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『イノベーション研究 これからの20年(『一橋ビジネスレビュー』2017年SPR.64巻4号)』―ビジネスプロセスのデザインに社会的要請を反映させる法
『イノベーション研究 これからの20年(『一橋ビジネスレビュー』2017年SPR.64巻4号)』―「製品・サービスの4分類」に関する修正案
『原発事故に奪われ続ける日常―3.11から6年(『世界』2017年4月号)』―福島第一原発事故は「想定内」だった、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

Experian海外企業信用調査 海外企業信用調査(Experian)
(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2017年03月31日

『イノベーション研究 これからの20年(『一橋ビジネスレビュー』2017年SPR.64巻4号)』―ビジネスプロセスのデザインに社会的要請を反映させる法

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一橋ビジネスレビュー 2017年SPR.64巻4号一橋ビジネスレビュー 2017年SPR.64巻4号
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-03-10

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 私がコンサルティングを行う場合には、BPR(Business Process Re-engineering)的な発想をすることが多い。BPRとは、元々は1990年代にマイケル・ハマーとジェームズ・チャンピーが生み出したコンセプトで、日本では『リエンジニアリング革命』という書籍で紹介されている。BPRの目的は、「社内のビジネスプロセス(業務プロセス)を部門横断的に再構築(Re-engineering)して全体最適化し、顧客価値を最も効果的・効率的に実現すること」である。

 ただ、当時のアメリカ企業は、株主から短期的に業績を改善させて株価を上昇させるよう、強いプレッシャーを受けていた。経営陣は、手っ取り早くコストカットやリストラを行う手段としてBPRに飛びついた。その結果、短期的には確かに業績が回復したが、過剰なBPRによって必要な組織能力までが削がれたため、長い目で見ると再び経営不振に陥ってしまった。マイケル・ハマーは、自分の提唱したコンセプトがこのような形で利用されたことを後年になって反省している。

BPRの考え方

 繰り返しになるが、BPRの本来の目的は、全社のビジネスプロセスの最適化によって高い顧客価値を実現することにある。BPRの考え方をまとめたのが上図である。まず、自社の経営ビジョンや事業戦略をインプットとして、自社がどの方向に向かおうとしているのかを明らかにする。それを受けて、その方向を実現するためのあるべきビジネスプロセス(別の表現をすれば、社員の行動の流れ)をデザインする。その上で、ビジネスプロセスに対して人、モノ、カネ、情報といった経営資源を効果的・効率的に投入するための仕組みを構築する。

 失敗する全社改革は、ビジネスプロセスの議論をせずに、いきなり経営資源を投入するための仕組みを変えようとしていることが多い。もう随分昔の話になるが、富士通が成果主義を導入して失敗したのは典型例である。富士通として目指すべきビジネスがまだ明らかになっていないのに、成果主義という人事制度だけをいじったために、現場が混乱してしまった。また、なかなか業績が安定しないソニーも、EVA会計を導入したことがイノベーションの芽を摘んでいると言われる。EVA会計は、投資案件の将来価値をかなり正確に計算できる反面、芽が出るかどうか解らない中長期のハイリスク案件が排除されてしまうというデメリットがある。ITについて言えば、競合他社に遅れまいと流行のシステムを導入して失敗したという話は数え上げればきりがない。

 BPRで重要なのは、ビジネスプロセスのあるべき姿を最初にしっかりと固めることである。その手順を簡単に下図に示した。まず、自社の事業環境(客観的な情報)と経営ビジョン(主観的な情報)を分析し、主要な経営課題を抽出する。そして、それらの経営課題を達成するためのビジネスプロセスのあるべき姿の方向性を固める。あるべき姿の方向性は、この後の作業で具体的にビジネスプロセスをデザインする際の基軸となる極めて重要な考え方である。

