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【城北支部国際部セミナー】「中小企業診断士による国際展開支援事例から、支援のあり方、診断士の役割を学ぶ」を開催
岡真理『記憶/物語』―本当に悲惨な記憶は物語として<共有>できず<分有>するのみ
イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか』―原因は中国人ではなく日本人の側にあった

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2016年03月30日

【城北支部国際部セミナー】「中小企業診断士による国際展開支援事例から、支援のあり方、診断士の役割を学ぶ」を開催


グローバル

 私が所属する(一社)東京都中小企業診断士協会 城北支部国際部で、「中小企業診断士による国際展開支援事例から、支援のあり方、診断士の役割を学ぶ」というテーマで、診断士向けのセミナーを開催した。ここ数年、国際部では、「海外ビジネスを検討・推進している中小企業を診断士がどのように支援することができるか?」というテーマでセミナーを実施している。今回もその一環である。講師には、神谷俊彦先生(株式会社ケービーシー代表取締役)坂口到先生(ISコンサルティング株式会社代表取締役)をお招きした。以下、セミナー内容のメモ書き。

 (1)JETROは、海外進出成功のポイントとして、①進出目的を明確にする、②信頼できる現地パートナーを見極める、③事前調査を入念に実施する、という3つを挙げている。だが、この3つをしっかり守っている中小企業はそれほど多くない。取引先から海外に来てくれと言われて何となく進出してしまった、現地を2~3回視察しただけで進出地域を決めてしまった、という例は多い。しかも、困ったことに、①~③が不十分でもある程度成功してしまう、運のいい企業もいる。

 だから、海外事業で赤字を垂れ流しても、「まだ海外に慣れていないから」、「これは授業料だから」などと言って赤字を正当化してしまう。そして、自社も辛抱強く事業を続けていれば、先行する他社のようにいつか成功すると信じてしまう。しかし、これはやはりよくない。だから、JETROが掲げる3つの成功要因には、④撤退条件を明確にする、というのをつけ加える必要がある。何年後に市場シェア○○%を達成できなかったら、顧客企業を○○社獲得できなかったら、月産○○台に乗らなかったら、原価率が○○%まで下がらなかったら撤退する、とあらかじめ決めておく。

 (2)海外ビジネスには、日本では考えられないようなリスクがつきものである。外国人もしくは現地にいる日本人に騙されたという話は、日本にいながらでもたくさん入手することができる。そういう話を聞くたびに、「自分は絶対そんな目には遭わない」と、自分のリスク回避能力を過信する人がいる。そして、そういう人に限って、まんまと海外で騙される

 この話を聞いて、私は日本における不動産詐欺の話を思い出した。不動産詐欺に最も引っかかりやすい人は誰かと言うと、実は法学部出身者である(そして、私も法学部出身だ)。法律に関する知識があるから騙されないとは限らない。逆に、なまじ法律の知識があるだけに、詐欺師はそこにつけ込みやすいのだという。専門知識があればあるほど、自分の知識を過信せず、詐欺に引っかからないよう用心しなければならない

 (3)中小企業はニッチ戦略で生き残るべきだとよく言われる(私はこれに対しては必ずしも同意しないのだが)。だが、海外で成功する企業を観察すると、核となる独自製品を持つと同時に、周辺製品やサービスでも収益を上げている。例えば、海外に進出したとあるネジの製造会社は、ネジを作るだけでなく、治具の製作や、ネジ製造用機械の修理サービスも行っている。日本の製造業は、自分で治具を作る、機械が壊れたら自分で直す、機械を分解して自分で掃除するのが普通である。しかし、海外の製造業はそこまでやらない。だから、日本企業が当たり前と思ってやっていたことが、海外では強みになることがある。

 他の製品分野に進出する際、コンサルタントはアンゾフの成長ベクトルを思い浮かべる。4つの象限のうち、新しい顧客に新しい製品を提供する多角化戦略は、中小企業にとってあまりにリスクが高すぎるので禁じ手とされる。ところが、ある日本の金型メーカーは、マレーシアでカフェを経営している。外部の人間が見たら意味不明である。だが、そのメーカーの社長曰く、よく解らないマレーシアでいきなり金型の製造ラインを立ち上げるのは難しすぎる。それよりも、手っ取り早く商売ができるカフェをまずはやってみて、マレーシアという国がどういうところなのか理解しようと思った、ということであった。なるほどそういう多角化もあるのかと考えさせられた。

