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「MSCマレーシア・ステータス」の概要(「マレーシアにおけるICT分野での投資・ビジネス機会セミナー」より)
門脇俊介『フッサール―心は世界にどうつながっているのか』―フレーゲとフッサールの違いを中心に
東京都産業労働局「企業向け障害者雇用普及啓発セミナー」に参加してきた

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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2016年05月31日

「MSCマレーシア・ステータス」の概要(「マレーシアにおけるICT分野での投資・ビジネス機会セミナー」より)

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マレーシア ペトロナスツインタワー

 (※)マレーシアの「ペトロナスツインタワー」。日本の建設会社ハザマがタワー1(左)を、韓国のサムスン物産建設部門がタワー2(右)を建設した。サムスン物産が建築を急いだせいか、タワー2には建築上の問題が発生した。最終的にはハザマの協力で解決したものの、「タワー2は傾いている」という噂が消えず、未だにタワー2のテナント入居率はタワー1を下回ると言われる。

 マレーシアでは、1996年にマハティール首相(当時)が国家プロジェクトとして「マルチメディア・スーパーコリドー(MSC)計画」を立ち上げ、自国をITハブにしていくべく、海外先進国から関連産業の誘致を積極的に行っている。「MSCマレーシア・ステータス」は、ICT企業ならびにICTを利用して各種サービスを提供する企業に対し、マレーシア政府により認定、付与されるものである。ワールドクラスのサービスの提供者であるという認証であると同時に、MSCマレーシアに規定された各種インセンティブ、権利や優遇策を受けることができる。

 「マレーシア・マルチメディア開発公社」は、MSCマレーシアを推進・実行するために設立された、マレーシア通信・マルチメディア省(日本の経済産業省と総務省の情報通信部門を足し合わせたようなもの)傘下の政府機関である。同公社が開催した「マレーシアにおけるICT分野での投資・ビジネス機会セミナー」で、MSCマレーシアの要件などの話を聞いてきた。

 <MSCマレーシア・ステータス適格要件>
 ①IT・マルチメディア関連の製品・サービスの提供者またはヘビー・ユーザーであること。
 ②多数の知識労働者を雇用すること。
 ③MSCマレーシアの発展に寄与することを示す明確な提案があること。
 ④MSCマレーシアの要件に適合する業務を目的とした、独立の法人を設立すること。
 ⑤MSCマレーシアが認定したサーバーシティないしサイバーセンターに活動拠点を持つこと。
 ⑥環境ガイドラインを遵守すること。

 <MSCマレーシアの10のギャランティー>
 ①ワールドクラスの物理インフラならびに情報インフラ。
 ②マレーシア人ならびに外国人知識労働者の無制限雇用。
 ③マレーシア資本要件を免除することにより、自由な企業所有形態。
 ④海外からの資本金導入ならびに海外からの借入れ自由。
 ⑤最高10年の100%法人税免除、または最高5年の投資減税。
  マルチメディア機器の輸入税免除。
 ⑥知的財産権の保護およびサイバー法。
 ⑦インターネットの検閲なし。
 ⑧グローバルに競争力のある通信料金。
 ⑨主要企業にはMSCマレーシア関連のインフラ・プロジェクトへの入札権。
 ⑩マルチメディア開発公社(MDEC)によるワンストップ・エージェンシーサポート。

 以下所感。ギャランティー②は非常に魅力的であると感じた。通常、新興国は経済成長のために積極的に海外から投資を呼びもうとするが、同時に自国の雇用を守り、技術水準を上げたいとも考える。よって、外国人雇用には厳しい規制がかかることが多い。例えば、ワーカーは全員自国民にせよ、知的労働者に占める外国人の割合を一定以下に抑えよ、最初はある程度外国人の知的労働者を雇用してもよいが、徐々にローカルスタッフに置き換えよ、といった規制である。インドネシアには、人事部長を外国人にしてはならないという変な(?)規定もある。なお、各国の詳しい規制は、JETROの「外国人就業規制・在留許可、現地人の雇用」が参考になる。

