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【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(2/2)【写真大量】
【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(1/2)【写真大量】
インドネシア・マレーシア・ベトナムにおける人材採用&人事労務最新動向

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年06月30日

【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(2/2)【写真大量】





DSC_0073 2日目は最初に「大宮子易両神社」に参詣。羽前・羽後地方の鎮護と人々の生命の守護神として712年に創建された古社。 安産、子育ての神として有名だそうだ。

DSC_0074 祀られているのはサルタヒコという神。サルタヒコは、天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神である。

DSC_0075 内部には祭りの様子を描いた絵画が何枚も保存されていた。

DSC_0076 大宮子易両神社とは全く無関係に、同じ境内の中に「和合宮(わごうのみや)」というものが設置されている。男性と女性の性器に似た石を祀っている。「金丸太郎」は新潟県金丸村で、「種沢花子」は小国町種沢で発見された石である。

DSC_0077 金丸太郎と種沢花子の結婚式の様子。ちなみに、まだ子どもにあたる石は見つかっていない。小国町には「子持トンネル」という場所があり、その場所からいい石が採れるといいのだがと話していた。

DSC_0079 続いて、「小国グリーンエナジー合同会社」を訪問。同社は「ペレットマン(pelletman)」というブランド名で、ペレットストーブを販売している。ペレットストーブは日本ではまだそれほど馴染みがないが、ヨーロッパでは40年ほど前から家庭に普及しているという。

DSC_0081 ペレットとは、木のくずを凝縮して小さな塊にしたものである。薬のカプセルを一回り大きくしたような感じである。どんな木であってもペレットを作ることは可能だという。しかも、木を凝縮する段階で、木に含まれているリグニンという物質が染み出し、リグニンが接着剤の役割を果たすので、特別な接着剤を用いる必要もない。

DSC_0082 1日のペレット消費量は約10kg。1台のペレットストーブが一冬で消費するペレットは約1トン。同社ではペレットを10kg=約500円で販売している。よって、1台あたりの年間のペレット代は約5万円。石油ストーブの石油代も年間で約5万円/台だが、一軒家全体を温めるのに石油ストーブは複数台必要なのに対し、ペレットストーブは1台あれば家全体を温められる。

DSC_0084 ペレットストーブを1日中燃やし続けて発生する灰の量は、両手ですくえる程度と非常に少ない。また、ペレットには前述の通り石油由来の接着剤が使用されていないため、燃やしても有害物質が出ない。煙突にたまる煤も、2~3年に1回掃除すれば十分だという。エアコンはこまめに掃除しなければならないのに比べると、維持管理がはるかに楽である。

DSC_0087 小国町にはダムが3つあり、新たにもう1つ建設する予定である。今回は横川ダムを見学した。ダムと言うと、すぐに行政VS住民の対立を想像してしまうが、小国町の様子は至って平穏である。やはり、ダムが地域経済を支えているという意識が強いのだろう。ダムの資料館には、小学生が社会見学でダムを訪れた際の報告書(模造紙)が展示されていた。

DSC_0090 小国町は全国平均に比べると第2次産業に従事する人の割合が高い(全体の約4割)。これは、小国町にクアーズテックと日本重化学工業の工場があるためである。もう1つは、建設業の存在が大きい。ダムが建設されると、ダム本体もさることながら、資材を運んだり作業員が通勤したりするための道路も整備される。今回車で案内されてはっきり解ったのだが、ダムに通じる道は、中央線が引かれた幅広の1車線の道路になっているのに対し、ダムから離れた場所の道は、道幅も狭く、中央線もない。さらに、建設業の重要な収入源となっているのが、毎年の除雪作業である。小国町では冬になると2メートルほどの雪が積もり、多いところでは5メートルにも達する。小国町は除雪費として毎年10数億円の予算を計上している。

DSC_0092 話が逸れてしまったが、横川ダムを建設する際には、小国町の指定天然記念物にも指定されている飛泉寺の大イチョウを移動させる必要があった。上の写真のイチョウの右奥に、白い石の土台にさらに別の石が載っているのが見えるが、あの場所から今の場所に移動させた。移動距離はそれほどないのだが、移動にはおよそ3,000万円の費用がかかったそうだ。

