プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2013年05月05日

【ベンチャー失敗の教訓(第16回)】かえって逆効果だった「豊富な資金源」


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 3社とも、事業計画らしい事業計画をまともに作ったことがなかった。過去の資料を振り返って見てみると、まだ初期の頃(2007年頃)は具体的な収支計画を立てようとした形跡が見られるのだが、年を追うごとに計画もいい加減になっていった。目標値は年間の売上高しか設定されず、具体的な戦略的施策も社内で共有されることがなくなった。コンサルタントが最も多く集まっているZ社でさえ、事業計画書をのぞいてみると、市場や競合他社の動向に関する定性的な分析しかされておらず、有益な計画書とはなっていなかった。

 そして、月末が近づくと経理担当者が「今月は何百万円資金が足らない」と騒ぎ出し、社長に資金繰りのことを相談するのが日常茶飯事となっていた(その相談に行った時に、X社のA社長が資金調達(?)のために、デイトレードに熱中していたことがあるという話は、以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第3回)】製品開発・生産をしない社長」でも紹介した)。

 3社ともずるずると赤字を垂れ流しながら、それでも存続できたのは、ひとえにA社長とC社長が個人的に潤沢な資金を持っていたからに他ならない。3人の社長のうち、この2人はもともとある大手コンサルティングファームの創業時からのメンバーであり、パートナーに上り詰めてからは自社株を保有していた。そのコンサルファームが後に上場したおかげで、2人は多額のキャピタルゲインを手にすることができたという。その正確な額は解らないが、噂によると2人とも数億~十億円単位で個人資産があると言われていた。

 月末に経理担当者から相談を受けた2人の社長は、その都度会社に対してポケットマネーからお金を貸し付けていた。また、年度末に債務超過になりそうであることが判明すると、その度に増資を繰り返して倒産を免れていた。そのため、X社とZ社は、特に大規模な設備投資や研究開発を行っているわけでもなく、社員数もせいぜい数十人程度の小規模企業なのに、資本金が1億円近くまで膨れ上がっていた(もっとも、その大半は累積損失で消えていたのだが・・・)。

 創業間もないベンチャー企業が一番苦労するのは資金繰りである。だから、2人の社長の豊富な資金源は、強力なアドバンテージになるのではないか?と思われるかもしれない。しかし実際には、資金が潤沢だったがために、利益を早く出さなければならないというプレッシャーにさらされず、事業をいつまでも軌道に乗せることができなかった、と言う方が正しい。プレッシャーのなさに拍車をかけたのは、3社とも外部企業からの調達がほとんどなく、買掛金を抱える必要がなかった点も挙げられる。買掛金があれば、取引先に迷惑をかけるわけにはいかないから、もっと必死で運転資金を捻出しようとしたに違いない。

 潤沢な資金が悲劇を招いた例としては、かつてのアルゼンチンが思い浮かぶ。資源国であったアルゼンチンは、20世紀初頭、先進国並みの国民所得を誇っていた。統計によれば、1920年代の1人当たり実質国内総生産額は、ドイツより若干高く、日本の約2倍もあったという。ところが、天然資源も多く農作物も豊かであったため、他の産業で生産性を上げようという内圧が働かなかった。結果的にイノベーションが阻害され、2001年には財政破綻を招いていしまった。

 石油資源国には、多かれ少なかれアルゼンチンと似たような状況が見られる。サウジアラビアの人は昼間働かないのが常識だと言われており、 20代前半の実に30~40%が失業者だとされる。また、エジプトでも人々は2~3時間しか働かないと聞く。確かに、石油資源は「いつかなくなる」と言われながら結局はその寿命を半永久的に伸ばしているようであり、サウジアラビアもエジプトも今の生活をこのまま継続できるかもしれない。だが、万が一石油資源が枯渇したら、両国の経済がどうなるか想像するだけでも恐ろしい。