 ギャランティー⑦については、逆に普段はインターネットの検閲をしているのかと突っ込みたくなった。国境なき記者団は、下図の通り、各国のインターネット検閲状況をレイティングしている(青:検閲なし、黄:多少検閲あり、赤:国境なき記者団の監視対象(厳しい検閲を実施)、黒:大変厳しい検閲を実施、Wikipedia「ネット検閲」より)。

インターネット検閲の状況(世界)
 
 ASEAN10か国に関して見てみると、
 黒:ベトナム、ミャンマー
 赤:タイ、マレーシア
 黄:シンガポール、ラオス、インドネシア
 青:ブルネイ、フィリピン、カンボジア

 となり、マレーシアはASEANの中で検閲が厳しい方の部類に入るようだ。

 ギャランティー⑧に関しては、マレーシア・マルチメディア開発公社の担当者も本音をこぼしていたが、マレーシアの通信コストは必ずしも安くない。JETRO「第22回アジア・オセアニア主要都市・地域の投資関連コスト比較(2012年4月)」を基に、ブルネイを除くASEAN9か国に日本を加えた10か国のインターネット接続料金(ブロードバンド)の比較表を作成してみた。月額費用に関しては、下限金額と上限金額の両方が記載されている国(シンガポールなど)と、金額が1つしか記載されていない国(日本など)がある。後者については、グラフを作成をする上で便宜的に「月額費用(上限)」に記入しているが、実際には平均費用ととらえて構わないと思う(金額:ドル)。

ASEAN通信費比較(2012年)

 <インターネット接続料金(初期費用)>
 初期費用をグラフ化すると以下のようになる。ミャンマーが飛びぬけて高い。
ASEAN通信費比較(2012年)(初期費用)

 <インターネット接続料金(月額費用)>
 月額費用のグラフは次のようになる。棒グラフが宙に浮いている国は、上限額と下限額のデータがあった国である。通常の棒グラフの国は、金額が1つしか記載されていなかった国であり、平均費用を意味していると考えられる。こうして見ると、マレーシアのインターネット接続料金はASEANの中では高い方である。ただ、上記の表で補足したように、インターネット接続料金に関しては、国によって通信速度などの前提条件が異なるため、単純に金額だけを比較することが難しい。そのせいか、JETROも2013年5月以降の報告書ではこの金額を掲載しなくなった。
ASEAN通信費比較(2012年)(月額費用)

 現在のマレーシアは、通信インフラへ積極的に投資を行っているそうだ。現在、マレーシアからシンガポールを経由して日本へと至る通信ケーブルが敷かれているが、現在これに加えて、マレーシアと日本を直接結ぶ通信ケーブルを開発中であるという。さらに、マレーシアの西側についても、マレーシアからスリランカを経由してインドへと至る通信ケーブルの工事が進んでいる。これらの通信ケーブルが完成すれば、マレーシアの通信コストが下がることも期待できる。

2016年05月29日

門脇俊介『フッサール―心は世界にどうつながっているのか』―フレーゲとフッサールの違いを中心に

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フッサール ~心は世界にどうつながっているのか (シリーズ・哲学のエッセンス)フッサール ~心は世界にどうつながっているのか (シリーズ・哲学のエッセンス)
門脇 俊介

NHK出版 2004-01-30

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 飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1)(2)
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 『哲学のエッセンスシリーズ』は、10年ほど前に中小企業診断士の勉強の合間に読んでいたものである。診断士の勉強の傍らで読んでいたため(言い訳)、ほとんど理解できなかった。本棚に眠っているのを見て、昨年あたりから久しぶりに読み返しているところである。このシリーズは大体100ページ程度の薄い本なのだが、どれも本当に難しい。今回のフッサールの本も、この記事を書くために2回読んだものの、とても十分に理解できたとは言えない。上記のクリプキとデイヴィドソンを先に読んでいなかったら、もっとチンプンカンプンだったかもしれない。

 (※)以下、私が理解したことを書いていきますが、哲学に関する私の知識など大したものではなく、大いに間違っているかもしれませんので、もしおかしな点に気づいたらコメント欄やメールなどで教えていただけると大変ありがたいです(他力本願)。