DSC_0094 昼食でいただいたわらび餅。スーパーなどで売られている普通のわらび餅の原料は片栗粉であるが、本当のわらび餅は、わらびの根から採れるでんぷんを用いて作る。小国町は山だらけで、あちこちにわらびが自生している。ただし、山の所有者が決まっているので、勝手に収穫することはできない(採ると怒られる)。

DSC_0096 しかし、山の所有者は「わらび園」なるものを経営しており、一定の料金を払って許可をもらえば、わらびを収穫することができる。多い時では、1か所のわらび園に1日で700人も殺到するらしい。大半は新潟からのお客様なのだが、「実は他県のわらび業者が混じっているのではないか?」と疑っていた。そのわらびの加工工場を見学。写真は塩漬けの様子。

DSC_0099 地元の人が持ち込んだわらびを容器の中に敷き詰めて・・・、

DSC_0100 豪快に塩を振りかける。容器いっぱいにわらびを敷き詰めると1トンになる。塩漬けによって抜けた水は自動的に排出されるわけではなく、毎日手作業で水を捨てている。水が抜けると、わらびの重さは約3割減少する。この加工工場では、1kgのわらびを350円ぐらいで買い取り、塩漬けしたわらび(3割減なので約700g)を約550円で卸しているとのことだった。

DSC_0102 この加工工場では、自らわらびの漬物も製造している。塩漬けしたわらびを水に浸けて塩を抜き、今度は醤油に漬ける。わらびのシーズンはだいたい6月中旬まで。今年は天候の関係で1週間ぐらい早くシーズンが終わってしまったという(我々が訪れたのはギリギリのタイミングであった)。わらびが終わると、今度はキノコ(主になめこ)のシーズンに入る。

DSC_0108 道の駅や町の駅では、このような缶詰でも販売されていた。

DSC_0103 見づらくて申し訳ないが、中央に1本にょきっと伸びており、先端が渦巻き状になっているのがわらび。先端がここまで開いてしまうと、食用としては使えないそうだ。

DSC_0104 わらびがさらに成長するとこんな感じになる。山に入ると、至るところにこのようなわらびが生えていた。

DSC_0106 山形はそば街道で有名だが、小国町には知る人ぞ知る「金目そば」というお店がある。町の北部にあるそのお店への道は、途中から集落も消え、本当にこの道で正しいのかと不安になる。だが、車で走ること約15分、そのお店は確かにあった。残念ながら今回は営業時間外で、その味を確かられず。お店の名刺には、「途中で諦めずに来てください」と書かれていた。



DSC_0113 町の駅で「宇宙大豆クッキー」なるものを発見。国際宇宙ステーション「きぼう」で約半年間保管された大豆を日本で栽培し、徐々に数を増やしていってクッキーにしたという。山形県からも、このプロジェクトに対して大豆が提供されている。

 今回の視察旅行では、単なる視察だけではなく、非常に簡単な形ではあるが、3社の経営診断も実施させていただいた。町の駅、道の駅、それから、町の中心地にある食品スーパー兼米卸売業の企業である。小国町は人口減少と高齢化が急速に進行しており、町民の多くが町外へ買い物に出てしまうという、地方自治体として典型的な課題を抱えている。こういう状況下で経営を改善するのは非常に難しいことだと実感した。

 地域活性化と言うと、すぐに何かイベントをやって、周辺地域から人を呼び込もうと提案する人(診断士)がいるが、個人的にはあまり賛同できない。イベントをやりましょうという提案は、売上高を上げるためにブログやfacebookなどのソーシャルメディアを活用しましょうという提案に通じる一種の”気持ち悪さ”がある。ソーシャルメディアで本当に効果を出すには、更新頻度を上げて露出度を高める必要がある。コンサルタントは、ソーシャルメディアは手軽だから毎日更新できるだろうと思って提案する。しかし、それでもだんだんと運用が滞るのがよくある現実である。