 (4)ASEANでは昨年末にASEAN経済共同体(AEC)が発足し、単一市場・単一製造拠点ができ上がると期待が高まっている。ところが、実際のところ、日本企業にとってのASEAN人気は若干下がっている。なぜならば、TPPができたことによって、ASEANで製造しなくても、日本から直接アメリカなどに輸出すればよくなったからである。また、アメリカの労賃が意外と安くなっているという現状もある。アメリカの大統領選で各候補者が揃って格差を問題にしているのは、アメリカ国内の労賃が相当下がっていることの表れである。

 (5)コスト削減を目的に海外進出する製造業は非常に多いが、コストを下げるのはそう簡単ではない。労務費は確かに下がるものの、製造原価に占める労務費の割合はそれほど高くない(この点については、かなり昔に旧ブログの記事「製造業が海外生産をする理由」で触れた)。原価を下げるには、原材料を現地で調達しなければならない。ところが、ネジ1本でも現地で調達するのは容易ではない。現地のよく解らない企業から調達したネジが原因で不具合が発生したら大問題である。だから、進出直後はどうしても日本から部品を輸入することになる。同時に、現地の調達先を少しずつ発掘・育成する努力が求められる。

 取引先からの要請で海外に進出した企業にとっての盲点は、顧客企業から「海外で製造しているなら、日本国内の製品も安くなりますよね?」と言われることである。確かに海外では、コストが下がって安価になった製品を、取引先の現地法人に納入している。一方、日本国内では、従来通りのコストの製品を国内の取引先に納入するという流れは変わっていない。ところが、取引先はこの点を無視して、国内でも原価が下げられると考えてしまうのである。だから、海外進出計画を策定する際には、海外進出が国内の既存事業に与える影響も考慮する必要がある。

 (6)東京商工会議所では、年間延べ100社以上の中小企業の経営相談を行っている。そのうち、海外関連は3~4割だという。東商には総合商社出身の海外展開担当コーディネーターが数名在籍している。海外関連の相談を持ちかけると、コーディネーターが経営課題を整理・深掘りし、課題解決に最適な専門家をアレンジしてくれる。

 ところが、中小企業には商社が嫌いな人が多いそうだ。相談に来る中小企業も、商社を介さずに直接海外に輸出したいと言う。しかし、コーディネーターが話を聞くと、社内に貿易経験者はおろか、英語を話せる人もいないという。これでは海外展開は無理である。確かに、商社は高いコミッションを取ることがある。だが、商社は世界中のネットワークを活かして顧客を探してくれる、貿易実務をお任せできる、クレームの初期対応をしてくれるなど、メリットも多い。コーディネーターが総合商社出身だからというわけではないが、商社を上手く活用するのも手である。

 商社側の立場に立つと、商社が既にカバーしている顧客に対して販売可能な製品である方が、ビジネスが進めやすいという。また、商社も全ての製品に詳しいわけではないから、製品知識などの面でメーカーが協力してくれると大変ありがたいそうだ。

 (7)日本にいる時は冷静に判断できるのに、海外となると途端に冷静さが失われるケースは本当によくあるようだ。ある輸入卸売業の企業は、台湾からの製品を日本国内で販売していた。だが、輸入事業が先細りになったため、新規事業を検討することとした。すると、輸入元の台湾企業から台湾の大手飲食業を紹介され、「日本のいい食材があれば是非購入したい」と言われた。そこで、この企業は台湾への輸出事業に本格的に乗り出すこととした。

 この企業は、「台湾の大手飲食業から『引合』があったので輸出事業を始めることにした」と語っていた。しかし、「いい食材があれば購入したい」、つまり「安くて品質のいものがあれば買いたい」というのは誰でも簡単に口にすることであり、引合でも何でもない。仮に、日本の大手飲食業から同じことを言われたら、この企業の社長はおそらく社交辞令程度にしかとらえなかっただろう。ところが、舞台が海外となった途端に、何かおいしい話のように感じてしまうのである。

