この月の記事
『世界』2018年10月号『安全神話、ふたたび/沖縄 持続する意志』―辺野古基地が米中のプロレスで対中戦略から外れたら沖縄は「他国の紛争に加担しない権利」を主張してよい
『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(2)
『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(1)

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

※2019年にWordpressに移行しました。
>>>シャイン経営研究所(中小企業診断士・谷藤友彦)

Top > 2018年09月 アーカイブ
2018年09月28日

『世界』2018年10月号『安全神話、ふたたび/沖縄 持続する意志』―辺野古基地が米中のプロレスで対中戦略から外れたら沖縄は「他国の紛争に加担しない権利」を主張してよい


世界 2018年 10 月号 [雑誌]世界 2018年 10 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-09-07

Amazonで詳しく見る

 反原発、反辺野古の特集である。原発に関しては、2008年3月の段階で、地震調査研究推進本部が長期評価によって、15m級の津波が福島原発を襲う可能性があることを指摘していたにもかかわらず、当時の東京電力の経営陣が土木学会にさらなる検証を求めるとともに、2009年6月末に設定されていた保安院のバックチェック(このチェックを通らないと原発の稼働を継続できない)の締め切りを骨抜きにするために、保安院や原子力安全委員会に圧力をかけていたという記事があった(海渡雄一「原発事故の責任は明らかにされつつある」)。

 また、辺野古基地についても、まず活断層があるため、基地には適さないという主張がある。さらに、ケーソン護岸(防波堤のこと)を建設する地盤が極めて脆弱で、仮に基礎地盤改良工事やケーソン護岸の構造変更が必要になると、これは埋立承認願書の「設計の概要」の変更に該当するから、公有水面埋立法に基づく知事の承認が条件となり、知事がNOと言えばその時点で工事は頓挫するという(北上田毅「マヨネーズなみの地盤の上に軍事基地?」)

 本ブログでこれまでも書いてきたように、日本は多重階層社会である。それをラフスケッチするならば、「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」となる。下の階層は上の階層に唯々諾々と従うのではなく、しばしば上の階層に対して諫言することが許される。決して、上の階層を打倒するのが目的ではなく、上の階層の仕事を充実させ、もって下の階層の自由や裁量を拡大することが目的である。これを私は、カギ括弧つきの「下剋上」と呼んでいる。「下剋上」がある場合、最上位の階層の権力が最下層の隅々にまで、何の疑いもなく行き渡るということはない。「下剋上」によって、階層社会の各所で絶妙な調整がなされる。個別に見れば部分最適にすぎないのだが、それらが集合すると社会全体が漸次的に進歩する。これが日本社会の特徴であり、私は権力主義と区別して、「穏健な権威主義」と命名する。

 これが日本国内で完結していれば問題ないのだが、アメリカが絡んでくると話が違ってくる。アメリカは神よりも上位に位置づけられる。そして、アメリカが最上位で絶対的な権力を握っている場合は、「下剋上」は機能しなくなる。「辺野古基地移転は唯一の解である」、「原発再稼働は唯一の解である」(これは自民党ではなく、旧民主党の野田元首相の言葉である)という言説の裏には、アメリカから強い圧力を受けて思考停止に陥っている日本人の姿がある。

 米軍基地に関してはアメリカの意向が強く働いていることは容易に想像がつく。原発については色々と言われていて、

 ①公的には核兵器を持たないことを表明している日本は、非核国家の中で最大量の分離プルトニウムを抱え込んでいるが、仮に原発停止にもかかわらず六ケ所処理工場で使用済み核燃料の再処理を続ければ、世界中の核開発能力のある国々に誤ったメッセージ(「日本は秘密裏に核兵器を開発しているのではないか?」という疑念)を送ることになる。

 ②日本がもし原電を放棄すれば、日立製作所―GE、東芝―ウエスティングハウス連合によって支えられているアメリカの原子力産業が原発を世界中に輸出するという計画に狂いが生じ、近年原発の開発に注力し、アジアやアフリカに原発を輸出しまくろうとしている中国やロシアの原子力技術すなわち核技術が、いずれ日本やフランスを抜くことを危惧している。

 ③とはいえ、世界的に軍縮と核兵器廃絶が進行している現在では、核の平和的利用である原発を積極的に推進する理由がなく、IAEA(「アメリカの犬」と言われている)は原発を普及させながら核不拡散のための監視体制を強化するという難事業を抱え込んでおり、そのために多大な資金を必要としている。一方で、当のアメリカでは、シェールガス革命と再生可能エネルギーの普及、廃棄物処理計画の見直しと規制基準の刷新という節目を迎え、稼働中の原発以外は凍結状態で今後は尻すぼみが予想され、GEは既に主力を火力と再生可能エネルギーに切り替えた(東芝と組んだウエスティングハウスは経営が崩壊していたのは周知の通り)。そこで、IAEAの資金源として期待されているのが、日本の原発による電気料金である。まず、日本の原発ムラが電気料金を吸い上げ、それを世界の原発マフィアが吸い上げる。

などといった形でアメリカからの圧力を受けている。

 辺野古基地は、中国が虎視眈々と狙っている尖閣諸島を含む第一列島線を防衛するための基地である。中国は、尖閣諸島の奪取時期について、2020年まで、または2020年から10年の間、あるいは2035年から2040年代にかけて、といくつかの目標を立てている。一方、米海兵隊が「航空計画2016」の中で示した辺野古基地の主要施設の工程によると、滑走路着工が2024年度とされる一方で、2026年度以降の計画は明らかではない。住民による反対運動、先ほど一例として挙げたケーソン護岸の設計上の問題などによって、計画から少なくとも3年は遅れていると言われる。だが、米海兵隊の計画の中で、普天間基地の返還が2025年度以降となっている点を見ると、2020年代後半には辺野古基地を完成させたいところだろう。