 下図は自動車メーカーの例であるが、まずSWOT分析によって、「多様な顧客に対し、個々に適切に訴求」、「本社のノウハウを販社にも共有」という経営課題を導いている。また、経営ビジョンの解釈を通じて、「顧客の把握、顧客に合わせた接点」、「全社情報・ノウハウの集約化」という経営課題を抽出している。これら4つの経営課題から、あるべき姿の方向性を定義する。あるべき姿の方向性は、ビジネスプロセスの基軸となる考え方であるから、プロセス志向で記述する必要がある。下図では、①顧客理解深化と「個」客応対型セールス、②本社によるサポート強化と営業プロセス標準化、③マルチチャネルの活用、という3つの方向性を打ち出している。

あるべき姿のデザイン~作業イメージ

 あるべき姿の方向性が定まったら、それに基づいて具体的なビジネスプロセスへと落とし込んでいく。まず、縦軸にあるべき姿の方向性を、横軸にビジネスプロセスを並べる(下図では顧客の消費プロセスとなっているが、どちらでもよい)。そして、それぞれの方向性を受けて、ビジネスプロセスの各フェーズにおいて具体的にどのような業務を行うのかを記述する。例えば、「①顧客理解深化と「個」客応対型セールス」という方向性を受けて、「情報収集」フェーズでは、「個客ごとに最適化された質の高い情報の作成」という業務を行う、といった具合である。さらに細かくビジネスプロセスを定義する場合には、今度は縦軸に部門・担当者を並べて、各部門・担当者がそれぞれのビジネスプロセスのフェーズで具体的にどのような業務を行うのかを書いていく。

あるべき姿のデザイン~あるべき姿の詳細化

 以上がオーソドックスな方法であるが、最近はCSRもしくはCSVの観点から、社会的要請を反映させたあるべき姿をデザインする方法を考えなければならないと感じている。本号では、循環型経済を実現するために企業が着手すべきこととして、次のような提案がなされている。
 特に、生産プロセスは最終製品そのものと生産に使用されるすべての原料が、分別・再収集可能で、再利用されるか安全に自然に返されるよう、必ず再デザインされなければならない。
(ジョエル・ベーカー・マレン「循環型経済のためのイノベーション」)
 ビジネスのためのイノベーションが直面する最大の課題は、生物学的な投入物(※綿や羊毛のように、製品寿命が終わった際に安全に自然に返すことができる原料のこと)と技術的な投入物(※金属や石油化学製品のような原料で、生産過程で意図的に価値を持つように意図的に加工を施されたもの。安全に自然循環に返すことができない)を製品使用後に効率的に収集・分離し、これらを直線的システムではなく循環型経済システムのなかで機能するような製品と生産プロセスにデザインしていくことである。(同上)
 前述の自動車メーカーの例で言えば、安直な発想だが、4つ目のあるべき姿の方向性として、「④自動車部品や下取り車のリサイクルを推進する」が加わり、「カーライフ期」において、販売店は「部品メーカーと連携して交換部品のリサイクルを行う」、部品メーカーは「交換部品を生物学的な投入物と技術的な投入物に分解する」、「技術的な投入物が新品と同等の品質を有するよう再加工する」、「技術的な投入物を部品製造ラインに再投入する」必要が出てくるだろう。

 また、あるべき姿の方向性のインプットとして重要になるのが、以前の記事「「SDGs(持続可能な開発目標)」を活用した企業支援【城北支部青年部勉強会より】」で触れた17の目標である。これらの目標のうち、自社のビジネスに関連するものを取り入れていくことも重要である。ここでポイントとなるのは、社会的要請やSDGsを自社のビジネスの制約要因ととらえないことである。社会的要請やSDGsを自社ビジネスの成長・発展につなげる視点が必要である。この辺りはまだフレームワークにまで落とし込むことができていないため、今後の私の課題である。

 ※4月は1か月間ブログをお休みとさせていただきます。5月にまたお会いしましょう!

