プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年04月22日

内田樹、中田考『一神教と国家』―こんなに違うキリスト教とイスラーム・ユダヤ教


一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 (集英社新書)一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 (集英社新書)
内田 樹 中田 考

集英社 2014-02-14


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 思想家の内田樹氏とイスラーム(※)法学・神学の第一人者である中田考氏による対談本。中田氏は世界16億人のムスリムの信仰的つながりを取り戻すためには、「カリフ制」の復活が必要であると主張する。カリフとは、7世紀に没した預言者ムハンマドの後継者という意味である。カリフはイスラーム世界を束ねる宗教的・政治的な軸となり、1924年にトルコ建国の父と呼ばれたムスタファ・ケマルが廃止するまで1300年ほど続いた。

 ところが、カリフが廃止されて以降、この16億人のムスリムは、宗教、歴史、言語、文化の面で深い類似性を持ちながら、政治的にバラバラにされ、相互支援、相互扶助のシステムを失ってしまった。イスラーム世界にはOIC(Organization of the Islamic Conference:イスラーム諸国会議機構)が存在するものの、この組織はイスラーム世界の統一を目指すどころか、分裂を固定して再統合を夢のままにとどめておこうとしているらしい。中田氏によれば、この状況を打開するためには、カリフ制の復活しかない、というわけだ。

 本書を読んで、イスラームのことがよく勉強になったが、同じ一神教であるキリスト教、イスラーム、ユダヤ教の中ではむしろキリスト教が異質であり、イスラームとユダヤ教には共通点が多いことに気づかされた。イスラームというと、世界を震撼させる原理主義者の活動のせいか、イスラームだけが特殊であるかのように錯覚していたけれども、どうやらそれは違うようだ。

 (1)イスラーム・ユダヤ教はアニミズム(生物・無機物を問わない全てのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方)に対して寛容である。イスラームでは、アニミズム的なものも事実としてあると認めた上で、創造主は1人という考え方をとる。また、ユダヤ教では、神秘主義やハシディズムに多神教的な要素が含まれる。

 一方、キリスト教は非アニミズム的な一神教である。カトリックは布教の過程でゲルマンの土着信仰と接触して習合的な聖人崇拝を生み出したが、これはアニミズムとまでは言えない。人間だけが理性を持った生き物で、それ以外は全てモノであるという考え方が強い。

 (2)キリスト教は私有の文化、イスラーム・ユダヤ教は共有の文化である。これは、農耕文化・定住文化に基づくキリスト教圏では、「ここからこっちは俺の土地だから入ってくるな」という形で資源を分割し、土地の所有権を認める必要があったのに対し、イスラーム圏・ユダヤ教圏は遊牧文化であり、少ない資源を共同体で分け合いながら生活していたためである。

 イスラーム圏には「施し」の文化が根づいている。食べ物に困っている人がいたら、自分の食べ物を分け与えることが当然とされる。水は回し飲みが基本だ(砂漠では水は貴重である)。また、イスラームの五行の中には「喜捨(ザカート)」というものがあり、収入の一定割合を寄付にあてるべきとされている。逆に、吝嗇は最大の恥と言われる。

 (3)(2)とも関連するが、キリスト教では私有権を保護するための装置として国家が要請される。これに対してイスラーム・ユダヤ教では必ずしも国家を必要としない。冒頭で述べたように、中田氏はイスラーム圏に国家は必要なく、カリフ制を復活させればよいと主張している。事実、内戦が頻発しているシリアでは、政府がある地域よりもない地域の方が治安がよい。このように、イスラーム圏は政府なしでもやっていける、というのが中田氏の見解だ。ユダヤ教に関しては、イスラエルという国家があることが、かえって問題を複雑化させている。

 なお、イスラーム圏に独裁国家が多い理由について、中田氏は次のように分析している。ヨーロッパでは、国王の絶対主義を倒して国家という法人が登場した。国民はその強大な権力を知っていたから、解毒剤として民主主義や人権思想などを用意した。ところが、イスラーム圏では国王がいるところにそのまま国家という装置を導入してしまったため、国王がもともと持っていた拡張主義と結びついて、とんでもないことになってしまったのだという。

 (4)同じく(2)と関連するが、キリスト教圏では個人の自由が優先されるのに対し、イスラーム圏・ユダヤ教圏では、集団の利益が優先される。よって、キリスト教圏における民主主義は個人の自由を確保するための政治原則となるが、イスラーム圏・ユダヤ教圏における民主主義は個人に不自由を課す政治原則となる。

 イスラーム圏やユダヤ教圏における遊牧民は、集団で生きるしかなく、群れから離れる自由がない。離れられないため、反対の人も多数派に従う。いやでも共存を模索しなければならず、その意味で遊牧社会は非常に民主主義的である。自由でないがゆえに民主主義が発生するという具合に、ヨーロッパの民主主義とは異なる帰結となる。

 (5)キリスト教では、神が個人の内心に深く入り込む。神と人間との距離が近く、人間の内面の言葉を聞き取ってもらえると考える。一方、イスラーム・ユダヤ教では、キリスト教ほど神と個人の距離が近くない。キリスト教では、人間の内面に精神というものが確固としてあることが前提とされる。しかし、イスラームでは、人間の内面には最初から悪魔とか悪人とかいろいろなものが入っており、かつ本当の内面は誰にも解らないと考えられている。

 よって、イスラームでは、他人の内面に干渉しない。イスラームは他の土地を征服していく際、自分たちの宗教を強要することは決してなかった。他者に対しては政教分離的であって、宗教としての枠組みと法による共存の枠組みを別物と考えていた。この点ではむしろ欧米の方が混乱しており、政教分離と言いながら宗教的な価値を背負って相手に攻め込んでいるところがある。

 (6)(5)とも関連するが、キリスト教では神と個人をつなぐ場としての教会が非常に重要視される。「聖書のみ」を掲げるプロテスタントですら本質的には同じだ。よって、キリスト教では教会自体が聖化され、さらにカトリックの司祭、プロテスタントの牧師といった聖職者が権威を持つ。

 これに対して、イスラームはキリスト教における教会、仏教における寺院のような組織を持たない。モスクは純粋に礼拝の場であって、所轄の信徒がいるわけではない。キリスト教徒にとっては、どこの教会で祈るかが大きな意味を持つが、イスラム教徒はどのモスクで祈りを捧げてもよい。だから、例えばマレーシアのムスリムがエジプトに旅行して、たまたま道で見かけた現地のモスクに飛び込んで現地の人たちと一緒に礼拝することも可能である。


 (※)「イスラーム」とは、正則アラビア語による「イスラム教」の正式名称であり、本書はイスラームという表記で統一されている。私としては、イスラム教の方が慣れていて使いやすいのだが、経営学においてマネジャーやマネジメントのことをマネージャー、マネージメントと言うと笑いものにされるのと同様、イスラム教、イスラム教と言い続けていると、専門家の失笑を買いそうなので、本記事でもイスラームに統一した。

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