プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2013年01月25日

【戦史検定】初級セミナーノート~海軍編~(※過去問代わりにご活用ください)


 前回の「【戦史検定】初級セミナーノート~陸軍編~」の続きで、今回は海軍編。

【戦史検定】初級セミナー海軍編(1)【戦史検定】初級セミナー海軍編(2)

 (※)服部卓志郎『大東亜戦争全史』第1巻(1953年)中の地図に一部加筆して作成した。この本が置いてあった図書館では白黒コピーしかできなかったので、地図中で陸軍と海軍の色の区別がつかなくなってしまった点はご容赦ください。また、コピー機の事情で地図が左右で二分割されている点もお許しください(左右の画像それぞれをクリックし、拡大表示させてください)。

(1)真珠湾攻撃
■背景:オアフ島真珠湾のアメリカ海軍基地は1908年に設置され、以来日本海軍にとって脅威となっていた。日本海軍は対米戦争の基本戦略として漸減邀撃作戦を有していた。これは真珠湾から日本へ向けて侵攻してくるアメリカ艦隊の戦力を、潜水艦と航空機を用いて漸減させ、日本近海において艦隊決戦を行うというものであった。

 だが1939年に連合艦隊司令長官に就任した山本五十六海軍大将は異なる構想を持っていた。米国長期滞在経験を持ち、海軍軍政・航空畑を歩んできた山本は対米戦となった場合、開戦と同時に航空攻撃で一挙に決着をつけるべきと考えていた。1941年1月、山本は第11航空艦隊参謀長であった大西瀧治郎少将に対して「真珠湾を航空攻撃できないか」と航空攻撃計画の作戦立案を依頼した。
■年月日:1941年12月8日(※この年月日は重要)
■指揮官:(日)山本五十六南雲忠一 VS (連)ハズバンド・キンメル、ウォルター・ショート
■結果:日本の勝利
■ポイント:
・真珠湾奇襲の訓練は、鹿児島県の錦江湾(※鹿児島湾の別名。場所はこちらを参照)を中心に行われた。これは、錦江湾と真珠湾の地理的条件(水深の深さ)が類似しているためである。
・日本の機動部隊は、択捉島単冠湾を出発して真珠湾へと向かった。
・真珠湾攻撃を機に、軍艦中心から航空機中心の戦闘の時代へと突入した。


(2)マレー沖海戦
■背景:日本軍によるマレー上陸作戦が開始されると、マレー侵攻を阻止すべく、イギリス海軍の東洋艦隊がシンガポールを出航した。36センチ砲10門を備えた最新鋭の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と、38センチ砲8門を持つ巡洋戦艦「レパルス」が基幹である。
■年月日:1941年12月10日
■指揮官:(日)松永貞市小沢治三郎 VS (連)トーマス・フィリップス
■結果:日本の勝利
■ポイント:
・イギリス軍は日本軍航空部隊の能力を「イタリア軍と同程度、ドイツ軍よりもはるかに劣る」と見積もっていたため、東洋艦隊に護衛の戦闘機をつけていなかった。プリンス・オブ・ウェールズとレパルスは日本軍の航空機によって撃沈、しかも、航行中の戦艦を飛行機だけで撃沈したのは、このマレー沖海戦が世界で初めてであり、当時のチャーチル首相は、「あらゆる戦争で、私はこれほどの直接のショックを受けたことはなかった」と後に回想している。


(3)スラバヤ沖海戦
■背景:太平洋戦争の勃発とともに、日本海軍はマレー沖海戦で英国東洋艦隊の主力戦艦2隻を撃沈し、東南アジア方面の最大の脅威を排除した。日本軍は資源地帯である蘭印(オランダ領インドネシア)占領を目標としていた。1942年2月になると、その中心地であるジャワ島占領を目的として、行動を開始した。
■年月日:1942年2月27~3月1日
■指揮官:(日)高木武雄 VS (連)カレル・ドールマン
■結果:日本の勝利
■ポイント:
太平洋戦争初の軍艦同士の戦闘である。


(4)珊瑚海海戦
■背景:日本軍は、南方作戦に続く第2次の作戦については方針が定まっていなかった。海軍は、アメリカを相手に長期持久戦を行うことを不利として、積極的に戦線を拡大して早期に主力艦隊同士の決戦を図ることを主張した。その海軍が1942年4月に計画したのが、第1に連合国の反攻拠点と考えられたオーストラリアの攻略作戦であり、第2にミッドウェー島を攻略することでアメリカ艦隊を引き寄せて撃滅しアメリカの継戦意欲を失わせる作戦であった。