2017年03月30日

『イノベーション研究 これからの20年(『一橋ビジネスレビュー』2017年SPR.64巻4号)』―「製品・サービスの4分類」に関する修正案

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一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-03-10

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 以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」で以下の図を用いてきたが、「必需品か否か?」という縦軸が非常に曖昧であるという問題意識を持っていた。必需品と言うと、普及率が高い製品・サービスを想起しがちだが、私が下図の「必需品でない」という言葉で意図していたのは、1人1台などの制約を超えて、その製品・サービスが好きな人はとことんそれを購入するということであった。この点が「必需品ではない」という言葉ではどうも上手く伝わらない。また、【象限③】の具体的企業としてマイクロソフトを入れたのも、【象限③】はイノベーションに強いアメリカの企業が多いことを示すための苦肉の策である。前述の「必需品でない」という言葉の意味からすると、MSの製品を何台も買う人はいないから、【象限③】に入れるのには無理があった。

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(具体的な企業)
 (※)世界の時価総額トップ20の企業を各象限にあてはめたもの。
製品・サービスの4分類(修正)

 そこで、上図を以下のように修正してみた。縦軸は、「人口・企業数によって需要が予測しやすいか?」である。【象限①】の日用品や食品、白物家電、【象限②】の自動車や住宅などは、人口によって需要がある程度予測できる。よほどの大食漢でもない限り1日5食も6食も食べないし、よほどの物好きでもない限り自動車を5台も6台も所有しない。以前の図では金融(保険)を【象限③】に入れていたが、生命保険を2つも3つも契約する人はいないから、【象限①】に移動させた。以前の記事でも書いた通り、【象限①】は「製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さい」ため、参入障壁が低く、比較的中小のプレイヤーが過当競争を繰り広げる傾向がある。近年、保険の種類は爆発的に増えており、【象限①】の特徴にも合致する。

 【象限③】から【象限①】に移動させたもう1つの例がMSである。前述のように、パソコンの需要は人口や企業数によってある程度予測がつくというのがその理由である。ただし、【象限①】では比較的中小のプレイヤーが過当競争を繰り広げるという傾向に反して、MSは未だに世界で独占的地位を占めている。MSだけは、私の頭を悩ます大いなる例外である。【象限①】の本来の特性に従えば、世界中で様々なOSが登場し、OS間の互換性を持たせるためのソフトも多数開発されるはずであるが、MSは戦略的にその道をふさぐことに成功している。

 【象限③】と【象限④】は、人口・企業数による需要予測が難しい製品・サービスである。スマートフォン、タブレットは、本体自体は人口による制約を受けるものの、スマホやタブレットのビジネスの本質はアプリにある。アプリが好きな人は次々とアプリをインストールするし、ゲームにはまった人はどんどん課金をする。スマホやタブレットのビジネスは、こうしたコアな顧客層に支えられている(この点がパソコンと異なる)。エンタメ、テレビメディア(主に娯楽関係)、映画、音楽に関しては、見たい人、聴きたい人はとことんはまり、関連製品・サービスをたくさん購入する一方で、興味のない人は全く見向きもしない。ブランド品や書籍、雑誌も同じである。証券についても、投資する人とそうでない人との間には、投資金額に雲泥の差がある。googleやfacebookを中毒のように使用する人もいれば、そういうものをほとんど使わない人もいる。

 【象限④】は、人口・企業数による需要予測が難しく、かつ、製品・サービスの欠陥が顧客・事業に与えるリスクが大きいという、最も経営が難しい象限である。以前の図ではここに軍事と航空を入れていたが、航空は人口によってある程度需要の予測がつく(飛行機が好きだからという理由で飛行機に乗りまくる人はいない)。そのため、航空は【象限②】に移動させた。代わりに、金融(預金・貸出)を【象限②】から【象限④】に移動させた。金融機関が預金と貸出によって実現する信用創造機能は、経済システムを支える根幹である。よって、ここに障害が起きると、経済全体が破綻する危険性がある。かつ、預金者は通常、持っている現金の大半を預金するし、企業は借りられる時に目一杯融資を受けようとするから、その需要は予測しづらい。

