この月の記事
『世界』2017年11月号『北朝鮮危機/誰のための働き方改革?』―「働き方改革」を「働かせ方改革」にしないための素案
『正論』2017年11月号『日米朝 開戦の時/政界・開戦の時』―ファイティングポーズは取ったが防衛の細部の詰めを怠っている日本
DHBR2017年11月号『「出る杭」を伸ばす組織』―社員の能力・価値観を出発点とする戦略立案アプローチの必要性

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年11月28日

『世界』2017年11月号『北朝鮮危機/誰のための働き方改革?』―「働き方改革」を「働かせ方改革」にしないための素案


世界 2017年 11 月号 [雑誌]世界 2017年 11 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-10-07

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 特集2は「誰のための働き方改革?」である。私は珍しく、この特集の内容には賛成を示したいと思う。「働き方改革」の柱は、大きくは①高度プロフェッショナル制度の導入、②裁量労働制の適用範囲の拡大、③残業時間の上限規制の引き上げ(特例で年720時間とし、繁忙期で月100時間未満、2~6カ月の平均で80時間)の3つである。これに女性の活躍推進やシニア人材の活用が加わるので、「働き方改革」とはつまり、日本国民全員が今以上にもっと働けという国からの命令であり、「働かせ方改革」である。少し考えればすぐに解ることだが、国民全体の労働時間が長くなれば消費に回す時間が削られ、消費が冷え込む。また、別の角度から言うと、労働力の供給が増えれば、その分物品・サービスが供給過剰となり、脱デフレの流れに逆行する。

 ここからは大雑把な議論になるが、日本人の労働時間が長いのは、日本の消費者の要求水準が「世界一」と言われるほど高く、かつ多様であるためだと考える。日本では昔から、男性が企業で働き、女性が家庭を守るという分業が成立していた。よって、消費の主体は女性であった。その女性が、企業に対して厳しく、かつてんでバラバラな要求を突きつける。日本人は真面目なので、それらの要求に応えようとする。そのため、企業で働く男性の労働時間が長くなる。

 すると、今度は長時間労働をする男性のニーズに応えるために、24時間営業のスーパーやコンビニエンスストア、長時間営業の飲食店やレジャー施設などが登場する。これらの店舗は、いつ来店するか解らない男性のために、常に店舗を開けておかなければならない。一部の顧客のためにカスタマイズする費用、一部の顧客のために営業時間を延長するコストは、本来であれば他の顧客に転嫁したいところである。ところが、財布の紐が固い日本人はそれを許さない。よって、社員は低賃金で長時間働かされる。これが日本社会のおおよその構図である。

 上記の点を念頭に置いて、私が考える「働き方改革」の素案を披露したいと思う。まだ素案段階のため、施策間の整合性が取れていない箇所がある点はご容赦いただきたい。

 ①まずは、日本人が「便利すぎる社会」を捨てることである。24時間365日コンビニが開いていなくてもよいではないか?ネットで注文した商品が翌日に届かなくてもよいではないか?そもそも、今後日本の労働力人口が減少していくというのに、いつまでも今のような便利な社会を支えることは不可能である(河合雅司『未来の年表』〔講談社、2017年〕)。日本人は「ほどほど」の生活水準で満足すればよい。そのような社会的合意が成立すれば、一部の声の大きい顧客のために追加された機能やサービス、そして、それらにかかるコストが価格に転嫁できていない機能やサービスを企業側は思い切って削減できる。これは企業の収益向上につながる。

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)
河合 雅司

講談社 2017-06-14

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 その意識醸成を行う役目を担うのは、私は行政だと思っている。私は本ブログでしばしば日本の多重階層構造を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」というラフなスケッチで描いてきた。行政府から市場/社会へと矢印が伸びる、つまり行政府が市場/社会に対して何かを命じるということは、自由市場の原則からすると普通は想定されない。だが、日本の場合はあり得る、いややる必要があると私は考える。行政は消費者に対して、良心的な市民として振る舞うよう働きかける。ドイツでは「社会的市場経済」という考え方が浸透しており、国家が市場に介入して、富の再分配や社会的公正の実現を目指している(ブログ別館「高松平藏『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』―日本の理想社会を一足先に実現しているドイツ?」を参照)。同じことを日本でも行うべきであろう。

 ②現在検討されている「高度プロフェッショナル制度」は、成果を客観的に測定し、それを給与に適切に反映できるという信念が前提にある。しかし、私はそもそもこの前提が誤っていると思う。私はこれまでにコンサルティングプロジェクトなどを通じて、成果を定量的に把握する方法を模索してきた。だが、どんなに精緻な制度にしても、完全に客観的な制度にはならないことに気づいた。精緻な制度にすればするほど複雑怪奇になり、年金制度のように誰にも理解できない代物になってしまう。それに、成果給制度は以下のような問いに答えることができない。

