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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年04月19日

池内了『宇宙論と神』―宇宙は人間が自己中心的にならないための最後の砦


宇宙論と神 (集英社新書)宇宙論と神 (集英社新書)
池内 了

集英社 2014-02-14

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 (1)東洋人の直観は時に西洋科学を上回ることがあり、感心させられる。「宇宙」という言葉は古代中国から存在しており、「宇」は空間的無限性を、「宙」は時間的無限性を意味する。これは、中世にジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600)が、宇宙は無限であること、そして万物はその中で生成と解体を繰り返し、したがって生命の輪廻もあり得ることを説いて、宇宙の空間的・時間的無限性を主張したのよりもはるかに昔のことある。また、トーマス・ディッグス(1546~1596)が、無限宇宙の幾何学的な姿を具体的に提示しようと試みたのは、1576年のことである。

 仏教には「色即是空、空即是色」という有名な言葉がある。「色」とは実体があること、「空」とは実体がないことを表す。よってこの言葉は、「実体があるように見えて、実は何もないことと同じ、何もないことは、実は実体にあふれている」という意味になる。本書によれば、これが宇宙の始まりを実に端的に表現しているという。

 一般に宇宙の誕生は、「真空のゆらぎが自己組織化によって現実に転化した」と説明される。ここで、超ミクロの世界には量子論を適用する必要があり、いかなる状態においても「量子ゆらぎ」を考慮しなければならない。「量子ゆらぎ」とは、物質と反物質のペアが生まれたり消えたりする量子論特有の状態である。そして、「完全に空っぽの状態」である「真空」であっても、ある有限の時間間隔に有限のサイズ(波長)の物質と反物質の波(エネルギー)が生まれては消えるというプロセスが繰り返されている。これを「真空のゆらぎ」と言う。

 真の「空」であっても物質と反物質という「色」を作り、そしてそれらは瞬時に消えて「空」に戻っているのだから、「色即是空、空即是色」と言えるだろう。一瞬の間に仮想的な時空が生成消滅していると考えてもよい。そして、そのような仮想的な時空が「何らかのきっかけ」によって現実化し、この世に姿を現したのがビッグバンと解釈されている。以上の説明を、何千年も前に先取りし、非常に美しい文章で表現したのが「色即是空、空即是色」なのである。

 (2)『宇宙論と神』というタイトルからして、宇宙論の進歩にともなって神に対する考え方がどのように変化していったのかを論じたものだと期待していたのだが、私の想像とはやや違った。確かに前半部では、同じ天動説を採りながら、神も天国も想定していないアリストテレスの宇宙論と、唯一絶対の神を崇める聖書の宇宙論との間に見られる矛盾を解決するためにトマス・アクィナス(1225~1274)が奔走した話や、コペルニクス(1473~1543)⇒ケプラー(1571~1630)⇒ガリレオ(1564~1642)の地動説をキリスト教会がどのように迎え撃ったかが述べられている。

 ケプラーやガリレオは科学的な観測によって地動説を導いたが、コペルニクスに関しては面白い話がある。本書によると、コペルニクスが太陽を宇宙の中心に据えたのは、アリストテレスの考えでは下賤な4元素(火、空気、水、土)からなるとされる地球が中心にあるのは神が創った宇宙にふさわしくなく、高貴な元素のエーテルが固まった太陽が中心であるべきだとしたため、という説もあるらしい。コペルニクスは、科学と宗教の間で葛藤に悩まされていたのかもしれない。

 ただ、本書の後半になると、畢竟宇宙論がどのように発展してきたかという点に話が集中しており、神の登場頻度がガクッと下がる。ガリレオが天の川に多数の恒星を発見して宇宙を無数の星の世界へ広げ、ハッブル(1889~1953)が多数の銀河系外星雲を発見して宇宙を無数の銀河世界へ広げ、そして今やこの宇宙が一つだけではなく、無数の宇宙が次々と連なる究極の世界像(=超宇宙)に到達した。人間が宇宙の実像を明らかにするにつれて、神はただただ後退していくばかりのような印象を受ける。この点がやや物足りなかった。

 (3)古代の天動説は、神―人間中心主義にのっとったものであった。神が宇宙を創り、その中心に地球を創り、地球をつかさどる存在として人間を創造したというわけである。ところが、地動説の登場によって、地球や人間は宇宙の中心から外されてしまった。人間は神から特別な使命を受けていると信じていたキリスト教会は、この点を激しく非難したわけである。しかし、その後の科学の進歩を見ていると、人間は謙虚になるどころか、神を端へ追いやり、人間中心主義を強めているかのように見える。近代から続く理性万能主義の結果とも言えるだろう。

 その最たる例が、本書の最後に登場する「人間原理の宇宙論」であろう。我々は光速度、重力の強さ、電荷の大きさ、電子や陽子の質量、プランク定数、空間の次元など、物理定数と呼ばれる物理量は、いつでもどこでも同じ普遍的な値をとっているが、なぜその値であるかについては説明できないでいる。ただ観測によって決定された値を使うしかないとされてきた。

 ところが、実際に調べてみると、様々な物理量の値が、人間が生まれるのに非常に都合のよい範囲に調整されていなければならないことが解ってきた。物理定数の値が少しだけ異なる宇宙を仮定してみると、その宇宙には人間が存在しなくなる。よって、物理定数の値は、この宇宙に人間が存在するという条件で決めてよいというのである。「人間原理」という名前はここから来ている。車椅子の物理学者スティーヴン・ホーキングも、人間原理の宇宙論のファンであるらしい。

 人間原理の宇宙論は、神を完全に追放し、人間絶対主義の世界観を作り上げる。だが、それは危険な兆候であるような気がする。宇宙が謎に満ちているのには、それなりの理由がある。宇宙のことを調べれば調べるほど訳が分からなくなるのは、人間の理性信仰に歯止めをかけるためである。また、宇宙が無数の宇宙からできているという複雑な構造は、人間を相対化し、多様な人々、多様な生命、多様な物質に対して寛容になれとのメッセージであると受け止めている。

 要するに、「人間は自己を絶対化してはならない」という神の啓示である。そのためには、宇宙は永遠に謎だらけのままであってほしいし、そうでなければならない。科学の目覚ましい進歩によって、世界中の秘密が次々と引き剥がされ、人間は絶対的な自信を深めている。しかし、宇宙(と神)は、自分が世界の中心だと舞い上がる人間に(いい意味で)冷や水を浴びせ、自己を抑制させる最後の砦としていつまでも堂々と君臨しているはずなのである。

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