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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年05月28日

岡裕人『忘却に抵抗するドイツ』―同じ共産主義が西ドイツでは反省を促し、東ドイツでは忘却をもたらした


忘却に抵抗するドイツ: 歴史教育から「記憶の文化」へ忘却に抵抗するドイツ: 歴史教育から「記憶の文化」へ
岡 裕人

大月書店 2012-06-20

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 以前の記事「熊谷徹『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』―ドイツが反省しているのは戦争ではなく歴史的犯罪」で述べたように、ドイツ国民は、自らの手でナチスを選出し、ナチスの命令に従って600万人以上のユダヤ人を虐殺した過去を、通常の戦争犯罪ではなく、史上稀に見る「歴史的犯罪」として反省している。そのために、「凶悪な犯罪」に関しては時効を停止し、ホロコーストに関与した国民を今でも追訴し続けている。だが、東西ドイツを比較すると、もう少し違った側面が見えてくることが本書を読んで解った。

 西ドイツでは、戦後もナチスの影響が色濃く残っていた。1950年代にはナチスの犯罪を追及した「アウシュビッツ裁判」が行われた一方で、ユダヤ人の墓が破壊される事件などが相次いだ。ホロコーストを反省しようという機運はまだ高くなかった。終戦からそれほど時間が経っておらず、国民が生々しい過去からできるだけ目を背けようとしていたことも大きい。こうした世論が大きく変わるきっかけとなったのが、「68年運動」と呼ばれる学生運動である。
 当時各国でヴェトナム反戦などを訴えて学生運動が高まっていたが、1968年には西ドイツでも多くの学生、市民、労働者をまきこんで、既存の政治体制に対する大規模な抗議運動が起こったのだ。この68年運動をきっかけに、戦後生まれの若い世代が、ナチスの過去を厳しく批判するようになる。(中略)

 1969年、この変革を求める風を受け、かつて反ナチ闘争に参加した社会民主党のヴィリー・ブラントが西ドイツの政権の座に着いた。彼は東欧諸国との関係改善を目指す「新東方政策」を進め、歴代のどの首相よりも真摯な態度でドイツ人の戦争責任を明らかにした。1970年にワルシャワゲットー蜂起記念碑の前にひざまずく彼の姿が全世界に報道され、西ドイツが旧交戦国と和解しようとする姿勢を身をもって示した。
 68年運動によって歴史教育も大きく変化し、過去を直視する方向へと転換する。
 70年~80年代の歴史教育が、国家体制や社会構造を問題にするようになったのは、68年運動がマルクス主義の影響を強く受けた大学教授たちに先導された運動であり、彼らがまず最初に「過去の克服」を訴えたからだ。(中略)68年運動を率いた教授たちは、ナチズムを生み出した土壌は資本主義体制にあるとし、70年~80年にかけて国家体制を批判する勢力となった。この影響のもとに「過去の克服」が進められ、歴史の授業も改革されていったのである。
 以前の歴史授業は人物を中心に扱ったが、それが、国家体制や社会構造を対象にすることが、70年代から80年代の歴史授業の特徴となった。ナチスの戦争犯罪の原因をその国家体制や社会構造に求め、なぜ、どのように戦争犯罪がおこなわれたのか「問い」を発し、批判的に検証する授業が始まったのだ。また、過去の記憶を追体験するため、授業で強制収容所跡記念施設を見学するようになったのも、この頃からである。
 一方、東ドイツでは事情がかなり違ったようだ。
 1949年の建国にあたり、一党独裁体制をとるドイツ社会主義統一党(SED)が、「ソ連による占領統治期間中に、反ファシズムの民主主義変革により東ドイツ地域にあったナチズムを根絶した」と宣言したのだ。もはやナチスの戦争犯罪について議論する余地はなかった。この背景には、「ソ連側に立った反ファシズム主義のドイツ人たちがヒトラーの独裁を打ち倒し、新しいドイツを誕生させた」という建国神話がある。
 東ドイツでは、戦争責任の問題も、共産主義のイデオロギーにしたがって解決してしまったと言う。(中略)東のイデオロギーによると、すべての悪は西側ファシズムからやってきた。共産主義がこのファシズムを根絶してホロコースト犠牲者を救出したのであり、こうして責任をとることで戦争の罪を免れたと解釈した。(中略)

