、その時のメモ書き。
 《設問》
 A社は中小製造業である。主要取引先からインドネシアに進出するよう要請を受け、社内でフィージビリティスタディを行った。その結果、採算が取れる見込みが立ったため、インドネシアに自社工場を建設することとした。A社がインドネシアで直面する可能性のあるリスクと、その対応策を考えよ(都合により、設問はかなり簡略化している)。
 《リスク①》進出後に主要取引先から発注が来なかった。
 ⇒嘘のような話だが、この手の問題に直面する中小企業は非常に多いという。主要取引先の営業を担当しているのは、現場の営業社員ではなく、たいていは役員クラスである。役員が「我が社がインドネシアに進出すれば、主要取引先は我が社に発注すると言っている」と主張すれば、他の社員は信用せざるを得ない。ところが、その役員の話は、契約書などの十分な裏づけがなく、単に主要取引先の担当者と口頭ベースで会話した程度にすぎないのかもしれない。

 こういうリスクを避けるためには、事前に契約書を交わすことができれば理想である。だが、主要取引先もこれから不確実性の高い海外ビジネスを展開しようとしているわけであり、早期の契約締結には及び腰になる。よって、より現実的な対応策としては、特定の主要取引先に依存した海外進出計画にせず、できるだけ多くの見込み顧客を作った上で進出するのが望ましい。

 《リスク②》工場が納期通りに建設されない。手抜き工事が多発する。
 ⇒QCDが守られないのは現地の建設会社を使っているからだと思われがちだが、日系の建設会社でも(旭化成建材の例があるように)手抜きは起きる。だが、中小企業に工場建設の専門家がいることはまれであり、自社で建設会社をチェックするのは難しい。

 その場合は、現地の専門家を使うようにする。現地でひと月20万円も出せば、かなり能力の高い専門家を雇うことができる。ひと月20万円だから、1年間雇っても240万円である。その程度の金額で、年間生産額が億単位の工場を安全に保てるのであれば、安いものである。

 《リスク③》現地で調達した原材料に品質上の問題がある。
 ⇒製造コスト削減を目的として海外に進出するケースは非常に多い。現地の原材料を使えば、大幅なコストダウンも可能である。ところが、日本国内でも仕入先を変更するのには勇気がいる。たとえネジ1本であっても、よく解らない企業のネジを使って品質不良が起きたら大問題になるからだ。まして海外の仕入先を使うとなれば、そのリスクははるかに大きくなる。だから、進出直後は日本から原材料を輸出して、労務費の分だけコスト削減を目指すのが無難である。

 工場運営が安定してきたら、徐々に仕入先を現地企業に切り替えていく。その際、必ず調査会社などを使って信用調査を行うと同時に、仕入先工場の視察も欠かさず実施する。仕入先の経営者と面談し、工場で5Sが徹底されているかをチェックする。契約締結後も定期的に監査を行い、高い生産基準が保たれていることを確認する。なお、工場を視察する自社社員は毎年違う人にするべきである。同じ社員が監査を続けると、仕入先の社員と癒着するリスクがある。

 《リスク④》建設費、原材料費などが急に高騰する。
 ⇒アジアは日本を上回るスピードで経済成長しているのだから、建設費、原材料費、労務費、電気・ガス・水道代などは急に上がると腹をくくった方がよい。労務費は、経済的な要因だけでなく、政策的に引き上げられることもある。ASEANの中には、最低賃金が毎年10%単位で上昇する国もある(以前の記事「「ラオス投資セミナー」に行ってきた(日本―ラオス外交関係樹立60周年)」では、日本のある大手企業がラオスの急激な労務費高騰に悩んでいる事例に触れた)。

 海外事業の計画を立てる際に、将来のコストのシミュレーションが1パターンしかないのはやはり不十分である。コストが急増する場合も想定して、何パターンか試算を行う。そして、最もコスト負担が重たいケースでも事業が継続できることを確認する必要がある(よいシミュレーションとは、結果が取りうる値の範囲を示し、その範囲内である値を示す確率を明らかにすることである。ただ、時間が限られた中でそこまで厳密なシミュレーションを行うのは難しいため、実務の場面ではいくつかのパターン(シナリオ)を示すことで代用することが多い)。

 《リスク⑤》現地の社員(ワーカー)が集団離職する。
 ⇒日本と海外では、企業に対する帰属意識に差があり、海外ではどうしても離職率が高くなる。そこで、人間関係を重視する日本的経営によって、社員の忠誠心を高めることが1つの対策とされる。ただ、ワーカーが集団で離職する場合には、別の問題が潜んでいる。

 通常、現地でワーカーを採用する前には、ワーカーの採用を行う人事担当者を現地で採用する。そして、その人事担当者に権限委譲をして、ワーカーを採用してもらう。ところが、人事担当者に任せきりにすると、人事担当者の家族や親類ばかりを集めてくることがある。この状態で特定のワーカーが業務内容や待遇に不満を持てば、不満がすぐに伝搬し、皆で結託して集団離職することになる。だから、たとえ人事担当者に権限委譲したとしても、面接にはSkypeなどを使って日本本社の社員を参加させるなど、モニタリングをするべきである。

 《リスク⑥》日本から現地法人社長として駐在したキーマンが病気になる、死亡する。
 ⇒駐在員は非常に忙しい。特に、現地法人を立ち上げた直後は、顧客への営業、ワーカーの育成、製造ラインの確立、日本からの原材料輸入、現地当局との関係構築など、やるべきことが山ほどある。そういう状況を、駐在員を派遣した日本本社は意外と解っていない。日本本社は現地法人の様子を知りたいがために、やれあの報告書を出せ、これを調べろと次々と指示を出す。それが駐在員を苦しめる。挙句の果てに、「駐在員は海外赴任手当をもらい、かつ物価の安い国にいるのだから、さぞかしいい暮らしをしているのだろう」などと嫌味を言う。

 日本本社は、駐在員を過労にしないよう配慮するのも仕事である。決して、駐在員の仕事を増やすことが仕事ではない。それでも、キーマンに万が一のことが起きるかもしれない。そういう事態に備えて、代替要員、後継者を日本国内で確保しておくとよい。

 《リスク⑦》テロ、政変などが起きて工場運営ができなくなる。
 ⇒セミナーの講師によれば、「こればかりはどうしようもない」。最悪の場合、工場を全部捨てて日本に帰ってきても、日本本社がつぶれないような計画を立てるべきだという。仮に、海外進出して間もなくテロや政変が起きた場合、海外現地法人の債務を日本本社が背負うことになる。いきなり債務が増えた日本本社が、それでも経営を続けられるかどうかがポイントとなる。その債務に耐えるには、実は日本本社も向こう数年で国内事業を拡大させる必要があるのかもしれない。

 多くの日本企業は、国内市場に限界を感じて、海外市場に進出する。しかし、逆説的な話なのだが、海外に進出するからには、海外のリスクをカバーするために、国内事業も拡大しなければならないのである。日本政策金融公庫総合研究所の調査によると、海外進出している企業は、国内事業の売上高も伸びているというデータがある。その裏には、こういう事情も影響しているのかもしれない(以前の記事「日本政策金融公庫総合研究所『中小企業を変える海外展開』―日本企業の海外展開とその影響に関するアンケート」を参照)。


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