2016年01月29日
『終わりなき「対テロ戦争」(『世界』2016年1月号)』
世界 2016年 01 月号 [雑誌] 岩波書店 2015-12-08 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
(1)
沖縄の海兵隊は日本を守るために配備されているのではない。普天間飛行場は、西太平洋において、ハワイよりも西側にある唯一のヘリコプター基地である。アメリカは世界で7つの主要な安全保障条約を締結しており、そのうちの5つ、日本・韓国・フィリピン・タイ・オーストラリアが西太平洋地域にある。この地域の安全保障条約を担保するため、米軍は毎年それぞれの国々で軍事演習や合同訓練を行う。沖縄の海兵隊の主な役割は、その演習や合同訓練に参加することであり、日本はその居場所として基地を提供しているにすぎない。沖縄の基地は中国に対する抑止力となっているのか、軍事の門外漢である私にはよく解らない。上記のような記述があったかと思うと、同じ記事の別の箇所には次のように書かれている。
(伊波洋一「軍事戦略の中の沖縄」)
キャンベル国務次官補が「辺野古新基地は中国との戦争のための第三の滑走路」と説明したことが、ウィキリークスの暴露した極秘公電で明らかになっている。当時のルース駐日大使が米国務省やホワイトハウスに同年(※2009年)10月15日に送った長文の極秘公電に、「中国の軍事力の劇的な増大により、何か事が起きた場合、少なくとも3つの滑走路が利用できることが必要になってくる、とキャンベル国務次官補は述べた。(中略)」と記述されている。(同上)沖縄は日本の国土の0.6%しか占めていないにもかかわらず、73.8%もの米軍専用施設が集中している。素人的な発想だが、軍用施設があまりに集中しすぎていると、攻撃力は上がる反面、敵国から集中攻撃を食らうリスクも高くなる。軍事技術が発展した現代にあっては、沖縄ぐらいの広さの土地を一瞬にして焦土化することは難しいことではない。だから、そのようなリスクを回避するため、もっと基地を分散してもよいのではないかと考える。
基地の分散化は、軍事戦略の複雑化にもつながる。沖縄に基地が集中している現状では、日本が取りうる軍事戦略の幅もたかが知れている。つまり、敵国は簡単に日本の戦略を読むことができる。軍事戦略は機密事項である。それが他国に容易に察知されてしまうようでは、戦う前から勝敗が決しているのと同じだ。逆に、基地を分散化すれば、複数基地による合同作戦など、攻撃の選択肢が増えるから、それだけ軍事戦略を複雑にすることができる。辺野古が唯一の解決策と固執するばかりではなく、そういう視点からも軍事戦略を検討してほしいと思う。
日本は海洋国家である。日本の領土面積は38万平方キロメートルで世界61位だが、海洋面積(領海を含めた排他的経済水域の面積)は447万平方キロメートルと領土面積の約12倍で、世界第6位である。日本の海岸線の長さも、約3万キロメートルで世界6位だ。にもかかわらず、日本の自衛隊の構成を見ると、陸上自衛隊が約14万人であるのに対し、海上自衛隊はわずか約4万人しかいない(航空自衛隊も同じく約4万人)。これだけ広い海洋と長い海岸線をこの人員で防衛できるのか、はなはだ疑問である。どうやら自衛隊は、敵軍が領土に上陸した際の防衛に主眼が置かれているため、このような人員構成になっているらしい。
(2)
「なんで大阪に企業がいつかないのか。京都には京セラ、ワコール、村田製作所、ローム・・・。どこも東京に絶対に本社を動かさない、大阪は住友をはじめみんな東京にいってしまった。大阪に魅力がなくなっているからですよ」11月の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙で、自民推薦の候補者を応援した伊吹文明によるこの演説を聞いた聴衆はヤジを飛ばしたそうだ。ただこれは、大阪都構想に反対する自民党にヤジを飛ばしたと見るのが適切で、大阪から企業が消えているのは動かしがたい事実である。
