プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2013年07月08日

【ベンチャー失敗の教訓(第25回)】「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というマインド


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 今回でようやく折り返し地点。Z社のシニアマネジャーの考え方には、第三者からすると首をかしげたくなることが頻繁にあった。例えばあるシニアマネジャーは、世間が中国・インドに注目していた時、御多分に洩れずインドで新規のコンサルティングビジネスをやろうと画策していた。ところが、そのシニアマネジャーは、自分がインドにどっぷりと浸かって事業を行うのではなく、Z社が現地のコンサルティング会社に投資をして、配当だけを薄くもらい、ダメならさっさと手を引けばよい、とリスク回避的な考え方をしていた。確かにそういうやり方もあるにはあるのだろうが(実際、総合商社は海外に様々な事業投資を行っている)、ベンチャー企業の管理職が「自分は薄く絡んでおけばいい」などと本気を見せないスタンスでは、成功はおぼつかないだろう。

 また、あるシニアマネジャーは、「成果を出していれば、遅く出社して早く帰っても問題ない」という考え方の持ち主だった。とはいえ、完全なフレックスタイム制にするとさすがに会社としての秩序が乱れるということで、就業規則上では始業時間と就業時間を定めることになり、始業時間が9時半と定められた。なぜこんな中途半端な時間に設定されたのか?それは、このシニアマネジャーの趣味がデイトレードであり、市場が活発に動く9時から9時半まではデイトレをしたかったからである。このシニアマネジャーは仕事ができる人で、継続的にコンサル案件を受注して売上貢献をしていたが、個人の趣味に会社のルールを合わせるというのはいかがなものだろうか?

 さらに、別のシニアマネジャーは、自分の稼働率にこだわる人だった。コンサルティングプロジェクトでは、契約の際にそれぞれのメンバーの稼働率を設定する。稼働率100%ならば週5日、80%ならば週4日といった具合だ。アシスタントやコンサルタントはだいたい稼働率100%でそのプロジェクトに全リソースを投入するが、マネジャー以上のクラスになると複数案件を抱えることが多くなり、1つのプロジェクトに限れば稼働率が40%、20%とパーセンテージが下がる。

 このシニアマネジャーは、あるコンサルタントが仕事で行き詰ってヘルプを求めた時、「今回の案件では俺の稼働率は20%なんだから、週1日以上リソースを割くことはできない」と冷たく突き放してしまった。このシニアマネジャーはコンサルタントに対して「簡単に甘えるな」と言いたかったのだろう。しかし、その週1日の稼働の中で設定された内部ミーティングに、このシニアマネジャーはしばしば酒に酔っぱらって出席していたというのだから、支離滅裂である。

 3人のシニアマネジャーの考えにはまだフォローの余地(?)があるものの、これから取り上げるシニアマネジャーの例は、ベンチャー企業にあるまじきものだと思う。このシニアマネジャーは、「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というのが口癖だった。その真意を聞いてみると、顧客の要求をちょっと上回る水準の仕事をすればよく、それ以上の成果を出す必要はない、顧客が求めていない無駄な仕事はしなくてもよい、ということだった。

 私は、101を目指すと100を下回る結果しか出ないと思う。旧ブログの記事「『80点主義』は、最初から100点を目指すつもりでやって初めて80点の出来になる」でも書いたが、往々にして目標通りの結果というのは出ないものだ。前中日監督の落合博満氏は、3割を達成できる打者とそうでない打者の違いについて、著書『采配』の中で次のように分析していた。3割を目標に置いている打者は、なかなか3割に到達することができない。これに対して、3割を易々と達成する打者は、3割3分、3割4分と高めの目標を設定している、と。ビジネスでも同じだろう。顧客が求める100を達成しようと思ったら、101ではなく、120や130を目指さなければならない。目標が101だと、実際には80ぐらいにしかならず、顧客の期待を下回ってしまう。

 このシニアマネジャーはある時、別のシニアマネジャーの退職に伴って、3,000万円程度のコンサルティング案件を引き継ぐことになった。この規模の案件は、Z社としては大規模である。その上、C社長とクライアントのキーパーソンとの間に強いリレーションが構築されており、Z社にとっては非常に重要なクライアントであった。このシニアマネジャーは、自分のモットーに従って、御用聞きの営業よろしく、クライアントの意向をそのまま組み入れた報告書を作成していた。

 しばらくの間はそれでも何とかプロジェクトは回っており、3,000万円の案件が終了した後も、1,000万円程度の継続案件を受注することができていた。ところが、プロジェクトの成果物を見たZ社のどのシニアマネジャーに聞いても、「なぜこのシニアマネジャーが継続案件を受注できるのか、全くの謎だ」と首をかしげるばかりであった。おそらくは、本当に”運”だけで仕事が続いていたのだろう。その背景には、C社長とキーパーソンとの個人的な信頼関係もあったに違いない。しかし、クライアントの予算が削減されると、あっさりと継続案件が打ち切りになってしまった。その後、そのシニアマネジャーがどんな提案を持って行っても、提案が通ることはなかった。

 シニアマネジャーは担当プロジェクトを失うと、自ら新しいプロジェクトを発掘しなければならない。それができないシニアマネジャーは、職責を果たしていないと社内で厳しい目にさらされる。このシニアマネジャーは、焦りを感じて他の見込み顧客に様々な提案を行っていたようだが、新しいクライアントを1社も見つけることができず、退職に追い込まれた。

 このシニアマネジャーに対するZ社の社員の意見は、上司も部下も一致していた。「コンサルタントとして論理的思考ができていない」というのである(なぜそれでシニアマネジャーになれたのか疑問だが・・・)。101ばかりを目指して、実際には80点に届くか届かないかぐらいの論理的に破綻しかかった成果物ばかりを作ってきたのだろう。そのことに気づかず、自分の誤ったスタイルを貫いた結果、仕事ができない管理職に成り下がってしまったわけだ。

 クライアントに満足してもらうためには、クライアントの望み通りの報告書を書いているだけでは足りない。クライアントが気づかなかった、あるいはクライアントが当初は反対するかもしれないが、よくよく考えると重要だと思ってもらえるような提案を、論理的に一貫したストーリーとして構築する必要がある。そういう報告書を作るには120や130、いや150ぐらいのパワーが求められる(だからコンサルタントはハードワークになる)。そこまでやってようやく、クライアントには100の満足を与えることができるというものだ。

 実のところ、このシニアマネジャーは顧客の要求通りにすら仕事をしないことがあった。あるコンサルティング会社からプロジェクトの下請をした時のことである。シニアマネジャーと私の2人がこの案件に携わることになったのだが、このシニアマネジャーは、元請会社のディレクターと仕事の進め方をめぐってしばしば対立していた。元請会社のディレクターが要求する仕事のレベルに対して、このシニアマネジャーはそこまでやる必要はないと反論していた。結局は元請⇔下請という力関係に負けてディレクターの意向を飲むことになるのだが、顧客=元請会社の要求に応えるという姿勢を、このシニアマネジャーは放棄したのである。

 偶然にも、ディレクターとシニアマネジャーは同じコンサルティングファームの出身であった。シニアマネジャーは、「もし元の会社で彼と一緒に仕事をしていたら、絶対にケンカになっていた」と私によく漏らしていた。板挟みになった私は大変であった。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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