 軍事と金融(預金・貸出)は、他の業界に比べて特別な意味合いを持っている。金融(預金・貸出)は、前述の通り金融機関による信用創造機能と関連している。また、軍事は、特にアメリカにおいて顕著だが、よくも悪くもイノベーションの重要な源泉となっている。軍事上の発明が民生化されて世界中に普及した例は枚挙にいとまがない。

製品・サービスの4分類(大まかな分類)

製品・サービスの4分類(各象限の具体例①)

製品・サービスの4分類(具体的な企業)

製品・サービスの4分類(各象限の具体例②)

 最後の図で、【象限①】と【象限②】は機能面重視、【象限①】と【象限③】は情緒面重視と書いたが、【象限②】は情緒面を、【象限③】は機能面を全く無視しているわけではない点は誤解がないように補足しておかなければならない。本号には以下の記述があった(ようやく本号の内容に触れることができた)。特に、日本企業が強みとする【象限②】において、情緒面のウェイトを高めていくことが今後は重要となるであろう。
 日本企業のなかでも、高い国際競争力を維持している自動車産業は、このアップルと同様の特徴を持つ。日本企業がものづくりに優れているのは他の産業でも同様だが、自動車の顧客価値はカタログ仕様を超え、主観的な好みが重要である。自動車を購入する場合には、カタログだけではなく、販売店でじっくり観察し、試乗する場合が多い。
(延岡健太郎「顧客価値の暗黙化」)
 今まで私は、イノベーションを【象限③】に限り、【象限①】と【象限②】はマーケティングの世界だとしてきた。だが、これではイノベーションを狭くとらえすぎているのではないかと反省した。【象限①】や【象限②】でもイノベーションはありうる。ただし、【象限③】のイノベーションにはアメリカ企業が強いのは事実である。【象限③】は人口・企業数によって需要が規定される象限ではないため、イノベーションがヒットすれば市場は指数関数的に増加する可能性を秘めている。一方で、何がヒットするかを事前に予測することが困難であるから、イノベーターは次々とイノベーションを市場に投下しなければならない。その結果、イノベーションが小粒になる恐れがある。日本の話になるが、新規性よりも一過性の奇抜さが重視され、「なぜこんなアプリ、映画、音楽、ドラマがヒットするのか?」と首をかしげたくなるイノベーションが増えているような気がする。
 現在、加速しているように見えるイノベーションは、既存のシステムを創造的に破壊するようなものというよりも、既存のシステムの上で新しい価値を付け足せるようなイノベーションであるということが考えられる。(中略)イノベーションが加速しているといっても、手近な果実の組み合わせばかりを追求しているということを示唆している。
(清水洋「加速するイノベーションと手近な果実」)
 一方で、【象限①】や【象限②】におけるイノベーションとは、既存の製品・サービスの技術を大幅に高めたり、既存の製品・サービスに取って代わる新しい技術を生み出したり、ビジネスモデルやビジネスシステムを抜本的に再構築したりするような大がかりなものである。したがって、【象限③】のイノベーションに比べると、普及に時間がかかる。前述の論文の著者の言葉を借りれば、【象限①】や【象限②】のイノベーションに必要なのは、以下の要素となる。
 これまで経済史の研究の蓄積から、大きな経済成長をもたらすのは、ジェネラル・パーパス・テクノロジーとそれについての累積的な改良であるということが明らかになってきている。(同上)
 本号で衝撃的だったのは、一橋大学イノベーション研究センターの米倉誠一郎教授が「アントレプレナーは育成できない」と断言していることだった。
 (※これまでの自身の)経験からいって「新しい事業を起こす企業家、すなわちアントルプルヌアの育成などはできない」というのが、筆者の率直な実感である。(中略)そもそも育成なんかできないのだから、誰でも彼でも起業にチャレンジさせ、そのプロセスでアントルプルヌアに仕上げることが重要となる。
(米倉誠一郎「企業の新陳代謝とクレイジーアントルプルヌアの輩出」)
 起業家教育に携わった人物が起業家教育を否定しているのだが、個人的にはそれでも起業家教育は必要だと思う。ただし、起業家教育を通じて起業家を輩出することが目的ではない。起業家教育という既存の枠組みに収まらない型破りな起業家を生み出すのが目的である。私はこれを「教育のパラドクス」と呼んでいる。私の直観だが、教育に投資すればするほど、既存の知識体系では物事を考えない人が現れる。そして、彼らが経済や社会の成長を牽引する。実は、彼らが実際に教育を受けたか否かは問題ではない。彼らは教育を受けなくても、既存のフレームワークを打破することがある。なぜそんなことが可能なのか今の私には解らないのだが、現にビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズはMBAを受けなくても世界を変えることができた。