(加藤正文「大阪ダブル選挙 市民は何を選んだのか」)
政治や中央官庁がある東京への集中度合いは、ここへきて加速する一方だ。銀行貸出残高の東京圏のシェアは52%。外国法人数は85%、資本金10億円以上の企業の本社数は62%、情報サービス・広告業の従業者数は61%。人口の約3割を占める東京圏が主要な経済指標で過半のシェアを握る。(同上)私も東京圏に住み、東京圏で仕事をしているので、偉そうなことを言える立場では全くないのだが、それを承知で少しだけ意見を述べたい。大阪から流出した人口を取り戻すのは容易ではない。東京の本社を大阪に移転させるのは極めて難しい。オペレーションを再構築しなければならないし、何よりも、大阪への移住を強いられる社員の負担が大きすぎる。
ここで、引用文にあるように、大阪から東京には本社が移転していったのに、逆の流れはなぜ難しいのか?という指摘があるだろう。かつて、大阪から東京に本社が移転した頃の企業は、結婚前の若手社員を多数抱えていたと推測される。若いうちは転勤に対する心理的ハードルがそれほど高くない。ところが、現在は社員の平均年齢も上がり、大半の人は子どもがいる家庭を抱えている。よって、社員が東京圏から離れることは難しくなってしまった(日本の年齢の中央値は、高度経済成長期(1956~1973年)の24~33歳に対し、2015年では46.51歳である)。
ビジネスパーソンを大阪に移住させるのが難しいとなると、次はリタイアした高齢者ということになるだろう。確かに、現役世代に比べれば、移住を敬遠する理由は少ないかもしれない。だが、高齢者の人口が増えれば、自治体が負担する社会保障費が増える。大阪は財政難のために都構想を掲げているのに、これ以上財政難にするような方策は現実的ではないだろう。
おそらく、1つだけ大きく人口構造を変えられる方策があるとすれば、それは大学の質を上げることではないかと考える(もちろん、大学改革も容易ではないことは重々承知している)。学生は出身地と異なる地域の大学に通学することにあまり抵抗を感じない。仮に大阪の大学生が増えれば、そのうちの多くは依然として東京圏に就職するだろうが、大阪に残って就職する学生も増えるはずだ。彼らがそのまま大阪に住み続け、家庭を持てば、大阪の人口は増加する。
確かに、少子化の影響で、自由に移動できる子どもの数そのものが減っている。だから、この方策も即効薬ではない。しかし、何十年かけて徐々に大阪からの流出が続いた現象を反転させるには、やはり何十年という単位の息の長い取り組みが必要になると思われる。
もう1つつけ加えると、大阪の人口を増やす方策は、大阪単独では実行できない。前述の通り、東京から大阪に多くの人を一気に移動させるのは現実的ではない。では、どうやって大阪に人を引っ張ってくるか?ここで、次のようなことが考えられる。まず、東京圏の西側に隣接するA地域が住みやすい街づくりを行う。すると、東京圏に住んでいた人のうち、A地域から東京圏に通勤してもよいと考える人が出てくる。これにより、A地域の人口が増える。さらに、A地域で新たに増えた人口をターゲットとした企業がA地域に現れ、雇用が増加する。
ここで、A地域の西側に隣接するB地域が住みやすい街づくりを行ったとする。A地域で増加した被雇用者のうち、B地域からA地域に通勤してもよいと考える人が出てくる。これにより、B地域の人口が増える。さらに、B地域で新たに増えた人口をターゲットとした企業がB地域に現れ、雇用が増加する。これをB地域の西側のC地域、C地域の西側のD地域・・・と繰り返して大阪まで到達すれば、東京圏の人口が徐々に西に移動する。つまり、大阪単独で施策を練るのではなく、大阪と東京の間に位置する地域とも共同で施策を実行しなければならないと思うのである。
(3)『正論』2016年1月号の「リベラリズムがイスラムに敗北する日」(岩田温)という記事で、ミシェル・ウエルベックの『服従』という小説が紹介されていた。『服従』は、ヨーロッパにおけイスラームの台頭をテーマとした近未来小説である。以下、孫引きで申し訳ないが、一部を引用する。
