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【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―「計画上は失敗だが、実際には成功した」という状態を目指せ、他
【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―組織の目的は単一でなくてもよいのではないか?という問題提起
【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―AIがこれだけ民生化されてきたということは、軍事利用の研究はもっと進んでいる?、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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2016年08月29日

【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―「計画上は失敗だが、実際には成功した」という状態を目指せ、他

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[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2004-01-08

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 (前回の続き)

 (4)以前の記事「『腹中書あり(『致知』2016年7月号)』―私の腹中の書3冊(+1冊)」で、ドラッカーは組織のフラット化には否定的である一方で、分権化は推し進めるべきだと主張しており、日本の組織の考え方と親和性が高いと書いた。だが、本書では、情報社会の進展によって組織の階層が著しく減少すると述べられている箇所があった。
 データ処理能力を情報力の向上に向けたとき、組織の構造に影響が出てくる。ほとんど瞬時にして、マネジメントの階層と経営管理者の数を大幅に減らせることが明らかになる。そもそもマネジメントの階層の多くが、意思決定の役に立っていないことが明らかになる。
 ドラッカーが分権化を強調したのは、トップマネジメントの候補であるミドルマネジメントに大きな権限と責任を与え、トップマネジメントに必要な資質を訓練するとともに、誰が次のトップマネジメントにふさわしいか評価をするためであった。ところが、組織がフラット化すると、ミドルマネジメントの訓練の機会が大幅に減少する。ドラッカーもこの点には気づいている。
 現在一般的となっている組織構造では、膨大な数の中間管理職がトップの予備軍となり、トップになるための準備を行ない、テストされている。その結果、マネジメントの上層部にいつ欠員ができても、選考の対象となる人はつねに大勢いるようになっている。しかし情報化組織において、マネジメントのポストが大幅に減少した後、トップはいったいどこから来ることになるのか。トップとなる人たちにどこで準備をさせるか。どのようにテストするか。
 だが、ドラッカーは依然として分権化の利点を捨てていない。組織はフラット化するが、同時に分権化も行う。そして、前回の記事「【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―組織の目的は単一でなくてもよいのではないか?という問題提起」でも書いたように、組織の目的は単一でなければならない。これらの条件を同時に満たせるのは、企業が単一の(もしくはごくごく限定的な種類の)製品・サービスをグローバルに展開する場合ではないだろうか?トップマネジメントの下には、世界の各エリアを担当するミドルマネジメントが存在し、彼らに対して分権化を行う。ただし、ミドルマネジメントはせいぜい1階層にとどまる。その下にはすぐに一般社員が配置される。

製品・サービスの4分類(修正)

 またこの図を使うことをご容赦いただきたい(何度も言い訳をして申し訳ないが、未完成である。図の説明については、以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などを参照)。ドラッカーが想定しているであろう組織は、上図の左上の象限においてよく機能する。

 左上の象限はイノベーションによって世界市場を席巻する場合であり、アメリカ企業が得意とする。アメリカのイノベーターは、イノベーションを世界に普及させる際、各国の事情に合わせてカスタマイズしようとは考えない。そんなことをしていては経営のスピードが落ちる。それよりも、必ずしも必需品ではないそのイノベーションを、世界中の人が心の底からほしがるように、プロモーションに多大な投資をする。そして、言葉は悪いが、イノベーターが考案した単一のイノベーションを、全世界の人々に”押しつける”。そうすることで、世界の市場シェアを一気に獲得する。

 一方、日本企業が強いのは右下の象限である。右下の象限は、必需品である上に顧客ニーズが多様化しており、難易度の低い製品・サービスから難易度の高いものまで、多様なラインナップを揃える必要がある。そのため、新入社員はまずは簡単な製品・サービスを担当し、長い時間をかけて難しい製品・サービスを担当できるように訓練される。この考え方は現場社員だけでなくマネジャーにもあてはまる。したがって、日本企業は階層が非常に多い組織となる。