 別のセミナーで、シンガポールに飲食店を開こうとしている中小企業の話を聞いた。シンガポールに視察に行った社長は、現地の不動産会社から物件を紹介され、ろくに内覧もしないうちに、「今日中にお金を払ってくれたらあなたに売る。だが、今日払ってくれなければ、別の人に売ることが決まっている」と言われた。この機会を逃したらシンガポールにお店を持つことができないと考えた社長は、いつも相談に乗ってもらっていたコンサルタントに電話でこの話を伝えた。当然、コンサルタントは支払いを止めさせようとした。しかし、社長はコンサルタントのアドバイスを振り切って入金してしまった。その後どうなったかは、読者の皆様のご想像にお任せする。

 (8)坂口先生のコンサルティングのスタンスは、中小企業がこういう風にしたいという考えを持っている場合、まずは可能な限りその考えを尊重する。その上で、こういう別の方法もあるがどうかと柔軟に軌道修正するのだそうだ。私もこのやり方には賛成である(昔は私も理想論を振りかざしていたが、最近は止めた。年配の診断士には自分の経験を押しつけるようなアドバイスができない人が少なからずいるようで、中小企業との間でトラブルになることがあると聞く)。

 坂口先生はとても穏やかな方なのだが、稀に中小企業の社長に対して厳しいことを言うことがある。その一例が、ブログ別館「ニアム・オキーフ『あなたは最初の100日間に何をすべきか―成功するリーダー、マネジャーの鉄則』」で書いた中小企業だ。坂口先生とはセミナー後の懇親会でもじっくり話をさせてもらったのだが、坂口先生が厳しく当たったのは、「利益を上げて事業を継続する」という企業側の本源的な目的と、「何か成果を上げて周りの役員にいいところを見せたい」という社長の個人的動機が両立不能だったからである。コンサルタントの仕事は、その企業にとって何が最善かを考えることであり、社長を個人的に満足させるのは二の次である

 《お知らせ》
 誠に勝手ながら、4月は1か月間ブログをお休みさせていただきます。
 5月にまたお会いしましょう!



2016年03月28日

岡真理『記憶/物語』―本当に悲惨な記憶は物語として<共有>できず<分有>するのみ


記憶/物語 (思考のフロンティア)記憶/物語 (思考のフロンティア)
岡 真理

岩波書店 2000-02-21

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 企業においては、営業や新製品開発プロジェクトなどの成功体験を水平展開したり、組織の価値観を社員に浸透させたりするために、物語の<共有>という手法がとられる。価値観を共有するには、社員のどのような行動が価値観に合致しており、逆にどのような行動が価値観に反していたのかについて対話する(旧ブログの記事「変革を組織に定着させる「武勇伝」の効力」、本ブログの以前の記事「「起業セミナー」に参加された方にアドバイスした3つのこと」を参照)。

 成功体験を語るのは楽しい(あまりに楽しそうに語ると厭味ったらしくなるが)。そして、それを聞く方も、その話を参考にして自分が今以上の成果を上げられるかもしれないから興味津々だ。一方、失敗体験を語るのは苦痛である。だが、仕事における失敗は、それを経験した当時は死ぬような思いをしたかもしれないものの、後から冷静になって振り返ると、意と大したことがなかったと笑い飛ばせることが多いように思える(※)。話し手が笑い飛ばせるような話であれば、聞き手もそれほどストレスなく話し手の話に聞き入ることができるだろう。

 (※)かくいう私も、前職のベンチャー企業で酷い目に遭ったと思い、退職から2年近く経った頃から「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」を書き始めた。だが、いざ書き終えてみると、大半は割とどうでもよいことだったと思うようになった。今なら、このシリーズの内容に基づいて、笑い話を交えながら2時間でも3時間でも語ることができると思う。もっとも、中には本当に死ぬほどの思いをした経験も交じっているので、全部を正直に語るのは難しいのだが。

 企業における失敗の物語は<共有>することができる。しかし、本当に悲惨な経験、例えばアウシュビッツ強制収容所にいた時の経験、原爆投下から生き延びた経験、終戦後にシベリア抑留を経て帰国した経験、最近で言えば東日本大震災で家族を失った経験、福島第一原発事故により帰るべき場所を失った経験などは、<共有>できるのであろうか?