 逆に、資金のなさが功を奏した興味深い例として、「破壊的イノベーション」で知られるクレイトン・クリステンセンは、ホンダのスーパーカブを取り上げている。1958年、ホンダはアメリカンのオートバイ市場を標的に定めた。この時、経営陣は勘と経験から、売上目標を米国市場の1%に相当する、年間6,000台に設定した。米国での冒険的事業のための財源を確保することは、社長の本田を説得すれば済む問題ではなかった。大蔵省からも、米国拠点設立に必要な外貨の放出について承認を得る必要があった。トヨタによるトヨペット車の導入が失敗に終わっていたことから、大蔵省は乏しい手持ちの外貨の放出を渋り、許可された投資額はわずか25万ドル、うち現金はたった11万ドルに制限され、残りは現金で持っていくことになった。

 1960年になると大型バイクがぼつぼつ売れ始めたが、それらはすぐにオイル漏れを起こし、クラッチが摩耗した。ホンダの優秀なエンジニアは、混雑した道路で急発進や急停止を繰り返す運転に適した製品の開発には優れていたが、米国のオートバイ乗りに多い、高速の長距離連続走行に求められる技術にはお手上げだった。ホンダには、故障したバイクを修理のために日本に空輸することに貴重な外貨を費やすほか、取るべき道はなかった。会社は破産寸前だった。

 ホンダが資金潤沢な既存の大手企業に対抗して、故障の多い大型マシンの推進宣伝に心血を注いでいた頃、米国ホンダ社員が移動手段として50ccのスーパーカブを使い始めた。スーパーカブはどのみち売れない製品だった。米国には、これほど小型のオートバイの市場などあるはずないと考えられていた。だが、ホンダ社員がロサンゼルスでスーパーカブを乗り回すうちに、意外にもその光景が一般の人々や小売業者の目を引くようになる。目をつけたのはオートバイ販売業者ではなく、スポーツ用品店だった。大型バイク販売の難航で資金繰り難に陥っていたホンダは、破綻を免れるためにやむなく、スーパーカブの販売に踏み切った。

 スーパーカブの販売が軌道に乗り始める一方、大型バイクはその後も期待を裏切り続けたため、ホンダは徐々に方向転換し、やがてオフロード・バイクという全く新しい市場分野の開拓に取り組むようになった。このバイクは大型ハーレーの4分の1の価格に設定され、それまでの欧米の老舗メーカーの、轟音を響かせる大排気量の二輪車には見向きもしなかった。スーパーカブは、革ジャンなど着ない上品な人々向けに販売された。彼らは、スーパーカブを長距離移動ではなく、楽しむためのバイクとして使った。

 クリステンセンは、ホンダにこの市場の開拓を強いたのは、資金のなさだったと指摘する。資金が十分でなかったがゆえに、経営陣は多額の損失を許容できず、その結果、米国拠点のマネジャーが思いがけない成功を開拓しなければならない状況が生み出されたのである(※)。人間は、多少制約がある状況の方が創造力を発揮しやすいと言われる。そういう意味では、資金は多すぎるよりむしろ少ないぐらいの方がよい。どうすれば少ない資金を最大限に活用し、早く利益を出せるようになるか、社員は必死に知恵を絞ることだろう。

 3社は、社長の個人的な貸し付けではなく、銀行から資金を借り入れていれば、もう少し事態は変わっていたかもしれない。なぜならば、銀行と話をつけるには、ちゃんとした事業計画を立てて、借入金を返済できるメドをつけておかなければならないからだ。中小企業にとって銀行は、それほどお金が必要ではない好景気の時には熱心に融資を勧めるくせに、本当にお金が必要な不景気の時には一斉に貸し渋りをする厄介な存在と映っているかもしれない。だが、見方を変えて、自社の事業計画や資金回収のシナリオを点検してくれるパートナーとしてみなせば、もっと良好な関係が築けることだろう。3社にもそういう視点がほしかった。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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 (※)クレイトン・クリステンセン『イノベーションへの解―利益ある成長に向けて』(翔泳社、2003年)を参照。

イノベーションへの解 利益ある成長に向けて (Harvard business school press)イノベーションへの解 利益ある成長に向けて (Harvard business school press)
クレイトン・クリステンセン マイケル・レイナー 玉田 俊平太

翔泳社 2003-12-13

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