2017年03月29日

『原発事故に奪われ続ける日常―3.11から6年(『世界』2017年4月号)』―福島第一原発事故は「想定内」だった、他

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世界 2017年04 月号 [雑誌]世界 2017年 04 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-03-08

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 (1)
 「私の理解している限りでは、事業者のJCOに事故収集の全責任があり、その経営者の責任において作業従事者を決め、作業命令を出してもらわないことには始まらない。(中略)しかし、この時点での会社側の考え方は、どうもそうではなかったようだ。国が乗り出してきて、臨界解除の手段にまで介入したからには、作業そのものも役所の責任で行ってくれるのではと期待したらしい。(中略)」 このときのJCOの対応は、ある意味で、福島第一原発の二号機の危機に際して東電がとった、直接作業に関わらない職員や協力企業の作業員を第二原発に「撤退」させた措置に近い。
(七沢潔「原発事故の収束は誰が担うのか」)
 JCOも東京電力も、事故の当事者であるにもかかわらず、その責任は国が取ってくれるものだろうと期待していたようだ。これは日本人の決定的な弱みである。

 通常、階層社会では、一番上の階層が最も大きな権限と責任を有する。そして、階層が下に下るにつれて、上の階層からの命令を粛々とこなすだけの存在になり、権限も責任も小さくなる。ところが、日本の場合は、本ブログで山本七平の言葉を借りて何度も書いてきたが、下の階層が上の階層に向かって、「命令の内容は解るが、もっとこうした方がいいのではないか?」と「下剋上」する(ただし、山本の言う下剋上は、通常の下剋上と異なり、上の階層の打倒を目的としていない点に注意が必要である)。提案を受けた上の階層は、「君がそこまで言うならやってみよ。ただし、責任は私が取る」と言って、権限を委譲してくれる。下の階層は、責任は上の階層に持たせたまま、自由に振る舞う。こうして下剋上を果たした下の階層は、今度はより下の階層から下剋上を受ける。これが繰り返されると、下の階層に向かって次々と権限移譲が生じる。

 日本社会は、非常にラフなスケッチだが、「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という多重階層構造である。通常の階層社会の考えに従えば、神が最も大きな権限と責任を有し、家庭はわずかな権限と責任しか持たない。ところが、前述のように上の階層から下剋上が繰り返された結果、神は最も大きな責任を有するが最も権限が少なく、家庭は最も大きな権限を有するが最も責任が小さいという状態になる。そして、最上位の神を除く階層はいずれも、上の階層が責任を取ってくれるという安心感の下、自由に権限を行使する。

 こうした日本社会の構造は、より下位の階層の創意工夫を引き出し、彼らを動機づけるという点では極めて優れている。トップのリーダーシップに過度に依存せず、下位の階層の多様なアイデアを活かすことができるため、トップのリーダーシップに問題があるがために組織全体が間違った方向へ進むというリスクが少ない。しかしながら、日本社会の特徴は、ひとたび問題が生じた場合に、責任の所在が曖昧になるという弱点を抱えている。

 JCOも東京電力も、現場の社員は下剋上によって上司から大きな権限を獲得していた。ところが、事故が起きると、その責任は上司にあると言って逃げてしまう。その上司はというと、同じく下剋上によってさらに上の上司から権限を獲得していたものの、責任はその上司にあると言う。組織の階層を上に上っていけば、最終的な責任は経営陣に帰着しそうなものだが、その経営陣は今度は、原発を許可した国に対して下剋上をしており、責任は国にあると主張する。これが、JCOや東京電力の無責任な態度につながっていると考えられる。

