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ASEAN新著の著者が語る『検証:ASEAN経済共同体の創設―サービス、金融、運輸・交通』(セミナーメモ書き)
姜尚中『ナショナリズム』―ナショナリズムと移民、国体(雑記)
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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2016年12月26日

ASEAN新著の著者が語る『検証:ASEAN経済共同体の創設―サービス、金融、運輸・交通』(セミナーメモ書き)


バンコク・カオサンロード

 (※)バックパッカーの聖地、タイのカオサンロード。

 日本アセアンセンター主催のセミナー「ASEAN新著の著者が語る『検証:ASEAN経済共同体の創設―サービス、金融、運輸・交通』」に参加してきた。以下、セミナー内容のメモ書き。

ASEAN経済共同体の創設と日本ASEAN経済共同体の創設と日本
石川 幸一 清水 一史 助川 成也

文眞堂 2016-11-20

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 《Ⅰ.サービス》
 (1)まず、サービス貿易には4形態があることを押さえておく必要がある。
 <第1モード>
 【国境を越える取引】
 いずれかの加盟国の領域から他の加盟国の領域へのサービス提供。
 《例》A大学(日本)がB大学(タイ)に対してオンライン授業を実施し、B大学の学生がタイでそのオンライン授業を受講する。

 <第2モード>
 【海外における消費】
 いずれかの加盟国の領域内におけるサービスの提供であって、他の加盟国のサービス消費者に対して行われるもの。
 《例》A大学(日本)にB大学(タイ)の学生が訪問し、A大学の講義に参加する。

 <第3モード>
 【業務上の拠点を通じてのサービス提供】
 いずれかの加盟国のサービス提供者によるサービスの提供であって、他の加盟国の領域内の業務上の拠点を通じて行われるもの。
 《例》A大学(日本)がタイにA大学分校を設立し、タイの学生に対して講義を実施する。

 <第4モード>
 【自然人の移動によるサービス提供】
 いずれかの加盟国のサービス提供者によるサービスの提供であって、他の加盟国の領域内の加盟国の自然人の存在を通じて行われるもの。
 《例》A大学(日本)がB大学(タイ)に教師を派遣し、B大学で講義を実施する。

 各モードに関する規制緩和は以下の通り。
 ①第1モード、第2モードについては制限を撤廃。ただし、善意に基づく規制理由(公共の安全など)は例外とする。
 ②第3モード(外国(ASEAN)からの資本参加の容認)については次の通り。
 a)4優先サービス分野については、2008年までに51%以上、2010年までに70%の外資参加を容認。b)物流サービス分野については、2008年までに49%、2010年までに51%、2013年までに70%の外資参加を容認。c)その他のサービス分野については、2008年までに49%、2010年までに51%、2015年までに70%の外資参加を容認。その他の第3モード市場への参入制限を2015年までに段階的に撤廃。

 (2)第3モードの外資出資比率緩和スケジュールは、次のように進行した。
 <第7パッケージ(目標終了期限=2008年経済相会議)>
 優先統合分野(29)は51%、ロジスティクス分野(9)は49%、その他サービス(27)は49%(つまり、外資がマジョリティを獲得できるのは優先統合分野のみ)。

 <第8パッケージ(目標終了期限=2012年経済相会議)>
 優先統合分野(29)は70%、ロジスティクス分野(9)は51%、その他サービス(42)は51%(第3モードの全ての分野において、外資のマジョリティ獲得が可能となった)。

 <第9パッケージ(目標終了期限=2013年経済相会議)>
 ロジスティクス分野(9)は70%、その他サービス(66)は51%(ロジスティクス分野の外資出資比率の上限が70%まで引き上げられた。また、その他サービスの対象分野が増加した)。

 <第10パッケージ(目標終了期限=2015年経済相会議)>
 その他サービス(90)は70%(その他サービスの対象分野が増加し、かつ外資出資比率の上限が70%まで引き上げられた)。