 生死にかかわるほどの異常な経験をした人は、2通りの反応を見せる。1つは、その体験を忘れたことにすることである。本書では、バルザックの短編小説『アデュー』が取り上げられている。

シャベール大佐 (河出文庫)シャベール大佐 (河出文庫)
オノレ・ド・バルザック 大矢 タカヤス

河出書房新社 1995-07

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 主人公のフィリップは、狩りの途中で狂気を患ったステファニーという女性に遭遇する。彼女が発するのは「アデュー(お別れね)」という一言のみである。そのステファニーこそ、フィリップの元恋人であった。2人はナポレオン戦争で離れ離れになるのだが、ステファニーは壮絶な戦争経験のために記憶を失っていた。フィリップはステファニーの記憶を取り戻そうと、2人がかつて時間をともにした風景を忠実に目の前に再現して見せた。すると、目論見通りステファニーは記憶を回復した。ところが、その瞬間、ステファニーは「アデュー」と言って息絶えたのである。

 私が昔大好きでよく読んでいた手塚治虫の『ブラックジャック』に似たような話があった。ある少年が炭鉱で働く父に弁当を届けに行ったところ、トンネルが崩落した。父は死亡し、少年は頭に重傷を負った。その重傷が原因で、少年は植物状態になるとともに、どういうわけか生理現象も止まってしまい、年齢を重ねても老化が進まなくなった。少年のこの現象を不思議に思った研究者は、少年の代わりに入院代を支払いながら少年の研究を続けた。

 ところが、いよいよ研究予算が厳しくなり、また病院としてもこれ以上少年を入院させ続けることは難しいということで、”死神”ドクター・キリコに安楽死を依頼した。この時点で、事故から65年が経過していた。そこにブラックジャックが現れる。自分が最後の望みをかけて脳の手術をする。24時間以内に少年が意識を回復したら自分の勝利だ。しかし、24時間経っても意識が回復しなければドクター・キリコの好きにしてよい、とブラックジャックは告げた。果たして手術は成功し、少年は意識を回復した。しかしながら、少年が意識を回復した途端、65年分の溝を埋めるように急激に老化が進行し、少年はそのまま老衰で死亡してしまった。

Black Jack―The best 14stories by Osamu Tezuka (10) (秋田文庫)Black Jack―The best 14stories by Osamu Tezuka (10) (秋田文庫)
手塚 治虫

秋田書店 1993-07

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 悲劇的な経験に対するもう1つの反応は、その出来事に固執するというものである。悲劇的な経験、特に愛する誰かを失った経験とは、理由なき死を強制されたという経験である。理由がないのだから、死は不条理である。だが、人間の頭は不条理を不条理のまま処理することができない。よって、何らかの意味づけをしたくなる。本書では、湾岸戦争で息子を失った母親のインタビューを取り上げた部分がある。母親の言葉には、息子を殺したアメリカは普遍的な悪であり、イラクはアメリカを倒すために立ち上がらなければならないというナショナリズムが表れていた。

 著者は、いずれの反応もエゴイズムに満ちていると論じる。記憶を失ったかのように振る舞う人の記憶を取り戻そうとするのは、記憶を失った人のためというよりも、記憶を取り戻そうとする人のためである。フィリップは恋人としてのステファニーを取り戻したかった。ブラックジャックは、ドクター・キリコに反して自分の正しさを証明しようとした。だから、エゴイスティックである。

 記憶を取り戻した当の本人は、空白の時間を一気に飛び越えて過去の記憶に接続される。私は、苦しみには利息がつくと考えている。放っておけば、複利方式でどんどんと苦しみが膨らむ。普通の人は、そうならないように、苦しみを自分なりに懐柔し、癒し、放出しながら、苦しみの元本を減らしていく。ところが、ステファニーや少年にはそれがなかった。だから、何十年分もの利息を含めた巨大な苦しみがいきなり我が身にのしかかる格好となり、2人とも圧死してしまったのである。少年の最期の言葉は、「何でそのままにしておいてくれなかったんだ」であった。

