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『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟
DHBR2018年2月号『課題設定の力』―「それは本当の課題なのか?」、「それは解決するに値する課題なのか?」、他
『世界』2018年2月号『反貧困の政策論』―貧困を解決するには行政がもっと市場に介入して消費者にお金を使わせればよい、他

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年02月21日

『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟


致知2018年3月号天 我が材を生ずる 必ず用あり 致知2018年3月号

致知出版社 2018-02


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 感謝をする―「ありがとう」と口先で言うだけなら簡単だが、心の底から気持ちを込めて「ありがとう」と言うことは意外と難しい。幼少期に散々しつけられたはずなのに、なぜか大人になるとできなくなる。ただ、常日頃から感謝の気持ちを抱くことは、人生において極めて重要である。カリフォルニア大学デイヴィス校のロバート・A・エモンズ教授は、常に感謝の心を持っている人はそうでない人に比べて幸福な上、より人助けをし、寛大で、物質偏重主義に走りにくいと言う。

 エモンズ教授の研究に、1,000人以上と面談して、一部の人に「感謝の日記」をつけてもらうという有名な実験があるそうだ。被験者は週に1回のペースで、「ありがたい」と思ったことを書き留めていく。その結果、感謝の気持ちを持つと、心理的、身体的、社会的な効果を及ぼすと判明した。具体的には、感謝の日記をつけた人は、以前よりも前向きになり、快眠でき、体調もよくなって、周囲に対して気を配ることが増えたと話している。「感謝することで、人はしばし立ち止まって考え、自分が持っているものの価値を理解することができる」とエモンズ教授は述べている(マイク・ヴァイキング『ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方』〔三笠書房、2017年〕より)。

ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方 (単行本)ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方 (単行本)
マイク・ヴァイキング ニコライ・バーグマン

三笠書房 2017-10-13

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 私は、感謝には次の4段階があると考える。

 (1)してもらったことに対して「ありがとう」と言う。
 これは最も簡単な感謝の方法である。人類学者の中根千枝氏が指摘するように、日本は特にタテ社会の傾向が強いが、下の階層の人が上の階層の人から報酬や恩恵、名誉などを与えられたら、上の階層の人に対して感謝をするように我々は教え込まれている。顧客から代金を支払ってもらったら感謝する。会社から給与を支払ってもらったら感謝する。学校で先生から教育を受けたら感謝する。親に育ててもらったら感謝する。これはそれほど難しいことではない。もっとも、最近は会社が給与を支払うのは当然であるかのような態度をとる社員が増えたり、先生や親に対して敬意を払わない子どもが増えたりしているのは由々しき問題である。

 (2)してあげたことに対して「ありがとう」と言う。
 以前の記事「『致知』2017年10月号『自反尽己』―上の人間が下の人間に対してどれだけ「ありがとう」と言えるか?、他」でも書いたが、下の階層の人が上の階層の人に感謝するだけでなく、上の階層の人が下の階層の人に感謝することも大切ではないかと思う。顧客は企業に対し、製品やサービスの対価を払うと同時にありがとうと言う。企業は社員に対し、給与を支払うと同時にありがとうと言う。教師は子どもに教育を施すと同時に、勉強を頑張ってくれてありがとうと言う。親は子どもを育てると同時に、元気に育ってくれてありがとうと言う。

 上の階層の人は、下の階層の人のためにわざわざ骨折って何かを与えたのに、それに加えてさらに下の階層の人に対してなぜ感謝までしなければならないのかと疑問に思う人もいるに違いない。その問いに対する1つの答えが、『致知』2018年3月号に示されていた。
 佐藤:人を輝かせようと頑張るほど、周りから見ると、「やっぱり、あいつは自分が目立ちたい、輝きたいだけじゃないか」となってしまう。それで、なぜ人を輝かせたいと思っているのに、自分が輝いてしまうのだろうかと考えた時、僕の中で出た答えが、「人は誰かを輝かせようと思った瞬間に、一番輝く」ということでした。
(佐藤仙務、恩田聖敬「絶望を乗り越えた先に見えてきたもの」)
 下の階層の人は上の階層から報酬や恩恵、名誉などをもらうことで輝くことができる。では、報酬などをあげた上の階層の人は輝くことができないのか?否、上の階層の人は下の階層の人に報酬などを与え、下の者を輝かせることによって自らも輝くことができるというわけである。そして、自らを輝かせてくれたことに対して、下の階層の人に感謝をしなければならない。

 この第2段階の感謝ができない人は、「くれない病」にかかる。自分は相手のためにこれだけ精一杯やってあげているのに、相手は何もしてくれないと憤る。義理の両親が重度の障害を持ち、子どもも自閉症を抱えているという島田妙子氏(児童虐待防止機構オレンジCAPO理事長)は、一時期この「くれない病」に陥っていたと言う。相手にしてあげたことで自分が輝くことができているのに、そのことを忘れてしまう。くれない病の副作用には気をつけなければならない。
 子供が言うことを聞いてくれない。旦那は手伝ってくれない。誰も分かってくれない。本当はそんなことはないのに、悲観的になるとすべてがマイナスになってしまうのです。そして、くれない病の一番恐ろしいところは、感謝力が低下してしまうことです。以前であれば素直に「ありがとう」と言えていたことでさえ、感謝できなくなってしまいました。
(島田妙子「虐待を生き抜いた私だからできること すべてを肯定して生きる」)
 人間的に未熟な私などは、この2段階目の感謝でもうつまずいてしまう。飲食店で会計を済ませた後になかなか「ごちそうさまでした」と言えない。居酒屋などでそれなりの額を使った時にはさすがに店員に対してごちそうさまと言えるようになったが、例えばドトールなどで1杯200円程度のコーヒーを飲んだ際にいちいち店員に謝意を示すことを面倒だと感じてしまう(お客さんの中には店員にごちそうさまと言える人がいて、人間的によくできた人だと感服する)。最近、私の家の近所に大戸屋ができたのだが、この大戸屋はIT化が進んでいてセルフレジが用意されている。本当は店員に直接代金を支払ってごちそうさまと言うのが筋なのだが、面倒くさがりの私はついセルフレジを使ってしまう。こういうところに、自分の未熟さが出てしまい恥ずかしくなる。