 仮に中国が2020年までに尖閣諸島を奪取するのであれば、アメリカは日本の尻を叩いて、尖閣諸島の防衛には使えない基地を一生懸命建設しているという非常にバカバカしい話になる。では、中国が2020年から10年の間に奪取する計画であるとすると、アメリカ側も辺野古基地の完成時期を2020年代後半と見ているわけで、攻撃と防御の時期がほぼ一致する(※1)。これではまるで八百長試合である。なお、最後の2035年から2040年代にかけて奪取するというプランであるが、中国の最終目標は、建国100年にあたる2049年までに世界の覇権を取り、アメリカを第二列島線より東側に閉じ込め、太平洋をアメリカと中国で二分することである。尖閣諸島は中国が太平洋に進出するための第一歩であるが、その第一歩が2035年から2040年代では、絶対に最終目標に間に合わない。よって、3番目の計画は現実味がないと考える。

 (※1)中国が尖閣諸島を奪取するのは2020年からの10年間と予測するのは、この後にも出てくるアメリカのシンクタンク「プロジェクト2049研究所」である。同シンクタンクが発表した報告書には、「共産党政権取得100周年の2049年は1つの節目。2030年からは約20年の時間がある。20年間も経てば、国際社会からの非難が弱まるだろう」と中国の声を代弁しており、中国は最も遅くても2030年には尖閣諸島を奪取したいと考えているようである。ということは、尖閣諸島奪取の現実的な目標時期は2020年代後半に設定されている可能性が高い。

 要するに、中国には本気で尖閣諸島を奪取する気がないのではないかというのが最近の私の考えである。そもそも、もしも中国が真剣にアメリカから覇権を奪い取る気であれば、「100年戦略」の中身をマイケル・ピルズベリーに『China 2049』ですっぱ抜かれたり、アメリカのシンクタンク「プロジェクト2049研究所」によって、中国が台湾に侵攻する時期(2020年まで)や尖閣諸島を奪取する時期(2020年からの10年間)を特定されたりはしないだろう。普通は、そういう情報は何が何でも絶対に秘密にし、裏で軍事力を拡充して、ある日突然アメリカに攻撃を仕掛ける。秘密情報をリークしそうな人物や組織があれば、中国が国家の威信にかけて全力で潰すものである。ところが、今の中国がやっているのはそれとは逆であり、当然のことながらアメリカは対抗策を講じてくる。言い換えれば、中国がやっているのはアメリカとのプロレスである。

 もう少し具体的に言えば、本ブログでも何度か書いたように、二項対立的な関係にある2つの大国は、本当に武力衝突をすると壊滅的な被害を被るため、それを避けるためのメカニズムを持っている。すなわち、2つの大国が二項対立の関係にあると同時に、それぞれの大国の内部にも二項対立が存在する。アメリカは反中派と親中派、中国は反米派と親米派を抱えている。表向きは反中派と反米派が激しく争っているものの、実は裏では親中派と親米派が手を握っている。これにより、両大国が正面衝突するリスクを下げている。

 辺野古基地について言えば、表向きはアメリカの反中派がその建設を進め、中国の反米派が沖縄の市民を動かして建設に反対しているという構図である。しかし、ここからは大胆な推測だが、実は既に親中派と親米派の間で何らかの約束が結ばれているのではないかと考える。それは、アメリカが中国に対して、「東シナ海は中国にやる。その代わり何かよこせ」と主張するものかもしれないし、中国がアメリカに対して、「尖閣諸島は取らない。その代わり何かよこせ」と主張するものかもしれない(「何かよこせ」の「何か」が具体的に何であるかは、私の想像力不足ゆえに書くことができない)。重要なのは、いずれの約束が成立した場合であっても、辺野古基地はもはや中国を刺激することはできないということである。したがって、辺野古基地は、米軍が世界中の戦争・紛争に関与するための一中継地点という位置づけに変質する(※2)。

 (※2)普天間基地から辺野古基地に移設されるのは海兵隊のみであり、私が本記事で予測したのとは違って、やはり中国が本当に尖閣諸島を狙ってくる場合、辺野古基地の海兵隊は動かず、尖閣諸島を防衛するのは海上自衛隊の役割であるという指摘がある。一方で、辺野古基地は普天間基地の代替滑走路に加えて、弾薬庫や大型港湾施設、弾薬搭載エリアを有しており、普天間基地からの機能縮小どころか機能拡大になっているとも言われる。それゆえ、翁長前沖縄県知事は、辺野古基地のことを辺野古”新”基地と呼んだ。

 「原発再稼働は唯一の解である」という言説に対しては、再生可能エネルギーや水素エネルギーといった新たなエネルギーが提示されている。前述の通り、日本に対して原発を維持するよう圧力をかけているアメリカ国内ですら、再生可能エネルギーが推進されている。再生可能エネルギー、すなわち太陽光、風力、波力・潮力、流水・潮汐、地熱、バイオマスなどを資源をとするエネルギー、さらに水素エネルギーのうち、どれが次世代の主役になるのかは、現時点では全く見えていない。これも私の大胆な予測なのだが、実は次世代エネルギーの柱となるのは、これらのうちいずれでもない可能性があるということである。

 歴史を振り返ってみると、人類は何度かエネルギー革命を経験している。最も古いのは今から約50万年前の火の発見である。約5,000年前には、火に加えて家畜エネルギーが用いられるようになった。紀元前後から1800年頃までは薪炭や風力がエネルギーとして用いられた。その後19世紀頃には石炭がこれに取って代わり、20世紀に入ると石油エネルギーが中心となった。ポイントは、新しいエネルギーが広まる時には、必ずそのエネルギーを大量に使用する新しい技術の発明が伴っている、ということである。これはとりわけ19世紀以降に顕著である。石炭エネルギーが広まったのは蒸気機関の発明のおかげである。石油エネルギーが広まったのはエンジンの発明のおかげである(四国電力「エネルギー年表―エネルギー利用の歴史―エネルギーを考えよう―キッズ・ミュージアム―」を参考にした)。

