プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年05月19日

熊谷徹『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』―ドイツが反省しているのは戦争ではなく歴史的犯罪


ドイツは過去とどう向き合ってきたかドイツは過去とどう向き合ってきたか
熊谷 徹

高文研 2007-03

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 日中、日韓の間で歴史認識をめぐって長い対立が続いているが、ドイツはどのように戦争と向き合ってきたのかを知りたくてこの本を読んだ。ドイツの特徴をまとめると以下の5点。

 (1)1939年の時点で、ドイツ、ソ連、ポーランドなど20か国に830万人のユダヤ人が住んでいたが、そのうち72%に相当する約600万人がナチスによって殺害された。現在、この600万人という数字については、加害者だったドイツ側と被害者であるユダヤ人の間で一種のコンセンサスができ上がっている。一方、日中の間では、未だに南京事件の被害者数について一致した見解が得られていない。日本側の極端な論者は、南京事件の存在そのものを否定しているのに対し、中国側の極端な論者は、約30万人が犠牲になったと主張している。

 (2)1945年11月にニュルンベルクで開かれた国際軍事裁判では、ナチスの高官や軍人24人が起訴され、そのうち12人に死刑、7人に禁固刑の判決が下された。この点だけを見れば、極東軍事裁判と似ているが、ドイツと日本の間では決定的な違いがある。ドイツの司法当局は、連合国による訴追が終わった後も、虐殺などに関わった容疑者の訴追を続けている。西ドイツ政府は1979年に、「悪質な殺人」については時効を廃止した。これにより、ナチスの戦犯は生きている限り捜査の対象となる。

 検察庁は1958年に「ナチス犯罪追及センター」を設置し、容疑者の訴追を行ってきた。1998年までの40年間に、10万7000人の容疑者が捜査対象となり、そのうち7189人が有罪判決を受けている。同センターは2000年に捜査機関としての役割を終えたが、連邦公文書館の一部となり、膨大な捜査資料は学者やジャーナリストに公開されている。なお、捜査は個々の検察庁に引き継がれて今も行われている。

 (3)ドイツの歴史教科書は、ナチス時代にかなりのページを割いている。ナチスが権力を掌握した過程や原因、戦争の歴史を詳しく取り上げ、ドイツ人が加害者だった事実を強調している。また、歴史教科書の内容の透明性を保つために、多国間での教科書研究を積極的に行っている点も特徴的だ。1951年、ブラウンシュバイク市に国際教科書研究所が設置され、1975年に「ゲオルク・エッカート国際教科書研究所」となった。研究所の主要任務は、歴史学者、歴史教師、教科書執筆者の国際会議を開催し、お互いの歴史教科書の内容について討議することである。ドイツはとりわけ、虐殺によって大きな被害を受けたポーランドとの会議を重視してきた。

 (4)ドイツ政府は、国連などの要請があっても、ナチスの過去を理由に連邦軍の派遣に慎重になる場合がある。典型的な例は、1991年から4年間にわたり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナなど旧ユーゴ諸国で起こった戦争をめぐる態度である。当時、国外派遣が憲法に違反していないかどうか議会で激しく議論され、最後は連邦憲法裁判所の判断を仰いだ。同様に、1999年にドイツ軍がコソボ戦争でNATOのセルビア攻撃に加わった際にも、事前に連邦議会で議論が行われた。

 (5)ベルリンにある「ブランデンブルク門」は、ナチスに殺害された600万人のユダヤ人のための追悼モニュメントである。第2次世界大戦の終結から60年目にあたる2005年に、2700万ユーロの費用と6年の歳月をかけて、ドイツ政府が完成させた。このようなモニュメントは、ベルリンなどナチスの権力中枢だった地域に置かれていることが多い。敢えてそのような場所を選ぶことで、ドイツ人が過去と向き合う姿勢を強調している。

 また、アウシュビッツの被害者からなる国際アウシュビッツ委員会(IAK)の事務局もベルリンにある。もっと言えば、事務局が入っているビルは、第2次世界大戦中にドイツ陸軍軍令部があった場所だ。そのような忌まわしい場所に、アウシュビッツの生存者の団体が事務局を置いているのは、かつての被害者たちがドイツ人の過去との対決に信頼を寄せている証拠でもある。

 歴史問題についてはドイツを参考にせよと言われることが多く、私もその目的でこの本を読んだのだが、実はドイツの例はあまり参考にならない気がする。ホロコーストは、戦争相手国内のユダヤ人だけでなく、ドイツ国内のユダヤ人も対象になったという点で、通常の戦争犯罪とは異なる。しかも、ドイツ国民が選挙によって自らナチス政権を選択したのであり、ナチスの指示に従って虐殺を行ったのは一般のドイツ人であった。よって、ホロコーストはドイツ国民自身が犯した、歴史上類を見ない大犯罪なのである。

 日本では、原爆で約30万人の被害者を出したことを引き合いに、「日本もホロコーストと同様の被害を受けた」と主張されることがある。しかし、本書の著者によれば、欧州やイスラエルでは、ホロコーストと原爆を同列視することはタブーとされる。単に被害の規模が違うからではなく、そもそもホロコーストと原爆では次元が違うのである。原爆は、アメリカが主張する通り合法的な戦闘行為である(※)のに対し、ホロコーストは過去に例がない国家的犯罪である。だからこそ、ドイツ人は過去と真摯に向き合い、検察が時効を廃止してまでも容疑者の訴追を行っているのだろう。


(※)イギリスの倫理学者ヘンリー・シジウィックは、戦争におけるある行為を行うことで生じた被害と、その行為によって避けられた被害を考慮して、もし避けられた被害の方が大きい場合は、戦争犯罪ではなく正規の戦闘行為であるとの説を唱えた。アメリカの見解は、シジウィックの説に近い。アメリカは、日本本土決戦が行われたとした場合の予想犠牲者数50~100万人と、実際の原爆犠牲者の数とを比較して、原爆投下を正当化するという論理をとっている(坂本多加雄『歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか』[PHP研究所、1998年])。

歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか (PHP新書)歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか (PHP新書)
坂本 多加雄

PHP研究所 1998-02

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