 (3)ASEAN各国の第9パッケージの履行状況だが、自由化対象業種のうち、当該業種全てにおいて自由化が進んでいる業種の割合が約半数に及ぶ(=自由化が進んでいる)のはインドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナムである。一方、自由化が当該事業の一部にとどまる業種の割合が高い(=自由化が遅れている)のはタイ、フィリピンである。

 サービス種類別に第3モードの自由化の状況を見ると、比較的自由化が進んでいるのは、実務、通信、建設および関連エンジニアリング、流通、教育、環境、金融、観光・旅行サービスである。一方、健康関連・社会事業、娯楽・文化・スポーツ、運送サービスは自由化が遅れている。

 (4)ASEANのみに出資比率が緩和されている事業がある。例えば、インドネシアでは、「森林地域内でのエコツーリズム施設、活動、サービス事業の形態によるネイチャーツーリズム事業」について、外資の出資比率上限を51%としているが、ASEAN企業に限っては出資比率の上限を70%まで引き上げている。ただし、ASEAN企業の定義は明確になっていない。ASEANの法に基づく、ASEANで実質的にオペレーションをしている、ASEANで5年以上事業を継続しているなどの条件が想定されるが、最終的には各国政府の判断に委ねられると考えられる。

 《Ⅱ.金融》
 (5)ASEANの金融統合の中心分野としては、以下の3つが挙げられる。
 <①金融サービスの自由化>
 銀行、証券、保険など金融機関がASEAN域内での活動を自由にすることを目指す。具体的には「ASEAN銀行統合枠組(ABIF)」により、平等なアクセス、待遇、環境を確保する。ABIFに基づく「適格ASEAN銀行」の認定を進める。また、「ASEAN保険統合枠組(AIIF)」は保険業界の自由化を目指しており、消費者の選択肢の増加に資する。

 <②資本取引の自由化>
 域内各国間での規制緩和による経常取引、海外直接投資、証券投資などの資金フローの自由化を目指す。具体的な取り組みとしては「資本取引自由度ヒートマップ」の作成が挙げられる。証券投資および他項目の流入・流出資本フローや対内および対外の直接投資などの指標に基づいて、各国の目標達成度合いをモニタリングするツールである。

 <③資本市場の発展>
 ASEANの様々な資本市場間でのクロスボーダーの協力実現を目的とする。金融機関に関する監視の能力を含む能力開発とインフラ整備に主眼が置かれており、相互認証、ルール・規制の調和を目指している。具体的な取り組みとしては、「ACMF(ASEAN Capital Market Forum)」が挙げられる。③については、マレーシア、タイ、シンガポールの3か国が先行して進めている項目が多く、①②に比べると具体的な成果が多い。

 (6)(5)の取り組みに対して、外部機関は概ね肯定的な評価をしている。ERIA(東アジア・ASEAN研究センター)は、域内金融の安定化と2020年までの銀行セクターの多国間の自由化はゆっくりだが着実に進展していると述べている。しかし、ASEAN各国の金融市場の発展段階、経済構造、優先度は多様であり、金融・資本分野統合の前提条件を整えるのはチャレンジングであるとも指摘している(2014年)。また、IMFは、「物事をゆっくり、着実に進める」という「ASEAN WAY」にも理解を示しており、一連の取り組みはASEANの経済成長、1人あたりの所得増に寄与していると評価している(2015年)。

 (7)ASEANの今後の課題としては大きく2つある。1つ目は、「資本取引自由度ヒートマップ」の精緻化である。ASEAN各国が自己評価した結果によると、ラオス、ミャンマーを除き自由化が相応に進捗している印象を受ける。ところが、この結果は、ERIAやIMFの評価と差がある。ASEAN各国の自己評価に頼っていることが影響していると考えられる。ASEAN共通の評価基準を明示し、客観的なスコアリングを行う必要がある。

 2つ目の課題は、域内国通貨間の為替レートの安定化である。各国の独立した金融政策の維持を前提とする場合、域内通貨間の為替レートのより柔軟な変動を許容しなければならない。ここで、ASEAN各国の現状の経済発展段階の違いを踏まえると、現時点でEUのような共通通貨を想定するのは困難である。しかし、域内通貨間の為替レートの安定に向けた取り組みの整理・検討が将来的には必ず必要となる(必ずしも共通通貨である必要はない)。

