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上野修『スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか』―無神論者というよりも「無理性主義者」?
片倉もとこ『イスラームの日常世界』―「ラーハ(ゆとろぎ)」のために労働する、他
石川幸一、清水一史、助川成也『ASEAN経済共同体の創設と日本』―モノ・ヒト・カネの自由化の現状について

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2017年06月29日

上野修『スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか』―無神論者というよりも「無理性主義者」?


スピノザ 「無神論者」は宗教を肯定できるか シリーズ・哲学のエッセンススピノザ 「無神論者」は宗教を肯定できるか シリーズ・哲学のエッセンス
上野 修

NHK出版 2006-07-29

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 スピノザの『エチカ』、『神学・政治論』、『国家論』を読まずに、本書だけを頼りにスピノザについて書くという暴挙をお許しいただきたい。本書は『神学・政治論』の解説を中心とした1冊である。

 スピノザはオランダ出身の哲学者である。『神学・政治論』が書かれた頃のオランダの状況を簡単に押さえておきたい。当時のオランダは共和国であったが、過度の自由を敵視する人々が存在した。政治的に言うと、実利主義的な観点から共和国政府の寛容政策を支持する「共和派」がいる一方で、聖職者や神学者といった正統派勢力は、強権的な締めつけを望む「総督派」であった。総督派は独立戦争時の軍事的リーダーの総督を担ぎ、君主制への移行を狙っていた。そして、群衆の多くも、総督派を支持していた。

 スピノザは、デカルトの流れを汲む自由主義者である。それまでのデカルト主義者は、神学と哲学の分離が1つの伝統になっていた。神学も哲学もどちらも真理であり、一方が真理であることは、もう一方が真理であることを妨げるものではないというのが共通の認識であった。だが、スピノザの時代になるとこの伝統が崩れてくる。一方には、「理性は聖書の意味に順応させられるべきだ」という正統派神学者の超自然的解釈があり、もう一方には「聖書の意味の方が理性に順応させられるべきだ」という急進デカルト主義者に典型的な合理的解釈が生まれた。ロドウェイク・メイエルというデカルト左派は、「聖書がもし真理なら哲学の真理に矛盾するはずがない。それならば、聖書が真となるように解釈するのは、結局、哲学的理性である」と主張した。

 スピノザはこうした混迷にケリをつけるために『神学・政治論』を書いた。同書は、「理性は神学の婢でなければならぬという考えさえなければもっと自由に哲学しているはずの人々」に向けた本である。つまり、デカルト主義者に向けられたものだった。スピノザはまず、聖書は全体が真理であるという前提自体が間違っていると述べた。聖書には様々な預言が含まれており、時に内容が矛盾することがある。これまでの神学者は、聖書が絶対的に真理であると信じて、全体の整合性が取れるように聖書を解釈してきた。スピノザはその伝統をいきなり否定した。

 スピノザは、預言の真理条件ではなく、主張可能性条件、つまり、預言が預言として成立するための条件に着目した。預言は、高尚な神学者や哲学者にしか理解できない難解なものではない。むしろ、高度な知識とは無縁の一般人であっても、その言葉の意味を十分に理解できる。スピノザは、その理解を可能にしている条件に着目した。言い換えれば、預言が一個の言語行為として成立できる条件を問題にした。預言が預言たりうることをスピノザは「預言的確実性」と呼ぶ。聖書は全体として正しいわけではないから、預言がなぜ正しいのかという諸原因は問われない。人間がどうこうできない命令の根拠づけなき正しさに、スピノザは聖書の神聖性を見出した。

 スピノザは、聖書の文法に着目し、聖書に流れる「普遍的信仰の教義」を整理した。「普遍的」という名前がついているが、これは、真理だから教義なのではなく、それを知らなければ神への服従が絶対に不可能となるような教義のことである。このような前提の下に書かれた聖書の文法を、本書の著者は「敬虔の文法」と呼んでいる。預言的確実性は、「言われていること」の真理にではなく、かく「言うこと」の倫理的・文法的な正しさに存在する。ここにおいてスピノザは、神学は敬虔と信仰を扱い、哲学は真理と叡智を扱うと明確に区別するに至った。