 実際、アメリカから組織のフラット化というコンセプトが輸入されても、日本企業はフラット化するどころか、管理職の割合がむしろ増えたぐらいだ(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業」を参照)。そしてこの傾向は、日本の社会が多層化されていた方が全体として安定するという伝統と合致する(以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(上)』(2)―権力構造を多重化することで安定を図る日本人」を参照)。

 ちなみに、左下の象限にも多くの日本企業が存在する。しかし、左下の象限に該当する組織の多くは、右下の象限のように多くの階層を抱えることができない。飲食店で店長とスタッフの間に4つも階層を設けることは不可能である。階層が少ないがゆえに、若手社員はすぐにキャリアの限界に達してしまい、それが早期の離職へとつながる。若手社員の離職率が高いと、企業は不安定になる。こうした問題を解決する方法として考えられるのは、1つには川上へと進出することである。小売業であれば、製品を自社開発する。できれば製造まで自社で手がける。もう1つは異業種に進出して多角化し、社員のキャリアパスを多様化させることである。

 (5)
 日本株式会社は、今日にいたるも世界中を畏怖させている。しかし実際には、日本で機能したのは計画ではなかった。日本でも計画は、ソ連流計画や社会主義計画と同じようにほぼ失敗だった。実際のところ、日本の政府は間違った計画を立ててきたにすぎない。成功した産業のうち、政府計画によるものはほとんどない。自動車、民生用電子機器、カメラの成功は、政府計画によるものではなかった。むしろ、これら3つの産業は政府に邪魔されていた。
 日本経済が戦後に急成長を遂げたのは、かつての通商産業省が財界をリードして、官民一体となって輸出を進めたからだとする説がある。ドラッカーはこの説を否定する。また、マイケル・ポーターも、著書『日本の競争戦略』の中で、この説が誤りであることを詳細に解説している。

日本の競争戦略日本の競争戦略
マイケル・E. ポーター 竹内 弘高 Michael E. Porter

ダイヤモンド社 2000-04

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 私の考えでは、それでも政府計画は不可欠である。政府計画に唯々諾々と従うだけの産業や企業は衰退する。一方で、政府計画に対して、「計画通りにやってみたが、どうやら現実はこうなっているようだ。だからこれをやらせてほしい」と「下剋上」をした産業や企業は成長する。こういうことなのだろうと思う(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。

 初めから修正・否定されることが解っている政府計画なら、作らなければよいのではないかと感じるかもしれない。しかし、日本人は伝統的に外圧がないと積極的に動かない集団である。「皆さんに任せた。皆さん、自由に考えてくださって結構です」と上から丸投げされても、その自由の扱い方を日本人は知らない。よって、きっかけとしての政府計画は必要である(そして、その政府計画を立案する政府/行政もまた、何かしらの外圧に突き動かされている)。

 ブログ別館の記事「『アベノミクス破綻(『世界』2016年4月号)』」でも少し書いたが、失敗するまちづくりは、国や都道府県が立てた計画をそれぞれの市町村がそのまま鵜呑みにしている。現場の実情をよく知らない国や都道府県が作った計画通りに箱モノを建設しては、毎年巨額の赤字を垂れ流す。まちづくりにおいては、市町村側の「下剋上」がもっと必要である。マスコミは国や都道府県が”ろくでもない”計画を作ったことばかりを批判する。しかし、本当に批判されるべきなのは、その計画に下剋上を挑まなかった市町村側の受動的な姿勢である。

 企業の世界に目を向けると、日の丸半導体の象徴であったエルピーダが経営破綻したのは、産活法(2014年1月20日付けで、産業競争力強化法の施行に伴って廃止)によって「DRAMで世界一になる」という狭い縛りを経済産業省からかけられていたことも一因ではないかと私は考えている。変化の激しい半導体業界において、もっと柔軟に戦略を変更し、DRAM以外の分野にも挑戦する、といったことができていれば、経営破綻は避けられたかもしれない。