 (3)ひどい仕打ち・不幸な出来事に対して「ありがとう」と言う。
 3段階目から一気に難易度が上がる。他人からひどい目に遭わされた時、怒り、憎しみ、悲しみを隠せないのが普通である。しかし、どんな不幸の中にも幸せの種は植わっている。その種を見つけ出して感謝をするというのがこの第3段階である。

 私の幼少期、父親の収入がそれほど多くなく、マイホームを持つことができなかったため、私の両親と弟は母親の実家に暮らしていた。ところが、母親と祖母の仲が非常に悪く、年中喧嘩が絶えなかった。母親からは、祖母と口を利かないようにと頻繁に言われた。祖父母は1階に暮らし、私の両親と弟は2階に暮らしていたが、私は祖父母と会話を交わした記憶がほとんどない。母親の祖母嫌いは徹底していた。我が家では祖母が最初に風呂に入る順番になっていたが、祖母が風呂から出ると、母親は湯船のお湯を抜いて、風呂を掃除し直し、新しいお湯を張るぐらいの徹底ぶりであった。さらに、母親は、別の場所で暮らしている妹の家族とも犬猿の仲だった。盆や正月に妹家族が実家に遊びに来ると、私と弟はその妹家族から隔離された。母親と妹が口喧嘩をしているのを何度も耳にしたことがある。

 ある日私は、2階の本棚の中から1冊のノートを発見した。そこには、母親が祖母や妹に対する不満をびっしりと書き込んでいた。多感な当時の私を動揺させるのには十分すぎるぐらいの罵詈雑言が並んでいた。そのぐらい母親と祖母は不仲だったため、一時期私の両親は私と弟を連れて家出をし、実家の近くにアパートを借りて暮らしていたことがある。当時の母親は家を買うことを考えていたようで、電話で祖父に対して頭金の300万円をよこせとよく叫んでいた。

 母親のヒステリーは、私が結婚する際にも発揮された。私と妻は当初、両親から私たちの好きなように結婚式を挙げてよいと言われていた。そこで、私たちが知り合った京都で挙式をすることにした。ところが、準備がある程度進んだ段階になって、やっぱり私の実家のある岐阜で、親戚も交えた結婚式にしなければ許さないと言い出し始めた。さらに、結納代わりに両家の顔合わせの食事会に両親を招いた時には、結納代わりであることを事前に説明していたにもかかわらず、結納をしないのはおかしいと騒ぎ立てた。挙句の果てに、いきなりあのような食事会に呼ばれたのは、まるで石坂浩二が浅丘ルリ子と離婚の記者会見をした時に、浅丘ルリ子が記者会見の当日になって、これが離婚の記者会見であることを知らされたかのようなものだなどと、許しがたいことを言い放った。結局、私たちは結婚式を挙げることはできなかった。

 それ以来、私は実家とは絶縁状態である。両親が実家を飛び出して近くに新居を建てたらしいということは聞いたが、私は新しい実家の住所を知らない。また、弟が今どこで何をしているのか、結婚をしているのか否かも知らない。祖母に至っては、生きているのか死んでいるのかさえ解らない(祖父は11年前に他界している)。もっとも、祖母が死んでも私のところには連絡が来ないのではないかと思っている。かろうじて両親と弟の携帯の電話番号は把握しているものの、もし電話番号を変更していたら、私には連絡を取る手段がない。

 感謝の第1段階で親への感謝ということを書いたが、私の実家はこのような状態であったので、両親に感謝するのは、個人的には非常に難しいことである。ただ最近は、2つだけ両親に感謝していることがある。1つ目は小学校から中学校にかけて珠算と書道を習わせてくれたこと、もう1つは大学まで卒業させてくれたことである。幼少期に珠算と書道をやっていたおかげで、私は平均的な人に比べると脳が鍛えられたと思うし、上手な字が書けるようになった。また、父親の収入がそれほど多くなかったにもかかわらず、京都の大学に通う私に毎月8万円(家賃5万円+食費3万円)の仕送りをし、授業料も払ってくれた。最近の大学生の約5割は奨学金を受けているという実態からすると、かなり恵まれていたと言えるだろう。ただ、この2つ以外に感謝することが今は見つからない。未熟な私が両親に心の底から感謝することができる日はまだ遠い。

 前職のベンチャー企業で散々な目に遭ったことは、「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」や「【シリーズ】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由」で書いたので、ここでは繰り返さない。私は双極性障害を患ってもう10年近くになるが、その原因を作った前職の会社とその社長を許すことはできていない。社長は元々あるコンサルティングファームのパートナーを務めていて、たまたまストックオプションで一山当てた人であり、数億円の資産があると噂されていた。前職の会社は赤字続きで社会に対して全く貢献できていなかったから、私は、とっととこんな会社は倒産し、社長は死んで相続税を払った方が社会貢献になるのではないかと本気で思っていた。そのぐらい、私はこの社長のことを憎んでいた。

 その憎しみを晴らすために、私は前述のシリーズものを書き、とある中小企業診断士の先生から教えてもらった「5年日記」を書き始めて、自分の感情を正直に吐露することにした(以前の記事「DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう」を参照)。トラウマと向き合うと、最初は苦痛を伴うため幸福感が低く、血圧が高くなるのだが、一定期間トラウマについて書き続けるうちに、心身ともにかえって良好な状態になる。このことは「ジャーナリング効果」と呼ばれているそうだ(シェリル・サンドバーグ、アダム・グラント『OPTION B―逆境、レジリエンス、そして喜び』〔日本経済新聞出版社、2017年〕より)。

OPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜びOPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜び
シェリル・サンドバーグ アダム・グラント 櫻井 祐子

日本経済新聞出版社 2017-07-20

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 前職の会社に対する気持ちは完全には清算し切れていないが、最近は少し感謝の気持ちも芽生えてきた。双極性障害になったおかげで、私は前職の会社を退職し、診断士として本格的に活動を始めた。診断士としての仕事は、本業のコンサルティングに加えて、執筆、講演、信用調査、補助金関連の仕事など、前職の会社では経験できないような様々なものであった。人脈作りが苦手だった私があちこちの会合に積極的に顔を出し、色々な専門家と知り合うことができた。その専門家に刺激されて、経営学以外の本をたくさん読むようになり、知見も増えた。もしあのまま勤め続けていたら、アメリカのコンサルティングの流行をすぐに日本に持ち込みたがる社長の下で、アメリカの成果をコピペするだけの薄っぺらいコンサルタントになっていただろう。

 5年日記は昨年で1冊目が終了し、今年から2冊目に突入した。1冊目は私の感情のはけ口になっていたため、半ばデスノート化していたのだが(だからとても公開できない)、2冊目は冒頭で触れた「感謝の日記」へと少しずつ移行することができればよいと思っている。

 (4)ただ生きていること、ただあることに対して「ありがとう」と言う。
 最終段階はさらに難しい。これは、ただ生命があることに対して感謝をするというものである。12歳まで米沢藩士の末裔である祖母中心の家で育った文筆家の石川真理子氏は、『致知』2014年9月号の中で次のように述べている。
 例えば、朝起きて挨拶に行くと、祖母は、「きょうも命がありましたね。ありがたいですね」と言うことがありました。きょうも命があったということは、明日は生きているかどうか分からない。子供心にとても怖い思いをしたことを鮮明に覚えています。祖母の言葉によって、どこか遠くに漠然と思い描いていた死というものが、自分のすぐそばにやってきたのです。そうした原点があったために、何事も明日死んでも構わなないような心掛けで、精いっぱい取り組むことが私の信条となったのです。
(石川真理子「武家の娘の心得 祖母に学んだ武士道」)
致知2014年9月号万事入精 致知2014年9月号

致知出版社 2014-09


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 朝起きて、ただ「今日も生命がありました。ありがとう」と言うだけでは不十分である。今日も生命があったという奇跡に心から感謝するとともに、その奇跡を与えてくれた天(神でも仏でもよい。つまり何か人知を超えたもの)に畏怖し、奇跡を無駄にしないように今日という一日を力の限り生きることを決意しなければならない。これは祈りである。それを毎朝バカがつくほど真面目に続けることは難しい。だからこそ、私は感謝の4段階目にこれを位置づけたのである。

 4段階目の感謝を続けていると、時にこんな奇跡が起きる。『致知』2018年3月号には、19歳で肝臓がんを発症し、余命半年と宣告されながら、25歳の現在も活動を続けている山下弘子氏のインタビューが掲載されていた。
 そういえば、体に薬疹ができた時、不思議なことがあったんです。近々友人とトルコ旅行に行くことになっていて、「それまでには絶対に治す」と決めました。旅行に行きたいという邪な気持ちでしたけど、いろいろなものに感謝していた気がします。食事に感謝して胃で消化されて栄養として全身に行き届く様子をイメージしてみたり、母が近くで見守ってくれることにも感謝、生きていられることにも感謝。そうしたら40日ほどして本当に薬疹が引いてしまったんです。皆からは奇跡だと驚かれました。
(山下弘子「病が私に人生の意味を教えてくれた」)
 国際コミュニオン学会名誉会長の鈴木秀子氏も、似たような話を紹介していた(どの号か忘れてしまったので、時間ができたら調べておく)。ある末期ガン患者で、医師からは絶対に治らないと言われていた人が、余命を宣告された日から毎日、自分の身体に向かって感謝をするようにしたのだと言う。臓器をさすっては「いつも動いてくれてありがとう」と言い、腕や足をさすっては、細胞の1つ1つに対して「いつも動いてくれてありがとう」と感謝し続けた。すると、驚くことに、ガン細胞がきれいさっぱり消えてしまったそうだ。感謝には人知を超えた不思議な力が宿っている。

2018年02月19日

DHBR2018年2月号『課題設定の力』―「それは本当の課題なのか?」、「それは解決するに値する課題なのか?」、他


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 2 月号 [雑誌] (課題設定の力)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 2 月号 [雑誌] (課題設定の力)

ダイヤモンド社 2018-01-10

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 (1)特集の論文ではないが、クラウディオ・フェルナンデス=アラオス、アンドリュー・ロスコー、荒巻健太郎「現在のコンピテンシー水準とのギャップを埋めよ 潜在能力を開花させる経営リーダーの育成法」が個人的には非常に参考になった。

 現在でも多くの企業で運用されている職能資格制度では、職能を10程度定義し、例えば4~5級が係長、6~7級が課長、8~9級が部長、10級が経営陣といった具合に、役職と職能を紐づけている。そして、7級で要求される能力を習得すれば、8級に昇格し、部長に昇進できる権利を取得するという、いわゆる「卒業方式」が採用されている。だが、課長として優れているからと言って部長として優れているとは限らないし、部長として優れているからと言って経営陣として優れているわけではない。この点が職能資格制度の1つの弱点である。以前の記事「鈴木康司『中国・アジア進出企業のための人材マネジメント』―職能資格制度に関する一考」でも、オペレーション能力とマネジメント能力を完全に分けて考えたため、一般社員からマネジャーに昇進する際にはどうしても能力の断絶が生じてしまう(それでも人事コンサルかと言われそうだが・・・)。