 次にスピノザが問題にしたのは、人が敬虔であるかどうかを誰が判定するのかという問題であった。敬虔の文法は「正義と愛をなせ」といった命令を語り方として含むものである。その命令を実行させるには、強大な第三者が最高権力を持って君臨する必要があるとスピノザは考えた。ここでスピノザは「神の国」のことを念頭に置いている。しかも、「普遍的信仰の教義」が神についての真なる命題では全くなかったように、「神の国」も国家についての真なる理論である必要はない。ただし、聖書を神聖たらしめるものが必要であったのと同じ理由で、国家権力を最高たらしめるものが要求される。それをスピノザは「契約」に求めた。

 スピノザの言う契約は、いわゆる社会契約であり、ホッブズらと変わらない。ただし、ホッブズと違うのは、スピノザの契約は敬虔の文法を下敷きにしているということである。スピノザは、出エジプト後のヘブライ人が実質的な社会契約に基づく国家を運営していたことを引き合いに出し、当時の民主国家と古代ヘブライ神聖政治は、起源である契約という部分では変わりがないとさえ述べている。なお、後年の『国家論』では、契約という表現は使われなくなり、国家権力を支えるのは「群集の力」だとされている。人間が最高権力の法に従う時、メンバー1人1人が持つ力は、彼以外のメンバーたちが全体として作り出す巨大な力によって圧倒的に凌駕される。人間は単独では大したことができないが、共同して結合すると、その総体ははるかに有能な一個体となる。1人1人と集団との間の圧倒的な力の差が、最高権力の物理的な基盤となる。

 ここまで読むと、スピノザは聖書の普遍的信仰の教義を擁護し、さらに敬虔の文法を下敷きとして政治を論じているため、デカルト主義者としての自由主義はどこに行ってしまったのかという気持ちになる。そこで、スピノザは最後に、言論の自由と敬虔・共和国の平和が共存することを示している。各人は国家権力をバックとする法を順守している限り、不敬虔になるのではないかと恐れる必要はない。その限りにおいて、言論の自由は保障される。逆に、言論の自由が除去された場合、共和国の平和と敬虔も同時に崩壊するとスピノザは論じた。

 こうして書かれた『神学・政治論』であるが、出版と同時に「スピノザは無神論者である」という批判が集中した。しかも、正統派である神学者ではなく、スピノザがこの本を読んでほしいと願っていたデカルト主義者から批判されてしまった。例えば、ファン・フェルトホイゼンは、聖書が真理を教えていないならば、我が国の宗教はまるで無知な人々を正義の徳へと駆り立てる大掛かりな詐欺ではないかと批判した。これに対して、スピノザは、信仰や神聖政治のカギこそが無知であると反論した。預言者たちは正義への誠実な思いだけを担保に、かく言うことの正しさの確信を得た。預言者は無知によって、欺瞞や策略の詮索から守られていた。預言者たちは無知で構わなかったし、事実無知であった。だからこそ、群集の力にさらされながら彼らがその無知によって成し遂げたことを心に留めよとスピノザは主張した。

 一般にスピノザは無神論者として理解されているが、本書の著者がスピノザは無神論者ではなく、むしろスピノザの方こそ最も宗教を肯定的にとらえていたという立場に立っているため、本書を読んでもスピノザが無神論者であるようには思えない。先ほども述べたように、神学と哲学の棲み分けをはっきりさせた上で、預言的確実性の条件や普遍的信仰の教義を整理したり、敬虔の文法に基づいて国家の最高権力を論じたりするスピノザには、無神論者の姿は感じられない。それどころか、政治の世界から理性を追い出している「無理性主義者」なのではないかという気さえしてくる。古代ギリシアの時代から、哲学と言えば政治のことであった。そして、哲学者たちは、政治の舞台で理性を発揮するための唯一の解を模索し続けてきた。しかし、スピノザが問題にしているのは「神の国」であり、絶対的な真理に従わなくてもよいと言う。