 再生可能エネルギーあるいは水素エネルギーを消費する新技術としては、電気自動車(EV)や燃料電池自動車(FCV)が候補として挙げられる。しかし、ガソリン自動車がEVやFCVに代わったところで、消費されるエネルギー量は新興国における自動車の普及スピードに依存しており、爆発的な増加は見込めない。アメリカは、再生可能エネルギーあるいは水素エネルギーを大量に消費する新技術の開発を進めている最中なのかもしれない。もしくは、再生可能エネルギー、水素エネルギーとは全く異なる新しいエネルギーを模索しているのかもしれない。いずれにせよ、アメリカは前述の①~③とは別の理由で、こうした取り組みの成果が出るまでは、日本人の目を原発に釘づけにしておこうとしているとも考えられる。

 これを日本側から見れば、自国の防衛にとって何の利益にもならず、下手をすれば安保法制によって基地から世界各地へと出向く米軍の後方支援をしなければならないかもしれない辺野古基地と、ランニングコストや事故リスクが非常に高いにもかかわらず、将来何らかのエネルギーによって一気に取って代わられる可能性が高い原発を抱え込むことになる。こうした動きに反対するには、2つの方法を想定することができる。

 1つは、原発推進派、辺野古基地移設容認派の国会議員を輩出している地域で反対デモや集会を展開することである。現在、反原発派、反辺野古派の人々は、その原発がある地域や辺野古基地周辺で反対運動を行っている。しかし、こうした局部的な動きは、アメリカを絶対視するその地域の行政によって簡単に封じ込められる。それに、反対運動を取り上げるのは地方のマスコミのみであり、他地域の国民がその動きを知る機会はない。

 多くの国会議員はHP上で自身の政策を説明しているが、実は原発や辺野古基地に関しては明言を避けている。軍事オタクと呼ばれる石破茂氏ですら、HPでは辺野古基地には一切言及していない。となると、誰が原発推進派、辺野古基地移設容認派であるかを知る手がかりは、国会議事録に求められる。それぞれの国会議員の発言を分析し、誰が原発推進派、辺野古基地移設容認派であるかを特定する。そして、彼らの選挙区に乗り込み、そこで反対運動を行う。反対運動は、できるだけ全国各地に散らばるようにする。すると、各地のメディアが注目し、やがて全国メディアが取り扱ってくれる可能性が出てくる(ただし、原発に関しては、メディアの収益源が電力会社の広告料であるから、反原発運動には触れないかもしれない)。

 原発が立地する地域や沖縄からやってきた反対派に、全国各地の国民は戸惑い、反対派と軋轢を起こすに違いない。全国各地で混乱が起き、自治体が動揺すると、政府も黙ってはいられない。政府が混乱を収拾することができなければ、内閣支持率が低下し、内閣は総辞職に追い込まれる。新しく選ばれた首相はこの時点で国民の審判を受けていないため、野党から早期の衆議院解散総選挙を求められる。しかし、与党に対して不信感を募らせている国民は与党に投票せず、政権交代が実現する。新しい内閣は、反原発、反辺野古を掲げる。

 ただ、悲しいかな、政権が代わったところで、アメリカを最上位に頂いた瞬間に思考停止するのは、どの政治家であっても同じである。旧民主党の野田元首相も、原発ゼロを閣議決定したのに、アメリカの圧力に屈してあっさりと撤回した。だから、「原発再稼働は唯一の解である」と言ってしまった。したがって、このアプローチは労力の割に得られるものがほとんどない。

 アメリカを動かすにはもう1つのアプローチを使うしかない。それは、国連を使うことである。国連人権委員会で人権の救済を訴えることである。翁長前沖縄県知事は国連人権委員会で何度か演説を行っており、2015年9月に行われた演説が、「基地建設反対運動の正義」(星野英一)の中で紹介されていた。国連人権委員会は世界中の様々な人権問題を扱っているため、演説者に許される時間は1分程度と非常に短い。この1分の間に、具体的にどのような人権が侵害されているのかを訴求しなければならない。記事を読む限り、2015年9月の翁長前知事の演説はこの点が弱い気がした。裁判所に対して、「この人は法律違反だから裁いてください」とお願いするようなものであり、これでは裁判所も相手にしてくれない。相手の何がどういう法律のどの条文に違反するのかを明確にすることで初めて、裁判所は動くことができる。

 先に述べたように、仮に辺野古基地が対中戦略から外れて、米軍が世界中の戦争・紛争に関与するための拠点としての機能を持つものだとすれば、沖縄の人々は自然とアメリカの戦争・紛争に関与していることになる。そこで、「他国の紛争に加担しない権利」があると主張し、2016年11月に採択された「平和への権利」と紐づけるというアプローチが考えられるだろう。原発に関しては、「平穏に生活する権利」、「自然を享受する権利」などが侵害されていると訴求する。前者は憲法13条の幸福追求権から導かれる人格権の一部に該当するとされ、また後者は北欧に古くからある慣習法である。そして、次のエネルギー革命を待たずとも、”つなぎ”のエネルギーでもよいから、原子力から別のエネルギーへと移行する世界的な流れを作っていく。

