プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年04月25日

舛添要一『憲法改正のオモテとウラ』―森元首相は「偉大なる真空」、他


憲法改正のオモテとウラ (講談社現代新書)憲法改正のオモテとウラ (講談社現代新書)
舛添要一

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 (前回からの続き)

 (4)舛添氏は、「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要がある」と述べた2012年の「第二次草案」に危機感を募らせている。天賦人権説は、人類が長い年月をかけて獲得してきたものであり、国家権力に対して個人の基本的人権を守るのが立憲主義である。舛添氏は、天賦人権説を否定し、立憲主義を知らない政治家が「第二次草案」を書いていることを厳しく批判している。

 だが、ここはもう一つ慎重になる必要があるだろう。絶対王政を倒して天賦人権を勝ち取ったヨーロッパとは違い、日本にはそのような歴史がない。明治時代になって、西欧思想を輸入した植木枝盛や中江兆民らが熱心に天賦人権説を説いたが、一方では国粋主義者の陸羯南が天皇の権威を前面に打ち出した上で国民の精神的統一を説き、天賦人権説を排除した。陸にとって立憲政治とは「君民共治」であり、その限りにおいて国民の自由と権利が認められるとされた。

 西欧では「権力からの自由」が標榜されるが、日本は「権力の中における自由」を志向する社会である。言い換えれば、権力という不自由な枠組みの中で自由を感じるのが日本人だ。この歴史的・文化的背景の違いは無視できないと思う。そもそも、憲法改正はアメリカから押しつけられた自由・権利・民主主義を見直すために始められた。「第二次草案」は天賦人権説を否定しているからダメだと機械的に排除することは、憲法改正の本来の動きと矛盾するように思える。

 (5)民主主義は、国民が立法府に参画することによって、言い換えれば選挙を通じて議員を選ぶという行為によって達成される。そして行政は、立法府が定めた事項を粛々と執行するだけと考えられている。この点に疑問を呈したのが、哲学者・國分功一郎氏だ。国分氏は著書『来るべき民主主義』の中で、地方自治に限定した話ではあるが、政治を実際に動かしているのは立法府ではなく行政だと指摘する。行政の裁量権は広く、民意を大きく無視した政治が可能である。國分氏は、住民投票の仕組みを変えるなど、民主的な行政の実現に向けた提案を行っている。

来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題
國分功一郎

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 同じことが国政レベルでも起こっていると考えてよいだろう。国民は国会議員を選び、国会議員の中から内閣総理大臣が選ばれ、内閣総理大臣が国務大臣を選んで、行政の最高責任機関である内閣を形成する。ところが、国務大臣の選任は内閣総理大臣の専任事項であり、かつ「国務大臣の過半数は国会議員でなければならない」(68条1項)という規定に従えば、半数までは民間から自由に登用することができる。この時点で、内閣が民意を正しく反映しない可能性が高まる。さらに、内閣の下にある官僚組織のメンバーは、民主主義的なプロセスによって選出されていない。したがって、ここでも非民主的な度合いがさらに高まる。

 この現状を改善して、国政レベルにおいても行政の民主化を進めるのは容易ではないだろう。しかし、「国会に関する小委員会・内閣に関する小委員会合同会議」における意見の概要を読むと、面白い提案がいくつかされている。そのうちの1つが、「主要な国務大臣の任命については、国会の同意を要することとすべきである」という意見だ。もちろん、これだけで問題が解決するわけではないが、取っかかりとしては高く評価されてもよい提案だと感じる。

 (6)憲法は「国家と個人の関係」を規定し、国家が個人に対して保障する自由・権利と、その見返りに個人が国家に対して果たすべき義務を明記したものである。しかし、国家と個人の間には様々な組織が存在しており、個人は組織を介して国家と関係を持つことが増えている。具体的には、家族があり、企業があり、地方自治体などがあるわけだ。よって、憲法はこれらの組織との関係についても規定する必要があるのではないだろうか?

 現行憲法では、地方自治体との関係について規定があるのみである。ここはもっと踏み込んで、国家と家族の関係や、国家と法人の関係についても規定があってもいいように思える。具体的にどういう規定にするべきかすぐに思い浮かばないのだけれども、例えば個人の生存権を家族にまで拡張して、健康で文化的な最低限度の家族生活を保障するとしたり、国家は法人の自由で経済的・社会的な活動に干渉しない代わりに、納税の義務を課したりすることが考えられる(この辺りは憲法に対する私の無知をさらけ出すようで恥ずかしいが・・・)。

 (7)本書を読んでいて興味深かったのが、森元首相に対する舛添氏の人物評である。森元首相は、えひめ丸事故当時の”ゴルフ問題”や「神の国」発言などで、支持率1桁台という恥ずかしい数字を残したまま辞任したにもかかわらず、その後も約10年にわたり自民党を陰で支えてきた。また、最近では東京五輪組織委員会会長を務めている(早速、失言が問題になったが)。森元首相は、国民からの評判はいまいちなのに、なぜ政治の世界では要職を務められるのだろうか?

 舛添氏は、森元首相のことを尊敬の念を込めて「偉大なる真空」と呼んでいる。舛添氏と森元首相は30年近いつき合いがあるようで、森元首相は大所高所から日本の行く末を案じ、右から左まであらゆる意見を聞き取り、最適な落としどころを考えるのに長けているらしい。これは、自分を無にして「真空」状態にならなければできないことだと舛添氏は高く評価している。また、舛添氏は、森元首相が相手に細かい気を遣いすぎるばかりに、かえって誤解を生み、損な役回りをさせられてしまうというフォローも入れている。

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