 スピノザが、聖書は全体が真理であるという前提が間違っているという前提から出発したように、我々も、政治は理性に従った真理の営みであるという前提を捨てなければならないのかもしれない。西洋は、近代の啓蒙主義以降、自由、平等、人権といった基本的価値観を理性の賜物として尊重し、その基本的価値観を実現する政治を世界中に広めようとしてきた。だが、西洋の政治的手法だけが唯一の解でないことは、現在の世界を見れば一目瞭然である。

 特に、イスラーム世界は、西洋的なやり方との間で大きな軋轢を生じている。狩猟民族と遊牧民族という違い、心の安寧を願うキリスト教と政治、経済、社会、文化、生活などあらゆる局面に織り込まれたイスラーム法という違いなど、様々な違いに着目するにつけ、イスラーム世界にはイスラーム世界に合った政治というものがあるような気がしてならない。繰り返しになるが、スピノザは聖書を絶対的な真理とせず、その議論の延長線上に、政治もまた絶対的な真理ではないとした。これに従えば、啓蒙主義を経て完成した現代西洋の理性的な政治は、スピノザの主張との間に深刻な矛盾を含む。むしろ、仮にイスラーム世界がクルアーンの脱真理化に成功し、クルアーンに基づく政治体制を構築すれば、まさにスピノザの主張が実現されたことになる。

 西洋諸国は20世紀に、イスラーム世界に乱暴なやり方で国境線を引いた。現在のイスラーム世界は、オリジナルの政治を模索して葛藤している最中であるように見える。西洋諸国はそこに介入してはならない。結果的にイスラームと西洋とで異なる政治が完成した時、「相手の政治は真ではないかもしれないが信じる価値がある」とお互いに言えるようでなければならない。

2017年06月27日

片倉もとこ『イスラームの日常世界』―「ラーハ(ゆとろぎ)」のために労働する、他


イスラームの日常世界 (岩波新書)イスラームの日常世界 (岩波新書)
片倉 もとこ

岩波書店 1991-01-21

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 本書を読んで勉強になったことのまとめ。

 ・イスラームは「人間性弱説」という立場をとる。弱い人間の意思を作為的に強くし、人間同士の約束を履行することに重点を置く時には、契約に持ち込む。結婚も一種の社会契約である。しかも、人間の弱さを初めから認め、相手を永遠に愛せるほど人間は強くないと考える。身体が移ろうように、心も移ろうことを最初から勘定に入れておく。結婚の契約書には、離婚した時には相手にいくら払うかという項目が入っている。後払いの「結納金(マハル)」の方が、結婚時の前払いのマハルよりも高い。また、後述のようにイスラーム世界では女性の力が強いため、実質的な結婚の取り決めは、女性同士の社会的つながりのなかでなされる。マハルの金額を決めるのは、花嫁花婿の母など、女性の親族同士である。

 ・我々はムスリムの人々はイスラーム法によってがんじがらめの生活を送っているようなイメージを持っているが、実際には違う。「義務(ファルド・ワージブ)」と「禁止(ハラーム)」の間に、「しない方がよい(マクルーフ)」、「した方がよい(マンドゥーフ〔ムスタハッブ〕)」、「どちらでもよい(ハラール〔ムバーフ〕)」といった緩やかな範疇が存在し、この部分が圧倒的に大きい。例えば、イスラーム世界では豚を食べることが禁止されていることがよく知られているが、実は旅に出て食べる物が豚肉しかない時には、ムバーフとして許される。

 ・祈りには「サラート」と「ドゥアー」の2種類がある。サラートは五行(イバーダート)の1つである。サラートは形式も時間も決まっていて、それに従ってムスリムは一心に神と対峙する。そこには神への感謝が存在するだけである。望みがかないますようにとか、神に何とかしてくれるよう頼み込むといった願いごとは入れてはいけない。これに対して、ドゥアーは個人が自分の望みを神に呼びかけるものである。サウジアラビアを中心とするアラビア半島のムスリム社会は、サラートを重視し、ドゥアーはビドア(異端、逸脱)として推奨しない。他方、エジプト、シリア、イラン、イラクなどのムスリム社会では、もちろんサラートはするものの、ドゥアーもよくする。