 日本人にとって計画は必要悪である。計画はほぼ間違いなくその通りにならない。しかし、計画があるからこそ例外を識別できる。予期せぬ成功を呼び込むことができる。そして、予期せぬ成功に傾倒すると、計画が想定していた成果よりもはるかに大きな成果をもたらす可能性がある。「計画上は失敗だが、実際には成功した」―これが日本において最も望ましい(以前の記事「『人事再生(『一橋ビジネスレビュー』2016年SUM.64巻1号)』―標準化しなければ例外は発見できない、他」では、一橋大学の研究がマネジャーの「情報伝達」機能(ビジョン、戦略、計画を部下に伝える機能)を重視し、「例外処理」機能を軽視しているのではないかと指摘した)。

 現在、安倍内閣は「地方創生」を掲げている。だが、肝心の地方創生計画の中身は地方自治体に任せきりにしているようで、危ない兆候だと感じる。その結果どうなるかは容易に想像がつく。どの地方自治体も、他の自治体の計画を真似するのである。そういう事態を避けるには、まずは国が「この地域ではこういう方向で地域活性化をさせよう」と、ある程度の計画を用意しなければならない。その上で、各地方自治体は、決してその計画に盲従するのではなく、「我々の自治体の現実はこうだ。だから、本当に必要な施策はこれだ」と「下剋上」する。国と地方自治体が主従関係に収まるのではなく、激しいつばぜり合いを繰り広げることが地方創生の要である。

2016年08月26日

【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―組織の目的は単一でなくてもよいのではないか?という問題提起

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[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)
P.F.ドラッカー 上田 惇生

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 (前回の続き)

 (3)ドラッカーによれば、かつては政府が社会の1人1人に位置と役割を与えており、それゆえに政府の権力の正統性が問われてきた。しかし、21世紀に入ると、個人に位置と役割を与えるセクターとして企業が台頭した。企業にはマネジメントが必要である。マネジメントは組織に成果を上げさせるとともに、個人に位置と役割を与える社会的機関である。よって、現代ではマネジメントの正統性こそが問われなければならない(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―機能する社会は1人1人の人間に「位置」と「役割」を与える」を参照)。

 『産業人の未来』は1942年、『新しい現実』は1989年に出版されたが、残念ながらマネジメントの正統性に関しては、2冊の間の約50年の間に答えが出なかったようである。
 しかし今日、マネジメントが重大な問題に直面しているのは、それがまさに社会的な機能としてあまりに普遍的な存在となったからである。マネジメントは誰に責任を負うべきか。何に責任を負うべきか。その力の根拠は何か。正統性の根拠は何か。
 これは『産業人の未来』で発せられた問いと全く変わっていない。そして、マネジメント自身がこれらの問いに対して適切な解を提供しなかった結果として、経済的な利得にしか関心がない敵対的買収が横行しているとドラッカーは指摘する。
 敵対的企業買収の根底にある思想は、企業の唯一の機能は、株主に可能なかぎり多くの金銭的利益をもたらすことにあるというものである。したがって、企業そのものやマネジメントの正統性が確立されないかぎり、敵対的な株式公開買い付けを行なう乗っ取り屋がはびこるのは当然である。
 マネジメントは金銭的な利害を超えた何かを追求し、それに対して責任を負うべきであるのだが、それが一体何であるのかは、ドラッカー亡き今は我々自身が考えなければならない。

 さて、ドラッカーは、政府よりも企業の方が向いている事業は企業に任せるべきだという自由主義的な考えの持ち主である。「民営化」という言葉を作り出し、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相の政策に影響を与えたことは有名だ。ドラッカーは、民営化により身軽になった政府の事業は、単一の目的に絞った時にこそ最も大きな成果を上げると述べる。逆に、利害関係者の意向を汲んで複数の目的を同時に追求しようとすると、その事業は行き詰まると警告する。