 ・ある社員のプロジェクトは短期的には芽が出なかったものの、引き継いだ後任の社員が5年後に大きな成果を出した。だが、その成果は最初の社員の取り組みに負うところが大きい場合、この成果を最初の社員と後任の社員の間でどのように分配すればよいのか?
 ・逆に、ある社員のプロジェクトが短期的に大成功したが、数年経って企業の屋台骨を揺るがしかねないほどの危険なプロジェクトだと判明した場合、最初の社員に支払った多額の給与から、企業の損失に応じて給与の一部を返還してもらうのか?
 ・イノベーションを促進するには、失敗にも報いることが重要である。では、失敗の価値をどのように算定するのか?また、失敗の価値に相当する給与は、その失敗から教訓を得て仕事を成功させた他の社員の給与から捻出することになるが、按分の割合はどうすればよいのか?

 上記のような問題は、給与を仕事に対する対価ととらえることに端を発している。だから、見方を変えて、給与を成果給ではなく生活給としてとらえ直すべきである。この点は、マルクスが特に重視していたことでもある(こう書くと私はリベラルに転向したのではと思われるかもしれないが・・・)。生活にかかる費用は年齢とともに増加するから、結局のところ最も公平な報酬制度とは年功制である、というのが現時点での私の結論である。これは、出光佐三がかつて出光興産で実施していたことでもある(出光佐三『人間尊重七十年』〔春秋社、2016年〕)。

人間尊重七十年人間尊重七十年
出光 佐三

春秋社 2016-03-10

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企業のサブ目的

 前述した日本の多重階層構造のラフなスケッチをもう少し詳細に書くと上図のようになる(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。私はこの図を用いて、上の階層への「下剋上」、下の階層への「下問」、水平方向の「コラボレーション」の重要性を説いてきた。

 企業はその活動を主に学校、家庭、取引先(上図からは抜けているので修正が必要だと気づいた)、株主、金融機関に依存している。下問とは、上の階層が下の階層に対し、「あなたが自らの目的を達成し、成功するために我々が支援できることはないか?」と問うことである。下問によって下の階層が成功すれば、それは上の階層にとってもプラスとなる。企業が家庭に対して下問するというのは、家庭の目的、すなわち家計を維持し、健康な労働力を企業に送り込み、子どもを生み育てるという目的を達成するために企業としてどんな支援ができるかと問うことである。そのためには最低限、生活費を保障することが絶対条件となる。

 ③以前の記事「DHBR2017年11月号『「出る杭」を伸ばす組織』―社員の能力・価値観を出発点とする戦略立案アプローチの必要性」でも書いたが、現在の戦略立案の定石では、まずは環境分析を通じて戦略機会を発見し、次にターゲット顧客、差別化要因、戦略目標を設定し、そしてそれらを実現するためのビジネスモデルやビジネスプロセスを設計して、必要な能力を持った社員をあてがうという流れになっている。ただ、この流れに従うと、新しい戦略にフィットしない社員は昇進のチャンスを絶たれ、最悪の場合はリストラされてしまう。私自身もこの定石にすっかり慣れきってしまっているのだが、そろそろ発想の転換が必要ではないかと感じている。

 ミドル、シニア社員が昇進の機会を絶たれ、リストラの恐怖におびえている企業ほど若者にとって魅力的でないものはない。若者には、「この会社で頑張っていれば昇進の可能性がある」と思わせなければならない。ということは、企業は原則として、社員全員を昇進させる必要がある。ここでも昇進の基準は「年齢」である。というのも、成果と同様に、能力も客観的に評価するのが困難だからである。社員がある年齢に到達したら、強制的に次のポストへと昇進させる。これは典型的な年功序列制である。企業は昇進した彼らのために仕事を創出するような戦略を構想しなければならない。私は、「仕事に人を割り当てる」という言説を信じてきたのだが、今後は「人に仕事に人を割り当てる」ことが重要になるであろう。恥ずかしながら、そのためのフレームワークを私はまだ持ち合わせていないため、急いで開発しなければならない。