 《Ⅲ.運輸・交通》
 (8)AEC2025ブループリントでは、交通・運輸に関して連結性を実現するとある。「物理的連結性」(=ハード。陸上、海上、航空運輸。内陸水運、島嶼間リンク、インターモーダル輸送)は比較的進んでいるが、「制度的連結性」(=ソフト。交通、運輸の円滑化。物品貿易の自由化。国境手続きの円滑化)はやや遅れている。ASEANの交通プロジェクトは、越境交通に注力しているという特徴がある。他方、日本からの支援は都市交通の整備を主眼としている。しかし、越境交通の需要はまだ比較的小さく、長距離鉄道はBtoBでほとんど使われていないことから、整備が長期間に渡って停滞している。

 (9)陸上交通のフラッグシッププロジェクトは、①ASEANハイウェイ(AHW)の完成と②シンガポール―昆明鉄道(SKRL)主線の建設と支線の建設完了の2つである。①に関しては、ミャンマーにミッシングリンクが存在しており(=ミャンマーに悪路が多い)、その解消が課題となっている。②に関しては、既存の鉄道をどのようにアップグレードするかが1990年代から続く課題である。ASEAN各国は、GMS越境交通協定(CBTA)には2007年に加盟しているが、交通円滑化協定(AFAFGIT・AFAMT・AFAFIST)の批准は進んでいない

 (10)海上交通の主なテーマは、①ASEAN海運単一市場(ASSM)と②RoRo船の優先航行ルートの実現である。ただし、①は難航しており、AEC2015ブループリント、AEC2025ブループリントともに記載がない。一方、RoRo船は短距離輸送に向いており、需要も高いことから、整備が進んでいる。航空交通は例外的に進捗している領域であり、航空協定(MAFLAPS、MAAS)は全てのASEAN加盟国が批准している。いわゆる「9つの自由」のうち、5つまでが実現している。


2016年12月22日

姜尚中『ナショナリズム』―ナショナリズムと移民、国体(雑記)


ナショナリズム (思考のフロンティア)ナショナリズム (思考のフロンティア)
姜 尚中

岩波書店 2001-10-26

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 浅学の私ごときがナショナリズムについて何か特別な見解を持っているわけではないのだが、頑張って記事を書いてみる。まず、ナショナリズムがなぜ必要なのかを考えるにあたっては、国家がなぜ必要なのかに立ち戻らなければならない。国家起源の動態モデルの例としてカール・ドイッチュの説がある。ドイッチュは国家の起源を社会的コミュニケーションの連続性から説明する。彼によれば、国民(nation)とは次の2種類のコミュニケーションの積み重ねの産物である。第1に、財貨・資本・労働の移動に関するものである。第2に、情報に関するものである。

 資本主義の発展に伴って、交通や出版、通信の技術も発達し、これら2種類のコミュニケーションが進展し徐々に密度を増すと、財貨・資本・労働の結びつきが周辺と比較して強い地域が出現する。ドイッチュはこれを経済社会(society)と呼ぶ。また同時に、言語と文化(行動様式・思考様式の総体)における共通圏が成立するようになる。ドイッチュはこれを文化情報共同体(community)と呼ぶ。一定の地域である程度のコミュニケーション密度が長期間継続すると、そこは「くに」(country)となる。そして、そこに住む人たちが「民族」(people)と呼ばれるようになる。この「民族」(people)が自分たち独自の政府(government)つまり統治機構(state)を持ちたいと考えた瞬間に「民族」peopleは「国民」(nation)となる。こうした「民族」(nation)あるいは「国民」(nation)が実際に政府を樹立し成立するのが「国民国家」(nation-state)である。

 統治機構を持つということは、経済社会と文化情報共同体を管理・制御ないしは拡張・発展させるためのルールを策定することを意味する。そのルールに正解が1つしかないのであれば、地球上にはただ1つの国家が成立することとなる。いわゆる地球市民の誕生である。これに対して、そのルールが多様であるならば、その多様性の数だけ国家が生まれる。現代は多元国家社会であるから、後者の考え方に立脚していると言えるだろう。仮に人間が完全に合理的であれば、ただ1つのルールも成立しうるのかもしれない。しかし、人間は不完全な存在であるから、それゆえに多数の国家が導かれるのは自然の流れである。