 では、国は責任を取るのかと言うと、ここからは観念的な話だが、国は天皇に対して下剋上をして責任を天皇に押しつけ、天皇は神に下剋上をして責任を神に押しつける。そして、和辻哲郎によれば、神の世界もまた階層化しており、究極的な始点を持たないため、責任逃れはどこまでも上の階層へと続く。こうして、日本人総無責任状態とでも言うべき状況が生じる。太平洋戦争で結局昭和天皇の戦争責任を問えなかったのは、このロジックで説明できる。この悪癖は、日本社会の強みと密接に関連している。そのため、どうすればこの悪癖を矯正できるのか、今の私には妙案がない(以前の記事「日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(1)(2)」を参照)。

 (2)福島第一原発事故は想定外の津波によって引き起こされたと言われているが、事故後の様々な検証の結果、どうやら東京電力は3.11クラスの津波を想定していたようである。まず、2008年の時点で、東京電力は各種研究結果から、津波対策の重要性を十分に認識しており、具体的な対策も立てていた。にもかかわらず対策の実行を意図的に怠ったことが判明している。また、事故当時、吉田所長をはじめとする作業員が場当たり的に事故に対応する場面が何度もマスコミで流れたが、実は、あのクラスの事故に対応するためのマニュアルが存在した。

 マニュアルにはいくつかの種類がある。1つ目は「事象ベース手順書」であり、事故の原因を特定し、その原因を取り除くことを目的としたものである。事象ベース手順書はアメリカが発祥だが、原因と結果の因果関係をはっきりとさせることに主眼を置いているのがいかにもアメリカらしい。ところが、アメリカのスリーマイル島で事故が起きた際、原因の特定が上手くいかず、事象ベース手順書が機能しなかった。この反省に立って、「徴候ベース手順書」が作成された。これは、事故の原因特定に時間をかけるのではなく、今目の前で起きている事象に対して、包括的に対応することを目的としている。このやり方は日本人にも馴染みやすい(以前の記事「『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』―whyを問うアメリカ人、howを問う日本人」を参照)。これ以外には、「シビアアクシデント手順書」と「原子力災害対策マニュアル」がある。

 福島第一原発事故は「徴候ベース手順書」を適用すべきケースであったが、実際には無視された。それどころか、吉田署長をはじめとする関係者は、徴候ベース手順書の中身を十分に理解していなかった。発電事業は絶対に事故を起こしてはいけないし、万が一事故が起きた場合には早期に収束させる必要があるから、作業員の行動を事細かく規定するマニュアルの塊のような事業であるはずだ。ところが、東京電力ではマニュアルが全く活用されなかった。

 その原因を思いつく限り挙げてみると、

 ①本社が現場を十分に理解しておらず、マニュアルの内容が実態とかけ離れていた。
 ②マニュアルが十分に機能するか、現場で事前に十分な検証を行っていなかった。
 ③マニュアルが実態とかけ離れていることを本社にフィードバックしていなかった。
 ④本社と現場との間に信頼関係がなかった。
 ⑤上記4つ以外にも大小合わせて様々なマニュアルがあり、現場の理解を超えていた。
 ⑥必要な時に必要なマニュアルを参照できる環境がなかった。
 ⑦現場では普段からマニュアルを守らないことが横行していた、
 ⑧現場の権限が強すぎるため、本社の指示が頻繁に無視された。
 ⑨マニュアルを現場に浸透させる教育訓練が不足していた。
 ⑩マニュアルの順守度合いを評価する人事制度になっていなかった。