 ただし、ここで企業は大きなチャレンジに直面することになる。以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―「雇用の維持」は企業の社会的責任か?」で簡単に試算したところ、10年で上の階層に昇進する、1人の上司は10人の部下を持つ、各階層とも10年で3割が自然退職するという前提で計算すると、企業は10年間で社員数、売上高を少なくとも7倍にしなければならないことが判明した。それを可能にする戦略をあらゆる企業に要求するのはさすがに酷であろう。だから、先ほど原則として全員を昇進させるべきだと書いたが、実際にはミドル、シニア社員の一部を削減せざるを得ない。彼らを昇進できないまま企業にとどめておくのは、若手社員にとって害以外の何物でもない。彼らは若手社員のために道を開けなければならない。

 旧ブログの記事「高齢社会のビジネス生態系に関する一考―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』(1)(2)(3)」でも書いたが、日本の人口動態から見て、将来的には従来型のピラミッド組織に加えて、40代・50代を底辺とし、70代・80代を頂点とする第2のピラミッド組織が登場すると予想している。後者の組織は、ミドル、シニア人材の起業によって生まれる。そこで、既存の企業は、全ての社員にポストを用意できない代わりに、ミドル、シニア人材の起業を促進するインフラを整備する。具体的には、複数の企業が資金を出し合ってファンドを形成するのも1つである。また、こうした新興企業に転職するミドル、シニア人材向けの転職支援金を捻出する保険制度を構築してもよいだろう。

 ④最近、商工中金や神戸製鋼、日産自動車の不正が明るみになって大きな社会問題になった。これらの企業に共通するのは、「厳しいノルマ」が課せられていたということである。アメリカのイノベーティブな企業が大胆な目標を掲げる経営を行っていることに触発されて、日本企業も野心的な目標を設定しているようである。ところが、スタンフォード大学のケリー・マクゴニガルは、将来の目標と現実があまりにもかけ離れていると目標達成の意欲が減退すると警告している(以前の記事「ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』―経営に活かせそうな6つの気づき(その1~3)(その4~6)」を参照)。

 また、野心的な目標が効果的なのは、企業が急成長しており、かつ経営資源に余裕がある場合であって、成長が鈍化しており、かつ経営資源が逼迫している時に野心的な目標を立てると組織が窒息するという研究もある(シム・B・シトキン、C・チェット・ミラー、ケリー・E・シー「身の丈に合わない方法では業績不振から抜け出せない ストレッチ目標で成功する企業 失敗する企業」〔『DHBR2017年9月号』〕)。

製品・サービスの4分類(①大まかな分類)

製品・サービスの4分類(②各象限の具体例)

 「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」で用いた上図に従うと、アメリカ企業は左上の<象限③>に強い。この象限はいわゆるイノベーションであり、潜在的な需要がどの程度存在するのか事前に予測することが難しい。上手くいけば全世界を制覇することができるし、世界中の人に何度も繰り返し購入させる、あるいは新しいイノベーションを次々と購入させることができる(スマホのゲームに多額のお金を課金する人、映画を何回も見る人、書籍・音楽を大量に購入する人などがいる)。よって、イノベーターは野心的な目標を設定し、その実現に向かって驀進する。

 これに対して、日本企業が強いのは右下の<象限②>である。この象限は必需品であり、人口や世帯数によって市場規模を相当程度正確に予測することができる。また、競合他社の数からして、自社がどの程度のシェアを獲得できそうかという見込みも立つ。だから、野心的な目標よりも、現実的な目標を立てる方が賢明である。しかも、顧客のニーズが顕在化しているから、企業として当たり前のことを着実に実行していれば、結果は自ずとついてくる。よって、結果に焦点を置いたマネジメントではなく、プロセスに焦点を置いたマネジメントを実施するべきである。

 そもそも、日本人は野心的な目標を理想とすることに慣れていない。日本人は理想と現実という二項対立の扱いが下手であることは、以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」でも書いた。山本七平は陸軍に所属していた時、現場を知らない上司から、軍の物品などの数を実際の数ではなく、上司が言った数で報告するように指示されたという。陸軍には「員数を合わせる」という言葉があった。山本はこうした陸軍の文化を「員数主義」と呼んだ。欧米人でさえ野心的な目標に対しては警戒感があるのだから、日本人は目標というものをもっと慎重に扱わなければならない。

 ⑤働き方改革によって労働時間が短くなった日本人は、単に消費活動に精を出せばよいというわけではない。ピーター・ドラッカーが指摘したように、知識労働者は高等教育に戻る必要がある。社会人が大学に行くことには2つの意味がある。1つ目は、日常業務を離れて新たな視点から知識を吸収することで、企業に戻った時により創造的な仕事を行うことが可能になるということである。もう1つは、先ほど示した企業から学校(大学)への下問の説明に従うと、新しい知の創造を目的としている大学に対して、企業の社員が現場の実践的な知をフィードバックすることで、大学の研究活動を刺激することができるということである。