 本論文では、経営トップに求められる能力として、①成果志向、②戦略性、③協働能力、④チームリーダーシップ、⑤組織育成力、⑥変革のリーダーシップ、⑦市場理解力、⑧多様性対応力の8つを指摘している。経営トップの候補がこれらの能力をあらかじめ習得しているに越したことはないが、たいていの場合は経営トップの候補がこれらの能力をどの程度身につけているのか、あるいはこれらの能力の伸びしろがどれくらいあるのかを事前に知ることは困難である。そこで、論文の著者は、(ⅰ)好奇心、(ⅱ)洞察力、(ⅲ)影響力、(ⅳ)胆力という4つの潜在能力を挙げ、それぞれの潜在能力と前述した経営トップの8つの能力との関係を明らかにしている。8つの能力の事前評価は難しくても、4つの潜在能力の評価を通じて、それぞれの経営トップ候補者が実際に経営トップになった場合のパフォーマンスを予想しようというわけだ。

 顕在能力だけでなく、潜在能力も合わせて評価することで、本当に上の階層の人材にふさわしいかを判断するというやり方は、是非取り入れてみたいと思う。一方で、ただでさえ大変な能力評価がさらに煩雑になるという懸念があり、どうすれば人事部や現場の運用負荷を軽くすることができるかも同時に検討する必要があるだろう。

 (2)本号の特集は「課題設定の力」である。課題解決のカギは、いかに上手に課題を解決するかではなく、いかに正しい課題を設定するかにあるとされる。正しい課題を設定することができれば、課題解決の90%は完了したも同然とさえ言われる。本号では、「リフレーミング」の方法(トーマス・ウェデル=ウェデルスボルグ「リフレーミングで問いを再定義せよ そもそも解決すべきは本当にその問題なのか」)や、「社会システムデザイン」の方法(横山禎徳「ロジックツリーの限界を超えて 課題設定は意思から始まる」)などが掲載されている。私のブログでは、課題を適切に再設定したことで、課題解決の方法ががらりと変わった事例を紹介したいと思う(いずれも、先輩のコンサルタントから聞いた話であり、事例は簡略化してある)。

 1社目はある製品を販売する企業である。このクライアントは、全国に販売店を多数抱えていた。クライアントの販売店側の担当者が最初に相談に訪れた時、本社から販売店に対して販促情報などありとあらゆる情報が五月雨方式に降ってくるので困っているとのことであった。そこで、コンサルタントは、本社と販売店とを結ぶイントラネットを改善すればよいと考えていた。

 ところが、このクライアントの事業を分析すると、取り扱っている製品に際立った特徴があることが解った。クライアントの製品は大きく3つに分類することができた。1つ目は競合他社と差別化されているユニークな製品A、2つ目は製品Aに次ぐ収益を上げている製品B、3つ目は成熟期に突入しており製品競争力が低く、撤退も検討しているという製品Cであった。

 今まで、全国の販売店は製品A~Cを全て取り扱っていたが、コンサルタントは製品別に販売店を再編成することを提案した。つまり、下図のように、製品Aだけを扱う販売店を軸として、製品Bだけを扱う販売店、製品Cだけを扱う販売店(この販売店は将来的に縮小する)に再編するのである。すると、本社からの情報は、製品Aに関するものは製品Aを扱う販売店に、製品Bに関するものは製品Bを扱う販売店に、製品Cに関するものは製品Cを扱う販売店にだけ届くようになり、情報が五月雨式に降ってくるという当初の課題は自然と解消する。つまり、課題は「どうすれば本社から五月雨式に降ってくる情報を効率化できるか?」ではなく、「どうすれば自社製品の強みを活かして市場に効果的にアプローチできるか?」ということであったわけだ。

本当の課題は何か?①

 2社目はやや古い事例になるが、中堅の保険会社である。このクライアントは、下図の左側にあるように5か年の中期経営計画を作成していた。売上高、利益の目標はそれほど無理のあるものではなかった。クライアントは、この中期経営計画を確実に達成するための方策について、コンサルタントに相談してきた。だが、コンサルタントはこの中期経営計画を鵜吞みにしなかった。というのも、ちょうどその頃、日本では保険業界の規制緩和が予定されていたからである。コンサルタントは、先行して保険業界の規制緩和を実施したアメリカを調査した。すると、中堅の保険会社は軒並み業績を大幅に落としていたことが判明した。このことを踏まえて、非常にラフではあるが、クライアントの2~3年後の業績を予測し、下図の右側のようなグラフを作成した。

 すると、当初は比較的楽に達成できると思われた中期経営計画が、非常にチャレンジングなものであることが判明した。規制緩和によって、売上高と利益は一旦大きく落ち込む。そこから5年後の目標値に向けて大きくジャンプアップしなければならない。当然、中期経営計画を達成するための施策もドラスティックなものが要求される。このクライアントの課題は、「過去の延長線上で中期経営計画を達成するためにはどうすればよいか?」ではなく、「規制緩和を挟んで業績をV字回復させるためにはどうすればよいか?」ということであった。

本当の課題は何か?②

 このように、課題解決では、出発点の課題をどう設定するかが重要である。しかし、それと同様に、あるいはそれ以上に大事なのが、「その課題は解決するに値するものであるか?」ということだと思う。旧ブログの記事「【2011年最後の記事】「問題を解決する気がない人」の問題解決にいつまでもつき合うな」でも書いたが、私は前職の教育研修&コンサルティングのベンチャー企業で、キャリア研修を売るためにマーケティング担当として様々な打ち手を展開していた。だが、社長から一般社員に至るまで、打っても響かない人たちに悩まされ、一向にキャリア研修の売上が上がらなかった(もちろん、彼らを動かすことができなかった私の実力不足も認める)。