 イベントも同じで、1回こっきりのイベントでは意味がない。イベントの記憶は、顧客の中ですぐに薄れていく。それに、そのイベントの時だけ企業の売上高が跳ね上がると、かえって経営が不安定になるというリスクもある。よって、顧客の記憶を保ち、業績を平準化させるには、様々なイベントを仕掛ける必要がある。極端なことを言えば、毎週末何か違うイベントをやるぐらいでなければ意味がない。ソーシャルメディアの更新でさえ面倒になるような人たちに、それよりもはるかに大きな負荷がかかるイベントの企画・運営をさせるのは酷な話であり、非現実的である。

 だから、私自身はイベントのような打ち上げ花火に頼るのではなく、地元の人が日常的にほしがっている製品やサービスを丁寧に揃えていく地道な努力の方が大切であると考える。域外に買い物に行ってしまうのは、域内にほしいものが売られていないのが理由である。決して、需要そのものがないわけではない。この点をはき違えてはいけないと思う。

2016年06月29日

【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(1/2)【写真大量】




 私は、(一社)東京都中小企業診断士協会の城北支部青年部に所属している(一応、今年から部長を務めている)。地域活性化の分野で活躍されている佐藤卓先生からの紹介で、6月11日(土)~13日(月)にかけて、「山形県西置賜郡小国町」の視察旅行に行ってきた。

 小国町は山形県の西南端にある人口約8,000人の町である。新潟県との県境に位置し、両県の県庁所在地である山形市と新潟市のほぼ中間地点(それぞれ約80キロメートル)にある。小国町の面積は737.6平方キロメートルであり、東京23区(619平方キロメートル)よりも若干広い。この広いエリアをわずか3日間で回ろうという強行スケジュールで、当日車で案内してくださった株式会社小国いきいき街づくり公社と小国町商工会の方々には大変お世話になった。

飯豊連峰

 今回の旅行でのベストショットはこれ。小国町は実に面積の約90%が森林であり、どこに行っても山、山、山の連続であった。上の写真は、小国町南部の飯豊(いいで)連峰が見えるスポットで撮影した。白く雪を被っているのが飯豊連峰である。水曜どうでしょう好きの人にしか伝わらないと思うが、「原付日本列島制覇」(2011年放送)という企画は、2010年の夏に、東京から高知まで50ccのカブで移動するというものだった。その中で、紀伊半島の深い山中の県道をのんびりと走るいい画があったのだが、小国町はまさにそんな感じのところであった。大泉洋さんが放送の最後に言った、「この国は、とても美しい国でした」という言葉の意味が解る気がした。

DSC_0027 小国町の駅に着いたら、いきなり熊の剥製がお出迎えしてくれた。小国町にはマタギの文化が残っており、マタギで生計を立てている人が残っている。飯豊連峰の麓にある小玉川地区では、射止めた熊の冥福を祈りながら、猟の収穫を山の神に感謝する「熊まつり」の儀式が行われる。熊まつりは約300年の歴史を持つ。

DSC_0042 東日本大震災以降、山形県内の熊から放射性物質が検出されたため、熊肉の提供は一時ストップしていた。だが、昨年ようやく出荷制限が解かれ、熊まつりでも豚汁ならぬ熊汁が振る舞われた。一時期は1,000人程度に落ち込んでいた参加者も、昨年は熊汁効果もあってか、参加者が3,000人ほどに膨れ上がった。

DSC_0044 マタギのマタギの人が使用する道具を資料館で見せていただいた。

DSC_0045 マタギの人々はチームを組んで熊を狩る。少なくとも1チーム5人、多いチームになると10人以上になるそうだ。熊を呼び出す人、熊を追い込む人、熊を撃つ人など、役割が細かく分かれている。

DSC_0048 右下に熊肉をさばいている様子が写っている。マタギの方々は熊をきれいにさばき、皮や内臓など全て使い切る。なお、余談だが、中国では熊の右手が珍品扱いされている。熊は右手でハチミツを採るためだというのがその理由である。