 大学に戻る社会人が増えると、若者の高等教育の無償化の実現につながる。以前の記事「『正論』2017年9月号『戦後72年/誰も金正恩を止めない・・・』―日本が同じように統治したのに戦後の反応が異なる韓国と台湾、他」でも書いたように、2013年の調査によると、25歳以上の大学への入学者の割合は、OECD加盟国の平均が20.6%であるのに対し、日本はたった2.7%と非常に低い。OECD並みの水準とまではいかなくとも、仮に25歳以上の大学への入学率が2.3%増えて5%になったと仮定しよう。日本の労働力人口は2016年時点で6,648万人であるから、大学に入学する社会人は約153万人増える。社会人が大学を卒業するまでに要する年数を、若者と同じく4年とすると、毎年の社会人学生は約612万人増加することになる。彼らが負担する授業料を年間50万円に設定すれば、年間の授業料収入は約3兆円上乗せされ、高等教育の無償化に必要な財源とされる3.7兆円の大部分をカバーすることができる。

2017年11月21日

『正論』2017年11月号『日米朝 開戦の時/政界・開戦の時』―ファイティングポーズは取ったが防衛の細部の詰めを怠っている日本


正論2017年11月号正論2017年11月号

日本工業新聞社 2017-09-30

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 以前の記事「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」、「『北朝鮮”炎上”/日本国憲法施行70年/憲法、このままなら、どうなる?(『正論』2017年6月号)』―日本はアメリカへの過度の依存を改める時期に来ている」、「『愚神礼讃ワイドショー/DEAD or ALIVE/中曽根康弘 憲法改正へ白寿の確信(『正論』2017年7月号)』―日本は冷戦の遺産と対峙できるか?」で、アメリカは北朝鮮がアメリカ本土に届く核兵器(ICBM)を完成させるのを待っている、北朝鮮が核兵器を完成させれば、かつてアメリカが旧ソ連と行ったのと同様に核軍縮に向けた対話が始まると書いたが、これは実に甘い見通しだったと反省している。

 冷戦時代にアメリカと旧ソ連、NATOと旧ソ連の間で核軍縮に向けた対話が実現したのは、双方が核に関する条件を出すという交渉の対称性があったからである。同じ土俵の上で対話を行っているため、相手が譲歩すればこちらも譲歩する、あるいはこちらが譲歩すれば相手も譲歩することが期待できた。ところが、現在の米朝間の問題は、これとは性質が異なる。アメリカは北朝鮮に対し核兵器の放棄を要求する。一方の北朝鮮は、在韓米軍の撤退を要求するに違いない。つまり、交渉が非対称である。そして、双方の立場を比べると、明らかに北朝鮮の方が有利である。仮にアメリカが北朝鮮の要求を呑んだ場合、北朝鮮は通常兵器でやすやすと韓国を併合するだろう(左傾化している韓国も、北朝鮮に併合されることを望んでいるかもしれない)。

 だから、非常に危険な賭けではあるが、交渉の対称性を取り戻すためには、韓国に核兵器を持たせるという選択肢もあり得るのではないだろうか?南北双方が核兵器を保有することで、交渉を米朝間から南北間へと移行させる。そして、冷戦時代の交渉と同様に、徐々に核軍縮を進めていき、最終的には朝鮮半島から核を取り除く。この場合、米韓同盟は保たれ、在韓米軍もそのままであるから、北朝鮮は韓国に手出しをすることができない。朝鮮半島は現状維持のままで非核化されるわけだから、アメリカ、中国、日本にとっても最高のシナリオとなる。

 さて、以前の記事「『躍進トランプと嫌われるメディア(『正論』2016年7月号)』―ファイティングポーズを見せながら平和主義を守った安倍総理という策士、他」では、安保法制によって、日本はいざとなれば自国を守る意思があるというポーズを安倍首相が示したと書いたが、このポーズは空元気であって、実際には以前の記事「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」で書いたように、国防の細部が詰められていない。本号でも、現在の日本に存在する穴がいくつか指摘されていた。

 ・米韓両国は最悪の事態には実力で北朝鮮の核やミサイルを防ぎ、破壊する能力を有している。ところが、日本は北朝鮮がミサイルを発射するたびに、「断じて容認できない」と繰り返し、アメリカや韓国、加えて中国やロシア、さらには国連と連携して対処することばかりを強調している。つまり、日本独自の措置が出てこない(古森義久「戦えない国家日本でいいのか」)。