 ナショナリズムは、統治のルールを策定した人々がこの世を去った後でも、国家が必要だと思わせるための動機である。あるいは、先代から引き継いだルールを現在の事情に合わせて調整する役割を担う覚悟である。いずれにしても、統治のルールが正統であると思わせるのがナショナリズムである。ただし、前述のように、ルールの正統性は客観的ではない。客観性があれば、ルールは結局1つに収斂し、単一国家が成立するはずだ。しかし、現実はこれと異なるので、正統性とは主観的である。主観的であるがゆえに、人によっては不自然さを覚える。不合理さを感じながらもなおそれが必要だと思わせるのは、国家に対する同情でも共感でもない。紛れもない愛である。我々は、愛する人に欠点を見出しても、それも含めて相手を愛することができる。

 国家はナショナリズムを高揚させるために、様々な手を打つ。典型的な手法は歴史教育である。ナショナリズムを重視する国家は、歴史教育において①建国の神話、②民族的優位性、③国家が過去に受けた傷を強調する傾向がある(以前の記事「鳥海靖『日・中・韓・露 歴史教科書はこんなに違う』―韓国の教科書は旧ソ連並みに社会主義的」を参照)。建国の神話は、統治のルールのプリミティブな源泉である。そのルールに基づいて創られた国家は、他の国家よりも優れていると刷り込む。そして、自国が優れているにもかかわらず、外部の国家から傷を受けたことを屈辱に思い、反骨心を燃やす。それがナショナリズムのエネルギー源となる。

 現在、グローバル化の進展に伴って移民が増加し、先進国のナショナリズムを脅かしていると言われる。先進国にとって、移民はナショナリズムを傷つける存在であるから、移民が増えれば増えるほど、ナショナリズムは否応なしに燃え上がる。そこで、移民を自国のナショナリズムに統合することはできないかと考えるようになる。例えば、ドイツは移民に対して日常生活で必要なドイツ語の教育を行い、ドイツのコミュニティに融合できるよう様々な支援を施している。

 ただ、個人的には、移民のナショナリズムを変えることは不可能に近いと考える。元々ヨーロッパ諸国は、国民国家が人為的に形成された国家である。まだ国家が脆弱で、ナショナリズムなるものがほとんど意識されていなかった時代には、一から国民国家を創造することもできただろう。しかし、現代は国民国家が成熟し、ナショナリズムを持つヨーロッパ諸国に、それとは別のナショナリズムを持つ移民が流入している。こうなると、いくら人為的に国民国家を創出した過去を持つヨーロッパと言えども、ナショナリズムの統合は困難を伴う。

 企業の合併においてさえ、双方の組織文化を統合することは難しい。よって、近年は合併せずに、経営統合によって持株会社を作り、その下に既存の企業をぶら下げるという手法が取られることが多い。こうすれば、組織文化の統合をあまり気にしなくても済む。企業ですらこんな具合なのだから、国家レベルでナショナリズムを統合するのは至難の業である。企業の場合、仮に組織統合に失敗しても、社員には企業を辞めるという選択肢がある。しかし、ナショナリズムの場合は、ナショナリズムの統合が気に入らないからと言って簡単に離脱することができない。だから、ナショナリズムの衝突は深刻な問題を引き起こす。

 やや話が逸れるが、日本は人種、経済社会、文化情報共同体の境界がほとんど奇跡的に一致していて、ほとんど自発的に国民国家が形成された国家である。近年、労働力不足を理由に移民の受け入れの是非が活発に議論されている。ヨーロッパでさえ苦労しているナショナリズムの統合を、日本がやすやすと行えるとは思えない。そうでなくても、日本は太平洋戦争で中国や朝鮮などの人々を完全に日本人化しようとして失敗している。このことを忘れてはならない。