 ここで重要なのは、実は1分間の演説そのものではなく、事前・事後の根回しである。慰安婦問題が国連人権委員会でこれほどまでに盛んに取り上げられるようになったのは、NGOなどが国連関係者に対し、長期にわたって相当粘り強く根回しをしたからである。慰安婦問題を扱うNGOが国連関係者を何度も訪れるだけの資金をどうやって集めたのかは不思議である。ただ、反原発や反辺野古の方が賛同者は多いはずであり、それだけ資金集めもしやすいであろう。反辺野古に関しては、「辺野古基金」なるものが存在しており、これまでに7億円近い資金を集めたようだから、その一部を国連関係者向けの活動費に回せばよい。

2018年09月25日

『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(2)


月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-09-01

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 (前回の続き)

 (4)医療・介護費の抑制につながる働き方改革
 財務省は、高齢者数の増大により、現在の年金・医療・介護のサービス水準を維持するだけでも、税金投入を毎年1兆円以上増加させる必要があると指摘している。2017年の社会保障給付費(年金、医療、介護、福祉などの合計)は120.4兆円であり、そのうち約38%にあたる46.3兆円が税金で賄われている。私は社会保障制度については全くの素人なので、どのような制度設計が望ましいのかについて述べることはできない。年金に関しては、国が(金額はどうであれ)一定の年齢になったら国民に支払うことを約束しているものであるから、給付額を減らすには制度自体を変えるしかない。だが、医療費と介護費に関しては、制度の変更に頼らなくても、税負担を減らすことは可能なのではないかと考える。

 現在、65歳以上でも働いている人は増加しているし、元気なうちは働きたいと考える高齢者も多い。安倍首相は本号の中で、「半世紀前、65歳以上の高齢者の就業率は33%を超えていました。しかし、今、足元で上昇しているものの、23%になっています」と述べている(安倍晋三「憲法改正案 提出宣言 新聞が報じきれなかったその”全て”」)。厚生労働省「2040年を展望した社会保障改革についての国民的な議論の必要性」によると、都道府県ごとの65歳以上就業率と年齢調整後1人あたり医療・介護費との間には負の相関があるとされている。つまり、65歳以上の就業率が上がると、医療・介護費が下がることを意味する。

 2016年のデータを見ると、65~69歳の高齢者の就業率は、男性が53.0%、女性が33.3%となっている。ただし、これ以上の年齢になると、就業率がガクッと下がる。70歳以上の男性の就業率は19.9%、女性の就業率は9.2%にとどまる(総務省統計局「統計トピックスNo.103 統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)―「敬老の日」にちなんで―」より)。また、男性の場合、非正規雇用の比率は55~59歳で12.8%であるが、60~64歳で53.6%、65~69歳で72.1%と、60歳を境に大幅に上昇する。女性の場合、同比率は55~59歳で60.2%、60~64歳で76.0%、65~69歳で81.5%となっており、男性と比較して上昇幅は小さいものの、やはり60歳を境に非正規雇用比率は上昇している(内閣府「平成29年版高齢社会白書(全体版)」より)。

 就業率が上がれば医療・介護費が下がるからと言って、高齢者をコンビニや飲食店、警備などのアルバイトに就ければよいというわけではない(もちろん、そういう高齢者の存在を否定する意図はない)。高齢者であっても正社員として働き、年齢が上がっても、加齢に伴い増加が予想される医療・介護費を十分にカバーできるだけの給与の上昇が期待でき、仮に年金制度が破綻しても給与だけで食べていけるような企業を作るべきだと考える。そうすれば、就業率上昇という言葉が質的に意味を持ち、医療・介護費が抑制されて、税負担も軽減されるに違いない。また、医療・介護費が抑制されれば、企業も賃金カーブをもっと緩やかにすることができる。

 以前の記事「平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵」でも書いたが、私は年功制は支持するものの、終身雇用は支持していない。終身雇用は高度経済成長時代においても実は維持不能だったのに、この低成長時代では絶対に実現することはできない。だから、大部分の企業においては、40代ぐらいのミドルは1回目の転職・起業を経験する。60代ぐらいまでは次の企業で働くことができても、やがて成長の限界が来て、2回目の転職・起業を経験する。そして、働けるうちは働き続け、70代、80代になっても働く。これが私の考える超高齢社会の未来形である。記事の中でも示したように、将来の日本には3タイプのピラミッドが併存すると予想する。ニュータイプのピラミッド組織が、(3)で示したイノベーションの担い手になることができれば最高である。

 働き方改革も、女性ばかりに焦点を当てるのではなく、ミドル・シニアも視野に入れ、社会保障と関連づけて議論されることを望んでいる。どうすればミドル・シニア人材の起業・転職を促進することができるか?親の介護や自身の疾病のために仕事を一時的に離れる可能性があるミドル・シニア人材が正社員として働き続けられるようにするには、どのような保障制度を用意すればよいか?ミドル・シニアといった高人件費社員を中心とする企業がビジネスとして成り立つために、国としてその企業の戦略構想をどのように後押しすればよいのか?高齢者の正社員としての就業率を高めると、医療・介護費の増加はどの程度に収まるのか?その結果、国民の税負担増はどの程度抑えられるのか?こういった点について議論してもらいたい。

 (5)愛国心・道徳教育の見直し
 安倍政権の大きな実績の1つとして、教育制度改革がある。学習指導要領で愛国心が教えられていることが多方面(特に左派)から批判されている。私も、「学校で愛国心を教える」ことには違和感を覚える。第三者が「好きになってほしいもの」を特定して、「これを好きになれ」と強要したところで、強要された側は本当にそれを心の底から好きになるだろうか?

