プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年04月17日

小川榮太郎『国家の命運―安倍政権奇跡のドキュメント』―日本は「仁」の精神で世界の均衡を実現する国家


国家の命運 安倍政権 奇跡のドキュメント国家の命運 安倍政権 奇跡のドキュメント
小川 榮太郎

幻冬舎 2013-06-14

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 前著『約束の日 安倍晋三試論』に続く小川榮太郎氏の最新作。解散を先延ばしにする野田前総理の国会での所信表明を「亡国」と酷評し、挑発を続ける中国に対し弱腰の姿勢を見せる岡田前副総理を「万死に値する」と斬り捨てるなど、民主党への”死体蹴り”は容赦なく続けられる。その文章には、骨肉をどんなに切り刻んでも足りないというぐらいの激しい憎悪がにじみ出ている。そんな国難に際して、まるで天命に導かれるようにして安倍総理が誕生したと、2012年の総裁選、そして衆院総選挙の裏話をドラマティックに描き出している。その中には、政治評論家の故三宅久之氏との知られざる交流も含まれる。

 本書の最後では、安倍総理が世界に対して発信した「日本の戦略的ポジショニング」に言及されていて非常に興味深い。
 安全保障も含め、世界の新たなルールの作り手、海洋という新時代の可能性への水先案内人、そして民主主義や法の支配という価値観による世界秩序の再整理を担うという国家的な野心は、明確に示されたのである。

 これを安倍の個人的な野望だと評するのは間違っている。日本の国力の衰退と国際環境の厳しさを考えた時、逆に我が国はここまで強く、己の国際的なポジションを再定義し直し、それに向けて一丸となってチャレンジしようとしない限り、最早活路はない。
 企業に戦略が必要であるのと同様に、政治にも戦略が必要である。そして、政治的戦略とは、他国とのパワーバランスの中で、自国が自らの強みを活かしながらどのようなポジショニングを取るのかを定めることである。

 日本の強みとは何か?それは、『論語』にある「仁」の精神ではないかと思う。仁とは、簡単に言えば思いやりであり、他人の幸福を祈ることである。そして、日本で仁の精神を最も体現している存在として「天皇」がいらっしゃる。東日本大震災3周年追悼式で、天皇陛下は「被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか、希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、永きにわたって国民皆が心をひとつにして寄り添っていくことが大切と思います」とおっしゃった。まさに仁の精神の表れである。

 日本国憲法には、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると定められている。天皇が象徴している日本国および日本国民とは一体何なのかを一言で答えるならば、このような仁の精神であろう。さらに、大日本帝国憲法にまで遡って見てみると、第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の「統治ス」の部分は、原案では「治(しら)す」となっていた。「しらす」とは、『古事記』や『日本書紀』に出てくる言葉であり、「天皇が広く国の事情をお知りになることで、自然と国が一つに束ねられること」を意味する。つまり、仁である。

 仁のあるところには、自ずと信頼が生まれる。そして「信」こそ、孔子が政治において最も重要な要素として挙げたものである。
 子貢、政を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於て何れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何ずれをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古より皆死あり、民は信なくんば立たず。

【現代語訳】
 子貢が政治について尋ねた。孔子は、「食糧を行き渡らせること、軍備を整えること、人々との信頼を築くことだ」と答えた。子貢は、「どうしても3つのうち1つを犠牲にしなければならないとしたら、どれを犠牲にしますか?」と尋ねたところ、孔子は「軍備を犠牲にする」と答えた。子貢はさらに、「どうしても残り2つのうち1つを犠牲にしなければならないとしたら、どちらを犠牲にしますか?」と尋ねたところ、孔子は「次は食糧だ。昔から人の死は避けられないものだが、信頼がなければ人間社会は成立しない」と答えた。
 日本は世界で唯一、万世一系の国王=天皇が未だに存在する稀有な国家である。日本がこれほどまでに連続した歴史を維持することができたのは、仁や信といった政治の本質を体現し続けてきたからに違いない。その強みを、国際政治の舞台でも積極的に発揮しなければならない。

 アメリカはグローバリゼーションという名のアメリカナイゼーションを世界中で進めている。中国は軍事費を毎年10%以上増加させており、太古からの理想である中華思想の実現を目指している。ロシアは、ギリシャ正教の教えに基づいて世界の覇権を狙っている。中東のイスラム原理主義者は、反米の姿勢を強めている。これらの国々が衝突するその中心に、日本という国家は存在している。日本は、対立の中に身を置いて、仁の精神で世界の均衡を導かなければならない。

 世界各国が軍事力を増強している中で、仁や信といった精神面に訴える政治はあまりにも弱いと批判されるかもしれない。しかし日本は、アメリカの政治学者ジョセフ・ナイが「ソフト・パワー」という概念を持ち出すよりもずっと前から、ソフト・パワー中心の外交を展開し、世界中から高く評価されてきた。イギリスの公共放送局BBCが毎年行っている「世界によい影響/悪い影響与えている国」の調査によると、2012年は日本が「世界によい影響を与えている国」で1位となった。

