プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年01月31日

【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十一~十三条)


島井宗室 (人物叢書 新装版)島井宗室 (人物叢書 新装版)
田中 健夫

吉川弘文館 1986-07

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 一(十一)、朝夕飯米一年に一人別壱石八斗に定り候へ共、多分むし物あるひハ大麦くわせ候へバ、一石三斗―四斗にもまハし候べく候。ミそは壱升百人あてニ候へ共、多候にして、百十人ほどにても一段能候。塩ハ百五十人にて然るべき候。

 多分ぬかミそ五斗ミそ油断無くこしらへくわせ候へ。朝夕ミそをすらせ、能々こし候て汁に仕べき候。其ミそかすに塩を入、大こん・かぶら・うり・なすび・とうぐわ・ひともじ(葱)、何成共、けづりくず(削屑)・へた・かわのすて候を取あつめ、其ミそかすニつけ候て、朝夕の下人共のさい(菜)にさせ、あるひハくきなどはしぜんにくるしからず候。

 又米のたかき時ハ、ぞうすい(雑炊)をくわせ候へ。寿貞一生ぞうすいくわれたると申候。但ぞうすいくわせ候に、先其方夫婦くい候ハでハ然るべからず候。かさにめしをもりくい候ずるにも、先ぞうすいをすハれ候て、少成共くい候ハずバ、下人のおぼえも如何候。何之道にも、其分別専用候。我々母なども、むかしハ皆其分にて候つる。我々も若き時、下人同然のめし計たべ候つる事。付、あぢすき無用事。大わたぼうし無用事。
 朝夕の飯で1年間に1人あたり1石8斗の米を消費することになるが、蒸し米や大麦を食べれば、1石3斗~4斗でもやりくりできるだろう。味噌は1升で100人分になるが、110人分まかなえればなおよい。塩は1升で150人分をまかなうべきである。

 ぬか味噌5斗を作って丁寧に使うようにせよ。朝夕味噌をすり、十分にこして味噌汁を作ること。その味噌かすに塩を入れ、大根、かぶら、うり、なすび、冬瓜、ネギなどの削りくず、ヘタ、皮を集めて入れて、朝夕の下人のおかずにするとよい。茎などはそのままおかずにしてもよい。

 また、米が高い時は雑炊を食べるようにせよ。寿貞は一生雑炊をお食べになったという。ただ、まずはあなた方夫婦が率先して雑炊を食べること。ちょっとだけ雑炊をすすり、後は全く食べないとしたら、下人の評判もよくない。いかなることでも、分別をわきまえることが重要である。我々の母なども、昔は皆分別をわきまえていた。我々も若い時は、下人同然の飯を食べたものである。
 一(十二)、我々つかい残たるものもとらせ候て、宗怡へ預ケ、如何様にも少づつ商事、宗怡次第ニ仕べき候。其内少々請取、所帯ニ少も仕入、たやすきかい物共候者、かい置候て、よそへ遣らず、商売あるひハしちを取、少は酒をも作候て然るべき候、あがり口之物にて、たかきあきない物、生中かい候まじく候。やすき物ハ、当時売候ハねども、きづか(気遣)いなき物候。

 第一、しちもなきに、少も人にかし候まじく候。我々遺言と申候て、知音・親類にもかし候まじく候。平戸殿(=松浦家のこと)などより御用共ならバ、道由・宗怡へも談合候て、御用立つべき候。其外御家中へハ少も無用候。
 我々が使い残したものも保管し、宗怡へ預けて少しずつ売却すること。その辺りは宗怡の判断に任せる。そのうち少々は受け取って家庭に入れてもよい。簡単に購入できるものは買い置きをしてよそにやらず、よい値で売却するか質に入れ、少しは酒も造るようにせよ。相場が急上昇している高い商品は、買ってはならない。安い商品は、その時は売れなくても、気を揉む必要はない(高くなるのを待て)。

 質もなしに他人にお金を貸してはならない。我々は遺言の中で、知人・親族であってもお金を貸さないと明記している。ただし、松浦家などから頼まれれば、道由・宗怡とも相談してお金を工面せよ。その他の家には決してお金を貸してはならない。
 一(十三)、人ハ少成共もとで(元手)有時に所帯に心がけ、商売油断無く、世のかせぎ専すべき事、生中之役にて候。もとでの有時ハゆだんにて、ほしき物もかい、仕度事をかかさず、万くわれい(華麗)ほしいままに候て、やがてつかいへらし、其時におどろき、後くわい(悔)なげき候ても、かせぎ候ずる便もなく、つましく候ずる物なく候てハ、後ハこつじき(乞食)よりハあるまじく候。左様之身をしらぬうけぬものハ、人のほうこう(奉公)もさせず候。

 何ぞ有時よりかせぎ商(あきない)、所帯はくるまの両輪のごとく、なげき候ずる事専用候。いかにつましく袋に物をつめ置候ても、人間の衣食ハ調候ハで叶わず候。其時ハ取出つかい候ハでハ叶まじく候。武士ハ領地より出候。商人はまうけ候ハでハ、袋に入置たる物、即座に皆に成すべき候。又まうけたる物を袋にいかほど入候共、むさと入ぬ用につかひへらし候者、底なき袋に物入たる同前たるべく候。何事其分別第一候事。
 人は、少しでも元手がある時は、家庭の維持を心がけ、油断なく事業を行い、稼ぎに専念するべきである。元手がある時は、油断してほしいものを買い、余計な支度をし、あれこれと華美なものを求めて、やがて元手を使い減らしてしまいがちだ。その時になって初めて驚き後悔しても、稼ぎを生み出す手段もなく、質素な暮らしをしなければ、後は乞食以下の暮らしをするしかない。そのような身分を受け入れられない者は、人の奉公もできないだろう。

 元手がある時、商売と家庭は車の両輪のごとく、両方とも十分に心を配らなければならない。どんなに倹約して袋に物を詰めておいても、人間の衣食が十分でなければ、その両輪はうまく回らない。その時は、袋から取り出した物を使わなければ、両輪が機能しない。武士には領地がある。商人は、儲けが出なかった時には、袋に入れておいた物に頼る。儲けたものをどんなに袋に入れても、むざむざと余計なことに使ってしまうのは、底が抜けた袋に物を入れているようなものだ。何事も分別をわきまえることが肝要である。

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