 ・韓国には3万8千人の日本人が在住しており、いざという時には彼らをどのようにして避難・脱出させるのかを想定しておく必要がある。国民の中には、「安保法制が整備されたのだから、現地の日本人は自衛隊が救い出せるのではないか?」と考える人もいるが、実は自衛隊による邦人救出は相手国の同意がなければ実行することができない(薗浦健太郎「インタビュー 北朝鮮に核を放棄させる安倍官邸の国家戦略」)。それにもかかわらず、いわゆる駆けつけ警護は安保法制で可能になっている。日本人よりも外国人の生命を先に守ろうというのだから、日本も随分とお人好しな国だと思う。ちなみに、北朝鮮の拉致問題が一向に解決しないのは、法律上、自衛隊が北朝鮮の邦人救出をすることができないことも一因である。

 ・第1次安倍政権の2004年6月14日に有事法制諸法が成立したが、それ以前は外国の武力攻撃があっても国土交通省、総務省などが所管する法令が自衛隊に厳格に適用され、その行動に大きな制約をかけていた。例えば、敵の攻撃で狙われやすい空港を守ろうと、自衛隊が管理下に置きたくても、法律の壁があって実現不可能であった。では、有事法制の成立によって自衛隊が空港を自由に使えるようになったかと言うと、全くそんなことはない。

 日本には軍民共用の空港が多い。無論、海外にも軍民共用の空港はあるものの、多くは輸送機などを装備する兵站基地であり、領空侵犯対処と防空の第一線にある飛行場を軍民共用にしている例は滅多にない。その軍民共用空港で危機が高まった場合、空港にいる民間人を退去させ、土産店やレストランなどを閉鎖させ、航空会社にも民間航空機の乗り入れを自粛(場合によっては禁止)させなければならない。乗客を的確に避難させ、駐機している航空機を撤去させる場合もある。命令に従わない者の身柄拘束も想定しておかなければならない。だが、こうした手順や法的権限を整理・明記したものはない(樋口恒晴「これでは日本は守れない」)。

 ・北朝鮮が何らかのミサイルを日本に向けて発射した場合、果たして本当に迎撃できるのかどうかが問題となる。大気圏外で迎撃するイージス艦からのSM3ミサイルは1発20億円で、その数には限りがある。北朝鮮が大量のミサイルを撃ち込んだ場合には、SM3ミサイルでは撃ち漏らしが生じる可能性がある。その場合は、地上から迎撃するPAC3ミサイルがあるが、迎撃に成功してもミサイルの破片が落下して被害が出る。破片の大きさは数十キロから百キロに達する可能性がある。(麻生幾「麻生幾が語る 日本が核武装する日」)。

 SM3/PAC3ミサイルによる迎撃については、古是三春「北朝鮮の核とミサイル 徹底検証」でより具体的なシミュレーションがなされていた。やや長くなるが、要点は以下の通りである。

 ・地下サイロからなる弾道ミサイル発射用固定基地は、米韓軍がその正確な位置を把握しているため、衝突が始まれば精密誘導爆撃でたちどころに破壊される。問題は、自走発射台から発射されるミサイルである。米軍の推定では、50基の自走発射台が運用下にある場合、ローテーションを考慮するならば、1日に最大40発程度が発射される。この40発は、半分が朝鮮半島の米韓軍拠点に、残り半分が日本で最大の米軍兵站基地である横田基地に打ち込まれる。

 日本海に展開する6隻の海自イージス艦のうち、2隻はローテーション運用のために待機しているため、迎撃にあたるイージス艦は4隻となる。各イージス艦はSM3ミサイルを8発ずつ搭載しており、弾道ミサイルを8発×4隻=32発で迎撃する。1発の目標ミサイルに対して2発の迎撃ミサイルで対処するので、全て命中すれば16発の弾道ミサイルを大気圏外で破壊できる。残る4発は、PAC3ミサイルが高度10キロ、有効射程20キロで捕捉を図る。同様に1ミサイルに対し2発のミサイルを差し向けたとして、8発を要する。現在、PAC3ミサイルは二個高射群が運用しており、これらは有事が想定されれば、重要施設にそれぞれ配置される。横田基地周辺に配置されるのは一個高射群にとどまるはずで、それが持つ迎撃ミサイルは32発である。

 問題は2日目以降である。1日目と同様、20発が横田基地に差し向けられた場合、洋上では前日にSM3ミサイルを撃ち尽くしたイージス艦4隻に代わって、待機中だった2隻が計16発のSM3ミサイルで迎撃を図る。これらが撃墜できる弾道ミサイルの最大数は8発である。残り12発に対して、横田基地付近に配備された高射特科群が前日に使わずに残した24発を差し向ける。幸運ならこれで飛来した弾道ミサイルを全て破壊できるが、翌日から使用できるPAC3ミサイルはない。洋上の6隻のイージス艦でもSM3ミサイルは枯渇している。そうなると、攻撃3日目からは、北朝鮮の弾道ミサイルは何ら迎撃されずに日本に着弾することになる。