 ・イスラーム世界では、1日に5回の礼拝を行う。①ファジル=日が出る前までに行う、②ズフル=太陽が頭の真上に来てから、自分の影が背の高さの2倍になるまでの間に行う、③アスル=ズフルの後、日没までの間に行う、④マグリブ=日没から夕焼けが消えるまでの間に行う、⑤イシャー=夕方から夜にかけて、寝床につくまでの間に行う。ファジルとズフルの間は10時間ほど離れており、この間に8時間労働を行うことも可能である。「ムスリムは礼拝ばかりしていて仕事をしない」という批判は必ずしもあてはまらない。

 ・ムハンマドが生まれた頃の社会は、母系的傾向の強い社会であったとされる。財産も住まいも女性が握っていた。ムハンマドがメッカでイスラームを興した7世紀の初め頃、メッカの経済は最盛期を迎え、その結果利己主義的傾向が出現し、利潤追求が至上目的となった。女性の生理的条件、妊娠、出産、授乳はハンディキャップと見なされ、女性は後退を余儀なくされた。逆に、有利な立場に立った男性は、母系集団の持つ財産を要求し始めた。財産をめぐるいざこざがムハンマドのところに頻繁に持ち込まれたことが、クルアーンにもよく表れている。クルアーンでは、女性の相続分は男性の2分の1と定められている。これをもってイスラーム世界は男尊女卑だと言う人がいるが、実際には、そのように定めなければ女性が全て相続してしまう、あるいは相続分が男性の2分の1でも女性は十分な財産を持っていた、というのが理由のようである。

 ・イスラーム暦で9月は断食月(ラマダーン)に該当する。断食月の断食はムスリムにとって義務であるが、それ以外にオプショナルな断食も勧められている。
 ○イスラーム暦第1月(ムハッラム)の10日
 ムハンマドがユダヤ教の贖罪の日の断食を模倣したものと言われる。シーア派第3代イマームであるフサインが、イラクのカルバラーの地でウマイヤ朝の政府軍と戦って殉教した日である。したがって、シーア派の人たちには、この日に断食する人が特に多い。
 ○断食月の翌月、第10月(シャッワール)の2日~7日の6日間
 断食月明けの祭の第1日(この日は断食が禁止されている)を除いて、祭りの第2日目からさらに断食する人は意外に大勢いる。断食に慣れているから、他の時よりやりやすい。ラマダーン月の陶酔感を、今少し持ち続けたいと思うのだと言う。
 ○巡礼月(第12月、ズー・ル・ヒッジャ)9日
 ヤウム・ル・ワクファと呼ばれ、巡礼のクライマックスと言われるアラファートの野に立って礼拝をささげる日である。巡礼をしていない者が、この日の巡礼者と神への心を分かち合うために断食をする。なお、アラファートの野にいる巡礼者は断食しない。
 このような年に1回の断食日の他に、月曜日と木曜日が毎週の断食オプション日とされている。この日は天国の門が開く日であり、ムハンマドも断食していたと伝えられる。

 ・イスラーム世界では、西暦の1月1日を祝わない。日本の正月に該当する2大祭が、①断食月明けの祭(イード・ル・フィトル、小祭)と②犠牲祭(イード・ル・アドハー、大祭)である。犠牲祭は、巡礼月10日に行われる羊、山羊などの家畜をほふる行事である。ほふった家畜を神にささげること自体に意味があるのではなく、神への全き忠誠心を思い起こし、自分の欲望を犠牲にして神に帰依するという意味がある。ムスリムはこの2大祭の際に「新年おめでとう」のような挨拶を交わす。しかも、祭の前後1か月間ぐらいはこの挨拶が有効である。仮にどちらかの機会を逃してしまっても、祭は年に2回あるから、後で挽回のチャンスがある。