 クリプキについておさらい。クリプキは、「ブルー」と「グリーン」の合成語である「グルー」という言葉を用いて、あらゆる言葉に意味はないと論じた。だが、このままでは会話が成立しないから、ヒュームの「投影主義」を導入する。私が「AはBである」と言う時、AにもBにも確定した意味はない。つまり、「AはBである」は真とは言い切れない(事実に関する言明ではない)。しかし、「AはBである」と言うことで、「確かにこの世界においてAはBである」という私の”主観的”な「態度」を投影することができる。コミュニケーションとは、お互いに相手の態度を読み取ることである。

 デイヴィドソンは、我々が日本語、英語、フランス語・・・などと呼ぶ言語は存在しないと主張する(あくまで哲学の世界における話である)。デイヴィドソンは「T-文」という概念を導入する。T-文とは、「『・・・』が真であるのは、・・・の場合その場合に限る」という形式の文である。「『雨が降っている』が真であるのは、雨が降っている場合その場合に限る」といった具合だ。

 日本語で説明してもピンと来ないが、例えば私が未知の民族と遭遇し、彼らが「daGagR・・・」と言ったとしよう。最初の頃は、私には何のことか解らない。しかし、彼らと長く一緒にいると、彼らは雨が降るたびに「daGagR・・・」と言っていると気づく。そこで、「『daGagR・・・』が真であるのは、雨が降っている場合その場合に限る」というT-文が成立する。T-文は、文の真偽値を”客観的”に確定する仕掛けである。ただし、本当に「真である」と言い切るのは難しいため、現実的には「真とみなす」という緩和措置が取られる。これを「寛容の原理」と呼ぶ。

 我々人間は世界をどのように表象しているのか?という問いについては、哲学の世界で様々な議論が繰り広げられてきた。プラトンはイデアという概念を持ち出し、人間の理性にはイデアがあらかじめ備わっていて、現実の世界をイデアに照らし合わせて認識していると説いた。プラトンのような考え方は決して特殊ではなく、哲学の世界においてはむしろ長年の間主流であった。デカルトは次のように考えている。
 例えば私が目の前にあるペンを知覚しているとき、私はこのペンを直接に知覚しているのではなく、ペンについての現れつまりクオリアを知覚しているのだと、デカルトは考える。心の内面の劇場に出現する現れのうち、ペンのような外界の事物についての現れは、その現れが即事物の実在を保証しないから(錯覚や幻覚がありうる)、知識の本当の基礎としては脆弱である。
 クオリアとは「感覚質」と訳され、心の中で完結した心象を意味する。つまり、人間が外界を知覚する時、彼が見ているのは外界の客観的な事物ではなく、心の中の主観的なイメージなのである。デカルトは、懐疑主義の立場に立ち、知覚した事象の真偽は断定できないとした。ただし、今ここで私がこうして「考えているということ」だけは疑いようのない事実である。ここから、「我思う、ゆえに我あり」という、かの有名な言葉が生まれた。

 さらに言えば、私が考えているということは、本当に私に帰属するのかも疑わしい。私が考えているということが、他の人が考えているということとは違い、他ならぬ私が考えていることだとどうして言い切れるだろうか?他の人が考えているということが、私の意識を支配している可能性はないのだろうか?この懐疑が発生する限り、「我思う、ゆえに我あり」の「我」は、特定の人間を指すことができない。つまり、本当に確かなのは、「考えているということ」だけである。この考え方を突き詰めていくと、近代の全体主義につながる恐れがあることは、以前の記事「斎藤慶典『デカルト―「われ思う」のは誰か』―デカルトに「全体主義」の香りを感じる」でも書いた。

 近代哲学においては、表象は人間の心の中で結ばれる主観的なものとされた。私は、唯一絶対の神が自身に似せて完全な合理性を持つ人間を創造した、という西洋の宗教観が強く影響しているのではないかと考えている。人間は生まれながらにして世界を知り尽くした完全な存在なのだから、外界の動きと連動せずとも、表象は心の中で完結させることができる。近代哲学と宗教の関係については、今後もっと理解を深めていかなければならないと感じている。

 さて、フッサールの話に入る前に、フレーゲに触れなければならない。フレーゲは「文中心主義」の立場に立ち、文の意味を心の働きやイメージといった主観的要素から切り離した。
 「ソクラテスは美しい」という(おそらく偽の値を持つ)文の意味とは何か。フレーゲが退ける伝統的な答えは、そのような文を生みだす心のはたらきや、文に伴って生みだされるイメージが文の意味であって、それが表現されて他者に伝達されるというものである。(中略)