 安倍首相は安保法制でファイティングポーズを見せたまではよかったが、それ以来、上記の穴を放置したままにしている。北朝鮮がICBMを完成させるまでに残された時間は少ない。山積する諸問題を早期に解決する政治的決断が必要とされている。同時に、国民の生命を守るために最大限の措置を講ずることも不可欠である。その際に参考となるのが、永世中立国・スイスである。スイス政府は『民間防衛』という冊子をまとめており、その中に次のような記述がある。

民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる
原書房編集部

原書房 2003-07-07

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 深く考えてみると、今日のこの世界は、何人の安全も保障していない。戦争は数多く発生しているし、暴力行為はあとを絶たない。われわれに危険がないと、あえて断言できる人がいるだろうか。
 最小限度言い得ることは、世界がわれわれの望むようには少しもうまく行っていない、ということである。危機は潜在している。恐怖の上に保たれている均衡は、十分に安全を保障してはいない。それに向かって進んでいると示してくれるものはない。こうして出てくる結論は、我が国の安全保障は、われわれ軍民の国防努力いかんによって左右される。
 日本国憲法の前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるのとは対照的である。現在の日本の周囲には、「平和を愛する諸国民」がどれだけいるだろうか?この点、スイスは徹底的なリアリズムを貫いている。

 同書の中には、有事に備えて家庭で備蓄しておくものとして、家族1人につき米、麺類、砂糖各2キロ、食用脂肪1キロ、食用油1リットル、他にスープ、ミルク、果物、肉、魚などの缶詰、石鹸や洗剤、冬の燃料などが挙げられている。また、スイスの核シェルターは有名で、1970年代の後半、10万人を収容可能な核シェルターが工事中で話題になったことがある。200~800人程度を収容する一般シェルターなら公共の設備として至るところに設けられている。内部には医療設備、調理室や食堂、子どものための遊び場や通信施設なども用意され、万一貯水池に毒物を混入された場合は地下水をくみ上げて利用するために削岩機やコンプレッサまで備えている。

 北朝鮮の弾道ミサイル発射によってJアラートが発動した時、「地下に隠れてくださいと言われてもそんな地下はない」という声が各地から聞かれた。日本の技術力をもってすれば、政治的決断さえあればわずか2年で核弾頭つきの弾道・巡航ミサイルを配備できるそうだ(麻生幾「麻生幾が語る 日本が核武装する日」)。だが、日本では核武装に対して世論の壁が大きく立ちはだかるのは間違いない。それならば、同じ政治的決断力をもって、せめて国民を守るための地下シェルターを急ピッチで整備することが重要ではないかと思う(公共工事にあたるため、景気対策としても有効である)。そうすれば、Jアラートに対して「朝からうるさい」とか「戦争への恐怖を煽り立てる」とか文句を言うくせに、本当に北朝鮮のミサイルが日本に着弾したら「政府は何もしなかった」と批判するに違いない理不尽な国民を黙らせることができるであろう。

 《参考》占部賢志「連載・第52回 日本の教育を取り戻す 比較検証・スイスと日本 平和をいかに守るのか」(『致知』2017年11月号)

致知2017年11月号一剣を持して起つ 致知2017年11月号

致知出版社 2017-11


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2017年11月14日

DHBR2017年11月号『「出る杭」を伸ばす組織』―社員の能力・価値観を出発点とする戦略立案アプローチの必要性


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 11 月号 [雑誌] (「出る杭」を伸ばす組織)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 11 月号 [雑誌] (「出る杭」を伸ばす組織)

ダイヤモンド社 2017-10-10

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 事業戦略から人事戦略へと落とし込む一般的なアプローチは次の通りである。

 ①自社の外部環境を分析し、自社にとって魅力的な事業機会を抽出する。
 ②その事業における市場・顧客と競合他社を分析し、自社のポジショニングを決定する。
 ③中長期的な戦略目標(売上高、利益額、利益率、市場シェアなど)を設定する。
 ④③を達成するためのCSF(Critical Success Factor:重要成功要因)を特定する。
 ⑤CSFを織り込んだビジネスモデル、ビジネスプロセスを設計する。
 ⑥⑤のビジネスプロセスを実現するために必要な社員の数と能力を明らかにする。
 ⑦⑥の人材要件と現状の社員の実力とのギャップを分析し、ギャップを埋めるための施策(教育、配置転換、採用など)を立案する。