 そもそも、移民の増加は本当にグローバル化のせいなのかという疑問が湧く。ヨーロッパに中東からの移民が流入しているのは、グローバル化が進展したからというよりも、アメリカを中心とする有志連合軍にヨーロッパ各国が参加し、シリアやISを空爆している結果である。よって、移民の増加は経済的な要因ではなく、政治的な要因である。だから、どうすれば移民を自国に統合できるか?移民と共存できるか?という問いは、問題の設定が誤っている。どうすれば移民が生じないようにできるかという政治的な問題に取り組まなければならない。

 一般的に、グローバル化した経済では、人、モノ、資金、情報、知識が国境を越えて自由に移動すると説明される。冒頭に挙げた経済社会は拡大傾向にある。経済社会が拡大すれば、新たな統治ルールが必要となる。しかし、現代において、新しい統治ルールのために国家が統合するという話はついぞ聞いたことがない。むしろ、国家の数は増える一方であり、特に小国の増加が目覚しい。その要因は、人だけは越境移動が少ないからではないかと思われる。

 確かに、外国で働く人は増えている。だが、その増加率は、他の要素の越境移動の増加率に比べると著しく低いと予想される。グローバル企業が外国に進出した場合、本社から現地法人に送り込まれる人間はごく少数で、ほとんどがローカル社員で構成される。特に、欧米企業はこういうマネジメントをやる傾向が強い。つまり、人の移動は大々的には発生しないのである。世界は思ったほどフラット化していない。よって、文化情報共同体は経済社会ほどには広がらない。むしろ、インターネットによって人々のコミュニケーションが密になると、文化情報共同体は分断される。これが、現代において小国が増加している一因であると考えられる。

 そうは言っても、移民や外国で働く人はゼロにはならないから、ナショナリズムの衝突に関する解決策も考えておかなければならない。そのためには、ナショナリズムの中身をもっと穏健なものにすべきだ。先ほど、ナショナリズム的な教育では、①建国の神話、②民族的優位性、③国家が過去に受けた傷を強調すると書いた。このうち、②③は他の民族との競争、衝突を想定している。つまり、他の民族と競争、衝突しなければナショナリズムを保つことができない。移民によるナショナリズムへの攻撃とは、ナショナリズムの性質そのものが招来した結果であるとも言える。したがって、ナショナリズムから比較、優劣という概念を外し、②は相互尊重に、③は民族の自信(もちろん、他の民族を打ち破ったという自信ではない)に置き換えなければならない。

 ここからは日本の話。日本では、ナショナリズムは国体という言葉で語られることが多い。しかし、この国体が指す意味は非常に曖昧である。太平洋戦争では国体のために国民が戦ったと説明されるが、軍・政府の要人から末端の国民まで、国体の中身を理解している人は誰一人としていなかったと、本書の著者である姜尚中氏も山本七平も同じように指摘している。

 強いて言うならば、国体とは天皇制のことではないかと私は考える。よって、国体は天皇に近い立場にある人にとっては非常に重要となる。だが、本来、天皇に近い立場にある人は少数である。日本社会は、本ブログでも何度か述べたように(以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1/2)」を参照)、垂直方向と水平方向に細かく区切られた巨大なピラミッド社会であり、日本人がそれぞれの持ち場で能力を発揮することを美徳とする。ピラミッドの下層に位置する大半の人にとって、頂点に位置する天皇は遠い存在である(同じことは日本人と政治の関係についても言える。日本人から見ると、米仏の大統領選では候補者と国民の距離が近いことに驚かされる)。