 しかし、そのような主観的なものに頼っていては、私たちは、世界についてきちんとした報告をしたり、お互い同士で同じ言葉の意味を理解し合うことはできないのではないか。むしろ私たちが言葉の意味を共通に理解し合えるのは、文が真あるいは偽という、世界の客観的な状況に応じて値を持つという事実があるからではないだろうか。「ソクラテスは美しい」という文の意味は、ソクラテスが美しいときにその文は真であり・そうでなければ偽であるという、きわめて単純な一事に尽きる。
 フレーゲによれば、文の「意味」とは真偽の値である。ここでフレーゲは、「意味」と「意義」を区別する。例えば、「宵の明星」と「明けの明星」は同じ金星を指すという点では、意味は同じである。しかし、我々が敢えて宵の明星と明けの明星を使い分ける場合には、何らかの意図が働いている。これをフレーゲは「意義」と呼んだ。ただし、あくまでも文中心主義を貫くフレーゲは、「意義」の作用や源泉について積極的に論じようとはせず、物でも主観的表象でもなく、「第3の領域」に属するなどと述べて態度を明らかにしなかった。

 フッサールもフレーゲに倣った整理をしている。言葉の用法がややこしいのだが、フレーゲが「意味」、「意義」と呼ぶものを、フッサールはそれぞれ「対象」、「意味」と呼んでいる。フレーゲとフッサールの最大の違いは、意味(フレーゲの意義)に対してフッサールが積極的な評価を行ったことである。フッサールは、対象が存在せず、意味単独でも意味が成立するとさえ主張した。ここで言う意味とは、「・・・であれかし」と望むことであり、「信念の志向性」と呼ばれる。フレーゲ(や他の哲学者)とフッサールのもう1つの大きな違いは、他の哲学者が知覚というあやふやな概念を扱うことを嫌ったのに対し、フッサールは知覚にも志向性を認めたことである。

 フッサールによれば、例えば私がペンを見た時、まずは知覚の志向性が働く。ペンの一部を見て、おそらくこれはペンであろうという認識を持つ(この段階ではまだ文にはなっていない)。部分的な経験から事物全体へと向かうことを可能にするものを、フッサールは「質料」と呼ぶ。次に、「これはペンである(これはペンであれかし)」という信念の志向性が現れる。そして最後に、「これはペンである」という文が発せられるのである。知覚の志向性が言語表現の志向性に透明に転写されるのかをめぐっては議論があるようだが、私の力量を超えるので今回は省略する。

 このように書くと、至極当たり前のことをフッサールは言っているようにも思える。ところが、繰り返しになるが、伝統的な哲学は全く異なる発想に立っていた。従来の哲学においては、外界から人間の心に向かって矢印が伸びており、人間が心の中で主観的な像を結んでいた。ただ実際には、表象は心の中で完結させることができるため、矢印は弱い点線で描くのが適切だろう。これに対して、フッサールの哲学では、人間の心から外界に向かって志向性という矢印が強く伸びて、対象をつかまえようとしているような印象を受けた。

 と、以上のように私は理解してきたのだが、本書の最後の最後で著者は次のように述べており、世界と心の関係がそんなに単純ではないことを思い知らされてしまった。
 私が知覚から命題・推論の表現がなされると述べるとき、知覚という内面から命題・推論が真理を取りだして外面へともたらすという、内から外への関係を考えているのではない。知覚はすでに世界へとコミットする信念として、十分に世界という外部のもとにある。
 単に内から外へと伸びる関係ではなく、信念が世界へとコミットするとはどういうことであろうか?信念と世界とを矢印で結ぶような時間の流れではなく、信念が外部の世界の下にあるという同時性は何を意味しているのだろうか?この辺りを探究するのが今後の私の課題である。