 2つ目の反応については、体験を語る方も語らせる方もエゴイスティックである。繰り返しになるが、体験を語る側は、意味なき不合理な死に意味を与える。彼は何のために死んだのか?その死を最も正当化しやすいのは、国家のために死んだことにすることである。国家でなくとも、死んだ本人よりもはるかに大きな何かのために死んだことにすればよい。しかし、死んだ本人が本当にそれを望んだのかは確かめようがない。本人の意思が不在のまま、後に残った人間が何か高邁な理由を与えることで自分を慰める。これもまた、エゴイズムの1つである。

 戦争のような悲惨な経験は、後世のために記録に残したいと考える。そのために、第三者は経験者にあれこれと語らせる。あの時何が起きていたのか?本人はどう感じていたのか?こういったことを事細かく具体的に記述すれば、記憶の保存に成功したと信じる。ところが、語らせる側が体験者の奥深くに踏み込めば踏み込むほど、体験者は当時の記憶に固定され、前に進むことができなくなる。体験者には、苦しみを癒す時間が与えられない。死の不合理はますます不合理となり、無理な意味づけはますます無理が重なる。歴史を記録しようという善意のつもりが、体験者を過去に押しとどめる結果となる。この点で、やはりエゴイスティックなのである。

 悲劇的な経験を真に他者と分かち合うということは、著者の言葉を借りれば、「他者との関係性において自分の生を肯定すること」である。それは、過去の一点にとどまって、「あの時どうだったか?」をいつまでもエゴイスティックに語るのではなく、「今、ここから私は他者とどのように生きるのか?」と未来志向で対話することである。この場合、本人の悲惨な体験は、おそらく他者と完全に共有されることはない。いや、むしろ、今までの議論からすれば、共有すべきではない。だから、本書において著者は<共有>ではなく<分有>という言葉を用いている。

 私の前職のベンチャー企業は最盛期で50名ほどの社員がいたが、私が在籍していた5年半あまりの間に、私が知る限りでもうつ病が4人(そのうち1人は退職後に自殺している)、ストレスに起因する尿管結石で救急車で運ばれた人が3人、自律神経失調症を発症した人が1人、持病の膠原病が悪化して毎日出社することが難しくなった人が1人いる。戦争と比べれば大した経験ではないけれども、それでもやはり異常な空間で仕事をしていたのは事実であって、このことが先ほども書いたように、前職の経験を全て笑い話に変えられない一因となっている。

 前職でこういうことがあったので、私も多少なりともうつ病に詳しくなった。うつ病を発症する原因には、外的な要因(ストレスに満ちた職場環境)と内的な要因(ストレスに過剰に反応してしまう本人の認知パターン)の2つがある。西洋医学的な考え方に従うと、原因を取り除くことがうつ病を治す近道である。ところが、職場環境を交換することなどできない。うつ病の治療において、特に転職は禁じ手だ。むしろ、仕事に慣れた元の職場に復帰することが第一の選択肢となる。

 内的要因、すなわち本人の認知の歪みを直すためには、カウンセリングを勧められることがある。ただし、カウンセリングは、時に幼少期の記憶にまで遡らなければならない。本人はただでさえ病気で苦しんでいるのに、カウンセリングでさらに心理的負荷をかけると逆効果になることがある。本人がすっかり忘れていたような、幼少期の悪い思い出まで掘り起こしてしまったら最悪である。よって、うつ病を治すには、西洋医学的に過去に焦点を定めるのではなく、過去はそれとして置いておき、今これから周りの人とどういう人生を歩むのかを考える方が効果的である。

 日本と中国・韓国の間では歴史問題が外交の火種になる。歴史問題を解決するには、双方が客観的な歴史的事実について合意を積み重ねていくことが重要だと言われる。だが、戦争という悲劇に関してそのような合意に至ることは不可能なのではないかと思う。日本が事実を提示すればするほど、中国・韓国は感情的になる。逆に、中国・韓国側から見れば、日本こそ感情的になっていると映るに違いない。だから、歴史認識の<共有>は見果てぬ夢である。