 また、企業側も、単一の目的に絞るべきだとドラッカーは主張する。そして、企業で働く知識労働者や専門家もまた、特定の目的のために働くよう職務設計しなければならないと言う。アメリカでは、政府や企業がカバーすることのできない社会的課題を、多くの非営利組織が担っている。非営利組織が1つのセクターを形成していると言ってもよい。その非営利組織もまた、単一の目的を追求すべきであるとドラッカーは述べている。非営利組織は社会的な大義を掲げて色々と手を広げる傾向があるが、そういう活動はたいてい失敗に終わる。
 政府活動は、政治的な圧力から解放されて、はじめて有効に機能する。郵便局にしても鉄道にしても、目的が単純であるかぎりは有効に機能した。ところが政府事業というものは、開始されるや直ちに、かつ不可逆的に、就職先を見つけられない人たちのための雇用の創出に使われる。アメリカの郵便局における黒人雇用がその典型である。そして政府事業は、そのように複数の目的をもつようになるや必ず堕落する。
 これら今日の組織のそれぞれが単一の機能を果たす。企業は経済的な財とサービスを生産し、労働組合はマネジメントの力に対抗する。病院は病院を治療し、大学は新しい知識を生み広める。それらはすべて単一の目的をもつ組織である。
 彼ら知識労働者は専門家である。きわめて限定された分野かもしれないが、自らが専門とする世界については上司よりも詳しい。彼らはそのことを知っている。いかに地位が低くとも、専門分野については雇用主よりも優位にある。
 このように見ていくと、政府も企業も非営利組織も知識労働者も、極めて限定された単一の目的のために仕事をすることになる。確かに、成果を上げるという意味では非常に効率的かもしれない。しかしここで重要な疑問が生じる。それはつまり、社会の全体を見るのは誰なのか?という疑問である。先ほど、マネジメントは社会の1人1人に位置と役割を与える社会的機関であると書いた。それぞれの個人が自分の位置を知るためには、全体を認識していなければならない。前回の記事でたまたま将棋の話をしたが、例えば歩という駒は、将棋盤という全体が定義されているからこそ、自らが「4六」という位置にあることを知ることができる。

 ドラッカー自身も本書の最後で次のように書いている。
 機械的なシステムでは、全体は部分の和に等しく、したがって分析によって理解することが可能である。これに対し生物的なシステムには、部分はなく全体が全体であるあ。それは部分の和ではない。情報は分析的、概念的である。しかし、意味は分析的、概念的ではない。知覚的である。
 政府、企業、非営利組織、知識労働者の目的を単一のものに絞り込むのは、機械的なシステムの発想のように思える。知覚によって、システム全体を俯瞰する者が必要である。この点に関して、ドラッカーは部分的に日本企業に触れている箇所がある。
 第二次大戦後、日本の大企業は、事業上の利益を追求する一方において、自らの意思決定プロセスに政治的責任(※ドラッカーの言う「政治的責任」とは、現代の言葉で言えば「企業の社会的責任」のことである)を組み込んでいた。戦後の日本企業は、1920年代、30年代とは異なり、事業にとってよいことは何かではなく、日本にとってよいことは何かから考えた。その後で、いかにその全体の利益に沿って事業を展開していくかを考えた。
 私は、この時点で「目的は単一であるべき」というドラッカーの主張が崩れていると感じる。そしてまた、目的は複数あっても構わないのではないかと考えるようになった。かつての私は、チェスター・バーナードなどの影響も受けて、組織の共通目的を掲げるべきだと言っていた。また、旧ブログの記事「《要約》『戦略サファリ』―ミンツバーグによる戦略の10学派(2.プランニング・スクール)」でも、組織に複数の目的を掲げるイゴール・アンゾフを批判したことがあった。

 以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」でも書いたが、日本社会は巨大なピラミッド型をしている。それぞれの個人や組織は、垂直・水平方向に細かく切られたセグメントの一部を占めるにすぎない。しかし、個人や組織は、与えられた場所で粛々と役割をこなすだけでなく、「下剋上」(山本七平)によって上の階層を突き動かしたり、水平方向の連携(具体例として、企業内ではジョブローテーション、業界内では業界団体など)によって横にはみ出したりする。社会全体を見据えつつ、階層社会を垂直・水平方向に移動しようとする個人や組織は、必然的に複数の目的を追求することになる。

 《2016年8月27日追記》
 日本人は、山本七平の言う「下剋上」によって上の階層を突き動かすと同時に、「下問」によって下の階層に下りてくることもある(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。

