プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年04月07日

『少年老い易く学成り難し(致知2014年4月号)』―「詰め込み知識」と「考える力」についての一考


致知2014年4月号少年老い易く学成り難し 致知2014年4月号

致知出版社 2014-04


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 どういう演奏をしたいのか。その意思を確固として持つ。その上で自分の意思を楽員にどうやって伝えるかという技術を徹底的に教わりました。その一つが指揮法である、もう一つは具体性。つまり、『ここは愛の場面ですからもっと愛を感じて』といった抽象的な表現ではなく、『ここは長く、ここは短く』あるいは『ここは強く、ここは弱く』といったように徹頭徹尾、具体的な指示を出すべきだと教わりました。
(指揮者・飯守泰次郎「作曲家の求めたる音楽を限りなく追い求める」)
 この部分にはちょっと違和感を覚えた。オーケストラの世界については全くの無知なので見当外れな指摘かもしれないが、指揮者がここまで具体的な指示を出してしまうと、演奏者の考える力が奪われてしまうように思える。

 指揮者と演奏者は短期間のうちに作品を仕上げなければならないから、演奏者にいちいち考える時間を与えるゆとりはないのかもしれない。飯守氏のやり方は、暗黙知を形式知に変換して、知をすばやく伝播させることをよしとする欧米流のやり方(ステレオタイプだが)のようにも感じる。しかし、これでは演奏者は指揮者のプログラムに従うだけの機械になってしまうのではないか?そして、誰が指揮者であっても同じ演奏になってしまうのではないか?

 それよりも、「この箇所で愛を表現するにはどうすればよいか?」ということを演奏者に徹底的に考えさせ、演奏者と議論し、ともに試行錯誤することが、深慮に立脚した味わい深い演奏につながるはずだ。その知的探索の厚みが、いかにもその指揮者とその演奏者らしい演奏を創り出す。そして、何よりも演奏者自身の成長が促される。

 もちろん、この方法は時間がかかる。演奏者全員が指揮者の思い通りに考え抜き、成長するとは限らない。別のインタビュー記事で、落語家の桂歌丸師匠が次のように述べている。
 噺を教えることはできるんです。ただ、(落語にとって最も重要な)間を教えることはできない。私たちの商売は、早く自分の間を拵えた人間が勝ちです。いつまで経っても間のできない噺家がいる。もっと極端に言うと、生涯間のできない噺家がいる。間抜けって言葉があるじゃないですか。それと同じですよ。
(落語芸術協会会長・桂歌丸「落語の道に終わりなし。目を瞑る時まで磨き続ける」)
 間に関しては、師匠が明確に教えることがない。弟子はああでもない、こうでもないと繰り返し、師匠はちょっとよくなった、ちょっと違うと評価する。ここで師匠が、「ここの間では○○秒間を空けよ」などと教えたら、その間は台無しになる。間とは定量的な時間を超えた概念であるがゆえに、簡単には教えられないのである。

 だから、考える力がある弟子とそうでない弟子の間には歴然とした差が生じる。考える力がある弟子は、一生かかっても間を習得することがない。一方で、考える力がある弟子は、苦労の末に体得した絶妙な間で、大きな笑いを生み出すことができる。目と耳の肥えた聴衆は、「あの噺家の話には、独特の味がある」と評することだろう。それがその噺家の評価となり、ブランドとなり、他の噺家と一線を画するポイントとなる。

《追記》
 今日の記事は、詰め込み教育を是とした以前の記事「『塾&予備校 徹底比較(『週刊ダイヤモンド』2014年3月1日号)』―詰め込み教育こそ考える力の源泉」の内容とやや矛盾しているように感じられるかもしれないので補足。オーケストラの演奏者が考える力を発揮するためには、演者に一定の知識がなければならない。それは、演奏する楽器に関する技術的な知識もさることながら、作曲者の音楽に対する考え方やメンタルモデル、そしてそれらを生み出した時代的背景などに関する知識であろう。飯守泰次郎氏は別の箇所で次のように述べている。
 作曲家の脳裏に描かれたものは音符に描かれています。その音符を機械的に再現するのではなく、音符の背後にある作曲家のイメージを100%理解することはできなくても、少しでも肉薄する。そのためにはどんな努力も惜しまないことです。

 私が最も影響を受けた指揮者の1人が巨匠・フルトヴェングラーですが、彼はこう言っています。「本当の音楽を体験するには当時の作曲家の意思、意図したこと、そしてそれを受け継いで演奏してきた時代を知ることだ」と。フルトヴェングラーは音符の背後にあるものを読む人でした。
 作曲者が愛についてどう考えていたのか?それを知るには、作曲者の生涯をたどり、作曲者が遺した文章なども読み込まなければならないだろう。また、愛についての当世の時代意識に迫るには、その時代の文学作品なども重要なリソースとなる。さらに、作曲者が生きた時代や、そのような文学作品を生み出した社会的・歴史的文脈についても理解を深める必要があるに違いない。演奏者は、こうした複合的な知識を”詰め込んだ”上で、作曲者が表現したかった愛とは何かに思いをめぐらせ、その愛の表現方法を演奏に関する技術的知識と結合させるわけである。

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