 最も現実的な道は、歴史に関する相互の認識の違いはあれど、それはさておき、今後の国際社会の中で日本と中国、日本と韓国がどのように協調するのかを語ることではないかと考える。昨年末、日本と韓国は、慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決したという合意に至った。本当は解決などしていないのだが、ひとまず慰安婦問題についてはこれ以上あれこれ言わずに、今後の日韓関係を前向きに議論しようという宣言である。この日韓合意に対しては、右派からは日本が真実を世界にアピールする機会を失った、左派からは日本の謝罪はまだ十分でない、などと批判されている。しかし、今の日韓にはこれしか方法がなかったと思う。

 ここで、悲劇的な経験を<分有>することしかできないのならば、我々は過去の大きな過ちの原因を十分に反省せず、同じ過ちを繰り返してしまうのではないか?という疑問が湧く。この点については、ひとまずこう答えることとしたい。我々、特に日本人は、過去の酷い体験を思い出す時、「あいつが悪い」と人間に原因を求める傾向がある。相手が人間だとどうしても感情的になり、「あいつ」をぶちのめしてやりたいというエゴイズムが生じてしまう。そうではなく、我々は「システム、仕組み、制度」に原因を求めるべきだ。悲劇の物語と事象の構造を分ける必要がある。

 すると、どのようなシステム、仕組み、制度にすれば問題の再発を防げるか?という冷静な発想が可能となる。欧米人はこういう考え方に慣れているので、重大な問題が起きると原因をシステマティックに分析し、解決策を局所に導入する。こうして歴史というものが積み重なっていく。一方の日本人は、「あいつが悪い」で終わらせて(名指しをされた「あいつ」も、実は大した責任を負わない)十分な検証をしないため、似たような悲劇が何度も繰り返される。万世一系の皇室が2000年以上も続いているのに、歴史らしい歴史が日本にないのはそのためである。


 《2016年3月31日追記》
 イエローハットの創業者で日本を美しくする会相談役の鍵山秀三郎氏は、『致知』2016年4月号の中で、東日本大震災からの立ち直りが早い人について次のように述べている。東日本大震災は、被災者にとっては非合理極まりない体験である。しかし、それにしがみつくのではなく、前向きに他者との新しい生を歩み出す人は立ち直りが早いようだ。
 まず第一は、志のある人です。ただ生活のためにパン屋をやっている人は、補助金をもらえる間は再開しようとは思わないのですが、地域の役に立つためにパン屋をやっているという志や使命感のある人は、一刻も早くパン屋を再開しないと地域の人が困ってしまうと考えるので、立ち直りが早いんです。

 もう一つ、孤独な人は立ち直りが遅いけれども、強い絆で結ばれた仲間がいて、いろんな人が励ましに来てくれるような人は、やっぱり立ち直りが早いですね。
(鍵山秀三郎、上甲晃「明日に託す思い」)
致知2016年4月号夷険一節 致知2016年4月号

致知出版社 2016-4


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 梅原純子『男はなぜこんなに苦しいのか』では、社会学者アーロン・アントノフスキーの研究が紹介されている。アントノフスキーは、過去にナチスの強制収容所体験がある更年期の女性の精神状態を調査した。すると、つらい体験があっても不調に陥らない人が30%いることが解った。彼女たちには、SOC(Sense of Coherence:首尾一貫感覚)という特徴がある。具体的には、①将来や先行きの見通しがつくという感覚、②何があっても何とかなるという思い、③出会うことや起こることには何か意味があるという考えのある人は、精神状態が良好である。

男はなぜこんなに苦しいのか (朝日新書)男はなぜこんなに苦しいのか (朝日新書)
海原純子

朝日新聞出版 2016-01-13

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2016年03月25日

イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか』―原因は中国人ではなく日本人の側にあった


日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)
イザヤ・ベンダサン 山本 七平

祥伝社 2005-01

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 《参考記事》
 イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他
 山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない
 安田元久監修『歴史教育と歴史学』―二項対立を乗り越える日本人の知恵

 イザヤ・ベンダサン(山本七平のペンネーム)の『日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか』を久しぶりに読み返してみた。「日本人は二項対立的な発想が苦手である」とか、「理想と現実のギャップが大きすぎると、現実を無視した理想論が独り歩きするか、現実に踏みとどまったまま硬直するかのどちらかである」と本ブログでは何度か書いてきたが、この考えの原点となった著書である。嫌中派が本書を手に取ったら、中国のことがズタボロに書かれていることを期待するだろうが、実際には日中不和の要因を日本人側に求めた1冊である。