 例えば、企業においては上司が部下に命令を出すだけでなく、「あなたが成果を上げるために私は何をサポートすることができるか?」と部下に尋ねることがある。ドラッカーは、マネジャーが知識労働者である部下を扱う際にはそのように尋ねるべきだと説いている。また、行政は、市民に対してよき市民のあり方を規定すると同時に、市民の社会的ニーズを汲み取って、その実現を支援する施策を展開する(ただし、行政が市民を”お客様”扱いしすぎることに対しては批判もある。本来は市民より行政の方が力が強いのに、”お客様”である自分の方が力が強いと勘違いした一部の市民が”モンスター化”して暴走することがあると内田樹氏が指摘していた)。

 通常は、下の階層が上の階層からの命令に応じて、そのニーズに応えるものである。しかし、時には上の階層が下の階層のニーズに応えようとすることがある。つまり、日本人はピラミッド社会において、自分が与えられたポジションから上下左右に移動しようと試みる。この点で、目的は単一に定まらず、むしろ多様化していくと言える。


 以上の点には、日本の宗教観も影響している。日本は多神教の国であり、しかもその神々はキリスト教などと違って不完全である。それらの神々は日本人1人1人に宿っているのだが、不完全であるがゆえに正体を知ることが難しい。いくら自問自答しても答えは出ない。日本人がなすべきことは、自分とはおそらく違う神を宿しているであろう他者と交わることである。自分の神と他者の神が何かしらの点で異なっているようだという発見が学習を促す。ただし、他者の神もまた不完全であるから、この学習には終わりがない。学習は一生続く。これを「道」と呼ぶ。日本人やその組織は、様々な他者と様々な形で交わるがゆえに、自ずと目的が複数になる。

 以前の記事「『腹中書あり(『致知』2016年7月号)』―私の腹中の書3冊(+1冊)」で、ドラッカーの経営思想は日本人の考え方と親和性が高いと書いたが、一方でやはりアメリカの影響を強く受けていると感じる箇所が本書にあった(ちなみに、ドラッカー自身はオーストリア出身である。第二次世界大戦時に、ナチスの迫害から逃れるためにアメリカにやって来た)。
 だが人は、苦手とするもので抜きん出た成果をあげることはできない。すぐれた成果をあげるのは得意なものについてだけである。ところが、学校は生徒の得意とするものを無視する。得意とするものを伸ばすことは、自分たちには関係のないこととしている。得意とするものからは、問題は生じない。学校はつねに問題を中心に据える。知識社会では、教師は「ジミーやマリーがもっとよく書けるようにしよう。磨き上げるだけの値打ちがある」と言わなければならない(※余談だが、ドラッカーが著述家となったのは、子どもの頃に学校の先生から文才を認められたのがきっかけである)。
 第一に、知識と教育が就職のパスポートになったこと自体、社会が変わったことを示す。(中略)第二に、大学生の数が爆発的に増加し、知識が経済社会の基盤として本当の意味での資本になった。
 一般に、ファゴット奏者は、ファゴット奏者以外の者になりたいともなれるとも思わない。キャリア上の機会は、第二ファゴット奏者から第一ファゴット奏者になることや、二流のオーケストラから一流のオーケストラに移るぐらいのことである。医療技師も、医療技師以外の者になりたいともなれるとも思わない。キャリア上の機会は、主任技師というかなり可能性の高いものと、部門の責任者になるというあまり可能性のないものぐらいである。
 知識社会においては、教育に終わりはない。何度でも学校へ戻ってくるようにしなければならない。したがって今後、医師、教師、科学者、経営管理者、技術者、会計士など、高等教育を受けた者を対象とする継続教育が成長産業となる。
 これらを総合すると、アメリカでは子どもの段階で自分の強みが決まり、高等教育はその強みを専門的なレベルまで高める場ということになる。企業や組織に就職する際には、大学で学んだ専門性を活かすことのできる職場を選択する。就職後は、転職で所属先が変わることはあっても、知識労働者としての専門性は変わらない。そして、その専門性は、生涯学習を通じて一生続く。このような人間観、能力観は、以前の記事「『しなやかな交渉術(DHBR2016年5月号)』―「固定型」のアメリカ、「成長型」の日本、他」で書いたことに通ずる。