 今になって考えてみると、キャリア研修は、社長が頭の中で描いているだけの「理想の人材開発体系」の1ピースになることが目的であり、マーケットインの発想で開発されたものではなかった。それに、社長の本音としては、単価が安いキャリア研修よりも、営業力強化研修のような高単価のビジネススキル研修を売りたがっているようでもあった。さらに、後から気づいいたことだが、以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第30回)】ターゲット市場がニッチすぎて見込み顧客を発見できない」でも書いたように、キャリア研修の市場規模は、実は非常に小さかった。だから、「キャリア研修をいかにして売るか?」という課題は、解決するに値しない課題であった。

 以前の記事「『致知』2018年4月号『本気 本腰 本物』―「悪い顧客につかまって900万円の損失を出した」ことを「赦す」という話」では、資格勉強のe-Learning講座を提供するベンチャー企業で、新規事業の一部として中小企業診断士の講座を提供することになり、私が講座を担当したという話を書いた。しかし、この企業の収益の柱は依然として司法試験であり、この企業にとって新規事業とは、新しい収益源を作ることではなく、メニューの豊富さを潜在顧客に印象づけることができれば十分であるということに気づくことができなかった。つまり、この企業にとって、「どうすれば新規事業が成功するか?」という課題は存在しなかったのである。ベンチャー企業絡みで2度も似たような失敗をした私は全くの愚か者である。

 (3)最近、柄にもなく日本の課題というものを考えることがある。1つ目は超高齢社会にいかに対応するかである。旧ブログの記事「高齢社会のビジネス生態系に関する一考(1)―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』(2)(3)」では下図を用いた。

<年齢5階級別人口(平成42年)>
年齢5階級別人口(平成42年)

 これからはネットワーク社会になるとか、フリーランス中心の社会になるなどと言われるが、日本は伝統的に儒教の影響を受けた階層社会である。その伝統が今後数十年の間に完全にひっくり返るとは思えない。もう1つの日本の伝統が年功制である。私は過去の記事で様々な切り口から業績給を計算する手法を試してみたものの、どれをとってみても企業の業績を完全に個人の給与に反映させることはできない。だからと言って、さらに意固地になって業績給を厳密に計算しようとすれば、人事制度がますます複雑になり、社員の理解が得られなくなる。人事制度はシンプルでなければならない。結局、不公平さは残るが最も単純な人事制度とは年功制である。年功制は、年々生活費が上昇する社員の生活を保障する役割も果たす。給与を業績給や役割給ではなく生活給とするのも、社員を家族のように大切にする日本のよき伝統である。

 上図を見ると、20代を底辺とし、60代を頂点とする従来型の階層組織に加えて、40代を底辺とし、70代、80代を頂点とする新しい階層組織が生まれると予想される。新しい組織は、従来型の組織ではポスト不足により昇進が見込めない人が起業・転職することで誕生する。私は年功制は支持するが、終身雇用は支持していない。以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―「雇用の維持」は企業の社会的責任か?」でも書いたように、終身雇用の下では深刻なポスト不足をもたらすからだ。事実、現在の大企業を中心に、バブル期に大量採用した社員が課長職あたりに滞留し、それ以降に入社した社員の昇進を阻止してしまっている。

 私が考えている課題とは、いずれのタイプの階層組織も年功制を維持しながら、かつ企業としての持続的な成長も達成するためにはどのような戦略を実行すればよいのか?ということである。また、40代以降の人々が新しいタイプの階層組織にスムーズに移行するためにはどうすればよいか?40代以降に期せずして起業・転職をした人が高いモチベーションを保って働き続けるためにはどうすればよいか?さらに、増加し続ける後期高齢者の医療や年金を支えるために、企業活動を医療・年金システムの中にどのように組み込めばよいのか?も考えなければならない。上図は2030年の予想図であり、この課題を解決するために残された時間は意外と短い。

 もう1つの課題は、国際社会における日本のポジショニングである。先日の記事「『世界』2018年2月号『反貧困の政策論』―貧困を解決するには行政がもっと市場に介入して消費者にお金を使わせればよい、他」でも書いたように、朝鮮半島はそう遠くない将来に、社会主義国として統一される可能性が高いと考える。これまでは、冷戦の遺産を朝鮮半島という狭い空間の中に閉じ込めておき、日本は日米同盟に守られながら朝鮮半島を傍観していればよかった。ところが、朝鮮半島が赤化すれば、冷戦の遺産は朝鮮半島の新国家対日本という構図に引き継がれることになる。相手は強烈な反日であり、もしかしたら核を保有しているかもしれない。

 だからと言って、いたずらにこの新国家と対立すれば、東アジアは米中対立の代理戦争の舞台となり、米中の思うつぼである。日本も朝鮮半島の新国家も深刻なダメージを受けるだろう。本ブログでたびたび書いてきたが、小国には大国同士の二項対立に巻き込まれないようにするために、二項混合という受け身を取ることができる。対立する大国のいいところ取りをすることで、独自の体制を築くわけである(タグ「二項混合」の記事を参照)。

 日本の場合は、資本主義・自由主義に軸足を置きつつも、社会主義の長所を取り入れる。その結果、正面から見ると何の絵か解らないが、右側から見ると資本主義が、左側から見ると社会主義が浮かび上がるような絵を描き上げる。そして、朝鮮半島の新国家に対しては、社会主義に軸足を置きつつも、資本主義・自由主義の長所を取り入れるように働きかけ、日本と同じように見る角度によって異なる絵が浮かび上がるような国家の形成を支援する。以上はまだ理想論・概念論にとどまっており、これを実務レベルにまで落とし込むことが私の課題である。