DSC_0034 1日目の昼食は「たかきびうどん」。たかきびは、赤茶色の米粒大の雑穀である。小国町は山菜が豊富で、トッピングに大きななめこが使われている。親指大ぐらいの大きさがある。首都圏ではこのサイズはなかなか見ないのだが、地元の人に言わせると、これでも小ぶりな方だという。
 
DSC_0111 上の写真より、3日目の昼食で食べたこのたかきびうどんの方が解りやすいか。最初はたかきびそばを開発したのだが、たかきびの色合いが出ないという理由で、途中からうどんに転向したと聞いた。

DSC_0107 たかきびの原産国はアフリカで、紀元前2000年頃にインドに伝わり、その後東南アジアへと広まった。食物繊維やミネラル(特にMgと鉄分)が多く、便秘や貧血予防、美肌づくりに効果的である。たかきびに含まれるビタミンB1は糖質や脂質の代謝を助け、ナイアシンは胃腸の機能を正常に保ち、皮膚症状の改善に役立つ。

DSC_0036 ベストショットの飯豊連峰を再掲。

DSC_0039 飯豊連峰の山々と、世界百名瀑の1つ、梅花皮(かいらぎ)の滝の説明。

DSC_0049 小国町立小玉川小中学校を見学。約30年前に開校したが、残念ながら10年ほど前に閉校となった。現在は、小玉川振興事務所として使われている他、町民にも一般開放されている。我々が訪問した時は、来る参議院選挙を見据えてか、政治集会が行われていた。

DSC_0050 小国町立小玉川小中学校はインドネシアとの交流が深く、インドネシアの学校からの寄贈品が多数保管されていた。

DSC_0051 これも寄贈品の一部。

DSC_0053 インドの「ガルーダ」の像。高さが3メートルほどある立派な像である。ガルーダはインド神話に登場する伝説上の鳥で、ヴィシュヌ神の乗り物と言われる。インドネシアの国章にも用いられている。国章に描かれるガルーダは、翼の羽毛を左右それぞれに17枚、尾の羽毛を8枚、尾の着け根の羽毛を19枚、首の羽毛を45枚有する。これは、独立宣言をした1945年8月17日の数字を表している。

DSC_0054 「ガムラン」という打楽器。ガムランは二極対立的なインドネシアの宇宙観を反映している。例えば、AとBのパートを組み合わせると、Cという本来の旋律が浮かび上がる。この演奏技法をコテカンと呼ぶ。ガムランは16もしくは32ビートで2つのパートを対にして演奏するが、調律されていない2つの楽器の微妙なずれによって音にうねりが生まれる。これをオンバと言う。

DSC_0056 生徒がまとめたガムランの歴史。今回は残念ながら、ガムランを演奏できる方はいらっしゃらなかった。一体、どんな音を奏でるのだろうか?

DSC_0059 この学校の2階には、2クラス分ぐらいの広いスペースに、小国町の文化・風俗を紹介する様々な品が展示されていた。写真は、繭毛羽取機である。蚕は繭を作る時に、最初に足場を作るために吐き糸を出す。この吐き糸の量は全吐き糸量の1%程度で、繭の外側に薄く綿のように付着している。この繭毛羽または繭綿を除去する機械を繭毛羽取機と言う。

DSC_0057 これらの展示品は、学校が廃校になった後で空きスペースを活用して陳列したのではなく、学校の設立当初からあったそうだ。地元の文化を生徒によく理解してもらうのが狙いであったという。左の写真は、哲学者・梅原猛氏が小国町を訪れた際に、ふと思い浮かんだ言葉を一気に書き上げたものである。「コレミゾハ」とはマタギの言葉で、「獲ったぞ!」という意味。

DSC_0061 中心部に戻って、町の駅「アスモ」で休憩。たかきびアイスクリームを食べた。

DSC_0064 たかきびともちきびがトッピングできるのが特徴。他にもチョコチップやココアパウダーのトッピングがあった。

DSC_0062 「たかきび」とは?(説明は写真参照)

DSC_0063 「もちきび」とは?(説明は写真を参照)