 ①~⑤については、以前の記事「【戦略的思考】SWOT分析のやり方についての私見」をご参照いただきたい。⑥⑦がいわゆる人事戦略に相当するものである。①~⑦は、企業の外部環境を検討の出発点としているから、「外部環境アプローチ」と呼ぶことができる。ただし、このアプローチの問題点は、企業側の都合に社員を合わせているという点にある。企業と社員の方向性がぴったり重なっていれば問題ないのだが、多くの場合はそうではない。そして、両者のベクトルが異なる時、悲劇が起こる。本号では、特に、優秀で将来を有望視されたリーダーが凡庸な社員に成り下がってしまうケースが報告されている。
 企業が優秀な人材の獲得合戦を繰り広げている時代に、人によっては、有能さを認められることが呪縛になると認識するのは難しい。ところが、それは現実なのだ。リーダー志願者は、他者の期待に応えようと一生懸命に仕事に励む。すると、彼らをもともと際立たせていた資質―他者より優れ、仕事に熱心に取り組んでいると感じさせた能力―は埋もれる傾向にある。みんなと同じように振る舞うようになり、エネルギーと野心が削がれていく。職場で単に仕事をするふりを始めたり、(中略)逃げ出すきっかけを探し始めたりするかもしれない。
(ジェニファー・ペトリグリエリ、ジャンピエロ・ペトリグリエリ「『理想化』と『同一化』の葛藤を乗り越えられるか 逸材を襲う組織人の呪縛」)
 本号の特集テーマは「『出る杭』を伸ばす組織」である。言い換えれば、どうすれば社員の尖った能力を企業の戦略に活かすことができるか、ということである。冒頭の「外部環境アプローチ」に対して、社員を出発点とする戦略立案は「内部環境アプローチ」と呼ぶことができるだろう。

 私はしばしば本ブログで、下の階層の者が上の階層の者に対して、「もっとこうすればあなた(=上司)は高い成果を上げられるのではないか、企業全体がよくなるのではないか、顧客のためになるのではないか」と提案する「下剋上」(山本七平からの借用)の重要性を説いてきた。内部環境アプローチとは、言い換えれば、この下剋上が活性化された状態である。ただ、以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2017年AUT.65巻2号『健康・医療戦略のパラダイムシフト』―抜本的改革ではなく「できるところから」着手するBCGの病院改革に共感した、他」でも告白したように、私は外部環境アプローチに関してはいくつかのフレームワークを持っているものの、内部環境アプローチについてはこれといった方法論をまだ持ち合わせていない。人材育成が専門だと公言している者としては、誠に恥ずかしい限りである。

 そこで、大まかだが、内部環境アプローチの手順について考えてみた。

 ①社員の職歴、人生を振り返って、大切にしている価値観や習得した能力を棚卸しする。
 ②社員の価値観や能力を下地として、社員がやりたいと思っていることを構想する。
 ③社員のやりたいことを集約して、企業としての方向性を打ち出す。
 ④社員の価値観を総合して、社員が従うべき共有価値観を構築する。
 ⑤それぞれの社員の価値観や能力をどのように組み合わせれば③の方向性を実現できるのかを検討し、ビジネスプロセスを設計する。

 ①②はキャリアデザインのことである。①②は本来、社員の能力を知り尽くしているはずの人事部が行うのがふさわしい。だが、人事部は従来型の外部環境アプローチに慣れ親しんでいるため、いきなり①②を行うのは難しいかもしれない。また、社員としても、仕事の話が中心だった人事部との面談で、パーソナルな面を打ち明けるのはためらわれるかもしれない。そこで、キャリアコンサルタントという第三者の力を借りることとなる。2016年4月に「改正職業能力開発促進法」が施行され、企業は社員に対し、「キャリアコンサルティングの機会の確保その他の援助を行うこと」(第10条の3第1項)が義務化された。キャリアコンサルティングとは、「労働者の職業の選択、職業生活設計又は職業能力の開発及び向上に関する相談に応じ、助言及び指導を行うこと」(第2条第5項)と定義されている。

 平たく言えば、企業が社員のキャリア形成を支援することが法的に要請されており、キャリアコンサルタントに大きな期待が寄せられているということである。一般的に、キャリアコンサルティングと言うと、社員が上司や人事部には直接言いづらい仕事上、あるいは私生活上の悩みを相談したり、職場で起きている問題点を指摘したりする場だと考えられている。もちろんこれはこれで重要な側面であり、キャリアコンサルタントは被面談者の話を受けて、個人情報保護の観点から個人が特定できないように情報を編集し、組織全体の課題と対応策をまとめて人事部や経営陣に報告する組織開発的な役割が求められている。加えて私は、戦略立案の内部環境アプローチという観点からは、自社の社員のキャリア性向を踏まえて、企業としてどういう方向に向かうとよいのかを積極的に提案する戦略コンサルタントのような役割が上乗せされると考える。