 国民に愛国心を植えつける方法は、実は非常に簡単である。以前の記事「『魂を伝承する(『致知』2014年11月号)』―愛国心とは愛憎ないまぜの感情」でも書いたが、①神話、②選民意識、③トラウマ、この3つを教えればよい。中国や韓国で行われている愛国心教育はまさにこれである。ただし、この愛国心教育が成り立つためには、1つの条件がある。それは「神話、選民意識、トラウマを形成するストーリーに反する事実が発表されても、それを完全に抹殺するだけの完璧な情報統制が取れていること」である。日本は情報統制が非常に緩い。安倍首相はメディアを通じて政権批判をしないようにと新聞・テレビ局各社に要請したと言われるが、マスコミは相も変わらず政権批判を繰り広げている。日本はその程度の情報統制しかできない国である。だから、日本でこの手の愛国心教育を行うことはまず不可能である。

 それを解っていたのか、安倍首相は別のアプローチを取った。「自然の美しさ、歴史上の偉業、道徳的な価値観などを教えれば愛国心が育つはずだ」と考えたわけである。これはつまり、愛国心を構成する要素を分解し、それを1つずつ教えれば愛国心が育つという発想である。しかし、デカルトの要素還元主義を想起させるやり方で、なんとも古臭いと感じる。それに、愛というのは多様な要素に対する肯定的な評価と否定的な評価が織り交ざった結果としての総合評価として導かれるものである。日本には様々な自然、環境、伝統、文化、慣習、歴史、宗教、社会、共同体、製品・サービス、技術、企業、組織、人材、社会制度などがある(これ以外にもたくさんある)。そのうち、教育の現場で取り上げられるのはほんのわずかにすぎない。

 教育の現場以外の圧倒的な生活空間の中で、国民がこれらの諸要素に触れ、それらをその人なりに評価した結果、「日本にはこういうよくないところもあるが、総じてここが素晴らしい」と感じるのが愛国心である。100人いれば100通りの愛国心があってよい。国家が愛国心を形成できるなどというのは幻想である。私は、日本には多くの課題があるとはいえ、有形・無形の豊富な資源があり、何かしらの視点で見れば、大部分の人はそれを自ずと好きになると信じている。愛国心教育については、安倍首相に見直してもらいたいところである。

 道徳教育についても、私は否定的である。以前の記事「『世界』2018年6月号『メディア―忖度か対峙か』―日本には西洋の社会契約説も自由・平等の考え方もあてはまらない」で、中村学園大学の占部賢志教授は、道徳は単独では教えられず、理科や国語など既存の科目の中で教えることが可能であると主張していることを紹介した。道徳とは、人と人とがお互いに依存し合いながら生きる社会において、社会の存在意義と個人の欲求を調和させるために、どのようなルール・価値観に従うべきかを教えてくれるものである。その点で、道徳とは、以前の記事「フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(2)」で述べた「人間学」のことである。

 上記の記事でも書いたが、「他人を殺してはならない」というごく一部の価値観を除いて、絶対的な価値観というものは存在しない。絶対的な価値観は破壊的な全体主義を招く恐れがある。ある価値観が成り立つ時、それとは別の価値観が成り立つことが多い。かつて、道徳の教科書にパン屋が描かれていた点について、「日本の食文化を教えていない」というつまらない批判が向けられたことがあった。批判した人は、「日本の食文化とはこういうものだ」という何かしらの価値観を持っていたのだろう。しかし、別の見方をすると、「日本人には海外のよいものを摂取して既存文化に接合させる柔軟さがある」という価値観があるとも言える。このように、価値観は多様性を持っている。だから、現在行われているように、生徒が特定の価値観について理解したか否かを1つずつ個別に評価する方法は不適切であると言わざるを得ない。

 また、前掲の記事でも書いたように、価値観は単独で機能するものではない。当事者が長い時間をかけて様々な出来事を経験する中で習得された複数の価値観が複雑に絡み合って一種の「価値観システム」が形成される。その価値観システムには矛盾がないことが望ましく、価値観システムと合致した生活を送ること、また価値観システムと合致した組織を構成することが、人間学に従った生き方となる。この点でも、現在の道徳の成績評価方法は底が浅い。もちろん、教育現場で道徳を学習する意義は十分にあると私も考えている。だが、教育現場で触れることのできる道徳はごく一部であり、また道徳を習得する方法のさわりの部分を学習するにすぎないのであって、学校で扱う道徳が道徳の全てであるかのような扱いには疑問を感じる。

 (6)災害対策
 実は、自民党政権は大規模な自然災害を直接的に経験していない。1995年に阪神・淡路大震災が起きた時の首相は、日本社会党の村山富市であった(自社さの連立政権)。村山政権は、自衛隊出動問題も含め、初動のもたつきで多くの人命が失われたという批判にさらされた。2011年の東日本大震災が起きた時の首相は、民主党の菅直人であった。菅直人は村山富市とは反対に、周囲の反対を押し切って福島第一原発事故現場に乗り込むと言い出したり、災害対応の組織をいくつも併存させて指揮命令系統を混乱させたりした。

 私は、自民党以外の政党では自然災害に対応できず、自民党ならば対応できるとは考えていない。仮に、阪神・淡路大震災や東日本大震災の時、自民党が政権を握っていたら、批判の中身はどうであれ、災害対応の稚拙さを批判されたに違いない。これまでの自民党は、単に運がよかっただけである。今年7月に広島県を中心に記録的な豪雨が発生した際には、安倍首相は呑気に宴会を開いていた。自民党とて、その程度のレベルなのである。

 安倍政権は政策の1つとして、国土強靭化計画を掲げている。災害の規模が大きくなるならば、それを上回る防衛力を持ったインフラを作ればよいという発想である。建設業界と密接なパイプを持つ自民党らしい政策である。だが、ここ数年で我々が学んだのは、「必ず、想定外の事態が起きる」ということである。いくら頑丈なインフラを作っても、建設時には想定していなかった規模の災害が襲ってくる。では、もっと頑丈なインフラを作ればよいと考え出すと、これはもう終わりのないいたちごっこになってしまう。災害をどうやって防ぐかではなく、災害が起きた時に国民の生活不安をいかにして最小限にするかを検討する方が有益である。