2016年08月24日

【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―AIがこれだけ民生化されてきたということは、軍事利用の研究はもっと進んでいる?、他

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[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2004-01-08

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 本書の原著が発表されたのは1989年である。ドラッカーは本書の中でソ連が近々崩壊すると述べているが、果たして2年後の1991年、ソ連は本当に崩壊した。そのため、本書はソ連の崩壊を予知した1冊だと言われることがある(もっとも、当時ソ連の崩壊を予想していたのはドラッカーだけではなかったが)。ドラッカーは、オーストリア=ハンガリー帝国が民族主義の台頭によって消滅したことを引き合いに出しながら、ソ連に分裂の兆候が見られるとした。そして、その言葉通り、ウクライナで民族運動が高まり、同国が独立を宣言すると、堰を切ったように他の国家も独立を宣言し、ソ連は約70年の歴史に終止符を打つことになった。

 (1)
 第二次大戦後、世界中の非西洋諸国が日本の明治維新をモデルとした。自らの支配のもとに西洋化を進めた。反植民地主義とは、植民地化以前に戻ることではない。イランにしても、18世紀のペルシャに戻ろうとはしない。目指すのは、イスラムの宗教と価値観とともに、西洋の技術、産業、軍事力をもつ近代イランである。これは、1870年代の日本が、1000年前の奈良時代や平安時代の天皇制とともに、イギリス流の議会政治をもとうとしたことと、さほど変わらない。
 ドラッカーは本書の中で「多元社会」という言葉を多用している。これからの世界は中心らしき中心がなくなり、価値観が多様化するというわけである。しかし、私の(狭い)見立てによると、どうやら大国間、とりわけ米独露中4か国の対立というのはなくなっていない、いやむしろ対立が深刻化している(大国間の二項対立については、以前の記事「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」、「『安保法制、次は核と憲法だ!/「南京」と堕ちたユネスコ・国連/家族の復権(『正論』2015年12月号)』」を参照)。

 イデオロギーという言葉は死語のように扱われるが、私はこの4か国の中では未だにイデオロギーが生きていると思う。では、大国の間に挟まれた小国(日本を含む)はどうすればよいか?1つは、対立する大国の一方に味方し、その国に自国を庇護してもらうことである。しかし、この戦略はシンプルではあるものの、その分リスクも大きい。なぜならば、仮に大国間の対立が激化し、自国が味方していた大国が敗れた場合、それは自国の滅亡を意味するからである(大国自身は、敗れたとしても体力があるので再び復活できる。ロシアがそのよい例である)。

 もっとも、現代においては大国同士が衝突すれば第三次世界大戦に突入してしまうと容易に想像できるため、大国が正面からぶつかり合う可能性は限りなく低い。その場合、大国は小国に代理戦争をさせる。朝鮮半島では北朝鮮と韓国の間で緊張が高まっている。中東では、親ロシア派の国と親アメリカ派の国が衝突している。小国はこうした対立によって国力を消耗する。一方、大国は小国同士が争うことで最も多くの利益を得ることができる。大国は自らを傷つけることなく、対立構造を維持したまま軍需産業を伸ばし、経済を成長させる。

 こういう大国の狡猾な戦略に飲み込まれないようにするための戦略が、2つ目の「ちゃんぽん戦略」である(以前の記事「千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる」を参照)。つまり、大国の一方に過度に肩入れするのではなく、双方にいい顔を見せながら、両方のいいところ取りをする。言い変えればご都合主義、日和見主義である。大国から見れば、その小国が何を考えているのか解りにくく、深く手を突っ込むことが難しくなる。しかし、大国の間にある国であるから、双方ともその小国と関係を完全に絶つわけにはいかない。こういう絶妙なポジショニングを創出する。

 日本は明治維新の際、憲法はドイツに、民法はフランスに、議会政治はイギリスに倣った。いずれも、当時激しくつば迫り合いをしていた帝国主義国である。しかも、日本の長年の伝統の上に上手く接合させた。まさに「ちゃんぽん」に他ならない。日本が植民地にならずに済んだのは、単に日本が西洋化にいち早く成功しただけでなく、自国を多元化させて列強が手を出しにくい状況を創り出したことが大きい。引用文にあるように、イランが日本の真似をしているならば、自国のイスラーム文化の上に、アメリカとロシアを混ぜこぜにすることが重要ではないかと考える。