 山本七平は、「明朝派日本人」、「清朝派日本人」という区別を用いている。詳細な説明は省くが、清朝派日本人として著者は平清盛、足利義満、新井白石、竹内式部(竹内敬持)の名前を挙げている。古代から近代にかけて、中国は自国こそが世界の中心であるという中華思想を掲げ、周囲の国と属国関係を結んでいた。ただ、属国関係と言っても、属国の政治に介入するわけではなく、あくまでも交易などを通じて文化的な影響力を及ぼすにとどまっていた。イギリスの「国王は君臨すれども統治せず」という有名な言葉が、アジアではやや異なる形で実現されていた。

 「政治的には独立するが、文化的には影響を受ける」という関係は、中国と日本との間でも成立していたが、写し鏡のように日本国内でも見られた。それが朝廷と幕府の関係である。幕府は朝廷から政治的には独立している。しかし、文化的には朝廷の影響を受ける。この関係を保ってきたのが朝幕二元体制であった。つまり、日本国内にも中国があったというわけだ。しかし、清朝派日本人は、外交面では中国の権力を、内政面では天皇の権力を絶対視しない。言い換えれば、「2つの中国」をともに認め、権力を相対的にとらえる点に特徴があった。

 平清盛や足利義満が宋と貿易を試みた際、中国から「物品を賜る」とか「日本国王に封ずる」といった文書が届くことに強い憤りを覚えた人々がいた。中国の手紙は上から目線で失礼だ、突き返せ、などという議論が内部で繰り返されたらしい。だが、当の平清盛や足利義満は、中国がそう書いたからと言って自身の国内における政治的権力には何の影響もないと解っていたし、交易を実現させる方が優先であった。こういう現実的な考え方が清朝派日本人の特徴である。

 一方の明朝派日本人には、これもまた詳細な説明は省くが、豊臣秀吉、山鹿素行、熊沢蕃山、本居宣長、平田篤胤、頼山陽、西郷隆盛がいる。彼らは、中国を絶対視する。ただし、絶対視するのは現実の中国ではなく、中国皇帝を中心とした理想の世界のことである。ここで、頭の中の理想にしがみつき、現実の中国が必ずしもそれと等しくないことに気づくにつれて、実は日本の天皇こそ中国皇帝にふさわしいのではないか?という論点のすり替えが起きる。中国の絶対化が天皇の絶対化に転じるわけだ。江戸時代に起きた中国ブームは、最初は中国を天孫、日本を賊としていたのに、次第に日本こそが天孫で中国を犬猿の類に格下げしてしまった。

 頭の中の理想が目の前の現実と異なる場合、明朝派日本人が見せる反応は2つである。1つは、自分こそが真の理想を体現しているとして、目の前の現実を攻撃することである。つまり、日本こそが中国であると主張して、中国を攻撃する。南京事件はこのパターンであった。

 もう1つの反応は、それとは正反対に、頭の中の理想を捨てて、自らを現実の方に合わせるようにひたすら反省することである。田中角栄が日華平和条約を破棄して日中平和友好条約を締結し、「土下座外交」と批判されたのがこのパターンである。この2つの反応の根っこは同じである。だから著者は、「南京を総攻撃するのも、中国に土下座するのも同じ」と述べる。明朝派日本人は、理想と現実の間で折り合いをつけるのが苦手で、極端な行動に出る傾向があるようだ。

 ちなみに、アメリカのキッシンジャーが極秘で北京を訪問し、ニクソン大統領が共産主義圏の大国であった中国と国交を正常化させたのは、日本とは全く事情が異なる。言うまでもなく、アメリカは中国に土下座したわけではない。当時のアメリカは、大国によく見られる構図として、対ソ連という大きな二項対立を戦っていた。アメリカは、二項対立の構図を四項対立にすることで、世界の均衡図を変えようとする意図があったように思える(以前の記事「ジョセフ・S・ナイ『アメリカの世紀は終わらない』―二項対立から二項混合へすり寄る米中?」を参照)。