 自然災害が起きた時に必ず問題になるが、各地の避難所に避難している住民に必要な物資をいかにして届けるかという点である。災害が起きると、全国各地から続々と支援物資が届く。送る側は善意でやっていても、残念ながら避難所の住民のニーズに合致していないことが多い。過剰な物資は、限りある避難所のスペースを無駄に占有するだけでなく、食品など期限のある物資であれば、最悪の場合破棄しなければならない。ただでさえ災害で甚大な被害を受けているのに、物資の破棄費用を自治体が負担することとなれば、泣きっ面に蜂である。

 だから、被災地を支援するには金銭が一番よいと言われる。ただし、支援金と義援金の違いには注意が必要である。義援金は被災者に直接届く金銭であるが、事務手続きに膨大な時間がかかるのが難点である。東日本大震災では、被災者に義援金が届くまでに1年ほどかかったと言われる。これでは被災者の生活支援という意味合いは薄らいでしまう。一方、支援金は被災者を支援するNPOやボランティアに渡る金銭であり、即効性があると言われる。しかし、NPOなどには、受け取った支援金の使途を報告する義務がない。情報公開の程度はNPOによってかなりの差がある。だから、あまり考えたなくはないが、支援金だけ受け取って、その大半を職員の給与にあてていたとしても、外部からは解らないのである。したがって、NPOなどに支援金を渡したからと言って、被災者の生活が十分に支援されているという保証はない。

 私は、国が主導して、避難所の物資ニーズと、他の自治体や企業、あるいは個人が提供可能な物資をマッチングさせる全国的なシステムを構築すればよいと思う。自治体や企業、個人は、災害が起きた時に提供することが可能な物資に関する情報をあらかじめ登録しておく。災害が発生した場合には、それぞれの避難所に避難している住民の人数を把握し、その数に基づいて必要な物資の種類と数量を算出し、システム上で物資を発注する。その際、近隣の道路や鉄道などの物流インフラの被害状況を考慮して、どの地域の自治体、企業、個人から物資を調達するのが最適なのかを自動的に計算する。ゆくゆくはこの需給マッチングシステムを拡張して、ボランティアの人員調整のシステムを構築できればさらに望ましいだろう。

 (7)ポスト安倍の育成
 安倍首相の在任期間は、このまま順調に行けば、2019年11月19日には歴代1位の桂太郎(2886日)に並ぶ。どんな組織でもそうだが、トップの任期が長くなると、必ず後継者問題が出てくる。しかも、今回は期限が決まっている政権であるから、必ず後継者を指名しなければならない。今回の総裁選で安倍首相と戦った石破茂氏は軍事面に明るく、議論をさせれば強いのだが、首相は議論に強いだけでは務まらない。やはり防衛相止まりの政治家であると思う。安倍政権の外交に大きく貢献した岸田文雄氏が後継者の筆頭になってくれればよかったものの、総裁選をめぐるごたごたで後継者リストからは名前が消えた。

 第4次改造内閣の顔ぶれを見ると、普通はこの人が次の首相だろうというのが何となく見えてくるものである。しかし、実際には、各派閥でずっと入閣待ち状態になっていた人物を登用しただけの、何のサプライズもない人事であった。小泉純一郎は安倍晋三を後継者にすると考えて要職を経験させたのに、安倍首相にはそういう考えはないようである。だから、最近の永田町界隈では、安倍首相と政治路線を同じくする菅官房長官が3年間首相を務め、その後再び安倍首相が登板すればよいなどというアイデアがささやかれているらしい(阿比留瑠比「安倍総理 戦後最大の戦い」)。冒頭でも述べたが、2020年の東京オリンピック・パラリンピック以降は苦難の時代が待ち受けていると予想される。後藤新平は常々、「金を残すは下、名を残すは中、人を残すは上」と言っていた。安倍首相には是非、人を残して首相の座を降りてほしい。

2018年09月24日

『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(1)


月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-09-01

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 9月20日、自民党総裁選は実施され、安倍晋三首相が石破茂・元幹事長を破って連続3選を決めた。任期は2021年9月までの3年間である。今回の総裁選が過去の総裁選と異なるのは、安倍首相の4選は絶対にないということである。つまり、安倍政権はどうあがいても2021年9月までしか続かず、期限つきの内閣となる。しかも、アメリカ大統領が2期目の最後の方になるとレームダック状態になるように、安倍政権も最後はレームダック化が避けられないと思う。とりわけ、2020年夏の東京オリンピック・パラリンピック後は反動で景気が落ち込むことが目に見ているだけに、2021年9月までの残り1年ほどで有効な手を打とうというインセンティブは働かないだろう。だとすると、安倍政権にとって勝負となるのは2019年、2020年の2年となる。安倍政権がこの2年間で解決するべき優先課題を7つ示したいと思う。

 (1)憲法改正
 憲法改正は自民党の党是であり、安倍首相の悲願である。私は以前の記事「『世界』2018年1月号『民主政治の混迷と「安倍改憲」/性暴力と日本社会』―「安保法制は海外での武力行使を可能にする」はミスリード、他」や「『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。」で9条の試案を示してきた。

 だが、国民投票にかける新憲法案は解りやすいものでなければならない。100ページの冊子を国民に配らなければ説明ができないような案では、到底国民には受け入れられない。だから、安倍首相は9条3項加憲案を思いついたのだろう。安倍首相は、内心ではもっと優れた案を持っていたはずである。それに、はっきり言って、加憲案は日本の憲法学界の悪しき伝統である神学的論争を加速させる恐れがある。それでも加憲案に着地したのは、改正憲法案をシンプルにし、かつ国家を命がけで守っているのに憲法学者の8割から違憲だと言われて人権侵害を受けている自衛隊の尊厳を一刻も早く守るための現実策であろう。理想を追いかけすぎずに、時にリアリストになることができるのが、第2次安倍政権の大きな特徴である。

