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2013年06月19日
オットー・シャーマー『U理論』―人間は本当に過去と決別すべきなのだろうか?
![]() | U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術 C オットー シャーマー C Otto Scharmer 中土井 僚 英治出版 2010-11-16 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
(前回の続き)
(3)著者は、Uプロセスの底で我々の身に起こる体験について、次のように述べている。
感じ取ることや共感知(コーセンシング)の領域(フィールド)に入る手段は、場の具体的な細部、つまり現象として現われた生命体としての存在に丸ごと没頭・没入することだ。丸ごと入り込むとは、注意して観察している現象と一つになることだ。顧客を注意して観察することではない。顧客と対話(ダイアログ)することでもない。患者や顧客になること、患者や顧客であること、それが丸ごと入り込むことだ。その世界の完全な経験に生きることであり、それと一つになることなのだ。そして、観察しているシステムと一体となった自己を「今の中の私(I-in-now)」と呼ぶ。
この足跡を生み出しているのは誰なのか。出現しようとしている観察者、あるいは自己とは誰なのか。進化のプロセスで、あるレベルから別のレベルへと飛躍するきっかけとなるものは何なのか、と。領域(フィールド)の状態を転換させる能力は観察者の盲点(ブラインドスポット)の中にある。その能力は隠れてはいるが、すべての人間、すべての社会システムが見つけ出し、解き放つことのできる能力だ。私はこの能力を今の中の私(I-in-now)と呼んでいる。より高い意識の領域(フィールド)構造を活性化させる観察者(システム)の能力だ。著者によれば、私が「今の中の私(I-in-now)」となる、言い換えれば、私が今というこの瞬間に生きる時、私は一度死んだような感覚に襲われるのだという。そして過去と決別し、出現する未来をつかみ取ることができる。
leadやleadershipの語源であるインド・ヨーロッパ語の、leithは、「出発する」、「出発点(敷居)を越える」、または「死ぬ」という意味だ。時に、何かを手放すということは「死ぬ」ように感じることもある。しかし我々がUの深いプロセスから学んだことは、何かが変わらなければ、つまり敷居を越えなければ、新しいものは出てこられないということだった。「死ぬ」という表現は鮮烈であり、過去の自分を捨て去らなければ、新しい世界には出会えないことを強調している。だが、本当に過去の自分は否定されるべきものなのだろうか?Uプロセスの深層にたどり着く時、自己と他者の境界、主観と客観の境界が崩れて、全体が1つとなるような感覚に襲われるという。同様にして、Uプロセスの底では、過去、現在、未来という時間の境界も崩れるのではないだろうか?すなわち、我々は現在を生きながら過去と未来を同時に生きている。過去は全てが否定されるのではなく、未来とつながる重要な要素となる。
新しい未来のために過去を否定する、というのはいかにもアメリカ的な価値観である。アメリカの社会学者フローレンス・クラックホーンとフレッド・ストロッドベックは、人間の価値観を規定する普遍的問題として、(1)人間の本質とはなにか?(人間性志向) (2)人間と自然との関係はどうあるべきか?(人間対自然志向) (3)人間の時間に対する志向はなにか?(時間志向) (4)人間の活動に対する志向はなにか?(活動志向) (5)人間同士の関係はどうあるべきか?(関係志向)という5つを挙げた。
このうち、(3)時間志向には「過去重視(経験、歴史や伝統、前例を重んじる)」、「現在重視(状況に応じて行動をとる)」、「未来志向(たえず目標を立て、よりよい未来を信じる)」という3パターンがあり、(4)活動志向には「『ある』重視(あるがままを肯定する)」、「『なる存在』重視(自分を内面から徐々に変革する過程を重視する)」、「『する』重視(行動することに意義を見出す)」という3パターンがある、と2人は指摘している。
2人によれば、アメリカ人の価値観は、「未来志向」かつ「『する』重視」であり、これに対して日本人の価値観は「過去志向でもあり、未来志向でもある」かつ「『なる存在』重視でもあり、『する』重視でもある」という、やや複雑なものだという結論になっている(旧ブログの記事「(メモ書き)人間の根源的な価値観に関する整理(1)―『異文化トレーニング』」を参照)(※1)。
言い換えれば、アメリカ人は過去とのつながりをあまり重視せず、常に未来志向で自分を変えていく傾向が強い。こうした価値観が、Uプロセスの底における「死ぬ」という言葉に端的に表れているように思える。しかし、先ほども問題提起したように、過去は本当になかったものとして扱うべきなのだろうか?むしろ、過去志向でもあり未来志向でもある日本人のように、過去と未来の時間的連関をもっと意識すべきなのではないだろうか?
成功した起業家の子ども時代から企業設立までをトレースした研究によれば、起業家は子どもの頃から何かを成し遂げること、独立することに対して強い欲求を持っていたのと同時に、人生のある時点で非常に困難な状況に直面し、それが独立の契機となっていたことが明らかになった。彼らは、自らのアイデンティティを崩壊させるような出来事を通じて感じたジレンマをビジネスに結びつけていたという(※2)。起業家にとって、過去は単に過ぎ去った時間ではなく、未来を創造するための必然である。そして、ビジネスを展開し、未来に向かって前に進みながらも、常に自分の原点を思い出し、過去へとさかのぼっている。
世界最大の社会起業家のネットワークである「アショカ」において、世界をリードする社会起業家と認められた人々は「アショカ・フェロー」と呼ばれる。彼らの活動に共通するのは、「過去の経験との関連性」である。社会的起業家には、今の活動に取り組むきっかけとなった過去の出来事や出会いがある。それは自らの身に起きた体験や障害かもしれないし、つらい出来事に苦しむ人々かもしれない。問題の解決策を見つけなければという思い、他の人たちに同じ経験をしてほしくないという願いが、彼らを社会的起業家へと駆り立てている(※3)。
確かに、過去の中には、未来に持ち込む必要のないノイズも混じっている。役に立たなくなった慣習やルール、陳腐化してしまった知識やスキル、前向きな活動を妨げる価値観や態度は、思い切って捨て去るべきだろう。しかし、過去に体験した痛みの中には、いや過去に体験した痛みにこそ、新しい未来とつながる何かが存在する。我々は未来のために「死ぬ」のではなく、「死にかけた状態」でそれでも生きようとして未来への扉をこじ開けるのではないだろうか?
(※1)八代京子他『異文化トレーニング』(三修社、2009年)
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(※2)ヘンリー・ミンツバーグ他『戦略サファリ―戦略マネジメント・ガイドブック』(東洋経済新報社、1999年)
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(※3)ビバリー・シュワルツ『静かなるイノベーション―私が世界の社会起業家たちに学んだこと』(英治出版、2013年)
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