 歴史教育においても、中心となるのは共産主義に基づく階級闘争の歴史だ。東ドイツではホロコーストもこの歴史観の理解に利用された。ホロコーストをファシズムの行き着くところと位置づけ、それを共産主義が解放したという図式で理解した。
 西ドイツが共産主義の台頭によってナチスの過去を厳しく批判するようになったのに対し、東ドイツでは共産主義に基づく建国神話によって簡単にナチズムが清算されてしまい、ホロコーストへの反省が十分に行われなかった。同じ共産主義をきっかけとしていながら、東西で異なる帰結を招いた点は、第三者的な立場に立てば非常に興味深く見える(当事者の立場からすれば、そんな悠長なことを言っていられないゆゆしき問題であるが)。

 旧東ドイツでは現在、深刻な問題が起きている。それは、移民、特にイスラーム圏からの移民に対する排外主義が高まっていることである。移民排斥運動が起こっているのは主として旧東ドイツであり、「移民の増加についてどう思うか?」という世論調査を行うと、旧東ドイツでは否定的な意見の割合が高くなるのだという。

 どうやら、ナチズムに対する反省の機会を満足に得られなかったツケがここに来て回ってきているらしい。こうなると旧東ドイツは左派なのか右派なのかよく解らない。いや、正確に言えば、建国神話を支えていた共産主義が、旧ソ連の崩壊と東西ドイツの統一によって否定されてしまったのだから、もはや彼らは何にすがればよいのか解らなくなっているのだろう。旧東ドイツの人々は、とにかく自分の身を守るために、移民に対して過剰反応を起こしているのかもしれない。

 共産主義というのは不思議なイデオロギーである。資本主義に対抗して共産主義が登場した時には、共産主義の方が圧倒的に優勢だった。資本主義の行く末を憂う世界中の人々が、共産主義に飛びついた。資本主義の最右翼であるアメリカも例外ではない。だが、結局のところ、共産主義が勝利を収めることはなかった。資本主義は共産主義からの批判に基づいて、自らのシステムがもたらす弊害を反省し、その弊害を克服する仕組みを接ぎ木することで生き延びてきた。

 例えば、資本主義が進めば進むほど、労働者の賃金は相対的にも絶対的にも窮乏化するという、マルクスの「絶対的窮乏化説」がある。これは予測としては外れたが、命題としては正しかった。絶対的窮乏化説によって、労働者の団結が高まり、運動が激しくなった。一方、資本家にとっては、労働者が絶対的窮乏状態になれば元も子もなくなり、革命も起こりかねない。そこで、個々の資本家の立場を超えて総資本の立場で社会政策が施行され、労働者の生活がそれなりに改善された。”予想が正しかったからこそ”、予想通りにならなかったのである。社会学者ロバート・マートンは、これを「自滅予言」と呼んでいる。

 共産主義は、外野からの野次としては傾聴に値するが、舞台の主役には不適だ。共産主義は、社会を階級社会としてとらえ、歴史をあくなき階級闘争として描く。仮に共産主義が資本主義に勝利して権力を握ったとしても、共産主義と対決する新たな階級が生まれ、彼らによって打倒されるに違いない。旧ソ連の崩壊とはそういうことだったのだろう。その意味では、共産主義は非常に自滅的なイデオロギーである。だから、社会の中心になってはならず、資本主義の対抗馬にとどまり、弱者の声を代弁して資本主義を修正するよう働きかけるぐらいがちょうどいい。以前、日本共産党が「責任ある野党」を目指すと宣言していたが、その意味がちょっと解った気がする。

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