 キャリアコンサルティングを通じて社員個々の能力や価値観を活かすと言っても、個人がてんでバラバラに動くようでは組織としての体をなさない。そこで、④にある共有価値観を定める必要がある。これはその企業で働く社員として、最低限守らなければならないルール集のようなものである。どのくらいの数のルールを設ければよいのかは難しい問題であるが、社員に大幅な権限移譲をしているリッツカールトン(例えば、社員は上司の決裁を仰がずに、2,000ドルまでを顧客のために自由に使うことができる)では、300もの決まりが定められているそうだ(フランチェスカ・ジーノ「同調圧力が生産性を低下させる 『建設的な不調和』で企業も社員も活性化する」)。意外とルールの数は多いのだという印象を受けた。

 共有価値観に関しては、海外の軍隊の考え方が参考になる。軍隊は、戦闘現場で状況に応じて柔軟な対応が求められる。そこで、「絶対にやってはいけないこと」だけを定めて、それ以外のことは現場の自由にやらせるという考え方を取っている。これを「ネガティブリスト方式」と呼ぶ。逆に、日本の自衛隊の場合は、法律で「やってよいこと」を列挙しており、「ポジティブリスト方式」と呼ばれる(この方式は制約が多く、現場では葛藤が生じていると聞く)。共有価値観、すなわち、「我が社の社員は○○しなければならない」というルールは、裏返しに読めば、「我が社の社員は○○してはならない」というルールになる。そして、そのルールに抵触しない限りは自由に振る舞うことを社員に許可することが重要である。日本の場合、共有価値観に従っていさえすればよいと考えて、ルールの枠内に収まろうとする傾向がある。この傾向を打破しなければならない。

 ⑤は、「仕事に人を割り当てる」のではなく、「人に仕事を割り当てる」、「人に合わせて仕事をデザインする」という意味であり、従来の発想からの転換が要求される。ピーター・ドラッカーは常々、「仕事に人を割り当てる」ことの重要性を強調していたが、実は大昔にIBMが深刻な業績不振に陥った際、時の社長であったトーマス・ワトソン・Jrが、社内で手持無沙汰にしている社員のために仕事を創り出した(つまり、社員を解雇しなかった)という逸話を好んで使っていた。「人に仕事を割り当てる」ことは、やり方次第で十分に可能なのである。

 ①~⑤は大まかな段階を示したにすぎない。私の喫緊の課題は、①~⑤に資するフレームワークやツールを作成することである。さらに言えば、上記の「内部環境アプローチ」は、自分で書いておきながらこんなことを言うのもおかしな話だが、1つ重大な欠陥を抱えている。それは、既存の社員の能力や価値観にしか注目していないということである。非社員、つまり労働市場にいる潜在的な労働力(女性やシニアなど)、さらには、まだ労働市場に出てきていない潜在的な労働力(障害者など)に着目して戦略を練るにはどうすればよいか、という難題が待ち受けている。彼ら・彼女らの能力や価値観を事前に把握し、戦略に反映させることは可能なのだろうか?

 だが、これができなければ、本当の意味での「ダイバーシティ・マネジメント」は実現しないと思う。本号では、「ニューロ・ダイバースな人材」(自閉症、統合運動障害、失読症、ADHD、社会不安障害など)を活用した経営についての論文があった(ロバート・D・オースティン、ゲイリー・P・ピサノ「自閉症、ADHD・・・人材を活かす7つの施策 ニューロダイバーシティ:『脳の多様性』が競争力を生む」)。SAPやヒューレット・パッカード・エンタープライズなどは、ニューロ・ダイバースな人材の採用に積極的であるそうだ。よく知られているように、例えば自閉症の人は、コミュニケーションに多少難があるものの、アーティスティックな仕事で高いパフォーマンスを上げることができる。彼ら・彼女らの能力を活用できれば、企業の戦略に豊かな幅が生まれるに違いない。

 最後になるが、「外部環境アプローチ」と「内部環境アプローチ」は、戦略立案プロセスの両極である。実務面で本当に有益な戦略論を構築するならば、両者のアプローチを統合しなければならない。つまり、「中庸」を取らなければならない。これが私にとって最大の難問である。




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