Next: 「必ず解がある数学は、解のない実世界には役立たない」という意見へのちょっとした反論(2) |
Prev: 【ベンチャー失敗の教訓(第11回)】シナジーを発揮しない・できない3社 |
2013年04月02日
「必ず解がある数学は、解のない実世界には役立たない」という意見へのちょっとした反論(1)
「必ず解が1通りに定まる数学は、解が1通りに定まらない現実の世界では役に立たない」と言われることがある。最近も、「IQの高い人は、問題に対して必ず答えがある予定調和の世界で力を発揮する。その反面、環境の変化に直面すると応用がきかない面がある」といったことが書かれている本を見かけた(※1)。しかし私は、数学は経営に必要な論理的思考法を養うのにうってつけだと思っている(興味深いことに、『大学への数学』2013年4月号の巻頭にも、トヨタの張富士夫氏をはじめ、経営のトップリーダーたちが数学と経営の関係についてコメントした内容が掲載されていた)。その理由を5つほど挙げてみたいと思う。
大学への数学 2013年 04月号 [雑誌] 東京出版 2013-03-19 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
(1)原理・原則を駆使しながら、望ましい状態へと至るストーリーを描く
数学は、公式や定理、汎用的な解法をうまく組み合わせて、論理的に解を導く作業である。例えば、今年の京都大学の入試問題(理系)を見てみよう。
この問題を解くには、数式の除法、2次方程式における解と係数の関係、数学的帰納法、背理法、素数に関する知識を組み合わせる必要がある。これだけ幅広い分野にまたがる問題を出すあたりは、さすが京大という感じだ。だが、逆に言えば、高校で学習する公式や定理を使えば、全ての問題は必ず解けるようにできている(そうでない問題は、学習指導要領を超えた悪問である)。数学の得意・不得意は、解に至る一連のストーリーをどうデザインするかにかかっている。
経営にもいくつかの原理・原則、定石と呼ばれるものがある。事業戦略の鉄則、資金調達の鉄則、マーケティングの鉄則、イノベーションの鉄則、組織デザインの鉄則、人材マネジメントの鉄則、調達の鉄則、物流の鉄則、生産管理の鉄則、在庫管理の鉄則、ITガバナンスの鉄則など、経営学者が学術的に明らかにしたものや、経営者やコンサルタント、実務家たちが経験則的に定式化したものが数多く存在する。
これらをどのように組み合わせて、「持続的な利益の創出」という企業の目標を達成するのか?(ドラッカー流に言えば、「顧客の創造」という事業の目的をどのように達成するのか?)を考えなければならない。これはまさに、数学的思考と同じである。数学と違うのは、数学の公式や定理は100%正しいのに対し、経営の原理・原則は必ずしも100%正しいとは限らないということである。そのため、使える原理・原則とそうでないものを慎重に見極めながら、確度の高い利益創出ストーリーを描くことが求められる(※2)。
(2)既存の原理・原則を組み合わせると、新しい原理・原則が生まれる
数学では、簡単な公式や定理を組み合わせることで、別の公式や定理が導かれる。新しい公式や定理を使えば、より複雑な問題が解けるようになる。例えば、三角比(正弦・余弦・正接)の基本的な定義を応用すると、以下のように「正弦定理」や「余弦定理」が導かれる。ここまでは数学Ⅰの範囲だが、数学Ⅱになると余弦定理を応用して「加法定理」が導かれる。
(『チャート式 基礎からの数学1+A 改訂版』、『チャート式 基礎からの数学2+B 改訂版』より)
チャート式 基礎からの数学1+A 改訂版 チャート研究所 数研出版 2007-01-30 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
チャート式 基礎からの数学2+B 改訂版 チャート研究所 数研出版 2008-02-01 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
経営においても、いくつかの基本的な原理・原則を組み合わせることで、複雑な原理・原則を作り出すことができる。新しい原理・原則は、より高度な状況で意思決定を下すのに役立つ。非常に簡単な例で言うと、「顧客満足度が上がると利益も増える」というマーケティング上の原則と、「社員満足度が上がると顧客満足度も高くなる」という人材マネジメント上の原則を組み合わせると、「利益を上げるためには、社員満足度を上げればよい」という新しい原則が生まれる。
「利益を増やすためにはどうすればよいか?」と尋ねられた時に、視野が狭い人は単価を上げる、不要な値引きを避ける、営業担当者にハッパをかけて訪問・商談件数を増やす、あるいは経費を削るといった短絡的な発想しかできない。これに対して、高度な原理・原則を持っている人は、人材マネジメントの観点から社員満足度が上がるような施策を打つことができる。
手前味噌な話で恐縮だが、私は最近、「利害関係者(顧客、取引先、株主、金融機関、地域社会など)と価値観を共有している企業は競争力が高い」という原則について考えている(まだ実証できていないが・・・)。そして、利害関係者と価値観が共有されている状態を、マイケル・ポーターの「価値連鎖(Value Chain)」に倣って、「価値観連鎖(Values Chain)」と呼んでいる。
これは、「社員が価値観を共有していると、事業の長期的な発展につながる」という経営ビジョンに関する原則と、「自社と販売チャネルが同じ価値観を持っていると信頼関係が強くなり、長期的な取引につながりやすい」(※3)という販売チャネル論における原則を組み合わせ、さらに原則の適用範囲を販売チャネルだけではなく、全ての利害関係者に拡張したものである。
この原則があると、「社員に経営理念を浸透させるためにはどうすればよいか?」と問われた時に、いわゆる「理念共有セッション」を社内で開催するだけでなく、価値観に沿って取引先を取捨選択する、価値観と合致する顧客にターゲットを絞る、金融機関に対し事業計画書だけでなく経営理念の説明を行う、といった打ち手も考えられるようになる。