などが考えられる。これらの原因間のつながりをさらに考察し、東京電力におけるマニュアル軽視の組織風土を改める解決策を導出することが必要となるであろう。

 (3)
 田中:しかしそもそも、たまたま電力会社に入社し、発電所に配属された人が、いったん事故が起きたときには自分の生命をかけて対応しなければならない、ということなどあっていいのだろうか、と思います。命がけでやれ、逃げてはならない、ということになれば憲法に抵触する重大な問題だと思います。
(田中三彦、田辺文也、海渡雄一、澤井正子「原発事故の反省を共有するために」)
 (※諸外国では)命をかけることが義務付けられ、その代わりに命を落とした兵士は「英雄」となって遺族は国に手厚く遇されるのだ。日本の自衛隊にはこの仕組みはない。そしていま現在、原発事故緊急時のオンサイトの作業に自衛隊が加わることすら想定されていない。

 これまで何度も主体性が疑問視された原子力事業者の「自発的」緊急作業で、すべての危機が乗り越えられるのか、不安に思うのが自然だ。だが、それを不安と思えば、改憲で自衛隊を国防軍という名の軍隊にしたい政治勢力に隙を与えることになる。この不安は「取扱い注意」なのだ。実は、その不安を解消する方法がもう一つある。原子力をやめることだ。
(七沢潔「原発事故の収束は誰が担うのか」)
 たまたま電力会社で原発部門の担当となり、事故の際には命を懸けて対応にあたらなければならないのは過剰な要求だというのはまだ理解できる。一方で、七沢氏の主張は、原発事故のオンサイトの作業に自衛隊が加わった場合、自衛隊員に死者が出る可能性があり、それは許されないから原子力は止めるべきだという倒錯した主張にも読める。まるで、我が国の自衛隊はひ弱だから、危険から遠ざけておかなければならないと、自衛隊を卑下するかのようでもある。

 以前の記事「守屋武昌『日本防衛秘録―自衛隊は日本を守れるか』―基地の必要性を国民に納得させることはできない」でも書いたが、人間は放っておくとリヴァイアサン的な状態になるため、自己の権利と財産を守るために国家を建設することに合意した。国家の役割は国民の権利と財産を他者その他の要因による侵害から守ることである。そのために、対内的には警察、対外的には軍隊を有する。さらに、警察では対処できない国内の重大な危機についても、軍隊の出番となる。国家が軍隊を有するのは必然であり、軍隊が命を賭して国民を守るのは当然である。そういう軍隊に対する敬意がない国民は、国民たる資格を有しない。そんなに自衛隊が嫌いなのであれば、日本を捨てて、この世界でただ1人で生きていけばよい。

 左派はどうも自衛隊が嫌いなようだが、仮に中国や北朝鮮が日本を攻撃し、自衛隊が十分に機能しなかった場合に、彼らが見せる反応は大体予想がつく。「自衛隊 備えは十分であったか?」、「アメリカ依存の弱点が露呈した日本の防衛」、「見破られていた日本のレーダー網」、「自衛隊の能力不足で民間人に死者」などといった見出しが朝日新聞あたりに載るだろう。今まで散々自衛隊の存在を否定しておきながら、今度は自衛隊ありきで自衛隊の粗探しを始め、さらには自衛隊を十分に活用できなかった政府をも批判するのである。

 (4)
 辺野古が唯一という合理性のある根拠は、アメリカからも示されていません。なぜ辺野古なのか、なぜ沖縄の県内移転なのか。アメリカ側が軍事的合理性をもって主張しているとは思えません。
(呉屋守將「沖縄の未来に新基地はいらない―「誇りある繁栄」の実現に向けて」)
 「公民館に防衛省の人がきたときにね、こちらは『なぜここなのか』ということを一番聞きたかった。場所を決めるうえで調査したのなら、その調査項目を教えてくれと言ったけど、今日は資料もないのでそれはできない、と」
(島本慈子「宮古島市長選が問う代表制民主主義」)
 以前の記事「守屋武昌『日本防衛秘録―自衛隊は日本を守れるか』―基地の必要性を国民に納得させることはできない」で書いた通り、「なぜこの地に軍事基地が必要なのか?」を国民に説明することは不可能である。軍事基地の必要性は国防戦略の要であり、国家の重要な機密情報である。それを国民に伝えることは、下手をすれば特定秘密保護法に反する恐れがある。


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