 陸軍は、あくまで日中戦争(支那事変)解決を重視しており、東南アジアの占領地・資源地帯は現状維持とし、それ以上の太平洋方面は海軍の作戦担当地域であるという認識に立っていたため、戦線拡大には否定的であった。したがって、大兵力を中国の支那派遣軍や、満州の関東軍から引き抜かなくてはならないオーストラリア攻略作戦に消極的ではあったが、オーストラリアを孤立させることについては海軍と見解が一致した。

 ここで企画されたのが米豪遮断作戦である。この作戦は、ニューギニア島東南岸のポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)と、ニューカレドニア、フィジー、サモアの攻略作戦(FS作戦)から構成された。MO作戦の上陸部隊をポートモレスビーへ輸送中に起こったのが珊瑚海海戦である。
■年月日:1942年5月8日
■指揮官:(日)井上成美、五藤存知、高木武雄、原忠一、丸茂邦則、山田定義 VS (連)フランク・J・フレッチャー、オーブリー・フィッチ、J・C・クレース
■結果:日本軍の戦術的勝利・戦略的敗北
■ポイント:
世界初の空母同士の対決である(日本軍:「翔鶴」、「瑞鶴」、「祥鳳」 VS 連合国軍:「レキシントン」、「ヨークタウン」)。
・この海戦は日本軍の戦術的勝利・戦略的敗北と呼ばれる。戦術的勝利とは、双方の沈没艦「祥鳳」と「レキシントン」を比較すると、軽空母である「祥鳳」に対して「レキシントン」は大型空母だったからである。一方、戦略的敗北とは、珊瑚海海戦で日本海軍が損害を被ったため、主目的のMO作戦が中止に追い込まれたことを指す。


(5)ミッドウェー海戦
■背景:山本五十六は、ミッドウェー攻略を餌に、真珠湾攻撃で撃ち洩らしたアメリカの機動部隊をおびき出し、殲滅しようという作戦を立てた。しかし、作戦を決定する海軍軍令部と、島の占領にあたる陸軍の参謀本部は、仮に占領しても日本から離れすぎていて維持は困難であり、また作戦そのものも非常に危険だという理由で反対していた。ところが、山本の強い意志でこの作戦は実行された。
■年月日:1942年6月5日~6月7日
■指揮官:(日)山本五十六南雲忠一、近藤信竹 VS (連)フランク・J・フレッチャー、レイモンド・スプールアンス
■結果:アメリカの勝利
■ポイント:
・山本が最優先したかったのはアメリカの機動部隊の殲滅であったが、機動部隊指揮官の南雲には、作戦の目的がミッドウェー島攻略なのか、アメリカの機動部隊殲滅なのかがはっきりと伝わっていなかった。
・海軍は「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」の4空母を全て失うという歴史的敗北であった。


(6)第1次ソロモン海戦
■背景:ガダルカナル島で日本の陸戦平が死闘を展開している時、海上でも海軍が壮絶な戦いを繰り広げていた。主な戦場はガダルカナル島とその北に浮かぶサボ島周辺で、その海域が「鉄底海峡」と呼ばれるようになるほど、海戦で多くの艦艇や輸送船が海底に沈んでいった。ガダルカナル島をめぐる海戦は、第1次ソロモン海戦、第2次ソロモン海戦、サボ島沖夜戦、南太平洋戦争、第3次ソロモン海戦、ルンガ沖海戦が主なものであった。ガダルカナル島争奪戦における海軍の役割は陸軍部隊の支援で、輸送船の護衛などが主な任務であった。そのため、海戦は輸送の最中に起こったものがほとんどであった。
■年月日:1942年8月8日~9日
■指揮官:(日)三川軍一 VS (連)ヴィクター・クラッチレー
■結果:日本の勝利
■ポイント:
・夜襲でアメリカ軍を破ったが、揚陸中の輸送船団を攻撃しなかったことが問題視された。


(7)南太平洋海戦
■背景:第1次ソロモン海戦と同じく、ガダルカナル島をめぐる海戦である。
■年月日:1942年10月26日
■指揮官:(日)山本五十六南雲忠一、近藤信竹 VS (連)ウィリアム・ハルゼー、トーマス・キンケイド、ジョージ・マレー
■結果:日本の勝利
■ポイント:
・米空母「ホーネット」を撃破したが、この海戦が事実上日本最後の勝利となった。
・ちなみに、米空母を撃沈させたのは日本だけである。


(8)海軍甲事件
■年月日:1943年4月18日
■ポイント:
山本五十六がショートランド島方面に視察と激励に行く最中、ブーゲンビル島上空でアメリカ軍機により撃墜された事件。
・海軍大将の後任には古賀峯一が任命された。