 ・ブログ別館の記事「エリン・メイヤー『異文化理解力―相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養』」で「カルチャーマップ」について触れたが、「スケジューリング」に関しては、中東の人たちは「柔軟な時間」という考え方をする。今、ある人と商談をしていたとしよう。30分後には別の商談があり、今から移動しなければ間に合わないとする。時間に厳しい日本人は、商談を何とか上手に切り上げて、時間通りに次の商談に向かうだろう。ところが、柔軟な時間の意識の人々は、たとえ次のアポに遅れることになっても、この商談が終わるまでは絶対に席を立たない。今、自分の目の前にいる人との関係を重視する。そして、次の商談に遅刻しても、悪びれる様子はない。しかも、相手もそれを咎めたりはしない。

 ムスリムの間では、「アル・ウルム・ヤハラス・ワ・アル・アムル・ラー・ヤハラス(寿命には終わりがあるけれども、仕事には終わりがない)」という言葉がよく使われる。「仕事があるのでこの辺でおいとまして」、「あなたもお忙しいでしょうから、そろそろ失礼させていただきます」などと言うと、それに対してこの一句が出てくる。これは決して日本のようなモーレツ社員を想定しているわけではない。仕事には終わりがなく、いつまでも続くだろうが、あなたと私がお会いするのは今しかないかもしれない、明日もお互いに生きているかどうかは解らない。「だから、まあ、そう急いでお帰りにならないで」という意味で使われるのである。

 ・イスラームの五行の中に、「喜捨(ザカート)」がある。イスラーム社会では、吝嗇(ケチ)が最悪徳である。お金を持っていないのは恥ずかしいことではない。持っているのに使わない、流さない、ため込んでばかりいるのがいけない。ザカートの本来の意味は「浄め」である。喜捨によって、自分の財産が浄められると考える。よって、ザカートをもらう人が「ありがとうございました」などとは言わない。持てる人の財産を清らかなものにし、その人が宗教的義務を果たす手伝いをしてあげたと考える。ありがとうと言うとすれば、神に対してありがとうである。くれた人に対しては、もらってやったのだからお前の方がありがとうと言え、というような顔をしていたりもする。

 ・イスラーム世界では「ラーハ」が重視される。日本語に訳しにくい言葉で、強いて言えば「休息」、「安息」にあたる。しかし、労働したから休む、疲れたから休息するといった受動的な意味ではない。むしろ、ラーハの時間を持つために労働をするといった、能動的な意味を持っている。本書の著者はラーハに「ゆとろぎ」という訳語をあてている。「ゆとり」と「くつろぎ」を一緒にした言葉である。ゆとろぎの時間をたくさん持つことが人間らしい、いい生き方である。ラーハに該当するのは、家族とともに過ごすこと、人を訪問すること、友人とおしゃべりをすること、神に祈りをささげること、眠ること、旅をすること、勉強すること、知識を得ること、詩を謳い上げること、瞑想すること、ぼんやりすること、寝転がること、などである。ごろんとすることも、勉強することも、同じラーハの範疇に入り、同じ価値を持っているのがイスラーム世界である。

2017年06月25日

石川幸一、清水一史、助川成也『ASEAN経済共同体の創設と日本』―モノ・ヒト・カネの自由化の現状について


ASEAN経済共同体の創設と日本ASEAN経済共同体の創設と日本
石川 幸一 清水 一史 助川 成也

文眞堂 2016-11-20

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 本書の内容をPPTでまとめておいた(いつものスタイルと違う点をご容赦いただきたい)。

①ASEANにおける関税削減スケジュール

②ASEANにおける関税削減状況

③後発4か国の関税削減スケジュール

④ASEANにおける交通

⑤ASEANにおける陸の交通

⑥陸の交通をめぐるprotocolの状況

⑦実現を目指すシングルストップ/ウィンドウ

⑧ASEANの越境貿易に要する時間・コスト

⑨ASEANにおける人の移動

⑩サービスの国際取引に関する4つのモード

⑪ASEANのサービス投資の自由化

⑫ASEANのサービス投資の自由化(国別)

⑬国・分野別に見た自由化の状況

⑭銀行、保険、その他金融の自由化





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