2018年02月16日

『世界』2018年2月号『反貧困の政策論』―貧困を解決するには行政がもっと市場に介入して消費者にお金を使わせればよい、他


世界 2018年 02 月号 [雑誌]世界 2018年 02 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-01-06

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 (1)
 アメリカの報復の意志は、なぜ確からしいのか。それは、「同盟国である日本が攻撃されて黙っているわけにはいかないはず」だからだ。ただし、報復が北朝鮮を滅亡させるような規模で行われるかどうかについては、状況次第というほかはない。まして、北朝鮮がアメリカ本土に到達する核能力を獲得したとすれば、アメリカが自国民への被害を甘受してまで「日本のために」報復すると考えるわけにはいかない。
(柳澤協二「米朝戦争の危機と日本の針路」)
 引用文最後の部分は、アメリカによる核の傘が破れたことを意味する。この手の主張は右派が展開することが多く、『世界』の論評記事で取り上げるのは不適切であるのだが、核戦略に対する私の無知ゆえに、この「核の傘が破れる」というのがどうも理解できない。

 現在、アメリカと中国が核兵器を保有している。中国がアメリカを核で攻撃すると、アメリカは核で中国に対して反撃してくる可能性がある。そうなれば、双方の国にとって甚大な被害が生じるから、実際には核兵器は使用されない。これを相互確証破壊戦略と言う。中国が日本などのアメリカの同盟国を核で攻撃する場合も同様で、アメリカに核で反撃されるかもしれないから、抑止力が働く。これが同盟国にとっての核の傘の意義である。ここで、中国の同盟国である北朝鮮が核を保有した場合はどうであろうか?北朝鮮がアメリカを攻撃する場合でも、日本などアメリカの同盟国を攻撃する場合でも、アメリカは北朝鮮に核で反撃する可能性がある。だから、北朝鮮は核を実際に使用することができない。つまり、核の傘は破れていないはずである。北朝鮮が核を保有するとなぜアメリカの核の傘が破れるのか、詳しい人に是非ご教示いただきたい。

 右派が「アメリカの核の傘が破れる」と指摘する時、その先には「だから日本も核武装をするべきだ」という主張が続く。核の傘の危機を叫ぶ右派には、日本にどうしても核武装をさせたい勢力と、その背後で日本に核兵器を売ろうとするアメリカの軍産複合体の存在が見え隠れする。確かに、力に対しては力で対抗するのが国際政治のセオリーである。だが、論理よりも情理が優先する日本は、以前の記事「『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。」でも書いたように、核を保有することはできない。

 ここで、改めて北朝鮮をめぐって想定されるシナリオを整理してみたいと思う。
 <Ⅰ.北朝鮮が先制攻撃する場合>
 ①北朝鮮がアメリカに向けてICBMを発射する場合
 ⇒アメリカが核で反撃してくる可能性があるため、実際には実行されない。
 ②北朝鮮がアメリカの同盟国である日本や韓国に向けて核ミサイルを発射する場合
 ⇒この場合もアメリカが核で反撃してくる可能性があるため、実際には実行されない。
 ③北朝鮮がアメリカに対して通常の武力攻撃をする場合
 ⇒北朝鮮はアメリカの付近に軍隊を保有していないので、このシナリオは成り立たない。
 ④北朝鮮がアメリカの同盟国である日本や韓国に対して通常の武力攻撃をする場合
 ⇒韓国がアメリカ側につくか、アメリカを裏切るかによって変わる。
  ⅰ)韓国がアメリカ側につく場合
  ⇒構図的には、アメリカ・韓国・日本VS北朝鮮・中国・ロシアとなるが、まず日本は戦争に参加できない。また、ロシアは北朝鮮との関係が中国のそれに比べると弱いので、実際に表舞台に出てくるかどうか不明である。アメリカ・韓国の軍事力は、北朝鮮・中国の軍事力を凌駕しているから、アメリカ・韓国が勝利し、北朝鮮は崩壊する。ただ、その跡地に親米親韓政権ができるかというと、そうとは限らない。資本主義のラインが北緯38度から中国国境まで北上することに中国が反発するであろうし、何よりもアメリカが新国家の建設に後ろ向きになるであろう。というのも、イラク戦争後の政権樹立と国家安定に相当苦労させられていることを知っているからだ。となると、アメリカは敗戦国の中国に親中の傀儡政権を作ることを容認することもあり得る。
  ⅱ)韓国がアメリカを裏切る場合
  ⇒構図的には、アメリカ・日本VS北朝鮮・韓国・中国・ロシアとなる。この戦いはアメリカにとって非常に不利である。アメリカが敗戦すると、北朝鮮と韓国は統一国家を樹立するであろう。この統一国家は、韓国の巨大な資金を北朝鮮の核に投資するから、朝鮮半島に凶悪な核保有国家が誕生することを意味する。日本にとってはまさに悪夢である。

 ただし、北朝鮮が先制攻撃をする可能性はそもそも限りなく低いと思われる。北朝鮮がアメリカを挑発する時、必ず、「アメリカが攻撃をしてくるならば北朝鮮も黙ってはいない」という言い方をする。逆に言えば、北朝鮮から先制攻撃をする意思はないと考えてよい。後述するように、北朝鮮が核開発をする目的は、何もアメリカと戦争をしたいからではなく、アメリカを対話のテーブルに引きずり出して、南北統一の障害となっている米韓同盟を放棄させることであるからだ。