DSC_0065 トッピング前(あんまりおいしそうに撮影できなくてスミマセン・・・)。

DSC_0066 トッピング後。私はたかきびとココアパウダーをトッピングした。甘さがしつこく残ることがなくて、一気に食べてしまった。

DSC_0067 町で唯一の酒蔵が造っている「桜川」という日本酒。酒米ではなく、通常の米を用いている。酒米の場合は、米粒を80%ほど削って醸造する。しかし、通常の米でそこまで削ると十分なアルコールが出ないため、削る割合は50%程度に抑えている。1日目の夜に飲んだが、香りは辛口かと思いきや、喉をさらさらと流れる非常に飲みやすいお酒だった(飲みすぎ注意)。

DSC_0068 今回の宿泊先は「りふれ」。表に能舞台があるというので、学生時代に能楽サークルで能楽をかじっていた私は興味津々で見学させてもらった。通常、能舞台の背後には松の絵が描かれているのだが、この能舞台は背後の壁がなく、バックの山々の風景がその代わりを果たしている。

DSC_0069 1日目の夕食。右上はイワナの刺身。刺身で食べられるのは、水がきれいな証拠である。左上の鍋にはクジラ肉が使われている。小国町は海に面しているわけではないのだが、クジラ肉は家庭でも比較的よく食べられているそうだ(翌日、スーパーマーケットを見学したら、確かにクジラ肉が販売されていた)。


2016年06月27日

インドネシア・マレーシア・ベトナムにおける人材採用&人事労務最新動向


インドネシアのガルーダ

 (※)写真はインドネシアの「ガルーダ」。ガルーダはインド神話に登場する伝説上の鳥で、ヴィシュヌ神の乗り物と言われる。インドネシアの国章にも用いられている。国章に描かれるガルーダは、翼の羽毛を左右それぞれに17枚、尾の羽毛を8枚、尾の着け根の羽毛を19枚、首の羽毛を45枚有する。これは、独立宣言をした1945年8月17日の数字を表している。インドネシアはイスラームの国であるのに、ヒンドゥー教の神話に登場する動物を国章に採用しているところが、いかにも多様性を重んじる国らしいところである。

 日本アセアンセンターが主催する「ASEANにおける人材採用&人事労務最新動向セミナー」に参加してきたので、その内容のメモ書き。私は午後のインドネシア、マレーシア、ベトナムの部に参加した。講師はいずれも株式会社パソナの現地駐在員の方であった。パソナは日本企業のアジア進出を人材面でサポートしたり、アジアに進出した日本企業に対して人材派遣や人材紹介を行ったりしている。そのためか、会社設立やビザの取得といった手続き面や、現地人材の職種別・役職別賃金の推移については詳しかった反面、規制のグレーゾーンへの対処方法や現地人材の具体的なマネジメント方法にはあまり強くない印象を受けた(あくまで主観)。

 【Ⅰ.インドネシア】
 (1)製造業のスタッフレベルの賃金は最低賃金に近いが、それ以外の職種・役職は賃金が高騰している。転職者はだいたい、前職の給与の+20%を希望するケースが多い。ただ、最低賃金そのものも急上昇しており、ジャカルタの2016年の最低賃金は310万ルピア(約2万5千円)で、4年前の2倍となっている。海外で事業を行う上で通訳は不可欠な存在だが、通訳の給与も高騰している。これは、フリーランスの通訳が集団で賃金交渉をしている影響であり、日本語検定1級レベルの通訳を1,500万ルピア(約12万円)以下で採用するのは難しい。そこで、資格はなくても日本語ができる人材を正社員として採用すると、人件費を抑えることができる。

 (2)日本企業がインドネシアで大学生を採用する場合、日本語が可能で、かつエンジニアが専門であるなど、特殊な知識・能力を持つ人材を求めることが多い。しかし、インドネシアは大学の卒業時期がバラバラであり、進路窓口の支援にも限界があるため、優秀な大学生を採用することは難しい。製造分野の技術職に関して言えば、大学卒でなく日本で言う高専レベルでも優秀な人材がおり、日本企業の中には直接高専に赴いて青田買いをしているところもある。

