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2013年06月17日
オットー・シャーマー『U理論』―デイビッド・ボームの「内蔵秩序」を知らないとこの本の理解は難しい
![]() | U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術 C オットー シャーマー C Otto Scharmer 中土井 僚 英治出版 2010-11-16 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
U理論は現在、リーダーシップやイノベーションの新しい理論として注目を集めている。「学習する組織」の理論で知られるピーター・センゲが著書『出現する未来』の中でU理論を発表した時は、Uプロセスは「Sensing⇒Presensing⇒Realizing」という3つの大まかなプロセスから構成されていた。これに対し、オットー・シャーマーは数多くの実践(その中にはセンゲとともに行ったものも含まれる)から得られた知見に基づき、Uプロセスのさらなる精緻化を試みている。
(1)ダウンローディング本書を読んだ感想―率直に言えば、「よく600ページも書いたな」という感嘆の一言に尽きる。一方で、本書に明日から使えるような実践的なノウハウを求めると、期待外れに終わる。
過去のパターンを再具現化する―世界を自分の思考のいつもの物差しで見る
(2)観る
判断を保留し、現実を新鮮な眼で見る―観察されるシステムは観察する者とは分離されている
(3)感じ取る
場に結合し状況全体に注意を向ける―観察する者と観察されるものとの境界がなくなり、システムがそれ自体を見るようになる
(4)プレゼンシング
未来の領域(フィールド)から生まれてくるもっとも深い源(ソース)につながる―源(ソース)から見る
(5)ビジョンと意図を結晶化(クリスタライズ)する
新しい考えを出現する未来から見て明確化する
(6)生きているマイクロコズムをプロトタイプする
実践によって未来を切り拓く―新しいものを「宇宙(ユニバース)との対話(ダイアローグ)によって」具現化する
(7)新しいやり方・仕組みを実行・実体化する
より大きな共進化(コーエエボルヴ)する生態系の中に根づかせる
確かに、Uプロセスの事例はこれでもかというぐらい豊富なのだが、Uプロセスを体感した人の感想、例えば「皆の意識が1つになるのを感じた」とか、「時間がゆっくり流れるような気がした」といった感覚的な記述が中心であり、Uプロセスの過程において参加者の間で具体的にどのようなやり取りが行われたのか、どんな思考や行動の変化が起きたのかは定かではない。言い換えれば、手術を受けた人の感想はたくさん載っているものの、肝心の手術が一体どのように施されたのかは、手術中に当の本人に麻酔がかけられていたためよく解らない、といった感じだ。
以下、本書を読んでの感想を3点にまとめてみた。
(1)本書の骨格は、「我々の意識が『源泉(ソース)』とつながることで、未来が自ずと見えてくる」ということである。「源泉(ソース)」は「宇宙」と読み替えてもよい。また、「今の中の私(I-in-me)」という真正の自己を発見することが未来の創造につながるとも述べられている。
これらの記述を理解するためには、本書には書かれていない前提知識を知っておく必要があると思う。U理論の基礎となっているのは、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」という概念である。内蔵秩序とは、平たく言えば「宇宙」、「全体」であり、我々が普段目にする世界=「顕前秩序」を生み出す源泉であるとされる。内蔵秩序は精神と物質の区別すらない「統合」された理想的な世界であるのに対し、顕前秩序は近代的、デカルト的な「分析」が支配する世界であり、精神と物質は分離され、さらに社会は人間の諸活動によって細分化されている。
ボームは、人間は誰でも顕然秩序を超えて内蔵秩序につながることができると主張した。我々が意識のレベルを上げて内蔵秩序へアクセスする時、自分と他者という境界が崩れ、「我々は皆一体である」という感覚が得られる。すると、顕前秩序で起きている様々な問題を解決へと導く革新的な方向性を、内蔵秩序が「教えてくれる」。この境地に至るための一連のアプローチを、ボームは「ダイアローグ(対話)」というコンセプトでまとめた。ボームは、現実世界=顕然秩序で起きている様々な対立―アカデミックの世界で起きている専門分野の細分化の問題や、宗教・民族の対立など―が、ダイアローグによって解決に向かうことを期待していた。
ボームの内蔵秩序というコンセプトは、「宇宙」や「源泉(ソース)」という言葉となってU理論に受け継がれている。よって、U理論では、「宇宙は私であり、私は宇宙である」という等式が成り立つ。したがって、私は宇宙とつながることが可能であり、私が宇宙とつながれば、宇宙が変革の道筋を指示してくれる、という主張が成り立つわけだ。と同時に、宇宙=私であるから、宇宙とつながることは、結局のところ私を再発見することに等しい。著者が「今の中の私(I-in-me)」という言葉を使うのは、こうした背景があるためである。
U理論は、キリスト教的な世界観の影響も受けていると思われる。キリスト教には、「神の国」と「地の国」という考え方がある。「神の国」は全知全能の神が創造した完璧な世界であり、「地の国」は現世の堕落した世界である。そして、歴史は「地の国」が「神の国」を実現するためのプロセスであり、人間は信仰によって「神の国」へと近づくことができるとされる。この「神の国」を内蔵秩序、「地の国」を顕然秩序と置き換えれば、ボームの主張に等しくなる。
キリスト教もそうだが、西洋人は、人間の通常の意識では認識できない高い次元に「完璧な世界」を想定する傾向がある。古くはプラトンがそれを「イデア」という言葉で表現した。アリストテレスはプラトンを批判して、「質料」(ヒュレー)の中に「形相」(エイドス)が宿るとしたが、この世(もしくはあの世?)のどこかに「欠点のない理想」を想定するという点では共通である。
一方で、人間は世界の中心であるという考え方も西洋人には根強い。神は人間のために世界を作ったというキリスト教の教えも、人間中心主義を後押ししている。人間には特別な能力が備わっているのだから、信仰や哲学的な思索を重ねれば、世界のどこかに存在する理想を読み取ることができる。U理論も結局のところ、新しいリーダーシップ論だと言われながら、こうした西洋人の伝統的な思想に根差している気がする(そして、西洋人と異なる宇宙観や思考パターンを持つ日本人は、U理論をこのままの形では受容できないように思える)。
(続く)