 太平洋戦争は、天皇と縁遠かった一般人を無理やり天皇に近づけて、社会全体をフラット化し、総力を動員する戦いであった。慣れない方法で戦った日本は結局敗れ、天皇に近づいた多くの人々は元のポジションに戻った。その時に彼らが見せた反応は驚くほど似ている。つまり、「本当にこの人が軍隊を率いていたのか?」と思わせるような、ひ弱な反応を示すのである。分際を超えた役割を担わされたことの現れである。姜尚中氏は、丸山眞男の論文から次の箇所を引用している(孫引きとなることをご容赦いただきたい)。
 彼ら〔戦犯裁判の被告〕に於ける権力的支配は心理的には強い自我意識に基づくのではなく、むしろ、国家権力との合一化に基づくのである。従ってそうした権威への依存性から放り出され、一箇の人間にかえった時の彼らはなんと弱々しく哀れな存在であることよ。だから戦犯裁判に於いて、土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する。
(丸山眞男「超国家主義の論理と心理」)
 山本七平は、戦後に収監されたある将官の変化について次のように述べている。
 選び抜かれて将官となり、部下への生殺与奪の権を握っていたこの人たち、この人たちに本当に指揮者(リーダー)の資質があるなら、今でも何かを感ずるはずだが、それは感じられない。

 野戦軍の「将」であったのか、それならば、たとえこうなっても「檻の中の虎」に似た精悍さを感ずるはずだが、それもない。では何かの責任者だったのか、それならば最低限でも「部下の血」に対する懊悩から、こちらが顔をそむけたくなるような苦悩があるはずだ。(中略)そういう苦悩があるとさえ感じられない。
一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08

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 天皇に近い人にとってナショナリズムが重要であるということは、裏を返すと、大半の国民にとってナショナリズムは関係がないことだと思われるかもしれない。しかし、私はそうは考えない。国民は天皇制を心象すればよい。その上で、巨大なピラミッド構造における自分の持ち場において、最善を尽くせばよい。というのも、巨大なピラミッドは、天皇が象徴すること、すなわち、

 ①歴史や伝統を重んじること。過去の遺産を引き継ぎ、生きている間に価値を加えて、よりよい形で次世代に引き継ぐこと。
 ②日本は天然資源に乏しい国である。そこで、限られた天然資源を有効に活用すること。
 ③一方で、日本人の能力は多様であり、様々な可能性があると信じること。学習によって個々の能力を伸ばし、適材適所を実現すること。
 ④集団・共同体・和を重んじ、仁の精神を実践すること。平時の際も危機の際も他者を助け、他者に奉仕し、秩序を守ること。
 ⑤③で日本人の能力の可能性を信じると書いたが、日本は西欧のように飛び抜けた天才に恵まれた国ではない。そこで、他国のよいところを積極的に取り入れることで能力を補うこと。その代わりに、他国に対する恩返しを忘れないこと。

を体現するように長い年月をかけて形成されてきたからだ(以前の記事「『混迷するアメリカ―大統領選の深層(『世界』2016年12月号)』―天皇のご公務が増えたのは我々国民の統合が足りないから、他」を参照)。つまり、それぞれの国民が自分のポジションで責任を全うすることが、天皇制の支持につながる。こういう”弱い”ナショナリズムが日本には合っていると思う。

 最後に1つ思考実験。仮に日本が移民だらけになった場合、それでもナショナリズムは存続するかという問いである。前述の通り、日本の場合はナショナリズム=国体=天皇制であるから、天皇制が存在する限りナショナリズムは存続すると考える(天皇制が続くということは、移民だらけになっても、皇室に入る日本国民が最低限度存在することを前提とする)。だが、移民だらけになった日本社会は、現在の社会とは似ても似つかぬものになるだろう。それでも天皇が前述の①~⑤を象徴していればナショナリズムが存続していると言えるのか、国民がほとんどいないのに①~⑤を象徴するとはどういうことなのか、①~⑤と現実社会が大幅に乖離していてもナショナリズムがあると言えるのか、これらの点については今の私には十分に論じることができない。


2016年12月20日

【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―知識労働者の「知識」とは何か?