(9)マリアナ沖海戦
■背景:1944年6月15日、アメリカ軍はマリアナ諸島のサイパン島に上陸を始めた(※「【戦史検定】初級セミナーノート~陸軍編~」の「サイパン島の戦い」を参照)。上陸部隊を支援するのは空母15隻を持つアメリカ第五艦隊であった。フィリピン付近にいた日本の空母機動部隊はこの米第五艦隊に戦いを挑んだ。本来ならばサイパン上陸が始まる前に戦闘を開始すべきだったが、サイパン上陸直前まで日本軍は確かな情報をつかめなかった。
■年月日:1944年6月19日~6月20日
■指揮官:(日)小沢治三郎、栗田健男、角田覚治 VS (連)レイモンド・スプルーアンス、マーク・ミッチャー
■結果:アメリカの勝利
■ポイント:
・小沢はアメリカの飛行機では攻撃できない遠い距離から航空部隊を出撃させるアウトレンジ戦法を採用した。日本軍機はアメリカ軍機よりも軽く、その分航続距離が長かったからである。
・しかし、日本の艦上機隊はアメリカの待ち伏せ攻撃により壊滅。アメリカ軍は、日本軍機を背後から撃墜する様子を、捕まえようとして追いかけるとよたよたと逃げ惑う七面鳥に似ているとして、「マリアナの七面撃ち」と呼んだ。
・日本の空母「大鳳」、「翔鶴」、「隼鷹」も大破した。


(10)レイテ沖海戦
■背景:1944年6月のマリアナ沖海戦は日本の敗北に終わり、7月9日にはサイパン島を失陥してマリアナ諸島の喪失も確実なものとなった。大本営は新たな防衛計画「捷号作戦」を立案し、地域別に捷一号から捷四号と名付けられ、このうちフィリピン方面の防衛作戦が捷一号作戦とされた。日本にとって、フィリピンを奪還されることは、本土と南方資源地帯の連絡が遮断されることであり、戦争全体の敗北につながるものであった。
■年月日:
■指揮官:(日)栗田健男、小沢治三郎、西村祥治、志摩清英 VS (連)ウィリアム・ハルゼー、トーマス・キンケイド
■結果:アメリカの勝利
■ポイント:
・栗田はレイテ湾の80km近くまで到達した時、突然「反転北上せよ」と命令し、レイテ湾突入を中止してしまった。これにより、海軍の捷一号作戦はレイテ突入を果たせず、決定的に挫折した。
・日本は戦艦「武蔵」をシブヤン海で失うなど、海軍の艦隊戦力が事実上壊滅し、以後大規模かつ組織的活動が不可能となった。
・この海戦で日本側は初めて神風特攻隊による攻撃を行った。
・ちなみに、神風特攻隊と言えば学徒出陣を連想するが、学徒出陣は1943年10月1日に当時の東條内閣が公布した在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)に基づくものである。第1回学徒兵入隊を前にした1943年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれ7万人が集まった。


(11)沖縄戦
■背景:アメリカ軍の目的は、日本本土攻略のための航空基地・補給基地の確保であった。日本軍の目的は、大本営がアメリカ軍に大打撃を与えて戦争継続を断念させる決戦を志向したのに対し、現地軍は当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦(持久戦)」を意図するという不統一な状況であった。
■年月日:1945年4月1日~6月23日(※この年月日は重要)
■指揮官:(日)牛島満、長勇、大田実 VS (連)サイモン・B・バックナー、ブルース・フレーザー、レイモンド・スプルーアンス、ジョセフ・スティルウェル
■結果:連合国の勝利
■ポイント:
・大本営は太平洋戦争の末期になると、連合軍の進攻に対して、作戦方面を東シナ海周辺および南西諸島方面に指向し、航空兵力を主力として打撃を与えることを目的とした。この時に立てられた作戦が「天号作戦」であり、「天一号作戦」が沖縄方面の航空作戦であった。この「天一号作戦」中に展開された神風特攻隊の作戦を「菊水作戦」と呼ぶ。
・沖縄戦では、九州に神風特攻隊の基地が設置された。陸軍は知覧万世などに、海軍は串良鹿屋などに基地を置いた(それぞれの場所はこちらを参照)。
伊藤整一海軍大将は、戦艦「大和」による天一号作戦参加の命令に対し、伊藤は「制空権・制海権もなしの出撃は、沖縄に到達すべくもなく、それを承知の上で、七千人の部下を犬死させるわけにはいかない」と執拗に疑問を投げかけ反対したが、草鹿龍之介中将の「一億総特攻の魁となっていただきたい、要するに死んで貰いたいのだ」との一言で命令を受諾した。
・4月7日に戦艦「大和」が撃沈(奄美大島の西方に沈没)。残存戦艦は佐世保に帰還した。
・ちなみに、「大和」の主砲は46cmで世界一であり、ギネスブックにも登録されている。


《参考図書》

オール図解 30分でわかる太平洋戦争―太平洋で繰り広げられた日米の死闘のすべてオール図解 30分でわかる太平洋戦争―太平洋で繰り広げられた日米の死闘のすべて
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