プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2013年02月25日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―既存の人材マネジメントに対するドラッカーの不満が爆発している


ドラッカー名著集3 現代の経営[下]ドラッカー名著集3 現代の経営[下]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーの三大古典『経営者の条件』、『創造する経営者』、『現代の経営(上)(下)』の最後の本をようやく読み終えた。ドラッカーの本は読みやすいと言われるものの、改めて読み直してみると『現代の経営』はとても難しい。この本を最初に読んだ20代前半の私が、内容を理解できていたとは到底思えない(苦笑)。

 ドラッカーはマネジメントの機能として、「事業のマネジメント」、「経営管理者のマネジメント」、「人と仕事のマネジメント」の3つを挙げているが、下巻は「人と仕事のマネジメント」が中心である。ドラッカーはいつものように、自ら体系化した原則を表明する前に、既存の理論や現状を滅多切りにしている。その批判は、本書が世に出てから半世紀ほどたった現在でも十分に通用するから、人材マネジメントの理論と実践があまり進歩していないことを思い知らされる。

(1)人事管理論・人間関係論への批判
 人のマネジメントについて今日一般に受け入れられている2つの考え、すなわち人事管理論と人間関係論は、働く人たちのマネジメントを単なる事業の付属物のように扱っている。それは、人と仕事のマネジメントのためには、あえて事業のマネジメントの仕方を変える必要などないかのように考えている。しかも、人と仕事のマネジメントに必要な概念や手法は、いかなる事業に対してもそのまま適用できるかのように考えている。
 人事管理においては、人と仕事のマネジメントという仕事を、単なる書類整理の仕事、庶務の仕事、社内福祉士の仕事、組合とのもめごとの予防や処理という消防士の仕事などの寄せ集めに化けている。典型的な人事部の仕事、すなわち安全衛生、企業年金、提案制度、採用事務、組合窓口などの仕事も、企業にとって、必要ではあっても雑事にすぎない。
 (人間関係論が消極的な貢献にとどまっている)第2の原因は、人間関係論が、仕事に焦点を合わせていないことにある。積極的な動機づけは仕事を中心に位置づける必要があるにもかかわらず、人間関係論は、人間間の関係やインフォーマルグループの重要性を強調するにとどまっている。
 「人と仕事のマネジメントのためには、あえて事業のマネジメントの仕方を変える必要などないかのように考えている」という部分は、人材マネジメントと事業戦略が切り離されている現状をドラッカーが嘆いたものと解釈している。

 本来の人材マネジメントは、将来の事業戦略をスタートとして、その戦略を実現するためには、どのようなビジネスモデルが必要になるか?そのモデルをビジネスプロセス(=社員の行動の束)に落とし込むとどうなるか?そのビジネスプロセスを遂行し、戦略上の目標を達成するためには、いかなる能力を持った社員が何人必要なのか?を構想した上で、現有社員の量・質とのギャップを分析し、ギャップを埋めるための採用や育成、異動、昇(降)格といった施策を打つのが自然な流れである。ところが、(私の限られた経験に基づいて物申すのは大変恐縮であるけれども、)人事担当者のうち、自社の将来の事業戦略に通じている人は少なく、直近の採用活動や当面の研修スケジュールをこなすので精いっぱいになっている印象がぬぐえない。

 余談だが、先日中小企業診断士の会合で、人材マネジメントの研究会に参加しているという方と話す機会があった。その方は、「研究会では持ち回りでテーマ発表をするのだが、内容が枝葉末節すぎて実務に役立ず、正直面白くない」とこぼしていた。私はその研究会に参加していないので、その方の話から推測するしかないが、おそらく労務管理などの細々としたテーマばかりで、事業戦略と紐付けて人材マネジメントを扱うことがないからつまらないのではないかと申し上げたら、その方は納得顔をされたので、きっとそういうことなのだろう。

(2)雇用の保障への批判
 絶対的な雇用保障という労働組合の要求、すなわち年間賃金保障の要求は、不死の約束を要求するように愚かである。そのような約束は無価値以下である。なぜならば、働く人たちが最も保証を必要とする不況時には、反古にされるしかないからである。(中略)第二次大戦直後の厳しい時代、共産党の勝利が不可避と見られた状況下において、イタリア政府は、企業が危機的な状況にある場合を除き、いっさい解雇してはならない旨の法律を成立させた。しかしその結果、イタリアではだれも人を雇わなくなってしまった。
 これと全く同じことが、現在のドイツやフランスで起きている。両国の立法者は本書を読むべきだった。そうすれば、職にあぶれた若者の暴動を防ぐことができたに違いない。「雇用の維持」は企業の社会的責任なのか否かについては、後日改めて論じることにしたい。

