プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2013年11月25日

中村天風『錬身抄』―怒りを含む食品などを避けることで健康を保つ


錬身抄錬身抄
中村 天風

天風会 1949

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 体を鍛え、「真健康」を手に入れるために、衣食住その他の日常生活をどのようにすればよいかを説いた本。食事に関しては、動物性タンパク質よりも植物性タンパク質を摂取するのが望ましいとされている(最も理想的なのは、果物を食べることらしい)。
 元来動物はその生命を存続せしむるために新陳代謝の作用を行う。そして新陳代謝の作用で大なり小なりの毒素は絶えず発生している。(中略)この事実は一寸でも吾々が一時的に呼吸を止めると血液が忽ちドス黒くその色を変化するので分明する。これは毒素が体内にある立派な証拠なのである。

 何れにしても敢て人間のみならず一切の動物には皆一様にその体内に毒素が存在しているのである。然るに動物を殺してそれを食餌としれば、その動物の体内に存在する毒素はその儘無条件に、それを食した人の体内へ直接に這入る、というのはこの毒素なるものは、今日の科学的知識では、何としても到底取除くことは断然不可能であるからである。たとえ煮たとて焼いたとて・・・。
 精密にいえば最も新鮮な肉というのは、その動物が活きている時の肉を指していうので、吾人の食餌に供されている肉は、概ねその動物を殺戮し、その生命を奪った後のものである。

 しかして動物を殺戮すると、死と同時に血液の循環は即座に止まる、するとその肉体を組織している生活物質は直ちに第一の腐敗期に入る。然し未だこの時期には、その肉の味いが食してもうまくないため、多くの人は好んでこれを食さない。それから暫く経過すると第二腐敗期に入る。しかしこの時期はその死肉が俗にいう硬直状態になるために、食用に供するのに不適当であるが故にこれまた人は食さない。人々の好んで食すのはその後この硬直状態が分解期に入り、死肉に柔らか味の生じた時である。

 が然し焉んぞ知らん。この時その死肉は、第三腐敗期に入る。しかして体内の毒素はその腐敗期を重ねるに随い加重し来たり、第三腐敗期には、既に相当の多量毒素がその死肉の中に沈積しているのである。だから動物性食餌を愛好する人々の多くはかなり多量の毒素を滋養だという名目の下に、その死肉の中から知らず知らずに、自己の体内に搬入しているのである。
 以前の記事「中村天風『ほんとうの心の力』―大いなる理想のためには大いに怒り、悩めばいいと思う」で怒りについて触れたが、怒りをため込まないためには動物を食べない方がよい、という話を聞いたことがある。動物は人間の手によって殺戮される時、並々ならぬ怒りを抱えて死んでいく。その怒りは、動物の死後も肉の中に残る。怒りが充満した肉を人間が食べると、動物の怒りが人間にも乗り移り、その人まで怒りっぽくなるというのである。科学的根拠に乏しい話だが、全く理解できない話でもない。そう思いながら、昼食をマクドナルドやケンタッキーで済ませてしまう自分が嫌になるのだが・・・(この記事もマクドナルドで書いている)。

 動物の怒りが食事を通じて人間に乗り移るのならば、人間の怒りも食事を介して人間に乗り移るのではないか?つまり、食事を作る人間が怒りに満ちていれば、その食事を食べる人間にも怒りが伝染する気がするのである。最近、ブラック企業が何かと話題になっており、中でも飲食業のチェーン店が標的にされている。価格競争を勝ち抜くために社員を安い給与で酷使するチェーン店の食事には、社員の愛情ではなく、沸々とした怒りが込められているように思えてならない。

 昼食でどうしてもマクドナルドやケンタッキーを使ってしまう私も、居酒屋に関しては、ブラック企業の噂が絶えないお店を使わないようにしている。中小企業診断士は飲み会が好きで、大人数で入れる安いお店としてチェーン店を選択することが多いのだが、個人的には勘弁してほしいというのが本音だ。そういうお店で交わされる会話は、どこか下世話なものになりがちである。建設的な話をしたり、純粋に食事を楽しんだりするには、もっと高いお店の方がふさわしい。

 スーパーで極端に安い弁当を見ると、実は社員が劣悪な労働条件で働かされているのではないかと疑ってしまう。私はコーヒーが好きなのでカフェをよく利用するのだが、コーヒー豆が途上国の児童労働によって供給されてやしないかと心配してしまう。家でおやつにチョコレートを食べる時も同じだ。十分な教育も受けられず、奴隷のように働かされる子どもたちの犠牲の上に成り立っているおやつが、果たして私に安らぎを与えてくれるのだろうか?

 こうした考え方を拡張していくと、日常生活の中で購入するあらゆる製品やサービスについても、怒りをため込んだものは避けた方がよいということになる。ブラック企業と評される企業の製品やサービスを買っても、喜びは泡沫にすぎず、実は健康を害しているのかもしれない。私は、社員が尊重されており、活き活きと働いている企業の洋服を身に着けたいし、家具を揃えたいし、電化製品を使いたいし、診療サービスを受けたいし、娯楽を楽しみたいし、おもてなしされたい。そのような消費生活を送ることが、精神的な安寧と健康につながると思うのである。非合理的な考え方かもしれないが、こういう健康法が1つぐらいあってもいいのではないだろうか?

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