(続く)
(※1)林野宏『BQ~次代を生き抜く新しい能力~』(プレジデント社、2012年)
BQ~次代を生き抜く新しい能力~ 林野 宏 プレジデント社 2012-12-19 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
(※2)経営ストーリーの描き方は、楠木建『ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件』(東洋経済新報社、2010年)が参考になる。
ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books) 楠木 建 東洋経済新報社 2010-04-23 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
(※3)住谷宏『利益重視のマーケティング・チャネル戦略』(同文舘出版、2000年)
利益重視のマーケティング・チャネル戦略 住谷 宏 同文舘出版 2000-09 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
《2016年3月17日追記》
『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2016年4月号の野矢茂樹「【インタビュー】新しいものを生み出すプロセス はたして、論理は発想の敵なのか」が非常に面白い内容だったので、ここで簡単に触れておく。数学は、一般的な原則(定理)を現実に適用するという形をとるので、「演繹」である。野矢氏は演繹について、次のように述べる。
私たちが演繹としてイメージするのは数学でしょう。たとえば「ユークリッド幾何学」では、前提として公理があり、そこから三平方の定理などのさまざまな定理が証明されます。その定理が必然的に証明されるのも、証明の過程で公理に含まれていないことは何一つ付け加えていないからです。言わば、定理は隠された情報として公理の内に潜んでいるんですね。それを取り出してくるのが、演繹です。だから、演繹によっては何一つ新しいものは生まれないのだという。確かに、今回の記事でも書いたように、三角比の定義から正弦定理、余弦定理が生まれ、さらにそこから加法定理などが生まれる。しかし、それらは三角比の定義を定めた段階で、導かれることが必然的に決まっている事柄であり、何一つ新しいものではない、ということなのだろう。
このように言われると、「ビジネスは常に変化を創造しなければならない。新しいものを何も生み出さない数学はやっぱり役に立たないではないか?」と思われてしまうかもしれない。ところで、そもそも「変化を創造する」とはどういうことであろうか?
そしてこれら(演繹、帰納)に加えて、アブダクション(abduction)と呼ばれるタイプの推論があります。(中略)ある現象があって、これはどうしてだろうと考える。そしてその現象を説明するような仮説を考え出す。これが、仮説形成です。(中略)演繹の場合には推論過程は一本道でしたが、仮説形成は一本道ではなく、むしろ積極的に飛躍が求められる。この飛躍の力が、思考なのです。ここで、野矢氏は、思考によって飛躍した後は、演繹でつなぐ必要があると指摘する。アブダクションが触れている原因と結果は、一見するととてもつながっているようには思えない。ところが、既知の定理・原則・規則などを駆使すれば、原因と結果の間を埋められるかもしれない。そして、溝を埋めることに成功したら、その仮説は仮説ではなく、立派な定理・原則・規則となる。
数学や自然科学の場合は、定理・原則・規則が厳密であるから、正しく組み合わせないと因果関係を説明できない。これに対して、社会科学の場合は、しばしば原因も結果も定性的である。定性的な情報をつなぐのは言葉の役割である。
狭い意味では、ここまでお話ししてきた演繹、つまり必然的に成り立つ推論を指しますが、広い意味ではもっとゆるやかに、「言葉と言葉のつながり」にまで論理の範囲を広げることができます。また、そのようにゆるやかに論理ということをとらえるほうが実践的だと思っています。そのような広い意味では、「論理的」とは言葉と言葉が的確に有機的に関連し合っていることを意味します。言葉の定義は、ややもすると定理・原則・規則ほど厳密ではない。だから、言葉の使い方が多少不適切でも、仮説を証明できたような気になってしまうことがある。なまじボキャブラリが豊富な人は、多様な言葉を散りばめて、何となく結論に達してしまう。口達者な人は、機関銃のようにしゃべり倒して、何となく相手を言いくるめてしまう。しかし、それでは本当の論理とは言えない。1つ1つの言葉の定義を明確にしながら、緻密に意味の連鎖を紡いでいく作業が必要になる。
「必ず解がある数学は、解のない実世界には役立たない」という言葉は、新しいアイデアを生み出す力がない人への皮肉であろう。しかし、ここまでの話を総合すれば、新しいアイデアを生み出しても、それを実行する力に欠けることがあり得ると容易に想定できる。アイデアを思いついた後の実行段階では、周りの人にそのアイデアを論理的に説明し、納得してもらわなければならない。経営は、自然科学と社会科学が入り混じった世界である。だから、定理・原則・規則と同時に、言葉も駆使しなければならない。これは、相当に訓練を積んでいないと難しい。
多くの人が考えるように、数学ができても、創造ができるとは限らない。その点は私も認める。だが、数学ができなければ、創造は完遂できないとも私は思うわけである。
ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 04 月号 [雑誌] (デザイン思考の進化) ダイヤモンド社 2016-03-10 Amazonで詳しく見る by G-Tools |