断絶の時代―いま起こっていることの本質断絶の時代―いま起こっていることの本質
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-09

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 ドラッカーは早くから「知識労働者」の登場に注目していた。だが、個人的な印象を述べると、ドラッカーが知識労働者と言う時の「知識」は一体何を意味しているのか、やや判然としない。第一義的には、学校で学ぶ知識のことを指しているようである。
 しかし仕事の基盤となるものは、あくまでも知識である。そこで必要とされるものは、徒弟としての訓練よりも、学校での教育である。生産性を左右するものは、学校で学ぶコンセプトや考え方や理論である。
 この文章を額面通りに受け取れば、学校教育、特に高等教育を受けた人はすぐに知識労働者になれるようにも思える。しかし、これは我々の実感とはあまりにもかけ離れている。実際、ドラッカーは20歳そこそこの若者には大した期待をかけていない。
 この学校教育の延長が、仕事に知識を適用することを必然とした。18歳や20歳まで学校に行ったからといって、大したことは学んでいない。
 ドラッカーは、仕事を長く続けるうちに、必要となる知識の内容が変化するから、新しい知識を学ぶことができるように、学校が継続教育の場になる必要があると説いた。
 知識が仕事に不可欠になった時代にあっては、継続教育、すなわち経験と実績のある成人を何度も学校に帰らせることが必要となる。そしてそのとき、将来必要となるものをすべて学ばせるという今日の学校の意図が意味をなさなくなる。
 では、知識労働者が継続的に学習する必要がある知識とは一体何なのだろうか?私は、3つの次元に分けて考えることができると思う。1つ目は、純然たる専門知識である。システムエンジニア、医師、弁護士、会計士、デザイナー、教師など、その職業に固有の知識である。専門知識については、深く知る必要がある。元東京大学総長である小宮山宏氏によれば、知識とは領域を区切ることと、区切られた領域における原理を明らかにすることである(『知識の構造化』〔オープンナレッジ、2004年〕より)。優れた専門家は、複雑な事象をシンプルな原理で説明することができる。専門知識を深めるとは、扱うことができる現象を広げることと、現象を説明する原理を単純にすることという、相反する要求を両立させることに他ならない。

知識の構造化知識の構造化
小宮山 宏

オープンナレッジ 2004-12-24

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 かつては知識は教養人の飾りであったが、現代の知識は実用的でなければならない。現実世界の具体的な課題に対して解を提示し、成果を上げる必要がある。ここで、先ほど述べたことと矛盾するようだが、現実の問題は単独の専門家による単独の専門知識だけでは解決できないケースが増えている。どんなに専門家が専門知識を深め、説明可能な現象を広げたとしても、社会の問題は常にその現象を上回る広がりを持つ。ドラッカーは次のように述べている。
 今日では、知識とその探究は、専門分野別ではなく、応用分野別に組織されることが多くなった。学際研究が急速に発展している。研究組織も、アフリカ問題、ソ連問題、都市問題など応用分野別となっている。それらの組織には、経済学、精神病理学、農学、美術史にいたる多様な専門分野から人が集められる。今日では、学際研究が、大学に活力を与え、その方向を決めている。
 よって、知識労働者に求められる2つ目の知識は、自分の専門外の分野を理解するための知識である。これは非常に難しい。小宮山氏によれば、ナノテクノロジーという分野1つをとっても、その中は分子機械、ナノ光触媒、ナノカーボンチューブ、量子通信、ナノワイヤ、近接場光、ナノガラス、分子線エピタキシー、ナノダイヤモンド、ナノリソグラフィなど様々な分野に分かれており(『知識の構造化』ではさらにたくさんの分野が列挙されている)、それぞれが単独の専門知識を形成しているという。そして、専門分野が異なると研究者同士で話が通じないということが頻繁に起こる。ナノテクノロジー1つを見てもこんな具合であるから、経済学、精神病理学、農学、美術史の専門家同士の会話がカオス状態になるのは想像に難くない。

 ところが、優れた研究者の中には、専門外の分野の知識をすぐに理解できる人がいる。小宮山氏は「マニア」という言葉を使って次のように述べている。
 マニアは、複雑な人工物を幾つかの原理に分解し、原理間の相互関係を理解するという方法で、その構造を理解しているのである。その結果、マニアは、初めて手にする最新の携帯電話機でも数分でその構造を完全に理解できる。マニアの理解の仕方は知識の構造化であり、人類の希望だ。
 マニアは、専門分野が異なっても、連想、敷衍、援用、関連、創造などの手法を用いて、その分野で通用する基本的な原理を瞬時に見抜く力を持っていると言える。もちろん、その分野の専門家並に精通する必要はない。ベーシックな原理だけを理解できれば十分である。1つ目の知識と2つ目の知識を習得すると、いわゆるT字型の人間になることができる。しかも、T字の縦棒と横棒が長く伸びた、巨大なT字型の人間になれる。

