プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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2013年11月12日

安岡正篤『運命を創る(人間学講話)』―私は、社会が私を発見してくれるのを待っている


運命を創る (人間学講話)運命を創る (人間学講話)
安岡 正篤

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 (前回の続き)

 『陰隲録』の「袁了凡の教え」は、「他人の意見ばかりに従うのではなく、自分の基軸をしっかりと持って、自分で運命を切り開け」ということだろう。だが、私は敢えてその逆を提案したい。つまり、「自分の軸ばかりにこだわらず、時には他人の言う通りにしてみよ」ということだ。

 私も少し前までは、雲谷禅師のような考え方の持ち主であった。人生に関わる重要な事柄は、他人に左右されず、自分自身で決定したいと思っていた。前職の会社には、ビジネスパーソンの「自立度」を測定する診断サービスがあって、私のようなタイプが高く評価されるアルゴリズムになっていた。ところが、以前の記事「「重要な意思決定を自分自身で下すとたいてい失敗する」という私的パラドクス」で書いたように、私はどうも自分の力を過信していたような気がする。

 私は昨年の8月からしばらく旧ブログ(マネジメント・フロンティア~終わりなき旅~)を休止していたのだが、実はちょっと体調を崩していた。会社勤めであれば、誰かが代理で仕事をしてくれるけれども、一人で仕事をしていると、仕事を代わってもらうことができない。そのため、体調を崩したことで、当時手がけていた仕事の大半を失ってしまった。体調が回復した後も、年末までは開店休業状態であった。だが、そのおかげと言っては何だが、自分のこれまでの人生をじっくり振り返る時間を持つことができた。その時に到達した結論が、先ほどの記事の内容である。

 新年を迎えて今年の目標を考えていた時、「今年はいっそ、他人に振り回されてみよう」と決めた。中小企業診断士としての売上目標を漠然と立てただけで、具体的なアクションプランも、営業活動の方針も決めなかった。まず新年会で、昔研修でお世話になった大先輩の診断士に、「皆さんは中小企業診断士としてどうやって生計を立てているのですか?」と聞いてみた(今振り返ると、随分と失礼な質問だが・・・)。するとその先生は、「まずは区や商工会議所などの公的機関で、窓口相談などの仕事を週数日行うとよい。公的機関の仕事は単価が安いが、安定的な収入源になる。それをベースとして、顧問契約を徐々に獲得していくとよい」と言われた。

 とはいえ、公的機関の人と直接のコネがあるわけではないので、数か月は仕事にならず、そのまま春になってしまった。ある日、診断士の会合があって、開始時間よりも30分ほど早く会場に着いた私は、近くのカフェで読書をして時間をつぶしていた。すると、そこに偶然、新年会で知り合った先生がひょっこり姿を現した。その先生から、「今度、ある区で中小企業の経営実態調査がある。確か谷藤先生は、名刺交換の際に『ITに詳しい』とおっしゃっていたと記憶している。そこで、効率的なアンケートの集計・分析方法についてアドバイスしてほしい」と言われ、プロジェクトチームに入れていただけることになった。これで区からの仕事を1つ受注することができた。

 区役所で初回の打合せを終えた後、プロジェクトに参画していた別の先生が、「ちょっとお願いしたいことがある」と声をかけてきた。「私の知っている中小企業で、補助金を申請しようとしている企業がある。だが、補助金を受けるのが初めてで、社長が書類作成まで手が回らないので、手伝ってもらえないか?」とのことだった。私は先生に連れられるがままにその社長を訪問し、その流れで補助金申請を支援させていただくことになった。

 補助金を申請するにあたっては、購入する原材料や機械の見積書などを取得し、申請額の根拠として添付しなければならない。この企業はいかにも下町らしい中小企業で、未だに手書きの見積書をFAXでやりとりしていた。私が申請書を完成させるためには、社長から見積書などをFAXで送ってもらう必要がある。ところが、当時私の自宅兼事務所には、電話回線こそ引いていたものの、電話機を設置していなかった。そこで慌てて、FAX機能つき電話機を購入した。