 <Ⅱ.アメリカが先制攻撃をする場合>
 ①アメリカが北朝鮮に向けてICBMを発射する場合
 ⇒北朝鮮の核ミサイルは60ほどであると見積もられている。この程度であればアメリカが全ての核ミサイルを破壊できるかもしれないが、100%成功する確証はない。もし撃ち漏らしがあれば、北朝鮮が核で反撃してくる恐れがある。アメリカ本土を核で攻撃されることに極度の恐怖を感じているアメリカは、この作戦に踏み切ることができない。
 ②アメリカが北朝鮮に対して通常の武力攻撃をする場合
 ⇒これはⅠ④と同じシナリオになる。アメリカの勝利は、韓国の態度にかかっているが、私は韓国がアメリカを裏切ると思う。近年の韓国は左傾化が進んでおり、保守の朴槿恵前大統領を辞任に追いやったロウソク革命では、親北左派の活動家が多数関与していたと報告されている。その活動の成果が、ウルトラ左派の文在寅大統領の誕生として結実したわけだ。文大統領は、アメリカに要請されてTHAADミサイルを配備した時、中国の猛反発を受けてあっさりと譲歩してしまった。また、国連が北朝鮮に対する制裁を決議を下した際も、北朝鮮に資金的援助をするほど、筋金入りの親北派である。文大統領の本音は、早く南北統一を実現して民族の分断を解消し、今までそうであったように、中国に属するという形を作りたいということだろう。

 アメリカもこのことは当然知っているであろうから、北朝鮮を攻撃する動機が減退する。結局のところ、北朝鮮はアメリカに対して先制攻撃をする意思がなく、アメリカも北朝鮮を攻撃するメリットがないことから、実際には両者の軍事衝突が起きる可能性は限りなく低いと思われる。

 <Ⅲ.米朝対話が成立する場合>
 北朝鮮はまず、アメリカ本土に届くICBMの保有をアメリカに認めさせようとするだろう。もちろん、実際にこのICBMが使われる可能性は前述のように低いわけであるが、北朝鮮の非核化を目指すアメリカはこの要求を呑まない。ただし、アメリカ国内では北朝鮮の核容認論も持ち上がっており、アメリカ本土に届かない核ミサイルであれば保有を認めてもよいという意見がある。しかし、これでは今度は北朝鮮が納得しない。というのも、元々北朝鮮がICBMを開発したのは、北朝鮮がICBMでアメリカを牽制しながら韓国を武力併合するためであるからだ。

 アメリカの要求はあくまでも北朝鮮の核放棄である。当然、北朝鮮は見返りを求める。具体的には米韓合同軍事演習の中止、さらには在韓米軍の撤退である。つまり、事実上の米韓同盟の破棄である。韓国からアメリカの脅威が消えれば、北朝鮮は韓国の併合へと動き出すだろう。また、左傾化した韓国も喜んで北朝鮮と一緒になるに違いない。新しい朝鮮半島の国家は社会主義国となる。アメリカとしては、冷戦の遺産を朝鮮半島という小さな領域に閉じ込めておく方が都合がよいのだが、それよりも北朝鮮の非核化が優先度が高いとなれば、また、左傾化した韓国がアメリカの言うことを聞かなくなっている現状を踏まえれば、韓国を捨てる可能性は高い。

 <Ⅳ.南北対話が成立する場合>
 これは対話において韓国がアメリカを裏切り、アメリカを出し抜いて北朝鮮と交渉を進めてしまう場合である。韓国が北朝鮮の核の脅威から逃れるためには、北朝鮮と早く統一をしてしまえばよい。Ⅲで書いたように、左傾化した今の韓国であれば十分に考えられることである。当然のことながら、米韓同盟は破棄される。アメリカは激怒するに違いないが、長年夢見た南北統一を実現させるためであれば、アメリカを無視することぐらいたやすいことである。この結果、朝鮮半島には、凶悪な核兵器を保有した社会主義国家が誕生する。

 可能性としては、Ⅲが最も高く、その次にⅣが考えられる。いずれにしても、朝鮮半島には社会主義化した反日国家が誕生する。すると、冷戦の遺産は韓国対北朝鮮という構図から、日本対朝鮮半島の新国家という構図に引き継がれる。日本のような小国は、大国同士の代理戦争に巻き込まれないようにすることが存亡のカギを握る。日本は、朝鮮半島の新国家が強烈な反日でも、むやみに対立して米中の代理戦争を演じるのではなく、この国とどうにかしてつき合う方法を編み出さなければならない。本ブログでは、大国が二項対立的な発想をするのに対し、日本は二項混合的に対立を切り抜けることを得意とすると書いた。今、その真価が問われる。さらに、朝鮮半島の新国家が核保有国である場合、日本も反射的に核を保有するのではなく、唯一の被爆国としての矜持を保ちながらいかなる戦略を展開すべきか知恵を絞らなければならない。

 《参考記事》
 『正論』2017年10月号『日本は北朝鮮と戦わないのか/傲る中国』―朝鮮半島の北が資本主義国家、南が社会主義国家になる可能性?
 『致知』2017年11月号『一剣を持して起つ』―米朝対話が成立するとはアメリカが韓国を捨てることを意味する(ことを左派は解っていない)、他

 (2)今月号の特集は「反貧困の政策論」であるが、日本人が貧困になった理由は至極単純であり、消費者が「安くてよい製品・サービスを早く提供せよ」と企業に要求したからである。確かに、低価格戦略でも規模の経済をいかんなく発揮すれば労働生産性が大きくなり、労働分配率を高めることも可能であろう。しかし、大多数の企業にとって、市場からの低価格の要求は、人件費の抑制という形になって現れる。正社員の人件費をこれ以上下げることが難しいとなれば、今度は非正規社員を使うことで人件費を変動費化する。こうして、安い給料しかもらえない社員は、市場においてさらに安い製品・サービスを企業に要求する。それを受けて、企業はまた社員の給与を引き下げる。この負のスパイラルの繰り返しである。