2016年05月27日

東京都産業労働局「企業向け障害者雇用普及啓発セミナー」に参加してきた

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多様性

 法政大学の坂本光司教授は、『日本でいちばん大切にしたい会社』シリーズで、障害者雇用に注力している企業を多数紹介している(日本理化学工業株式会社〔チョーク製造〕、株式会社大谷〔印章販売〕、ラグーナ出版〔精神障害関連の書籍出版〕、株式会社協和〔ランドセル〕、株式会社障がい者つくし厚生会〔ゴミ処分場運営管理〕など)。2018年度からは、障害者雇用率=(身体障害者および知的障害者である常用労働者の数+失業している身体障害者及び知的障害者の数)÷(常用労働者数+失業者数)の分子に精神障害者も含めることとなり、現在2.0%とされている法定雇用率が上昇すると予想される。以下、セミナー内容のメモ書き。

 (1)日本には障害者が約700万人おり、人口の約6.5%を占める。内訳は、①身体障害者=393.7万人、②知的障害者=74.1万人、③精神障害者=320.1万人である。合計すると787.9万人となり700万人を超えるのは、複数の障害を持つ人が重複してカウントされているためである。精神障害に属する発達障害とは、主に①学習障害(LD)、②注意欠陥・多動性障害(ADHD)、③自閉症スペクトラム(ASD)の3つである。文部科学省の調査によると、全国の小中学校の生徒のうち6.5%が発達障害を抱えているとされる(内訳は、LDが4.5%、ADHDが3.1%、ASDが1.1%)。この割合を日本の人口に換算すると800万人となり、先ほどの700万人を超える。

 研究によれば、大人になるにつれて、LD、ADSD、ASDは重なり合うようになることが解っている。また、かつては自閉性障害とアスペルガー障害を別物として扱っていたが、アメリカ精神医学会が公表しているDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)の第5版では、自閉症スペクトラム(ASD)に一本化されている。つまり、自閉症障害とアスペルガー障害は連続体として把握されている。ASDは別名「シリコンバレー症候群」と呼ばれるように、シリコンバレーで働く人に多い。実に4分の1がASDと推測されている。だが、NASAに至ると半数がASDとも言われる。

 (2)LDは比較的新しいタイプの障害であると、以前観たテレビ番組で紹介されていた記憶がある。人間は何万年も前から話し言葉を使っているのに対し、書き言葉を用いるようになったのはわずか数千年前のことにすぎない。そのため、脳が書き言葉に慣れておらず、LDのような障害が起きるのだという。LDはどういう症状なのか私はよく解っていなかったのだけれども、早稲田大学教育・総合科学学術院の梅永雄二教授が解りやすい説明をしてくださった。

 日本語のカタカナは、漢字由来の文字である。だが、同じ漢字圏の中国人、タイ人、ベトナム人には、カタカナを読むことが難しい。例えば、「シーツ」は「シーシ」や「ツーツ」に、「ソリ」は「ソソ」や「リリ」になってしまう。梅永教授は教え子である中国人留学生から、「カタカナに漢字で読み仮名を振ってほしい」と言われたことがあるそうだ。こういう気持ちになるのがLDである。

 LDの人は、丸ゴシック体の文字は読める。しかし、明朝体は読むのが難しい。例えば、木偏の1画目の右端が山型になっていると、それが邪魔になって読めなくなる。LDの人には、明朝体の文字が道路地図のように見えるという。我々はLDの人に対して、親切心で漢字に振りがなを振りたくなる。ところが、その振りがなが今度は草冠や竹冠などに見えて、余計に読めなくなるから注意しなければならない、というのが梅永教授の話であった。

 (3)一般的に、仕事に必要なスキルには、ハードスキルとソフトスキルがある。ハードスキルとは、業務に特化した能力や知識のことである。ソフトスキルとは、仕事以外の能力を指す。具体的には、対人関係能力(挨拶、協調性、明るい表情など)、コミュニケーション能力などである。コミュニケーション能力は、経団連が新入社員に要求する能力として1位に挙げるほど重要視される。だが、ASDはこの対人関係能力やコミュニケーション能力にこそ問題がある。しかも、訓練でどうにかなるものではなく、障害なのだから本人がどう頑張ってもできない

 この点を忘れて、ASDの人に「ちゃんと挨拶をせよ」、「周りの社員ともっとコミュニケーションを取るように」などと言うのは酷である。足を骨折している人に全速力で走れと命令するのと同じだ。だから、ASDの人を採用する場合には、事前に職務分析を行って、対人接触をさほど必要としない仕事を切り出すなど、工夫が必要である。また、音に敏感なASDの社員が作業に集中できるよう、ノイズキャンセリングヘッドフォンを用意する、自分からは話しかけられないASDの社員には周りの社員から積極的に話しかけるなど、職場環境を整えることも重要である。