 問題は、改憲のスケジュールである。来年は5月に新天皇の即位を控えており、これだけで日程がかなり詰まっている。さらに、4月には統一選挙、6~7月にかけては参議院議員選挙が行われる。加えて、ネックとなるのが、10月に消費税10%への増税が控えていることである。過去に消費増税を実施した政権は、皆悲惨な末路をたどっている。盤石な政権基盤を持っていた竹下登は長期政権になると期待されていたのに、消費税を導入すると内閣支持率が下落し、そこにリクルート事件が重なって、わずか1年半で退陣した。橋本龍太郎は1997年4月に消費税を3%から5%に引き上げたが、翌1998年7月の参議院選挙で大敗を喫し、退陣を余儀なくされた。菅直人は2010年6月、参議院議員選挙の直前になって消費税を10%に引き上げると宣言し、案の定選挙で敗北した(菅直人の場合は、消費税だけが敗北の要因ではないと思うが)。

 いくら現在の野党が弱体化していると言っても、来年の参議院選挙で自民党が苦杯をなめるのは間違いない。改憲勢力3分の2を失うのは確実だろう。だとすると、それまでに改憲の国民投票を実施したいところである。問題は、国民はある政治家のことを個別の政策ごとに評価しないということである。本号で橋下徹氏が述べていたが、国民は政治家の性格を総合的に評価する(橋下徹「安倍さん、さあ憲法改正でしょ」)。国民は、「この人のこの政策は評価できるが、あの政策は評価できない」とは考えない。「あの人が言うことなら全て信用しよう。あの人が言うことなら全て信用しない」と考えるのである。よって、近い将来に消費増税という負債を国民に突きつけようとしている安倍晋三という政治家を、国民は信頼しない可能性がある。その時点で、安倍首相の改憲構想は頓挫する。だから、本当ならば、改憲は今年中にやっておくべきであった。それなのに、低レベルのモリカケ問題で1年間を空費してしまった。このツケは大きい。

 (2)皇位継承問題
 来年の新天皇即位と合わせて検討したいのが、皇位継承問題である。秋篠宮家に若宮がお生まれになったことで、皇位継承問題は棚上げ状態になっているが、1世代分時間稼ぎをしただけで問題の本質的な解決にはなっていない。民主党政権は一時期、女性天皇や女系天皇の議論をするべきだと言っていた。しかし、女性天皇と女系天皇は全くの別物である。

 今、天皇Aと皇后の間に、男の子と女の子がいらっしゃったとする。次の天皇の第一候補は男の子であるが、女の子が天皇になったとしよう。この天皇は天皇Aの血統に属する女性天皇であり、過去8方10代の例がある。次に、この女性天皇が一般の男性と結婚して男の子を授かり、この男の子が天皇になったとしよう。この場合、この男の子は天皇Aの血統には属さず、女性天皇の血統に属する天皇となる。よって、女系天皇と呼ばれる。皇室にあまり関心のない人だと、天皇家が途絶えないならば女系天皇でもいいではないかと言うかもしれない。だが、日本とは何かという議論を突き詰めていくと、究極的には「万世一系の男系の天皇が継承してきた国家」であり、これ以外にないのである。アメリカが建国の理念である自由と平等、中国が共産党を失えば国家を失うのと同様に、日本がこれを失えば国家を失うに等しい。

 では、なぜ男系にこだわるのか?これについては、竹田恒泰氏が別の号でこんな解説をしていた。男系天皇を維持するには外部から女性を、女系天皇を維持するためには外部から男性を招き入れる必要がある。ところが、男性の場合は、どんな危険な思想を持った人物が入ってくるか解らない。もちろん、皇室側でも慎重に身体検査はするものの、本人がそれを隠し通すことに成功してしまったら皇室としてはアウトである。その点、女性はそのような危険な思想に染まる危険性が低いので、男系天皇を選択しているというわけである。ここで一部のフェミニストは、男系天皇の考え方は、女性が自分で物事を判断する力がないという前提に立っているとヒステリックになるだろう。しかし、実際には逆である。女性の方が事理弁識においては男性よりもはるかに理性的であるととらえられているのである。

 本号で竹田氏は、一定数の男性後続を確保するために、旧宮家を活用する方法を提案している(竹田恒泰「旧宮家復活なくして日本の存続なし」)。旧宮家とは、終戦後に占領軍の圧力によって廃止された11の宮家を指す。旧宮家の男子は、終戦までは皇位継承資格を保持する皇族であった。現在でも、旧宮家には歴代天皇の男系の血筋を受け継ぐ者が多数いる。彼らを活用しない手はない。旧宮家を活用する方法とは、具体的に2つある。1つは、旧皇族一族から若干名を皇族に復帰させる方法である。もう1つは、現存の宮家が旧皇族一族から養子を取って宮家を存続させる方法である。現行の皇室典範では、皇族は養子を取ることができないため、皇室典範を改正する。同時に、旧皇族一族を復帰させる案については特別立法で進める。新天皇が即位するというタイミングだからこそ、前向きに検討したい課題である。

 (3)経済
 安倍首相は8月12日、山口県下関市で行われた長州「正論」懇話会5周年記念会で講演を行った(安倍晋三「憲法改正案 提出宣言 新聞が報じきれなかったその”全て”」)。その中で、「人口が減少するなかで、名目GDPは11.8%成長し、58兆円増加し、過去最高を記録しました」と述べている。具体的な期間が述べられていないが、2012年の名目GDPが495兆円、2018年の名目GDPが556兆円(予測、プラス61兆円)であるから、この期間、つまり自身の在任期間中のことを指していると思われる。だが、果たして安倍首相の在任期間中に、日本国内で何か新たな産業が生まれ、新たな消費が刺激されたであろうか?