 私は本ブログで日本の階層構造を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」とラフスケッチしてきた。自由主義的な考え方の人から見れば、行政が市場に対して何か力を及ぼすというのは奇異に映るかもしれない。だが、行政は市場を作ることができる。例えば、道路や鉄道を通し、そこに住宅を供給すれば、商圏を形成することができる。また、補助金や規則によって、消費者が買うべき、あるいは買うべきではない製品・サービスを選別することもできる。私は、こうした行政の力を活用して、市場や消費者に対し、「少々高いけれどもよい製品・サービス」を購入するように動機づける政策が必要なのではないかと考える。

 やや文脈が異なるものの、ドイツは「社会的市場経済」という考え方を導入している。これは市場経済であるから、市場の調整メカニズムと自由競争を尊重し、市場の均衡化機能を重視する立場である。だが同時に、「市場経済」の前に置かれた「社会的」という形容詞は、市場参加者で構成する社会全体の動きに配慮するという倫理的概念である。したがって、必要となれば、政府の政策運用による市場介入も許される。言うなれば、企業や私有財産、自由貿易を擁護しつつ、労働組合の団体交渉や年金・健康保険などの社会保険といった社会政策とを組み合わせた形の資本主義である。このように、行政が市場に介入することは可能である。

 実は日本においても、消費者が安い製品を購入するように行政が介入していた時期がある。ダイエーの中内功が「流通革命」を唱えていた1960年代のことである。日本生産性本部の中に設置されていた消費者教育委員会を母体とする日本消費者協会(1961年設立)は、一般消費者に対して、「賢い主婦」とは「スーパーで安い商品を買う人」であるというキャンペーンを展開していた。高度経済成長期には物価高が深刻な問題となっており、流通革命の旗手たるスーパーは、流通の近代化を進めて、物価問題を解決する救世主と見られていたのである。当時、大規模小売店舗を規制する法律としては百貨店法があったが、通産省の官僚も、中内功に対して百貨店法の規制をかいくぐる方法を指南していたという(満薗勇『商店街はいま必要なのか―「日本型流通」の近現代史』〔講談社、2015年〕より)。

商店街はいま必要なのか 「日本型流通」の近現代史 (講談社現代新書)商店街はいま必要なのか 「日本型流通」の近現代史 (講談社現代新書)
満薗 勇

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 経済産業省はこれと正反対のことをやればよい。現代において賢い消費者とは、品質を正しく評価し、高い品質に見合った対価を支払う消費者のことであると啓蒙する。すると、まず一部の金持ちの消費者が高いお金を払うようになる。そうすれば、企業は人件費を上げることができる。給料が増えた社員は、自分が消費者の立場に立った時に、今までよりも高いお金を払うようになる。これが続いていくと、業績が改善する企業が増加するとともに、高い給与を手にする社員も増えていく。こうした正のスパイラルを生み出すことが今求められている。

 ところで、「片山善博の「日本を診る」(99)「平成30年度与党税制改正大綱」から読み取れる政治の劣化」という記事で、サラリーマン(この表現が既に男尊女卑である)の給与所得控除の額を一律に減らすのは、フリーランスとの間で不公平を生むと書かれていた。だが、会社員は企業の収入からコストを引いた残りを給与として受け取っている。また、フリーランスも収入から必要経費を引いた残りを給与として受け取っている。この点では、会社員にもフリーランスにも違いはない。むしろ、給与所得控除が認められている会社員の方が優遇されていると言うこともできる。それに、フリーランスは一般の人がイメージするほど恵まれていない。フリーランス貧乏については、ブログ別館の記事「ダイアン・マルケイ『ギグ・エコノミー―人生100年時代を幸せに暮らす最強の働き方』―フリーランス中心の社会は理想とは思えない」でも書いた。

 (3)
 原発事故情報公開弁護士団は、七七一訴訟の初期段階から不開示部分と理由の対比を求め、政府側に対して、「ヴォーン・インデックス」を作成することを求めてきた。ヴォーン・インデックスとは、インカメラ審理(裁判所のみが文書等を見聞して非公開で行われる審理)の問題点に対処するためにアメリカ合衆国の裁判所にて考案された手法であり、具体的には、文書の様式や記載事項、細かな拒否の理由に分類・整理した文書のことをいう。これにより、どの文書のどの記載事項が、いかなる不開示情報に当たると判断したのかを整理できる。
(海渡双葉「吉田調書を超えて(第5回)公開されない情報」)
 福島原発事故をめぐっては、幅広い関係者にヒアリングが実施されており、ヒアリングの対象者数は772名、総聴取時間は概算で1,479時間に上るという。聴取結果書の原本は内閣官房に保管されている。政府事故調は、2011年12月26日に中間報告を、2012年7月23日に最終報告を提出して調査活動を終了した。しかし、その聴取結果は全く公開されず、調査報告書にも添付されなかった。原発事故情報公開弁護士団は、ヒアリング情報の開示を求めて、ヴォーン・インデックスの作成を政府に要求したというわけである。

 だが、今のネット社会の脅威に鑑みるに、各関係者のヒアリング内容が公開されれば、立ちどころに当該対象者がバッシングの対象となり、ヒアリングの内容から真実を究明するという本来の目的は達せられないのではないかと危惧する。自分より劣っているマヌケをあぶり出し、ホッと胸を撫で下ろす(Mr.Children「週末のコンフィデンスソング」)どころか、勢いそのマヌケを罵詈雑言で総攻撃するに違いない。これは、現代社会の閉塞感がそうさせているのだろう。こんなことを書くと、私がいきなりユートピア主義者になったのではないかと思われるかもしれないが、(2)で書いたことなどを通じて社会が豊かになり、人々の心にゆとりが生まれないと、国民がヒアリング内容を冷静に受け止めることは不可能なのではないかと感じる。




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