 清朝派日本人は、以下の3つの理由で優れていたと考える。第一に、中国と日本、朝廷と幕府を二項対立の構図にはめ込むのではなく、政治的には独立するが文化的には影響力を及ぼすという、極めて曖昧かつ複雑な二項混合の関係に持ち込んだことである。本ブログでも何度か書いたが、日本は大国のような二項対立的な発想が不得意であり、それを回避する手段として両者を混合することがある。清朝派日本人もこの方法を用いたと考えられる。

 2つ目の理由として、文化的に影響を受ける、つまり中国と交易を続けることで、中国のリアリズムに触れる機会を保持できた点が挙げられる。日本人は、目に見える現象の処理は得意だが、目に見えない概念の取り扱いが弱点である。現実を直接この目で見ないと、浮世離れした頓珍漢な理想を描いてしまう。江戸時代の鎖国体制になって中国の影響力が減ると、明朝派日本人は頭の中だけで勝手な理想を描き、それ以外の選択肢を排除してしまったのだろう。

 これは現代でも同じで、日本企業は元々、顧客とじかに接してニーズを丁寧に拾い上げ、それを製品・サービスにきめ細かく反映させることで競争力を磨いてきた。そこに、アメリカ流の市場調査やデータ解析手法が流入し、顧客のことを見なくてもニーズが把握できるようなつもりになってしまった。だが、その途端に日本の魅力は落ちたのである。逆に、創造力に長けているのがアメリカ企業であり、イノベーション、すなわち新しい市場の創出を何度も行うことができる。イノベーションをめぐる日米の差は偶然ではない。源泉となる能力の質がそもそも違うのである。

 3つ目の理由は、中国と日本、朝廷と幕府は単なる二項混合ではなく、上下の階層構造にもなっていたことである。本ブログで何度か書いたように、日本という社会は階層が幾重にも重なっていた方が安定する。神と個人を直接結びつけ、間に組織や権力が介在することを嫌うキリスト教とは決定的に異なる。逆説的だが、下の階層は上の階層から影響力を受けることによって、かえって自由になる。しかも、責任は上の階層が取ってくれる。だから、下の階層としては、「仮に失敗したとしても上の階層が何とかしてくれるから、好きにやればよい」と、開放的に活動できる。

 著者は、明朝派日本人のような考えは、何も日本に固有ではなく、大国の周辺民族国ではよく見られるものだと指摘する。明朝派日本人のような人が現れるのは、大国の文化を一旦受容した証なのである。そして、そのような周辺国の態度が、世界に大きなインパクトを与えることもあると言う。だが、そこで終わってはならない。著者は周辺国に次のような役割を期待する。
 周辺文化は、受容であるがゆえに「客体化」しやすい。従ってそれは、思想史として客体化すれば、自らがそれを脱却して新しい文化を創造することも、客体化したものを他民族に手渡すことも、容易なはずである。
 最後にもう1つ考えなければならないのは、アメリカとの関係である。かつての日本にとっての中国は、現代ではアメリカである。日本はアメリカから政治的には(一応)独立しているが、貿易は依然として盛んであり、文化的な影響を強く受けている。アメリカは自由、平等、基本的人権、資本主義、民主主義の手本である。だが、アメリカが掲げる普遍的価値観は、必ずしも現実と合致していないのも事実である。ここで、明朝派日本人のアメリカ版なる人たちが現れて、「日本こそ真のアメリカだ」と言ってアメリカを総攻撃する日は来るのだろうか?

 日本とアメリカでは軍事力が全く違うので、日本がアメリカを攻撃などしないと考えるのは誤りである。75年前の日本は、アメリカと戦争をしても、長期的には到底アメリカの軍事力に及ばないから、戦争は回避すべきだという調査結果が出ていたにもかかわらず、真珠湾を攻撃した。日本とはそういう国である。明朝派日本人のアメリカ版みたいな人たちが現れないようにするためには、素朴すぎる提案だが、アメリカとの関係を切ってはいけない。間違っても、アメリカに背を向けた状態で、理想の自由、理想の資本主義などというものを日本国内で探求してはならない。



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