 ハード・パワーに頼る政治は、力で相手を押さえつければよいので、ある意味では簡単である。だが、別の言い方をすれば非常に短期的・短絡的な発想であり、相手の遺恨を残しやすい。長い目で見れば、その遺恨が別の政治的課題を発生させるだろう。これに対して、ソフト・パワー中心の政治は、人間の心と心を通じ合わせる必要がある。よって、時間がかかるし非常に難しい。だが、幸いにも日本はそういう政治に長けているのである。今こそ仁の精神でリーダーシップを発揮することが、日本の戦略的ポジショニングとなるのではないか?

 《2016年3月13日追記》
 参考までに。この記事を書いて以来、本ブログでは、アメリカ、ドイツ、ロシア、中国といった大国が二項対立的な発想をする一方で、大国に挟まれた日本のような小国は、対立する双方のいいところどりをして二項混合的な発想をするのが生き残りの道であると書いてきた。
 国際的な場でこのように存在感を示せていない日本であるが、そんな場で求められている新たな役割がある。それは、平和思考で調和を尊ぶ日本的な特徴を生かして、特定の国家間で真っ向から利害が対立しているような問題に対して、第三者的な態度で仲介をし、調停をするというメディエーターとなることだ。
ケースで学ぶ異文化コミュニケーション―誤解・失敗・すれ違い (有斐閣選書)ケースで学ぶ異文化コミュニケーション―誤解・失敗・すれ違い (有斐閣選書)
久米 昭元 長谷川 典子

有斐閣 2007-09-25

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 よく知られているように、アメリカは訴訟大国である。アメリカの民事訴訟件数は年間約1,800万件であり、日本の7倍以上である。アメリカの人口(3億1,890万人)は日本の人口(1億2,681万人)の約2.5倍であるから、人口10万人あたりの訴訟件数で見ると、アメリカは日本の約17.5倍となる(ただし、アメリカの判決率は僅か3.3%であり、日本の47.4%に比べて低い点は注目に値する。これは、アメリカにおいては、裁判の途中で和解に至るケースが多いためである)。

 紛争を解決する手段としては、裁判のほかにADR(Alternative(Appropriate) Dispute Resolution:裁判外紛争解決手続)がある。やや古いデータではあるが、ADRの件数を日米で比較してみると、1999年の年間ADR受理件数は、日本が約26万件であるのに対し、アメリカは約17万件である(首相官邸「主なADRの利用状況(諸外国比較)」より)。日米の人口の差を考慮すると、日本のADRの件数はアメリカの約3.7倍である。

 アメリカでは弁護士の数も多いことから、まずは訴訟を起こして対立に持ち込む。その後は交渉によって、被告側が「このぐらいの金額は取りたい」と考えるラインと、原告側が「ここまでの金額ならば支払える」と考えるラインを近づけていく。両者のラインが一致すれば和解が成立する。ただ、和解とは言うものの、和解金は法外な金額になることもあり、決して痛み分けという形にはならない。あくまでも勝ち負けがはっきりするのがアメリカの特徴である。

 一方、日本の場合は、訴訟に対する心理的ハードルが高いことから、まずは調停が選択されることが多い(と、私が大学生の時に法社会学の講義で習った)。調停では、一方を完全な悪者にはしない。双方に多少の非があったことを認め合い、今後どのような関係を築くのかを協議して、円満な解決に至る。そのプロセスは二項対立ではなく二項混合であると言える。引用文にあったメディエーターに期待される役割とは、この二項混合を促すことではないだろうか?

 《2016年3月27日追記》
 リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか』(ダイヤモンド社、2004年)より、西洋とアジアの紛争解決の方法の違いに関する記述を引用する。本書では、西洋人は交渉の場において、選択肢を二者択一で「選ぶ」のに対し、アジア人は両者の主張を「合わせる」とも書かれている。
 争いのための文章技法の形式は、アジアの法律にも欠けている。西洋の法律のほとんどの部分を占めているのは敵対する者どうしの争いに関するものだが、それらはアジアでは見出されない。もっと典型的なことに、アジアの論争者たちは問題の解決を仲裁人に委ねる。仲裁人に課せられているのは公正な判断ではなく、敵対する者たちの主張の「中庸」を探して憎しみを軽減することである。アジア人には普遍的な原則によって法律上の紛争に対する解決策を見出そうという考えはない。それどころか、抽象的で型どおりの西洋流の正義は、融通がきかなくて冷酷なものだと考える傾向がある。
木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか
リチャード・E・ニスベット 村本 由紀子

ダイヤモンド社 2004-06-04

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