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2013年11月11日
安岡正篤『運命を創る(人間学講話)』―『陰隲録』の「袁了凡の教え」
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幕末から明治時代にかけて日本人の間に普及した書物に『陰隲録』という本があるそうだ。その中に「袁了凡の教え」というものがある。かなり長くなるが、本書から引用する。
あるとき孔某という老人に会った。この人は人格・風貌共に子供心にも立派に映ったが、この老人が袁少年をつくづくと見て「お前は何の勉強をしているか」と言う。「私はこういうわけで医者の勉強をしている」と答えると、「それは惜しい。お前は進士として立派な成功する人相を持っている。そういう運命の持ち主である。お前は何歳の時には予備試験に何番で及第し、第二次試験には何番で及第して、最後には何番で及第する、そうして進士になって何年何月に死ぬ、子はない」ということまで予言した。(中略)(続く)
不思議にも、孔老人の言うた通りの年月に、言うた通りの成績で及第をした。ますます面白くなって第二次試験を受けたら、やはりその通りになった。以来、何事もすべて的中して間違いがない。彼は、ひとりでに社会的には成功をしたが、不幸にして子供がない。人間の運命というものは、ちゃんと決まっておって、どうにもなるものではない。(中略)自分は子供もないし、何年何月に死ぬという寿命も決まっているから、この決まりきった短い人生に何を好んでつまらないことにあくせくするか、ということを徹底的に彼は感じ入ってしまったから、他人と競争して出世しようとか、金を儲けようとかいう気持ちが青年にしてすっかりなくなってしまった。
あるとき、彼は仕事の関係で南京付近のあるお寺に滞在しておりましたところ、そのお寺に雲谷という禅師がおった。ある日、雲谷禅師が袁青年を呼んで、「先日来あなたがここにいるのを密かに観察していると、お年に似合わずできておられる。どういう修業をしてそこまでの風格になられたか、参考のために承りたい」。こういうことを言われたので袁青年は驚いた。(中略)
袁青年は別に何もそうむずかしい学問や修業をしてそういう境地に到達したのではないので、孔老人に予言されて、ことごとく的中した結果、人間は余計なことを考えたり、もがいたりするのはつまらぬ、というのであきらめてしまった。つまり脱落したわけであります。(中略)
ところが、雲谷禅師が急に態度を一変して「なんだ、そんなことか。それじゃお前はまことにつまらぬ人間である。これは大いに見損なった」と噛んで吐き棄てるように言われました。意外に思って「それはまたどういうことでありますか」と尋ねたところ、雲谷禅師は容(かたち)を改めて、
「お前のあきらめ、お前の悟りというものは、きわめて一面的であり低級幼稚なものである。なるほど人間には運命というものがある。しかしながら、その運命というものがいかなるものであるかは、一生かかって探究しても分かるか分からぬか分からぬものである。我々が一生学問修業して、自分の運命がいかなるものであるかということを調べてみて、初めて自分の運命というものはこういうものであるということが分かる。棺を覆うて後に定まるものである。そんな一老人の観察予言などで決まってしまうような無内容なものでは決してない。
なるほど、我々は運命というものを持っているけれども、運命というものは学問によって限りなく知らるべきものであり、修業によって限りなく創造せられるものである。運命は天のなすものであるとともに、また自らつくるものである。何がために代々の聖賢が一所懸命苦心して学問・修業したのであるか。もしお前の言うように、簡単に人間の運命が決まっているものであるとすれば、代々の聖賢は何にもならぬことを性懲りもなくやったことになる。(中略)お前の運命、すなわちお前の素質・能力・作用というものは、そんなに簡単なものなのか。それではお前はつまらぬ人間であると思わぬか」(中略)
こう言われて彼は飜然として、それから新たなる生涯に入った。ところが、不思議なことにい、それまでに外れたことのない孔老人の予言がことごとく外れだした。そうして子供もできれば、死ぬと言われた年もはるかに過ぎてまだ健康でいる。そこで、人間というものは安価な運命観に陥ってはならぬ、どこまでも探究し、どこまでも理想を追って実践に励まなければならぬ。それには、こういう哲学を持ってこういう修業をしろということを子供に書き残したのであります。