 周知の通り、日本のGDPの6割を占める個人消費は、アベノミクスによって賃金が上昇しているにもかかわらず、一向に日本銀行のインフレ目標を達成することができていない。ついに、日銀は目標を引っ込めてしまった。これは消費増税の影響が大きい。

 だとすると、GDPを押し上げているのは個人消費以外ということになる。まず考えられるのが、企業による設備投資の増加である。2012年第4四半期には約72兆円であったが、2018年第2四半期には約91兆円と、約19兆円増加している。これは、国内の需要が拡大したからというよりも、異次元金融緩和によって円安になったため、海外生産が国内に回帰したと見るのが自然である。次に考えられるのは、その異次元金融緩和によって作り出された円安・株高、さらに近年の外国人観光客増による経常収支の増加である。2012年の経常収支は約6兆円であったのに対し、2018年の経常収支は約19兆円(予測)と、約13兆円増である。そして、GDPの増分を分析する上で見過ごせないのが、2016年から研究開発費がGDPに算入されるようになった点だ。これにより、約15兆円の研究開発費がGDPに加わった。単純にこの3つを足すだけで約47兆円の増加となり、名目GDPの増加分の大部分を説明することができてしまう。

 内需を拡大するには、イノベーションを起こさなければならない。だが、行政がイノベーションを主導すると、たいていロクなことにならない。行政は決められた事柄を決められた手順で実行し、絶対に成功させるのが仕事である。しかし、イノベーションは無秩序、実験、試行錯誤、失敗こそが本質であり、行政とは対極に位置する。よって、行政にイノベーションを任せることはできない。さらに日本の場合、行政が既存の大企業を集めてコンソーシアムを結成することが多いが、行政特有の「公正さ」を確保するという名目のために企業間の利害調整に時間が取られ、肝心の顧客や市場の方を見ていないという事態が往々にして起こる。

 私は、行政は口は出さずに金だけ出している方が無害だと考える。ただし、お金を出す先をもっとよく考えなければならない。安倍政権になってから空前の補助金バブルが到来し、中小企業向けの補助金が大幅に拡充された。その中でも最大規模なのが、安倍首相が演説の中でも言及しているものづくり補助金であり、平成24年度補正予算から平成29年度補正予算まで、6年間で約6,000億円、延べ8万6千社の中小企業に対して補助金が交付された。だが、ものづくり補助金の交付要領や公募要領を読めば解るのだが、この補助金は中小企業の新製品・サービス開発を支援するものであり、したがって波及効果が小さく、短期的なカンフル剤にすぎない。

 凡庸な結論になってしまうけれども、行政がお金を出すのであれば、大きな波及効果が見込まれる分野にお金を出すべきである。特定の製品・サービスに特化した企業よりも、様々な製品・サービスに転用可能な技術を研究する応用研究、さらには産業横断的に拡張可能な技術を研究する基礎研究に投資をしてほしい。経済産業省「日本の研究開発費総額の推移」によると、研究者1人あたりの研究費は、日本はアメリカやドイツに大きく差をつけられている上に、OECD平均を下回っている。また、主要国の研究開発費の政府負担割合を見ると、多くの国が2~3割台であるのに対し、日本は1割台にとどまる。

 もちろん、どの研究が将来的に大きな波及効果を実現できるかを事前に見極めることなど、ほとんど誰にもできない。日本の行政は無謬性へのこだわりが人一倍強いので、よく解らない分野への投資を控えるに違いない。しかし、どれがものになるか解らないからこそ、幅広く投資する姿勢が重要であると考える。ある研究によると、1,000億円の予算があった場合、10のプロジェクトに100億円ずつ投資するよりも、1,000のプロジェクトに1億円ずつ投資した方が、ノーベル賞を輩出する確率が上がるという。安倍首相の任期中に基礎・応用研究への投資が実を結ぶことは考えにくいが、投資の仕方を変えることは可能なはずである。

 せっかくイノベーションによって新しい産業が生まれても、それを購入する顧客がいなければ意味がない。つまり、国民の所得が上がらなければ意味がない。安倍首相は経済界に対して毎年賃上げを要求している。演説の中では、中小企業にも賃上げが波及していると述べている部分もあった。しかし、国民の消費は、消費増税の影響もあって伸び悩んでいる。国民は、賃上げは安倍首相が政権に就いている間の暫定策であり、政権が変わればまた賃金が減少するのではないかとおびえている。だから、思い切った消費に踏み切ることができない。

 私は、アメリカ経営を無条件に礼賛して、成果主義や雇用の柔軟化などを政権に提言してきた経団連の意見など蹴り飛ばして、日本経営のよさであった年功制を復活させるように企業に強く迫るべきだと考える。以前の記事「【戦略的思考】企業の目的、戦略立案プロセス、遵守すべきルールについての一考察」でも書いたように、企業の第一目的は顧客の創造であるが、その目的を達成するためにいくつかのルールを守らなければならない。社員が加齢とともに増加する生活費を賄えるだけの給与を支払うこともルールの1つである。ルールを無視して、顧客の創造という目的だけ達成するのは、スポーツでルール違反を犯して1位を狙うようなものである。それらのルールを守りながら、顧客を創造し、かつ将来の投資に回すための利益を残すようなビジネスの仕組みを構想することが経営陣の仕事である。利益が減るからという理由で、生活費の高い中高年社員の給与をカットするなどというのは、経営IQの低さを露呈している。

 (続く)




  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like