 現在の日本は、アメリカに過度に依存している。たまたま、地政学的に朝鮮半島が資本主義と共産主義の対立の境目にあたるため、対立は朝鮮半島で発生し、日本が影響を被ることはなかった。しかし、将来的に朝鮮半島ならびに世界情勢がどう変化するかは予測できない。予測はできないものの、今の日本がなすべきことはある。それは、右派は嫌がるかもしれないが、中国・ロシアとの距離を縮めることである(以前の記事「『非立憲政治を終わらせるために―2016選挙の争点(『世界』2016年7月号)』―日本がロシアと同盟を結ぶという可能性、他」を参照)。

 (2)
 おそらく、さらに重要な原因として、戦略なるコンセプトが成立しなくなったことがある。多様な状況があり、多様な選択がある。特定の敵に対し、特定の軍事行動を行なうための計画、訓練、整備、指揮というものはありうる。しかし、あらゆる種類の敵に対し、あらゆる種類の軍事行動を行なうための計画、訓練、整備、指揮というものはありえない。
 ドラッカーは、現代において軍事力は著しく不経済になったと述べている。そして、各国が軍事的優位を保持・獲得しようとしないことが共通の利益であることに合意できれば、軍縮が進むだろうと予測する。引用文のように、想定すべき軍事行動が多すぎて、巨大な軍を保有することの意義が疑われ始めていることも、軍縮へのインセンティブになっている。

 しかしながら、ドラッカーの予測に反して、軍縮は一向に進んでいない。それどころか、世界の軍事費は冷戦終結時から倍増している(BLOGOS「冷戦終結時から倍増した世界の軍事費」〔2015年10月9日〕を参照)。さらに恐ろしいのは、近年のAI(人工知能)の発達である。従来のAIは(と言っても、もう何十年も前の話だが)、意思決定の局面におけるあらゆる選択肢を事前に予測し、それぞれの選択肢の経済的効果を計算して、最も効用が高い選択肢を絞り込む、というアプローチをとっていた。だが、これではコンピュータに将棋をさせるだけで、とんでもない規模のコンピュータが必要となり、しかも計算に非常に時間がかかってしまう。

 そこで、現在のAIは異なるアプローチを採用している。まず、過去の将棋の棋譜を大量にコンピュータに記憶させる。そして、特定の局面における指し手のパターンを発見させる。AIが記憶する棋譜の量が多くなればなるほど、AIの指し手の精度が磨かれ、勝利の確率も上がる。それでも長らくAIは人間に勝てなかったのだが、逆に最近は人間がAIに勝つことが難しくなっている。AIは、ある局面において選択し得る指し手のうち、人間ならば選択しないであろう指し手を敢えて選択することがある。それをAIがどのタイミングでやってくるか解らないため、棋士は混乱する。

 将棋に比べると囲碁は碁盤の目が多く、指し手の数が格段に増えるため、AIが勝つのは当分先のことだろうと言われていた。ところが、グーグルが買収したイギリスのディープマインド社のAIが韓国のプロを打ち負かし、世界に衝撃が走った。しかも、このAIの恐ろしいところは、なぜAIがこの対決で勝てたのか、人間が分析しても解らないという点である。

 民生の場面でこれだけAIが発達しているということは、軍事分野においてはもっと研究が進んでいる可能性がある。周知の通り、アメリカは軍事分野での研究に多額の投資を行い、その成果を民生に転用することで経済成長を遂げてきた。コンピュータもそういう研究成果の1つである。もちろん、ルールが明確に決まっている将棋や囲碁と、無限の軍事行動が想定される戦争では複雑性が異なる。だが、アメリカがお得意のインテリジェンスを総動員して、過去の全戦争をデータ化してAIにつぎ込み、さらに将来的に予想される軍事技術の変化を織り込めば、あらゆる選択肢を検討しなくとも最適解を導き出せるシステムができ上がるのではないだろうか?


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