(3)社員満足度への批判
 働く人たちから最高の仕事を引き出すには、いかなる動機づけが必要か。通常これに対するアメリカの産業界の答えは「従業員の満足」である。しかし、この答えはほとんど意味をなさない。もし万一、従業員の満足が何らかの意味をもつとしても、それは企業のニーズを満たすに十分な動機づけとはならない。

 仕事において、何かを達成しているがゆえに満足な者もいる。逆に、大過なく過ごせるがゆえに満足な者もいる。何事にも不満をもつがゆえに不満な者がいる。あるいは、より優れた仕事を行いたいがゆえに、自分自身やチームの仕事を改善したいがゆえに、さらにまた、より大きな仕事をよりよく行いたいがゆえに、現状に不満な者がいる。とくに後者のような不満は、あらゆる企業にとって価値ある不満である。
 これもぐうの音も出ない正論である。しばしば、社員満足度とモチベーションは混同される。社員満足度は過去に対する評価であるのに対し、モチベーションは将来に対する熱意であり、両者は時間軸が正反対である。ところが、両者を厳密に区別している研究はあまり見たことがない(あったら教えてください)。モチベーションの話をしているのに、途中から社員満足度の話が混在したり、あるいはその逆であったりすることが非常に多い。

 もちろん、社員満足度とモチベーションの間に一定の因果関係がある可能性は否定できない。「今日の仕事は満足だったから、明日からもまた頑張ろう」と思う人がいるのは確かだ。しかし一方で、ドラッカーも指摘しているように、今日の満足と明日のモチベーションが途切れている人もいる。社員満足度とモチベーションを厳密に区別した研究が表れることに期待したい。

 話が逸れるが、似たような話が顧客満足度に関しても起きている。一般的に、顧客満足度と売上高との間には因果関係があるとされる。しかし、この因果関係は、「顧客満足度が高ければ、『再購入可能性』が高い」ことを前提にしている。そして、この前提こそ疑うべき対象だ。自動車など、買い替えサイクルが長い一部の業界では、顧客満足度が高くても、必ずしも再購入可能性が高いとは限らないことが明らかになっている(武藤猛「「顧客満足度」再考~「顧客満足度」は業績と連動するか~」を参照)。ここでも、過去に対する評価である顧客満足度と、将来の購入意欲を表す再購入可能性を厳密に区別すべきである。

 話を元に戻そう。それでは、ドラッカーは何によって社員を動機づけるべきだと主張しているのか?ドラッカーは、
 「汝の額に汗して糧を得よ」は、アダムの堕落に対する神からの罰であるとともに、楽園を追われた日々を耐えられるものとし、意味あるものとするための神からの贈り物、祝福でもあった。
という言葉に表れているように、プロテスタンティズムの影響を強く受けており、仕事そのものがモチベーションの源泉だと考えている。そして、仕事を満足ではなく、責任あるものにすることで、よりモチベーションを高め、生産性を向上させることができるとしている。仕事を責任あるものにするための要件は、本書の内容をまとめると、(A)多様な仕事の統合、(B)計画と実行両方への関与、(C)挑戦の要求、という3点に集約できる。
 人に特有の能力は、多様な動作を行い、統合し、均衡をとり、コントロールし、評価測定し、判断することにあるという事実に変わりはない。確かに、個々の作業は(インダストリアルエンジニアリングによって)分解し、研究し、改善しなければならない。しかし人的資源は、それらの要素動作を仕事として再び統合し、人に特有の能力を活用できるものとしなければ、生産的たりえない。
 われわれはすでにIBM物語(※詳しい事例は本書を参照)によって、働く人たち自身に仕事の計画について責任をもたせるとき、生産性が大幅に向上したことを知っている。(科学的管理法による)実行と計画の離婚に加えて、計画者と実行者の結婚が行われるとき、あらゆる分野において、働く人間の態度や誇りの面で向上が見られるだけでなく、大幅な生産性の向上が見られる。
 人の「開発」とは成長である。そして成長は、つねに内から行われる。したがって仕事は、つねに人の成長を促すとともに、その方向づけを行うべきものである。さもなければ、仕事は、人に特有の性質を完全に発揮させることはできない。すなわち、仕事は、働く人にとってつねに挑戦である必要があるということである。
 「(1)人事管理論・人間関係論への批判」で、理想的な人材マネジメントのアプローチを述べたが、あるべきビジネスプロセスが明らかになった後、どこからどこまでの範囲をそれぞれの社員に担当させるかを検討する際には、この3条件を満たすように考慮する必要があるだろう。

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