 メールでのやり取りにすっかり慣れ切っていた私は、FAXでの書類のやりとりに苦労したが、何とか無事に申請書を提出することができた。それからほどなくして、プロジェクトとは全く無関係の先生が、自宅に電話を入れてきた。補助金を申請する側ではなく、今度は補助金事業を運営する事務局のスタッフとして、週3日ほど公的機関で仕事をしてくれないか、という相談であった。年始に大先輩の先生がおっしゃっていた通り、これで固定の収入を得ることができた。

 その先生は私の携帯電話番号をご存じのはずなのに、なぜ自宅に電話してきたのかと後日尋ねてみた。すると、「携帯電話で番号を調べるのは面倒くさい。それよりも、診断士の連絡先リストをWebシステムから出力させた方が早い。その連絡先に載っていたのが自宅の電話番号だった」という返答であった。確かに、私は数年前に診断士のDBに情報を登録した際、携帯電話の番号を登録するのは個人事業主としてカッコ悪いという理由で、体裁を取り繕うためだけに、使いもしない自宅の電話番号を登録していた。それがここに来て役立つとは思わなかった。

 補助金申請のお手伝いをしていなければ、私はFAX機能つき電話機を買っていなかった。電話機がなければ、補助金事業の事務局の仕事は間違いなく逃していた。もっと言えば、区の中小企業経営実態調査の仕事をしていなければ、補助金申請のお手伝いの話もなかった。さらに遡れば、診断士の会合の日、始まりより30分前に会場に着いてカフェに入っていなければ、区の中小企業経営実態調査の仕事も受注できなかった。加えて、今年の頭に大先輩の先生から「公的機関の仕事を受けるとよい」と言われていなければ、公的機関の仕事を積極的に受けようという気持ちにはなっていなかった。運と人脈だけでうまく行くこともあるのだと感じた。

 もちろん、私は自分の軸を完全に捨てたわけではない。旧ブログの記事「「日本らしい経営」を探求する必要性~創業1周年に寄せて」で書いたように、日本的価値観に立脚した経営というものを明らかにしたいという思いは強くなっており、日本人の精神的源流である『四書五経』もっと深く学びたいと思っている。また、成人学習(アダルト・ラーニング)を軸に「創発的戦略(ヘンリー・ミンツバーグ)」や「組織学習(クリス・アージリス)」を解釈し直し、ビジョンや戦略策定の新しいアプローチを生み出したいというのも私の願いである。

 だが、私が誰であるかを決めるのは私であると同時に、私を取り巻く社会である。私がどんなに「自分はこういう人間だ」と主張しても、社会がそれを必要としていないのならば、無価値である。私が望む私と、社会が要請する私がせめぎ合うところに、私のアイデンティティは成立する。私は今まで、前者が強すぎた。だから、しばらくは後者に依存してみようと思う。しばらくは社会の流れに身をゆだねてみたい。ひょっとしたら、社会が思わぬ形で私を発見してくれるかもしれない。

 私は旧ブログの2本の記事で、入社後3年目ぐらいまでは外部環境に身を委ね、4年目ぐらいからは徐々に内発的動機(特に「使命感」)を育てていかなければならないと書いた(「入社後3年目までのキャリア開発-仕事の仕組みを知り、自分の得手・不得手を見極める」、「入社後4年目からのキャリア開発-内発的動機を育て、仕事に自分色を加える」を参照)。しかし、入社後4年目、すなわち20代半ばで内発的動機が定まる人はむしろ稀というか、ややもすると単に身勝手な人なのかもしれないと思い始めた。

 人生はあまりにも長い。かつては半世紀が寿命であったが、今や半世紀働かなければならない時代である。内なる軸を発見するのはもっと先でいいのではないか?まだしばらくの間は、社会の中で漂流していてもいいように思える。私が診断士の資格を取得したのは6年前だが、診断士としての活動を本格化させたのは今年に入ってからである。今は診断士1年生のつもりで、入社1年目の社員と同じように、外部環境の動きに身を任せてみようと思う。

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