 (3)インドネシアでは、人事のポジションに外国人を就けることができない。また、いわゆる「3:1ルール」というものがあり、外国人を1人採用したら、インドネシア人を3人以上採用しなければならない。2015年に「10:1ルール」、つまり、外国人1人に対してインドネシア人10人以上の雇用を義務づける動きがあったが、これはさすがに外資企業の強い反発で見送られた(インドネシアで働く外国人はインドネシア語の語学能力を必須にするという方針も撤回された)。

 (4)インドネシアには「THR(Tunjangan Hari Raya)」というボーナスがある。これは、各宗教の最大の祝祭日に、その信徒に与えられるボーナスであり、各宗教の祝祭日の7日前までに支給しなければならない。従来、THRの受給資格があるのは勤続3か月以上の社員であったが、2016年労働大臣規則第6号により勤続1か月以上の社員にまで対象が広げられた。THRの金額は勤続期間に応じて決まり、勤続12か月以上の者は一律賃金の1か月分である。従来は正社員のみが対象であったが、新大臣規則により、雇用関係にある全ての社員に対して支給することが義務となった。つまり、期間を限定した契約社員も支給対象となる。

 (5)インドネシアの就労ビザを取得するためには、大卒が絶対条件であり、かつ、3年以上の職歴が必須である。外国人がインドネシアに来る以上は、インドネシア人に移転可能な技術や知識を持っているべきだという考え方が根底にある。ただし、最近では高卒でも1社で10~15年程度の勤務経験があると、就労ビザが下りるケースがあるという。こればかりは、「申請してみないと解らない」というのがパソナ担当者の本音である。

 【Ⅱ.マレーシア】
 (1)マレーシアは人口が約3,000万人と少なく、外国人労働者への依存度が高い。マレーシアの労働人口は約1,200万人だが、そのうち約208万人が外国人労働者である。非合法労働者も含めると約400万人とも言われる。主な内訳は以下の通り。

 -インドネシア:約82万人(⇒製造業に従事)
 -ネパール:約43万人(⇒製造業に従事)
 -バングラデシュ:約27万人(⇒建設業に従事)
 -ミャンマー:約14万人(⇒レストラン・サービス業に従事)

 マレーシア政府は2020年までに先進国入りするという目標を掲げており、労働集約型から高付加価値型の産業への転換を図っている。ところが、多くの企業は技能も賃金も低い外国人労働者に依存し、工場の生産性を向上させるための投資を怠っていると政府は認識している。そのため、外国人労働者を半分にして投資を促進するとともに、社会保障を拡充して女性・高齢者を活用し、不足する労働力を補うという方針を打ち出した。しかし、政府は外国人労働者の新規受け入れを凍結したかと思ったら、企業からの反発を受けて凍結を解除したりと、方針を二転三転させており、現場では混乱が生じている。

 マレーシアはイスラームの国であり、労働は身分が低い人がすることだと考えられている。主に製造・建設業で働く外国人労働者を締め出せば、代わりにマレーシア人がその仕事をしなければならない。すると、優秀なマレーシア人は国外に流出する恐れがある。この点について政府は、中華系が国外に出ていくことはむしろ歓迎している。マレーシアはブミプトラ政策と呼ばれるマレー系優遇策をとっており、理想は人口の100%をマレー系にすることである。ただし、優秀なマレー系人材をどうやって製造・建設業に定着させるかが今後の課題となるだろう。

 (2)パソナによれば、マレーシアの人材マーケットは以下の通りである。

 -マレー系(67%)=事務系、技術エンジニア職に多い。営業は苦手であり皆無。また、業界によってはマレー系優遇の規制がある(物流など)。
 -中華系(24%)=営業、販売、経理、マネジメント層に多い。数字に強く、パソナでは最も問い合わせが多い。マレー系よりも10%前後給与が高い。
 -インド系(7%)=営業、テクニカル職に多い。

 求人案件は、営業と経理で全体の50%を超える。上記の通り、これらに強いのは中華系である。しかし、中華系は24%しかおらず、少ないパイを皆で奪い合っているのが現状である。