 知識労働者には上記の2種類の知識に加えて、もう1つ知識が必要である。それは、知識労働者が、専門分野を異とする他の知識労働者と協業して成果を上げなければならないことから要請される知識のことである。ドラッカーは次のように述べている。
 学ばなければならない重要なことは、特定の科目ではない。いかにして学ぶかである。個々の技能ではなく、普遍的な能力を身につけること、すなわち技能を手にし、成果を上げ、何ごとかを達成するための基盤としての知識を体系的に習得し、それを適用することである(※太字下線は筆者)。
 端的に言えば、マネジメントのことである。課題解決の対象とすべき領域を定めること、その領域がどのようなサブ領域から構成されているかを見抜くこと、解決すべき課題を設定すること、課題解決に必要な知識労働者を動員すること、チームメンバーが従うべき共通の価値観や行動規範を定めてチームの求心力を高めること、プロジェクト全体のスケジュールと予算を管理すること、メンバーとコミュニケーションを密にし進捗管理をすること、タスクの変更に柔軟に対応しプロジェクトに及ぼす影響を管理すること、チーム内のコンフリクトの解消に尽力すること、などである。これらの知識は、社会学、心理学、組織学、政治学、行動科学、経営工学、ファイナンス理論などの知識を下敷きとしている。よって、第3の知識を習得するには第2の知識が必須となる。

 これらの知識を持つ人材を中長期的に育成するために、大学の変革が必要であるとドラッカーは強く主張している。先ほども述べた通り、大学が継続教育の場となるべきだと言う。ただ、アメリカでは、企業の人事部、特に教育研修部門の力が弱いことを念頭に置く必要があるだろう。それから、アメリカの場合は、一旦企業を離れて大学に戻っても、その後その人を受け入れる企業がちゃんと存在するという事情も考慮しなければならない。日本の場合は、人事部がそれなりに強い力を持って上に、社員が長期間企業を離れることをよしとしない。よって、人事部が主導で、今まで述べてきた3つの知識を有する知識労働者を育成すべきだと考える。

 私も企業に対して教育研修サービスを提供する人間として大いに反省しなければならないのだが、日本の企業研修は極めて場当たり的である。実務でたまたま上手くいったことを全社に展開しようとする。そこには科学性が見られない。だから、教育研修の投資対効果を測定することができない。教育研修には何百万円、時に何千万円とかかるのに、未だに多くの企業では投資対効果を研修終了後の満足度アンケートに頼っている。ビジネス上の成果と教育研修の内容を科学的に結びつけることができていない。その点、大学は科学に強い。よって、人事部(および私)は大学と連携して、研修の科学性を高める努力をしなければならない。

 また、教育研修部門は、研修という狭い世界に閉じこもって、研修運営の専門家になるだけでは物足りない。知識労働者の知識レベルを高め、現場での成果の増大を支援する部門へと変革することが求められる。教育研修部門は現場に出向いて、現場がどのような成果を目指しているのか、その成果を上げるためにはどのような業務を行う必要があるのかを一緒に検討する。そして、その業務を行うためにはどのような知識が要求されるのか、現在の社員にはどんな知識が不足しているのかを分析する。その結果に基づいて、必要な研修をデザインする。

 社員が研修を受けた後、研修で学んだことを現場で実践できるような仕組みを整えることも重要である。まず、必要な知識をいつでも参照できる情報システムを構築する。この点で、教育研修部門は情報システム部門との連携が不可欠となる。研修で使ったテキストが研修後には社員のデスクの奥にしまわれてしまうようなことは避けなければならない。また、社員はどんなに研修でいいことを学んでも、それが現場で評価されなければ絶対に実践しない。そこで、人事制度を変える必要がある。研修で学んだことを現場で実践したら、プラス評価されるような評価体系にする。教育研修部門は、今こそ人事考課部門との垣根を取り払うべきである。



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