プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2013年01月10日

『戦略をシンプルに(DHBR2013年1月号)』―トップダウンの戦略立案・実行は日本の文化に馴染まないのでは?


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ダイヤモンド社 2012-12-10

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 日本を除く先進国や新興国のCEOは、絶大な権力を保持しています。対する日本の経営者は、世界的に通用する意味合いでのCEOではなく、ムラの長老会議の「長(おさ)」にすぎません。その程度の権力しか持てない時点で、日本の経営者に戦略を持てと期待するのが間違っています。(中略)

 日本企業がすみやかに着手すべきことは、戦略を語るよりも、トップがリーダーシップを発揮できるようガバナンス体制を一新することです。そのうえで、自他ともに認める強いリーダーを育てていくことです。
(冨山和彦「事業の経済構造を前提に考えているか 戦略を語る前に語るべきこと」)
 政界でも財界でもトップのリーダーシップが不足していると、多くの識者が長年に渡って指摘を続けている。しかし、そもそも日本人の特性からして、トップダウン型のリーダーを期待すること自体が無茶な注文なのかもしれない。私が生まれた1981年以降、日本の総理大臣は何と19回も交代した(Wikipedia「内閣総理大臣の一覧」を参照。ちなみに、日本と同様に立憲君主制で議院内閣制を敷いているイギリスでは、同じ期間中に首相は3回しか交代していない)。経済面ではその間にバブル崩壊を経験し、「失われた10年」だの「失われた20年」だのと言われる長い低迷期を味わい、名だたる大企業の経営陣が倒産や経営不振で辞職に追い込まれた。

 しかし、政財界のトップが頻繁に交代しながらも、日本は未だに世界第3位の経済大国の地位を誇り、国際政治の舞台でそれなりの影響力を発揮できる立場にある(実際にそのパワーを発揮しているかというと疑問符がつくが)。これは、ポジティブに考えると、霞が関の官僚や企業の社員たちの努力のおかげであろう。別の表現をすれば、「中間層」の無数のリーダーシップの掛け算で成果を生み出す、これが日本らしいリーダーシップの姿だと考えられる。

 歴史を振り返ってみると、近代史上おそらく最も強いリーダーシップが必要とされた明治維新においても、トップダウン型のリーダーシップではなく、数多くの人材の擦り合わせ型のリーダーシップで近代化が進められたと言ってよいのではないだろうか?何しろ、大政奉還の直後に出された明治政府の方針である「五箇条の御誓文」(1868年)の第1条が「広く会議を興し、万機公論に決すべし」、第2条が「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし」であり、外圧による近代化が急務だった当時にあって、国民が身分を問わず幅広く議論することで政治を進めることを目指したのである。フランス革命やアメリカ合衆国建国では、ジャン・ジャック・ルソーの自然権を下敷きとして、最初に個人の自由や平等といった基本的人権が語られたのとは対照的だ。

 五箇条の御誓文は決して飾り物ではなかったことが、「日本資本主義の父」と言われる渋沢栄一のエピソードからも読み取れる。以下の文章は、渋沢が官職を辞任する旨を大隈重信に伝えようとしたところ、大隈が「八百万の神達、神計り(陰暦10月の神様会議)に計りたまへ」という言葉を持ち出して渋沢を説得した時の記録である。
 処が大隈伯は黙つて吾輩の言ふ事を暫く聞いて居たが、吾輩の言葉が終ると同時に突然八百万の神達、神計りに計りたまへ、と言ふ文句を知つて居るかと言はれた。(中略)新しい日本を建設するのが吾々の任務である。だから、今の新政府の計画に参与して居るものは即ち八百万の神達である。其の神達が寄り集まつてこれから如何いふ工合にして新しい日本を建設しやうかと相談の最中なのである、何から手を着けて宜いか分らないのは君ばかりではない、皆分らないのである、これから相談するのである、今の所は広く野に賢才を求めて、之を登用するのが何よりの急務である、君もその賢才の一人として採用されたのだ、即ち八百万の神達の一柱である、(中略)君も折角八百万の神達の一柱として迎えられたのだから大きな仕事の為めに是非骨を折つて貰い度い。と淳々説かれたのである。
(渋沢栄一伝記史料刊行会『渋沢栄一伝記資料』第2巻)
 大隈が「誰も答えを知らない」とあっさり告白してしまうのにも拍子抜けしてしまうが、どうすればよいか誰一人としてはっきり解っていなくても、八百万の神が知恵を出し合って新しい日本国家の姿をデザインしていこうというのが、あの時代を動かした人々の精神だったのだ。

 もっとも、八百万の神による近代化は、徐々に薩長藩閥による上からの専制的な西欧化の色合いを強めていくことになる。しかしここでも、知識階級においては、右派からは陸羯南、三宅雪嶺、志賀重昴らの国粋主義が、左派からは中江兆民、植木枝盛らの自由民権思想が生まれて、民衆を啓蒙すると同時に藩閥専制に修正を加えていった。また、大正期に入ると打破閥族を掲げた大正デモクラシー運動が盛んになり、論壇では吉野作造や美濃部達吉らによって、民衆による政治の道を開くための理論構築が試みられた。

 こうした歴史的背景も踏まえて考えてみると、日本の場合はトップダウン型ではなく、ミドル層がトップとボトムの間を行き来する「ミドルアップダウン型」のリーダーシップが最もフィットしやすいと言えそうだ。ここでカギを握るのはミドルの多様性である。ミドルの多様性が消えると、トップのリーダーシップが弱い日本では、一部のミドルの暴走に歯止めがかからない危険性がある。例えば、大正から昭和にかけてファシズムが進行し、治安維持法に代表される言論封殺によって、軍部の限られたミドル層に権力が集中した結果、石原莞爾や辻政信ら関東軍参謀の暴走を招いてしまい、敗戦への道をたどったのはその一例である。

 言論NPOが実施した「日本のパワーアセスメント」によると、日本が国際比較で圧倒的に強いのは、「経済の強靭性」、「大衆文化の影響力」、「科学技術の先進度」、「環境の先進度」の4分野であるという。そして、日本が「経済の強靭性」や「大衆文化の影響力」で圧倒的な強さを誇っているのは、日本が、層が厚く労働のモラルが高く平均的な質の極めて高い中間層と、多様で高度なこれも層の厚い巨大マーケットという、将来にわたり永続可能な潜在力に恵まれているからだと分析されている(※)。つまり、日本の強みはミドル層にあるというわけだ。

 トップが強いリーダーシップを発揮して戦略を語るべきだという一般的な論調に対し、私は、多様なミドルが摺り合わせによって戦略を創発していくミドルアップダウン型のリーダーシップを提案したい。その方がきっと日本人の特性によく適合していると思う。それでは、トップはリーダーとしてどのような役割を果たすべきなのだろうか?ミドルの多様性を確保し、彼らが戦略的洞察を導き出せるように後押しすること、ミドル同士がアイデアを摺り合わせる場を設定すること、多様性に対して寛容になる一方で、組織として絶対に譲れない基本的価値観をミドルと共有すること―このようなことがトップに固有の仕事となるに違いない。

(※)「第4回国際シンポジウムでの言論NPOの提案 『2030年に向けた日本の選択肢』」(言論NPO、2005年2月22日)

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