 (4)先ほどのソフトスキルの中には、日常生活における能力も含まれる。発達障害の人は、普通の人と同じように日常生活を送ることができない人が多い。梅永教授の元に相談に来たある東大卒の学生は発達障害を抱えていた。彼は、大学院の試験に合格するほど優秀なのに、企業からなかなか内定がもらえずに悩んでいた。梅永教授が彼の様子を見ると、爪が伸びっぱなしであった。そこで、「爪はちゃんと切った方がいいよ」とアドバイスしたところ、「先生、東大では爪の切り方なんて教えてくれませんでしたよ」と真顔で返されたという。

 別の学生は、髪をきれいに洗うことができなかった。シャンプーは使っているようなのだが、シャンプーをつけて手で撫でるだけであった。それを繰り返すうちに、髪の上にシャンプーの層ができ上がり、古いシャンプーが臭うようになる。日常生活能力の欠如は、就労の上で障害となる。ただし、東大生の言葉を裏返せば、彼らは「やり方さえ教えてもらえればできる」ということでもある。日常生活能力に関しては、我々が当たり前のこととして無意識のうちに行っている手順・作法を1つずつ丁寧に教えれば、発達障害者でもクリアできる

 (5)梅永教授の講演に続いて、発達障害者の雇用に注力する2社の事例発表があった。1社目(A社)はメッキ加工業。メッキ加工は典型的な3Kの仕事であることに加え、社員の高齢化が進んでおり、人材の確保が課題であった。A社は戦力として発達障害者を採用している。採用にあたり、まずは自社の職務分析を行い、反復作業とそうでない作業に分けた。さらに反復作業を深掘りし、発達障害者に適した作業を絞り込んだ。こうした入念な準備の後に採用を行った。

 A社では、障害者の雇用推進者を管理部長とし、障害者が配属された部門と緊密に連携を取るようにしている。また、定期的に全社員を対象とした職場懇談会を行っており、研修・啓蒙に努めている。A社は障害者の採用にあたり、東京障害者職業センターの「ジョブコーチ支援制度(障害者が職場にスムーズに適応できるよう支援をする公的なサポート制度)」を活用した。さらに、障害者の職場定着に向けて、保護者・関係先とも連携を図っている(特別支援学校、東京都特別支援教育推進室、ハローワーク、東京しごと財団、東京障害者職業センターなど)。

 (6)2社目(B社)は、あるグループ企業の特例子会社で、親会社、東京都、多摩市が出資する第3セクター方式の「重度障がい者雇用モデル企業」である。事業内容は、農業、清掃業務、庭園管理、食堂運営、ギフトサービス事業、ショップ運営、オフィスサービス業務など多岐に渡る。知的障害者は対人関係を伴う簡単な反復作業、発達障害者は事務作業が中心である

 B社では、発達障害者が職場に定着できるよう、様々な工夫を施している。まず、作業はペアあるいは複数人体制で行うこととしている。単独作業で放っておくと、同じ作業を延々と続けてしまう恐れがあるためだ。発達障害者には、状況判断を必要とする作業をさせないようにしている。彼らはややもすると思いつきで行動することがあり、うっかりミスにつながるためである。

 発達障害者の仕事は、極力対人接触がないように設計されているものの、仕事である以上最低限の対人接触は発生する(B社の場合、ペアあるいは複数人体制を採用しているため、どうしても対人接触が生じる)。当然、相性が合う・合わないといった問題が生じるが、仕事として割り切って対応するよう本人とは話し合いを重ねている。ただし、発達障害者は、自分と相性の悪い人がいると感情的になって排除しようとする傾向がある。そのため、どうしても相容れない社員がいる場合は、ローテーションを組んで可能な限り一緒に仕事をしないように配慮している。

 B社の担当者は、我々から見ると一見非合理に見える行動が、障害に起因するものなのか、本人の特性・性格なのかを見極めるのに苦労しているとおっしゃっていた。

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