 (3)マレーシアはTPPに参加したことで、TPPが要求する社会保障対策を実現する必要に迫られている。具体的には、「労働者の能力開発機関の設立」、「労務に関する情報の共有と透明性の維持」を実施しなければならない。これらは、従来マレーシアが締結したFTAにはなかった項目である。また、現在マレーシアでは7名以上で労働組合を結成する自由が認められているものの、政府への登録義務があること、また使用者の承認が必要であることから、事実上組合活動の自由は存在しない。この点も、TPPを受けて改善しなければならないポイントである。

 (4)マレーシアの労働法は独特である。1955年雇用法が日本の労働基準法に相当するが、同法は西(半島)マレーシアにおいて、月額賃金2,000リンギ(約5万2千円)以下の労働者、もしくは賃金にかかわらず肉体労働に従事する労働者に適用される。それ以外の場合、全ての雇用条件は従業員と雇用主の個別の合意(雇用契約書)で決まる。したがって、仮に休日なし、毎日の労働時間は9:00~21:00、時間外手当なし、といった無茶苦茶な内容であっても、従業員と雇用主の双方が合意すれば雇用契約として立派に成立する。

 【Ⅲ.ベトナム】
 (1)ベトナムに進出している主な日本企業の数は、ハノイが631社、ホーチミンが804社、ダナンが94社である(2016年3月時点)。ダナンはベトナム中部の都市だが、ベトナム最大のIT企業であるFPTが存在し、2020年までに1万人体制を目指している。これを受けて、日本からもIT企業がダナンへ進出するケースが増えている。ただし、ベトナム中部には日本語学科のある大学が少ないため、日本語ができるベトナム人を採用することは難しい。

 (2)日本からベトナムへの大型投資案件は2012年で一服した。代わりに、近年は韓国・台湾からの大型投資が増えている。特にサムスンの投資はすさまじく、ベトナムのGDPの7%はサムスンが生み出していると言われる。サムスンは今後、ホーチミンに白物家電の工場を建設する計画があるという。ただ、サムスンに限らず韓国企業は、一度に大量に採用をして、社員同士を激しく競争させ、生き残る人だけ残ればよいという考え方で経営をする。そういうスタンスがどこまでベトナム人に受け入れられるかは不明である。

 ハノイには約8,000人、ホーチミンには約7,000人の日本人がいるが、韓国人はその10倍いるらしい。それだけ韓国人が働いている企業も多いわけで、パソナの担当者によると、日本企業の中では、彼らと営業のやり取りができる韓国人へのニーズが高まっているという。

 (3)ベトナムでは、2013年5月施行のベトナム改正労働法(2012年6月18日付No.10/2012/QH13)において、初めて「労働者派遣制度」が認められた同一の派遣労働者を連続して派遣できるのは12か月までであり、12か月を超えて就労させる場合は正社員契約に切り替える必要がある。ただし、法律が施行される前から、工場に対する労働者派遣は行われていたのが実態のようだ。派遣会社はローカル企業であるため、派遣社員の質や派遣会社のマネジメントに問題があるケースも少なくないという。パソナは2015年8月31日付で労働派遣ライセンスを取得した。同社は工場のワーカーではなく、ホワイトカラーの派遣に特化している。

 (4)ベトナムも他のアジア諸国と同じく、ジョブホッピングの傾向が強い。ベトナムの雇用契約では、まず試用期間(2か月程度)を設け、その後有期雇用契約(12~36か月)を2回結ぶ。2回目の有期雇用契約が終了すると無期雇用契約に切り替えるというのが一般的である。そのため、有期雇用契約の更新のタイミングで転職するケースが多い。優秀な社員とは、有期雇用契約を経ずにいきなり無期雇用契約を結びたいところだが、現実にはなかなか難しい。

 ベトナム人は家族的な経営を好む傾向がある。社員食堂を充実させたり、運動会、誕生日会、社員旅行などを行ったりすると、社員のロイヤリティが高まる。また、社員だけでなく、社員の家族も大切にしているというメッセージを発信することが大切である。




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