自由な個人主義という思想は、祖国や同業組合、カーストといった中間的構造の解体に留まっている限りは多くの同意を得られるが、家庭、すなわち人口構造、という究極の構造を変容しようとした場合には、失敗する。そこで、論理的にイスラームの時代がくるというわけだ。
服従 ミシェル ウエルベック 佐藤優 河出書房新社 2015-09-11 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
『世界』2016年1月号の記事の中には、パリの同時多発テロは、なぜパリが狙われたのか釈然としない、という指摘があった。
パリの同時多発テロは、9.11とは違っていた。フランスという国家に対する強い憎悪によってターゲットを選んでいないからである。(中略)連続テロが起きたパリ市の東部には国家権力を象徴するような施設はないし、富を象徴するような店もない。個人的には、フランスが狙われたのには一定の理由があると考える。フランスは、革命によって、現代の西欧が普遍的価値と位置づける自由、平等が生まれた地であると理解されている。だが、フランスの自由、平等は啓蒙主義の産物であり、啓蒙主義からフランスの自由、平等を経由すると、実はドイツのファシズムに到達する。このことを指摘したのは、ピーター・ドラッカーであった。以前の記事「栗原隆『ヘーゲル―生きてゆく力としての弁証法』―アメリカと日本の「他者との関係」の違い」でも、むき出しの自由がどのようにファシズムに至るのか描写を試みた。
(内藤正典「ムスリムの分断を狙ったパリ同時多発テロ」)
唯一絶対で無限である神と直線的につながることを志向する人間の理性は、神と人間との間に介在するあらゆる制度、組織、機構を排除する。国家、資本家階級はもちろんのこと、共同体や家族といった伝統的なシステムですら、個人の自由を束縛するものとして排除される。彼らは革命のために連帯を唱えるものの、実のところ連帯を望んでいない。なぜなら、連帯は必ず個人の自由をある程度制約するからだ。さらに、彼らはお互いの間に差異が存在することも認めない。差異があるとお互いを価値評価することにつながり、必ず不平等感を伴うためである。
こうして、彼らはお互いに全く区別のない同質の存在であろうとする。しかも、連帯を嫌い孤立を好む。彼らが結びつくのは唯一絶対の神のみである。彼らが神とつながる時、神の化身として創造された人間もまた、無限で絶対的な存在となる。これは、唯一絶対の神アッラーに対する信仰のみを極度に絶対化するイスラーム過激主義者と変わらない。彼らは信仰に基づいて連帯しているようでありながら、実際には自爆テロなどによって個人を前面に出す点でも共通する。
『服従』によれば、フランスでは伝統的な家庭が自由主義の名の下に崩壊しつつあるという。ということは、イスラーム過激主義を引きつける土壌がフランスに形成されていることを意味する。
ジハーディスト志願への誘いは、自己アイデンティティに深刻な亀裂を生じさせている若者の心をとらえます。亀裂を埋めてくれるし、自我の回復を可能せしめ、場合によっては新たな自己の形成、ということは迷いなどと無縁の信仰という補綴り物、完全なる理想を提供してくれるからです。フランスの若者にとって、イスラーム過激主義はフランス社会の伝統によって覆い隠された近代フランスの理想を再び知らせる契機である。だから、イスラーム過激主義がフランスにつけ入る隙が生まれるのである。同記事では、自爆テロについて以下のように分析されている。彼らは死ぬことで無限性を手に入れる=神と結ばれる=絶対的になろうとしている。
(フェティ・ベンスラマ「絶望している者にとって過激イスラム主義が一種の興奮剤である」)
殉教者というのは消えることで生き延びたいと思っている人間です。志願者にとって、それは自殺ではなく自己犠牲であり、その行為は絶対理想を通じての不死への移行なのです。彼が死ぬのは外見だけであって、無限を享受して生きつづけます。(同上)